修学旅行3日目 札幌市内観光?(2)
大通公園には、櫻谷の制服が大挙して押し寄せていた。やはりここは定番の観光スポットなのだろう。
高さ147メートルを誇るテレビ塔は、公園の真ん中に鎮座し、その存在を空に向かって主張していた。真下は多目的広場になっていて、ベンチが並べられている。
この付近は観光客の往来が激しかった。お目当ては展望台からの眺めなのだろう、みんな例外なくテレビ塔の中へ吸い込まれていく。
そんな中で、体操着の彩那は場違いなのであった。生徒だけではなく一般人からも冷ややかな視線が向けられた。
「フィオ、テレビ塔の下には来たけれど、どこへ行けばいいのかしら?」
彩那は辺りを見回した。
「この辺りには郵便ポストもありませんね」
仕方なく、ベンチ付近に立っていると、突然声が掛けられた。
どこか聞き覚えがあると思った声の主は、生徒会長の国能生澪だった。彼女は珍しく一人である。いつもの生徒会役員は連れていなかった。
本来身代金を運ぶ役だった人物である。ここで会ったのは、ただの偶然だろうか。
澪はひどく驚いた顔をして、
「倉沢さん、あなただったのね?」
とつぶやいた。
「何のこと?」
「いいから、その鞄の中身を見せて頂戴」
有無を言わさぬ勢いだった。
彩那が躊躇していると、澪は手を伸ばして鞄を取り上げようとした。
「これは、ダメよ」
「どうして? 人には見せられない物なの?」
「ええ、まあ」
彩那は言葉を濁した。
「里沙が誘拐された件は伏せておきなさい」
フィオナの指示が来た。
力尽くで鞄を奪い取ると、手が届かないよう後ろに置いた。
「力勝負となったら、私に勝ち目はないわね」
澪は大きくため息をついた。
「これ、あなたのことでしょ?」
制服の胸ポケットから紙を取り出した。
「10時15分、さっぽろテレビ塔の下にて、櫻谷女学院の生徒が麻薬の取引をするという情報あり。鞄の中に大麻草、または多額の現金を入れていると思われる。この情報が真実かどうか確かめてもらいたい」
彩那は文面を口に出して読んだ。
「これ、誰から貰ったの?」
「知らないわ。昨夜、ホテルのドアの隙間から差し込んであったのよ」
澪には心当たりがないようだった。
「本来は警察を呼ぶべきところなんでしょうけど、櫻谷女学院の名誉に関わることだから、まずはこの怪情報が真実かどうか確認したかったのよ。半信半疑で、ここで待っていたら、鞄を持ってあなたが現れたというわけ」
これは犯人の罠だろうか。それとも本当の生徒会長に鞄を運ばせるために、こんな芝居を打ったのだろうか。激しく頭が混乱した。
「櫻谷女学院には、以前から麻薬の噂があったのか訊いてみなさい」
フィオナに言われて尋ねてみた。
「そうね。あなたが学院に来る一ヶ月くらい前に、匿名の手紙が生徒会宛に届けられたのよ。それは学院内で麻薬に手を染めている生徒がいるという告発だった。今後取引の情報を入手したら、事前に知らせるので、生徒会長自身の目で確認してほしいって書いてあった」
なるほど、澪が疑いの目を向けたのも無理はない。犯人は前々から、そうなるように仕向けていたのだ。
「それでどうなのよ。やっぱりあなたが麻薬の密売人ってわけ?」
「そんな訳ないでしょ」
彩那は声を大にした。
「冷静に考えれば分かることよ。そもそも修学旅行で麻薬の取引をするなんて、あり得ないわ」
「いいえ、北海道には大麻が自生している場所が結構あるって聞いたことがあるわ。まさに、おあつらえ向きじゃない。あなたは昨日小樽で姿を消していた。大麻草を仕入れるため、どこかへ遠征していたんじゃないの?」
「あのですね、昨日は忙しくてそんなことしている暇はありませんでしたよ」
