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ヴィクトルは自分の気持ちを落ち着かせるように息を吸いこむと、ゆっくりと口を開いた。
「えっと……それは君から?」
「いいえ。された側です」
間髪入れずに言い返すと、驚きの表情を見せた。本当に何も知らなかったのだと察したシェンナは、簡潔に『口煩いと言われて婚約破棄された』事を伝えた。円満と言うには疑わしいが、しっかり貰うものは貰ったので不満は無い事を告げた。
話を聞き終えたヴィクトルはダンッ!と大きな音を立ててテーブルを叩きつけた。テーブルには亀裂が入っており、その威力が見て取れる。シェンナは、驚きのあまりに体が硬直して動けない。
「あの馬鹿が!」
怒りを通りこして、殺気を放ちながら呟く姿はとてもアーネストに見せれたものじゃない。こんな姿を目にした日には気絶は避けられない。
(下手したら死ぬな)
こんな鋭い眼光で睨まれたら私だって息が止まりそうだもの。
「うちの愚弟が本当にすまない。君には世話になっていたはずなのに、恩を仇で返すとは……愚か者が……!」
その点に関しては、全くもってその通り。言い返す言葉がない。
「それを容認する親にも問題はある。君が望むなら一族郎党血祭りにあげるが?恩知らず、恥知らずな血筋はむしろ、ここで根絶やしにしといた方がいい。……私共どもな」
思い詰めたように深い息を吐きながら頭を抱えている。とても冗談を言っているような表情じゃない。
このままではクライトン家が物理的に消滅する。流石にそこまでは求めていないし、あんなヤツの為にこの方が手を汚す必要はない。
「いやいやいや!私、本当に気にしてませんから!なんなら婚約破棄されて嬉しいぐらいですから!」
「しかし、私の所に来たということは、そういう事じゃないのかい?」
「違います!単純に私が貴方に会いたかっただけです!」
勢いのままに自分の欲を吐き出してしまい、慌てて口を噤んだが、時すでに遅し。先程のまでの殺気が嘘のように、ポカンとした顔で私の顔を見つめてくる。
こうなると、パニックで頭が働かない。
「えっと、あの、違うんですよ!いや、違わないんですけど」
必死に取り繕うとして、ここまでの経緯を洗いざらい話してしまった。アーネストから救護要請があり、助言を呈する代わりにこの場を用意してもらったと、バカ正直に話してしまった。
誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化しが効いたのだろうが、パニックに陥っている人間にそこまでの判断は出来ない。
落ち着きを取り戻すのは、大抵全てを言い終えたあと。我に返り、自己嫌悪と羞恥心に襲われるまでが一連の流れだと相場が決まってる。
「……申し訳ありません。こんな邪な考えで威厳のある団長様に会おうなどと……」
弁解しようもない。
(終わった……)
ヴィクトルは黙ったまま。呆れて言葉もないのだろうと、シェンナは額に汗を浮かべながら項垂れていた。
沈黙が重い。いっその事、怒鳴りつけてもらった方が幾分かいい。
そんな事を考えていると「クククッ」と笑う声が聞こえた。
「そうか。アーネスト自ら私に連絡を寄越すなど珍しいと思っていたが……なるほど、私は君に当てる報酬だったか」
「いや、そんな事……いえ、はい……すみません……」
「違う」と否定しようとしたが、そういう事だと捉えるのが普通だ。出かかった言葉を飲み込み、素直に謝った。理由はどうあれ、自分が報酬の対象にされたんだ。不快に思われるのは仕方ない。私だったら冗談じゃないとブチギレ案件だ。
「何を謝る必要がある?」
私の不安をよそに、ヴィクトル団長は優しく声を掛けてくれた。
