修学旅行2日目 小樽市内観光(2)
救急隊員がストレッチャーを持って駆けつけた。
「要救護者は、あなたですね?」
隊員は二人の女子を見比べてから言った。
「いえ、別に怪我はしてませんから」
彩那が両手を振って拒否すると、
「念のため、病院で診察してもらいます」
フィオナはきっぱりと言った。
「分かりました。でも里沙さんは?」
「パトカーで槇坂のところに送ってもらいます」
「でも……」
「私もついて行ってもいいですか?」
気づけば、里沙は隊員と勝手にやり取りをしていた。そんな風に積極的に人に話し掛けているのは初めて見た。
「それでは二人とも、早く乗って」
止めていたサイレンが再び息を吹き返して、救急車は走り出した。
観光バスを我が物顔で次々と追い越していく。
「里沙さん、ごめんね。これじゃあ観光もできないわね」
彩那はベッドに横になったまま声を掛けた。
「初めて救急車に乗れたし、これもいい思い出よ」
彼女は笑顔を見せた。
「それにしても、彩那、格好よかった」
「何が?」
「スカートから長く足が伸びて、悪人を次々と倒すの。まるで格闘ゲームの女キャラみたいだった」
「へえ、そうなの? こっちは必死だったから何も覚えてないけど」
「でもね、女の私が恥ずかしくなるくらい、パンツが丸見えだった」
「あのねえ、そういう話は、みんなの前で暴露しないでくれる?」
これには救急隊員も笑いを隠せなかった。
彩那は市民病院で検査を受けた。
医師に許可をもらって、診察中に里沙を隣に居させてもらった。病院内とはいえ、彼女を一人にするのは危険に思えたからである。
検査の結果、背中と肩に軽い打撲と、左足首にねんざ、そして左膝に内出血が確認された。
医者は、腫れが引くまでしばらく安静にしていなさいと、彩那をベッドに寝かせた。
「里沙さん、本当にごめんなさいね。診察までつき合ってもらって」
「どうして謝る必要があるの? お礼を言わなきゃいけないのは、私の方よ」
それには応えず、彼女の顔を見つめた。今までに見せたことのない、穏やかな表情があった。これまでの苦労が報われる気がした。
「明日はいよいよ最終日。あなたと一緒に札幌を回るのがとても楽しみだわ」
里沙は弾むように言った。彩那も大きく頷いて見せた。
心が満たされたのか、いつしか眠りに落ちていた。
「助けて!」
闇の中、里沙の悲鳴が響いた。
「早くここから出して」
彼女は手を伸ばしているに違いないが、彩那には届かなかった。彼女の声は段々と小さくなっていく。まるで底なし沼に引きずり込まれたようだった。
「里沙!」
無意識にベッドから跳ね起きた。慌てて辺りを見回した。
病院の一室である。すぐ傍に里沙の驚いた顔があった。
「何だかうなされていたみたいだけど、大丈夫?」
どうやら悪い夢を見たようだ。友人を前にして少し恥ずかしくなった。
彩那は上体を起こした。時計を見るとあれから1時間しか経っていなかった。やはり寝不足がたたって眠りに落ちていたらしい。それにしても妙な夢だった。
「ねえ、一つ質問してもいい?」
彩那はこっくり頷いた。
「どうしてこんな危険な仕事を引き受けているの?」
「私のお父さん、警察官なの。それで手伝ってくれって頼まれたわけ。家族みんなが団結してやる仕事だから、私だけ抜け出す訳にもいかなくて」
里沙は興味深く聞いていた。
「いつも失敗ばかりで評価は低いんだけど、そんなことはどうでもよくて、人助けするのが性に合ってるって気づいたの。困っている人を見ると、放っておけないのよ、たぶん」
「彩那の家族って、明るくて楽しそう。羨ましい限りだわ」
それには思わず笑ってしまった。あまりにも見当違いだからである。確かに今でこそ、家族らしくはあるものの、ここまで来るのに、どれほどの困難を乗り越えてきたことか。それを他人に理解してもらうのは難しいことだろう。
扉をノックする音がしたので、二人は自然に話を止めた。
「どうぞ」
龍哉が顔を出した。
「おい、大丈夫か?」
里沙に一瞥をくれて、それから遠慮なくベッドに駆け寄った。