「忙しいって、何が?」
澪の追求は続く。
「それは、その……」
彩那は口ごもった。
「とにかく大麻なんてまったく関係ないんだから」
「それじゃあ、鞄の中を見せなさい」
澪は彩那の背後に回って鞄を奪い取った。すばやく中を確認しようとする。
「ちょっと、人の物を勝手に触らないで」
二人は鞄を引っ張り合った。言い争いはとうとう取っ組み合いの喧嘩に発展してしまった。観光地で繰り広げる女同士の喧嘩は、人の目を引くのに何の苦労もなかった。
「仕方ありません。鞄を奪って、すぐその場を離れなさい」
少し乱暴だとは思ったが、澪の身体を押し倒した。彼女は小さな悲鳴を上げると、ベンチに尻餅をついた。
ようやく鞄から手が離れた。
「ごめんなさい」
彩那は一目散に駆け出した。
「ちょっと、待ちなさいよ」
遠く背中に罵声を聞いた。
「フィオ、どこへ行けばいいの?」
「澪の目が届かないよう、テレビ塔の反対側へ移動しなさい」
恐る恐る振り返ってみたが、澪は追ってこなかった。少々痛い目を見て、意気消沈したのかもしれない。
彩那は、公園内にずらりと並んだベンチの一つに腰掛けて、呼吸を整えた。鞄を隣に置いて、その無事を確認した。
遠くを櫻谷の制服が重なって流れていくのが見える。彼女たちはおしゃべりに夢中で、誰も白い体操服に気づくことなく通過していく。
しかしその中から、一人ポニーテールを揺らして近づいてくる女子がいた。
倉垣咲恵だった。
朝ホテルで悪態をついておきながら、それでもまだ怒りの持って行き場がないと見える。
「一人で呑気なものね」
「えっ?」
一瞬、意味が分からなかった。
「里沙が修学旅行の途中でいなくなったというのに、あなたは随分と平気な顔でいられるってこと」
咲恵の目は冷たかった。
どうして平気でいられようか。今もこうして里沙を救うために孤軍奮闘しているのである。見当違いも甚だしい。怒りにも似た感情が生まれた。
この瞬間にも、犯人が接触してくるかもしれない。場合によっては、咲恵だって危険な目に遭うかもしれないのだ。
「もう私のことはいいから、あっちへ行って頂戴」
彩那はわざと声を張り上げた。
「何よ。私に八つ当たりする気? もうあんたの顔なんて二度と見たくないわ」
咲恵はそんな台詞を吐くと、肩を尖らせて去っていった。
(ごめんね)
彩那は心の中で謝った。
大通公園は札幌市の中心部にありながら、交通量の多い道路とは樹木で分け隔てられているため、喧騒とは無縁の世界だった。
雲一つない青空はどこまでも澄み渡り、穏やかな日差しが降り注いでいる。人々の預かり知らぬところで、まさに今、誘拐事件が発生しているなんて信じられなかった。目の前の世界では、それほどのんびりとした時間が流れているのだった。
彩那は、テレビ塔から50メートルほど離れた場所に座っていた。
「フィオ、犯人の指定した場所はテレビ塔の下だったわよね? こんな所にいて、大丈夫かしら?」
「また国能生澪に見つかると面倒ですから、仕方がありません。それに本当はもう少し遠くへ移動して、犯人の出方を見たいぐらいです」
「えっ、どういう意味?」
フィオナはそれには応えずに、
「病院で花島から話が聞けましたので、お伝えしておきます。SAでは、中年の男性からこっそりメモを受け取ったそうです。爆弾騒ぎに乗じて外に出ると、セダンではなく、ワンボックスカーから男が手招きしていたとのこと。車内にはもう一人男がいて、彼女が見た犯人は二人だったようです」
彩那には例の暴力団風の男たちが浮かんだ。
「そもそもセダンではなく、ナンバーもデタラメだったようです。道理でNシステムに該当する車がかからなかった訳です」
「それから、彼女はどこへ連れていかれたの?」
