茜の新たな日常
四月十二日、火曜日。
「ピピピピピ……!」
けたたましい電子音が寝室に響き、茜はまどろみの中からゆっくりと目を開けた。目の前に3Dホログラムのデジタル目覚まし時計が浮かび、午前6時3分と表示されていた。
茜は無造作に手を伸ばし、ホログラムの目覚ましを叩き落として音を止めると、上体を起こして大きく伸びをした。いつも通りスッキリした目覚めだった。
茜はベッドから足を降ろし、立ち上がると同時に、イリスがふわりと寝室に現れた。
「おはよう、茜ちゃん」とイリスは声をかけた。
「はよー、イリス」と茜は返した。
イリスは茜の全身を見つめ、目を光らせた。白い光線で全身をスキャンし、健康状態を確認した。
茜は髪をかき上げながら、片足に体重をかけて待っていた。
「体温……36.6度、心拍数……60拍/分、血圧……120/80mmHg、血糖値……正常、睡眠の質……良好、顔色……良好――」
イリスは茜の健康状態を呟きながらデータを収集していた。
「――うん、今日も変わらず健康体だよ」
その言葉に、「サンキュー、イリス」と茜は返し、寝室を後にした。
茜は洗面所に向かい、顔を洗って歯磨きをしたあと、上下茜色のスポーツウェアに着替え、家を出た。家の前で軽く体をほぐし、日課の早朝ランニングを始めた。距離は片道五キロ、往復で十キロだった。
早朝ランニングで汗を流したあとは、シャワーを浴びてさっぱりした。その後、朝食をとった。白米、味噌汁、焼き鮭、サラダ、ゆで卵、ヨーグルトなど、バランスの良いメニューをしっかりと食べた。さらに、朝食中にイリスと一日の予定を確認した。
「たしか今日は、午前中がテニスで、午後がフェンシングだったよな?」茜はゆで卵を一口で頬張りながら尋ねた。
「そうだったんだけど、予定が変わったんだよね。依頼者が急遽キャンセルしちゃって……」
「そっか……どう変わったんだ?」
「それはね……」
数十分後、茜は腕を組み、顔をしかめていた。目の前には、色神学園の威圧感のある大きな校門が堂々とそびえていた。茜は色神学園の校門前に立ち、その隣にイリスがふわりと浮かんでいた。
家を出る前、イリスはなぜか、今回、茜が助っ人に入るチームとそのスポーツ、さらにその場所を教えてくれなかった。その理由を、今ここでようやく茜は知った。
「イリス、今日はここが会場なのか?」と茜は眉をひそめながら問いかけた。
「うん」イリスは元気よく頷いた。
「チッ……“あいつら”には絶対に会わないように、気をつけねぇと」と、茜は周囲を警戒しながら小さく呟いた。
茜の言う“あいつら”とは、一色こがね、姫島やなぎ、国東なのはの三人だった。特に、一色には絶対に会いたくないと思っていた。
「大丈夫。わたしについてきて!」とイリスは明るく言った。
「ああ、頼む」
茜はイリスを信じて、彼女の後をついて行った。時折、周りを見渡しながら、三人の姿がないか警戒して歩みを進めた。体育館、広場、グラウンド、ジム、食堂など、どこにも三人の姿がなく、茜はホッと胸を撫でおろした。
茜が周囲を警戒しながら進んでいると、突然イリスが「着いたよ」と告げた。茜は無事に“あいつら”に遭遇することなく、本日のスポーツ会場に無事到着したようだった。
茜が正面を向くと、そこには小さな教室のドアがあった。少人数用の教室で、広々としたスペースではなさそうだった。
「えっ……? イリス、ここが今日の会場なのか?」茜は戸惑いを隠せずに尋ねた。
「うん、そうだよ」とイリスは答えた。
「こんな狭い場所で、一体どんなスポーツができるんだ?」
「入ってみればわかるよ」
茜はイリスの素っ気ない態度に違和感を覚えつつも、教室に入ればその理由がわかるだろうと判断した。ドアをゆっくり開けて中を覗くと、電気がつけっぱなしで誰の姿もなかった。
「ん? 誰もいねぇじゃねぇか」と茜は呟いた。
茜が教室に足を踏み入れると、イリスも後から続いた。
教室の中は、特に変わった様子はなく、長机と椅子が静かに並んでいた。二人が中に入ってしばらく探索していると、突然、ドアが「バタン!」と音を立て、ひとりでに閉まった。
茜は急いでドアまで走り、力強くドアノブをひねったが、開かなかった。何度ひねっても「ガチャガチャ」と音がするだけ。どうやら、外から鍵を掛けられたようだった。
拷問部屋かよ……てか、なんでこの教室のドア、外鍵なんだよ!
茜はそう思いながら、事態に集中した。
「チッ、閉じ込められたか……一体誰の仕業だ? こんなくだらねぇことするやつは……?」茜は苛立ちを隠せない声で呟いた。
そのとき、突然電気が消え、窓の遮光カーテンが自動的に降り、一瞬で教室が闇に包まれた。数秒後、教室の中心に3Dホログラムが浮かび上がった。そこには、セレスティアボールの歴史を特集するバラエティー番組が映し出され、伝説的な白熱試合のシーンが次々と再生された。
その映像を見た瞬間、茜はすぐに、今回の首謀者が誰なのかを悟った。ドアを無理やり壊す以外、部屋から出る術がないため、茜は諦めて椅子に腰を下ろした。
結局、茜は二時間近くこの狭い教室に閉じ込められ、セレスティアボールの歴史を延々と見せられる羽目になった。
映像が終わると、電気がパッと点灯し、遮光カーテンが自動的に開き、ドアの鍵も解錠された。直後、首謀者の一色こがねが、姫島やなぎと国東なのはを引き連れ、何食わぬ顔で教室に入ってきた。後ろの姫島と国東は、気まずい表情を浮かべていた。
「茜さん、ごきげんよう」と一色は笑顔で言った。
「やっぱり……お前らか……」と茜は呆れたように呟いた。
「わたくしたちが用意した、セレスティアの映像はどうでしたか?」
「『どうでしたか?』じゃねぇだろ! ふざけやがって……! 一体何のつもりだ!」
「茜さんに、セレスティアの魅了をお伝えようと思いまして……」
「だったら、もっとマシなやり方があっただろ! 二時間もこんなところに閉じ込めやがって!」
「こうでもしないと、茜さん、すぐにここから出て行きますでしょう?」
「当たり前だ!」
「ごめんね、茜ちゃん。こんなことして……」姫島は申し訳なさそうに小さな声で謝り、隣の国東も「ごめんなさい」と深々と頭を下げた。
反省した様子の二人を見た茜は、息を整えて落ち着いた。
「……いや、二人に怒ってるわけじゃねぇ。お前らも、こいつに巻き込まれたんだろ?」と茜は少し柔らかい口調で返した。
「あら? どうしておわかりになるのですか?」と、一色は驚いた様子で言った。その発言と同時に、姫島と国東がゆっくり頭を上げ、気まずそうに頷いた。
「こんなくだらねぇことを考えるのは、お前しかいねぇだろ!」と茜は鋭く言い放った。
