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これからも、彼女の夢が叶えられ続けますように。

作者: あさな

「夢ですか? ……好きな方からファーストダンスを申し込まれることです」


 この国の第三王子として生まれた私と、公爵家の娘として生まれたマリアナは、取り合わせとしてはよいもので、だから出会うべくして出会った。

 すぐに婚約へと至らなかったのは政治的判断だ。

 情勢がどのように動くかわからない。第三王子という身分は駒として使い勝手がよい。国内で権威ある家との縁を結ぶか、国外の有力な貴族との縁を結ぶか、ギリギリまで決めず、より有利な条件を選べるように据え置かれた。

 私はその結論に安堵した。

 将来はどのようになりたいかと問えばきょとんとし、次に夢は何かと問えば、ファーストダンスを申し込まれること、などあまりにも幼稚で、あまりにもくだらない内容をうっとり語る姿に、これはダメだ、こんな考えの者では私の相手は務まらないと思ったからだ。

 幼いうちから自分の役割を、立場を、身の振り方を叩きこまれていた私には、マリアナのふわふわとした浮ついた発言が癪に障った。故に、出会ったその日に私はマリアナに落第の印を押した。

 だが、マリアナはまるで婚約者のように振舞った。

 私と繋がりを持ちたい者たちは大勢いる。それらの者たちを牽制しながら、隣に立つ姿を私は浅ましいなと思ったし、鬱陶しいなと思った。私にはマリアナもマリアナが牽制する者たちも同類だった。むしろ、マリアナこそ権威を欲する最たる者。彼女と良好な関係でいることを望まれていたので顔に出さないように気を付けていたが、いい加減うんざりしていた。



 婚約者を決定しないまま、ずるずると月日が流れた。

 


 転機が訪れたのは、十七になった年。

 コットン子爵の娘・リアに「光属性」の魔力が現れたのだ。

 魔力持ちは国家にとって有益な存在で、更に希少な光属性である。他国に流出する前に国内で保護するべきというのは至極当然だ。私か第二王子である兄上との婚姻の話も浮上した。

 同じ年ということもあり、私は学内で彼女の世話役という名の監視役に任命された。

 リアは大変恐縮した。子爵家の娘が王族と接するのだから緊張も頷ける。しかし、私にはその反応が新鮮だった。控えめで穏やかな彼女は私を苛立たせなかった。

 問題は、マリアナである。

 婚約者が異性と一緒にいることを好ましく思う者はいない。マリアナとは正式な婚約はしていないが、彼女はそのつもりでいるので、厄介なことになりそうだと陰鬱とした。


「リア様。何かわからないことがございましたらお申しつけくださいませ。リア様には殿下がついていらっしゃいますが、異性には聞きづらいこともおありでしょう。わたくしでわかることでしたらお答えいたします」


 だが、マリアナはリアに丁寧な対応をした。公爵家の娘が子爵家の娘にとる態度では勿論ない。


「リア様は光属性をお持ちの方です。国の宝。当然の対応ではありませんか?」


 いぶかしむ私に平然とマリアナは言った。

 その通りだが……それでも額面通りには受け取れない。何か裏があるのではないか、表面上は親切に私の目の届かぬところでは虐めたりするのではないか、よくよく慎重にマリアナの態度を観察した。

 しかし、すべては杞憂だった。

 そう判断したのはリアがマリアナを頼るようになったからである。

 マリアナが私に付き纏っていたことは同じ学院に通うリアも知っていたので、私が世話役になったと聞かされたときリアもまたマリアナがどう反応するか戦々恐々だったらしい。それが、蓋を開けてみればマリアナはリアを立て、上級貴族の振る舞いについて細やかに教えて恥をかかないようにと気を配ってくれた。警戒していた自分が恥ずかしい――マリアナから何か嫌がらせがあれば言ってほしいと告げた私にリアは心苦しそうにそう言った。






「薔薇園ですか? まぁそれはきっと素晴らしいのでしょうね」

「……もしご迷惑でなければ、ご覧になりにいらっしゃいませんか?」

「よろしいの?」


 リアの兄が趣味で薔薇を育てているという話から、次の休みに見に来ないかとの誘いだ。子爵家の娘が公爵家の娘を誘うなど失礼に当たらないかとリアは不安そうな表情だったが、ぱぁっと華やかな笑顔を浮かべるマリアナに安堵して約束は成立した。

