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チャプター 03:「入隊」

 いつもの農作業も終わり、無事今期の種まきを終えたハルは、夕食の支度を終え、母の

看病を行っていた。アビーの調子は起伏が激しく、全く歩けないほど衰弱する事もあれば、

立ち上がり食事を作るだけの余裕がある事もある。そして、今の状態は前者だった。

「いつも本当にごめんなさい。貴方をもっと自由にしてやりたいのに」

 口癖のように謝る母に、ハルは苦笑した。

「何を謝るのさ。僕がそうしたいから母さんを看てるんだよ」

 ハルは他人に気を遣える少年だったが、これは彼の偽らざる本音でもあった。しかし、

それが本音であるか、気遣いであるのか、アビーに判断する術がない。またハルも、それ

をよくわかっていた。

「今日はコーンスープを作ったんだ。おいしいパンも買ってきたんだよ」

 夕食の内容に、アビーは首を傾げる。それもそのはずで、とうもろこしを使った料理は

庶民にとっては小さな贅沢であり、エリオット家では祝い事でしか口に出来ない。また、

家の事情をよく知るハルならば散財などするはずがないと、アビーはよく知っていた。

「どうしてまた…………でもいいわ。貴方が決めたんだもの。きっと考えあってのことな

んでしょう」

 事情を知ってか知らずか、アビーの一言にハルは視線を落とす。お触れの日の帰り道、

ケンに依頼した事が既に実行されている時間である。その時が近づくにつれ、ハルの緊張

は高まっていく。ベッドの傍に腰掛け、手に持った木製のスプーンはスープに浸かったま

ま動かなかった。

 また、今日の料理は母とゆっくりできる最後の時間かもしれないと覚悟しての選択でも

あった。自分は戦場で死ぬかもしれない。アビーがどう思おうと、ハルは母に元気を取り

戻して欲しかった。

 用意されたご馳走も満足に食べないハルに、アビーの表情も曇る。

「こんなに甘くておいしいのに……どうしたの、ハル。何か悩んでいるのなら、私に話し

て頂戴」

 微笑で優しく話しかけるアビーに、ハルは視線を落とした。母に告白したならば、反対

される可能性が高い。父が戦死したと告げられた母の姿を思い出し、ハルは息が震えた。

 しかし、躊躇う息子にアビーはなにも言わなかった。腕を伸ばすと、ハルの栗色に光る

髪を撫でる。

「……いいのよ。貴方が話せる時に、話して頂戴。でもその時は――」

 その時は、唐突にやってきた。日没も近い黄昏時に、唯一の出入り口である家の扉が叩

かれる。その重い音から、叩いているのは男で、鎧や鍛えられた筋肉からくる重みである

事は容易に想像できる。

 ハルは大きく深呼吸すると、母の手をどけ微笑む。

「僕が出てくる。母さんは食べてて」

 母が頷くと、自分のコーンスープを小さな机に置き、家の玄関へ向かう。ハルの心臓は、

極度の緊張で激しく脈打っていた。

 恐る恐る開けた扉の先には、黒光りする鎧に身を包んだ兵士達と、肌色の外套のような

ものを羽織った男が一人立っていた。

「私は警邏隊長をやっているガルド・スターンという者だ。メイジであると報告を受けた、

ハル・エリオットとは君か?」

 深呼吸の後、ハルは静かに首を縦に振る。もう後には引けない。

 しかし、ハルの肯定する身振りに兵士達はどよめいた。魔法の力が発現するのは成人、

もしくはそれに準ずる年齢に達した人間だけだと考えられていた為である。若干十四歳で、

自分達の身の丈よりも頭一つ分小さい少年が魔法を扱う事ができるのは、一般論からはと

ても信じられない事だった。

 先頭のガルドが右手を上げると、ざわめきが収まる。そして、鋭い視線をハルに突き刺

した。

「ハル・エリオット君。我々も戦力の増強に頭を抱えている。よって、一人でも多くのメ

イジが入隊する事を望んでいる……いるが。君がメイジであるとはとても信じられない。

俸給が高額な事もあり、虚偽の報告によって金銭を得ようとする輩が数名確認されている

のだ。よって、貴君が魔法を扱うことが出来る事を証明して欲しい。辺りに影響の大きい

ような魔法であれば場所を変えよう。だが」

 ガルドの目が、更に鋭くきらめく。

「決して嘘はつかないことだ。こちらも、マナの流れを見ることに特化したメイジを連れ

て来ている。これ以降偽りの言葉を発したなら、即刻偽称罪を適用し、君を牢へと入れる

事になる…………それでもやるかね?」

「…………はい」

 十分に脅しつけたのにもかかわらず、ハルは折れなかった。ガルドは驚きを表情に出し、

対するハルは、怯えながらガルドを見つめ返した。

 数瞬の沈黙の後、ガルドは大きなため息を吐き、苦笑いを浮かべた。

「どうやら君がメイジである事は嘘ではないようだな。ならば、早速見せてもらおう。場

所を変えたほうが良いかな?」

「いえ、ここで大丈夫です」

 俯いたまま、扉の傍に置かれた木製のバケツを引き寄せる。ハルがその上に手をかざす

と、手のひらから少し離れた場所に銀色の円盤が現れた。そしてそこからは、透明な水が

流れ出た。ハルの家の前には、バケツに水が流れ落ちる音だけが響いた。

 それが十分に満たされると、手を左右に振り、円盤をかき消す。魔法を消し、見上げた

ハルは、更に驚いた表情のガルドと目が合った。そして、その横では、本当に生きている