「茜さん!」と一色は大げさに叫び、手で口を覆った。その目には薄く涙が滲み、感激したように声を震わせた。「――いつの間に、そこまでわたくしのことをご理解いただいていたのですか!?」
「そんなわけねぇだろ!」と茜は顔を赤らめながら叫んだ。
「ウフフ、照れなくてもいいですわ。わたくしは嬉しいです」一色は頬を赤く染めた。
「照れてねぇよ! むしろ、迷惑だ!」
「迷惑だなんて……そんな悲しいこと、言わないでください……」一色はわざとらしく涙を浮かべ、泣き落としを試みた。「――わたくしたちは、茜さんのためを思って……」一色は茜をチラ見しながら反応をうかがった。
「それが迷惑だって言ってんだ! あたしは頼んでねぇ! てか、そもそも、なんでこんなことをする必要がある?」茜は苛立ちを露わにした。
「それはもちろん、茜さんに我が校のウィッチサバイバル部に入部してもらうためですわ」と一色は笑顔で答えた。
「はあ!?」
「先日の試合を拝見し、我が校のセレスティアボール部には、茜さんが必要だと確信しましたの」
「なんでそうなる? あたしより強いやつは、他にもいるだろ?」
「たしかに、強い選手は他にもたくさんいます。ですが、茜さんがいいのです。いえ、茜さんでなければならないのです!」
一色の発言に合わせ、姫島と国東も激しく頷いた。
「そんな言葉で、あたしを説得できると思うなよ。他のやつらと、あたしは違う……」
茜は鋭い目つきで一色を睨みつけ、さらに続けて言い添えた。
「それに、あたしはまだ、お前を認めてねぇからな!」
その言葉に、一色は一瞬目を見開いた。すぐに真剣な表情に戻り、ゆっくりと口を開いた。
「……どうすれば、認めていただけるのでしょうか?」
「何をしても認めねぇよ」茜は素っ気なく返した。
「そうですか……」と一色は小さく呟き、落ち込んだように目を伏せた。少しして、顔を上げると、真っ直ぐな瞳で茜を見つめながら、「では――わたくしと、勝負をしませんか?」と静かに提案した。
「は……? 勝負……?」と茜は返した。
「セレスティアボールで、わたくしと勝負をしましょう。それで、茜さんが勝ったら、わたくしは諦めます……ですが、わたくしが勝ったら、茜さんに入部してもらいます」と一色は真面目な口調で条件を提示した。
「……お前が、あたしに勝てると思ってんのか?」
「一対一では無理です。なので、ハンデをいただきたいと思っています」
「……どれくらいのハンデをつけるつもりだ?」
「そうですわね……二対一で、どうでしょうか?」
茜は少し考えた。
二対一ってことは、一色ともう一人――おそらく、姫島か国東を相手にするってことか。先週の試合内容を見る限り、このハンデは妥当だな。一色の実力はわかんねぇけど、姫島たちと大きな差はないはずだ。でなけりゃ、ハンデなんて求めるはずがねぇ。多分、二対一でちょうど互角……面白そうな試合になりそうだ……! でも……。
「そんな勝負、受ける理由がねぇんだよ」と茜は冷ややかに言った。
「ごもっともですわ……なので、もし茜さんが勝ったら、欲しいものを何でも差し上げる、というのはどうでしょうか?」と一色は提案した。
「別に欲しいものなんてねぇ」と茜は即答した。
「……では、物以外のプレゼントはどうでしょうか? たとえば、旅行や遊園地の招待状など……」
「興味ねぇ」
「そうですか……」一色は少し視線を下げ、考え込んだ。説得の手段が尽きたようで、しばらく沈黙が流れた。
「わりぃな……」と茜は軽く声をかけ、一色たちの横を通り過ぎ、教室から出ようとドアノブに手を掛けた。
その瞬間、「あー! 茜ちゃん、もしかして負けるのが怖くて逃げるのー?」と、姫島がわざとらしい棒読みで言った。
茜はドアノブを掴んだままピタッと止まった。
続いて国東が「そうなんだー、ちょっとカッコ悪いねー」と同じくわざとらしい棒読みで言った。
茜は眉間に深いシワを寄せ、握りしめた拳がわずかに震えた。
「お二人とも、そんな言い方はよくありませんわ。茜さんはただ……怖くて逃げているだけですから」と一色が挑発的に言った。
「……なんだと?」茜はゆっくりと振り返り、一色を鋭く睨みつけた。
姫島と国東は「ヒッ!」と驚きの声を上げ、互いに抱き合った。
「あら? どうしましたか?」
一色は何食わぬ顔で問いかけた。その姿が、茜には嘲笑っているように見えた。まるで一色が「せっかく試合を組んであげたのに逃げるなんて、とってもダサいですこと。オホホホホ……そんな方とチームメイトにならなくて、ホッとしましたわー!」と笑い飛ばしているように見えた。さらに「その程度の実力で調子に乗るなんて、滑稽ですわー!」と挑発しているようにも見えた。
少しの沈黙のあと、「いいぜ……そこまで言うなら、やってやるよ」と茜は低く呟いた。その目には鋭い光が宿り、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
「本当ですか……!?」と一色はすかさず問いかけた。
「ああ……その代わり、さっきの約束、忘れんなよ」茜は一色を指差して言った。
「はい、もちろんですわ!」
一色は満面の笑みで頷き、さっきまで怯えていた姫島と国東も、手を取り合ってぴょんぴょんと跳ねていた。
試合会場に向かうため、茜が部屋を出ようとしたそのとき、一色はふとイリスの方に視線を送り、「ありがとうございました。イリス様」と小声でお礼を言った。その言葉に応じるように、イリスは静かに微笑み返した。
グラウンドに着くと、一色は今回のルール説明を始めた。
今回の試合は二対一という特別仕様。試合時間は十分、ハーフタイムなし。フィールドの大きさは、前回よりも少し狭くなっていた。
茜はそこに、さらにハンデ――最初のボール保持を付け足し、了承された。
一色は少し間を置き、最後に笑顔でこう付け加えた。
「では、皆さんの健闘を祈っていますわ」
「は……? お前も参加するんじゃ……?」茜は一色を指差した。
「わたくしは参加しません。ここで見学させていただきます」と一色ははっきりと答えた。
「はぁぁぁぁあ!?」
茜は思わず叫び、続けて言った。
「――だったら、何でお前はここにいるんだ?」
「わたくしは色神学園の運営に携わる者として、部活の設立に立ち会うのは当然の役目ですわ」
一色は胸を張って言った。その瞳には、どこか自信に満ちた光が宿っていた。一色の心の中では、すでに新生セレスティアボール部が、全国大会で次々と強豪校を打ち破り、最終的に全国優勝を果たすビジョンが鮮やかに描かれているようだった。
(そんな簡単にいくわけねぇだろ……!)
