翠のご機嫌な一日②
「邪魔されたら困るんだけど……」流香は冷静に言った。
「いや、そういう意味じゃねぇから!」弥生は即座に反論した。
「じゃあ、どういう意味?」
「え……?」弥生は言葉を詰まらせ、視線をさまよわせた。その途中で流香の顔をまじまじと見て、「お前……あのときのガキじゃねぇか!」と声を上げた。
流香は弥生の顔をじっと見つめ、ようやく「あ、あのときのお兄ちゃん!」と気づいた。
「久しぶりだな、元気だったか?」
「うん」
「ここで働いてんのか?」
「うん」
流香と弥生が親しげに話す光景を、翠は静かに見守っていた。表情にはわずかに緊張が浮かび、額に冷や汗が滲んだ。
確か、彼らは玄さんの同僚――〈フリーデン〉のエージェント。まさか流香さんと知り合いだったなんて……! 洞察力が鋭い人たちですから、油断しないように気をつけないと。
心の中で決意を固めた翠は、深く息をつき、意識を沈めて存在感を薄くした。だが、彼ら相手に、翠の思い通りにいくはずもなかった。
現在ホールにいるのは、翠、流香、そして光学迷彩で姿を隠しているチョコの三人。だが実際に客の目に映るのは、流香だけだった。翠は存在感が薄く、チョコは完全に姿を消しているからだ。
弥生たちは流香の案内で、店内の端のテーブル席に腰を下ろした。弥生と如月、睦月と霜月が隣同士に座った。
注文したドリンクや食事が運ばれると、霜月薙士の退院祝いを兼ねた“男子会”が始まった。弥生、如月、霜月の三人は賑やかに盛り上がり、睦月だけが黙々と食事をつついていた。
「元気一〇〇倍! 怪我バイバイ! おれの復活、みんなで乾杯! YEAH!」霜月は明るく韻を踏んだ。
「傷は男の勲章だぜ!」弥生は豪快にドリンクを飲んだ。
「数多の傷を負いながら、人知れず世界を救う――それが理想のヒーローだ」如月はしみじみと呟いた。
睦月は賑やかな三人を無視して、静かにコーヒーを一口飲んだ。
「でも、怪我が完治するまで、ちゃんと休めよ。任務は気にしなくていいから」弥生は気遣うように言った。
「心配無用! 感無量! 治療はすでに完りょ――痛ッ!」霜月は元気よく肩を上げたが、痛みで表情が一瞬歪んだ。
「だから言っただろ! 無理すんなって」
「オーノー」
霜月ががっかりして肩を落とすと、弥生は店内を見渡しながら話題を変えた。
「ところで、この店……気配薄い店員、多くね?」
「おそらく、ヒーローになるための修行だろう」如月は真面目な顔で言った。
「いや、そんなわけねぇだろ!」弥生は即座にツッコみ、店内をもう一度見回した。流香を軽く見つめながら、「まず、あいつだろ……」と呟き、視線を横にずらした。気配を消して薄っすらと見える翠を鋭く見据えながら、「あそこにもう一人……」と確認するように言った。さらに視線を動かし、誰もいない通路をじっと睨みつけ、指を差しながら「そして、完全に姿は見えねぇけど、あそこにもう一人いる」と確信したように呟いた。
その瞬間、指を差した場所から「ひゃっ!」と少女の小さな声が聞こえ、逃げるような足音が響いた。
「あ、逃げた」弥生は小さく呟いた。
「YOU、女の子を怖がらせちゃいけないZE!」霜月はいつもの調子で言った。
「別に怖がらせてねぇよ!」
そのとき、睦月がようやく静かに口を開いた。
「お前、自分の顔を見たことないのか?」
「は?」
「その顔を見れば、誰だって逃げたくなるだろ」
「んだと、睦月、てめぇ!」弥生は勢いよく席を立った。
「まあまあ、二人とも落ち着けって!」如月は二人をなだめたが、半笑いだった。
「ちっ!」弥生は苛立ちを隠さぬままドサッと腰を下ろし、腕を組んだ。
如月は翠を見つめながら、話題を切り替えた。
「それにしても、あの緑髪の店員、なんとなく“シュバルツ”に似てないか?」
全員の視線が自然と翠に向いた。
「そうか?」弥生は少し首を傾げた。
「確かに、身長も体格も、顔のパーツや輪郭も似ている……。だが別人だ。“動き”がまったく違う。あの店員は上品で丁寧な立ち振る舞いだが、シュバルツはもっと鋭く、そしてしなやかだ」睦月は冷静に早口で答えた。
