エピソード 3ー4 この戦いが終わったら……
翌日は朝から夕暮れまでイヌミミ族トリマーのお仕事。
一日三人の予約に、昨日の予約分を加えた合計六人の毛並みのお手入れを終えた恭弥は、さっそくボアのヌシ退治をしてくれそうな狩人を集めるべくフィーネに協力を依頼した。
そうしてやって来たのはとある家の玄関。案内役のフィーネが扉をノックする。
「誰だ……って、おぉ? フィーネちゃんじゃねぇか」
家から出てきたのは、なにやら歴戦の猛者な雰囲気を纏う中年の男だった。
「こんにちは、おじさん。いつもお父さんがお世話になってます」
「おお、こっちこそザックにはいつも世話になってるぜ。しかし、むちゃくちゃ可愛くなったって聞いたが……本当だったんだな。それで、今日はどうしたんだ?」
「今日は、恭弥お兄ちゃんの話を聞いて欲しくてきたの」
「あぁん? 恭弥っていうのは、そこにいる人間の兄ちゃんか?」
「そうだよぅ。――恭弥お兄ちゃん、このおじさんが、この村で一番狩りが上手なんだよ」
フィーネの紹介と、おじさんの視線を受けて、恭弥はぺこりと頭を下げた。
「初めまして。恭弥です。今日は貴方に依頼があってきました」
「なんだ、改まって。俺になにを頼みたいんだ?」
「ボアのヌシを退治して欲しいんです」
「はぁ? ボアのヌシを退治しろ、だぁ? 兄ちゃん、本気で言ってるのか?」
おじさんは素っ頓狂な声を上げ、じろりと睨みつけてくる。恭弥は本気ですと答え、その視線を真っ正面から受け止めた。
「どう見ても、兄ちゃんが戦い慣れしてるようには見えねぇんだが」
「ええ。俺には戦う力がありません。だから、貴方の他にも何人か協力を募って――」
「――帰んな」
恭弥のセリフがバサッと切り捨てられる。
「……えっと?」
「お断りだってことだよ」
「ど、どうしてですか? ボアのヌシには、貴方達も迷惑してるんですよね?」
「ああ、たしかにあいつは凶暴で、思いっきり迷惑してる。一人じゃ倒せねぇが、何人かで協力して倒そうって話も、いままでなかった訳じゃねぇ」
「だったら、なにがダメなんですか? 必要な人数は集めますし、報酬ならちゃんと……」
「――馬鹿野郎。そういう問題じゃねぇんだよ。俺はな、自分で戦うつもりもねぇ、貧弱な野郎の頼みを聞くつもりなんてねぇってことだ」
「それ、は……」
イヌミミ族の女性は、毛並みで美人かどうかが決まるように、イヌミミ族の男は強さに重きを置いているという話を、恭弥は聞いたことがある。
けれど、ここまで極端な反応をされるとは思っていなかった。
「えっと……その、ボアのヌシの討伐は、アリシアの親の仇討ちが目的なんです」
「だったら、アリシアにこさせな」
自分ではなく、戦っているアリシアへの協力いう形で説得するが、やはり一刀のもとに斬り伏せられてしまった。
「じゃあ、おじさん、フィーネからのお願いだったら? フィーネは女の子だから、戦えなくても問題ないよね?」
横からフィーネがそんなことを言う。そういう問題なのかと恭弥は思ったが、おじさんはたしかになと頷いた。どうやら、イヌミミ族の中で、戦いは男の仕事という認識があるらしい。
だけど――
「だが……悪いな、フィーネ。俺は嫁さん以外の女から、狩りの頼みは聞けねぇ」
「そんな……どうしても、ダメ?」
「悪いがダメだ。ほら、諦めて帰んな」
これは、ダメそうだ――と恭弥が思ったそのとき、家の中から「さっきから、なにを騒いでるんだい?」と女性の声が聞こえてきた。
そうして、姿を現したのは中年のおばさん。
「あら、恭弥にフィーネじゃないか」
名前を呼ばれた恭弥は、誰だっけと考える。けれど、モフモフなシッポを見て「あ、このあいだの」と思い出した。
奥から出てきたおばさんは、恭弥が毛並みの手入れをしたことのあるお客だったのだ。
「なんだ、お前。この兄ちゃんと知り合いなのか?」
「この子が、私の毛並みを綺麗にしてくれたイヌミミ族トリマーだよ」
「なん、だと……」
おじさんがそこまで驚くかと言いたくなるくらいに目を見開いた。
「おい、兄ちゃん。お前が毛並みの手入れをしたっていうのは本当なんだな?」