茜は内心でそう呟きながらも、どこか一色の熱意に引き込まれている自分に気づき、眉間にシワを寄せた。気持ちを切り替えるため、「お前は入部しねぇのか?」と尋ねた。
「はい、わたくしはサポート役に徹しますわ」と一色は即答した。
「そうか……」茜は興味なさそうに短く呟いた。
茜の反応を見た一色は、ハッとして手で口を覆った。
「茜さん……まさか……わたくしとチームメイトになりたかったのでしょうか!?」
一色は驚きと嬉しさを滲ませた声で問いかけた。
茜は顔を赤く染めながら、「はあ!? そんなわけ……」と反論しようとした。だが、一色が「それなら、わたくしも考え直さなければいけませんわね……」と食い気味に制し、真剣な表情で考え込んだ。
「そんなわけねぇだろ!」と茜はすかさず全力で否定した。
「そんなに照れなくてもよろしいですわ」一色は頬を赤らめながら、満足げに呟いた。
茜は呆れたように息をつき、目を伏せ、早々に説得を諦めた。しかし、すぐに顔を上げ、「……いいことを思いついた!」とニヤリと笑った。
「いいこと……?」と姫島が首を傾げた。
茜は一色に目を向け、改めて条件を確認した。
「あたしが勝ったら、何でも言うことを聞くんだよな?」
「はい、わたくしにできることならなんでも……」と一色は落ち着いた口調で答えた。しかし次の瞬間、「あっ!」と何かを閃いたような表情を浮かべ、頬を赤く染めた。両手でそっと頬に触れながら、「ただ……その……エッチなことは、心の準備が必要ですので、少しお時間をいただければ……」と恥ずかしそうに言った。
「そんなわけあるかっ!」と茜は即座にツッコんだ。咳払いひとつで気持ちを切り替え、真剣な眼差しで一色を見据えた。
緊張感のある沈黙が流れる中、茜はゆっくりと口を開いた。
「あたしが勝ったら、お前が入部しろ!」と茜は一色を指差しながら言い放った。
一色は一瞬、不意を突かれたように目を見開いた。茜のまさかの発言に驚いた様子だった。
姫島と国東も、同じように目を見開いて驚いた。
茜は一色の驚き顔を見た瞬間、心の中で喜んだ。
よっしゃ! ついに一矢報いることができたぜ。さすがのこいつも、この展開は読めなかったみたいだな……フフッ、さあ、どうする? 一色こがね! ここまで来て、「やっぱり無理です」なんて言うわけねぇよなぁ?
茜は思わず笑みをこぼし、一色の返答を楽しみに待った。
しばらくすると、一色がようやく口を開いた。
「……わかりました。その条件で、お受けいたしますわ」と一色は静かに答えた。
その返事を聞き、茜はニヤリと笑った。
一方、一色は手で口元を覆い、「まさか……そこまでとは……」と声を震わせた。
茜は一色の様子に違和感を覚え、彼女を見つめた。
一色は続けて呟いた。
「――茜さんが、そこまでわたくしと一緒のチームになりたかったなんて……!」一色は感極まったように呟いた。
「はあ!? 誰がそんなこと言った!?」と茜は焦ったように声を張り上げた。
一色は瞬時に表情を引き締め、周囲を見渡してから静かに言った。
「というわけで、今回の試合は、姫島さんと国東さんVS茜さんで行います。よろしいですか?」
姫島と国東は黙って頷いた。
「えっ、ちょっと待っ……」と茜は戸惑いを見せた。
だが、「ではみなさん、準備を始めてください!」と一色は茜の発言を遮り、明るい声で言った。
一色の声かけに応じ、姫島と国東は更衣室へと足早に向かった。
茜は反論のタイミングを逃し、慌てて二人を追いかけた。
更衣室にはセレスティアボール専用の装備が整然と並び、色とりどりのユニフォームやカスタマイズ可能なスティック、そして翼を模したほうき型ドローンがディスプレイされていた。
茜は、炎のような力強さを感じさせるデザインのユニフォームとほうきを選んだ。
姫島と国東は、水を連想させる青いユニフォームとほうきを手に取った。
「ごめんね、茜ちゃん。さっき、挑発するようなことを言っちゃって……」と姫島は顔を伏せ、申し訳なさそうに言った。
「気にすんな、どうせ一色に言わされたんだろ?」と茜は軽く返した。
姫島は気まずそうに頷いた。
「でも、嫌な気持ちにさせちゃったよね……本当にごめんなさい」と国東も頭を下げた。
「まぁ、ちょっとだけ、ムカッときたけどな……」
茜はため息まじりに言いつつ、すぐに口元に自信たっぷりの笑みを浮かべて続けた。
「でも、二人と戦えるのは楽しみだ。手加減はしねぇから、覚悟しろよ!」
「あ、あたしだって、全力でいくからね!」と姫島は言い返し、「わたしも!」と国東も続いた。
「ふっ、いい試合にしよーな」と茜は返した。
三人は準備を終え、更衣室を後にした。
グラウンドに集まると、一色が三人に目を配りながら「フィールドはどうしますか?」と尋ねた。
「茜ちゃんが決めていいよ!」と姫島が言うと、全員の視線が茜に集まった。
「何でもいい」と茜は答えた。
「では、ランダムで決めましょう」と一色は言い、空中に浮かぶホログラムの設定画面を人差し指で軽くタップし、試合の設定を行った。
設定が完了し、一色が決定ボタンをタップすると、平坦なグラウンドに波紋のような光が広がった。次の瞬間、地面から透明な立方体がせり上がり、それが次々と緑の葉をまといながら成長していく。木々は瞬く間に密集し、目の前に深い仮想の森が広がった。
「今回のフィールドは、森林地帯ですわ」と一色は付け加えた。
先週の岩場と違い、空中に浮かぶ障害物はない。ただし、地上から生えた木――高さがおよそ十メートルから二十メートルの木々がフィールド全体に生い茂り、ゴールを覆い隠した。このフィールドに生い茂る木々は、3Dホログラムで構成されているが、AIがしっかりと当たり判定を行う。
フィールドが変わったことで、今回の戦術は前回とはまったく異なるものになる。場合によっては、二対一のハンデが意味をなさないかもしれない。茜にとっては、今回は有利なフィールドと言えるだろう。さらに、二人の実力も前回の試合で把握済みだから、様子見は不要だ。
茜は肩に乗るイリスに静かに尋ねた。
「イリス、どうなると思う?」
「相手がどんな作戦でくるかわからないけど、前回のデータから推測すると、茜ちゃんが87%の確率で勝つと思う……」とイリスは冷静に答えた。
「だろうな」
「でも、油断しちゃダメだよ」
「ああ、わかってる」
茜、姫島、国東は、静かにフィールドに足を踏み入れた。足元の地面がわずかに揺れる感覚を覚えた。各々が静かに指定された位置へ向かいながらも、互いの気配を探るように視線を交わし、一瞬の緊張が空気を支配していた。
茜は口角をわずかに上げ、湧き上がる闘志を隠しきれない表情を浮かべた。
一方で、姫島と国東の顔には緊張の色が浮かび、時折互いに視線を送り合っていた。
三人は指定された場所に到着すると、それぞれのほうきを起動し、柔らかく地面を蹴って浮遊した。
フィールドに生い茂る木々が視界を遮り、隙間からは相手の姿をうかがえない。木の葉が微かに揺れる音だけが耳に届き、不気味な静けさが漂っていた。
三人の準備が整うと、AIアナウンスがルール説明を読み上げた。
フィールドの周りには、学園の生徒たちが集まり、観戦していた。
AIアナウンスがカウントダウンを始めた。
「ピ・ピ・ピ・ピーッ!」という電子音が鳴り響き、ついに試合が開始した。
試合が始まると、茜は木々の間を軽やかに飛び、慎重に進みながらもその視線は鋭く周囲を探っていた。木の葉が揺れる音が微かに聞こえる中、姫島と国東がどこから来るのか、どんな攻撃を仕掛けてくるのかを警戒しながら、茜は少しでも油断を見せることなく前進を続けた。
