第一章 佛國品(1) 日よけ傘のミラクルファンタジー
如是我聞一時佛在毘耶離菴羅樹園與大比丘衆八千人倶菩薩三萬二千……
私はこのように聞いた。あるとき|釈迦牟尼(シャーキャ=ムニ)、つまりゴータマ=ブッタは、商業都市・毘耶離の、菴羅樹園という林で、8千人の比丘(出家したお坊さん)たち、それに3万2千人の菩薩(大乗仏教の修行者)とともにいた。
……当時の人口を考えるとなんか多すぎるんじゃないかという気もするけど、上記のように原典にそう書いてあるんで……どうしても納得できない方も、一応、「ジャンルはファンタジー」ということで納得していただき、話を進めさせてください。
さてこの人たちは大変に教養があり、修行を成就していた。諸仏の法(教え)を正しく受け継いで守り、その名声はライオンの遠吠えのように十方(前後左右斜めと上下)に響き、頼ってくる人あれば友として救い、外道や悪魔などがあれば降伏させ、心は常に解き放たれて落ち着き、姿は見るからに魅力的で、布施・持戒・忍辱・禅定・精進・智慧の「6つの完成(六波羅蜜)」の修行を実践しており、方便に巧みで善を行い、神通力を備え……
……とまあ、なんかいろいろ書いてあるけど、面倒なのであとは省略。要するにみんな、すげー修行をしてきた聖人たちだったってことだけ把握してください。六波羅蜜とかについては、後で説明します。
で、原典にはこの後、菩薩の名前がずらずら並びまして……52人も紹介されます。
52/32000だからそれでもマシなほうだけど、そんなに固有名詞を並べるとさすがに疲れてページ閉じられてしまうと思うので、興味ある人は原典をチェックしてもらうことにして、ここではよそでも聞いたことがあるような有名な菩薩だけ抜粋しときましょう。
宝印手菩薩。虚空蔵菩薩。獅子吼菩薩。華厳菩薩。観世音菩薩。弥勒菩薩。そして、文殊師利法王子菩薩。
いわゆる「三人寄れば文殊の智慧」の文殊菩薩で、この物語のライバル役……もとい副主人公となる方です。
こんなメンツだけでも3万2千人もいた上、天部の神々も大量に集まっていて……帝釈天だけでも各世界からかけつけて2千柱、さらに竜神、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅・緊那羅・摩■羅伽……といった、人ならざる知的生命たちも無数に。
さらに人間の比丘・比丘尼(出家した男女)、優婆塞・優婆夷(在家信者の男女)も……って、どんだけ広い林だったんだよ、菴羅樹園!
しかしこの直後、もっとスケールのでかい事件が起こってしまうのです……。
この、取り囲む無数の人々(&人じゃないひとたち)に対して、ブッダがようやく説教の座に着いた。その姿はまさに、世界最高峰の須弥山が聳え立つように堂々としており、宝獅子座というすごくありがたい座にすわって、光り輝くようであったという。
瞑想から出たばかりのブッダはまさに光り輝いて見えたそうで、その姿を模したのがキンキラキンの仏像です。だから新品の仏像のキンキラキンさは成金趣味とかじゃなく、伝承を忠実に再現した姿なのでした。
さて、このとき。毘耶離の町の有力者の子で、宝積という名の青年がいた。
宝積は、500人ほどの青年たちと一緒に、それぞれ七宝……つまりさまざまに飾られた豪華な日よけ傘を持ってブッダの前に進み、その足に頭を擦りつけるように礼拝した。
長尾雅人訳ではここでさらに右回りに七回廻ったと書かれています。
古代インドの敬意を示す礼法なのでありえるとは思うけど、鳩摩羅什訳にはその記述がなく。鳩摩羅什先生が省略したのか、翻訳より後の時代にインドで書き加えられたのか、それは筆者にもわかりません。
この500人の青年たちがささげた500本の日よけ傘は……ブッダの神通力によってなんとひとつに合体してたちまち巨大化し、みるみるうちに世界全部を覆ってしまった。
いやそれだけではあきたらず、三千大千世界、すなわち世界千個×3千個=300万個の世界を覆ったというから、スケールがでかい。だって、地球300万個分の広さをひとつの傘で覆ったってんですよ?
それぞれの世界にある須弥山も大雪山も、目眞隣陀山も摩訶目眞隣陀山も、香山、宝山、金山、黒山、さらに世界を取り囲む山脈の鉄輪山に大鉄輪山も。そしてすべての大海、河川も、それぞれの世界の日月や星も、天宮に龍宮、あらゆる尊い存在の宮殿も、みんな傘の下に入ってしまった。
そして、そのころ他の世界で悟りを開いて説法していた別のブッダたちも、みんな傘の下に入ってしまっていた。
なんというファンタジィな!
「これはただ事ではない!」とこの場にいた一同は驚いて、みな合掌し、これからいったい何が起こるのだろうと、まばたきもせずにブッダを見つめた。
そんな中、500人の若者のリーダーである宝積が、……
---つづく!