「え、ええ。そうですけど……? あ、でも、シャンプーとリンスはフィーネに頼みましたよ」
もしや、変な誤解を招いているんじゃと恭弥は慌てて弁解する。次の瞬間、おじさんの右手が振り上げられ――思わず目をつぶった恭弥の肩をバシッと叩いた。
「まったく、そういうことは早くいえよな!」
「……というと?」
「魔獣のヌシ退治を受けてやるっていってるんだよ」
「良いんですか?」
恭弥は急な手のひら返しに驚く。
「おうよ。お前は俺の嫁さんを綺麗にしてくれたからな。受けた恩は必ず返す。それが俺達イヌミミ族の掟だ!」
「あ、ありがとうございます」
そんな訳で、おじさんが魔獣のヌシを討伐する仲間を集めてくれることになった。ただし、アリシアの口から協力して欲しいと言わせることが条件だと言われる。
仇討ちを果たそうとしているアリシアが望まなければ、横やりを入れることになるから協力できないという理由らしい。
そんな訳で、アリシアの了承を得るために、恭弥はフィーネと別れて診療所へと向かった。
「恭弥、迎えに来てくれたの?」
「お見舞いに来たつもりだったんだけど……その様子だと、もう帰宅できそうなのか?」
「ええ。まだ本調子にはなっていないけど、家に帰るくらいは問題なさそうよ」
「……なら、退院させてもらうか」
恭弥は診療所の先生に話を通し、アリシアの退院手続きを済ませる。そうして二人で帰路につき、まずは夕食。それから一段落ついたところで、話があるとアリシアに伝えた。
「……あたしに話ってなに?」
リビングのテーブル席に腰掛けながら、アリシアが小首をかしげる。
「話っていうのは他でもない。アリシアの親の仇である魔獣のヌシのことだ」
「……仇討ちを諦めろって言うのなら聞く気はないよ?」
「分かってる。話はその逆だ」
「……その逆って、どういうこと?」
「村の狩人達に、ボアのヌシ退治の協力を取り付けてきた」
アリシアは目を見張った。
「……どうしてそんなことを」
「アリシア一人だと、目的を達成できるかどうか怪しそうだったからな」
「そんなこと、ない。あたしは一人でも大丈夫よ」
「だけど、前回は失敗してるじゃないか」
「あれは、逃げられただけよ。それに、体調だって万全じゃなかったし」
「目的が果たせないなら同じことだ。それに体調は……いや、とにかく、アリシアにとって重要なのはなんだ? 自分一人で立ち向かうことなのか?」
それが、魔獣のヌシを実際に倒せるかどうかよりも重要なのかと問いかける。
アリシアは眉を落とした。
「あたしは……他人に迷惑を掛けたくないの」
「それなら問題ない。討伐隊は俺が報酬と引き換えに依頼した。相手はそれで納得しているんだから、迷惑は一切掛けていない」
実際にはまだ交渉は成立しておらず、アリシアの承認が必要――なんてことはおくびにも出さずに、恭弥はまるで決定事項のように伝える。
「だ、だったら、恭弥に迷惑を掛けてるじゃない」
「俺は迷惑だなんて思ったことはない。そもそも、アリシアは俺の恩人だしな」
「で、でも、えっと……」
アリシアが言い淀み、力なく視線を彷徨わせる。そんなアリシアに向かって、本当に仇を討つつもりがあるのかと恭弥が問えば、その身がびくりとはねた。
「仲が良かったフィーネ達とも疎遠になって、ただひたすらに親の仇を討つために森へ通い続けている。そういえば聞こえが良いけど……現実から逃げてるだけじゃないのか?」
「そ、そんなことあるはずないでしょ!」
「なら、どうして実現できそうなラインで妥協しようとしないんだ」
声を荒げるアリシアに、恭弥は冷ややかな視線を向ける。
「狩りが出来ないほどアリシアの容態は悪化してたんだろ? なのに、他人の協力を断ったのなぜだ。仇討ちの成功はどうでも良かったんじゃないか?」
「そんなことあるはずないじゃないっ!」
「なら、マーカーとやらで確実にボアのヌシを見つけられるいま、どんな手段を使ってでも、ボアのヌシを倒すべきだ」
頭を下げてでも協力を得るのが最善なのに、他人の協力を拒絶する意味が分からない。なにか理由があるのなら、ちゃんと口にしないと分からない。
そういって詰め寄る恭弥に、アリシアは「恐いのよ……」と呟いた。
