プロローグ
R-15タグは、主人公がいたいけなイヌミミ少女をモフり倒すことへの保険です。
しばらくは毎日更新なので、よろしくお願いいたします!
恭弥が入社したのはブラック企業だった。
毎日終電間際まで働いて、働いて、働いて、家に仕事を持ち帰ってまた働いて、ようやく終わった仕事を持って出社したら、仕様が変わったとやり直しを命じられる。
愚痴なんてこぼそうものなら、お前の代わりなんていくらでもいるんだと罵られる。職を失うことを恐れて、恭弥は黙って働き続けることしか出来なかった。
そうして、恭弥は健康を害し、趣味に打ち込む時間をなくし、週末に遊ぶ友人と疎遠になり、そうして様々なモノを失い続けた。
そして、今度は――
「私の分まで幸せになってね、ご主人様」
そんな風に言ったかは分からないけど、ずっと一緒に暮らしていたワンコが死んでしまった。
ワンコと言っても、ただのペットじゃない。中型犬のワンコ――ブランカは、就職の際に親元を離れて一人暮らしを始めた恭弥にとって、唯一の家族だった。
ブラックな企業に勤めているせいで、帰ってくるのは深夜が当たり前。それでも、ブランカは文句一つ言わずに、当たり前のように玄関で出迎えてくれた。
ブランカだけが、恭弥の心の支えだったのだ。
なのに、そのブランカが病気で死んでしまった。
獣医が言うには、何ヶ月も前から予兆があり、その段階で気付いていれば簡単に治すことの出来る病気だったらしい。
つまり、恭弥が気付いていればブランカは死なずにすんだ。
恭弥が、ブランカを殺したのだ。
その事実に行き着いた恭弥は声を殺して泣いた。自分がしっかりとブランカの体調を管理することが出来ていればと後悔する。
だけど、それは不可能だ。
恭弥は早朝から深夜まで働きづめで、自分の体調管理すら出来ていなかった。そんな状況で、ブランカの体調不良に気付くことは、どうやっても出来なかっただろう。
結局のところ、ブラック企業で働き続けていたことがすべての原因だ。
その事実に、恭弥はようやく気がついた。
職を失うのが恐くて、社畜という地位に甘んじていた。けれど、そうして働く日々で、恭弥は様々なモノを失い……いや、あえて言おう。
恭弥はブラック企業に様々なモノを奪われ続けていたのだ、と。このまま働き続けていたら、これからも大切ななにかを奪われていくだろう。
それに気付いた恭弥は、上司に辞表を叩きつけた。
いままで、お前の代わりなんていくらでもいると威張り散らしていたくせに、お前に辞められたら仕事が立ちゆかなくなると、今頃になって青ざめる上司の顔が滑稽だった。
だけど、死んだブランカは帰ってこない。ブランカへの罪滅ぼしと、二度と過ちを繰り返さないために、恭弥はペットトリマーを目指すことにした。
さすがに獣医になるには貯金も時間も足りないが、ペットトリマーは毛並みのお手入れをする他に、病気を発見することも仕事に含まれているからだ。
そんな訳で、恭弥は形から入る日本人らしく、ペットトリマーになるためのガイドブックを一冊と、ハサミやブラシを一式。それにワンコ用のシャンプーやリンスを購入。
帰りの電車の中で眠ってしまって――目が覚めたら何故か森の中にいた。
「俺はなんでこんなところにいるんだ?」
夢かとも思ったが、木漏れ日の温もりや草木の匂いがリアルすぎる。なにより意識がハッキリしているし、手には先ほど購入したばかりの買い物袋がぶら下がっている。
恭弥はようやく、これは現実っぽいぞと思い始めた。
そうなると、ここはどこかという問題が発生する。
電車で眠っているあいだに、どこかの森に運ばれたというのは考えにくい。
もっとも、眠っているあいだに、転移したという可能性の方がずっと考えにくいが……なにか非現実的な現象が起きているのは間違いないと判断する。
