第2話 『可憐な少女は危険とともに』
舞台は路地裏。
僕と雷牙は、この路地を出たところの先の駐車場に置いてある、刑事ドラマでよくあるような至って普通の銀色の自動車でやって来た。
人通りが少ない……というよりはほぼ無く、かと言って安全では無く、寧ろ物騒な面やイメージの多い場所。それが路地裏。
ちょうど建物の立地の関係上、太陽の光が所々、差し込む位置はあるのだけど、そこに、ちょうどその光に照らされるようにして、一人の不思議な少女が寝転がっていた。
否、寝転がっていたというのは自主的にそうしたというような意味があるから——正確には気を失っていた、の方が正しいかもしれない。
綺麗な少女。差し込まれた光を反射する腰辺りまで伸びる銀髪。倒れて横向きになっているため、顔は見えないが、はっきりと凹凸の分かる裸体……ってそのまで観察したら僕がそういう人みたいに見られちゃうじゃないか……!
けど、いかに気怠くても、観察は必要かなぁとは思う。何も考えずに突っ込んで、怪我をする方が怠いと思わない?
とは言え、その彼女と場所の綺麗さから不思議と心地の良い音さえ聞こえてきそうなくらいで……。
いや、本当に聞こえる?
「……おい待て、辿ッ!」
特に駆け出そうと思っていたわけではない。僕は単に少女を驚かせないように歩み寄って声をかけようと思っていたのだけど——雷牙に引き止められる。
「……? 何? 少女がいるなら、早く保護しないとって言ったのは雷牙だよね?」
すると放たれたのは衝撃の回答だった。
「……? お前、幻覚でも見ているのか?この路地に少女なんていないだろう?」
……………はい?
「雷牙、ここで冗談を言う意味は判断力のある君なら意味ないって……分かる……よね?」
あまりにも意味が分からなく、発言の最後の方は疑心暗鬼になってしまった。だって、僕には見えている。昨日のライアー鎮圧の疲れは、多少なりは残っているけれど、幻覚を見るほどじゃないはず。
「……いや、まさかな……」
左手を親指と人差し指だけを真っ直ぐ伸ばし、銃のような形にして自分の額に当てる。
雷牙の考える時の癖。
カッコ良いのか良くないのか僕からしたら微妙だから皮肉も言えない。
「まさか……?」
「……お前には、見えているのだろう? なら、お前が保護してやれ」
一体雷牙は何を理解した…? 『お前には』見えている? え、何? 彼方と裏で手を組んで、ドッキリか何かしようとしてる……?
「いや……待てよ……」
「気付いたか。俺たちにはライアーたちは彼方の結界や、能力の基礎的な力で、見えたり確認はできる。だが……」
「……能力を持たない一般人には感じ取ることは不可能。見ることはもちろん触れることも。つまり彼女は、能力者ですら感知できなくなるほどの思念への干渉をしている……!」
ライアーたちが人間の意思に干渉できるのは、そこに思念があり、その思念で人間の意識……つまり思念には思念をというように干渉しているから。
「なら何故、僕だけ見えるのかは分からないけど……仕方ないか……雷牙は念のために彼方から貰った人避けの思念結界を張っていて」
「……無論だ」
もともと【塔】の片割れの彼方はその能力上、結界や思念を設置することに長けている。そしてその『思念結界』とは、基本は人間や、『ライアー』なる化け物の思念……まぁ、電波みたいなものを感知するもの。しかし、その他にも人の気分に少し干渉して、人を寄せ付けない結界も作れる。
なら、何故結界を張るのか。
仮に偶然、この子の干渉が僕のようにされず、見られてしまうと、全裸の女性を連れ込んでいる男という構図になってしまうからだね。
割と自分で言っててパワーワードというか、犯罪臭凄いよね…………。
「君っ! 大丈夫?」
結界とは言っても古典的なお札……では流石に微弱な思念しか放出できないので、特殊な電波を流せるボイスレコーダーなどをいそいそと周りの壁などに取り付ける雷牙をチラッと確認してから、すぐに駆け寄って声をかける。
「…………う……ん……?」
できる限り彼女の顔のみを見るように意識して、抱き起こす。
直に肌の感触がしたことが少しは…いや、大いに気になっているのは内緒。大丈夫、僕は冷静。
開かれるその眼。
一瞬まるで宝石のエメラルドのように見えるほどのグラデーションのある美しく濃い緑色。
思わず見つめて、見惚れてしまう。
「……つけて」
「…………?」
「……気をつけて」
ふと何を思ったのか、彼女はぼーっとした眼の中に僕を映しながら、そのまま僕たちの真上をその白いツヤのかかった肌の腕を伸ばして指を指す。
……銃声。
しかし、僕を狙ったものではなく。
むしろ、僕たちの真上の何かを狙ったような音の通過。
「……ふむ、思念体になっておいて、正解だったな」
「雷牙……!?」
反射的に彼女をお姫様抱っこで抱え、半身を逸らし、もし僕たちを狙っていても良いように横に飛び退いていたが、どうやらその予感は違ったらしい。ならばと膝立ちで思念で出来たスナイパーライフル…彼曰くL96A1らしい…を構えた雷牙の視線を辿る。
「……人型……?」
そこにいたのは、全身を迷彩柄のマントで覆った人型の何か。
何故人と言わないのか?