「……恐いって、なにが?」
「あたしは自分が不治の病だと知ってから、すべてを捨てて仇討ちをするためだけに生きてきた。そんなあたしが仇討ちを果たしたら、なにも残らないんじゃないかって……」
「…………はあ、それで?」
「だ、だから、仇討ちはなるべく、相打ちが理想かなって……その」
恭弥は深々とため息をついた。
「ばかなのか、アリシアは」
「な、なによ、あたしのどこがばかなのよ!?」
「どう考えてもばかだろう」
恭弥はテーブルに身を乗り出して、向かいの席に座りアリシアの頭をぐりぐりとした。
「いたた。な、なにするのよっ!?」
「アリシアがばかなことを言うからだろ」
「ちょっと、さっきからばかばかってなんなのよ」
「ばかだから、ばかっていってるんだ。良いか? アリシアがもうすぐ死ぬかもしれないって状況で、仇討ちをするために大切なモノをたくさん捨てたことを、俺は否定しない」
恭弥視点では、仇討ちより他にすることがあるようにみえても、アリシアにとって仇討ちがなにより重要だというのなら、その意見を尊重する意思はある。
「だけど……さっさと仇討ちを果たして、失ったものを取り戻せば良いだろ?」
「な、なにを言ってるのよ。あたしは、自分の意思でいままでの生活を捨てたのよ」
「大げさなんだよ。捨てたっていっても、フィーネ達と疎遠になった程度じゃないか。さっさと仇の魔獣を倒してから、以前みたいに遊べば良いだろ」
「それは、でも、あたしはどのみち長くないんだから、そんなの、悲しいじゃない」
「それは、アリシアが、か? それとも、フィーネが、か?」
「……両方、よ」
視線を彷徨わせた後、アリシアは視線を逸らしたままで答える。
それに対して、恭弥は鼻を鳴らす。
「そんなこと言って、どうせ以前みたいに仲良くしようとして、断られたらどうしよう……とか思ってるんだろ?」
「それは……って言うか、さっきからなんなのよ。そんなに、あたしを焚きつけて、あたしが仇を討てるかどうかなんて、恭弥には関係ないでしょ?」
「そんなことはないぞ。俺には俺で目的があるからな」
「……目的?」
きょとんとするアリシアに対し、恭弥はにやりと笑う。
「ボアのヌシを退治したら、アリシアの毛並みをモフモフにして、思いっきりモフりたい」
「は、はぁっ!? な、ななっなに言ってるのよ! あ、あたしの毛並みを、モフりたいって、そんな、い、意味分かんないわよっ!」
アリシアの顔がみるみる赤く染まっていく。
もちろん、モフりたいの意味に大きな誤解があるせいだが……それに気付く者はいない。恭弥は「アリシアが言ったんだぞ」と肩をすくめる。
「あたしが言ったって……なにを?」
「いまは親の仇を討つのが優先だから、毛並みのお手入れなんてしてられないって。だったら、親の仇を討っちゃえば、俺に毛並みのお手入れ&モフらさせてくれるんだろ?」
「そ、そんなことは……だ、だいたい、分かってる? 親の仇を討てたとしても、あたしの病が治る訳じゃない。遅かれ早かれ死んじゃうのよ? モフるなら、フィーネとかがいるでしょ」
「たしかに、フィーネの毛並みはモフり甲斐があるけど、そんなの関係ない。俺はたとえわずかな期間だとしても、アリシアの毛並みを手入れして、存分にモフりたいんだ」
自分はもうすぐ死ぬ運命だから、フィーネかだれかに求婚しなさいよ――くらいの意味で訴えかけるアリシアに、熱烈にモフりたいコールを送る恭弥。
アリシアの肌が赤く染まっていく。
「そ、そんなに、恭弥はあたしのことをモフりたいの? 見たら分かると思うけど、あたしの毛並みはそんなに綺麗じゃないわよ?」
「たしかに、いまは痛んでるけど……間違いない。アリシアの毛並みは、ちゃんと手入れしたらフィーネにも負けないくらいモフモフになる」
「~~~っ」
アリシアはブルリとその身を震わせ、少し潤んだ瞳で恭弥を見つめる。
「わ、分かったわよ。仇討ちにはみんなの力を借りる、これで良いんでしょ!?」
「……モフるのは?」
「あ、あたしが仇討ちを果たしたら、残った時間は恭弥にあげる。あたしが死ぬまで、恭弥に思いっきりモ、モフらせてあげるわよっ!」