「さて、どう攻めてくる……?」
茜は呟きながらも、頭の中で冷静に戦術を組み立てる。姫島と国東がどう動いてくるかはおおよそ予測がつく。だが、それだけでは足りない。彼女はその先を見越し、確実に次の動きに備えていた。
その瞬間、茜は右耳に微かな気配を感じ取った。姫島と国東が木々の間から静かに姿を現した。二人は距離を置きながらも、前後に並んで迫ってきた。姫島が茜の視界を遮るように木々の陰から飛び出し、国東はその背後から追い詰めるように近づいてきた。
「来たか……」
茜は素早く視線を動かし、どちらがボールを持っているのかを探った。二人ともボールが見えないようにスティックの先端を背中に隠して飛んでいたが、位置を考慮すると、後ろの国東が保持している可能性が高いと茜は判断した。
茜は姫島の横を通過し、国東の前に立ちはだかった。すると、国東が微かに表情を緩め、茜はそれに違和感を覚えた。
「まさか……!」
茜が慌てて振り返ったその瞬間、姫島が一気に加速した。ボールを持っていたのは、姫島だった。その様子を見て、茜は急いで姫島を追いかけた。
外野で見守るイリスが、「油断したね、茜ちゃん」と冷静に呟く。隣で一色も、得意げに笑みを浮かべていた。
姫島は木々の間を縫うように飛んだ。時折、枝葉に肩をかすめながらも、一週間前より明らかに飛行技術が向上していた。
その姿に、茜は思わず笑みをこぼした。だが、次の瞬間には真剣な表情に戻る。手を抜く気は一切なかった。ほうきの柄を強く握りしめ、体勢を低くすると、一気に加速し、華麗に木々を避けながら横から回り込んで、瞬く間に姫島の行く手を遮った。
「行かせるかよ」
茜がドヤ顔で言ったその瞬間、姫島はニヤリと笑い、スティックを振って頭上にパスを出した。茜が釣られて宙に舞うボールに視線を向けた瞬間、タイミングよく現れた国東がそれをキャッチし、そのままゴールへと迫った。
茜は二人の見事な連携に、一瞬、嬉しくて笑顔をこぼしたが、すぐに表情を引き締め、急いで国東を追いかけた。姫島もすぐ後に続いた。
国東がゴール目前まで迫り、シュートを放つ体勢を取った瞬間、茜はようやく彼女を追い抜いて制した。
国東はそれを見越していたかのように、横にボールを投じた。そこへ、タイミング良く姫島が現れ、ボールを受け取ると、瞬時にスティックを振り上げた。
だが茜は、そのシュートを先読みしていた。放たれる直前に鋭く方向を変え、ゴール前へ飛び込む。その動きを目にした姫島の手元が、わずかに狂った。
茜はボールが放たれると同時にスティックを突き出してゴールを阻もうとするが、ギリギリ間に合わない。しかし、ボールはゴールポストに弾かれた。
国東は「おしい!」と声を上げ、姫島は表情に悔しさを滲ませた。
茜は一息つき、弾かれたボールをスティックに収めると、二人を見据え、軽く笑みを浮かべた。
「次は、こっちの番だ!」
茜の言葉を聞き、姫島と国東はほうきとスティックをしっかりと握りしめて身構えた。茜が一気に加速して動き出すと、二人は互いに目配せをしながら、左右から挟み込む形で迫った。少しずつ距離を縮めながらスティックを構え、茜のスティックを狙う。十分に接近すると、同時にスティックを振るった。
茜は冷静に軌道を見切り、飛び続けながら身を翻してスティックを躱した。姫島はすぐに向き直り、勢いよく茜に向かって突進する。だが、茜はまるで予測していたかのように、身を反らして退いた。姫島は空振りし、そのまま木の幹に衝突しそうになったが、何とか体勢を立て直し、すぐに追いかけた。
その後も立て続けに繰り出される二人の攻撃を、茜は巧みな飛行技術と身のこなしで躱しながら、確実にゴールへと迫っていった。やがて、木々のわずかな隙間からゴールを視認すると、さらに加速し、瞬く間に二人を置き去りにした。
国東と姫島は必死に追いかけるが、茜のスピードと飛行技術はその圧倒的な差を見せつけていた。茜は木々の間を軽やかに飛び、後ろで必死に追う二人を徐々に突き放していく。そのままゴール前に出ると、鋭いシュートを突き刺し、一点を取った。
姫島と国東は先制ゴールを決められ、悔しさを滲ませた。だが、二人は決して諦めず、その瞳には闘志が宿っていた。
「まだまだこれから!」と国東が意気込む。
「そうだね、次は絶対に決める!」
姫島も気を引き締め、再び試合のスタートを切った。
茜はその姿を見て、少しだけ心を温かくしながらも、次の瞬間にまた気を引き締めた。
「次はどう来る……?」
茜は体勢を整えながら、木々の間で立ち塞がるように構えた。
姫島と国東は先ほどと一転し、お互いの位置を絶妙に合わせながら飛び、同時に攻め込んできた。その間隔は、二人が正確にパスを回せるギリギリの範囲のようだった。そして、姫島が掲げるスティックの先端に、ボールが収まっていた。
茜がボールを奪いに突進すると、姫島は即座に国東にパスを出した。それを見て、茜がすぐに方向転換すると、国東もパスを出してボールを返した。二人は息の合った連携で次々とパスを回し、茜を近づけさせず、だが確実にゴールへと迫っていった。
「いいね」
茜は静かに呟きながら、体勢を低くして一気に突進した。全力でボールを奪い取りに行くことでプレッシャーを与え、相手のミスを誘う作戦だった。
予想通り、姫島と国東は、茜の圧力にわずかな動揺を見せ、パスされたボールを取り損ねることがあった。それでも、集中力を切らさず、冷静にボールを収め直し、決して茜にボールを渡さなかった。そのまま正確なパス回しを続け、ついにゴール前まで迫った。
不器用ながらも、前回は何度も失敗したパス回しを正確にこなす二人を見て、茜は思わず口元を緩めた。その光景を見ただけで、二人の積み重ねた努力が見える。
次の瞬間、二人は互いに頷き、ゴールを鋭く見据えた。空気が変わったのを茜も察し、表情を引き締めた。
二人の位置取りは絶妙で、茜を挟み込むような形で、シュートチャンスを生み出そうとしていた。国東がボールを保持している。
茜はゴール前に待機し、鋭い視線で二人を見据え、どちらがシュートを放つのか、冷静に見極めた。ここで判断を間違うと、ゴールを決められてしまう。国東がスティックを振り被った瞬間、茜は彼女がシュートを放つと直感した。スティックの向きが、わずかにゴールの方へ向いていたからだ。
茜はシュートコースを塞ぎながら、迷わず国東に突撃した。だが、その瞬間、国東はニヤリと笑みを浮かべ、手首を返して姫島にパスを出した。
「なに!?」
茜は思わず声を漏らし、目を見開いた。すぐに方向転換し、姫島のもとへ急ぐ。
姫島はボールを受け取ると、間髪入れずにスティックを振り抜き、シュートを放った。ボールは真っ直ぐにゴールへと向かっていた。しかし、茜が精一杯伸ばしたスティックの先端がボールをかすめ、軌道をわずかに逸らした。ボールはゴールポストの上部に弾かれ、宙を舞った。
その刹那、弾かれたボールの先に国東が飛び込む。迷いなくボールを収めると、反射的にスティックを振り抜き、シュートを放った。鋭いシュートがゴールに突き刺さると、ホイッスルの音が鳴り響き、歓声が沸いた。
姫島と国東はハイタッチを交わし、喜び合った。
その光景を見た茜も、思わず笑みを浮かべ、「面白れぇ」と呟いた。同時に、瞳の奥に闘志を燃やした。
少しの静寂のあと、茜がボールを保持し、試合が再開された。試合も終盤に差し掛かり、次のゴールで勝敗が決する。フィールド内の空気が張り詰め、姫島と国東の表情は硬くなっていた。
