修学旅行3日目 千歳レジャーランド(3)
二人の女子生徒は、停止したゴンドラで顔を見合わせていた。
「ねえ、これから一体何が始まるっていうの?」
澪の端正な顔も、今は恐怖のあまり引きつっている。
「大丈夫よ。心配しないで」
彩那は彼女の手を握りしめた。
「今、管理事務所で事情を聞きました」
菅原刑事の声が蘇った。
「つい先程、何者かが電話でレジャーランドの爆破予告をしてきたそうです。園内のどこかで、電力がある一定量を超えると爆発するというのです。それで一度施設全体の電気を止めて、専門の業者を呼んだそうです」
「それで、犯人の要求は?」
フィオナは先を急がせた。
「30分したらまた連絡すると言って、一方的に切れたそうです」
「恐らくもう電話は掛かってこないでしょう」
「何故ですか?」
彩那も心の中で、同じ質問をしていた。
「何とも嘘くさい話だからです」
「と、言いますと?」
「犯人にどれほど爆弾の知識があるか知りませんが、これまで正常に電気が流れていた所に、過電流で起動する爆弾を設置するのは容易ではないからです。それこそ大掛かりな電気工事が必要になります。園内でそんな工事は行われていなかったのでしょう?」
「はい、そんな話は聞いていません」
「専門家が来れば、すぐに嘘だと見破られます。ですから犯人は空白の30分間を使って何かをすると考えられるのです」
「なるほど、犯人にとっては短時間の勝負になるということですね」
菅原刑事も納得した。
「それから、応対した係員の証言では、電話の向こうにジェットコースターの走行音が聞こえたというのです」
「ジェットコースター?」
フィオナは紙をめくって、何かを確認しているようだった。
「彩那、観覧車の横にはジェットコースターが走っていますね?」
「はい」
ガラスを通して蛇のようにくねったレールが見える。
「犯人は観覧車の近くから脅迫電話を掛けてきた。すなわち、ゴンドラを見ながら意図的にその位置に止めたということです。彩那、ゆっくりと顔を動かして、周りを見なさい」
言われた通りにすると、特殊眼鏡が駆動音とともに勝手にズームを始めた。フィオナが遠隔操作しているのだ。
「止まって」
突然の声に彩那は息を止めた。
視界が最大限にズームされて、レストハウスが大写しになった。
「フィオ、どうかしたの?」
「そのまま動かないで」
しばらく黙っていたが、
「柱にビデオカメラが固定してありますね。こちらを向いているようです」
それからゴンドラの真下に立っている龍哉を呼び出した。
「目立たないように移動して、レストハウスの裏側で待機しなさい」
「了解」
「彩那はカメラを意識せずに、自然にしていなさい」
「はい」
「アヤちゃん」
突然、梨穂子が入ってきた。
「お母さん、心配しなくても大丈夫よ。私はもう高校生なんだから」
そんな風に邪険にすると、
「違います。大事な話だからよく聞いて。今道警から回答がありました。バスガイドの花島美乃華は、婚約者の交通事故死について何度も再調査の依頼をしています」
「お母さん、それ今、関係あることなの?」
「彩那、黙って聞きなさい」
フィオナが一蹴した。
母、梨穂子は次のように説明した。
美乃華の婚約者は、笹塚誠次いう大学4年生だった。彼は卒業旅行と称して、北海道を訪れた際、バスガイドをしていた彼女と知り合った。
笹塚は都内の大学で政治学部に籍を置いていて、国能生実伴の支援団体でアルバイトをしていた。彼にとって、それは大学で学んだ理論を実践するよい仕事先であったのだろう。あるいは将来を見据えて、政治に関わるステップと考えていたのかもしれない。
いや、それ以上に、彼には隠された動機があったとも考えられた。
国能生実伴は以前、瀬戸内海の小島をつなぐ連絡橋の建設で、ある特定の業者との癒着を疑われたことがあった。その真相を暴くべく、彼に近づいたのかもしれないのだ。
というのも、笹塚は四国の生まれで、父親が工務店の下請けをやっていることもあって、この事件に興味を持っていた。そこで首を突っ込んだ可能性があるのだ。