のか怪しい程硬直している、外套の男が立っていた。

「な、なるほど。空間系の魔法であったか。何にしても、先ずはメイジの訓練校に………

…ジョージ殿?」

 ガルドが隣に立つメイジに話しかけると、外套を羽織った、ジョージと呼ばれた男は痙

攣するように息を吸った。

「はっ、ああ、あ…………そんな! そんな馬鹿な!」

 突然発狂したように奇声を上げ、自らの頭を掻き毟る。ジョージの大きな声に、ハルは

すくみあがった。

「どうされたのですか、ジョージ殿。何か問題が――」

「問題もなにもあるか! こんな、こんな馬鹿な事が」

 ジョージの意味不明な言い回しに、ガルドは顔をしかめる。だが、視線を落としたジョ

ージが、ギョロリとした目玉でガルドを見上げた。

「いいか。先ず空間接続の魔法には非常に長い時間が必要となる。莫大な量のマナもだ。

十分な学習と訓練によって到達できる起動時間は凡そ十五分。怪物といわれた隣国の姫で

すら数十秒の時間がかかるんだ。それが何だ? 予備動作や囁きもなしにだと?」

 錯乱状態のジョージは早口に説明すると、縮んだままのハルへと詰め寄り胸倉を掴むと、

激しく前後に揺さぶった。

「一体どんな仕掛けなんだ! 言え! その秘密は何なんだ!」

「ぐう……ぼ、僕は何も」

 ハルの一言に、更に目を血走らせ鼻先が触れそうになるまで接近するジョージ。

「ジョージ殿、落ち着いてください」

 だが、それを見かねてか、ガルドがジョージを引き剥がし、背後の兵士達に目を向けた。

「どうやらジョージ殿は錯乱状態にあるようだ。お連れしろ」

「はっ!」

 敬礼と共に、複数の兵士達によって連れて行かれるジョージ。その間も、ハルへの質問

が絶える事はなかった。

 声が遠くなった頃、苦笑と共にガルドはハルを見た。

「……失礼した。メイジは変わり者が多くてね。だが、貴君がメイジである事は間違いな

いようだ。それも、相当な逸材らしい。規定通り訓練校に案内する事になるが、ジョージ

殿の反応を見る限り、直ぐに実戦に投入されるだろう。では、身支度の方を……」

 その時、ガルドの目が合ったのは扉から出てきた母、アビーだった。持病によりただで

さえ悪い顔色が更に悪くなり、足を震わせながらガルドの前に近づいてくる。

「あ、あの。ハルが何か…………」

 魔法の素質があるというだけで、息子を戦場へ狩り出される事を喜ぶ親などいない。ガ

ルドは言い淀んだ。視線は地面へと落とされ、両手の拳に力が込められる。

 だが、ガルドは意を決したかのようにアビーへ向き直った。

「奥さん。貴女の御子息は魔法の才能があります。よって、本日よりメイジ訓練校へ入校

となり、十分な実力が認められたならば戦闘機の機関師として戦場へ出ることになるでし

ょう」

 最後の止めをさされたかのように体勢を崩したアビーは、膝を折りガルドの足にしがみ

ついた。手足どころか呼吸すら震え涙を溜めた瞳でガルドを見上げる。

「どうかご勘弁を! この子はまだ十四歳なんですよ! それはあまりにも」

 悲痛な叫びに、ガルドは瞼を閉じ、じっと歯を食いしばった。

 だが、ハルは叫ぶ母の肩に手を置き、笑いかける。

「母さん。僕、行くよ」

「ハル……絶対に駄目よ! 兵隊さん! 貴方がたはあの人だけでなくハルまで連れて行

くつもりなんですか!」

 ガルドは何度も呼吸をただし、足元のアビーへ跪いた。

「奥さん。大変申し訳なく思います。このような乱暴な手段を取らざるを得ない私も心苦

しく、このような少年を連れて行かなければならない我々の不甲斐なさも噛み締めており

ます。ですが、誰かが国を護らねばなりません。陛下を始めとした我々役人は、領民を護

る責任があります。どうか、どうかお許しください」

 その場に尻餅をついたアビーへ跪き、そっと手を握るハル。

「大丈夫だよ。僕は大丈夫だから」

 ハルの瞳を見つめたアビーははっとした。

「あ、貴方まさか。この事をわかって……」

 ハルは答えられなかった。親友に金貨を贈る為に行った事も、アビーの身体を良くした

い為だという事も。両手で顔を覆い号泣するアビー。

 母の肩にそっと手を置いたハルは大きく息を吸い、力強く立ち上がった。

「ガルドさん。僕は行けます。だけど、母さんの病気が良くなるように病院へ入れてもら

えませんか?」

「それは心配しなくていい。空軍基地の医療塔へ入る事になるだろう。優秀な医師も多い

所だ。きっと良くなる」

 ガルドの返答に、ハルは安堵する。ここまでは考えていた通りだった。しかしハルには、

もう一つの願いがあった。

「もう一つお願いがあります。農耕馬を一頭、一緒に連れて行けませんか?」

「馬か。それならば、歩兵用の厩舎に預けるといい。恐らく大丈夫だとは思うが、こちら

で手配しよう」

「ありがとうございます」

 話がついた途端に、泣いていたアビーの身体がよろける。咄嗟に抱きとめると、限界が

来ていたのか気を失っていた。そして、細腕からは想像できない程軽々と抱き上げると、

ガルドを見た。

「行きましょう。家の荷物を纏めて来ます」

「ありがとう、ハル君」

 十四歳の少年ハル・エリオットはその日、アルストロメリアの軍人となった。


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