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修学旅行3日目 千歳レジャーランド(7)

 里沙は身体が自由になったというのに、相変わらずぐったりとしていた。

 何度も逃げ出そうとしたのか、両手首に紐が食い込んで血が滲んでいた。その跡は痛々しかった。

 彩那は両手で抱きかかえると、入場ゲートに向かって走り出した。

「ちょっと、どこへ連れていくのよ?」

 咲恵がすぐに追い掛けてくる。

「水よ、水が必要なの」

 里沙の身体からは異常な熱気が伝わってくる。悠長に救急車を待ってはいられなかった。応急処置をしなければならない。

 入場ゲートは中に入れない客で溢れていた。園内が停電しているため、入場を制限しているのだ。

「怪我人です。道を空けてください」

 係員の静止を振り切ってゲートを突破した。

 広い通路の真ん中に噴水が見える。今は電力を失って、ただの池と化していた。

 彩那は何の迷いもなく、そのまま飛び込んだ。

 友人の背中を水に浸した。それから手に水をすくって、口元から少しずつ流し込んだ。

「里沙、お願いだから死なないで」

 最初は無反応だった彼女も、やがて陸に上がった魚のように口を動かし始めた。

 遠くからサイレンを鳴らして救急車が近づいてきた。咲恵が大きく手を振って合図をすると、すぐ真横に停車した。

 救急隊員二人が降りてきて、一体何事かと顔を見合わせたが、それでも状況を理解したのか、噴水の縁に足を掛けて手を伸ばした。

 彩那はずぶ濡れになった里沙を抱え直して、そのまま彼らに引き渡した。

「助かるでしょうか?」

 思わず尋ねた。

「連絡では熱中症の可能性があると聞いていますが、大丈夫、助かりますよ」

 隊員は力強く答えた。

 ストレッチャーが押し込まれると、救急車は再びサイレンを鳴らして走り出した。それをいつまでも見守っていた。

(神様、どうか里沙を助けてください)

 目をつぶって念じた。

 彩那はぽつりと噴水の中に取り残されていた。

 里紗は誘拐されてどこか遠くへ連れ去られたとばかり思っていたが、その実、バスの下でみんなの傍に居たということか。そんなことをふと考えた。

 濡れた制服の胸辺りに先程とは違う感覚があった。

 何かと思って手を突っ込むと、変形した麻袋から濁った水が垂れていた。袋を開いてみると、乾電池や時計がばらばらとこぼれた。不思議なことにダイナマイトは原形を留めていなかった。どうやら水を吸って溶け出したのだ。やはり時限発火装置は偽物だった。

 突然、園内に音楽が戻ってきた。それは遊園地が息を吹き返した瞬間だった。あちこちでアトラクションが動き出し、歓声が上がった。電力が回復したのだ。

 噴水も思い出したかのように急に仕事を始めた。吹き出した水が顔を打った。

 咲恵が手を差し伸べた。

「あんたのこと、見直したわ」

 その手に引っ張られるようにして、噴水から上がった。

 それからスカートの裾をぎゅっと絞った。

「あなたもね」

 二人は見つめ合って笑った。

「彩那、まだ事件は終わっていません」

 フィオナの声が入った。

「花島をナイフで刺した犯人が園内に潜んでいます。逃げ場を失って、一般客を襲う危険があります。菅原と協力して探し出しなさい」

「何だ、そんなの簡単じゃない。私にいい考えがあるわ」

 咲恵の方を向いて、

「ねえ、ちょっと手を貸してくれない?」

 まるでいたずらっ子の目をして言った。


 園内の電力が回復したおかげで、眠っていた乗り物が再び目を覚ました。乗客を乗せて次々と帰還を始めている。

 二人は大観覧車の真下までやって来た。

 ゴンドラが一つ、またひとつと地上に到着する度に、乗客は逃げ出すように外へ出て、歓喜の声を上げている。中には抱き合う親子、大泣きする子どもの姿が見られた。

 まもなく澪の乗ったゴンドラも降りてくる。鍵が掛かっていないため、ドアが開いたり閉じたりして一際目立っていた。

「それじゃあ、咲恵。打ち合わせ通りにやってよ」

「分かったわ」

 ついに澪の番がやって来た。係員にドアを開けてもらうまでもなく、自ら飛び出してきた。余程地上が恋しかったと見える。

 それを合図に咲恵が金切り声を上げた。

「誰か、助けて! 澪が危ない!」

 その声は中央広場の隅々まで届くほどだった。

 彩那はナイフを取り出すと、空高く掲げて駆けていった。

「あんたなんか、殺してやる!」

 予期せぬ出来事に澪の顔は凍りついた。

 次の瞬間、花壇の陰から人影が現れたかと思うと、彩那に体当たりをしてきた。

 その衝撃で倒れそうになったが、何とか踏ん張った。

(やっぱり現れたわね)

 予想通りの展開に、彩那は満足げな表情を浮かべた。

 今、目の前に居るのはサングラスの角刈りだった。国能生実伴が娘を守るために送り込んだ用心棒の一人である。彩那が花島の仲間だと思い込んで、澪を助けに出てきたのだ。とすれば、先程彼女を襲ったのはこの暴力団員に違いない。

