エピソード 4ー4 天然モフリスト
恭弥は朝からずっとソワソワとしていた。
戦う力のない恭弥が同行しても足手まといにしかならない。それが分かっているから、大人しく、イヌミミ族トリマーとして働きながら待つことを選んだ。
アリシアの命を長らえさせるためにはお金が必要だから、自分の出来ることを精一杯やる。そう思って、恭弥は朝から予約分のお仕事をこなしていた。
けれど、もしアリシアになにかあったら……そんな不安に囚われて落ち着かない。予約分のお仕事を終えた頃、恭弥はすっかりまいっていた。
「恭弥お兄ちゃん、大丈夫?」
一緒にトリマー室の片付けをしていたフィーネが顔を覗き込んでくる。
「大丈夫って……なにが?」
「アリシアお姉ちゃんのこと、心配してるんでしょ? さっきから心配なのが丸わかりだよ」
「うぐっ。す、すまん。しっかり仕事をしないとダメだって、分かってるんだけどな」
「大丈夫だよ、アリシアお姉ちゃん、強いもん」
「……そうだよな」
調子の悪かったアリシア一人でも、ヌシを撃退するほどの力があったのだ。ポーションで体調を取り戻し、仲間を得たいまのアリシアの敵じゃないはずだ。
「そういえば、フィーネはアリシアと幼馴染みなんだよな。小さい頃のアリシアって、どんな感じだったんだ?」
「急にどうしたの?」
「いや、アリシアってまだ若いのに凄く強いんだろ? どうしてかなって思って」
「あぁ、小さい頃から、戦いに身を置いていたのかってこと?」
戦いに身を置くという言い回しが仰々しいなと、恭弥は苦笑い。だけど質問の意図的にはあっていたので、そんな感じと相づちを打つ。
「おじさんが亡くなる数年前から、狩りのお手伝いはしてたみたいだよ」
「……それで、あんなに強くなるのか?」
「普通はならないと思う。実際、親の仇を討つんだって、一人で森に行くようになった頃は、よく怪我をして、周囲にやめるように言われてたよ」
「それなのに、強くなったんだ?」
それほどまでに、仇を討つ意思が強かったんだな……と、恭弥は思う。
「アリシアお姉ちゃんは昔から強かったよ。といっても、戦闘能力って意味じゃなくて、気持ちの強さ……って言うのかな。フィーネがいじめられたときも、いつも助けてくれたし」
「あぁ、それはなんか分かる気がする。あいつ、正義感が強そうだしなぁ……」
フィーネのナイト様をするアリシアが目に浮かぶと、恭弥はほんの少し笑う。
「お姉ちゃんは、自分は誇り高い純血種だから――って言ってたよ」
「純血種、か」
不意に、イヌミミ族の純血――つまりは由緒あるご先祖様は、イヌなんだろうか、それとも人間なんだろうか? と、恭弥は疑問に思った。
もっとも、アリシアが純血種と同じ姿であるのなら、イヌミミ族のご先祖はイヌでも人間でもなく、銀の毛並みを持つイヌミミ族ということになる。
しかし、この世界で進化論が成り立つのなら、猿が進化して人間になったように、イヌが進化してイヌミミ族になった可能性は高いだろう。
とどのつまり、イヌから進化して純血のイヌミミ族になり、人と交配していまのイヌミミ族が生まれたというのが恭弥の推論。
もしそれが事実なら……と、恭弥はある想像に至り――アリシアの容態悪化はそれが理由かもしれないと息を呑む。
「恭弥お兄ちゃん、どうかしたの?」
「いや、ちょっとアリシアのことについて考えてた」
「ふぅん」
「……なんだよ?」
なんでジト目で俺を見るんだと恭弥は困惑する。
「恭弥お兄ちゃんって、アリシアお姉ちゃんのこと、好きだよね?」
「――ぶっ。ごほっ。きゅ、急になにを言うんだよ」
「別に急じゃないよぅ。恭弥お兄ちゃん、アリシアお姉ちゃんのために一生懸命だし、いまだって凄く心配してるでしょ? だから、好きなんだよね?」
「性急に考えすぎだっ。もちろん心配はしてけど、アリシアは俺の恩人だし、家主だし、好きかどうかとは関係がないというか、なんと言うか……」
「じゃあ、好きじゃないの?」
「いや、そんなことはないけど……」
「じゃあ、好きなんだよね?」
「……まあ、どっちかって言うと?」
そんな風に答えると、煮え切らないなぁとフィーネに呆れられてしまった。
「……俺は以前、ワンコを飼っていたことがあるんだ」
「えっと……それは、その、アリシアお姉ちゃんも、飼いたいとか……そういう?」
「違うっ。そうじゃなくて、そのワンコ――ブランカって言うんだけど、そいつは俺にとって、家族みたいなもので、何年も一緒に暮らしてたんだ」
アリシアを飼いたいとか思ってる訳じゃないぞと恭弥は言っているのに、フィーネはなにやら「恭弥お兄ちゃんに飼われる……毎日毛並みのお手入れを?」などと呟いている。
「……フィーネ?」
「え、あ……な、なんでもない、なんでもない。それで、そのブランカがどうしたの?」
「あぁ、そうだったな。そのブランカはいつの間にか病気を患ってたんだ。だけど、俺はそれに気付かなくて……気付いたときには、手遅れだったんだ」
「……死んじゃったの?」
恭弥はこくりと頷き、いまから数ヶ月前のことだと付け加えた。
「だから、俺は二度とそんな思いをしたくないって思ってる。アリシアのことを凄く心配してるのは、それが理由だよ」
「それだけ、なのかなぁ……?」
「……ぶっちゃけていえば、わりと好きだよ。あの艶やかな銀の毛並みを、思う存分にモフモフしたいと思ってる」
