お気楽なジュマ
どこまでも広がる草原に、バオバブの見上げるような大きな木が立っている。
俺もここに何時間も立っている。
ったく、ジュマときたらいつになったら約束を思い出すんだろう。
いくら氷河期の後だとはいっても、ここの村がある緯度は赤道に近く、そこそこ温かい。
その上、今日は雲一つない炎天下で、木の影に立っていても、生暖かい風がひっきりなしにサバンナを渡ってくる。
つまり、喉が渇いた。
おい、あれはジュマじゃないか?
あっちの藪のそばで、ジュマの赤い腰ひもが揺れたような気がする。
俺がホバーボートでジュマのいるところまで行くと、黒光りする大きな目をギョロリと動かして、チラッとこちらを見たまま、何も言わない。
「おい、何時間待たせるんだよ。今日はホバーボートに乗せる代わりにキリンを見に連れてってくれるんだろ?」
『シーッ、ウサギが逃げるじゃないか』
……話が通じない。
俺とした約束を忘れて、目の前の食料を追いかけていたわけね。
こんなこと、しょっちゅうだ。
あれから俺は村の人たちに社会の在り方を講義したり、こういうふれ合いから、約束を守ることを伝えてきた。そして大きく村の決まりを破ると、法律で罰せられることなんかを教えてきたんだが。
けれどスワヒーリたちはそんなややこしいことなんか、どうでもいいみたいだ。
お天道様から、腹を満たすだけの恵みをいただければ、それで彼らの気持ちはオールオッケイ問題なしということだ。
人生の崇高な目的とか、明日に向けての建設的な努力なんて、彼らの前では吹けば飛ぶようなものでしかない。
夕餉の焚火を囲み、誰かが太鼓を叩き出せば、腹が膨れた者から踊り出す。
特にショックだったのは、家族制度だ。
ジュマの姉さんの旦那さんが、ジュマとも結婚していたりする。
そう、ジュマはまだ中学生ぐらいの歳なのに人妻だったのだ。
これにはハートがボロボロになったね。
ま、俺がフラれるのはいつものことだけどさ。
スワヒーリたちの人類皆兄弟というような態度は、こういう家族制度の影響も受けてるんだろうな。
アフロデーテが言うには、アトランティスから近い大陸に何基かの飛行船を飛ばし、自分たちが住みやすいように文明を興起しようとしているらしい。
3000年前、氷の隕石の雨で海の量が増え、地表の大部分が海に沈んだと聞いた。大陸は5大陸などに別れてはおらず、洪水の前はもっと大きな一つの大陸だったそうだ。
海には沈まなかったマヤやエジプトの地でも、隕石が落下したことによって高度な文明が滅んでしまったらしい。
そのため今回、天文学者が予測している隕石群の接近に神経を尖らせているのだろう。
俺の船のマザーコンピュータは、過去の人間に未来のデータを公表するのは良くないことだと言って、詳しい話はしてくれなかった。
ただ、アトランティス大陸が巨大隕石によって海に沈んだということは5000年ほど前から言われていて、それは話してもいいということだったので、俺がアトラスに話しておいた。
俺の話を聞くと、アトラスはすぐに飛行船で本国に帰っていった。
国中の人間が避難するのかな。
ここにもアトランティス人の都市ができるんだろうか?
俺は遥か遠くに見えるキリマンジャロの山並みを眺めながら、少し先になる未来を想像していた。
『やったー! 今日はウサギのシチューだ!』
お気楽なジュマ。
ギラギラと照りつける太陽の下で槍の先にウサギを捉え、大きな口を開けて自慢げに笑っているジュマを見ていると、文明ってなんだろうと考えさせられてしまう。
ブラブラと宇宙船に帰ってコックピットに入ると、マザーコンピュータにすぐに操縦席に座るように言われた。
「なんだなんだ? 突然、どうしたのさ」
『隕石群が迫ってきています。緊急脱出を試みます』
「はぁ?!! 隕石だって? こんなに早く来ることを、お前は知っていたのか?」
『アトランティス人に隕石群の到来のことを聞いて、今現在の詳しい年代を調査するためにコマンダー1をキリマンジャロ山脈に派遣しました。地質の年代測定で、極めて悪い状況が見えてきたのです。そのため精製鉱物ではありませんが、船の重量を補う鉱物を採取してきました。無くなったアンテナは倉庫の壁を使って修復しています』
……………………
元の世界へ帰れるかもしれない?
それはいい。それはいいんだが……
俺の脳裏にジュマの弾けるような笑顔が浮かんできた。
「ジュマたちはどうなるんだ! 村の人たちに知らせないと。それにアトラスにも……」
『タイムリープ航法 第18条 過去不可侵の制約。 マスター木村、過去の人間の生き方に大きく干渉してはなりません』
クソッ!
マザーコンピュータが言っていることは、わかる。
しかしだな、俺は、俺は!
仲良くなったジュマやアリ、食べ物をくれた村のばあちゃん、俺のことを面白い生き物のように扱う、しわくちゃな顔をしたじいさん……村のみんなの無事を確信したい。
『仕方ありませんね。情報を一部解除します。マスター木村、スワヒーリ村は当面の心配はないと思われます』
「本当か?!」
『しかし3分後にこの船を出さないと、地球への振動から、計測済みのリープの軌跡がずれてしまいます』
「わかった、ちょっとだけ待ってくれ!」
俺は急いで船外に出て、近くに立っていた木の枝に、ポケットから出した青いハンカチを結びつけた。
俺がいなくなって心配するジュマたちに無事を伝えたかったのだ。
アフリカの雄大で真っ青な空に、俺の小さなハンカチがはためいていた。
『発進!』
ビリビリと震える空気の層を抜けて、宇宙船は空高く舞い上がっていった。