二人はすでにゴール前で待機し、じっと茜を待っていた。強引に攻め込んでも、茜の飛行技術には敵わず、一気に振り切られたら負けると判断したようだ。ボールを奪うと同時に一気に反撃に転じ、ゴールを狙っている。
茜は難なくゴール前まで迫り、二人と対峙した。
「二人には悪いが、次のゴールを決めて、あたしが勝つ!」と茜は少し挑発的に宣言した。
二人は一切動揺を見せず、茜を鋭く見据えながら、強気に言い返した。
「わたしたちだって、絶対に負けられない!」と国東が言い、「決着をつけるよ、茜ちゃん!」と姫島がスティックを突き出しながら言った。
わずかな沈黙のあと、茜は一気に加速して突進した。姫島と国東も瞬時に反応し、迎え撃つ。三人の激しいボールの奪い合いが始まった。
茜は巧みな飛行で二人を躱しながらシュートチャンスを狙う。しかし、二人も必死に茜に食らいつき、シュートを放つ隙を与えない。茜が一人を抜き去っても、すかさずもう一人が立ち塞がる。二人の息の合った守備が、茜を完全に抑えていた。
茜は苦戦しながらも、ボールを保持したまま冷静にゴールだけを見据えていた。
このままじゃゴールに近づけねぇ……それなら――。
茜はゴールに近づくのを止め、後退した。その行動を目にした二人が、一瞬困惑の色を浮かべて硬直した――その瞬間、茜はその位置からゴールを狙い、スティックを振り上げた。
姫島と国東は、はっとして咄嗟にゴールを遮るようにスティック突き出した。しかし、茜はそれを見据えながら、「遅い!」と指摘し、勢いよくスティックを振り下ろした。
ものすごい勢いのボールが、空気を切り裂くように真っ直ぐゴールへと迫った。二人の突き出したスティックの間をすり抜け、そのままゴールに突き刺さると思われた。だが、ボールは直前でわずかに浮き上がり、ゴールポストに弾かれた。
「ちっ、外した!」茜は悔しがった。
姫島と国東は目を見開き、一瞬負けを悟ったような表情を浮かべていた。はっと我に返ると、国東が急いでボールを取りに向かった。スティックにボールを収めると、二人は一気に加速し、同時に攻め込んできた。
残り時間はあとわずか、茜が守りきれば、同点で引き分けになる。しかし、茜はそれで終わらせるつもりなどなかった。彼女は勝つために守りを捨て、ボールを奪うのに全力を尽くした。姫島と国東も茜と同様、絶対に勝つという意志を宿した目をしていた。
茜は圧倒的な飛行技術でボールを奪い取ろうと迫るが、二人も限界を超えた集中力を発揮し、追い打ちをなんとか躱す。今まで以上の正確なパス回しと飛行で、瞬く間にゴール前へと迫った。最後にパスを受けた姫島がゴールを見据え、スティックを振り上げた。
その瞬間、茜はゴールを遮るように、姫島の前に立ち塞がった。それでも、姫島は強引にスティックを振り抜き、勢いよくシュートを放った。
ボールは茜の横をかすめ、ゴールから大きく逸れていった。誰もが外れたと確信した瞬間、ただ一人――イリスだけが意味ありげに微笑んだ。次の瞬間、ボールは急激に軌道を曲げ、見事ゴールに突き刺さった。
まるで時間が止まったかのような静寂のあと、ゴールのホイッスルとともに、歓声が巻き起こった。そして、歓声の余韻の中で、試合終了の合図が響き渡った。
決勝ゴールを決めた姫島は、自分でも驚いたように呆然としていた。そこへ、国東が喜びを溢れさせながら駆け寄り、飛びついた。やがて、姫島の表情にもようやく勝利の実感が広がり、二人は手を取り合って喜んだ。
「やったね、やなぎちゃん!」と国東が笑顔で言い、「やった……本当に、あたしたちが勝ったんだ!」と姫島は声を弾ませた。
一方、茜は試合に負けたが、その表情はどこか清々しく、二人を見つめていた。
しばらくして、AIアナウンスが試合結果を告げた。
「ただいまの試合……2対1で、色神学園の勝利です!」
観客席から「ワァァァァ!」という割れんばかりの歓声が沸き起こった。
手を叩く音や指笛があちこちから響き、フィールド全体が熱気に包まれた。一色もその場で小さくガッツポーズを決めて喜んだ。
試合を終えた三人がゆっくりと地面に降り立つと、フィールドの3Dホログラムが消え、もとの平坦なグラウンドに戻った。
そこへ、イリスと一色が静かに歩み寄った。
「試合、負けちゃったね」とイリスはやさしい声で言った。
「ああ……完敗だ」と茜は素直に認めた。
「ふふ……茜さん、なんだか嬉しそうですわね」と一色は微笑みながら言った。
「は……? そんなわけねぇだろ!」
否定する茜に対し、イリスとこがねは小さく笑顔を浮かべた。
試合が終わると、観客たちは徐々に解散し始めた。しかしその中で、一人の少女が興味深そうに茜たちをじっと見つめていた。彼女の瞳には、ただの観戦者とは違う、挑戦的で強い意志を感じさせる光が宿っていた。その視線はまるで「次は自分の番だ」とでも言わんばかりだった。
一色は場の空気を切り替えるように口を開いた。
「みなさん、お疲れ様でした。今回の試合も、とても素晴らしかったですわ!」
「えへへ、それほどでも……」姫島は後頭部を掻きながら照れた。
「まさか、本当に勝てるなんて!」と国東は驚きの声を上げた。
「まあ、ハンデがあったけどね……」と姫島は少し悔しげに呟いた。
「ですが、勝ちは勝ちです。これで、茜さんが、我が校のセレスティアボール部に入部することが決定いたしましたわ!」
一色は目を輝かせながら、茜に視線を向けた。
「そうですわよね? 茜さん……」
その言葉には、どこか確信めいた響きがあった。
茜は一瞬、じっと一色を睨みつけたが、すぐに視線を逸らし、ため息混じりに答えた。
「ああ……約束だからな……」
一色の口元に勝ち誇ったような笑みが浮かぶと、茜は苦々しげに眉を寄せながらそっぽを向いた。
「やったー! 茜ちゃんが仲間になった!」
姫島は国東の手を握り、目を輝かせた。
「うん! やったね、やなぎちゃん!」と国東も声を弾ませ、二人は手を取り合って飛び跳ね、勝利と新たな仲間を迎える喜びを全身で表現した。
「姫島さん、国東さん……本当に、ありがとうございました」
一色は二人の目を真っ直ぐに見つめ、深々と頭を下げた。その声には感謝の念が滲んでいた。
姫島と国東は手を離し、一色の方に向き直った。
「お礼を言うのはあたしたちだよ! こがねちゃんがいろいろ準備してくれたおかげで、今日の試合ができたんだから!」と姫島が笑顔で言った。
「そうだよ! ありがとう、一色さん」と国東もやさしく微笑みながら言葉を添えた。
「いえ、わたくしは何もしていません。お二人の努力が、この結果を手繰り寄せたのです」と一色は言い、茜に視線を移した。
「そうですわよね? 茜さん……」
その問いかけに、茜は「オホン」と咳払いし、ちらりと視線を外して「……まあ、そうかもな」と呟いた。その頬はほんのり赤く染まっていた。
姫島は褒められたことが嬉しく、満面の笑みを浮かべた。
「みなさんのおかげで、幸先の良いスタートが切れましたわ。これで、部員が三名になりました」と一色は笑顔で言った。
こうして、色神学園セレスティアボール部は新たな仲間を迎え、三人で活動することとなった。
「よーし、それじゃあ早速、三人で練習スタートだ!」と姫島は両腕を高く掲げ、力強く叫んだ。その瞳には、自信とやる気が眩しいほどに宿っていた。
「練習より先に、部員を集める方が先だろ」と茜は冷静に指摘した。
「あっ!」と姫島は思い出したかのように声を漏らした。
「最低でもあと二人、集めないとね」と国東は呟いた。
「それに、練習内容も考えないといけませんわ。……まずは、話し合いをしましょう」と一色は冷静に提案した。