「もしかして異世界? そんでもって、ステータスオープン! って言ったら、ウィンドウが開いたり――しちゃった!?」
自分を落ち着かせるための冗談だったのに、虚空に浮かんだウィンドウに、犬井 恭弥という名前と、ペットトリマー見習いという文字が表示されている。
ペットトリマー見習いって、まだ購入した本を読んですらいないんだけど……なんてことを思いつつ、恭弥はここが本当に異世界かも知れないと思い始める。
でもって、周囲を見回した恭弥は『あ、ホントに異世界だ』と思った。視線の先に化け物級の大きさを誇る、イノシシのような獣がいたからだ。
あんなのに襲われたら絶対殺されると恐怖を抱くが、同時にまだ気付かれていないと冷静に判断。恭弥は化け物からじりじりと後ずさっていく。
けれど、足音が聞こえたのか、はたまた匂いが届いたのか、化け物がこちらを見た。
「――っ。お、落ち着け。脅かさなければ獣はむやみに襲ってこないはずだ」
脅かしたりして敵対行動をとらなければ、動物は意味のない殺生はしない。
逆に言えば、なんらかの理由。たとえば、人間を食料としてみているなどの理由があれば襲ってくることもあるのだが――
「こっち見て、いきなり向かってくるとか勘弁してくれよ!」
獲物を見つけたとばかりに突進してくる化け物を前に、恭弥は回れ右をして逃げ出した。
食われる。捕まったら間違いなく食い殺される。
そう思って、必死に不慣れな森を走る先に、まだ幼さの残る少女がたたずんでいた。
「そこにいたら危ないぞっ」
余裕なく叫んで、少女を巻き込まないように方向転換しようとした瞬間、恭弥は接近してきた少女に引き倒された。
「いってぇっ。なにを――」
「――動かないでっ!」
少女特有の高い、それでいて鋭い声が響く。
直後、少女は地を這うように化け物へと接近。身を翻し、左右の太ももに吊した鞘から短剣を引き抜きざまに――振るう!
木漏れ日を受けた刃が、無数の光の軌跡を描き出した。その光のすべてが化け物を切り裂いていく。そのあまりの美しさに、恭弥は呼吸も忘れて魅入られる。
それからほどなく、化け物は咆哮を上げ……やがて、ドシンと倒れ伏した。
「……大丈夫?」
呆気にとられる恭弥に、気遣うような声が振って下りる。慌てて顔を上げた恭弥は、ここで初めて少女をまともに見て息を呑んだ。
深く吸い込まれそうな青い瞳。ちょっぴり飛び出した犬歯がトレードマーク。幼さを残しつつも、鋭い目つきの少女は紫がかった銀髪で――イヌミミとシッポがあった。
間違いない。
ブランカが人型になれば間違いなくこんな姿だと、恭弥は確信をもって少女に抱きつく。
2
「ちょ、な、なにっ!?」
「ブランカ、人間になったのか?」
「は? え? ブランカ? 誰?」
「まさか、異世界転生したのか!? そして俺を呼んだのか!?」
「え、いや、意味が分からないんだけど!? って言うか、なに抱きついてるのよ!?」
「というか、そのイヌミミやシッポは本物――おぉ、ピクッて動いた! 本物だっ、本物のイヌミミやシッポだっ! すげぇ!」
恭弥は少女のイヌミミやシッポを撫で回す。
「んひゃぁっ! ちょっと、ふぁっ、な、なにを――んぅっ」
「モフモフ、モフモフだっ!」
「んくっ、だ、だからっ! あ、貴方、人の話を、ひゃうっ!」
「あれ、でも、ちょっとゴワゴワしてるような? お手入れ不足か?」
恭弥は少女の毛並みを確かめるようにイヌミミをモフり続ける。
それに伴い、少女の顔がどんどん赤くなってゆき――
「~~~っ。人の話を聞けっていってるのよっ、この変態っ!」
恭弥は少女に殴られて気絶した。
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