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召喚士の憂鬱

作者: 笛吹葉月

 大陸広しといえど、“日傘”を武器にする奴などそうそういないだろう。

 黒地に白いフリル、さらに紫のリボンがあしらわれた、女性趣味たっぷりの日傘である。くるりと華奢な持ち手を握りしめているのはこれまたほっそりした白い手で、いつものことながら少年シオルは感嘆せざるを得ない。

 彼を背中に庇うような立ち位置で、しかし普通なら身幅的にはまるで盾に見えない――少女。彼女は、突如現れた化物を目の前にしてもまるで平坦な無表情であった。いわゆるメイドのような服装だけでなく、顔面までもがモノトーンであった。


「……これだから、知能の低い魔物は面倒です」


 召喚士になるためには、実技による訓練が欠かせない。大陸唯一の召喚士養成所でも、生徒達は日々その才能を鍛えるために、魔方陣を描いて無害な魔物達を召喚しては、再び魔界へと返す練習をしていた。

 召喚といえど、選ぶのは魔物の側であり、通常は呼び出した人物の力量に見合うだけの魔物が現れる。養成所の生徒達ではせいぜいコボルトやスライム程度。よくてハーピーの子供か、肉食草の類が出てくる。


 ところが、時々“召喚事故”が起きることがある。

 どういう因果か、呼んでもいないのに大型の魔物が出現してしまうことがあるのだ。

 ……目の前の、トロルのように。


 めきめき、と何かがひび割れる音がする。

 さっさと正体を言ってしまうとそれは、トロルの棍棒の耐久性が、既に限界近いことを報せる音である。大人数人は叩き潰せるであろう自慢の巨大棍棒は、比して小枝のような日傘に、受け止められている。――否、“押し負けている”。


「下賤な蛮族風情が、“家名持ち”の私に勝てるわけないでしょう」


 少女は顔色ひとつ変えずに棍棒をへし折ると、怒り狂ったトロルの拳が振り下ろされるよりずっとずっと速く、その化物の鼻づらを蹴りぬいた。

 たかが少女の、ひと蹴りである。それでもトロルは衝撃で数歩たたらを踏んだ。


「シオル。門はひらけますか?」

「あ、うん。できてる」


 軽く脳震盪でもおこしていそうだなと(脳さえあればの話だが)呑気に傍観していた少年は、少女の無味乾燥な問いかけに呆けた声で返事をした。事実、彼の足元にはトロルを魔界へ返還するための魔方陣が、この上ない精緻さで描かれている。

 魔方陣は、間違いなくシオルが描いたものだ。だが彼は。


「魔力、借りるね、ロジェ」

「ええ」


 屈み、魔方陣に両手を着く。と、彼の右手薬指に嵌めた指環が光り、同時に輝きを放ち始めた陣は門となりトロルを吸い込んでいく。

 まさしく獣の咆哮と共に、人騒がせな巨人は、何とも無事に魔界へと強制送還されたのだった。


「さすがシオル・キト。キト家の跡継ぎに相応しい実力だ」


 ぱちぱちと、事態を傍観していた教師が満面の笑みで賛美する。召喚事故は貴重な実戦訓練でもあるから、本当に危険だと判断した場合でなければ教師は助け舟を出さない。

 ロジェ、と呼ばれた少女は、さも当然であるかのように日傘を畳んで一振り。シオルはやはり気の抜けた笑みで「ありがとうございます。光栄です」と頭を下げた。そして、まるで無関心そうな“相棒”の、平坦な横顔を一瞬だけ横目で見る。


 固有の名を持つ魔物は知能が高く、中でも家名を有する者の力は強大だ。

 トロルなど目ではない。年端もゆかぬこの少女こそ化物。名を、ロジェステレータ・ヴァンツィールック・ペトル・リウ・ベネルエータといった。



 シオルは十五年前、代々有能な召喚士を輩出するキト家のひとり息子として生まれた。

 当然彼には膨大な魔力がその身に備わっていて、それは周囲の人々に嬉しい驚きを与えた。と同時、さっそく彼を召喚士として育て上げるため、様々な教育が施された。

 ところが、だ。彼はその魔力を“使うことができなかった”のである。同年代、ましてその辺りの年上の召喚士とは比べ物にならないほど正確で細やかな魔方陣を描くというのに、いざ魔力を流し込み召喚する段になると、その陣はまったくうんともすんとも反応しなかった。