「くっ……仕方ない!」姫島は悔しそうに拳を握りしめ、やる気をぐっと抑え込んだ。
「あ、先に言っとくけど……あたしは火曜しか練習も試合も参加できねぇから」と茜はあっさり言い放った。
あまりに当然のように言い切る茜の態度に、姫島と国東は一瞬固まった。
「えっ……?」姫島は目を見開き、言葉を失った。
「どういうこと……?」と国東が静かに尋ねた。
「言葉通りだ。あたしは火曜だけ参加する」と茜ははっきりと答えた。
「そんな……!」と姫島は残念そうに声を上げた。
「一色もそのことを承知の上で、あたしを誘ったんだろ?」と茜は問いかけた。
姫島と国東は一斉に一色に視線を向けた。
「はい……お伝えするのが遅れてしまい、申し訳ありません」
一色は姫島を国東に向けて頭を下げた。
「本当に冗談じゃないんだ……」と姫島は残念そうに呟いた。
「そんな……!」国東は手で口を覆った。
「本当に火曜だけなの?」と姫島は改めて尋ねた。
「ああ……」と茜は答えた。
「月曜は……?」
「無理」
「水曜は?」
「無理だ」
「木曜なら?」
「無理!」
「じゃあ金曜は……?」
「火曜以外は、全部無理だ!」と茜はきっぱりと言い切った。
「どうしても……?」と姫島は食い下がる。
「ああ……」
「土下座して頼んだら、どうにかなる……?」
「……ならねぇよ」と茜は呆れたようにため息をついた。
「お金を払っても……?」
「ダメだ!」
「じゃあ、えーっと、他には……」姫島はこめかみに指を当て、考え込んだ。どうしても茜を説得したいようだった。
「何をしても無駄だ! これだけは……絶対譲れねぇ」と茜は力強く断言した。
「理由は……聞かない方がいい?」と国東は少し躊躇いながら尋ねた。
「ああ、教えられねぇ。わりぃな……」と茜は真剣な表情で答えた。
「そう……なんだ」国東は残念そうに目を伏せた。
気まずい沈黙が流れた。やる気に満ちていた空気が一変し、妙な重苦しさが漂い始めたが、その静寂を茜が破った。
「あたしは火曜しか参加できねぇけど、手を抜くつもりは一切ない。やるからには全力でやる! でも……納得がいかねぇなら、クビにしてくれて構わねぇ!」と茜ははっきりと言い切った。
「ダメじゃない!」と姫島は間髪入れずに答え、茜を真っ直ぐ見つめながら続けた。
「茜ちゃんの事情を考えずにごめん……あたし、ちょっと自分勝手だった」
「そもそも、わたしたちが強引に勧誘してるもんね……」と国東も視線を落として言い添えた。
「いや、二人は悪くねぇ。全部――こいつのせいだ」
茜は横にいた一色をビシッと指差した。
「はい、すべてわたくしの責任です。申し訳ありません」
一色はあっさりと認め、深々と頭を下げた。
「こがねちゃんのせいじゃないよ!」と姫島は慌てて否定した。
その言葉を聞いた瞬間、一色はにっこりと微笑み、すぐに顔を上げた。
「そうですわね! 誰も悪くありません。ただの情報伝達ミスですから、もう謝る必要なんてありません!」
(最初に謝ったのはお前だろ!)
茜は内心で盛大にツッコんだ。
姫島と国東も茜と同じ表情で、一色を見つめた。
そんな空気をまるで気にも留めず、一色はさらりと話を進めた。
「――では、場所を移して、今後の予定を話し合いましょう!」
茜たちはまんまと一色に乗せられた。それがわかっているのに、誰も反論しなかった。これが一色こがねという人物の恐ろしさ、なのかもしれない。
茜たちはグラウンドを後にし、色神学園の食堂へと向かった。
グラウンドから離れる際、一色は誰にも聞こえないほど小さな声で「ありがとうございました、イリス様」と囁いた。その表情には、普段の飄々とした様子とは異なる、深い感謝の念が滲んでいた。イリスはそれに親指を立てて応じた。茜の知らないところで、二人はいつの間にか仲良くなっていたようだった。
茜たちが去ったあとのグラウンドの片隅に、一人の少女が静かに立っていた。挑戦的な光を宿す瞳で、彼女は茜たちの背中を見送っていた。
「では、色神学園セレスティアボール部に、新たな部員が加わったことを祝して――」と一色が言うと、茜以外の三人が「カンパーイ!」と声を揃え、ジュースやお茶の入ったグラスを「コツン」と合わせた。それぞれ飲み物を一口飲むと、テーブルの料理――唐揚げ、とり天、焼きそば、新鮮なアジとサバの刺身、だんご汁などを食べながら、日常会話を楽しんだ。
茜たちはバイキング形式の食堂で、それぞれが食べたいものを自由に取り、四人掛けテーブルに腰を下ろしていた。
「……って、これ、ただの歓迎会じゃねぇか!」と茜は思わずツッコんだ。
「あら? 茜さん、何かお気に召しませんでしたか?」と一色が無邪気に問いかけた。
「『お気に召しませんでしたか?』じゃねぇよ! 今後の予定を話し合うんじゃなかったのか!?」
「もちろん、そのつもりですわ……! ですが、まずは親睦を深める方がいいかと思いまして……わたくしたちは、これからチームメイトになるのですから……」
「お前は入部しねぇだろ!」
「はい、選手にはなりません……ですが、これからはマネージャーとして、みなさんを支えていこうと思っていますの」
「えぇっ!?」
姫島と国東は同時に声を上げ、驚きのあまり箸を持つ手を止めた。
一色は、全員の視線を軽やかに受け止め、涼しげに微笑んだ。
「こがねちゃん……マネージャーになってくれるの!?」と姫島が目を輝かせて尋ねた。
「はい」と一色は笑顔で頷いた。
「ほ、本当に……?」と国東は信じられない様子で確認した。
「本当ですわ」と一色は即答した。
一瞬の静寂が訪れる。微笑む一色を前に、他の三人はぽかんと固まっていた。だが次の瞬間、「やったー!」と姫島と国東が声を揃え、手を取り合って喜んだ。
「ですので、これからもよろしくお願いいたします、茜さん」一色は茜に微笑んだ。
「チッ……やっとお前の顔を見なくて済むと思ってたのによ」茜は皮肉っぽく吐き捨てた。
「ウフフ、それは残念ですわね」と一色は涼しげに笑った。
姫島は目を輝かせ、手を叩いて提案した。
「そうだ、こがねちゃんのマネージャー就任も盛大にお祝いしないと!」
「そうだね」と国東も笑顔で賛同した。
「ほらみんな、グラスを持って!」
姫島が元気よくグラスを掲げると、国東と一色も笑顔で続いた。茜は仕方なさそうに、ゆっくりとグラスを持ち上げた。
「では、こがねちゃんのマネージャー就任を祝して――カンパーイ!」
姫島が声を弾ませると、国東と一色が笑顔でグラスを合わせ、食堂に明るい音が響いた。茜も渋々グラスを持ち上げ、顔を背けながら「……カンパイ」と小さく呟いた。
その後、唐揚げを取り合い、だんご汁のおいしさに感動しながら、和やかな雰囲気の中で食事を楽しんだ。
しばらくして、料理をすべて食べ終わり、全員が満足げ表情を浮かべていた。
「では、みなさん……そろそろ本題に入りましょうか」と一色が言った。
しかしそのとき、姫島が真剣な顔で口を開いた。
「待って、こがねちゃん……! まだ、大事なことがあるよ!」
「はっ、そうでしたわ! わたくしとしたことが、申し訳ありません」
「大切なこと……? 何だそれ?」茜は首を傾げた。
「ふっふっふ……それはね、茜ちゃん……」
姫島は一呼吸おいて、全員の視線を集めた。その目つきは、まるでこれから重大発表でもするかのようだった。そして次の瞬間、姫島は声を弾ませて言い放った。
「……デザートタイムだよ!」
一瞬の沈黙のあと、「はっ……?」と茜は呆れたように声を漏らした。
「それじゃあ、取りに行くぞー!」
