第一章 佛國品(3) サルでもできる(?)仏国土のつくり方
受教而聽佛言寶積衆生之類是菩薩佛土所以者何菩薩隨所化衆生而取佛土……
「はい、聞かせていいだくっス!」
宝積の返事に続けてブッダが言った。
「衆生(あらゆる生きもの)、それが菩薩の仏土なんだ。なぜかっていうとね。菩薩はどこであろうと衆生を救おうとする。菩薩はどこであろうと衆生を従わせる。衆生が救われていくことでそこが仏国土になるんだ。衆生が救われて菩薩のタマゴとなっていくことで仏国土となるんだ。なぜかっていうとね。菩薩が国土を浄めるっていうのは、衆生を益することだからなんだよ。
「たとえば、空中に宮殿を作ろうとしたとしよう……できるわきゃーない、材料がみんな墜落しちゃう。つまり宮殿は、しっかりした大地にでなければ建てられない。
「菩薩もそれと同じなんだわ。衆生の願いを成就させることでその地を、空中の宮殿などとは違ってちゃんと建てられる仏国土にしていくんだよ。
「いいかな、宝積? 素直な心が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、心の曲がってない素直な衆生がその国に生まれてくるんだ。
「深い心が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、善根と徳とを持った衆生がその国に生まれてくるんだ。
「菩提心(悟りを求める心)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、大乗の(自分が救われるだけでなく他の人々も救いたいと願う)衆生がその国に生まれてくるんだ。」
「布施(物惜しみせず与えること)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、執着することなく何でも捨てられる衆生がその国に生まれてくるんだ。」
「苦痛の原因は主に執着」というのが仏教の考え方なので、何でも捨てられるような人はそれだけ苦痛が少ないということになるわけですね。
「持戒(戒律を守ること)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、十善道を守っている衆生がその国に生まれてくるんだ。」
「十善道」は十善戒ともいいまして……
01)不殺生:殺さない
02)不偸盗:盗まない
03)不邪淫:配偶者以外とのHはしない
04)不妄語:ウソつかない
05)不綺語:言葉を飾らない
06)不悪口:悪口をいわない
07)不両舌:二枚舌を使わない
08)不慳貪:欲望を貪らない
09)不慎意:怒らない
10)不邪見:悪意のある妄想をしない
という、仏教徒の努力目標のことです。法事とかで読経の前にお坊さんが「不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語……」とこれを唱えてることがありますから、よかったら気をつけて聞いてみてください。
十善戒は五戒や八戒より項目が多いのですが、「飲酒/音楽の禁止」とか「食事/寝台の制限」などがないため物理的にはより簡単であり、普通に現代生活していてもそれなりには実行可能だったりします♪
では続きを。
「忍辱(耐え忍ぶこと)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、三十二相を備えた衆生がその国に生まれてくるんだ。」
三十二相とは……生まれつき聖者になる運命となってる人には身体的特徴がありまして。いくつかを備えていてもいずれは聖者になるのですけれど、その32種類すべてを備えていると、悟りを開いた仏陀か世界統一の覇王かのどちらかになるとのこと。いちいち挙げるのはめんどいので、興味ある人は自分で調べてください。
それにしても、生まれてくる全人口がそれを備えているってのはスゲエ。
「精進(努力すること)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、あらゆる善を行おうと努力する衆生が生まれてくるんだ。
「禅定(瞑想に集中すること)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、心を平静に保って乱すことの無い衆生がその国に生まれてくるんだ。
「智慧(真理を知ること)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、正しい修行を知り真実を知ることのできる衆生がその国に生まれてくるんだ。」
布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧(般若)波羅蜜。
「波羅蜜」とは「完成」に近い意味の言葉で、上記六種類の善行に努力しそれぞれを完成させることで「空」を悟ろうとする修行が「六波羅蜜」と呼ばれます。大乗仏教の修行法です。
しかし後には、正しい「智慧」が完成すればあとの5つは自動的に実現すると考えらるようになり、このもっとも重要な「智慧波羅蜜」が、別名の「般若波羅蜜多(はんにゃーはーらーみった)」という言葉でいろんな経典にあらわれ、悟りを開き苦しみを除く方法として強調されているのでした。
さて、本文を続けましょう。
「四無量心が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、慈悲喜捨(慈しみ・同情・喜び・不偏)の四つの心を無限に持つ衆生がその国に生まれてくるんだ。
「四攝法(布施・愛語(聞く人にとって気持ちのよい話しかけ)・利行(他の人のために尽くすこと)・同事(苦しみを分かち合うこと))が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、いつでも解脱できる衆生がその国に生まれてくるんだ。
「方便が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、適切な方便を適時に使える衆生がその国に生まれてくるんだ。
「三十七道品(四念処+四正勤+四神足+五根+五力+七覚支+八正道=37種の悟るための手段)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、正しく心を配り、正しく努力し、正しく神通力を使い、正しく体を使い、正しく能力を使い、正しく悟り、正しく修行できる(つまり37種の手段をマスターした)衆生がその国に生まれてくるんだ。」
大乗仏教の「六波羅蜜」に対し、「三十七道品」は上座部仏教の修行法と思われ……大衆の救済よりも個人の完成を優先するため日本では小乗仏教と呼ばれ軽視されてしまいました。が、より厳しい戒律のもとで阿羅漢になることを目指して修行が行われる上座部仏教が、タイやスリランカでは主流です。
現世利益を強調したり菩薩行を重視したりする傾向の強い日本の仏教と、上座部系の南方仏教とは、「これが同じ宗教か?」とお互いにビックリするくらい考え方も生活のしかたも大きく違っています。
では、大乗と上座部のどちらがブッダの教説により近い仏教なのでしょうか? 趣味的な研究取材の成果で、筆者にも一応の仮説がありますが、それはいま述べるべきものではありません。
ただ「維摩経」は大乗仏教の立場から書かれていますから、この作品も大乗を重視する傾向となってます。
では続きを!
「回向心(努力の成果を自分ではなく他者に捧げる心)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、あらゆる功徳を備えた衆生がその国に生まれてくるんだ。
「八難(8種類の不運な生まれつき)を除くための教えを説くことが菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、その国には八難や三悪(地獄・餓鬼・畜生)に生まれる衆生は存在しない。
「自分は戒を守り他人の過失は口にしないことが菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、その国には『罪を犯す』という言葉さえ存在しなくなる。
「十善道(前出)が菩薩の浄土だ。その菩薩が悟りを開くと、必ず寿命をまっとうでき、富豪となりながらも行いが正しく、言葉がやわらかくて一族が一緒に暮らし、諍いをおこさず言うことは常に有益で、妬まず怒らず曲解しない、そんな衆生がその国に生まれてくるんだ。
「菩薩はこのように、素直な心で修行するんだ。修行するから心が深まる。
心が深まるから自分をコントロールできるようになる。
自分をコントロールするから言ったことをすべて実行できる。
言ったことをすべて実行するから、回向(努力の成果を自分ではなく他の者に捧げること)もできる。
回向するから、方便も使える。
方便を使うから衆生を救える。
衆生が救われるから仏土が浄められる。
仏土が浄いから説かれる教えも浄い。
説かれる教えが浄いから智慧も浄い。
智慧が浄いから心も浄い。
心が浄いから行動の結果もすべて浄いんだ。
「だからね、宝積。もし菩薩が浄土を建設したいと思うなら、まず心を浄めることだよ。心を浄めることで、仏土が浄められるんだからネ」
「(…………え? ちょっと待って)」
そのとき舎利弗が……。
---つづく