世界観解説
予告通り解説編です。
メタい視点からの解説なので、あまり世界観に興味がない人はスルーしてください。
色々変な知識を聞きかじって採用しているところが多いので、それは違うんじゃない?と思ったらツッコミを入れていただいてもかまいません。変な齟齬が出たら、あとで設定を変えることがあるかもしれません。
本編は夜には投稿したいです(まだできていない)。
○下位魔術とは?
一般的に考えられるファンタジーの属性にもとづいた魔術。火、水、氷、風、土、木、雷、光、闇とある。
これらの属性は、主に魔術という法則を世界に創造した何者かが考え、作り出した。故に世界を構成する何らかの要素を厳密に反映したものではなく、その何者かのイメージに沿って下位魔術の属性が存在する。
そもそも下位魔術そのものは魔術概念に基づいた一種の法則であり、イメージとしては、属性は剣そのものである…といったものが分かりやすいかと思われる。火の属性は剣、水の属性は槍、氷の属性は弓など、下位魔術はそういった武器を上手に扱う技術のようなものであり、魔力は体を動かすエネルギーに置き換えられる。
○上位魔術とは?
下位魔術と違って、属性ではなく事象に基づいている発動されるのが上位魔術。発動プロセスが、魔術を作った何者かが作った属性に基づかない魔術なので、難易度が高い。そもそも下位魔術における属性は、魔術の発動に関して補助輪的な効果を持つものであり、魔術の発動のプロセスの多くが属性によって補われている。つまり、属性を基にすると使う魔術式が非常に少なくなり、素早く簡単に発動できる。逆に、上位魔術の発動は魔術式が多く、発動に時間がかかり、なおかつ制御に手間がかかる。
上位魔術の一番の利点は、魔力の変換効率の差異である。例えば【燃焼】の上位魔術と、火の下位魔術で炎を発生させる場合、上位魔術の方が遙かに少ない魔力で同じ現象を発生させることができる。それの理由としては、上位魔術の成り立ちそのものにある。
上位魔術は属性ではなく事象に基づいて発動される。そしてそれは人々の持つ集合的無意識やアカシックレコードに接続し、人々や世界が記録してきた事象に基づくイデアの影を捉え、その影を媒介して真正の概念であるイデアの力を引き出す。それを世界の演算システムや世界の物理法則を通して世界に顕現させるのが上位魔術。イデアからその力の一端を引き出しているので、その強さは折り紙付きである。
○世界の演算システムとは?
この世界は一つのコンピューターシステムの上に成り立つという考え。つまり、現実はゲームのようなものであり、そしてそれを起動するゲーム機があり、それを世界の演算システムとするという捉え方。
この小説の世界観はそのように構成されている。そして魔力は同時に法則を機能させる力であり、その成り立ちについては後述する。
科学によって世界には法則があるということを明らかにした。万有引力の法則、相対性理論。そういった法則が明らかにされてなお、いかに偉大な科学者でもなぜそういった法則が存在するのか解明することができていない。法則とはどういったものなのか。この世界においては、それはゲーム機に設定されたプログラムのようなものである。つまり、万有引力等の法則は世界の演算システムに設定されたプログラムなのである。
○イデアとは?
プラトンの洞窟の比喩の考え方を導入し、その世界における真理のようなものという設定。洞窟の比喩とは、我々が見ている様々なものは、暗い洞窟の中で、火によって照らされた何らかの影のようなものといったことが説明されている。つまり、我々が見ているものは真なるものではない、イデアというものの影でしかないのだと考え方。
例えるなら、日本刀で竹を切ったとして、物質的に見ては日本刀が竹を半分に隔てたという観測結果になるが、イデア論的な見方に変えると、「切断のイデア」の影が世界に表出したとも捉えられる。
作中におけるイデアをものすごく端的に捉えると、クッソ強い絶対的な事象である。深淵魔法や超越スキルはこういったイデアと関連を持っており、それ故に滅茶苦茶強いという設定なのである。
○集合的無意識とは?
すごくざっくり言うと、人類の無意識は繋がっているのではないか、そういった考え。例えば世界各地の文化的交流がないはずなのに神話がどこか似たようなものになったり、心理学者が色々と研究をする内に、よく分からない事象があり、そういったことを説明しようとしたりした際にひねり出された考え方でもある。
そもそも繋がっているというより、人類という種族がもとから持っている特性、原型的なイメージを持つといったもので、心が現在進行形で繋がっているという捉え方ではない。はっきり言って、心理学者のユングが唱えた説とは少し違った解釈をこの小説の世界観に導入している。
この小説の世界観における集合的無意識とは、人類は無意識のさらに深い領域で繋がりを持っており、そしてその領域には人類が歴史的に蓄積してきた想いやイデアへの扉があるという考え方である。
なぜこんな世界観にしたかというと、主に深淵魔法の設定やチラッと存在の片鱗を見せた人類意志の強さの秘密などに関わってくるが、それらは本編のそれなりに重要な場面で今後関わってくる予定なので、現状での解説はしないでおく。
○アカシックレコードとは?