姫島は勢いよく立ち上がり、真っ先にデザートゾーンへ駆け出した。国東と一色もすぐ後を追う。
茜はぽかんと硬直していたが、はっと我に返り、重い腰を上げてデザートゾーンへ足を向けた。
アイス、ジェラート、ソフトクリーム、プリン、コーヒーゼリーなど豊富な種類のデザートが並ぶテーブルを順に眺めながら、茜はどれを食べようかと悩んでいた。そこへ、トレーに全種類のデザートを乗せた姫島が隣にちょこんと現れた。
「茜ちゃん、茜ちゃん……! これ、美味しいからおすすめだよ!」
姫島が手に持って薦めてくれたのは、『やせうま』という、小麦粉で作った平たい麺に、たっぷりのきな粉と砂糖をまぶした、素朴でどこか懐かしいデザートだった。
茜は、さっき一色が言っていた「まず親睦を深める方がいいかと思いまして。わたくしたちは、これからチームメイトになるのですから」という言葉をふと思い出した。
(……まぁ、これからチームメイトとしてやっていくなら、仲良くしておくのも悪くねぇか。それに、この『やせうま』ってやつ……まだ食べたことねぇし、どんな味か気になる)
茜は姫島に薦められた『やせうま』を手に取り、トレーに乗せた。
最後に取りに行ったはずの茜が、なぜか一番乗りでテーブルに戻ってきた。他の三人はまだデザートを慎重に吟味している。それぞれが持つトレーには、すでに数種類のデザートが溢れるほど乗っていた。……どうやら、彼女たちにとってデザートは完全に別腹らしい。
三人がそれぞれ山盛りのデザートを抱えて席に戻ると、テーブルは甘い香りで満たされた。
「このアイス、めっちゃ濃厚だよ!」と国東が嬉しそうに笑えば、「このジェラート、果物感がすごい!」と姫島が感動の声を上げた。
茜も『やせうま』をひと口食べ、「おぉ……意外とうめぇじゃねぇか!」と素直な感想を漏らした。
デザートを食べ終えると、一色が改めて本題を切り出した。
「では、みなさん……今度こそ、本題に入りましょうか?」
「こがねちゃん……」と姫島が低く言い、何か言いたげな表情で一色を見つめた。
「な、何でしょうか……?」と一色は慎重に問いかけた。額に冷や汗が滲み、心当たりがないようだった。
緊張感がテーブルを包み込み、姫島に注目が集まった。
静寂の中、姫島は満を持して、「……ほっぺにクリームがついているよ!」と軽い口調で言った。
「えっ!?」と一色は驚きの声を上げ、慌てて右手で頬を押さえた。
「反対側だよ」と、姫島がすかさず補足した。
一色は左頬に触れてクリームを取り、恥ずかしそうに頬を赤らめ、ハンカチで拭いた。
茜は肩を震わせ、机に突っ伏しそうになりながら、必死に笑いをこらえていた。
「ゴホン……では、改めまして――」
一色は軽く咳払いし、一瞬目を閉じて気持ちを整えた。開いた瞳は真剣そのもので、場の空気が一変し、緊張感が漂った。
「まず、みなさんにお伝えしなければならないことがあります」
「なになに?」と姫島は嬉々として尋ねた。
「……実は、セレスティアボール部は、まだ正式な部活として認められません」
「えっ、なんで!?」姫島は思わず身を乗り出した。
「今はまだ、同好会なのです」一色は眉をひそめ、残念そうな表情を浮かべた。
「部活になるには、最低五人――つまり、あと二人必要なのです」と一色ははっきりと言い切った。
「それと……」
一色の説明の途中で、姫島が重ねて口を開いた。
「なんだ、そんなことか! それなら、元々集めるつもりだし、あまり心配しなくても……」
「それだけじゃないよ……」と国東がすかさず口を挟んだ。
「えっ……?」と姫島は目を丸くし、国東に視線を向けた。
「部活に昇格するためには、実績も必要……つまり、公式戦での勝利が求められるんだろ?」と茜は冷静に、だが少し厳しい口調で問いかけた。
「はい……」一色は頷いた。
「前は結構強かったみたいだけど、ここ数年は全然勝てなくて、廃部になっちゃったもんね」と国東が控えめに呟いた。
「大丈夫だよ、茜ちゃんがいるもん!」と姫島は自信満々に言った。
「たしかに茜さんは強いですが、セレスティアボールはチームスポーツです。一人が強くても、他の四人が弱ければ勝てません」と一色ははっきりと言い切った。
「それに、強豪校ともなれば、あたしより強い選手がごろごろいるはずだ」と茜は言い添えた。
「そう、なんだ……」姫島は視線を少し落とした。厳しい現状を理解した様子だった。しかし次の瞬間、「あっ!」と声を上げ、新たな提案をした。
「じゃあさ、あたしたちも超強い人をスカウトすればいいんじゃん!」
「言うのは簡単ですが、それが一番難しいのです」と一色は言った。
「そうなの?」と姫島は首を傾げた。
「色神学園の強い選手は、みんなクラブチームに所属してるから、わざわざ部活に入らないもんね」と国東が説明した。
「あっ、そっか……」姫島は目を伏せ、気まずい沈黙が流れた。
「……クラブチームはデータで有望な選手を囲い込んでいますから、今から探すのは正直難しいと思われます」と一色が真剣な表情で補足した。
「そうなんだ……」
姫島は、ようやく部員集めの大変さを理解したようで、少ししょんぼりした。
「まあ、そんなに気を落とすな!」と茜は軽い口調で言った。
全員の視線が自然と茜に集まった。
「――この学園には七万人もいるんだろ? だったら、まだ埋もれてる才能があってもおかしくねぇ」と茜は力強く言い切った。
一瞬の沈黙後、「そ、そうだね!」と姫島が両手の拳をグッと握りしめ、少し希望を見出したように賛同した。
「茜さんのおっしゃる通りですわ!」と一色もすぐに同意し、続けて言った。
「そして――すでに一人、有望な選手を見つけておりますの」
「えっ!?」
三人は声を揃えて驚き、一色に目を向けた。
「だっ、誰……!?」姫島ははやる気持ちを抑えきれない様子で身を乗り出した。
一色は茜たち一人ひとりと視線を交わし、意味ありげな笑みを浮かべた。そして、わざと間を取ってから、静かに口を開いた。
「……そのお方は現在、射撃部に所属していますわ」
「しゃ、射撃部って、あの……!?」
姫島は両手でライフルを構えるような仕草をしながら尋ねた。
「はい、その射撃ですわ」
一色は笑顔で姫島と同じジェスチャーを返した。
「……実は、さきほどの試合も見てもらいたくて、声をかけていたのですが……来られなかったようです」と一色は残念そうに呟いた。
「い、いつの間に……!」姫島は驚きを隠せない様子だった。
「マネージャーとして、当然の務めですわ!」
一色がスマートリングに触れると、淡い光が空中に浮かび、黒髪の少女の凛々しいホログラム画像が現れた。そのホログラムはテーブルの中央で静かに回転した。
その画像を見つめながら、一色は続けた。
「――この方は、高等部一年、安心院朝霧さんです。わたくしは、彼女を仲間に招き入れたいと思っていますの」
姫島と国東は、安心院の写真を凝視した。
「こがねちゃんは、どうしてこの子を仲間にしたいの?」と姫島が尋ねた。
一色は小さく微笑みながら、はっきりと答えた。
「……わたくしたちのチームに足りないものを、彼女が持っているからです」
「足りないもの……?」国東は首を傾げた。
「もしかして、狙撃力か……?」
茜の問いかけに、一色は「はい……」と深く頷き、さらに続けた。
「安心院さんは優れた狙撃力を持っています。種目は違いますが、セレスティアボールでも十分通用すると、わたくしは確信していますの」と自信ありげに言い切った。
「へぇー、そうなんだ!」姫島は感心したように頷いた。
(いや、それはさすがに無理があるだろ!)