如月と霜月は呆然と言葉を失い、わずかな沈黙が流れた。
「え、うわ、キモ……。お前、シュバルツをそんな目で見てたのか! 普通に引くわ……」弥生は思わず身を引いた。
睦月の顔がみるみる赤く染まった。勢いよく立ち上がると、腰のホルスターから隠していた短剣を素早く抜き、弥生を鋭く睨みつけた。「……殺す」
「へっ、上等だ! 返り討ちにしてやる!」弥生も席を立ち、やる気満々に拳を構えた。
「お前がおれに勝てるわけないだろ」
「てめぇこそ、おれにぶっ飛ばされたあとに泣きついても遅ぇからな!」
睦月と弥生は互いに挑発し合い、テーブル席に緊張が走った。
「いいぞ、やれやれ!」如月はノリノリで二人を煽った。
一方、霜月は少し冷静だった。
「こんなところで喧嘩は厳禁! 物を壊せば生まれる借金!」
霜月は韻を踏みながら注意したが、誰にも本気で止めていると思われなかった。
睦月と弥生はしばらく無言で火花を散らし、互いに出方をうかがっていた。
緊張感が漂う中、霜月が何気なく腕を引くと、肘がテーブル上のフォークに当たり、弾いた。弾かれたフォークが床に落ちた瞬間、睦月と弥生は同時に動いた。睦月はナイフを突き出し、弥生は拳を繰り出した。
ナイフと拳が衝突すれば、凄まじい衝撃波が広がり、周囲のものすべてが吹き飛んでしまう。それほどまでに圧倒的な力が込められていた。
霜月は強引に二人の間に入り込んで押さえ込もうとしたが、一瞬怪我の痛みが走り、動きが止まった。霜月が間に合わず、ナイフと拳が衝突しようとしたその瞬間、突然流香が現れ、床に落ちたフォークを拾おうとしゃがみ込んだ。
睦月と弥生は流香を一瞥し、咄嗟に突き出した拳を止めた。互いに寸止めし、無事に衝突は免れた。流香が床に落ちたフォークを拾い上げる間、睦月と弥生は素早く手を後ろに回して隠した。
流香は立ち上がると、訝しげな表情で弥生たちを見回し、静かに口を開いた。
「お兄ちゃんたち……今、何してたの?」
その問いかけに、四人は一斉にビクッと体を震わせ、気まずそうに視線を逸らし、何とも言えない沈黙が流れた。
流香は黙ったまま、目の前の状況を理解しようとするかのように、しばらくじっと四人を見つめ続けた。沈黙の中、誰も何も言わないまま、空気はますます重くなった。流香の視線が四人をぐるりと一巡したあと、やっと口を開いた。
「……お兄ちゃんたち、何か隠してるの?」
その鋭い問いに、四人は一斉に顔を引きつらせた。誰もがこの場をどう切り抜けようか、考えているようだった。
霜月が先に動いた。軽く笑いながら言った。「ハッハッハ! ちょっと話が盛り上がっていただけSA! 騒がしくしてすまないNE!」
「ふーん、何の話をしてたの?」流香は疑わしげに尋ね、睦月と弥生をじっと見つめた。その視線には、まるで二人の反応を試すかのような鋭さがあった。
睦月は弥生に鋭い視線を向け、目で何かを訴えたあと、口を噤み、無言を貫いた。
「なっ!? ンのヤロー!」弥生は思わず声を漏らし、苛立ちを浮かべたが、流香の視線を感じると、慌てて思いついたことを答えた。
「こ、この中で誰が一番強ぇか話してたんだよ。やっぱ、力こそパワーだからな! ハハ……」
弥生が無理に笑顔を作りながら言うと、如月も即座に言い添えた。
「そうそう! ヒーローにはパワーが欠かせないからな!」
流香はその言葉を聞いて、まだ疑念を抱えているようだったが、それでも「そうなんだ……」と呟いた。
流香が納得すると、四人はようやく緊張が解け、互いに顔を見合わせて肩の力を抜いた。誰もがひとまずその場を乗り切ることができた、と思い込んでいた。
しかし――。
「で、誰が一番強いの?」
流香が無邪気に問いかけると、四人は一斉に目を見開き、固まった。
再び空気が張り詰める中、弥生が最初に口を開いた。
「そりぁもちろん、おれに決まって……」
弥生が自信ありげに言いかけた瞬間、睦月はわざと被せるように「無論、おれだ」と言って遮った。
二人が再び睨み合うと、如月が割り込むように「いやいや、最強はこのおれ――如月蓮二だ!」と張り合った。