これに関しては、概ね神智学などで言われているアカシックレコードそのものであり、世界で起こっている全ての事象を記録した図書館的な捉え方と見て良い。
しかしながら、若干本家と違うのは未来の情報が含まれていないこと。この世界には定められた運命といったものが存在しないし、あったとしても深淵魔法クラスの出来事だとそれが変動し得るものなので、正しい情報を記録するアカシックレコードには未来の情報が存在することが許されない。
そもそもこの世界ではまず基本的に過去の世界というものが存在せず、過去へのタイムスリップは成立しない。過去へタイムスリップしたのなら、それは過去の世界に似せて再構成された全く別物の世界であろう。
といっても、相対性理論からして時間の流れが速さによって変動するということはあるので、未来方向に限って一方通行だがタイムスリップはできるし、それこそ世界の情報そのものを再構築できる力があれば、擬似的なタイムスリップ、過去改変は成立しえる。
○この世界における平行世界の観念について
量子論における世界の解釈をどのようにするかまだ作者が構想中なので、現状はなんとも言えないが、概ね存在するという方向で行くように考えている。
○武術と魔術の戦闘方法の違いについて
魔術に関しては作中で何度も見ているのであまりイメージが湧かないということはないだろうが、卓越した武術使いの戦闘方法に関しては作中での掘り下げが浅く、イメージがしづらいと想うので、少し補足説明をしておく。
武術での戦闘は、ぶっちゃけるとドラゴンボールみたいなもの。魔術師が色々と工夫をして戦うのなら、武術使いは概ね清々しいほどのごり押しスタイルが多い。その強みは主に力強い、素早い、頑丈に終始する。
上位魔術で主人公が使うような《反射》の魔術を習得していれば、物理一辺倒な武術使いは鎧袖一触のように思えるが、同レベルの魔術師と武術使いが戦闘した場合、魔術の発動に時間がかかるので、素早く攻撃されると魔術の発動が間に合わない可能性がある。つまり、平地でよーいどんで戦った場合は実は武術使いの方が少し有利だったりする。
上位魔術は一見反則に近い便利技のように思えるが、それにもやはり限界はある。《反射》の上位魔術にしても、魔力量に見合わない攻撃を反射することはできない。強い攻撃を反射しようとすればするほど、魔力消費や術式の制御に労力が割かれる。イメージ例を挙げるなら、アクセラレータはゴジータに殴られたら反射できないのである。あくまでイメージであるが。
根本的にこの世界において絶対的な能力というのは存在せず、例えば本編ではかなり忘れられている《魅力》の上位魔術だって、魔術に使う魔力より遙かに高い氣を持つ者や魔のステータスを保持するものには通用しない。それはさながらドリブルが得意なサッカー選手が鋼鉄のボールでも同じように華麗なドリブルを披露することができないように、上位の者には上位の能力、エネルギーで対抗する必要がある。
○魔力と氣
魔力とは何か。前述しているように、法則を機能させる世界的なエネルギーであり、一種の超次元エネルギー。いわゆるこの小説の世界がゲームのように機能しているというのなら、魔力はそのゲーム機を動かす電気である。そして主人公の覚醒スキルである【等覺・星辰へ繋がる炉心】は、イメージをするならゲーム機の電源のコンセントもしくはバッテリーに接続し、そこから電気を引き出しているようなものである。
氣は色々な作品からイメージできる、生命エネルギーそのものである。ぶっちゃけるとドラゴンボール的なやつだと単純に思ってもらってもいい。現状において主人公の氣の習熟は全くもって進展していないし、そういった展望はダイス次第とはいえ、そこまで深掘りする予定はないのである。
○スキルについて
スキルというのは魂や肉体をより高次なものに近づける付加的な力であり、下位⇒上位⇒覚醒⇒超越と階級がある。
下位のスキルはただ本人の肉体や魂に何らかの力を付加するだけだが、上位になると少し人間離れした容貌や魂に変化するようになり、覚醒スキルになると魔法や想顕武術と同等の何らかの力が付与される。そしてそれは何らかの高次な存在の権能の片鱗でもあり、超越というものにつながる爪痕を残している。
超越スキルになると、もはや信仰されてきた神々のイデアをその身に下ろし、合一化する。そしてその際の神々は神話や宗教に出てくる神であるが、それらはこの世界観においては実在しない。信仰から成り立つ、きっと凄いんだろうな。そう思われてきた存在に対する人々の想いの力等を活用し、空想上の存在の殻を纏う。それが超越スキルの本質である。
覚醒スキルにおける【等覺】という言葉は、説明を二つに分けるが、まず等覺は仏教における悟りのレベルを示している。仏教において悟りの深さには52のレベルがあり、等覺はその51レベの段階を示している。なぜその言葉を採用したかというと、52レベの悟りが妙覚といい、いわゆる釈迦レベルの最高の悟りで、等覺はそれに等しいけどまだちょっと足りない。そういったニュアンスを持って、等覺という言葉を採用した。なお、実際は等覚と書く。等覺は格好良さを求めて、わざわざ難しい漢字にしたのである。
エンライティンは、英語で啓発する、悟るといった意味。つまり、そのままの意味である。
超越スキルにおける【超越】とは、超越はともかく、ファナーウについて解説すると、イスラム教神秘主義における、神との合一という意味。神秘主義、スーフィズムは踊ったり修行したりして神との一体感を求める宗教なのだが、その神と一体化しているという到達点をファナーウと呼んでいる。超越スキルそのものが神との一体化というニュアンスが強いものなので、この言葉を採用した。
覚醒スキルで仏教用語、超越スキルでイスラム用語というのは整合性が感じられないが、これ以上格好良い言葉を思いつかなかったのでそのまま採用した。




