エピソード 1―5 本当のフィーネ
「わふぅ……」
庭先にある井戸の前。
フィーネは、恭弥の手によって、髪やイヌミミをわしゃわしゃと洗われていた。
ちなみに、村の子供達は男女一緒に水浴びをしたりすることもあるので、裸になることにはとくに抵抗なかったのだが、恭弥の指示で下着だけは着用している。
むしろ、キャミソールのような下着が水で張り付いて気持ち悪いのだが……それを差し引いても、恭弥が髪を洗ってくれるのは気持ちが良かった。
おそらくは、髪を洗うときに恭弥が使った、トロリした液体が原因だろう。
「ねぇ、恭弥お兄ちゃん、いま使ってるのがシャンプーって言うの?」
「ああ、そうだ。石鹸は……知ってるかな? あれの、毛専用なんだ」
「へぇ~そんなのがあるんだ。恭弥お兄ちゃん、物知りなんだね~」
「たまたまな。それより、かゆいところとかないかな?」
「うん、すっごく気持ち良いよぅ~」
「そかそか。それじゃ、一度流すから、目にシャンプーが入らないように注意な」
髪とイヌミミを一緒に洗ってもらって、更にはシッポも綺麗に洗ってもらった。シッポはやっぱりゾクゾクしたけれど、髪のベタベタした感じがなくなるのを実感する。
でもって、そこから更にリンスなるモノで洗ってもらって、なんだか凄くさっぱりしたとフィーネは表情をほころばせる。
「わふぅ……恭弥お兄ちゃん、気持ちよかったよぅ」
「それは良かった。次はトリミングだけど、その前に髪をしっかり乾かして着替えないとな」
「はーい」
「待て待て待てっ、ハウスっ!」
ようやく水で張り付いたキャミソールが脱げると、両手を裾に掛けた瞬間、恭弥に全力でストップを言い渡された。
フィーネはキャミソールを少しだけまくり上げた状態で止まる。
「……どうしたの?」
「いや、どうしたのと言うか……いや、良い。俺は離れたところで待ってるから、脱いだらもう一度水で流して、それからタオルで髪や身体を拭いて、服を来たら呼んでくれ」
恭弥は踵を返して家の方に去っていく。フィーネは小首をかしげてその後ろ姿を見送り、言われたとおりに下着を脱いでから水を浴びた。
その後、恭弥を呼びに行ったフィーネは、雑談をしながら髪やシッポが乾くのを待つ。
「ねぇ、髪やシッポが乾いたらどうするの?」
「ここにあるハサミ各種で、フィーネの耳やシッポの被毛を切りそろえていくんだ。……あ、確認しておきたいんだけど、毛が長い方が美人とかって法則はないよな?」
「うん、それはないよ」
「そかそか、なら安心だな」
良く分からないが、恭弥が安心だと言ったので、フィーネもなんとなく嬉しくなる。
えへへと笑ったら、わしゃわしゃと頭を撫でつけられた。
「わふぅ……」
周囲の男の子からは、不細工だと笑われるのが当たり前だったフィーネにとって、優しくしてくれる男性は父親やその知り合いのおじさんくらいだった。
ましてや、イヌミミ族の女性がイヌミミやシッポをモフモフさせるのは家族か恋人くらい。いまみたいに、手入れで触られるのだってホントを言えば少し恥ずかしい。
恭弥お兄ちゃん、フィーネをモフり倒したいって言ってたけど……本気なのかなぁ? と、純真無垢なフィーネは、恭弥の大胆発言を思い出してドキドキしていた。
「さてさて、そろそろ毛も乾いてきたし、そろそろトリミングを始めるな」
「お願いします、恭弥お兄ちゃん」
すっかり恭弥を信頼するようになったフィーネは、再び庭に置いてある椅子に座って恭弥にシッポを差し出した。
「あ~、この本には、最初はお腹とか足とか、目立たないところで練習しろって書いてあるな」
「……ふえ? お腹? 足? そんなところには生えてないよ?」
フィーネはこてりと首を倒した。
「あぁ、すまん。こっちの話だ。まずは……その長い髪、ざっと切りそろえてるだけみたいだけど……毛先を整えても良いかな?」
「フィーネの髪の毛? うん、良いよぅ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
背後にいる恭弥がハサミを鳴らして、フィーネの後ろ髪を切りそろえていく。
まずは練習、みたいなことを言っていたが、恭弥のハサミを動かす音はリズミカルで、なんだか効いていて凄く心地が良い。
フィーネはほどなく、ウトウトと眠ってしまった。
「フィーネ、フィーネ。起きなさい、フィーネ」
「……ふみゅ?」
軽く肩を揺すられて、ぼんやりと目を開く。そこには、笑顔を浮かべる恭弥と、肩を寄せ合って涙を浮かべる両親の姿が違った。
「お父さん、お母さん、どうして泣いてるの……?」
寝ぼけ眼を擦りながら問いかけると、母親のミアが丸いなにかを差し出してきた。
そこに写るのは、輝かんばかりに艶やかな、ピンク色の毛並みのイヌミミ。天使か、はたまた女神様か、フィーネが今まで見たことも聞いたこともないほどの美少女がそこにいた。
凄く綺麗な子。フィーネもこの半分でも毛並みが綺麗なら、馬鹿にされなくてすむのかなぁと、ちょっぴり嫉妬して……そんな醜い自分の一面を否定しようとふるふると首を横に振った。
刹那、その美少女もまったく同じように――それでいて左右対称にふるふると首を振る。
「………………………………え?」
フィーネは自分がなにを見ているのか、一つの可能性に至って息を呑んだ。
「これ、もしかして……鏡、なの?」
信じられないと問いかけると、両親と恭弥が揃って首を縦に振った。
「じゃ、じゃあ、どうして、鏡にこんなに綺麗な子が映ってるの……? 正面に立ってるのは、フィーネ、なんだよ……?」
鏡に映る子があまりにも綺麗すぎて、フィーネは現実を受け入れられない。
だけど――
「そこに映ってるのはフィーネだぞ。……ほら」
恭弥がフィーネの横に立ち、イヌミミを優しく撫でつけた。それと同時、鏡に映る女の子も、鏡に映る恭弥によって、イヌミミを優しく撫でつけられる。
フィーネはようやく、鏡に映る女の子が自分だと理解して……ポロポロと泣いた。
翌日、フィーネは朝からずっとドキドキしていた。
フィーネ自身の毛並みは凄く、信じられないほどに綺麗になったけれど、それ以外にはなにも変わっていない。毛並みを除けば、フィーネは、フィーネのままだ。
けれど、フィーネは不細工以外にも、様々な暴言を男の子達からぶつけられていた。それは外見だけには留まらず、どんくさいなどなど、性格に言及されることも多々あった。
だから、フィーネの自尊心は限りなく低くなっている。
不細工とは呼ばれないかも知れないと思う反面、いままで通りに馬鹿にされるかも知れないと、フィーネは期待と不安でドキドキとしていたのだ。
大丈夫かな? みんな、フィーネのこと可愛いって言ってくれるかな?