霜月も対抗心を燃やし、「怪我が治れば、おれが『最強』! あえて言うなら、お前らは『最狂』! YEAH!」と韻を踏んで挑発した。
四人が闘争心を燃やす光景を見つめ、流香はふと閃き、静かに口を開いた。
「じゃあ、勝負で決めようよ!」
流香の提案に、四人は即座に頷いた。
弥生はやる気満々に「いいぜ!」と即答し、睦月は被せて「いいだろう」と呟いた。霜月は「OK!」と意気込み、如月は「うん!」と頷いた。
「決まりだね!」流香は嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃあ、何で勝負する?」如月は全員に向けて問いかけた。
「男と男の勝負なら、やっぱ拳だろ!」弥生は拳を突き出しながら答えた。
「それだと、負傷中の薙士が不利だ」睦月は冷静に指摘した。
「あ、そうだった! すまん」弥生はすぐに謝った。
「ノープロブレム!」霜月は軽く答えた。
その後もいくつか案が上がったが、どれも簡単かつ人前で行えるものではなく、しばらく話し合いは続いた。
如月は腕を組んで考えながら視線をさまよわせていると、ふと流香が視界に入った。その瞬間、不意に思いつき、口を開いた。
「この子に決めてもらうのはどうだ?」
全員の視線が流香に向いた。
少しの沈黙のあと、流香は控えめに、「……え、いいの?」と問い返した。
四人が納得したように頷くと、流香の目が輝いた。
「うーん、どうしよっかなぁ……」
流香は腕を組み、真剣に考え込んだ。やがて、何か思いついたような表情を浮かべると、その場から走り去り、店の奥へと姿を消した。
少しして、流香はメルの手を引きながら戻ってきた。
メルは帰り支度をしていると、突然流香に捕まり、訳もわからず連れて来られ、「え!?」と困惑していた。
弥生たちも流香が何をしようとしているのかわからず、呆然としていた。
流香は堂々と胸を張り、ニッコリと笑いながら、「お兄ちゃんたちの勝負内容は……占いだよ!」と宣言した。
睦月、如月、霜月は驚いたように目を見開いた。
一瞬の間のあと、弥生は思わず、「は? 占い?」と声を上げた。
「うん!」流香は頷き、続けて説明した。「メルちゃんの占いで、一番運勢の良かった人が勝ち!」
「ちょっと待て! そんなの勝負じゃねぇだろ!」
「運も実力のうち、だよ」
流香が得意げに主張すると、弥生ははっとし、「そっか、そうだな!」と納得しかけた。だがすぐに、少し考え込んでから「……ん? そうか?」と首を傾げた。
「確かに、キミの言うことも一理あるな」如月はすんなりと受け入れた。
「今までやったことない勝負だな」睦月は小さく呟いた。
「結構面白そうじゃんYO!」霜月もノリノリだった。
三人の意欲的な姿に、弥生はあっさりと感化された。にやりと笑みを浮かべながら、「なら、決まりだな!」と受け入れた。
「メルちゃん、急にごめんね。ちょっとだけ、付き合ってくれる?」流香は真剣な眼差しでメルにお願いした。
メルは少し戸惑いながら、「この人たちを占えばいいの?」と尋ねた。
「うん!」流香は目を輝かせ、嬉しそうに頷いた。
メルは少し考え込んだあと、ややため息をつき、やさしく微笑みながら「わかった、いいよ」と答えた。普段から流香の気ままな思いつきを見ているため、すっかり慣れた様子だったが、わずかに疲労も感じられた。
こうして、睦月、如月、弥生、霜月の占いバトルが幕を開けた。
占い方法は、流香の提案でコーヒー占いに決まった。流香は適当に決めたわけではなく、ちゃっかり店の売り上げにも貢献していた。
流香が四杯のコーヒーを運び、テーブルにそっと置いたあと、メルが簡単に説明した。
「コーヒー占いは、飲み終えたカップに残ったコーヒーの粉の模様を読み解いて運勢を占います。まずは、粉が残るギリギリまでコーヒーを飲み切ってください」
指示に従い、弥生たちはカップを手に取り、コーヒーを最後の一滴まで飲み干した。
メルは続けて説明した。
「飲み終えたら、カップにソーサーを被せてひっくり返し、そっと指を乗せてお祈りします」
弥生たちは言われた通りに行い、目を閉じて静かに念じた。少しの静寂のあと、目を開け、しばらく待った。
