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修学旅行2日目 深夜、札幌市すすきの界隈(1)

 深夜、スマートフォンが鳴り出した。時計を見ると午前1時過ぎ、フィオナからの緊急連絡である。

 彩那は全身の痛みが引かず、なかなか寝付くことができなかった。しかしおかげで、すぐに応答することができた。

「里沙がこっそり部屋を抜け出しました。すぐに支度して後をつけなさい」

「えっ?」

 一瞬耳を疑った。こんな時間に、一体どこへ出掛けるつもりだろうか。

 慌てて服を着替えて、特殊眼鏡を装着すると部屋を出た。

 一階まで忍び足で降りると、フロントから話し声が聞こえてきた。柱の陰からこっそり半身を乗り出すと、私服を着た里沙が受付係と問答していた。さすがにこの時間では、修学旅行生の外出が許可される筈もないだろう。

 背後から軽く背中を叩く者がいた。龍哉である。

 二人は顔を並べて様子を窺った。

「こんな夜更けに、どこへ行く気だ?」

「きちんとした服装をしているから、誰かと会うんじゃないかしら」

 里沙は派手なフリルのついたワンピースを着込んでいた。どこから見てもお嬢様といった出で立ちである。

 フロントには二人の係がいて、一人は電話で話し込んでいた。そしてもう一人が里沙と向き合っている。

「さすがに外出はさせてもらえないでしょう」

 しかし予想とは裏腹に、係はカウンターから出てきて、玄関のドアを手動で開いた。里沙は足取りも軽やかに外へ出た。どうやらフロントとの交渉に成功したらしい。

 兄妹も忍び足で後に続いた。

 あらかじめフィオナが事情を説明しておいたのか、係は二人に驚きもせず、ただ頭を下げて見送るだけだった。

「左の駐車場に行きなさい」

 フィオナの指示が飛んだ。

「はい」

 遠くで一台の車がパッシングをした。ヘッドライトをつけずにゆっくりと近づいてくる。

「二人とも乗って下さい」

 ハンドルを握っているのは菅原刑事だった。

「戻ってたのですね」

 彩那が言うと、

「今夜はホテルの駐車場で張り込むつもりでした。花島さんの足取りはまだ掴めていませんが、道警に任せてあります」

 道路の見える位置で一旦車を停めた。

 車のフロントガラスから、里沙の後ろ姿を捉えた。車が通り過ぎる度に、彼女の身体がヘッドライトの中に浮かんでは消えた。どうやらタクシーを拾うようだ。

「彩那さん、身体の調子はいかがですか?」

 菅原は前を見据えたまま言った。

「ええ、何とか」

「無茶はしないでくださいよ。連中に囲まれた時は、正直どうなるかとハラハラしました」

「私のことより、花島さんが心配です」

「確かに消息は不明ですが、直ちに命の危険はないと考えています。犯人は彼女が替え玉であることを承知の上で連れ去ったからです。きっと取引で利用するに違いありません。ですから、それまでは安全と言えます」

「そうですよね」

 彩那は自分自身を納得させるように大きく頷いた。

「今は里沙の動きに注意を払いなさい」

 フィオナが全員に喚起した。

「まさか、犯人に呼び出されたのかしら?」

「我々に何も告げず、一人でのこのこ出掛けるとは到底思えませんが」

 菅原の言う通りである。

 彼女は小樽で怖い思いをしたのだ。無警戒に他人についていくとは考えられない。

「今回、敢えて里沙を泳がせてみます。何が起こるか分からない以上、これは一種の賭けです。ですから、全員が気を引き締めてどんな事態にも対処しなさい」

 フィオナの声からは緊張が伝わってくる。

「それにしても、こんな夜遅くによくホテルを出られたわね」

「現金を握らせたようです」

 フィオナが応えた。

「現金?」

「フロントで一万円を渡して、内緒で外出させてくれと頼んだらしいです」

「どうして知ってるの?」

「振動感知プレートが異常を検知しましたので、すぐにフロントに電話を掛けて、彩那たちが追いつけるよう、足止めしてもらったのです。その時、係の者から聞きました」

 あの時の電話の相手はフィオナだったのである。

「あっ、タクシーが停まりましたよ」

 龍哉が声を上げた。

 里沙を飲み込むと走り出した。菅原も車を出す。

 ぴったりと後をつけていった。信号待ちでナンバープレートを読み取ると、フィオナに伝えた。

 札幌市すすきの界隈は、深夜でも昼間のような賑わいを見せていた。東京以北で最大の歓楽街は、この時間でも人の往来が絶えることはない。その多くは観光客だが、中には外国人の姿もあった。

