エピソード 1―6 イヌミミ族トリマー開業
フィーネの毛並みのお手入れをした翌日から、恭弥はブドウ園で働き始めた。
恭弥は肉体労働に慣れてなくて大変だったが、この世界で生きていくためには頑張るしかないと必死に一日目を乗り切った。
でもって――二日目。恭弥はいきなりブドウ園で働けなくなる危機に陥っていた。
とくに体力的な問題があった訳でも、解雇を申し渡された訳でもない。
フィーネの家に行くと、家の前で待ち構えていた三人のイヌミミ少女に、自分達の毛並みのお手入れもして欲しいと取り囲まれてしまったのだ。
「ごめんなさい、恭弥お兄ちゃんっ!」
戸惑っていると、駆け寄ってきたフィーネが申し訳なさそうな顔で謝ってきた。
「えっと……どうしてフィーネが謝るんだ?」
「それは、その……学校のみんなに毛並みのことを聞かれて、うっかり恭弥お兄ちゃんのことを話しちゃったの」
「あぁ……なるほど」
毛並みが女性の美しさでありながら、毛並みのお手入れが発展していない。他の女性から見れば、是非ともあやかりたい奇跡かなにかに見えているのだろう。
「えっと、その……怒ってる?」
「口止めした訳でもないし、フィーネのことを怒ったりはしないよ。ただ、俺も働かなきゃ、アリシアに迷惑を掛けちゃうことになるからなぁ」
「――お金ならいくらでも払いますわっ!」
「私もっ、私も払うわっ!」
「フィーネみたいになれるなら、親の貯金全部使ったって良いよっ!」
恭弥のセリフに被せるように、女性達が対価を払うと迫ってきた。
必死すぎる。とくに最後――と、恭弥は戦々恐々とする。
ただ、化粧のない世界で、一人だけ見違えるほどの化粧を施されているのを目の前で見ているのと同じ状況と考えれば、その必死さも納得であろう。
だけど――
「申し訳ないんだけど、俺はこの家のブドウ園で働くと言ったばっかりだから……」
「――それなら、家のことは気にしなくて良いぜ」
不意に割って入ってきたのは、現在恭弥の雇い主であるザックだった。
「……ザックさん、気にしなくて良いって言うのは?」
「うちも、フィーネを助けてもらったしな。なにより、フィーネの毛並みを見せられた娘達の気持ちはむちゃくちゃ分かるからよ」
「ブドウ園で働くのを辞めて、毛並みの手入れをしろと言うことですか?」
「勘違いすんなよ。恭弥がブドウ園で働きたいって言うならずっと雇ってやる。けど、恭弥はブドウ園で働くより、そっちの仕事の方が向いてるんじゃないか?」
「それは……たしかにそうかもしれませんけど、そんなにお客が来ますかね?」
「それは来るだろ。口コミで広まれば、近くの街からだってくると思うぜ?」
「……なるほど」
たしかに、少女達の必死さを見ればあり得る話だ。
毛並みの手入れの対価次第ではあるが、ペットトリマー……というか、イヌミミ族トリマーとしてやって行けそうな雰囲気はある。
なにより、イヌミミ少女をモフモフにしてお金を稼ぎ、その合間にイヌミミ少女をモフモフする。もしそんな生活が可能なら、それはまさに恭弥が夢見たスローライフそのものだ。
というか……
「毛並み、私の毛並みのお手入れをっ!」
「いや、私の毛並みが先よっ!」
「なに言ってるのよ。フィーネに聞いたのは私でしょっ!」
スローライフ以前、断ったら放してくれなそうな雰囲気だ。
「……よし、分かった」
「「「――毛並みの手入れをしてくれるのね!?」」」
物凄い勢いである。
「待ってくれ。いまやるとは言ってないぞ」
「「「――どういうこと!?」」」
「……あ~、やらないとも言ってないから、ひとまず最後まで俺の話を聞いてくれ」
このままじゃダメっぽいと、恭弥はぶっきらぼうに言い放つ。ついでに、話の腰を折った人の手入れはなしだからと付け加えて、全員を黙らせた。
「まず、ブドウ園のお仕事の代わりにする以上、それ相応の報酬を求める」
恭弥の言葉に、少女達は頷いた。
どうやら、報酬に関しては問題なさそうだ。