器が冷めた頃、メルは静かに口を開いた。
「そろそろですね。では、カップを元に戻してください。底に残った粉の模様を見て占います」
少しの緊張感が漂う中、弥生たちはそっとカップを元に戻し、中を覗き込むように見た。弥生のカップには薄めの三日月が浮かび、睦月は植物と蛇のような模様、如月は星と雲、霜月は取手と反対の方に波線が流れていた。
自分たちの模様を見た瞬間、弥生は期待に満ちた表情を浮かべ、睦月は無反応だった。如月は嬉しそうに微笑み、霜月はきょとんとした。
メルは真剣な表情で四つのカップを順番に見つめた。模様の鮮明さや大きさ、位置を読み取りながら、「うーん、なるほど……」と意味深に呟いた。
弥生は少し緊張した声で、「どうだ?」と問いかけた。
「えーっと、まずはあなただけど……」メルは弥生を示した。「タイミングを逃して悔しい思いをするかもしれません。もし心にダメージを受けたら、無理せずに家に帰ってゆっくり休んでください」
「なに!?」弥生は思わず声を上げ、顔をしかめた。
「次に、あなたですが……」メルは睦月に視線を移した。「ハードワークが続いて、少し疲れているようですね。一度、ゆっくり休んだ方がいいでしょう。あと、近いうち困難が待ち受けているかもしれません」
睦月は図星を突かれたように黙り込んだ。
「そして、あなた……」メルは如月に目を向けた。「自信を持って行動すると、心に秘めた願望が叶うかもしれません。しかし、選択を間違うと、トラブルに繋がる可能性もあります」
「おぉ、マジか……!」如月は期待と困惑が入り混じった表情を浮かべた。
「最後にあなたですが……」メルは霜月を見た。「健康に気をつけましょう。今の状態で無理をすると、怪我が治るまでに苦労します。しばらく安静に過ごしましょう」
「Oh、Yeah!」霜月の額に冷や汗が滲んだ。
少し重い沈黙のあと、メルは軽く手を掲げながら、淡々と「じゃあ、わたしはこの辺で……」と言い、すぐにその場を後にした。
「あ、うん」流香は頷き、店の入り口まで一緒に行った。「メルちゃん、いつも前向きな助言が多いのに、今日は結構辛辣だったね」
「そうだった? ちょっと気を遣う余裕がなかったのかも……」
「ごめんね、疲れてるのに……」
「ううん、大丈夫だよ」
「ありがとう、メルちゃん」
「どういたしまして。それじゃあ、お疲れ様。またね!」
「うん、お疲れ!」
流香は軽く手を振りながらメルを見送ったあと、弥生たちのもとへ戻った。席に戻ると、沈んだ空気が漂っていた。芳しくない占い結果に、四人は肩を落としていた。
流香は四人を励まそうと、明るく声をかけた。
「占いの結果が悪かったのは、ただの運だよ……お兄ちゃんたちのせいじゃないから、そんなに落ち込まなくて大丈夫!」
淀んだ空気がわずかに軽くなると、流香は続けて言った。
「でも、メルちゃんの占いって、結構当たるって評判なんだよね」
その言葉で、再び空気が一層ズーンっと重くなった。
しばらくして、弥生がその場の空気を変えるように声を上げた。
「あーもう、占いを気にして落ち込んでても仕方ねぇ! それより、勝負はどうなんだ?」
四人は一斉に流香を見つめ、反応を待った。
「あ、そっか! 勝負してたんだったね」流香は思い出したように呟き、腕を組んで「うーん……」と考え込んだ。緊張した面持ちの四人に見つめられながら、流香はようやく口を開いた。「……引き分け、かな」
「なっ!? 引き分け、だと?」弥生は目を見開いた。
「だって、みんなビミョーな結果だったし。優劣なんてつけられないよ」
流香の正論に、弥生は返す言葉が見つからず、悔しそうな表情で口を閉じた。他の三人も気恥ずかしそうな表情で黙り込んだ。
「だから、次の勝負で決着をつけよう!」流香はキリっとした眼差しで言った。
四人は驚いたように目を見開いた。
「え……次?」弥生は思わず声を上げた。
「うーん、次の勝負は……」流香は顎に手を添え、考え込んだ。何か思いついたような表情を浮かべると、急にその場を離れた。誰もいないはずの通路の途中で立ち止まり、迷わず話しかけた。そこで少し会話したあと、誰かの手を握り、その手を引くように戻ってきた。
