事件の真相(2)
いつしか彩那も眠りに落ちてしまった。
前日からの寝不足と休む暇もなく一日中駆け回っていた疲れが、身体にきたのかもしれない。
誰かに肩を揺すられて目が覚めた。
寝ぼけ眼で顔を上げると、そこには菅原刑事が立っていた。
知らぬ間にTシャツの上から、背広の上着が掛けられていた。それは里沙の父親のものであった。
菅原は南美丘に一千万円を返却した。現金が無事返ってきたことに何度も頭を下げた。そこには大企業の会長の威厳は微塵も感じられなかった。
「彩那、もう時間ですよ」
突然フィオナの声がした。
「ええっ、もう?」
「最終便で東京へ帰らねばなりません。明日から学校ですから」
「そうよね」
分かってはいたが、どこか寂しい気分になった。
「里沙とお別れしなさい」
「はい」
父親が娘を起こした。
里沙は周りの慌ただしい様子から全てを悟ったようだった。
「もう東京に帰るの?」
「うん、明日から普通の女子高生に戻るから」
二人は黙ったまま見つめ合った。
「もう櫻谷には来ないの?」
「ええ、私には元の生活が待ってる。でも里沙のことは絶対忘れないから」
里沙は大きな瞳を潤ませた。
「私、あなたの学校に転校する」
「何、バカなこと言っているの? 櫻谷女学院は素敵な学校よ。これからはクラスメートと仲良くすること。もちろん家族ともね。何か不満があるなら、我慢しないで自分から働きかければいいのよ。そして居心地のよい場所に変えていけばいい」
彼女は黙って聞いていた。それから白い手を伸ばした。
彩那はその手をしっかり握った。
「そろそろ行かなきゃ」
「うん、元気でね。私、いつまでもあなたのこと忘れない」
彩那は大きく頷くと、手をほどいて背を向けた。涙を見せたくはなかった。
そのまま病室を出た。
南美丘が見送りに玄関の外までついて来た。
一礼して菅原の車に乗り込もうとすると、
「彩那さん、無理は承知ですが、この先、櫻谷女学院に通うことはできませんか?」
と言った。
「ぜひ、娘の傍に居てやってほしいのです」
「いえいえ、それはできません」
父親はひどく残念そうな顔をした。
「当然そうでしょうね。すみませんでした。変なことを言って」
「いいえ。でも里沙さんは、私なんかいなくてもきっとやっていけます。大丈夫ですよ、心配は要りません」
父親は黙っていた。
菅原の車は病院を出ると、千歳空港まで向かった。向こうで龍哉が待っているという。
「結局、花島さんとは会えずじまいでしたけど、大丈夫でしょうか?」
「先程、手術は終了したそうです。生死の境をさまよったらしいですが、何とか生き延びることができました。恋人の分までしっかり生きてもらいたいですね」
それから助手席にあった新聞を寄越した。
「号外が出たんですよ」
彩那はルームランプを点けて、新聞に目を落とした。
国会で無様に抱えられる国能生実伴が大きく載っていた。記事には不正発注の疑惑が濃厚になったとある。地検特捜部が動き出したと締め括ってあった。
偽装殺人の容疑については何も記載がなかった。それはこれからの捜査で追求されることになるだろう。
しかし不思議なことに、どれだけ目を凝らしても、花島が国能生実伴を脅迫したという記事は見当たらなかった。
菅原にそれを質すと、
「秘書がうまく隠蔽したのでしょうね。花島に脅されて暴露したというより、自責の念に堪えかねて自ら潔く告白したとでは裁判での心証も異なってくるでしょうから」
「なるほど」
事件の解明は始まったばかりである。この知らせを知ったところで、花島は心から喜ぶことはないだろう。それにはまだ時間が掛かりそうだった。しかし彩那はこの事件の行方を最後まで見届けようと思った。
夜の千歳空港に到着した。オレンジ色の明かりの中にターミナルビルがぼんやり浮かび上がっている。
車を降りると龍哉が待っていた。
菅原は、花島の容体が気になるようで、すぐに病院へ戻っていった。意識が回復したら、彼女から聞くべき事は山ほどあるという。
彩那もこのまま残って、彼女と話がしたかった。しかしいざ本人を目の前にしたら、何も声を掛けてあげられないような気がする。
彼女は恋人を心から愛していたのだ。それは今も変わらないだろう。そんな彼女にはどんな言葉も無力に思えるのだ。
でも一つだけ言えることがあるとすれば、真相はきっと白日の下にさらされることになるから、それまで辛抱強く待っていてほしいということだった。
彩那はそんな気持ちを胸に北海道を発った。
東京行きの最終便は満席だった。龍哉と並んで座った。熊のTシャツ姿は、いかにも北海道帰りといった感じで恥ずかしかった。
「それにしても、最初に花島さんが怪しいと睨んだのは、お母さんだったのよね?」
「そうですよ」
早速、梨穂子が自慢げに入ってきた。
「一番頼りにならないと思っていたお母さんが、一番の功労者だったということね」
「まあ、ひどい」
「どうして花島さんに目をつけたの?」
梨穂子は饒舌に語り出した。