 ひょっとすると、恋人を事故に見せ掛けて殺したのも、この男の仕業なのかもしれない。

 彩那は拳に力を込めた。

「また会ったわね」

 そう言って、心を落ち着かせた。

 一度は戦った相手である。今度は負ける訳にはいかない。

 二人は花壇に囲まれた広場の中央で睨み合った。異変に気づいた人々が足を止め、遠巻きに見守っている。

「花島さんを刺したのはあなたね? 人にナイフを向けるなんて最低よ」

 持っていたナイフの刃先を男の顔に向けた。

「そう言う彩那も同じことしてない?」

「アヤちゃん、矛盾してる、矛盾」

 奏絵と梨穂子が声を重ねた。

「もう、二人はどっちの味方なのよ?」

 ナイフは遠くの花壇に向かって投げた。

「こんな物騒な物、私には要らないわ。素手で十分よ」

 男が不敵な笑みを浮かべた。

「この俺とサシで勝負するっていうのかい?」

「ええ、みんなの敵をとってやる。覚悟しなさい」

 男はサングラスを空に投げ捨てた。

 それが試合開始の合図とばかりに、二人は間合いを詰めた。男は例によってボクシングのジャブを絶え間なく繰り出してくる。

 しかしその動きは見切っていた。相手の足の動きを見ていれば、踏み込みの変化でパンチを打つタイミングが分かる。

 ずぶ濡れになった制服が身体のキレを鈍くさせた。それでも自慢の足を武器に全てをかわした。

 しかし男もタイミングを外して右フックを出してきた。

 避けるのが遅れて、あごをかすめた。まともに食らっていたら危なかった。

「彩那、しっかり!」

 咲恵の声が飛んだ。

 それに触発されたのか、人垣の中から、

「頑張れ」

 という声援が起こった。

「うどん、負けるな」

 そんな声も背中に受けた。

「アヤナ、アヤナ」

 いつしかクラスメートの手拍子が鳴り響いていた。それが勇気を与えてくれた。

 繰り出されるパンチのわずかな隙に、片足を滑り込ませた。そして一気に相手の足を払って巻き込みながら倒した。

 ボクシングスタイルでは勝ち目はない。ここは柔道技に賭けるしかない。

 素早く横に体勢をとり、スカートから伸びた両足で相手の腕を挟みつけた。肘を逆方向に伸ばす関節技、腕ひしぎ十字固めをお見舞いした。

「痛てえ」

 男は悲痛な声を漏らした。

 どうやら勝負はついたようだった。人々から拍手が沸き起こった。

「菅原、殺人未遂容疑で逮捕しなさい」

 フィオナが指示を出すと、すぐに本物の刑事が飛び出してきた。

 彩那の脇を抱えてそっと立たせた。それから自分の体重を乗せて相手を動けなくすると、後ろ手にして手錠を打った。

 龍哉もすぐ隣に来ていた。兄妹は互いに見つめ合った。

「3時17分、事件の関係者全員の身柄を確保。お疲れさまでした」

 フィオナの声が遊園地の青空に響き渡った。


 すぐに咲恵が駆け寄ってきた。

「倉沢さん、あなたは一体……?」

 不思議でならないという表情だった。

「実は私、警視庁から派遣されてきたの」

「じゃあ、里沙のことを?」

「そう、修学旅行中ずっと守っていたのよ」

「ごめんなさい。そんなこと知らずに、私、あなたに酷いことばかり言って」

 咲恵はすがるようにして泣き出した。

「そんなこと、別に気にしてないのに」

 ゴンドラの陰に身を潜めていた澪も、いつの間にか横に立っていた。彼女は咲恵を抱くようにして、彩那から引き剥がした。

「国能生さん、さっきは驚かせてごめんなさい。犯人をおびき出すための芝居だったの。許してね」

「あなたが本当に襲う筈ないと分かっていたから、全然怖くはなかったわ」

 澪は強がって見せた。

「ねえ、南美丘さんが誘拐されたのは、結局私の父のせいなの?」

 聡明な澪には、大方見当がついているようだった。

「詳しいことはまだ分からないけどね」

 ある意味、それは彩那の本音と言ってもよかった。何一つこの事件のことが理解できていないのだ。

「ごめん。私、これから里沙のところへ行かなきゃ」

「ちょっと待ってよ」

 澪がすかさず腕を掴んだ。

「ここであなたとはお別れなの?」

「たぶん、そうだと思う」

 それを聞いた途端、咲恵の頬には涙が伝った。一方、澪は表情一つ変えないよう堪えていた。

「分かった。いろいろとありがとう。元気でね」

「お二人も。それから里沙のこと、よろしく頼むわね」

 突然クラスメートとの別れがやって来てしまった。もうこれ以上、二人の顔を見ていられなかった。じっと涙をこらえた。

 彩那は背中を向けると、

「フィオ?」

「入場ゲート前にタクシーを待たせてあります。それに乗って、千歳中央病院に行きなさい」

 指令長はすでに手配をしてくれていた。

 タクシーに乗り込もうとして、彩那は固まった。制服がびしょ濡れだったことを思い出したのだ。運転手にそれを伝えると、読んでいた新聞紙を後部座席に広げてくれた。

 彩那は礼を言うと、シートに身を沈めた。

 しかし身体は休まらなかった。事件が解決したようには感じられないからである。彩那にとっては分からないことだらけであった。

「果たしてその格好で病院に入れてもらえるでしょうか?」

 フィオナが心配そうに言った。

 確かに水に濡れた制服は土埃を吸って薄汚れている。しかも腕の付け根部分がほつれて、ボタンも一つなくなっていた。

「彩那、たとえ拘束されても警備員は倒しちゃだめよ」

「アヤちゃん、レンタルなんだから、それ以上器物損壊しないでね」

 また二人の余計な声。

 仕方なく上着を脱いで、熊の図柄のTシャツ一枚になった。これなら咎められることもないだろう。

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