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第三章 弟子品(5) 阿那律が梵天と話していると

 

 佛告阿那律汝行詣維摩詰問疾阿那律白佛言世尊我不堪任詣彼問疾……


 ブッダは、次には阿那律アヌルッダ

「キミ、維摩詰ヴィマラキールティの見舞いに行ってきてくれ」


 阿那律(あなりつ)尊者も十大弟子の一人ですが、まだ悟りを開く前のあるとき、ブッダの説法中に居眠りこいてしまいました。疲れてたんでしょうね。でもブッダに

「キミは道を求めて出家したんだろ。その決意はどーなっちゃったの?」

 と叱られてしまいまして。それからは「一生寝ない」という誓いをたて、不眠不休、横になることも一切せず修行を続けたのだとか。その無理が祟り、とうとう視力を失ってしまいました。これにはブッダもさすがに呆れまして、

「少しは寝たほうがいいよ?」

 と奨めたんですが、目が見えなくなっても阿那律は誓いを守ってがんばっておりました。


 ある日、阿那律は破れた衣服を繕おうとしたのですが、目が見えないため針の穴に糸をうまく通せません。そこで

「どなたか私のために、糸を針に通していただけませんでしょうか?」

 と懇願しますと、

「では私めが、(尊い修行者のあなたのためにひと働きをお布施することで、)功徳を積まさせていただきます」

 という声が聞こえました。それは、誰あろうブッダその人の声でした。

 驚いた阿那律にブッダはやさしく笑い、

「ブッダだってみんなと同じで、功徳を積んで幸せになりたいんだヨ♪」

 と答えたのでした。


 こうして、先生であるブッダの温かい支援を受けつつ、不眠の修行の末、天眼通てんげんつうという何でも見えてしまう千里眼の神通力を得た阿那律尊者は、阿羅漢の悟りを開いてから「天眼第一」と呼ばれ十大弟子に数えられるようになったのでした。


 さて、その阿那律に

「キミ、維摩詰ヴィマラキールティの見舞いに行ってきてくれ」

 すると阿那律が言うには……


世尊ヴァガボン、私はその任に堪えません。なぜかといいますと……忘れもしません、昔、あるところで私が経行きんひんをしておりましたら……」


 経行とは。

 長時間の座禅や読経をしますと脚が痛くなります。慣れてない人は脚が痺れます。慣れてる人は痺れませんが、それでも脚部に違和感は生じます。

 そこで座禅や読経を長くやった後には、膝を伸ばして下半身の血行をよくするため、胸の前で両手を重ねた独特のポーズで、一定の場所をぐるぐる歩くという習慣かありまして。つまりは瞑想しながら体操と散歩を兼ねるような軽い運動ですけど、これを経行きんひんと申します。

 で。


「……経行をしておりましたら。巌浄(たいへんに美しく飾られた)という名の梵天ブラフマーの王様が、大勢の梵天がたを連れて現れまして。そりゃあもう、数万ワットっつーか数億ルクスっつーか、そのくらいの清らかで強烈な光を放ちながら、私のところに来たんです」


 梵天ブラフマーとは……前にも登場しましたが、インド神話での天地創造の神様です。日本でいえば天御中主神あめのみなかぬしのかみあたりですね。

 ただし梵天は唯一神ではなく、それどころか王様がいて国民もいて、いくつかの国もあるような状態らしい。

 しかし梵天はその他の多神教的な神様たち(天部デイーヴァ)にとっても文字通り「天の上の存在」であり、あまりにも上の遠いところにいるため、地上の人間ごときと直接関わることはほとんどありません。

 体から物凄い光を放っているので、天部の神様(ディーヴァ)でさえその姿をまともに見ることは困難らしく……そういや『雲に乗る』(本宮ひろ志)でそんな感じのシーンがありました。あれは梵天だったのでしょうか、それとももうちょっと低いとこに居られるという他化自在天(ヴィシュヌ)大自在天シヴァだったのでしょうか。

 人間から見ればはるかに偉い天部の神々(ディーヴァ)でさえも、梵天から見れば虫のような矮小な存在なのかもしれません。

 まぁそれくらいに偉いのですが、真剣に道を求める修行者には梵天も敬意を払ってくれるようです。


 仏教の世界観では、世界はただひとつではなく多次元に無数にありまして、そのひとつひとつに、それを作った梵天たちがいるわけで。

 だから現代風に言えば、「宇宙の創造神」というよりは「太陽系の創造神」というくらいのスケールでしょうか。しかしそれでも人間から観ればはるかにスケールがでかく、ものすごく偉い。


「その梵天様たちがおじぎをしまして、その王様が私に言ったんです。

『阿那律はん、あなたはんの天眼ではうちらはどのように見えとらはりますえ?』(なぜ京言葉?)

「私はすぐに答えました、『仁(博愛)のある方に見えます』と。

「私には、釈迦牟尼仏シャーキャムニ・ブッダの仏土の周囲、三千大千世界(3000×3000個の地球)のどこであろうと、手のひら中の菴摩勒アームラ果の実のように見ることができるのですから。

「ところがそのときに維摩詰が来まして、こう言ったのです。


『阿那律先輩。天眼通とは作られた能力なのでしょうか、作られてない能力なのでしょうか?

『仮に作られた能力であるなら、それは外道(異教)の神通力と同じですね。

『作られてない能力なのなら……見えませんよね、まだ作られてないんですから。』


世尊ヴァガボン、私は愕然とし、何も答えられませんでした。梵天の王様も

『そないな考え方は未曾有でしたわー!』

 と驚いて威儀を正し、維摩詰に礼を尽くしまして、

『さいどしたら、この世に真の天眼通を持ってる方なんておらはりますやろか?』

 と教えを請いました。維摩詰が言うには、

世尊(ヴァガボン)であるブッダは真の天眼通を得ています。常に三昧に住し(日常生活でも瞑想の中と同じように暮らし)、あらゆるブッダの国を間違いなくすべて見ておられます。』


「このとき、厳浄梵王とその眷属の500柱の梵天様がたが、全員、阿耨多羅三藐三菩提心を起こしまして、丁寧にお辞儀すると忽然として姿を消したのでした。このように、格が違いますから私は彼の見舞いをはたす自信がありません。」


「やれやれ……」

 ブッダは溜息をついて、今度は優波離ウパーリに……

 

 ---つづく

 

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