 ただシオルにとって幸いなことに、彼には持ち前の素直さと、何より人並み外れた記憶力があった。そして最も彼が恵まれていたのは、家庭環境についてだろう。天才と期待された少年が何の成果も出せなくても、彼の家族は以降も変わらず深い愛情を注ぎ続けたのである。

 中でも彼をいちばん可愛がっていたのが、彼の祖母である。彼女ももちろん優れた召喚士であり、第一線からは退いていたものの、未だ才は衰えず、時折は王政から魔界との案件について助言を求められるほどであった。

 

 そんな彼女が十年前、シオルが五歳の時に召喚したのが、少女の姿をした強力なる魔物、ロジェであった。

 シオルの祖母は自分より魔力の低いロジェに対し、十年間、孫を護るようにと命じた。強き者には絶対服従が魔物の性であったから、しぶしぶながら少女は食えぬ老婆の言葉に従う。

 しかしながら、子守をするだけでは収まらぬと、自身も魔界の名家の出身である少女は交換条件を突きだした。


「十年は何があろうとこの子供に従おう。だが、十年後のちょうど今日この日から、私が何をしようと自由であろう」


 喰う、と。従うことになった少年をまるで侮った魔物は、言外に滲ませた。対する老婆は構わぬと首肯した。


 さて。契約の証として、魔力を貸し与えるための媒体として、少女は指環をシオルへと差し出した。少年は目の前の少女が魔物であるとわかってはいたが、何分その恐ろしさをまだ知らず、素直に友好の笑みで指環を受け取った。


「ぼくはシオル。シオル・キト。きみは?」

「……ロジェステレータ・ヴァンツィールック・ペトル・リウ・ベネルエータ」

「ロジェステレータ・ヴァンツィールック・ペトル・リウ・ベネルエータ、ね、すてきな名前だね。ロジェ、って、よんでもいい? ぼくのことはシオルでいいよ」


 呼び出されてから不機嫌な表情しか見せなかったロジェだが、初めて紫の眼を見開いた。

 魔物の名は人間からすれば、うんざりするほど長いのが常である。魔物同士でさえ、本名を全て言える相手はほとんどいない。

 大概の人間は予期しないほど長い名前に最初は面食らうものだ。召喚した際のシオルの祖母も例外ではなかった。ごく自然にロジェの名前を諳んじたシオルに彼女が驚嘆したのも、無理からぬ話であろう。


 それからロジェはシオルに召喚された体を装い、そうしてシオルはキト家の名声と自分の心を護った。



 描いた魔方陣に魔力を流す。他の生徒と同様の訓練。

 指環を指摘して問い詰めるような輩は居ない。ロジェはトロルを倒した後、自らも魔界へと帰還した。通常、魔物は使役する時にしか呼び出さない。召喚状態を続けるのは魔力を消費するからだ。


「我の声に応え、その姿を現せ――」


 門が開く。小さな二本の角、銀色の長い髪、あどけない顔と不釣り合いな、やけに露出の多い成熟した体。地面からせり上がるように徐々に姿を現したのは、小さなサキュバスだった。

 サキュバスはシオルを一目見て、顔をしかめた。一応知能はある自分がこんな幼い男に呼び出されたのか、遣い走りにされるのは御免だ、お前なんてその辺のスライムと仲良くしてろ――そう文句を言いかけたまま、表情が凍る。


 シオルの背後に、恐ろしく死んだ眼差しでサキュバスを見つめる存在があったからだ。


 無言の圧力にサキュバスは震えあがる。本能的にわかる、力の差。でなくても、あの可愛らしい恰好と裏腹に暴力的な力を持つと噂の“高貴なる魔女”、家名持ちのロジェである。しかもどうやら、何の理由かはわからないが、彼女がこの男に従っているようだ。ということは実はすごい人間なのか?

 重ねた思考は、結局どうでもいいことだ。確かなことは、ここで、少年に従わねば、自分の命が危ないということ。少年は虫をも殺せぬような顔をしているが、彼をどうにかできても、後ろのロジェにやられる。


 必死に媚びを売るかのようにシオルに懐いたサキュバスを見て、周囲の教師や同級生は感嘆の声を漏らす。

 サキュバスといえば中級の魔物だ。自分の実力でないことを知るシオルは、ただ寂しそうに微笑んでいるばかりだった。



 契約の日より、十年。

 十五歳の成人の儀を終え、シオルとロジェは家路へとつく。

 人間界へと魔物を留めるために消費する魔力も、シオルの潜在量であれば充分だった、実際ロジェはほとんどの時間をシオルの傍で過ごした。護衛対象であったから、というだけではない……のかもしれない。