「あと、手入れには時間も掛かるし、場所も必要になる。なにより、今日はブドウ園のお仕事をする約束だったから、明日また来てくれ。今日中に、色々準備をしておくから」
少女達はいますぐして欲しそうだったけれど、文句があるのなら手入れはなしだと脅すと、驚くくらい素直に帰って行った。
ブドウ園のお仕事を終えた恭弥は、アリシアに間借りしている家に帰ってきた。
「ただいま、アリシア」
「お帰りなさい。夕食の準備、出来てるわよ」
ラフな服に、エプロンを着けたアリシアがリビングで出迎えてくれる。なんと言うか……幼妻のような感じである。
これで毛並みがモフモフなら言うことはないのだが、それは贅沢というものだろう。
「悪いな。俺の方がお世話になりっぱなしなのに、夕食まで作ってもらっちゃって」
「仕方ないよ。ブドウ園のお仕事は遅くなるもの」
「ありがとう。で、申し訳ないついでに、少し相談があるんだ」
「相談? それ、ご飯を食べながらでも問題ないかしら?」
「もちろん」
とまぁそんな訳で、恭弥はご飯を食べながら、アリシアに今朝の話をして、対価を払うので、この家の敷地を使わせてもらえないだろうかと相談する。
果たして、その返事は――
「良いわよ。この家はもう、貴方の家でもあるんだから」
――だった。
「いやいや、なに言ってんだ。ここはアリシアの家だろ」
「あたし一人じゃ、この家は大きすぎるもの。それに……」
アリシアは元から細い目を細め、小さな微笑みを浮かべた。その顔が寂しげに見えて、恭弥は言いようのない感情を抱く。
「……アリシア?」
「うぅん、なんでもないわ。とにかく、貴方が役立ててくれるなら嬉しい。貴方が稼いでくれたら、あたしの暮らしも楽になるもの」
イタズラっぽく笑う。
そんなアリシアを見て、恭弥は何故だか少しだけ不安に思った。
翌日、恭弥がフィーネの家の前に行くと、昨日の三人娘が既に待っていた。
「おはよう、三人とも早いな」
「それはもう、フィーネのような毛並みになれるなら苦労は惜しみませんわっ!」
準備は万全らしい。
それを確認した恭弥は、三人を連れてアリシアの家に戻ろうとする。
「待って、恭弥お兄ちゃんっ!」
呼び止められて振り返ると、なにやら決意を秘めた目をしたフィーネがたたずんでいた。
「……どうしたんだ? フィーネもまた手入れをして欲しいのか?」
「それもあるけど……そうじゃなくて。フィーネに手伝わせて欲しいのっ」
「手伝うって……毛並みの手入れを?」
「うんっ!」
勢いよく頷く。フィーネの申し出を受けて、恭弥はそうだなぁと考え込んだ。
イヌミミ族トリマーを開業するのなら、これから何度も何度も女の子にシャンプーとリンスをする。つまり、脱がす必要がある。
フィーネは気にしなかったが、他の人もそうとは限らない。
いや、店が思惑通りに口コミで有名になれば、大人の女性――とくに彼氏や旦那のいる女性だってやってくるであろうことを考えれば、女性のスタッフは必須だ。
今のうちにフィーネに手伝ってもらうのは、将来を考えるのならプラスになるだろう。
「ちなみに……フィーネの両親には許可をもらったのか?」
「うん。頑張れって言ってくれたよっ!」
なお、フィーネの家では家族会議が開かれた。
恭弥がフィーネをモフりたいと言ったこと。毛並みのお手入れのためとはいえ、既に恭弥にシッポを触られたこと。
そのうえで恭弥のお手伝いをしたいとフィーネが望んでいることなどが議題に上った。
その結果、フィーネは頑張れと背中を後押しされた。そこにどんな意味があるのかは想像に難くないのだが……なにも知らない恭弥は、それならよろしく頼むと答えた。
そうしてやって来たのは、アリシアの家の庭。
恭弥は用意した椅子に、じゃんけんで勝ったお嬢様風の女の子を座らせ、残り二人の女の子には近くで待っているように伝えた。
「それじゃ、まずはブラッシングで、絡まってる毛を解きほぐしていくぞ」
「ブラッシング……ですか?」
