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第7話 『目覚めよ、その魂』

 

 夕暮れ。思い出したよ、兄さん。


 兄さんが首を吊って自らの命を断ったあの日も……こんな夕暮れだったよね。


「僕にとっての悪夢。それは確かに……兄さん以外の二人が死ぬことだよッ!」


 (たぎ)る怒気を叫びと共に吐き出す。

 違う大学のために会わなくなってしまった七星も、ほとんど同じ職場で働く刹那も、あの日から死なせないと行動してきた。


 それは、アニメのヒーローのような純粋な正義感からでは無く……僕は、怖かったから。

 誰かにもう一度置いていかれるのが怖かったから。独りぼっちになるのが怖かったから。


悪夢(ナイトメア)型ライアー。お前は……絶対に許さないッ!!」


 だから、ライアーにそんな悪夢を再現されたことに対して言葉では憤怒しながらも、手が、足が……怖さで震えている。


「辿……後はお前だけだな」


 何より、ライアーと言えど姿は兄さん。ここから出るには、この手で兄さんを倒す……いや、そんな綺麗な言葉じゃダメだね……殺すしか無い。


 武器はというと。確か前に彼方が言っていたことがある。


「能力の有無に関係無く、成体のライアーに結界に引きずり込まれた者は強制的に思念体になるんですよ! それはやつらの結界が精神や思念にのみ影響を及ぼすためで……」


 つまり、今の僕は既に思念体。

 でも、僕は兄さんの死んだ現場を知っている。それを(なぞら)える行為が、簡単に僕に出来るはずが無い——それでも。


 それでも、相手が包丁を持っている以上は防衛手段がいると判断して、鎌を取り出す。


 兄さんのするはずのないその口角の上げ方は、顔全体を狂気の雰囲気で満たしていた。


「……何で? どうしてッ!!」


 言論でライアーを倒せるわけなど無いと分かっているのに、出てきたのはそんなちっぽけな疑問。

 親しい人物の形をされたことに対する憤怒。しかしながら、見過ごせない程の迷い。


「どうして、戦わなければ生き残れないような場面になってしまったんだよ……」


 頭の中で、感情がごちゃ混ぜになって。


 夜の帳は既に降り、月が血を照らしてその事実を……その悪夢を認識させる。

 加えて僕の鼻に香る血の匂い。夜の冷たい風がさらに悪夢を強調する。


 先に動いたのはもちろんライアーだった。

 芝生を一蹴りすると一直線に距離を詰めて、躊躇なく喉に向かって右手の包丁を突きつける。


「くッ!」


 目視はしていた僕は、鎌を単純に地面と水平に威嚇するかのように振る。鈍い音を立てて包丁を弾いたかと思えば、ライアーは鎌とぶつかった衝撃を利用して元の位置まで後退していた。


「ヒットアンドアウェイ戦法……。確かに、軽い武器なら定石だよね」


 僕だって分かってる。偽物だって。それでも時に思い出は呪いとなるみたいで、夢だと分かっていても兄さんとバーベキュー出来たことが僕を迷わせる。


 雷牙だったら、問答無用で撃ち抜くのかな……。ライアーだからって撃ち抜けるんだろうな……。


 今までの身体に染み込んだ経験と反射神経がある限りは、このライアーは僕を倒せない。むしろ倒すことなんて簡単。


 そう確信出来ていても、その一歩が踏み出せない。


「辿……大人しく殺されてくれ」


 僕は、苦虫を噛み潰したような顔でライアーを見ると、兄さんの形をしたそいつの左手には、右手に握っているものと同じ包丁が握られている。


 普段の僕ならヤンデレかよ……とか冗談を言えていたかもしれないけど、それどころじゃない。


「僕は……兄さんに殺されたくも無いし、兄さんを殺したくも無いよッ!」


 届くはずの無い心からの叫び。ただの我儘に過ぎないのは……僕には分かっているのに口から自然と漏れてしまう。


 そのせいで、迷いが無ければ気付けていたのに、ふと飛んできた包丁を下から上にかけた斬り上げで跳ね飛ばしてしまう。


「しまっ……」


 ブラフ。元から斬り返すつもりで力を入れて握っているならまだしも、振り切った鎌は既に本命の、ライアー本体の包丁の突き攻撃を防ぎきれない。


 何とか半身を逸らして首には当たらなかったものの、そこで諦めるライアーではなく——


 グシャッ……!


