帰り道にて
私は元来、迷わない男だ。
もはや迷わないという事は、私という人間を表す習性に近かった。
月明かりもない暗闇の中、眩い街灯へ誘引される羽虫のように。ここに行くしかないと、それ以外の選択肢はないのだと、ある種の強迫観念に駆られたように行ってしまう。
だから私は、自分自身が迷わない事を自負していた。
仕事や趣味もそうだった。行動に対しての結果も迷わず、初めて訪れた土地でも歩いた場所はマップを埋めるごとく記憶していた。だから迷ったことがない。
昔、学友から渾名でコンパス君と呼ばれていた。私が指差した方へ行けば、ご利益があるとさえ噂が回っていた。
やれどちらの女性を彼女にすべきか、就職先は何処が良いか、果ては子供の名前までも。私は他人の人生のターニングポイントを、無責任に何度も決めてきた。
だが、これで良かったのか??と後悔した事は一度もない。
これまでもこれからも、各が判断に自信を持って人生を闊歩していくのだろうーー
「ーーどれが良いんだ?」
分からない。
私は帰り道、迷っていた。
何でもない日常。しいて言うなら世間一般の華やかな金曜日というぐらいだった。
ケーキ屋の中で、色彩鮮やかなスイーツ達が並ぶガラスケースの前、訝しそうに眉を顰め、腹底から唸っている男が1人反射している。25分が経過していた。
ピロンッ、急かすようにポケット内の携帯がバイブした。
「パパまだ??」
加えて、プンプンと怒ったようなスタンプ。私は苦笑いを浮かべた。
まだ仕事が長引いてる、ごめんと返信して、私は再度悩みの航海へと向かったーー
「ーーどれが良いんだ??」
苺のショートケーキか、シットリ濃厚チョコケーキか、フルーツタルトか。
迷わない男が聞いて呆れる。私はこの歳になって初めて、迷っている。
今も昔も変わらず可愛い愛娘。最近、思春期を迎えたのだろう。機嫌がジェットコースターのように上下して、選択を間違えれば口を聞いてもらえない。
幼少期はあんなに「パパと結婚したい!パパが好きな女の子になる!」と天真爛漫な笑顔の天使がいたのに。
遠い昔を思い出して、トホホっと肩を落とした。
そんな愛娘が今日、テストで満点を取ったのだ。お祝いとしてケーキを所望されているのだが、私のセンスに任せると追加メッセージが来たのだ。
以前、似た案件で愛娘が大好きなお菓子を買ってきた時は「いつまでも子供扱いしないで」「もういらない」と数日間は口を聞いてもらえなかった。
そんなの、耐えられない。私が何の為に生きてるのか。その意義を失うかも知れない恐怖。恐ろしくて笑える。
爆弾処理班の方も、このプレッシャーを背負って生きているのだ。同士よ。
ピロンピロンピロンピロンピロンッ、激しく携帯がバイブしている。スタ連という攻撃を受けているようだ。
焦る額にジンワリと汗が滲む。商談のためにキツく締めていたネクタイを緩めると、ムワッと熱気が顎を伝った。
そこで私は、大切な事を思い出した。
そうだ、私は1人ではない。徐に携帯を取り出してポチポチと手早にメッセージを送信した。
「もしもし、今日の三春の雰囲気からして、ママは何ケーキが良いと思う?」
「何?そんな事で迷ってるの?濃厚なチョコケーキに決まってるでしょ」
「いやいや、私は迷っていない。ただ、ママのアドバイスが聞きたくて。ありがとう、私もチョコケーキにしようと思ってた」
「はいはい。気をつけて帰ってきて」
「うん」
ものの1分足らずで解決してしまった。今までの葛藤が嘘のように晴れていく。私は素晴らしい妻と結婚出来て幸せだ。
その当時も、迷わずこの人だと猛アプローチをした。つまり、私は結果的には迷っていない。
「すいません。しっとり濃厚チョコケーキを1つください」
ようやくですか、と待っていた店員もホッとしてケーキを箱に詰めた。
私は失われた時間を取り戻すように、希望に満ち溢れた未来に向けて歩み出す。
ピロンッ、再度携帯がバイブした。嫌な予感だった。
「そうそう、私もケーキ食べたいからよろしくね。貴方のセンスで」
私は迷わない男だ。
だが、帰り道は長そうだ。




