エピソード 2ー2 カエデ商会の使い
カエデ商会で働くエリーは今年で二十歳になるイヌミミ族の少女だ。
エリーは代々商人をしている家系の娘で、いわゆるエリートとしてカエデ商会に加入。一番の出世株として注目を浴びていたのだが……同期が仕事を任されて実績を重ねていくなか、エリーだけがいまだに下積みのような扱いを受けている。
おかげで、期待の声はすっかりなりをひそめ、いまでは親のコネで商会に加入できただけだと陰口をたたかれる始末。
なんとかして実績を積まなければと、エリーは焦っていた。
そんなある日、エリーは商会長であるカエデに呼び出された。もしかしたら、ついに自分にも大きな仕事を任せてもらえるのかも知れない。
そんな期待を胸に、会長の部屋を訪れた。
更にいえば、待ち受けていたカエデは上機嫌で、元から綺麗な毛並みが更に輝きを増している。本当に大きな仕事を任せてもらえるかもと、ますます期待したのだが――
「いま、なんと言ったのですか?」
「エリーはんには、とある村に出向いてもらいたい、言うたんです」
聞き間違いではないと知り、エリーは焦燥を抱いた。
「そ、それはその、村になにかを届けろと言うことでしょうか?」
「そうやありまへん。その村に滞在して、恭弥はんに協力して欲しいんです」
聞き慣れない響きの名前。エリーは頭に叩き込んでいる有力華族や貴族、それに商人の名前と照合していくが……恭弥という名前は記憶になかった。
「その……恭弥様というのは?」
「純血種の人間で、素敵なお人やよ」
「いえ、そうではなく……」
「身分のことなら、ただの村人やね」
「む、村人……」
どう考えても、重要な仕事に思えない。もしかしたら、自分は厄介払いをされようとしているのかも知れないと不安になった。
「あ、あの、その仕事は、私じゃなくてはいけないのでしょうか?」
「この仕事は、他の誰にも任されへん。うちは、期待してるんよ。エリーはんなら、今回の仕事を立派に果たしてくれるって」
もはや、揶揄されているとしか思えない。
エリーは自分の出世の道が閉ざされたのだと落胆した。
その後、恭弥に届ける手紙などを預かったエリーは商会長の部屋を後に。出立する準備をするために部屋に戻ろうとしたところで、同期の娘と出くわす。
「あーら、七光りのエリーさんじゃありませんか」
「――っ。……私になんの用?」
同期でありながら、着実に実績を重ねている娘で……エリーのことを七光りと決めつけて蔑んでいる。よりによってこんなタイミングで、嫌な奴に会ったと顔をしかめる。
「貴方が商会長に呼ばれたと伺ったので、別れの挨拶をしに来てあげたんですわ」
「……はい?」
「ついに商会を首になったのでしょ?」
「違うわよ。仕事を頼まれたのっ!」
「あら、そうでしたの。……で、どんなお仕事を?」
「それは……」
「……それは?」
「……とある村で、村人の要望に応える仕事よ」
唇を噛みながら、それでもきっぱりと言い放った。
「……ぷっ、あはっ、あははっ。なんだ、首と変わらないじゃありませんかっ。はぁ……ライバルと思った時期もありましたが、貴方もついにお終いですわね。路頭に迷ったら、私のもとにおいでなさい。見習いとしてなら雇ってあげますわ」
「うるさいわねっ。私はこの仕事をちゃんとやりとげて、また戻ってくるわよっ!」
エリーは悔しさに唇を噛みながら、その場を後にした。
エリーはその日のうちに馬車で出立し、夕方になる前に目的の村へと到着する。
エリーの暮らしていた交易の拠点となる街から馬車で一時間程度。かなり近いところにあるのだが、村の住民は近くにある森での狩りや、農作業で生計を立てている田舎。
まずは恭弥の家を探さなくてはと、エリーは前から歩いてくる女の子に声を掛けた。
「……わふ? フィーネになにかご用ですか?」
「え、えぇ、恭弥って人の家を探しているんだけど、どこか知らないかしら」
かろうじて目的を口にしながら、エリーは息を呑んだ。自分のことをフィーネと呼ぶ幼い少女が、今までに見たことのないほど綺麗だったからだ。
――どういうことかしら? ただの田舎町じゃなかったの? そういえば、カエデ様の毛並みも、なんだか綺麗になっていたけど……恭弥という人間と関係があるのかしら?