お嬢様は、恭弥の持つスリッカーブラシを見て少し不安そうな顔をした。
「ブラッシングは、凄く凄く、気持ち良いんだよ~」
フィーネが無邪気に笑う。
その頬がほんのりと赤いのは、自分がブラッシングをしてもらったときのことを思い出しているからだが、もちろん恭弥は気付かない。
ただ、不安げだったお嬢様が、フィーネを見て少しだけ安心するような顔をした。
「じゃあ、まずはイヌミミからな」
「――ひゃうんっ!?」
恭弥がブラシで一撫ですると、お嬢様はビクンとその身をはねさせた。
「な、ななっ、なにをするんですの!?」
「なにって、毛を解きほぐすって言っただろ?」
「そ、そうでしたわね。ま、まさか、こんな、は、恥ずかしいことをされるだなんて。あぁでも、美しくなるためには、我慢。我慢ですわ……っ」
「……ええっと、嫌ならやめとこうか?」
「だ、大丈夫ですわっ!」
お嬢様が続けてくださいと椅子に座り直した。
なんだか無理をしてるような気がすると思った恭弥だが、オシャレは根性――的なフレーズが頭に浮かんだので、再びブラッシングを開始する。
ちなみに、お嬢様の毛並みはわりとサラサラで、ブラシが引っかかることも少なめだ。だけど、だからこそ、ブラシの先に皮膚を撫でられるのがくすぐったいのだろう。
「はぁ……っ、なんだか……いえ、なんでもありませんわ。ふぅ……っ」
恭弥がブラシを動かすたびに、お嬢様は吐息を漏らす。しかし、恭弥はそれよりも――と、横で見入っているフィーネに視線を向けた。
「フィーネ。……フィーネ?」
「ふぇ!? な、なに?」
「いや、なにか分からないこととかあるか?」
「えっと……その、いまは具体的になにをしてるの?」
「こうやって、洗う前に軽く絡まってる毛を解きほぐしてるんだ。ちなみに、強くやりすぎると、髪がちぢれたりするから、こんな風に出来るだけ優しくな」
「くすぐった――んぅっ」
恭弥が実演すると、お嬢様が身をよじった。
「えっと……じゃあ、強くしないと解けないときはどうするの?」
「そういうときはこうして根元を押さえて、毛先からほぐしていくんだ」
「ひゃうっ」
お嬢様は更にくすぐったそうに震え、自分の口を手で押さえ込んだ。
「なるほど、そうやってほぐすんだねっ!」
「うん。あとは全体をブラシが綺麗に通るのを確認して……」
「もぅ、これ以上は、わたくし……っ」
「これで終わりかな」
お嬢様の毛並みが良かったからと言うのもあるが、二度目で少しだけ慣れた恭弥は、わりとさっくりとイヌミミのブラッシングを終わらせた。
「は、はぁ……はぁ。……よ、ようやく終わったんですの?」
なぜか息も絶え絶えになっているお嬢様がうわずった声で尋ねてくる。
「あぁ、イヌミミのブラッシングはな」
「イヌミミの……そういえば、シッポがこれからでしたわね。……あれ、も、もしかして、今度はシッポを触られるんですか?」
「……そうだけど?」
「ぁう……そ、そう、ですわよね」
「良く分からないけど……嫌ならイヌミミだけにしておくか?」
恭弥が問いかけると、お嬢様は目をぐるぐるさせて迷い始める。
「えっと、それは、その……さすがにシッポを殿方にモフられるのは……あ、で、でも、これは必要だから触られるだけ。モフられるのとは違いますわよね?」
「もちろん、必要だから触るだけだけど?」
「わ、分かりました。それならなんとか……あと一回、一回シッポを触られるだけなら、な、なんとか、我慢、で、できますわっ」
「あ、ちなみに、それが終わったらシャンプーとリンス。そこからトリミングをして、もう一回ブラッシングをするからな」
「……はえ? も、もう一回、ですか? と言うか、そのシャンプーとリンスや、トリミングというのは、一体……?」
「全部、すっごく気持ち良いんだよ~」
未知の作業に怯えるお嬢様に、先ほどと同じようにフィーネがフォローを入れた。だと言うのに、お嬢様は自分の身体を抱きしめて、凄く複雑そうな顔をした。