茜は内心、ツッコミを入れたが、口に出さず、静かに水をひと口含んだ。そして、一色に鋭く尋ねた。
「――で、そいつを仲間にする方法は、ちゃんと考えてんのか?」
「もちろん、考えていますわ」と一色は笑顔で即答した。
「そうか……ならいい……」
一色は真剣な表情で視線を巡らせながら口を開いた。
「――ですが、わたくし一人では難しいので、みなさんもご協力していただけないでしょうか?」
「もちろんだよ!」と姫島は即答し、勢いよく手を上げた。
「わたしにできることがあれば、何でも言って」と国東もすぐに応じた。
一色は最後に茜に目を向けた。姫島と国東も茜に視線を移した。三人とも期待の表情を浮かべ、茜の返事を待っていた。
茜はその視線を受けて、頭を掻きながら不機嫌そうに答えた。
「あーもう、そんな目で見んなって!」と顔を背け、しばし沈黙。「……しゃーねぇな。あたしも手伝ってやるよ」頬をわずかに赤らめながら、茜はぼそりと呟いた。
その瞬間、三人の表情が一気に明るくなった。
姫島は「やったー!」と大きくガッツポーズを見せ、国東は嬉しそうに微笑み、一色も静かに安堵のため息をついた。
「みなさん、ありがとうございます」と一色は微笑んだ。
「礼はまだ早ぇよ」と茜が返すと、一色はすぐに顔を上げ、「そうですわね……」と返した。
「で……あたしたちは、具体的に何すりゃいいんだ?」と茜は冷静に尋ねた。
一色は一呼吸置き、キリっとした目つきになった。
「……では、わたくしが考えた作戦をお伝えしますわ」
その後、一色が慎重に練り上げた作戦を披露すると、茜たちは次々と意見を出していった。
「それ、ちょっと強引すぎないか?」と茜が指摘すれば、「でも、それぐらい大胆な方が目を引くよ」と姫島が言い添えた。
国東が冷静に中立の意見を挟み、一色が黙って首肯する場面もあった。
議論を重ねて作戦が形になったところで、ようやく話し合いは一段落した。
食堂の出口で別れる際、姫島は大きく親指を立てて笑顔で宣言した。
「茜ちゃん! 来週の火曜までには、安心院ちゃんを絶対仲間にしてみせるから、期待して待ってて!」
茜は軽く手を挙げ、「ああ、期待してる」と短く返した。その瞳には、かすかな信頼の色が宿っていた。
解散後、日はすっかり沈み、色神学園の校舎や街灯が道を明るく照らしていた。
「なあ、イリス。あたしが休んでる間に、他に良さそうなやつを探しておいてくれないか?」と茜は頼んだ。
「ふふ……うん、いいよ」とイリスはやさしく微笑んだ。
「ん? 何か変なこと言ったか?」と茜は首を傾げた。
「ううん、そうじゃなくて……茜ちゃんが、ちゃんとチームの一員になったみたいで、嬉しかったの」
「嬉しい……? なんで?」
「だって、茜ちゃん……今までずっと、何かを我慢してるように見えたから……」
「……そんな風に見えてたのか?」
「うん……」イリスは深く頷き、さらに続けた。
「スポーツは楽しんでるけど、どこか満たされない感じだった。孤独……かな。きっと、助っ人ばかりだったからだと思う。一緒にいても、あまり深く関わろうとしなかったから……」
「たしかに……そう言われると、そうかもな……」
茜はこれまでの自分を思い返した。どんなに華々しく活躍しても、心の奥にはいつも空虚な穴が空いていた。その感覚に慣れすぎて、気づくことすらなかった。茜は他人のことには敏いが、自分のことには無頓着なところがあった。
イリスはそれを見抜いていた。
「わたしも、茜ちゃんたちを全力でサポートするから!」とイリスは力強く宣言した。
「ああ、頼む」と茜も返した。
茜は校門に着くまでの間、すれ違う生徒たちを観察し、有望そうな選手を探していた。その中で、ひときわ目立つ集団が目に留まった。
彼らは虫取り網やさすまた、ネットランチャー、マジックハンドといった奇妙な捕獲道具を手に、「今日こそ見つけてやる!」「絶対に捕まえるぞ!」「このマジックハンドが、お前を逃がさない!」と妙に物騒な声を上げていた。
「イリス、あいつらは何を探してんだ?」と茜は尋ねた。
「あの人たちは、オカルト研究会だよ。色神学園七不思議を調べてるみたい」とイリスが答えた。
「色神学園七不思議……? そんなのがあんのか?」
「うん……トイレの花子さんとか、貞子とか、動く人体模型とか、探してるようだよ」
「へぇー、そんなやつらもいるんだな……」茜はオカルトにあまり興味を示さなかった。
校門に着くと、茜はポケットからほうき型ドローンを畳んだ円柱型の機器を取り出した。その際、手が滑って機器を地面に落としてしまった。機器はコロコロと転がり、近くに立っていた女性の足に当たって止まった。
彼女は静かにしゃがみ込んで機器を拾い上げた。長い黒髪が顔にかかり、その表情は見えない。白い服に身を包んだその姿は、どこか現実離れしていて、まるで夢の中から抜け出してきたかのようだった。
茜は急いで彼女のもとへ駆け寄ったが、その女性はまるで茜の存在に気づいていないかのように、無言で機器を見つめていた。
やがて、彼女は茜に気づき、視線を向けると、さっと手を差し出し、機器を返した。
「サンキュー」と茜はお礼を言い、受け取った。
彼女は何も言わず、じっと機器を見つめていた。
「ん? これか? これは――」
茜が機器のボタンを押すと、一瞬でほうきに変形した。
「あたし専用のほうきドローンだ」
彼女は茜に機器を返したあとも一言も発さず、静かに背を向け、歩き出した。風に揺れる黒髪。その後ろ姿は、茜の目にまるで幻のように映った。
「……あれ? どこかで見たことあるような……」
茜は立ち去る彼女の後ろ姿を見つめながら首を傾げた。しかし、その記憶の断片はすぐに霧のように消えてしまった。
家に帰ると、茜は日課の筋力トレーニングを始めた。腕立て伏せやスクワットを繰り返すたび、額に汗が滲む。その後、シャワーを浴び、スッキリした気分で柔軟体操に移った。筋肉を伸ばしながら、茜の頭には一日の出来事がちらついていた。
茜がベッドに横になると、全身がどっと重くなり、深い疲労感が波のように押し寄せた。目を閉じると、茜はあっという間に深い眠りへと沈んでいった。
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