「平気よ、平気。そんなに心配してくれなくていいから」
元気な様子を見て安心したのか、龍哉は手近かな椅子に腰を下ろした。それから紙袋を差し出した。
「これ、お前の着替え。体操着だ」
「ねえ、そんなことより花島さんは見つかった?」
「いや、まだ道警が捜索してる」
「やっぱりあの3人組が犯人なのかしら。もう一度現れたら、絶対捕まえてやるんだから」
「おいおい、あまり無茶するなよ」
「分かってるわよ」
そんな二人の会話に、里沙が大胆に割り込んできた。
「彩那、この人もしかして、あなたの彼氏?」
それには咳き込んだ。
「そんな訳ないでしょ。兄貴よ、兄貴」
「へえ、そうなんだ」
そう言うと丁寧に一礼した。顔には安堵の表情が浮かんでいた。
彩那は再検査を受けたので、病院を出たのは午後7時を過ぎていた。
すでに一行は小樽を後にして、札幌市内のホテルに入っている時間である。
彩那はバスガイドの制服から体操服に着替えた。
病院の外では菅原刑事が張り込んでいた。その車で3人は札幌まで送ってもらうことになった。
車内では誰も口を開かなかった。
本来、情報交換をしたいところだが、里沙がいるため無理な相談だった。また、それぞれが考えなければならないことが山ほどあった。
ホテルに着くと、すでに8時を回っていた。生徒たちはとっくに食事を済ませて、風呂に入っている。
事前に連絡を入れておいたので、ホテルは別に食事を用意してくれていた。
誰もいない大広間の隅っこで、3人は寂しく食事を取った。2時間前には櫻谷の生徒が勢揃いして、実に壮観な眺めだったのだと思うと何だか不思議な気がした。
「彩那、一緒にお風呂行こうね」
「もちろんよ。でも怪我したところがしみなきゃいいけど」
正直お湯に浸かるのが怖かった。
2日目の夜も捜査会議が行われた。ホテルが用意してくれた会議室を使って、彩那と龍哉の二人が参加した。
菅原刑事は美乃華の捜索があるため、早々とホテルを後にしていた。
「二人ともお疲れ様でした」
フィオナが開口一番言った。
「龍哉はSAにて親子の救助活動をし、彩那は小樽にて里沙を暴漢から守りました。二人とも今日は素晴らしい活躍をしてくれたと思います」
珍しく指令長が褒めた。
「しかし龍哉は命令違反がありましたので、マイナス25点とします」
彩那から思わず笑みがこぼれた。これでもう妹に偉そうなことは言えない筈である。
「そして彩那はマイナス50点」
今度は龍哉が肩を震わせた。
「ちょっと待ってよ、フィオ。どこに減点される要因があるっていうの?」
「SAで花島と制服を交換するという、指示されてないことを勝手にやったからです」
あれは結構よいアイデアだと思ったのだが。
「さらに小樽で3人組の説得に失敗しました」
「それは、仕方ないじゃない?」
「いえ、我々の捜査というのは、乱闘して解決すべきものではありません。たとえ喧嘩して勝ったとしても評価はできません」
「でも、フィオは『それ、行け』って、けしかけてなかった?」
指令長は一度咳払いをしてから、
「そんなことは言ってません。確かに最悪の事態を想定してはいましたが、喧嘩を奨励する筈がありません。要するに、もっと交渉術を磨いて、安全に事を運ぶようにするべきなのです」
「ちぇっ」
「何か言いましたか?」
「いえ、でも心の中で、誰かが何か言ってるようです」
フィオナは笑って、
「でも、あの局面で屈強な男3人を相手に一歩も譲らなかったのは、褒められたものではないにせよ、結果的にはよかったです」
「彩那、やったね」
奏絵の声。
「ちっとも嬉しくないんだけど。何だか急に身体のあちこちが痛くなってきたわ」
「そう言えば、フィオナさん。その時の映像がSNSにアップされています」
「またなの? どんな映像よ?」
彩那は口を尖らせた。
「たまたま公園にいた釣り人が、ドラマのワンシーンかと思って遠くから撮影していたのよ。バスガイドが3人の男に囲まれたと思いきや、次々と血祭りに上げていくホラー映像」
「今回も削除してもらいます」
フィオナは事務的に言った。
