エピソード 2ー4 シャンプー&リンスの開発……のあいだにモフモフ
道具の製作について話が終わった後は、シャンプーやリンスの開発をすることになっている。
という訳で、アリシアの家の裏手。
恭弥はエリーやフィーネと向き合っていた。
「エリー、頼んでいた物は持ってきてくれたか?」
「ええ、あそこに用意してあります」
「おお、ちゃんと全部揃ってるみたいだな」
エリーの示した場所には、タルや水桶や鍋、さらには小麦粉や果実、灰や石灰石らしきものなどなど、恭弥の要望通りの物が並んでいる。
「恭弥お兄ちゃん、ここにある物でシャンプーやリンスが作れるの?」
「たぶん、な。俺も実際に作るのは初めてだから、色々試してみるつもりだ。まずは……」
恭弥はあらかじめ石を積んで作った竈に薪をくべて火をおこす。でもって、鍋で水と小麦粉を9:1くらいの比率で混ぜて加熱する。
「これで、とろみが出たら小麦粉シャンプーの完成だ」
「え、そんなに簡単なんですか!?」
フィーネだけでなく、エリーまでもが素っ頓狂な声を上げる。
「手間でいえば、これが圧倒的に簡単だ。効果は……あんまり詳しいこと知らないんだけど、スクラブ効果で汚れが落ちるのかな?」
使ったこともなければ、詳しく調べたこともない恭弥が適当なことを言う。
なお、小麦粉をといた水は油を吸着することに加えて、洗浄効果のある成分も微量にだが含まれていることが、小麦粉シャンプーで綺麗になる理由である。
「これを使えば、汚れが綺麗に落ちるんですか?」
「うぅん……肌に優しい分、洗浄力はそこまで高くないと思う。普段手入れが行き届いてない人とか、油汚れが酷い人とかは時間が掛かるんじゃないかな」
「では、他のシャンプーもあるのですか?」
「あぁ、うん。もう少しだけ難しいのも知ってるよ」
「そうですか……少し安心しました」
「……安心?」
「こんなに簡単に作れるものでは商売になりませんから」
「なるほど」
恭弥としては、より多くのイヌミミ少女をモフモフにするためには、安価なシャンプーも広めたいところなのだが、商売として考える以上はとても重要なポイントである。
「じゃあ、もう一つのシャンプーが開発できたら、シャンプーもどきとして小麦粉シャンプーを安く売り出せば良いんじゃないかな」
「……なぜですか? 小麦粉シャンプーは作り方がすぐに知られてしまうでしょうし、あまり利益が出ないと思うのですが」
「小麦粉シャンプーを安く売って、まずは知名度を上げるんだ。でもって、認知された頃に、もっと汚れが落ちるって触れ込みで、本格シャンプーを高く売るんだ」
「……なるほど。富裕層の優越感を煽るんですね」
「まぁ、そんなところだ。香りつけとかをして高価にすれば良いんじゃないかな」
恭弥の説明に、エリーは目を見開いた。
「驚きました。恭弥様は商人としての見識をお持ちなのですか?」
「いや、たまたまだ」
日本ではごくありふれた手法だなんて言えなくて、恭弥は言葉を濁した。
「それで、もう一つのシャンプーは、作るのに手間が掛かると言うことですが?」
「ああ。こっちは、正直いって俺も作り方があやふやだから、作るのにわりと研究してもらう必要があると思う」
恭弥はそう言いながら石灰石を手に取った。いわゆる大理石なんかの欠片である。
「指示にあったとおりに石を持ってこさせましたが、それであっていますか?」
「たぶん、な。俺も実際に見るの初めてだから、これが間違いなく石灰石だって自信はない」
「なるほど。では、その石灰石……ですか? それであることを前提に話を続けましょう」
「ああ。この石を砕いて粉にして、炉で焼くんだ」
さすがにこの場でそれをおこなうことは出来ないので、恭弥は口頭のみで伝える。
なお、その粉が重質炭素カルシウムで、焼いた物が生石灰、水を加えると消石灰になる。
「ちなみに、水分を加えると発熱するから、素手で触ると汗で発熱して火傷したりする。取り扱いにはかなり注意だ」
「そ、そんな危険物で毛を洗って大丈夫なんですか?」
「いや、そのまま使う訳じゃないから」
「でも、材料の一つなんですよね……?」
「あぁ……えっと。他の材料と混ぜることによって大丈夫になるんだ」
化学反応なんて知らないのだろう。エリーはいまいち納得いっていない顔だが、ひとまずはそういうモノだとして納得してもらう。
「消石灰の話は置いといて、もう一つはこっちの灰を使う。これは注文通りの灰なんだよな?」
「ええ。恭弥様のご指示通り、草木の灰を用意いたしました」
「そっか、なら問題ないな」