「~~~っ。お、お兄ちゃんのエッチ、見境なしっ!」
「――なんでだよ!?」
毛並みをモフモフするのは普通のコミュニケーションと思っている恭弥は抗議する。が、恋人同士の語らいのように考えているイヌミミ族には通じない。
「お兄ちゃんの、ばかっ。フィーネのこと、い、一杯一杯、モフモフしたくせに……っ」
真っ赤&涙目のフィーネに怒られてしまった。モフモフしたいと言っただけなのに、なんか俺が鬼畜な発言をしたみたいじゃないかと恭弥は困惑する。
「えっと……もちろんフィーネのことをモフモフするのも大好きだぞ? だけど、アリシアはまた違ったモフモフ感があって、どっちも捨てがたいなって」
「ど、どっちも捨てがたいって……これからも、フィーネとアリシアお姉ちゃん、両方にモフモフするっていう、こと……?」
「当然だろ。むしろ、俺は二人纏めてモフモフしたい」
「ふえぇぇぇえぇぇっ。ふ、二人一緒になんて、は、恥ずかしいよ!」
「フィーネもアリシアと同じくらい綺麗な毛並みなんだから、恥ずかしがることはないだろ」
「~~~~~~っ。お、お兄ちゃんが、そんな人だったなんて……」
フィーネはなにやらぷるぷると震える。
「……ええっと……良く分からないんだけど、ダメだったか? というか、もしかして、フィーネは俺にモフられるの、嫌……なのか?」
「え、そ、そそっそれは……その」
「もし嫌なら、ハッキリ言ってくれ。俺は、フィーネの嫌がることをするつもりはないから」
ワンコだって、ブラッシングを嫌がったり、触られるのを嫌がることはある。こういうことは、無理にしちゃいけないんだと、恭弥は確認する。
もっとも、恥ずかしがっているだけのフィーネにとっては、自らの口でモフられるのが嫌じゃないと告白しろという、鬼畜なプレイも同然なのだが……例によって恭弥は気付かない。
「い、嫌…………じゃ、な、なぃ……ょ」
フィーネは恥ずかしそうに答える。
良く分からないけど、幼いフィーネがモフモフしても良いという姿が可愛いなぁと、自分がどれだけあれなセリフをのたまっているのか分かっていない恭弥は暢気に考える。
「ありがとう、フィーネ。フィーネが許可をしてくれたら、後はアリシアを説得するだけだな」
「……アリシアお姉ちゃん、了承してくれる、の?」
「大丈夫じゃないかな。無事に帰ってきたら、思う存分モフらせてもらう約束だし」
「お、思う存分。うぅ~~~っ」
なにやら、フィーネにぽかぽかと殴られた。
「……なんだ、どうしたんだ?」
「なんでもないよっ!」
「なんでもない人は、そんな風にぽかぽか殴ってこないと思うんだが……」
「なんでもないったらないのっ!」
「フィーネがそう言うなら、良いけど――」
恭弥は立ち上がって振り返った。
「……恭弥お兄ちゃん、どうかしたの?」
「いや、その……いま、アリシアに呼ばれたような気がして」
気のせいかな? 気のせいだなと呟く。
だけど、そんな恭弥をなぜか、フィーネが驚いた顔で見つめてくる。
「フィーネ、どうかしたのか?」
「……どうかしてるのは、恭弥お兄ちゃんだよ。どうして……泣いてるの?」
「は? なにを言ってるんだ。俺は泣いてなんて……」
否定しようとした恭弥は視界が滲んでいることに気付いて指で拭う。けれど、拭えば拭うほど、どんどん目から涙が溢れてくる。
「あ、あれ、おかしいな。目に涙でも入ったかな?」
「恭弥お兄ちゃん……」
「い、いや、ホントになんでもないから」
手の甲――というより、袖でガシガシと目元を拭う。
その直後――
「ヌシ退治に出かけてた奴らが帰ってきたぞ――っ!」
不意に聞こえてきた誰かの声に、恭弥とフィーネは慌てて家を飛び出した。
「フィーネ、アリシア達が帰ってくるのはどっちだ!?」
「森は東だから、あっちの方だよっ!」
「今朝送り出した方だなっ!」
恭弥はフィーネに確認を取って、全力で村の外れへと駈ける。アリシアに会いたい。アリシアに会って、この胸の不安を消したい。そんな願いを動力に、地面を蹴立てて疾走する。
だが、社会人から村での生活に移行したとはいえ、ほとんどイヌミミ族トリマーとして家にこもっている恭弥の体力はあまり増えていない。
百メートルも走れば息が上がってくる。
「はぁ、はぁっ!」
「恭弥、お兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫、だ……っ。はぁ……フィーネは?」
「フィーネも、大丈夫、だよっ」
むしろ、幼女と同じ体力かよっ! と、恭弥は運動不足を呪いながら、それでも自分の身体に鞭を打って走り続ける。
そうして思い浮かべるのはアリシアの笑顔。元から細い目を細めてたその奥、青く吸い込まれそうな瞳で艶やかに微笑む、紫がかった銀髪を風になびかせる美しい姿。
恭弥の命の恩人であり、どこかブランカを彷彿とさせる気高い少女。
元気なアリシアともう一度会いたい――と、恭弥は必死に駈け続ける。そうしてたどり着いた村の外れで、恭弥は森の方から歩いてくる集団を見つけた。
「アリシア、アリシアっ!」
アリシアの姿を探し、メンバーの一人一人に目を向けていく。そうして、そこにいる全員の姿を確認して――恭弥は一筋の涙を流した。
この後12時にエピローグを投稿します。