故郷へ帰ったある日のこと、彼は自動車事故で死亡した。その時の警察調書によると、飲酒運転が原因でハンドル操作を誤り、ダムに落ちたということであった。
「つまり、花島は国能生実伴を憎んでいたということね」
そんな奏絵の声に、
「でもねえ、誘拐されているのは南美丘里沙なのよ。国能生氏は関係ないじゃない」
彩那は澪の手前、小さな声で反論した。
国会議事堂の議員控室。
国能生実伴は素性の知れぬ男と電話で話をしていた。
「お前の目的は一体何だ? 金か?」
早口で訊いた。まもなく休憩時間が終わろうとしている。この後、代表質問に立たなくてはならない。一刻も早くケリをつけたかった。
電話の向こうで、男は不敵な笑い声を漏らした。
「いいや、金には一銭も興味はない。あなたはこれから国会の舞台に立とうとしている。国民が見守る中、これまでの悪行を洗いざらい白状してもらえれば、それでいいのです」
「君は何を言っているんだ。私は清廉潔白で通った政治家だぞ」
国能生は唾を飛ばした。
男はついに笑い出した。
「嘘をついてはいけませんよ、国能生さん。あなたは国が発注した公共事業に関して、自分の支援団体である建設業者に不正受注をさせた。あなたにとって、それは昔からの慣習に過ぎないのかもしれないがね。
しかし政治とはどうあるべきか真剣に考える若者にとっては、許すことができない行為だとしたらどうしますか? そんな生意気な若造は、力で排除すればよいとお考えですか?」
「どうやら君は勘違いをしているようだ。そんなことは私個人の力で自由になるものではない。確かに私の支援団体が受注したのかもしれんが、それは偶然なんだよ。賢明な君なら分かると思うがね」
「しかし現実に、不正を告発しようとする正義感に満ちた若者がいたのです。そんな彼をあなたは交通事故に見せかけて殺した。違いますか? それら一連の犯罪を国民の前で謝罪してほしい。私の望みは、たったそれだけなのです」
「断じて私はそんなことをしていない。誓ってもいい。信じてくれ」
「そこまでシラを切るのなら、それでも構いません。娘さんの命は諦めてもらうだけです」
男は冷たい声で言い放った。
「ちょっと待て。ゆっくり話し合おうじゃないか。国会が終わったら、きちんと話に応じよう。それまで、一旦保留にしてくれないか?」
男は何も反応しなかった。
国能生は不気味に感じながらも、タブレットの動画からは目を離さずにいた。
これまで何の動きも見られなかったゴンドラに変化があった。澪の隣に座っている女子学生が鞄から大型ナイフを取り出したのだ。それを澪の目の前でちらつかせている。
「おい、待ってくれ。話せば分かる。止めてくれ」
国能生は慌てて懇願した。どうやら脅しではなかった。相手は本気である。下手に刺激してはならない。
ナイフを手にした女は、さらに鞄を探って時限爆弾も取り出した。それには、さすがに驚いた様子だった。どうしてそんな物騒な物が入っているのか、必死で理解しようとしていた。
剥き出しになったダイナマイトが二本見える。もしゴンドラ内で爆発すれば、二人とも死ぬのに十分過ぎる火薬量だと思われた。
「おい、君、頼む。私の話を聞いてくれないか? 私も歳を取って、どうやら記憶が曖昧でね。きちんと調べないと、正式な発表はできないんだよ」
慌てた振りをしながら、その実、国能生はしたたかであった。男は会話を録音している可能性が高い。そこで下手なことを口にしては証拠になるかもしれない。そう考えて、発言には細心の注意を払っていたのである。
「では、交通事故で死んだ大学生のことも知らないというのか?」
「いや、彼のことは噂には聞いている。どうやら同郷の若者らしいからね。確かに前途ある若者が命を落としたのには同情するよ。私が力になれることがあれば、遠慮なく何でも言ってくれたまえ」
そんなやり取りの中、突如秘書の田丸が声を上げた。
「もしかして、君は笹塚誠次くんの関係者か?」
国能生も全てを悟ったようだった。
相手はボイスチェンジャーを外して、ついに生の声を聞かせた。それは女の声だった。
「その通り。私は彼の婚約者、花島美乃華です」