「君にはアーネストが随分と世話になった。一度、私から挨拶に行かなければと思っていたところだ。私の身が使えるのならいくらでも差し出そう」
「むしろ足りないぐらいだ」と太っ腹発言。
やはりこの人はアーネストとは器のデカさが違う。それだけじゃない。人としての常識も思いやりもアーネストには無いものがこの人にはある。
(私は一体、何と婚約していたんだろう)
もはや溜息すらも出ない。
「さて、私が見返りならば、しっかりその役割を担わなきゃならないなぁ」
何故かノリノリで「どうして欲しい?」なんて聞いてくる。
「その逞しい腕に抱かれてみたい」
……とか言ってみる?いやいや、そんな事言ったら本当に下心だけで近づいたと思われてしまう。
(本音は隠して……)
「私はこうして会っていただいただけで十分です」
「しかし……」
少しだけ眉を下げ、謙虚に微笑みながら答えればヴィクトルは困ったように言葉を詰まらせている。その姿にシェンナは内心ニヤッとほくそ笑んでいた。
素直に「また会いたいです」と伝えられたら良かったが、婚約破棄したばかりの私がそんな事を言えば碌な噂が立たない。それに、私が引いたところで責任感の強い彼が大人しく引く訳がない。そもそも、このまま終わらせる気はない。なんとしでもこの出会いをチャンスに変えたい。
「……そうだな。君にこれを渡しておこう」
「?」
ヴィクトル団長は自身の制服の襟から一つ徽章を外し、私の前に置いた。それには騎士団の紋章が入ってた。
「これを見せればここに入れる。私と話がしたくなったら来ればいい。愚痴の一つぐらいは聞いてやれる」
簡単に言ってくるが、徽章を持つシェンナの手は震えている。
「こ、こんな大事なもの……無理です!」
「本来は許されないが……まあ、大丈夫だろ」
軽く笑って誤魔化してくるが、完全に職権乱用。流石にこれは受け取れない。……というか、受け取っちゃ駄目なヤツ。
(私が悪用するとか考えないの!?)
いや、悪用なんかしないんだけど、人を簡単に信用するのはよくない。私の場合、アーネストの件があるから他人より信用があるんだろうけど……
「今日、初見!」
心のツッコミが声に出ていた。
「騎士としての規則云々の前に、初対面の人間に渡しちゃ駄目でしょ!貴方は仮にも団長なんですよ!?その団長がなにしてんですか!団員の信用問題にも繋がりますよ!?」
気付けばテーブルを叩きつけながら偉そうに説教じみた事を言っていた。
「もう、貴方達兄弟は変なところで似てますね」そう頭を抱えながら言い放った所でハッと正気に戻った。
一瞬で滝のような汗が噴き出し、壊れたおもちゃのようにギギギ……とヴィクトルに目を向けると、呆気に取られ動けずにいる姿が見えた。
(あ……今度こそ終わった)
自分からチャンスを手放してしまったことに落ち込み、後悔の波に飲み込まれそうになっていると
「あははははは!!」
豪快な笑い声が聞こえ、驚きながら顔を上げると腹を抱えて笑うヴィクトルがいた。
「いや、すまない。確かに君の言う通りだ」
目に溜まった涙を拭いながらも笑い続けている。……そんなに笑えるとこあった?と不思議そうに見つめていると、ヴィクトルが背を正し座り直した。
「君はアーネストよりも若いのに随分しっかりとしているな」
ごめんなさい。中身はアラサーです。とは言えない。
「それにしても、アーネストと似ていると言われたのは初めてだ。この歳で叱られたのもね」
「す、すみません!生意気な真似を……」
「謝ることはない。悪いのは私の方だ。配慮が足りなかった。君にも団員らにも」
アレと一緒にされて、さぞ気分を悪くされたのだろうと、慌てて謝るがヴィクトル団長は穏やかに微笑みながら自身の非を責めた。
「しかし、そうなると困ったな」
「あ、それじゃあ──」
役割を果たすどころか役立たずになると頭を悩ませているヴィクトルにシェンナが一つ提案を出した。