「ずっと車の中にいて、そのまま一夜を明かしたそうです」
「それで、明け方になって逃げ出した?」
「はい。警察に通報したものの、犯人らに気づかれて街中を逃げ回ったそうです。何とかホテルに辿り着き、里沙の部屋へ危険を知らせに行った。というのも、連中は車の中で、ホテルに宿泊している仲間と連絡を取っていたようなのです。それで花島は仲間が里沙を誘拐するのを阻止しようとしたのですね」
「なるほど」
「ところがいざ部屋に行ってみると、すでに里沙の姿はなく、待ち伏せしていた何者かに背後から襲われ、気絶してしまった訳です」
「でも、花島さんって、本当に勇敢な女性よね」
彩那は感心しきりだった。
「それから、四国の警察から連絡がありました。例の3人組は、地元の建設会社とつながりがある暴力団員だということです。その会社というのは代議士、国能生実伴の後援団体でもあります」
そこへ奏絵が割り込んできた。
「ネットで地元の掲示板を探ってみたのですが、国能生実伴は瀬戸内海の島々を結ぶ連絡橋の建設にあたって、その建設会社に便宜を図ったという噂があるようです」
フィオナはさらに言葉を継いだ。
「ひと月ほど前、ある週刊誌にその疑惑が取り上げられています。ただし確証がないので、K議員という匿名扱いになっていますが」
彩那はさっき鞄を取り合った娘、澪の顔を思い出していた。
曲がったことが大嫌いな生徒会長は、果たして父親の悪い噂を知っているのだろうか。そして、もしそれが事実だとしたら、どんなことを考えるのであろうか。
「しかし、それは今回の誘拐とは何も関係ないんでしょ?」
それにはフィオナも奏絵も黙り込んでしまった。
「今、テレビ塔の真下に来ました」
沈黙を破って、龍哉の声が入ってきた。
「ねえ、龍哉。澪さんはまだそこにいるのかしら? 勢いで押し倒しちゃったけど、まさか怪我なんてしてないわよね?」
「特にそういう様子はない。今、ベンチに座って誰かと携帯で話している」
「まさか、私のことを警察に通報してるとか?」
「まだ証拠がないので、恐らく担任の槇坂に相談しているのでしょう」
フィオナが落ち着いた声で返した。
それなら問題はない。槇坂は事情を全て知っているので、うまく説明してくれるだろう。
「しかし一体誰よ。麻薬の取引なんてデタラメ吹き込んだのは?」
「意外と犯人だったりして」
奏絵の声。
「どういうこと?」
「澪が受け取ったあの怪文書、偶然にしてはでき過ぎよ。世界でただ一人、彩那にしか当てはまらないんだもの」
「だけど、事を大きくしたところで、犯人には何の得もないじゃない? もし私があの場から逃げ出さなければ、身代金は澪さんに没収されていたかもしれないのよ」
「まあ、確かにそうよね」
奏絵には珍しく反論はしなかった。
時間だけが過ぎていく。しかし犯人が接触してくる気配はない。
すると突風が吹いて、辺りの樹木を大きく揺らした。
汗をかいた後だけに、素肌に体操服一枚ではさすがに寒気を感じた。思わずくしゃみをした。
「それにしても、さすがに胸元がスースーするわ」
彩那は体操服の丸首辺りを引っ張って中を覗き込んだ。
「どうして?」
事情を知らない奏絵。
GPSブラジャーを外して、鞄の中に入れてあるからなのだが、龍哉が聞いているので、それ以上詳しく説明する気にはなれなかった。
「彩那、女の子なんだから、身なりはちゃんとしなさい」
先輩であるフィオナがたしなめた。
「だって」
「龍哉、近くの土産物屋でTシャツを一枚買ってきなさい」
「はい?」
彼は指令の意味が理解できないでいた。
それでも返事をすると、自転車に乗ってテレビ塔から離れたようだった。