 私も同席することにした。

 マリアナは驚いた顔をしたが、光属性の娘は国家の保護下にある。私はまだマリアナを信用しきれなかったのもあり、赴くことを決めたのだ。

 

 リアの屋敷では家族総出で歓待を受けた。

 王族という肩書があるので仕方ないこととはいえ面倒に感じられ、私は早々にリアに庭に案内してくれるように頼んだ。

 リアは頷いてくれたがここで問題が――案内をしてくれるリアのエスコートをするのは当然だが、そうなればマリアナが一人になる。これまで何度かそのような状況になった。こういうとき、マリアナは黙って後ろをついてきたが、いくらリアが光属性の娘とはいえ公爵家の娘を後ろにつけて歩くのは体裁がよくない。マリアナもそれくらい察して、「ではわたくしはこちらでお待ちしておりますね」と遠慮の一つもしてくれる配慮があればいいが、そのような気の利く性分ではなかった。

 気鬱になっているとリアの兄であるエリオットがマリアナのエスコートを申し出た。

 マリアナがエリオットの差し出した手を取る。

 その頬がほんのりと赤い。

 考えてみれば、マリアナは私を追いかけまわしていたので、私以外の異性と関わることは極端に少ない。私はこれ以上勘違いされるのを避けるためにマリアナをエスコートするような真似は極力しなかったし、エスコートが必要な状況にならないよう気を付けてもいたので、家族以外で異性からエスコートをされる機会もなかったはずだ。ならば、初心な反応も納得だが……。

 

「まぁ、本当に素晴らしいわ」


 薔薇園を見渡して、マリアナはため息をついた。

 王宮にも薔薇園がある。北の離れの庭一面に薔薇が植えられている。先々代の王妃が好んでいたらしい。それに比べて広さはない。ただ、種類が豊富だった。

 エリオットによれば、国内外から様々な品種を集め、一年を通して見られるのだという。


「よろしければ、贈らせていただいても?」


 マリアナがあまりに感激するので見かねてエリオットが言った。


「いえ、そんな」

「こちらの花は咲き頃が終わりましたので、切り花として部屋に飾る予定にしていたものなのです。長くは持ちませんがそれでよろしければ、もらって頂ければ幸いです」

「けれども……」


 マリアナは困ったようにリアを見た。


「マリアナ様がご迷惑でなければ……お兄様も喜びます」

「本当によろしいのですか?」

「もちろんです」


 エリオットはそう言うと薔薇の剪定を始めた。

 来客中に自ら作業するのはいかがなものか? と思ったがこの庭はエリオットが手入れをしているというし、苦言を呈するのもと思い黙っていた。

 マリアナはエリオットを何か眩しいものでも見るような眼差しで見つめている。

 それほど薔薇が好きだとは思わなかった。そういえば、北の庭によく顔を出していた気もする。何度か母上から案内をするようにと声をかけられたが従ったことはなかった。私に案内してもらいたくて来ているのではないかと、そのような考えの方が強くあったからだが……。


 パチッ、パチッ、と茎を切っていく音がやけに耳についた。


 花束は私の分も用意された。

 切り取ったばかりの薔薇は瑞々しく、何より数が多いので豪華だが、専用の包装紙がないので外側は新聞紙で包まれている。そのような花束を渡すわけにはいかない、と帰り際に迎えの従者に渡された。

 だが、マリアナは直接受け取ると申し出た。

 私は驚き、リアもエリオットも服が汚れることを気にしたが、マリアナは強行した。

 大切そうに花束を抱え、花弁に鼻先を近づけて甘い香りを堪能し、微笑む。


「花を頂くのは、初めてなのです」


 そして、秘密を打ち明けるように告げた。

 だからとても嬉しいのだと。

 だから自分で持って帰りたいのだと。

 マリアナの発言に自然と眉根が寄るのを感じた。批難されたように感じたからだった。

 私の婚約者候補である以上、他の者が近寄ることはないし、マリアナもそんなことは望まなかった。彼女が何か贈り物をされるなら私からしかない。しかし、私はそのようなことを一度もしなかった。婚約者と確定していない者に不用意に贈り物などしては、他の相手に決まったとき困るという判断である。それは周囲も納得ずくだったはずだ。

