修学旅行3日目 千歳レジャーランド(1)
札幌駅の駐車場には、市内観光を終えた女子生徒が続々と集まってきた。
いよいよ修学旅行も大詰めを迎え、残すは千歳レジャーランドのみである。大型バスは最終目的地に向けて、すでに出発の準備を整えていた。
彩那は、花島美乃華と肩を並べて歩いていた。
札幌駅は北海道の玄関に相応しい立派な建物である。スノーホワイトで彩られた外観は、北海道が雪とは切っても切り離せない土地であることを連想させた。
「花島さん、事件が解決したら、今度は冬に来てみたいです」
「ぜひ、そうして頂戴。その時また会えるといいですね」
修学旅行はまもなく終わろうとしている。美乃華との別れも迫ってきた。
「そうだわ。制服に着替えたら、記念に二人で写真を撮らない?」
彼女がそんな提案をした。
バスに戻って制服を受け取った。車内の後ろへ行って、隠れるようにして着替えた。
「ああ、やっぱり自分の制服っていいわね。心が安まるわ」
「彩那、でもそれ本当の制服じゃないでしょ」
「アヤちゃん、正確にはレンタルなんだから」
奏絵と梨穂子が同時に声を上げた。
「もう、どうして二人はそういう夢のないことを言うのよ」
「でもさ、その服を着られるのも今日で最後なのよね」
そんな言葉に感慨が湧いた。
「分かってるわよ。だから絶対に里沙を助け出して、この事件にケリをつけてやるわ」
彩那は決意を新たにした。
札幌駅を背景に美乃華と並んで写真を撮った。
再びバスに戻ると、昇降口の横で国能生澪が腕を組んで立っていた。彩那を目にすると、弾かれたように駆け寄ってきた。
自然と鞄を持つ手に力が入る。
「そんなに身構えなくても大丈夫よ。槇坂先生から全て聞いたわ」
「ああ、そうだったの」
「さっきは疑って申し訳ありませんでした」
澪は生徒会長としての威厳をかなぐり捨てて、素直に頭を下げた。
「もう済んだことだからいいのよ」
バスに乗り込むと、彩那の隣に腰を下ろした。
「しかし驚いたわ。あなた、警察関係の人だったのね」
珍しい物でも見るように、てっぺんからつま先まで視線を這わした。
「ええ、まあ」
バスは札幌駅を出発した。
「みなさんの修学旅行も、いよいよ終わりが近づいてきました。最後は千歳レジャーランドで楽しい思い出を残しましょう」
花島は以前と変わらぬ調子で話し始めた。体調もすっかりよくなっているようだ。
彼女の説明は続く。
レジャーランドの歴史は古く、道民にとっては知られた施設だったが、近年大改装を行い、現代風に生まれ変わった。国内唯一とされるアトラクションも多く、今では道内のみならず、道外からの訪問客も増え、その人気はうなぎ上りだという。
澪はそんな話も耳に入らない様子で、
「私、槇坂先生の話を聞いて正直怖かったわ。本当は生徒会長が身代金を運ぶよう指示されたそうね。それをあなたが代わってやってくれたのね」
「彩那、澪がどうして選ばれたのか、何か心当たりがないか訊きなさい」
フィオナに言われて、その話題を振ると、
「まったく見当もつかないわ。ただ生徒会長という肩書で指定しただけじゃないかしら。それに犯人は私でなくても、何も文句を言ってこなかったのでしょう?」
確かに澪の言う通りである。
誘拐犯人にとって最も気掛かりなのは、取引の際に警察が介入するかどうかである。だからこそ、警察とは無縁な生徒会長を選んだのだろうが、その点が守られなかったことについて何の抗議もしていない。彩那が警察関係者だとは考えなかったのだろうか。それとも生徒会長の顔を知らなかったというのだろうか。
「やっぱり私が身代金を運んだ方がいいのかしら?」
澪は怯えながらも、勇気を出そうとしていた。
「いいえ、それは私の任務です。あなたを危険に晒すことはできません」
彩那は胸を張って答えた。
30分ほどバスに揺られると、国道沿いのドライブインに到着した。櫻谷の生徒が大食堂を丸ごと占拠して、ジンギスカンを味わった。
彩那は足下に鞄を置いて、澪と隣り合わせの席についた。本来楽しい筈の食事も、緊張するあまり、ほとんど印象に残らなかった。
一行は2時過ぎに千歳レジャーランドに到着した。まるで大海原を思わせる巨大な駐車場に次々と車が吸い込まれていく。
バスが停車すると、外で誘導していた花島が車内に駆け込んできた。慌てるあまり、タラップで足がもつれた。
「倉沢さん、大変よ。ちょっと来て頂戴」
彩那は鞄を手にすると、すぐ外へ出た。
「あれを見て」
バスの車体の裏側に、何か白い物が引っ掛かっているのが見える。
「何かしら?」
彩那は顔を地面に着けるようにして覗き込んだ。封筒が風に揺れている。どうやら針金で固定してあるようだ。
「花島さん、いつ気がついたのですか?」
彩那は封筒から目を離さずに訊いた。