 今日、祖母とロジェの契約は終了した。


「僕の魔力、あげるよ」


 ロジェが言い出すより先に、そう切り出したのはシオルだった。思えば彼はいつもこうして寂しそうに微笑んでいたと、ロジェは改めて思う。

 魔力をあげる。つまり、“喰え”、と。彼は言っているのだ。


「今までありがとう。ロジェみたいにすごい魔物にとっては、大した足しにはならないかもしれないけど……」


 喰えば、キト家の人間の魔力だ、それは大きな力を得られるに違いない。

 だがロジェは歓喜の想いがいっこうに湧き上がってこない自身に動揺しつつ、


「……シオル。貴方は今まで何のために努力をしてきたのです」


 とだけ問うた。そこで気付く、これは、この感情は、“失望”と呼ばれるものだと。

 喰えば、彼の命はそこで終わりだ。これまで必死に勉学に耐えてきたことも、それ以上に、重圧と罪悪感に辛抱してきたことも。


「ロジェにだってやりたいことがあるでしょう?」

「……やりたい、こと?」

「もう僕の御守はしなくていいんだよ。僕は術が上手くないから、本当は、何か他に安定した仕事を見つけようと思ったんだ」

「……」

「……でもやっぱり僕は、召喚士になりたかったんだって。召喚士にしかなりたくないんだって、気づいたんだよ」


 立派な祖母や父の姿。敷かれた道を歩んでいただけではない、あくまでも彼の意志。


「だから、どういう形であれ、僕は魔物たちと関わっていたい。君みたいに素敵な魔物の中で生きられるなら、それは素晴らしいことだ」


 素敵。ロジェは言葉の意味を考える。魔物の自分に対して、素敵?

 十年前とは逆に指環を差し出したのは少年。手はずっとずっと大きくなった。ロジェの手は、変わらない。変わらない誇りを護り、少年を護ってきた手だ。その役割は。今日でお仕舞いなのだ。


「シオル、私は」

「ありがとう。ロジェ」


 シオルは、戸惑う少女の手に指環を無理矢理つかませた。


 ――瞬間。


「?!」


 その感覚は知っていた。いつも養成所で彼は同じことをしていたから。

 ふたりの足元に出現したのは魔方陣。動くこともままならない。ロジェはこれが召喚される時の感覚だと知っている。だとすると……


「逆召喚?!」


 物語の中のことだと思っていた。逆、とは人間が作り出した言葉ゆえ。


 門が開く。

 彼らは世界を――超えた。




 魔界から人間界へ魔物を呼ぶのが召喚であれば、逆召喚は、即ち、魔界への転移のこと。

 シオルとロジェが門に飲み込まれて着いた先は、ロジェにとってのみ見知った場所であった。

 ならば魔方陣を描けば――。試みたふたりの努力は、徒労に終わった。


「帰れません、シオル」


 魔方陣の上で、言う。無表情の奥で彼女がこれまでになく焦っていることが、シオルには手にとるようにわかった。こうしたイレギュラーな事態には、存在自体がイレギュラーな彼の方が慣れている。彼はいつも通り、ささやかな笑みを湛えたままに少女を見つめる。


「落ち着いて、ロジェ。まずは周囲の状況を確認しなきゃ」

「そう……ですね。私としたことが」


 ロジェによれば、ここは魔界の中でも過疎地域で、強敵がいないのをいいことに、いわゆる低級の魔物がよく集団で生活している場所だという。

 逆召喚などという高度な芸当ができる者がいるとは考えにくいということだ。現に、強大な魔力の気配――あの、本能が寒気を感じる感覚――は感じない。

 少女は再び、少年へと指環を渡した。世界を渡る瞬間でさえ手放さなかったのだ。意味がわからず言葉を失う少年へと魔物は言う。


「契約の件は後回しです。今は呼ばれた理由を探りましょう。それまで、また、よろしくお願いします」


 ――こうして少年シオルの、異世界での冒険は始まった。



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[一言] はじめまして。 冒頭の、日傘で戦う描写に惹きつけられて読ませていただきました。 可愛い少女の姿をしたモンスター。 美しくて強い、でもそれだけではなく、性格の可愛らしさや人間味もあるように描…
[良い点] シオルとロジェの、微笑ましくもちょっぴり悲しい関係性。だんだんと心を惹かれていくロジェの姿がいい 強大な魔力を持っていながら使えない、という設定からくるシオルの扱い。普通は落ちこぼれと…
2015/01/18 11:03 退会済み
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