 私には私の立場がある。

 これではまるで私が粗忽者と言われているようではないか。もう少し発言には注意してもらいたい――そう言いたかったが、マリアナの意識は僅かも私には向いていなかった。ただ、純粋な喜びばかりである。ほっそりとした指先が花弁に触れる。触れた先から言葉にはならない感情がこぼれていく。それは私が壊していいものではないと口を開くことが憚られるほど静かな幸福に満ちた光景だった。


「私が育てた花が、マリアナ様の最初の贈り物になれたこと、光栄です」


 代わりに言葉を発したのはエリオットだった。

 私の全身がざわりと揺れた。

 

 帰り路、前をマリアナの馬車が行く。何かあってはいけないと先除けのためだ。これが正式な婚約者なら私がマリアナの屋敷に迎えに行き、同じ馬車に乗って、帰りも送り届けたのだろう。婚約者なら、彼女の身を案じ守る義務がある。だが、私とマリアナは正式な婚約は交わしていないので、いざというとき身の安全を優先されるのは私である。


 追随しながら、私は奇妙な感覚にとらわれていた。何がとはうまく言えないが、何かが奇妙なのだ。ざらついた、嫌な感覚。


 マリアナの屋敷につく。

 私は馬車を停めさせた。

 馬車を降りていくと、マリアナは驚いたように私を見た。両手には花束がある。深紅の薔薇の花。


「いかがされましたか?」

「……帰るには少し早い」


 馬車を降りた理由がいる。私は答えた。それは理由になっていない気もしたが、マリアナは、ああ、と短く頷いた。


「気が付かずに申し訳ございません。まだ公表はされておりませんものね。では、どうぞ」

 

 マリアナの謝罪の理由も公表という言葉も理解できなかった。

 だが、それを考えるより先に身体が動いた。屋敷に入っていこうとするマリアナの前に立ち、腕を出した。え、っと彼女が息を呑むのがわかった。ややあって、マリアナは側仕えに花束を渡し


「わたくしの部屋に飾ってください」


 と告げ、それからゆっくりと私の腕に触れた。


 マリアナを極力エスコートしないですむよう努めていたが、まったくの初めてではない。記憶にあるいくつかの場面が浮かんでくる。私がエスコートするとき、いつだってマリアナは嬉しそうな顔をしていた。淑女とは到底呼べない幼い頃のものである。ペラペラとどうでもいいくだらないことを話しかけてくるのに夢中で、途中で躓きそうになって呆れた。

 だが、今はそのようなことはない。

 いつからか、彼女は自分の話をしなくなった。喧しくなくていいと気にも留めなかったが、今は妙に気にかかる。何故話さなくなったのか。何故――もう何年も前からそうであるのに。

 ひどく、息苦しい。母上や伯母上、リアをエスコートしたときとは違う緊張感があった。

 そのまま屋敷の客間までの間、言葉を交わすことはなかった。


 客間で向かい合って座っていると、扉がノックされた。

 マリアナの三番目の兄・タームルドだ。私たちより二つ年上で、騎士団に所属している。


「殿下がいらっしゃっていると伺ったものでご挨拶に。……それにしても珍しいこともあるものですね。どのようなご用向きで?」


 物言いに険がある。

 タームルドが私をよく思っていないのは知っていた。私のマリアナへの態度が気に入らないのだ。

 妹思いなのは結構だが、このようにあからさまな態度はいかがなものか。


「リア様のとこへ行った帰りなのです」


 私の代わりにマリアナが答えた。


「ああ、なるほど。……まだ公表はされていませんからね。殿下は用心深くいらっしゃる。ですが、殿下にはもう少し我が妹の評判も考えていただければありがたく思います」

「お兄様。失礼ですわよ」

「兄として妹の心配をするのは当然だろう? 其方の将来に関わることだ」


 マリアナが困り顔でタームルドを追い出そうとしたが、まるで意に介さないとばかりに居座る。

 いつにない慇懃無礼さに腹が立つより不思議さが勝った。


「どういう意味か?」


 私は尋ねた。純粋にわからなかったからだが。


「……殿下は本当に我が妹のことなど少しも目に入らないのですね」


 タームルドはそれまでの態度を一変、興をそがれたとばかりにさっさと退室してしまった。


「申し訳ございません」

「……いや、其方が謝ることはないが、随分と短気だったな。話が見えない」


 自分たちだけで納得せず説明を求める。

 マリアナは、少し言い淀んだが、おずおずと話し始めた。


「昨夜、わたくしの婚約者にどうか、と兄が同期の方を薦めてくれたのですが、父がまだ時期が早いと反対したのです。それで父と兄がいい争いになってしまいました。殿下のお顔を見て、そのときの怒りが蘇ったのだと思います。その……リア様との婚約の公表がない限り、わたくしは殿下の婚約者候補の役割を果たさなければなりませんから……兄として私の将来が心配なのです。それでも殿下に八つ当たりするなど本当に申し訳ございません」