「ちょうど今、車をバックさせていたら、何やらひらひらしている物が見えるでしょ。それでまずは倉沢さんに知らせようと思って」
「犯人が仕掛けた爆破物だったらどうしましょう?」
美乃華は彩那の耳元で囁いた。
「いや、ただの紙ですから心配要りません。私が見て来ます」
「気をつけてね」
彩那は這うようにして、車体の下へと潜り込んだ。
針金の固定は甘く、すぐに封筒は取り外せた。そのまま後ろ向きで表へ出た。
封筒の中には一枚の紙が入っていた。
「レジャーランド内で人質と身代金の交換を行う。2時30分になったら、本物の生徒会長、国能生澪と一緒に大観覧車に乗れ。そこでこちらから指示を与える。もしこれに従わない場合、取引は中止とする。それ以降こちらから連絡することはない。南美丘里沙は帰らないものと思え」
「まさか、犯人からの連絡ですか?」
花島は不安を隠せない様子だった。
「彩那、指定時刻まで15分しかありません。直ちに澪と一緒に大観覧車まで移動しなさい」
「分かりました」
澪には事情を説明して、協力してもらうことにした。彩那が傍にいてくれるならと、彼女は快く承諾してくれた。
櫻谷女学院の制服が続々と入場ゲートを通過していく。誰もが巨大レジャー施設に心をときめかせている瞬間である。一方、彩那と澪は別の意志を持って列に割り込んだ。駆け足で、遠くに見える大観覧車を目指した。
直径40メートルの構造物は園内でも一際目を引いた。パンフレットによれば、天気のよい日は、札幌市や日高山脈さらには太平洋まで一望できるとある。
大観覧車の真下は、花壇に囲まれた広場になっていた。中央の噴水はリズムよく水柱を上げている。大きな花時計によれば、指定された時刻まであと5分。何とかぎりぎり間に合った。二人はすぐ近くのベンチに腰を下ろした。
「こういう時は、あなたも緊張するものなの?」
澪が息を切らしながら訊いた。
「そりゃそうよ。私だってただの女子高生だもの。でも安心して頂戴。決してあなたを危険な目に遭わせないから」
「でも、あなたはバックに警察という組織がついているから、それだけ思い切ったことができるのよね」
澪は遠くを見るような目をして言った。
その意味が分からずに黙っていると、
「うちの父親がそうなのよ。国会議員といっても、別に人より優れた能力がある訳じゃない。支援者や政党や派閥といった後ろ盾があるからこそ、堂々としていられるのよ」
澪はどうやら父親のことをよく思っていないようだった。
「倉沢さん、あなたも警察という権力を笠に着ているから、そうやって悪に立ち向かえるのでしょ?」
果たしてそうなのだろうか、彩那は思いを巡らせた。
そもそも警察などという、父親の職業はあまり好きではない。しかしフィオナや菅原刑事の人間味に触れ、多少なりとも嫌悪感が薄れてきたのは事実である。
では、どうして父親の仕事を引き受けているのか。それは家族や友人と一緒になって困難を乗り越えていくことに喜びを感じているからではないだろうか。
幼い頃に母親を亡くし、家ではいつも独りぼっちだった。あの日には戻りたくない。だからこそ、人との交わりを大事にしているのかもしれない。
きっとそうだ。今だって、里沙を助けようと奔走しているのは、それが仕事だからではない。せっかく知り合えた人といつまでも繋がっていたい、そんな気持ちが原動力になっているに違いなかった。
しかしそれを言葉にしたところで、果たして澪にうまく伝えることができるだろうか。それは難しいことのように思われた。
そんな彩那の心情を汲み取ったのか、
「変なこと言ってごめんなさいね」
「ううん、別にいいのよ」
「でも、一つ言えることは、うちの学院にも、あなたのような子がいたらよかったということね」
そこへ奏絵から着信があった。
「彩那、念のため鞄の中身を確認してくれない?」
「えっ、どうしてそんな必要があるの?」
「いいから見て」
友人の強引とも思える声に、渋々中身を確認した。
いくつか白い麻袋が見える。その中に、不可視インクを吹きつけた青色の袋もきちんとあった。一応数を調べてみたが全て揃っている。
「何も変わったところはないけど」
「それならいいけど」
奏絵はどこか煮え切らない様子である。
「一体どうしたって言うの?」
「何だか胸騒ぎがするのよ。どうして最後の最後が観覧車なのかって。ゴンドラは当然窓が開かないわ。上へ昇ったところで、犯人はどうやって身代金を受け取るつもりなのか、それが分からないのよ」
彩那は等間隔で空に昇っていくゴンドラを見上げた。
確かに彼女の言うことは一理ある。構造上、ゴンドラからは麻袋一つ落とすことなどできやしない。
犯人はどのように接触してくるつもりなのだろうか。
「時間です。二人とも観覧車に乗りなさい」
彩那は、澪を誘ってベンチを立った。