 彩那は後部座席に身体を預け、流れていくネオンサインをぼんやり見ていた。里沙に裏切られたショックと悲しい気持ちが入り混じり、複雑な感情を作り上げていた。

 彼女はようやく心を開いてくれたと思った。これからは何でも打ち明けてくれるだろう、そう信じて疑わなかった。それなのに、彩那の目を欺いて深夜一人で外出するとは、一体どういう了見なのだろうか。

 奏絵の声が入ってきた。彼女も、札幌から遙か遠く離れた場所で起きているのだ。何だか東京が恋しくなった。

「やっぱり里沙は怪しいわ。彩那に何か隠しているんじゃないかしら?」

「何かって?」

「前にも言ったけど、今回の誘拐騒ぎは、全て彼女が仕組んだんじゃないかってこと」

「ああ、狂言誘拐とかいうやつね。でも、そんなことして何になるの?」

「ちょっと陳腐な動機になるけど、大会社の会長の娘として、憎らしい父親から多額の現金をせしめようと、誘拐事件をでっち上げた」

「でもねえ、身代わりに花島さんが誘拐されているのよ。それはどう説明するの?」

「彼女も仲間だったりして」

 彩那は一笑に付した。

 それはあり得ない。この旅行中に起きた事件が、全て里沙の手によるものだなんて到底考えられない。

「女子高生が1億もの大金を手にしてどうするわけ?」

「別に額なんて問題じゃないわ。ただ父親を困らせればいいの。まあ、手伝ってもらった花島さんには分け前を与える約束はしているだろうけど」

 奏絵は自分の意見を曲げなかった。

「それでお金を手に入れた後、どういう結末を迎えるの?」

「それは二通りのパターンが考えられるわね。一つは誘拐されたように見せ掛けて、ほとぼりが冷めた後で警察に助けを求める。現金と引き替えに、犯人から解放された被害者を装って、元の生活に戻る」

「もう一つは?」

「本当に失踪してしまうというパターンね。これまでの里沙の言動を見ていると、どうも家族とうまくいってないように思えるのよ。そもそも家出願望があって、この偽装誘拐を思いついたのじゃないかしら」