それは、今この状況から考えられる2つのパターンがあるからだ。
1つ、能力者の思念体。そもそも思念体は幽体離脱の延長線上みたいなものなんだけど、能力の無い人あるいは能力を上手く扱えない人には出来ないもの。ライアーが思念の塊だから、こちらも思念じゃないと戦えないよねってことでライアーとの戦闘には思念体になる。
2つ、幽霊などの霊体。
確かにライアーでは?と思わなくもないが、統計的に日中はあまり出現しないことが分かっている。とまで考えて。
「……緊急事態過ぎない!? あぁ、もう! 雷牙、撤退の援護頼める?」
いずれであろうとやつの手にシンプルなデザインの包丁が握られているのを目視できた以上、雷牙の銃撃がなければ攻撃されていたことは明確。とは言え、あの包丁……どこかで……?
「無論だな、退け、援護する」
雷牙の凛とした声に、思考は遮られ。
「……了解!!」
とだけ僕は呟いて、落ち着いてボルトハンドルを握り、薬莢排出と装填をする雷牙の横を通って路地の出口へ駆け出す。
背後からタン、タン、と何発か撃つ音が聞こえるけど、雷牙を信じて路地を抜け、停めてあった車の後部座席に彼女を乗せると、即座に鍵を回してエンジンを動かす。こういうことはたまにあるので手慣れてはいる動作。
軽自動車を出して、少し経って。
「……やつは撤退した。焦ることはない」
「うわ!? びっくりした〜」
突如助手席から雷牙の声が聞こえる。
いや、普通はびっくりしないよ?
例えばさ、ただ隣で雷牙が寝てて起きました、とかならさ。
けれど、思念体が抜け出ている時は、本体は仮死状態みたいに息もしない。
側から見れば死体だよ?
つまり、そんなものが道端にあれば当然通報されるわけで。
それを無くすために思念結界と、とあるルールみたいなものが存在する。
「『能力者』は、思念体となる時、本体は動けない。本体が死亡すれば、思念体も必然と消える。故に、意識のある誰かの側、あるいは移動できる車両などでなるのが定石だ」
何を今更驚くことがあるのかと。
「それは悪かったよ。それでも驚くものだよ?息ひとつない……特に君みたいな御伽噺からひょっこり出てきたような美少年が、いきなり話しかけてくるのは」
呆れた目をされた。
そうだね……! 心中をなんとか察するに、お前はまだ新人か……ふん。みたいなところだよね!!
新人で悪かったよ、慣れないものは慣れないんだよ!! はぁ……寧ろこの雷牙の言い方に慣れてしまっているよ……。
「例の少女は……?」
「僕の言い訳くらい聞いてよ!? まぁ、雷牙のそれは今に始まったことじゃないけど……」
と言葉を返して。
赤信号のためにできた余裕で、後部座席に横たわる、僕の上着を着せた彼女をチラッと見る。いや、ほら。風邪…はひくのかは不明だけど、そのままって言うのは僕の気が引けたし。
「いるよ……って言った方がいいのかな?」
「なら、それで良い。俺としても守った甲斐はあったな」
相変わらずの当たり前のことをしたみたいな態度をとる雷牙。
まるで、為せない自分は自分じゃない…みたいな戒めをかけているような…僕には時々そう見えてしまう。
他人からすればエリートとか、よく出来る奴としか思われないのだろうけど。
「それで、本部からの指示は?」
結局のところ、彼女は未知の存在。
確かに人型で、僕たちと遜色ないとは言え、ライアーの反応がある異例な事態。
つまりは、僕一人の所存でどこに彼女の身を置くのかなどは決められない。
いや、決めても良いんだろうけど、その場合の全責任が僕だからね……と、心の中で苦笑いをしている僕へと雷牙は返事をする。
「先程、【塔】からの指示があってな。今からそれをお前に伝える」
この時点で、既に日常では無い忙しさを見せていた。