恭弥は事前に作ってもらった、底に穴の空いた樽に砂なんかを詰めて濾過装置を作り、灰を入れて上から水を流す。
そうして流れ落ちてくる水は炭酸カリウム水溶液である。
「で、こうやって集まった液体と、さっきの方法で作れる消石灰を混ぜて、煮詰めて取り出した粉が水酸化カリウム。それに、水、アルコール、オイルを適量混ぜたらシャンプーの完成だ」
恭弥が説明を終えるが、エリーとフィーネはぽかーんとしていて反応がない。
「……どうした?」
「いえ、その……どうしたというか、いまさらっと言いましたが、かなり複雑なことを言いませんでしたか?」
「言ったな。しかも、混ぜる割合とかは俺も知らないし、水酸化カリウムはわりと劇薬だ。思いっきり取扱注意だぞ。目に入ったりしたら失明してもおかしくないからな」
「ひぅ……っ」
横で話を聞いていたフィーネが小さな悲鳴を上げる。
恭弥が大丈夫だよと、フィーネのイヌミミを撫でようとして、自分の手が灰で汚れていることに気付いて、わざわざ井戸水で手を洗ってからフィーネの頭を撫でた。
ついでに、そのイヌミミもどさくさで優しくモフっておく。
「んゅっ。恭弥お兄ちゃん?」
「取り扱いに気を付ければ大丈夫だ。それに、フィーネには絶対に危険なことをさせないから」
「そ、そうじゃなくてっ」
「ん?」
「な、なんでもないよ……んっ」
良く分からないが、先ほどまでの不安は消えている。
そう感じ取った恭弥は、フィーネのイヌミミから手を放した。
「……あれ、恭弥お兄ちゃん?」
フィーネがなにやら物足りなそうな顔をする。
しかし、いまは仕事の話をしているので、フィーネの不安が消えたのなら目的を果たした。モフモフはまた今度だと恭弥は自重する。
「恭弥様、そのような危険物ばかり使って、本当にシャンプーになるのですか?」
「配合が正しければ、な」
詳しい制作方法は分からなくても、必要なパーツはすべて揃っているのだ。後は総当たりでもなんでも、人海戦術で試せばなんとかなるはずだと恭弥は断言した。
「……たしかに、配合を調べるだけならなんとかなるかも知れませんね。ちなみに、恭弥様はまったく配合が分からないのですか?」
「一番多いのはオイルだと思う。後はどれも少量だろうな。オイルが九で、残りが一くらいじゃないかな」
「なんだ、わりと分かっているではありませんか」
「憶測だから自信はないぞ」
水酸化カリウムは強いアルカリ性なので、あまり量が多すぎると皮膚が爛れると思ったのだ。
ただ、恭弥の憶測はおおよそ正解に近い数値なので、シャンプーの試作品が完成するまでには、それほど時間は掛からないだろう。
「分かりました。憶測であることを前提に伝え、正しい配合を調べさせましょう。後は……他になにか知っておくべきことはありませんか?」
「そうだな……詳しくは知らないんだけど、水酸化カリウムと油を混ぜると、良く落ちる石鹸も作れるはずだ。これも、ついでに研究してみたら良いかもな」
「……伝えます。それで、後はリンスの作り方ですが……」
「あぁ、それはわりと簡単だ。一番単純なのは、柑橘系のエキスを水に溶かすだけだな」
「それだけ、ですか?」
「一番簡単なのは、な。ちなみに、この場合は、小麦粉シャンプーを使った場合には必要ない」
本来は酸性である頭皮の汚れをアルカリ性のシャンプーで浮かせ、酸性のリンスで髪が傷まないように酸性度を元に戻す。そんな説明をしても通じる訳がないので割愛。
恭弥は結論だけを伝えていく。
「後は、蜂蜜や上質なオイルで艶を出したり、ハーブで香り付けをしたり、好みによって選べるようにしても良いかもな。で、この場合は小麦粉シャンプーの後に使う意味もあるけど……」
「小麦粉シャンプーを大衆用として売り出すなら、高級感を出したリンスとの相性はあまりよろしくないでしょうね」
「そういうことだ。本格的なシャンプーとセットが良いんじゃないかな」
もっとも、その辺りのことは任せるけど――と恭弥は締めくくった。
「色々とありがとうございました。では、それらを工房に伝えるために、私は街に戻ります」
詳細を聞き終えたあと、エリーが立ち上がる。どうやら、その足で街まで帰るらしい。
それを察した恭弥は、エリーを玄関まで送る。
「恭弥様、この期間は私にとっても、非常に有意義な物でした」
「……もしかして、もう戻ってこないつもりか?」
言葉のジュアンスから、恭弥はそんな風に感じ取った。
「トリマーの育成もありますし、シャンプーやリンスの開発もありますから、当分は帰って来られないと思います。ですが……」