そんな期待と不安に、幼い身体には不釣り合いなほど育った胸を高鳴らせつつ、フィーネは村にある小さな学校に向かった。
そして、学校――と言っても、教室は一つしかないが、その教室に顔を出したフィーネは、クラスのみんなから物凄くチラ見されていた。
ガン見ではなくチラ見と表現したのは、視線に気付いたフィーネが振り向くと、みんなは物凄い勢いで視線を逸らしてしまうからだ。
ふえぇ……見られてる、見られてるよぅ。これ、どう思われてるんだろう。フィーネのくせに生意気だ、見たいに思われちゃってるのかなぁ。
そんな風にフィーネがオドオドしていると、生徒達のひそひそ話が聞こえてくる。
「おい、誰だよあの可愛い子は」
「分かんねぇよ。でも、絶対この村の子じゃねぇよ」
「街から来たのかな?」
クラスの男子は誰一人として、その美しい少女の正体に気付いていなかった。
髪形も多少変わっているとはいえ、顔や体型は一切変わっていない。それなのに――と言いたいところだが、イヌミミ族にとってそれだけ毛並みの重要性が高いと言えるだろう。
「な、なぁ、お、お前、凄く可愛いな。どこかから引っ越ししてきた、のか?」
クラスメイトの一人――昨日、フィーネを不細工だと言い放った男の子が話しかけてきた。
その顔は真っ赤に染まって、必死に可愛い女の子に話しかけているという感じなのだが、フィーネは気付かない。
フィーネはふるふると首を横に振って、「私、フィーネだよ」と名乗る。
刹那、教室がざわりと震えた。
「フィーネ?」「フィーネだって?」「え、嘘でしょっ!?」
クラスメイト達から一斉に驚きの声が上がった。
自分がフィーネだと気付かれて、どんな反応になるのかな? それでも可愛いって言ってくれるのかな? それとも、今度は性格ブスとか言われちゃうのかな?
フィーネは豊かな胸を両手で押しつぶしながら、みんなの判決を待つ。
「フィーネ、イヌミミをモフらせてくれ!」「てめぇ、抜け駆けしてんじゃねぇ! お、俺は、フィーネのシッポを毎日モフりたい!」「お前こそ、下心丸出しじゃねぇか!」
フィーネの不安は、当然ながら杞憂に終わった。
フィーネを不細工だと罵り、目障りだと言い切った男子達が、手のひらを返してフィーネと仲良くしようと詰め寄ってくる。
というか、イヌミミ族にとって、『モフりたい』は求愛に等しい。つまり、フィーネはクラスのみんなに受け入れられた――を通り越して、男の子達に告白までされている。
もう、フィーネは馬鹿にされなくてすむんだ!
そんな喜びがフィーネの胸の内で弾けて、そして――泡のように消えていく。そうして胸の内を支配したのは……この程度だったんだという失望。
もちろん、綺麗になったのが嬉しくない訳じゃない。それどころか、物凄く、物凄く嬉しいとフィーネは感じている。
だけど、毛並みが変わっただけで手のひらを返し、まるで内面やそのほかすべてが変わったかのように告白してくるクラスの男子に失望したのだ。
なにより、フィーネは先日、不細工だと罵られていた状態の自分を綺麗だといい、性格も優しくて可愛いと評価してくれた人と出会っている。
手のひらを返したクラスの男子よりもその人、恭弥の方がずっと素敵だと思ったのだ。
という訳で――
「フィ、フィーネ、良かったら今日は一緒に勉強しようぜ」「あ、ズルいぞ。フィーネちゃん、俺の隣が空いてるぞっ!」「馬鹿言うな、フィーネは俺の隣に座るんだよっ!」
フィーネに詰め寄ってくる男の子達の視線を受け止め――
「どうしてフィーネが貴方達の隣に座らなきゃいけないの?」
フィーネは無垢な瞳で問い返した。
それは仕返しでも嫌味でもない。ただ純粋に、一緒に座る価値を感じないだけ。
その一言は、昨日まで見下していた少女に、相手にすらしてもらえていないという事実を男子達に突きつけ、一生消えないレベルのトラウマを刻み込んだ。
そして――
「ルチア、一緒にお勉強しよ~」
フィーネは女友達の隣の席に移動。それ以降は、男子を見ようともしない。完全に男の子達の自業自得ではあるが、将来は小悪魔系の女の子になりそうな予感である。
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