「次は、『チョコちゃん探し』で勝負だよ!」流香は嬉しそうに言った。
「チョコちゃん……」弥生が呟き、如月が首を傾げながら「探し?」と続けた。
流香は楽しそうに説明した。
「見えないと思うけど、流香の隣には、人見知りで恥ずかしがり屋のチョコちゃんがいるの。光学迷彩? ていうので姿を消してるんだけど、今からチョコちゃんにお店のどこかに隠れてもらって、それを見つけるゲームだよ。動き回ると他のお客さんに迷惑だから、この席から見える範囲に隠れてもらって、みんなはここから一歩も動かずに探すの」
「かくれんぼか。意外と面白そうじゃねぇか!」弥生は余裕の笑みを浮かべた。
「視覚以外の感覚が勝負の鍵になるな」睦月はぽつりと呟いた。
「音に関しちゃ、誰にも負けないZE!」霜月は自信ありげに言った。
「いいや、おれが勝つ!」如月はやる気に満ちていた。
こうして、弥生たちの第二回戦『チョコちゃん探し』がスタートした。
流香、弥生、睦月、如月、霜月の五人は目を閉じ、じっと待った。流香も一緒に目を閉じた理由は、もしチョコの居場所を知っていた場合、視線や表情などで弥生たちに気づかれないためだ。
流香たちが目を閉じている間、チョコは店内を歩き回り、隠れる場所を探した。店内は落ち着いた雰囲気だが、客たちの会話や食器の音など、様々なノイズが飛び交っていた。
チョコは準備が整うと、一瞬手を出してオーケーサインを送り、すぐに引っ込めた。そのサインをAIのラーゼスが受け取り、流香たちに「チョコさんが隠れました」と知らせた。
流香たちは一斉に目を開け、店内を見渡した。そしてわずか数秒の内に、弥生、睦月、如月、霜月は一斉に指を差した。
「あそこだな!」弥生が声を上げた。
彼らが差した先には、観葉植物があった。沈黙の中、植物の葉が微かに揺れたあと、隣の虚空から突然、メモ用紙が現れて宙に浮かんだ。そのメモには、『せいかいです』と書かれていた。
「お兄ちゃんたち、見つけるの、早いね!」流香は驚きながら言った。
「これくらい楽勝だぜ!」弥生は得意げに答えた。
「そっか。じゃあ、次!」
その後、チョコは壁に掛かっている絵画の下やカウンターの空いた椅子に座って隠れた。なるべく静かに呼吸し、物音も一切立てなかった。しかし、弥生たちは感覚を研ぎすませ、どちらもわずか数秒の内にチョコを見つけた。
「どうして、そんなに早く見つけられるの?」流香は目を丸くして、興味津々で尋ねた。
「姿が見えなくても、気配を完全に消すのは難しい。だから、そのわずかな気配を感じ取ってるんだ」弥生は自慢げに答えた。
「ふーん、そっか……」流香は少し考え込んだあと、何かを閃いたように頷いた。「わかった! じゃあ、次はちょっと難しくしちゃうよ」
「望むところだ!」弥生は堂々と受けて立った。
流香は天井の防犯カメラを一瞥すると、ラーゼスが即座に「かしこまりました」と反応した。そして、先ほどと同じように流香たちが目を閉じると、チョコは次に隠れる場所を探し回り、そっと身を潜めた。チョコがオーケーサインを送り、手を引っ込めたあと、ラーゼスは「チョコさんが隠れました」と告げた。さらに、店内に流れる心地良いBGMに微かな雑音を忍ばせ、空調の風向きも微調整して、チョコの気配を完全に隠した。
ラーゼスの妨害により、弥生たちは苦戦した。霜月は耳を澄ませ、弥生は匂いを嗅ぎ、睦月は微かな空気の振動を読み、如月は目を凝らして店内を見渡した。だが、しばらくの間、誰もチョコの居場所を特定することができなかった。
流香は手を叩き、四人の目を引きつけると、挑戦的な笑みを浮かべて言った。
「答えの時間だよ!」
弥生たちは追い詰められた表情を浮かべた。
「はい、せーのっ!」
流香の掛け声で、弥生たちは慌てて一斉に指を差した。弥生は二人掛けテーブル席の下、睦月はメニュースタンドの横、如月はトイレ前、霜月はドア付近を指していた。
「みんなバラバラだね」
流香が軽く呟くと、四人は即座に応じた。