 聞かされた内容に私は言葉を失った。

 だが、マリアナやタームルドが言っていた「公表」という意味がようやく理解できた。

 私はこれまで特定の令嬢の屋敷に行かなかった。妙な噂を立てられるのは困るという理由である。だから、マリアナの屋敷も――正式な茶会や夜会の招待としてなら何度か受けたことはあるが――個人的に訪れたことはない。それがリアの屋敷を訪れた。リアとの婚約が内定したと思う根拠になったのだろう。しかし、婚約が内定しているとはいえ公表はしていない段階だから、公表までの間に情勢が変わって別の令嬢と婚約する可能性を考慮し、リアの屋敷とマリアナの屋敷を同日に訪れた。深い意味はないという万が一のための言い訳として――そのように解釈されたのだ。

 ならば、タームルドの怒りも尤もである。私とリアの婚約が公表されたら、マリアナは別の相手を探す必要がある。だったら、一日でも早く新たな出会いを求めさせたい。そうであるのに、まだマリアナを利用していると思われたのだ。


「リアの屋敷を訪れたのは、内定したからではない」


 まったくの誤解である。

 マリアナがリアに何かするのではないかと危惧していたと本人を目の前にして言えるはずもなく、私は短くそれだけを告げた。

 

「……けれども、そうなりますでしょう?」


 だが、マリアナは私の発言を否定した。

 

「イザベル様の婚約が正式に決まりましたし、ラドルム殿下はミザリー様と仲が良いですもの。それに……リア様は素晴らしい令嬢ですけれど子爵家の娘ですから、第二王子より第三王子である殿下に嫁がれた方が後々の問題もないでしょうし」

 

 私は再び言葉を失った。

 イザベルとは隣国の末姫だ。私より三歳年上で婚姻の話があがっていた。本来であれば姫君が輿入れするが、一人娘を可愛がる王により婿入りが求められている。我が国としては第一王子に何かあったときのために第二王子は国内にいることが求められるので、残された私が候補に挙がったのだ。しかし、イザベルの方が私が年下であることを理由に難色を示している状態だった。私も我儘そうな彼女をあまり得意とはしていなかったので、正式に別の者との婚約が決まって安堵したくらいである。これで国外で年回りが近く、有益となる相手はいなくなった。ならば私の相手は国内の貴族である。そんなときに現れたのがリアだった。光属性の魔力持ちは取り込みたい。第二王子であるラドルム兄上と私のどちらかの婚約者にという声が強まった。しかし、ラドルム兄上にも婚約者候補がいる。私と違い二人は睦まじくしている。兄上から父上にミザリーとの婚姻を願い出ている。そのような状況で、更にはマリアナの指摘の通りリアは光属性といえ子爵家の娘、リアを通じて権力を得ようとされるのは面倒の種だ。第二王子より、第三王子である私と婚姻したほうが争いの火種は少なくて済む。

 なるほど、たしかに、私とリアとの婚姻は外堀が埋まっていっているような状態といえる。

 だが、それを淡々と話すマリアナの心中が推しはかれなかった。


「其方は……」


 なんと続ければいいのか。

 

「随分落ち着いているのだな」


 しばらくのち、私はそう告げた。

 マリアナは、少し意外そうな顔をして、それから、ふふっと笑った。


「わたくしも、いつまでも子どもではいられませんから」


 それから、マリアナは静かに話し始めた。

 

「わたくしは、これまで好きなようにさせていただきました。

 貴族の娘に生まれたのですから、家の利益になる婚姻をするのは当然のことでしょう。そのお相手として、殿下は最高の方でした。家のためばかりか、わたくしは殿下をお慕い申し上げておりましたので、わたくし個人にとっても殿下との婚姻は願ってもないことだったのです。

 けれど、殿下はわたくしをお好きではなかったでしょう? 