 僕の右肩に包丁を刺して通り過ぎる。


「……ぁぁああああ!!」


 余談なんだけど、肩というのは、強い痛みや衝撃を食らうとその先の腕などが痺れる弊害が起こるらしい。


 実際に僕は、傷口から流れる血が指先に届くよりも先に、腕が痺れたせいで鎌を落とす。


 力が入らない。まるで老人のようにぷるぷると震えるだけの僕の腕。手を握ることすらままならない。


「くっそ……。腕……が……!」


 幸いなことに、思念で作られた武器の質量はリアル程では無い。だから左手で鎌を拾い上げて持つ。


 けど、そもそも両手で扱う用の武器を片手で使うのは、質量の問題を無しにしても取り扱いの問題で、動きの速さが格段に遅くなる。


「兄さん……僕は……」


 死ぬ間際に人は時間を長く感じるとテレビか何かで見た気がする。実際、今がそうで。


 再び僕の元へ今度こそ仕留めるという明らかな殺意を込めた眼のライアーが迫ってきているのに、スローモーションに思える。


 そして僕は、そんな間際になってさえ、兄さんの形をしたライアーを斬れない。


 迷い。迷い。迷い。迷い。


 その果てが、斬れないという結末。結局のところ、僕はまだ兄さんに縋りたかった。兄さんとまた笑い合いたかっただけだった。


「にい……さ……ん」


 最後に瞳の裏で兄さんを想って死のう。そう弱い自分に覚悟を決めて、瞳を瞑った瞬間だった。


「馬鹿なのか、お前は」


 突如、既に僕の目の前にまで迫っていたライアーが真横に吹き飛ばされる。


「迷い過ぎだ、辿」


 嘘だと思ったよ。走馬灯の存在なのかなってさ……。でもそれは違った。


「パチモンに弟がやられてたまるか!」


 腰に手を当てて、不敵に笑う男。


「兄さん!?」


 悪夢型ライアーは、その人の記憶から悪夢を再現して思念を蝕むライアーだったはず。

 兄さんを増やした……? でも、だとしたら内輪揉め……?


「本物の、天道進太郎だっての」


 表情から読み取ったのか、呆れながらも名乗るこの男は紛れもなく兄さん。

 よくよく考えれば、現実で鬼灯さんの時に僕らを襲った襲撃者が兄さんなら……兄さん生きてるじゃないか…。


「兄さんなら……何故僕たちを襲った……?」


 例え生きていたとしても、その理由だけは喜ぶ前に僕は聞きたかった。


「ん……? ああ、その方が警戒心が高くなるだろ? 嘘狩りがライアーから手厚く保護してくれる良い理由になるだろうってな」


 言われてみれば、あの時はまだ鬼灯さんは敵か味方か分からなかった状態だった。

 その中で『誰かに襲われる危険がある』だけで確かに一旦は、保護しようとはなるよね。


「……手荒過ぎない?」


「ま、結果オーライだろ?」


 そこでふと兄さんは真剣そうな顔をする。


「俺はな、お前に謝りに来たんだ。時間も無いし、質問は後にしてくれ。ただ、俺がやつを引きつけている間、この質問の答えを考えていてくれないか?」


「質問……?」


 よく見ると複雑な表情だった。まるで、したくないことをしなければならない時のような。


「お前は、七星から何と呼ばれていた? 思い出してみろ」


 それだけ言い残すと、吹き飛ばされて突っ込んだ庭の草木の中から現れたライアーに向かっていく。


「そりゃだって……七星には……」


 ——騎士の友達になりたいって?良いだろう、◼︎◼︎◼︎!


 友達になろうって言った時に交わした言葉。どこかノイズが走っていて……。


 悪夢型ライアーは記憶から再現する。つまりは、記憶に無いものは再現出来ない。



 ——良いだろう、"進太郎"!