エリーはそんなことを考え始めたが、その思考はすぐに遮られた。
「恭弥お兄ちゃんの住んでいる家はあそこだけど……今日はもう、お店は終了だよ。あぁ、それとも、予約に来たのかな? それなら、いまからでも大丈夫だと思うけど」
「……お店? 予約?」
なんのことかしらと首を捻る。
「……お姉さんどうしたの?」
「な、なんでもないわ。教えてくれてありがとうね」
エリーは少女にお礼を言って、恭弥の家に向かった。
「すみませーん」
玄関に立ち、家の中に向かって呼びかける。
ほどなく家から出てきたのは、紫がかった銀髪の少女。イヌミミ族に純血種は残っていないとされているので、恐らくは先祖返りの娘だろう。
しかし、その娘の毛並みは、さきほどの娘のようにピカピカではない。毛並みが綺麗な娘と、恭弥に関連があると思ったのは気のせいかもしれない。
「えっと……なにかご用?」
「し、失礼しました。私はカエデ商会から来たエリーと申します。恭弥様に協力するようにいわれてきたのですが……」
「あぁ、恭弥ならまだトリマー室にいるよ」
「トリマー室、ですか?」
「ええ、裏から回ればすぐ分かると思う」
「分かりました」
いや、本当は分からないことだらけなのだが、ここまで来たら本人に聞くべきだろうと思い、エリーは言われたとおりに裏へと回った。
そうしてやって来た部屋、そこでは黒髪の青年が後片付けをしていた。
「貴方が恭弥様ですか?」
「そうだけど……キミは?」
「私はカエデ商会から来たエリーと申します。どうかエリーとお呼びください」
「あぁ、それじゃエリー。俺のことも恭弥で良いよ」
「いえ、私はカエデ様から貴方のお手伝いをするようにと言われているので、そういう訳には参りません」
「お手伝い?」
「詳しくは、カエデ様より預かった、この手紙に書かれているそうです」
恭弥に向かって手紙を差し出す。
「ありがとう。いま見せてもらっても?」
「もちろん、私には気にせずお読みください」
「じゃあお言葉に甘えて」
恭弥が手紙の封を破って中身を読み始める。
そんな恭弥の姿を、エリーはつぶさに観察する。
イヌミミ族における男の魅力は、狩りや力仕事に関わる身体能力のウェイトが大きいので、恭弥はそういう意味ではあまり魅力がないように見える。
しかし、商人としてのエリーは、恭弥からどこか普通とは違う雰囲気を感じ取っていた。
カエデ様が魅力的だとおっしゃっていたけど、一体何者なのかしら?
ていよく田舎に追い払われたのかと嘆いたけど……もしかしたら違うのかも。それとも、私がそう思いたいだけなのかしら?
エリーがそんなことを考えていると、恭弥が顔を上げた。
「ずいぶんと期待されてるんだな」
「……恭弥様がなにをなさっているのかは聞かされていませんが、要望に応えるようにとカエデ様より仰せつかっています」
「うん? あぁ……いや、俺じゃなくて、エリーの話だよ」
「……私、ですか?」
同期の娘に馬鹿にされたことを思い出して眉をひそめるが……よくよく考えると、初対面の恭弥に嫌味を言われるとは考えにくい。
一体どういうことだろうと首を捻る。
「確認だけど、エリーは俺に協力してくれるんだよな?」
「ええ、もちろんです。カエデ様より、そう仰せつかっていますから」
「なにをさせられるかも聞かされていないのに?」
「カエデ様に任された仕事であることには変わりありませんから」
エリーは断言して、それにこの仕事にはなにかありそうだし……と心の中で付け加えた。
それに対して、恭弥がなにやら笑みを浮かべる。
「上出来だ。せっかくだから、自分がなにの手伝いをさせられるか、体験するといい」
「……体験、ですか?」
「ああ。説明するより、体験した方が早いと思うからな」
なにやら良く分からないが、エリーはあれよあれよと椅子に座らされる。
「それじゃ、まずはイヌミミのブラッシングからな」
「ブラッシングというのは一体……ひゃうっ」
なにやら、無数の針のような物がついた物でイヌミミを撫でつけられる。最初は痛いかもと身をすくめたのだが、くすぐったくてその身を震わせた。
「んぁっ。あ、あのっ! 恭弥様、こ、これはその……女性用の風俗とか、そういう……?」
「なんでだよ。どう考えても毛並みのお手入れだろうが」
「け、毛並みのお手入れ、ですか? しかし、その……この、感覚は……んっ」
「なんか、わりと嫌悪感のある感覚らしいな」
「嫌悪感、ですか? いえ、んっ。そういう感覚とは違うの……ですがっ。ひゃうん」
ブラシから生える無数のピンが、エリーの髪のあいだを通り、頭皮を軽く撫でる。まるで無数の羽でくすぐられているような感覚にエリーは身を震わせる。
「んじゃ、次はシッポな」
「シ、シッポ――っ」
家族以外には誰にも触らせたことのないシッポをむんずと握られ、思わず悲鳴を上げそうになるけれど、これも必要なことのはずと、その悲鳴を呑み込んだ。
そして――
「~~~っ」