エリーがどこか熱っぽい視線を恭弥へと向けた。
「エリーさん、もしかして……」
フィーネが口にした瞬間、エリーが真っ赤になた。
「ち、違います。私は決して、恭弥様のブラッシングの虜になったとかではありません!」
なにも言っていないのに、自ら墓穴を掘っていくスタイルである。
しかし、恭弥のブラッシング――正確には最先端のブラシを使ったブラッシングに、クシで梳くくらいしか知らないイヌミミ族が虜になるのは当然だった。
もっとも、ペットにブラッシングをしてモフモフするのがごく普通の愛情表現だった恭弥には、イヌミミ少女達の心の機微は伝わっていないのだけれど。
とにもかくにも、エリーはまた来ますと告げて帰っていった。
今日の予定が思ったより早く終わったので、どうしようかと恭弥が考えていると、とん――と、フィーネが腕の中に飛び込んできた。
そうして、その愛らしい顔を、恭弥の胸にこすりつけてくる。
「……フィーネ?」
「恭弥お兄ちゃん。フィーネ、もっと……もっとモフモフして欲しい。さっき、中途半端にモフモフされたから、フィーネ……もぅ、我慢できないよ……っ」
愛らしいイヌミミ幼女にお願いされて断れるはずもなく――むしろ断るつもりなんてこれっぽっちもなくて、恭弥は夕方までのあいだ、思いっきりフィーネをモフモフした。
夕暮れ時。
恭弥はいつものように、フィーネとトリマー用の部屋を清掃していた。
「なぁ、フィーネはアリシアと幼馴染みなんだよな?」
「うん、そうだよ~。いまはアリシアお姉ちゃんが毎日狩りに行っててあんまり会えないけど、前はよく遊んでもらってたんだよ~」
フィーネが懐かしむような顔をする。
「アリシアが遊んでくれてた……か。いまのアリシアからはちょっと想像できないな」
「……どうして? アリシアお姉ちゃん、とっても優しいよ?」
「それは知ってる。けど……アリシアって、親の仇討ちに全力を注いでる感じだからさ。狩りに行くのを優先して、遊ぶなんて思えなくて……あぁでも、以前はそうじゃなかったのか」
「うん。アリシアが狩りをするようになったのはいまから二年ほど前だよ。それまでは、フィーネともよく遊んでくれたよ」
「……二年前? 三年前じゃなくてか?」
どういうことだろうと恭弥は首を傾げる。
「三年前にアリシアお姉ちゃんのお父さんが死んじゃった後、お姉ちゃんのお母さんも病気で死んじゃったの」
「……それが二年前?」
「うん。それくらい。で、お母さんが死んじゃったのは、お父さんがいなくなって無理がたたったから。魔獣のせいで、お父さんもお母さんも死んじゃったんだ――って」
「そう、か、だからあんなに必死になって仇を討とうとしてるんだな」
過去を知った恭弥は、アリシアの仇を討ちたいという思いに共感を抱いた。
もちろん、共感を抱いたからといって、その行動に賛成な訳ではないのだが……アリシアを止めるのは難しいのだろうなと思う。
「ねぇねぇ恭弥お兄ちゃん」
「うん?」
フィーネに話しかけられて現実に引き戻される。
「恭弥お兄ちゃんは、アリシアお姉ちゃんとどこで知り合ったの?」
「あぁ、アリシアと知り合ったのは森の中だ。旅の途中にうっかり迷い込んだ森で魔獣に追われて、大ピンチだったところをアリシアに助けられたんだ」
恭弥の自分の素性をフィーネなら打ち明けてもかまわないと思っている。けれど、幼いフィーネに秘密を守らせるのは可哀想だと思い、異世界云々は省くことにした。
「へぇ……そうだったんだ。それで、どうしてアリシアお姉ちゃんと住むことに?」
「行く当てがないって言ったら、この家を好きに使って良いって」
「……そっか。誰も家を使わなくなったら寂しいもんね」
フィーネがどことなく寂しげに呟いた。
「なに言ってるんだ? 俺が使わなくても、アリシアが使ってるだろ?」
「え、あっ、その……前はアリシアお姉ちゃんの家族も使ってたから、アリシアお姉ちゃん以外に使わなかったら、もったいないなぁって……っ」
「あぁ、そっか、そうだよな。ひとりぼっちは寂しいもんな」
親元を離れて一人暮らしをしていた恭弥だが、家にはいつもブランカがいた。同居人がいなくなって抱く喪失感は自分にも分かると納得する。
「……ねぇ、恭弥お兄ちゃん。アリシアお姉ちゃんは――」
フィーネが思い詰めた顔で口を開く。
けれど、その意味ありげなセリフが最後まで紡がれることはなかった。
「おい、恭弥、いるかっ! アリシアが魔獣にやられて診療所に運び込まれたっ!」
ザックのそんな声が聞こえたからだ。