「その場合、まんまと1億円を手に入れて、どこかへ雲隠れするっていうの?」

 奏絵の意見は馬鹿げていると思いつつも、里沙の性格ならあり得るかもしれない、そんな気もした。

「でもね、まだ他にも問題があるわ。昼間襲ってきた例の3人組。あの連中はどう関係してくるのよ?」

「それは、1億円という大金が動くことを聞きつけて、横取りしようと狙っているのかも」

「そんな話、都合がよすぎるわ」

 どうやら奏絵の意見は、さほど論理的な裏付けがある訳でもなかった。


 前を行くタクシーは同じ道を二度ほど巡回していた。運転手が道を間違えたのか、それとも里沙の指示がおぼつかないのか。

 ようやく車が停まった。

 目的地に着いたというよりは、諦めて車を降りて探すという感じだった。

「二人は降りて後をつけなさい。菅原は車で待機」

 フィオナの指示。

「了解」

「彩那、気をつけてね」

 そんな奏絵の声も、繁華街の喧騒にかき消されてしまった。


 里沙はうつむいたまま歩いていく。

 どうやらスマートフォンを頼りに何かを探している様子だった。時に顔を上げては、向かってくる人の群れを器用に避けた。

 その後ろを彩那、そして龍哉がつけていた。もし彼女の身に何かが起きれば、直ちに駆けつける準備はできていた。

 オレンジ色の柔らかな光を放つ店の前で、彼女は足を止めた。そこは二十四時間営業のファミリーレストランだった。

 里沙は迷うことなく店に入った。

 ここで誰かと待ち合わせをしているのだろうか。

 わざと時間をおいて後に続いた。龍哉は店の外で待機した。

 平日の深夜だというのに、店内は大勢の客で賑わっている。あちこちから若者の笑い声が聞こえてくる。

 里沙は店内のテーブルを見回していた。やはり誰かを探しているのだ。

 近づいてきた店員に何やら声を掛けると、空いている席に腰掛けた。

 これから一体何が始まるというのか。明るく声を掛けてきたウェイトレスを手で制すと、彩那はレジ付近で様子を窺った。

 里沙はしきりに腕時計を気にしている。それは時刻を確認するというよりは、手持ちぶさたで、それしかすることがないといった感じであった。

 一方で、彼女の真後ろのテーブルは大いに盛り上がっている。

 簡単なついたてで仕切られた向こうからは、女子連中の声が漏れていた。下品な声を立てて笑っている。すぐ隣のテーブルにいたサラリーマン男性が露骨に嫌な顔をした。そんな周りの迷惑などお構いなしに話は続いている。

 どうやら里沙は、彼女たちの話し声に耳をそばだてているのであった。

 また別のウェイトレスが彩那に話し掛けてきた。

「ここでちょっと待たせてください」

 そう言って、レジ越しに里沙の様子を窺った。

 女子連中の大声は遠くからも耳に届いていた。おそらくは里沙も同じ声を聞いているであろう。

「あの子、結局来なかったじゃん。最初から私たちのことを馬鹿にしてたのよ。大企業の会長の娘だからって、どこかお高くとまってさ」

「所詮、偉いのは父親でしょ。たまたまその娘というだけで、何も偉くはないくせに勘違いも甚だしいわ」

「あいつが来ないんじゃ、持ち金を全部巻き上げる計画も台無しね」

 そんな話が聞こえてきた。どうやらそれは里沙の悪口に違いなかった。連中は本人がすぐ傍にいるとも知らず、陰口を叩いているのだ。

 当の里沙は突然立ち上がると、店を飛び出した。湧き上がる感情を抑えるのに夢中で、真横を通り過ぎても気づかなかった。

 彩那は我慢できずに、奥のテーブルまで乗り込んでいった。

「ちょっとあんたたち、さっきから聞いていれば何よ。みんなで人の悪口を言うのがそんなに楽しいわけ? いい加減にしなさいよ」

 両方の拳でテーブルを叩いた。食器類が一斉に浮かび上がって、フォークやナイフがぶつかり合った。

 連中は唖然とした顔を並べて、全員が舌を抜かれたようだった。突然目の前に現れた女の、鬼の形相に恐怖を感じたのかもしれない。

(早く里沙を追いかけないと)

 周りの客が何事かと見守る中、彩那は大きく足音を立てて店を出た。

 外に出ると、すぐに龍哉の大きな背中が邪魔をした。どうしてこんな所でのんびりしているのかと文句の一つでも言おうとしたが、すぐに状況を理解した。彼女は店の前で一人泣きじゃくっているのである。

「里沙さん、大丈夫?」

 彩那は優しく肩を抱いた。

 彼女は一瞬不思議そうな表情を浮かべてから、舗道に崩れ落ちた。

「あんな連中、気にすることないわよ」

「どうしてここに?」

 涙ながらに訊いた。

「言ったでしょ。いつもあなたの傍にいるって」

 彼女の心は大きく揺れたようだった。大粒の涙をこぼした。通行人は皆、好奇の視線を浴びせていく。

「彩那、そんな所で立ち話もなんですから、どこかお店に入りなさい」

 フィオナの声が入ってきた。

「ねえ、お腹すかない? 札幌と言ったらやっぱりラーメンよね。これから一緒にどうかしら?」

 里沙は涙を拭うと、

「そうね。あなたとゆっくり話がしたい」

 と返した。

 しかし誘っておきながら、どちらの方へ踏み出すべきか思案していると、

「そのまま真っ直ぐ行って、次の信号を左に曲がりなさい。最初の路地を入ったところに美味しい店があるそうです」

 フィオナがすかさず案内してくれた。

「こっちよ」

 二人は寄り添って歩き出した。

「札幌中央署の署長のお勧めです。ちょっと混んでいるかもしれませんが、味噌ラーメンが絶品だそうです」

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