「二日目の洞爺湖SAでの、彼女の行動に違和感を抱いたからです。里沙の身代わりとなって犯人の連絡を待っていたら、トイレで爆発騒ぎがあったでしょ。あの時、彼女はあまりにも落ち着き払っていました。
最初からそうなることが分かっていたかのようにです。それは彼女がトイレの個室でアヤちゃんと制服を交換した時に、自分で仕掛けたものだったからですよ。元々制服を交換する話を持ち掛けたのは、花島でしたからね。
あの時、発火装置を個室にセットしたのです。水洗タンクの中にアルミ缶を浮かべて、長い導火線に火を放ったと考えられます。
もう一点、犯人から貰ったというメモです。菅原さんが近くで張り込んでいたというのに、受け取った瞬間を見ていない。彼ほどのプロが見落とす筈がありません。最初から自分で用意していた物なら納得がいきます」
「車のナンバーはデタラメだったとして、彼女はその後どうやってSAを立ち去れたの?」
それには奏絵が口を挟んだ。
「たぶん、ここだけは共犯者がいると思うわ。おそらく当人は犯罪の片棒を担がされたことに気づいてないと思うけど」
「どういうこと?」
「いつもあの時刻に休憩を取る長距離トラックを事前に調べておくのよ。それで当日、旅行中の学生だがバスに乗り遅れてしまったので小樽まで送ってくれないかと頼むの。ここで制服に着替えたことが大いに役立つわ。もしかしたら運転手にはお金を握らせたかもしれないけどね」
「でもそれ以外は全て彼女一人の仕業だなんて、とても信じられないわ。だって、彼女は実際に誘拐されていたのよ。誰か共犯がいない限り無理じゃない?」
「正確なところは回復を待って花島の口から聞くことになりますが、おそらく共犯はいないでしょう。全ては彼女の自作自演だったのです」
フィオナが断言した。
「それじゃあ、鞄の中身がナイフと時限爆弾にすり替わっていたのは?」
彩那は不満そうに訊いた。
それには奏絵が答えた。
「千歳レジャーランドに着いた時、バスの車体の下に犯人からの指示書があったでしょ。もちろんそれは彼女が用意したものだけど、彩那がそれを取り外しに中に潜った時、鞄の中の麻袋を2つだけ取り替えたのだと思うわ」
そんな話を聞けば聞くほど、彩那には疑問が湧いてきた。そこまで花島美乃華を駆り立てた原動力は一体何であろうか。
フィオナは続けて、
「彼女の周りには、犯罪に手を貸してくれるような人はいませんでした。それに恋人の私怨ということもあって、誰にも頼むことはできなかったと思います。彼女は責任感の強い人間ですから、誰の手も汚すことなく、自分一人でやり遂げようと考えたに違いありません。
そこで警察の力を借りることにしたのです。誘拐事件を解決する立場にある警察ならば、一般人よりも着実にシナリオをこなせると踏んだのでしょう。実際彩那は花島の指定した通りに動きました。国能生澪だけではそうは行かなかったでしょう。
もちろん実伴が娘に用心棒をつけてくることは織り込み済みだったと思います。彼らには時に警察をぶつけて仕事をやりにくくしたり、偽情報を与えて操ったりした訳です。
調べたところ、花島は一年前も櫻谷女学院の修学旅行を受け持っていました。今年も同じように仕事をもらって名簿を見ると、国能生実伴の娘が載っていた。
それは単なる偶然だったのですが、彼女にとってはまるで違って見えたことでしょう。恋人の復讐をするおあつらえ向きの舞台を、神様が用意してくれたと考えてもおかしくはない。何としてもこの機会を生かそうと彼女は考えた。
聞けば、同僚に頼み込んで澪のクラス担当になったらしいです」
彩那には言葉もなかった。
花島に鬼気迫るものを感じた。それほど恋人を愛していたということだろう。彩那をはじめ、警察は彼女が書いたシナリオ通りに動かされていたのだ。
「どうして、もっと早く教えてくれなかったの?」
彩那は不満を口にした。
「だってアヤちゃんったら、花島さんのことを信じて疑わなかったでしょ。そこへ余計な情報を与えては、テンションも下がるんじゃないかって心配したのよ。だからしばらく秘密にしておいたの」
「じゃあ、フィオも奏絵もみんな知っていたわけ?」
「そういうことです」
フィオナが答えた。
「でも、今回はお母さんのこと、見直しちゃった」
彩那は素直に褒めた。
「そうでしょう」
母親の得意げな顔が目に浮かぶ。
「彩那、もっとお母さんを尊敬しなさい。梨穂子は毎日通信指令室で都民の110通報を受けているプロです。相手の表情は見えなくても、会話の裏に隠された真意を見抜くのはお手の物です」
「はい、ちょっとだけ見直しました」
「ちょっとだけって、アヤちゃん」
母親はそこから反撃に転じた。
「そう言えば、櫻谷女学院の制服をボロボロにした人は誰でしたっけ?」
「うっ、そう来るか」
「弁償金は、アヤちゃんのお小遣いで24回払いにしておきます」
「そんなあ」
彩那は情けない声を出した。
「あとそれから、警視庁の装備品を一点破壊しましたので、そちらも忘れずに引いておいてください」
フィオナがすかさず事務的に言った。
捜査班全員が一斉に笑った。