「ところで、彩那。一言、言いたいことがあるんだけど」
奏絵が切り出した。
「言われなくても、分かってます。パンツって言いたいんでしょ。この会話は全て録音されているんだから、そんな話はしないでくれる」
「パンツ? 一体何のこと?」
奏絵は怪訝そうな声を上げた。
「何かパワーアップする仕掛けでもあるのか?」
龍哉が真剣な眼差しで訊いた。彼はメカのことになると異常な興味関心を示す。
彩那は顔を真っ赤にして、
「そこに、あなたの期待しているものは何もないから」
「私が言いたいのは、あのとき3人を相手にするぐらいなら、どうして里沙を連れて逃げなかったのかってことよ」
「それは里沙の足では逃げ切れないと思ったからよ。私一人ならともかく、彼女が一緒ではすぐに捕まってしまうわ」
「その判断は正しかったと思います。目立つ場所だったので、警官もすぐに駆けつけることができました。もし人気のない所へ追い詰められたら、違った展開になっていたかもしれません」
「でも、これで例の3人組の目的が里沙にあると分かりましたね」
龍哉が自信を持って言った。
それにはフィオナが異議を唱えた。
「それにしてはどこか変です。これまでに里沙を狙える場面はいくらでもあったと思われるからです。それに花島が連れ去られたのと、彼らの動きが連動しているようには見えません。少なくとも、誘拐とは無関係だと思います」
「そうね、リーダーに羽交い締めされた時に、『何者だ』とか『誰に頼まれた』とか、まったく警察ってことに気づいてないようだった」
「誘拐犯からすれば、当然敵対関係にあるのは警察なんだから、おかしな台詞よね」
奏絵もフィオナの意見に同調した。
「では、どうしてあの連中は襲ってきたのでしょうか?」
龍哉が問い掛けた。
「問題はそこなのです。もし彼らが国能生実伴の指示で動いているとするならば、それは一人娘、澪の護衛ということになります。では、なぜ彩那たちに接触してくるのか?」
「フィオナさん、澪を守らなければならないということは、彼女も誰かに狙われていることになりませんか?」
奏絵が即座に言った。
「しかし、片やお菓子メーカーの会長の娘、片や代議士の娘でしょ。旅行中に二人が同時に狙われるなんて、そんな偶然があるかしら?」
彩那は大きくため息をついた。
「やはり国能生実伴の事を調べる必要が出てきましたね」
「ああ、そっか」
奏絵が何かに気づいたようである。
「3人組が彩那を排除しようとしたのは、危険人物だと思ったからでしょ。ひょっとして誰かが彼らに偽の情報を与えているのかもしれません」
「何よ、それ?」
「なるほど、奏絵の推理はいつも冴えてますね。プラス50点です」
「ちょっと、そんな簡単に点数あげないでよ、もう」
彩那がむきになると、
「ちょっと言ってみただけです」
とあっさり返した。
「ところで、花島さんの手掛かりは何かありましたか?」
龍哉が心配そうに訊いた。
「まだ何もありません。料金所の監視カメラに例の白いセダンが写ってないかどうかを調べましたが、該当する車はありませんでした」
「途中でナンバーを取り替えたんじゃない?」
「それは現実的に難しいと思います。そもそも花島が受け取ったメモにあった車は実在するのかどうか、そこから調べる必要があります」
「そう言えば、花島さんの制服、破れちゃったのよね。ちゃんと謝らないと」
「あの人なら笑って許してくれるさ」
龍哉が言った。
「そうよね。きっと無事でいて、また会えるわよね」
「私も彼女は無事だと思います。犯人の狙いはあくまで里沙ですから、ターゲットを変更するとは考えられません。おそらく最終日の明日、犯人の方から接触してくるに違いありません」
「そうでなきゃ困るわ」
「念のため、えりも観光の札幌本社に道警を配置しています。犯人から連絡が入るといけませんから」
さすがにフィオナは手を回していた。
「それでは、これにて捜査会議は終了します。明日が最後になりますが、気を抜かずに頑張ってください」
そうフィオナは締め括った。