 ですから両親はわたくしが婚約者に内定することは難しいのではないかと考え、次の相手を探すべきだと言ったのです。けれども、わたくしが嫌だと拒絶し、あろうことか陛下に直談判までいたしましたのよ。幼い頃とはいえ恐ろしいことです。けれど、陛下も王妃陛下もわたくしをお許しくださいました。

 それから、なんとか殿下に振り向いていただこうとわたくしなりに努力をいたしました。

 その間に、イザベル様とのお話が持ち上がったり、光属性をお持ちのリア様が現れたり……情勢もどんどん変わっていったのです。

 情勢だけではございません、わたくしも大人になりました。流石にもうわたくしでは殿下のお心を動かせないことを受け入れることができました。少しずつ少しずつ諦めていく時間を持てたのはとても幸運であったと思います。多くの貴族の女性にはできない経験ですもの。ええ、ですからわたくしは不思議と晴れやかな気持ちなのです。

 ですが、次のお相手には、わたくしの気持ちばかりを押し付けたりせず、お互いに歩み寄れるようにしたいと思います」

 

 最後は少々おどけたように言った。






 薔薇の香りがする。

 エリオットからもらったものだ。側仕えにより寝室に飾られた。

 私は寝具に横になりながら、視線だけをそれに向けた。

 マリアナの部屋にも同じ花が飾られているはずだ。

 肺に満ちていく薔薇の香をなぞるように胸元をさすった。マリアナの屋敷から戻って以降、空寒い。何がそれほど私をそうさせているのか考える。

 私はおそらくリアと婚約するだろう。

 マリアナから指摘されるまでもなく、そのような流れであることは感じていた。だから、マリアナが自身の将来について、私の婚約者候補を外れた次を考えるのは当然のことで、執拗に追いすがられたりしないだけ安堵する案件のはずだ。それなのに、私は信じがたいことのように感じている。

 陛下に直談判した――マリアナから愚かな過去を懐かしむように告げられた話。だが、私も知っている。母上から聞かされていたのだ。マリアナは本当に貴方を好いているのですね、と嬉しそうな顔で言われて、私はげんなりした。陛下に直談判などありえない。どこまで愚かなのだろう。それを楽しいもののようにとらえ、許してしまった父上も母上もいかがなものかと批難めいた思いがあふれた。

 そんな激情で私を好いていた娘が、私との婚姻以外の道を語った。

 厄介ごとにならずにすんだのに、それがどうしても信じられない。信じられないと思っている自分のことも信じられなかった。

 順風に、恙なく、物事が進もうとしている。

 あまりにもうまくいきすぎているので戸惑っているのだろうか。

 

『殿下はわたくしをお好きではなかったでしょう?』


 マリアナは言った。

 その通りだ。私は彼女を疎んじていた。正式な婚約者でないにしても、ラドルム兄上はミザリーに贈り物をしたり二人で出掛けていた。たとえ、政治的判断で別の者と婚姻を結ぶことになっても、将来共に歩む可能性のある相手と良好な関係でいられるように努め、その間に二人は本当に睦まじくなった。それを傍で見ていたマリアナがどのように思うか、少し考えればわかるが、私は何もしなかった。周囲にも、正式な婚約者ではないからと頑なに言い放った。そのうち私は堅物の潔癖症であると諦められた。マリアナを哀れに思う者もいたが、そんなことを言う者にマリアナは反発し、殿下は素晴らしい人ですとにこにこしていた。何故、マリアナに庇われなければならないのか。彼女がもっと聡明だったら私はこのような態度をとることもなかったのにと腹立たしかった。

 不満が、不快さが、ずるずると引きずり出される。


「殿下」


 無邪気な声で私を呼んだ。


「殿下」

 

 やがてそれは少し控えめな呼びかけになった。


「殿下」


 けれど、そのうちまた明るい声に戻った。


 私はその変化を気に留めなかった。ただ、ずっと、そこにいて、私に呼びかける声がある。それ以上に考えなければならないことなどないと思っていた。

 変わらないもの。

 変わり続けていく中で、けして変わらないもの。

 そんなもの、あるはずがないのに。


『わたくしも大人になりました』


 ああ、そうだ。彼女は大人になったのだ。






 十八歳がこの国の成人である。

 両親に連れられるのではなく、当人へ夜会の招待状が送られるようになるし、自身の名前で招待状を送ることもできる。

 私とリアの婚約披露の夜会も、十八になるのを待って開くことになった。


 私たちの仲は良好である。子爵家とはいえリアも貴族の娘。政治的色合いの強いこの婚姻を受け入れてくれた。穏やかな彼女とは、穏やかにこの先も関係が続いていくのだろう。


 城に到着した貴族たちが、次々に挨拶にくる。

 その中に、マリアナの姿もあった。

 彼女をエスコートするのは、バートリア侯爵家の次男で騎士団に所属するギデオンという男だ。誠実で優しい男だという。小柄なマリアナと並ぶと随分と身長差があるが、彼女を守るように、彼女が歩きやすいように、ゆっくりと丁寧にエスコートする姿からもそれが如実にわかる。