 気付いてしまった。

 この夢の中でさえ、僕は七星に『辿』と呼ばれていなかったことに。現実で呼ばれていた名前は、『進太郎』だったことに。


「この……記憶は……元は兄さんのもの……?」


「ああ、その通り」


 タイミングを見計らって僕の元へ来た兄さんをよく見ると、兄さんの手には『鎌』が握られていた。


兄さんのいた場所を見ると、隣の家が崩壊していた。おそらくだけど、崩壊させることでライアーを閉じ込めたってことかな。


「本当の【死神】は俺だ。もともと、俺に弟なんていなかったんだ。でも、自殺したあの日のあの瞬間から……お前は生まれたんだ」


 記憶に被せられた膜のようなものが取れていく感覚。そこから溢れ出した"正しい記憶"。嘘偽りの無い記憶。


「僕は……あの時この世界に生まれたんだね……」


 思い出したく無かったのも確かにあると思う。人が死ぬところなんて想像したくない。

 けど、僕は自分自身に嘘をかけていた。記憶すら歪ませていた。僕は兄さんの『弟』だと。


「詳しいことは分からん。けどな、お前が俺の魂……思念って言うんだっけか? それの半分を持ってるのは確かだ」


 痛みも忘れて戸惑う僕に兄さんは声をかけ続ける。


「お前に苦しい思いをさせてるのは、少しは俺の責任だ……すまないな」


「そんなッ!責任なんかじゃないよ……」


 完全に、完璧に、瞬間で、刹那で、思い出した本当の記憶。


 いつも兄さんと一緒にいたんだよ。でも、それは当たり前と言えば当たり前だった。


 ——兄さん自身の記憶なんだから。


「そう言ってくれるのは嬉しいけどな。けど、俺には肉体がもう無い。どちらかと言うと幽霊みたいな感じだ。だから、この魂の半分は、お前に託そうと思う」


 魂の半分。正確には思念の残り半分。肉体が無い以上はいつかは消えてしまう。兄さんも、それは分かってるんだろうと推測出来た。


「託すってなんで……!? やっと出会えたのに……そんなことしたら……!」


「確実に俺が消えるな。けどな、邪神ってやつの復活が近いんだろ? お前の同僚ってやつに聞いたんだけどな。それには、この半分が絶対に必要になる」


 兄さんは僕の鎌を自らの胸に当てさせる。


「お前を生んだ責任は取る。刹那のことも世界のことも、頼んでしまう無責任な兄だけど……そこだけは責任を取りたいからな」


 気がつけば。僕の目は曇っていた。涙という感情の結晶で。生きていて欲しかった人が実は生きていて、やっと会えた……なのに告げられたのは別れ。


「うぐっ、ぐすっ……そんな……兄さん」


「立ち止まるな、辿。半分は、俺の魂を受け継いでるなら、前を向いて進め。どれだけ迷っても良い、立ち止まっても良い。けどな、俺の弟ならやれるさ」


 涙で曇る視界の先で、兄さんが微笑む。迷ってしまいたい。立ち止まっていたい。


 けど、ライアーを倒さなければこの悪夢も終わらない。倒したとしても、邪神型を止められないと意味は無い。


「…………。兄さん」


「ん? なんだ?」


「くそ無責任なんだよッ!! それでも兄か!」


 涙を拭って前を——兄さんを見て叫ぶ。


「まだ迷ってるけど……分かったよ。僕はその覚悟に応えたい」 


 驚く兄さんへ自分も一歩進んでみると告げる。


「びっくりした!? まあ、お前の後押しを最後に出来て……俺は良かった」


 無言でその言葉を肯定して、僕は突きつけた鎌に想い(ちから)を込める。


「兄さん。僕は……兄さんの弟であれて、誇りに思うよ」


 兄さんの身体が粒子となってだんだん消えていく。その粒子が鎌に、それを通して僕へと集っていく。


 その中で、消える前にと声をかけて。


「ああ、ありがとな。辿」


 くしゃっとした笑顔を浮かべた兄さんは、僕の髪を軽く撫でると、完全に粒子となって消えた。いや、消えたんじゃないかな。その魂は、僕の中に宿った。


「悪夢を……終わらせよう」


 鎌に反射して映った顔が目に入る。そこには、兄さんのような黄色に輝く眼があった。


 僕は、肩に刺さった包丁を抜き取ると、腕に力が入るか試す——よし、問題無いね。 


 丁度、瓦礫を吹き飛ばして現れたライアーが僕の周りを円を描くように走り回る。タイミングを見ているらしい。


 でも———


「もう、待つばかりの僕じゃない。兄さんの想いを受け継いで……断罪、させてもらうよッ!!」


 足裏でしっかりと捉えた地面を蹴ると、僕から来ると思っていなかったのか一瞬驚いた表情を見せるライアーに鎌をすれ違いに一振り。身体を水平に真っ二つに斬る。


「戻ろう、現実に。ありがとう……兄さん」


 ライアーの消失をこの目で見届けながら、ひび割れていく世界にぽつりと僕は呟いた。


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