シッポをブラシがくすぐる感覚に唇を噛んだ。
「へぇ……ブラシがほとんど引っかからない。エリーの毛並みは最初から綺麗だな」
「んうぅ」
シッポをブラッシングされながら、毛並みが美しいと褒められる。イヌミミ族の娘にとっては大胆に迫られているも同然で、エリーは思わず顔を赤くする。
しかし、人間である恭弥にそのつもりはないはずだ。そう言い聞かせて平常心を保つ。
「はぁ……はあ、まだ……なんですか?」
「うん、ブラッシングはこれくらいで良いかな。次はシャンプーとリンスだ」
「……シャンプーとリンス、ですか?」
「石鹸みたいなもので、イヌミミやシッポを洗うと思ってくれ」
「……石鹸? 毛並みが痛みませんか?」
エリーの知る石鹸といえば、汚れは綺麗に落ちるが、使いすぎると手が荒れたりする。
ましてや、髪や毛に使用すると痛んでしまうというのが一般的。そんな物で洗うなんて大丈夫なのだろうかと不安に思った。
「痛まないように調合したものだからな。皮膚が弱い人はかぶれたりする可能性もあるけど、よほどのことがなければ毛並みが痛む心配はないぞ」
「そう……ですか。では、お願いします」
イヌミミ族の女性にとって、毛並みは外見を決める要素そのもの。決して軽々しく任せられることではないのだが、これもカエデに任された仕事のためと割り切って答えた。
「そういうことなら、さっそくシャンプー……と言いたいところだけど、石鹸みたいなもので頭やシッポを洗うことになるから、服を脱いでもらう必要があるんだよな」
「ふっ、服をですか?」
さっきから散々辱められているのに、このうえ服まで脱がされるのかと赤くなる。
「いや、分かってる。カエデじゃあるまいし、男に下着姿を晒すなんて嫌だよな。フィーネがいたら頼んだんだけど……今回はシャンプーとリンスはなしにしようか」
「なし、ですか?」
「うん。まぁ髪を洗う過程を省いたって、出来なくはないから」
肌を晒さなくて済むのならそれに越したことはない。けれど、仕事としてそれで良いのかという思いがある。なにより、さきほどの恭弥のセリフ。
「あの……カエデ様じゃあるまいしというのは、もしかして?」
「ああ、カエデな。気にしなくて良いとか言って、いきなり下着姿になったんだよ」
「さ、さすがカエデ様」
商売のためなら、その柔肌を晒すこともいとわないなんて――と、エリーは感心。自分も負けていられないと、ブランスをガバッと脱いだ。
「ちょ、今回はなしでいいって言っただろ!?」
「いいえ。仕事のためなら、恥ずかしがってなんていられません。どうか、気にせずそのシャンプーとやらをしてください」
「俺が目のやり場に困るんだけどなぁ……」
「はっ、恥ずかしくなるから、そういうことは言わないでくださいっ!」
「……理不尽だ」
下着姿になったエリーは、恭弥と共に井戸の前に移動。両手で下着を隠しながら、恭弥に頭を洗ってもらっていた。
「はぁ……たしかに、石鹸のような感じですね。でも、石鹸よりずっとずっと泡立ってる気がします。カエデ様の毛並みが綺麗になったのはこれのおかげなのですか?」
「ブラッシングと、これ。それにトリミングのおかげだな」
「トリミングというのは、毛をカットすると言うことでしょうか?」
「そういうことだ。で、俺がエリーに頼みたいのは、この技術の習得。それに、シャンプーとリンスの開発。それと各種道具の生産、だな」
「――っ」
エリーは息を呑んだ。恭弥のセリフから、自分がどれだけ重要な仕事を任されているのかに気付いたからだ。
「私、カエデ様に見限られた訳ではなかったんですね」
エリーは思わず瞳に涙を浮かべた。
「あぁ……やっぱりそんな風に誤解してたんだな」
「やっぱり……ですか?」
内心を吐露したのはいまが初めてで、それまで態度に出したつもりはなかったのだけど……とエリーは戸惑う。
「カエデさんの手紙に、エリーのことが書いてあったんだ。自分がもっとも期待している娘だから、好きなように使って欲しいって」
「期待している、ですか?」
「ああ、そう書いてあった。ただし、今回の仕事の重要性については教えてないから、もしかしたらやる気を失ってたりするかも知れない。その場合は知らせて欲しいってさ」
「そう、だったんですね……」
つまり、エリーは試されていたということ。もしこの仕事の重要性に気付かずにやる気をなくしていたら、この役割はほかの者に回されていたのだろう。
腐って諦めたりしなくて良かったという思いと、カエデの期待に応えられて嬉しいという思いでテンションがうなぎ登りに上がっていく。
エリーは恭弥の手伝いをして、カエデの期待に応えようと心に誓う。
その後、エリーは様々な知識を学ぶ過程でモフられ依存症に陥りながらも、カエデ商会にイヌミミ族トリマーの部署を設立。カエデの懐刀と呼ばれるまでにいたり、いままで馬鹿にしていた連中を見返すのだが……
それは、もう少し先の話である。