 二人も近々婚約をするらしい。婚約式の招待状が私の元にも届いていた。


 挨拶が終わり、歓談の中、音楽が流れ始める。

 私はリアの手を取って広間の中央に歩み出た。

 主催者の私たちがまずは一曲踊る。注目されていることにリアは緊張している。光属性の魔力持ちとはいえ、子爵家ということで彼女を見下すような者も少なからずいる。私も目を光らせているが、茶会などの女同士の場にまでは届かない。それを補佐してくれるのはマリアナである。マリアナとリアの関係も相変わらず良好で、マリアナの婚約祝いに個人的にも彼女が好んでいる薔薇の花を贈ったと言っていた。

 リアはその話の途中で笑い始めた。何事かと尋ねれば、薔薇の花をマリアナはとても喜んだそうだが、ギデオンが拗ねたのだという。 


「マリアナ様にとって初めての花の贈り物になったのが我が家の薔薇でしたでしょう? ギデオン様は自分が贈りたかったとおっしゃってご機嫌が斜めになられたのです」


 随分狭量というか、夢見がちというか、騎士団に所属しているというからもっと勇ましく細かいことなど気にも留めない性分と思っていただけに私はなんと返せばいいか困った。だが、素直に嫉妬できるというのは羨ましくもある。それが出来なかった者もいたのだから。


「マリアナ様はきっと幸せになれますわね」


 そう続けたリアの言葉には真剣さが込められていた。

 リアがマリアナに後ろめたさのようなものを感じているのは知っている。リアのせいではないにしても、マリアナの思い人であった私と婚姻を結ぶことになったのだ。そうであるにも拘らずマリアナは恨み言を言うでもなくリアの立場を慮り協力してくれている。だから、せめて彼女の幸せを願うのは自然なことである。


 曲が終わり、私たちは一度用意された王族用の席に戻る。

 その間、他の者たちが踊り始める。

 目の端にマリアナの姿が映る。ギデオンが手を差し出して、ファーストダンスを申し入れる。マリアナは嬉しそうにふわりとした笑みを浮かべながらその手を取る。

 どうということもない、ありふれた光景。

 だが、とても尊いもののように感じられ、私はふいに胸が苦しくなり、ぐっと奥歯を噛み締めた。

 それは、彼女の夢が叶えられた瞬間だったから。

 

『夢ですか? ……好きな方からファーストダンスを申し込まれることです』


 彼女はかつてそう言った。

 今にして思えば、可愛らしい夢だ。

 だが、私は切り捨てた。

 くだらない、つまらないと、蔑んだ。

 

 子どもだったのは、私だ。


 自分を賢いと思っていた、人を簡単に見下せた。人は成長していくことも知らず、自分の思い込みだけで見ようともせずに、そして最後は置いていかれた。

 馬鹿だった。愚かだった。

 気づいたときにはもうどうしようもなくて、私にできるのは同じ過ちを繰り返さないように、誠実な関係を新しく築いていくことだけだった。


 華やかな音楽が鳴る。

 幸せそうに踊る二人の姿を見ていると、マリアナと目が合った。

 その眼差しは柔らかく、私はまた少し苦しくなった。


――幸せに。


 もう願うことしか許されない。

 私にもできたのに。

 彼女を幸せにする機会があったのに。

 私がしてこなかった何もかもが、まぶしくてたまらない。


――どうか、どうか、幸せに。


 彼女が私に語ったことを覚えているのか、わからない。それでも、あの夢が見事に叶えられてよかった。その瞬間に立ち会えてよかった。私にはできなかったすべてを、叶えてくれる人が現れてよかった。よかった。よかった。本当に良かった――そう繰り返すことで、後悔と懺悔と押し寄せてくる切望を私はかろうじて呑み込んだ。

読んでくださりありがとうございました。


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