第二章 方便品(2) 維摩詰の病室にて
長者維摩詰以如是等無量方便饒益衆生其以方便現身有疾以其疾故國王大臣長者居士婆羅門等及諸王子并餘官屬無數千人皆往問……
維摩詰長者は、このようにかぎりない方便を駆使して衆生のために働く超ウルトラスーパーデラックス在家信者なのだった。
しかしあるとき、重い病気にかかってしまった。
これは実は方便、つまり「正しい教えが高度すぎて理解できない人たちに、わかりやすい遠まわしな方法で納得してもらう目的」で発病したのだったけど……。
彼が寝込んだと聞いて、国王をはじめ、大臣、金持ち、町の有力者、教養人、神官、王子たちとその家来たちなど、無数の人々が見舞いに訪れた。
維摩詰は自分の病身を示しながら、見舞い客たちに話したものだ。
「ねえ、みなさん。人間の体ってものはいつまでも強く健康ではいられるようなものじゃない。過信しちゃだめだよね。体ってのは病気の塊みたいなものですよ、ホント。みなさん、賢い人ならこんなものに頼っちゃいけませんや。
「体ってのは、切り刻めないことは泡みたいだけど、
いずれ消えちゃうのも、泡みたいですもんね。
よこしまな愛欲が塊ってできたもので、陽炎みたいなものですもんね。
中が空洞の、芭蕉の幹みたいなものですもんね。
錯覚で生じた、幻みたいなものですもんね。
実際には起こっていない、夢みたいなものですもんね。
前世の行いが写って形に見えてるだけの、影みたいなものですもんね。
何かの原因があって一瞬生じただけの、音みたいなものですもんね。
形も定まらず簡単に消えちゃう、雲みたいなものですもんね。
雷みたいに、あったと思ったらすぐ消えちゃうものですもんね。
「この体は、土みたいなもので誰のものでも自分のものでもないし、
火みたいなもので定まった自分(個性)なんかないし、
風みたいなものですぐに消えてなくなちゃうし、
水みたいなものでどうにでも変わっちゃう。
体は四大(元素)が集まってできているけれど、固定されてなんかいない。
四大がまた離れちゃえば、たちまちバラバラになって消えちゃうんだから。
「体なんて草木や瓦礫みたいなもので、何も知らないし、
風みたいなもので、何も感じてない。
中には膿だの糞だの汚いものが充満してる、実につまらないものです。
いっしょうけんめいに体を洗い磨き食べて衣服を着ても、数々の病気で損なわれていく。
岡の上の井戸みたいに早々に老い朽ちていく。
けっきょくは死ぬし、それを防ぐことなんかできやしない。
体って、毒蛇とか殺し屋とか廃墟の村みたいなもので。
いろんなものが集まってたまたま今だけこういう形をしているんだ。
みなさん。こんな嫌なものに頼らず、仏となって(悟りを開いて)楽しみましょうよ。」
当然ですがこの場合の「仏」とは、現代によく使われる「死んだ人」という意味ではなく、もともとの意味の「目覚めた人」「生きるすべての束縛がほどけた人」という意味です。本来はそうなって苦痛を感じない人生を送ることを「成仏」と言いました。そういう状態になったお坊さんを「阿羅漢」と呼びます。
しかし日本では「来世成仏(今は末世だから諦めて死んで浄土に生まれ変わってから仏道修行する)」という考え方が強くなったために、言葉の意味に変化が起きたのでした。今では「成仏」と「往生」とがほとんど同じ意味の言葉として使われてしまっています。
さて、維摩詰が成仏を奨めた理由は……?
「理由? 仏になるってのは法身(宇宙の真理が人間のような姿をとったもの)になるってことだからです。
法身は無量の功徳と智慧から生まれます。
無量の功徳と智慧は、戒律/禅定/解脱/解脱知見(解脱の理解)、から生まれて。
戒律/禅定/解脱/解脱知見は慈悲喜捨(四無量心……「佛國品(3)」参照)から生まれて。
慈悲喜捨は布施・持戒・忍辱・柔和・勤行・精進・禅定・解脱・三昧・多聞・智慧の波羅蜜(完成させるための修行)から生まれて。
布施・持戒・忍辱・柔和・勤行・精進・禅定・解脱・三昧・多聞・智慧の波羅蜜は方便から生まれて。
方便は六神通(悟りが開いた人が自動的に得るという6種の超能力)から生まれて。
六神通は三明(6種のうちの3つ。過去未来のすべての出来事を知る宿命通/遠くでも隠されたところでも見ることのできる天眼通/自分の煩悩を完全にコントロールできる漏尽通)から生まれて。
三明は三十七道品(「佛國品(3)」参照)から生まれて。
三十七道品は止観(心の動きを止めてしまう瞑想法)から生まれて。
止観は十力四無所畏十八不共法からうまれて。(もう説明省略、ゴメン;ご関心ある方はぐぐってみて)
それらはすべての不善を断ちすべての善を集めることから生まれて。
それらは真実から生まれて。
真実は不放逸、つまり生活状態のコントロールから生まれて。
ということで生活のコントロールから始めれば、ついには無量に清浄な法身を体現した如来の体になれるってことです。
「だからね、みなさん。すべての衆生の病いを断ちたいと思ったら、菩提心を起こして仏に成ろうとすればいいんですよ。」
と、まあこんな具合のことを維摩詰は、見舞いに来た人たちに語っていた。
彼の話を聞いて、数千人の人が阿耨多羅三藐三菩提心(菩提心)を起こしたのだった。
維摩詰所説經 方便品第二 終わり