弥生は自信ありげに「ぜってぇあそこだ!」と言い切り、睦月は冷静に「メニュースタンドの横から、わずかな空気の振動を感じた」と呟いた。如月は「トイレの前の空間が少し歪んだ!」と言い、霜月はリズムに乗りながら、「あそこから、微かに音が聞こえたZE!」と言った。
「ふっふっふ、正解は――」流香は不敵に笑った。
四人が固唾をのんで見守る中、壁際に並ぶ二台の棚の間から、メモ用紙がふわりと浮かび上がった。メモには『ここでした』と書かれていた。
「残念、全員不正解でした!」流香は満足そうに笑った。
弥生は思わず「なっ!?」と驚きの声を上げ、睦月は無言で目を伏せ、如月は「くっそー」と悔しがり、霜月は元気なく「オーマイーガー」と呟いた。
流香はチョコの気配を感じると、その方向に素早く向き直り、微笑みながら感謝を伝えた。
「チョコちゃん、手伝ってくれてありがと! 最高だったよ!」
ドヤ顔で親指を立てた。数秒後、メモがふわりと空中に浮かび上がり、流香はそれを受け取った。
『きんちょうしたけど、わたしもたのしかった!』
その返事に、流香は胸がほっこり温かくなるのを感じた。にっこりと微笑みながら、柔らかい声で「また一緒に遊ぼうね!」と言った。
『うん、あそぼうね!』
二人は互いに笑顔で約束し、チョコは仕事に戻っていった。
流香が振り返ると、四人はまだ肩を落として、どこかしょんぼりしていた。流香は彼らを見つめながら、悪気なく言った。
「それにしても、全員外したから、また引き分けだね」
流香の容赦ない言葉が、四人の胸に深く突き刺さった。ぐうの音も出ない彼らをよそに、流香は腕を組み、少し考え込んだ。
「うーん、次はどうしようか……」
店内を見渡し、影の薄い翠が視界に入った瞬間、流香は何か閃いたような表情を浮かべ、急いで彼女のもとへ向かった。ついに、流香の気まぐれが翠に向かって動き出した。
「翠ちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど……」
「な、何でしょう?」
翠は一瞬言葉を詰まらせ、戸惑いながらも答えた。これまで流香が弥生たちと遊ぶ姿を横目で見て、警戒していた。『どうか、わたしに気づきませんように!』と心の中で必死に祈っていたが、その願いは届かず、流香にあっさりと見つかってしまった。
翠は心の中で必死に冷静さを保とうとした。
取り乱しちゃダメ! 少しでも隙を見せたら、怪しまれてしまう。……大丈夫、冷静に振舞えば、きっと乗り越えられるはず!
翠は覚悟を決め、キリっとした眼差しで流香を見据えた。流香が小さく手招きすると、翠は少し警戒しながら、そっと顔を近づけた。
流香は背伸びをしながら、翠に耳打ちし、真剣な表情で「お願いできる?」と頼んだ。
翠は少し考えたあと、「……それくらいなら、まあ」と控えめに答えた。
「ありがとう、翠ちゃん!」流香の目が輝き、満面の笑みを浮かべた。「それじゃあ、お願い!」と言い、流香は弥生たちの席へ戻っていった。
翠は静かに息をついたあと、ゆっくりと歩き出し、店の奥へと姿を消した。
流香は席に戻ると、へこむ四人に淡々と告げた。
「次の勝負が決まったよ」
その言葉を聞いた瞬間、四人の顔つきが一斉に変わった。その瞳には、勝利を目指す意志と、燃え上がる闘志が漲っていた。
「おれが勝つ!」弥生は強気に言い切り、如月は「いいや、おれだ!」と張り合い、霜月は「そろそろ決着つけようZE!」と意気込んだ。
「次の勝負は何だ?」睦月は冷静に尋ねた。
「ふっふっふ、次はね……早食い対決だよ!」流香は得意げに微笑みながら言った。
四人が驚きながら黙っている間に、流香は続けて説明した。
「今から運ばれてくるうちの特製メニューを一番早く食べ切った人が勝ち! ね、簡単でしょ?」流香は挑戦的に言った。
「ふん、負ける気がしねぇ!」弥生は自信ありげに拳を合わせた。
「スーパーヒーローの真の実力を見せてやる!」如月は意欲的に言った。
「おれのビートについて来られるかな?」霜月は挑発的に言った。
「食事はゆっくり楽しみたいが、こうなっては仕方ない。格の違いを教えてやる」睦月は静かに闘争心を燃やした。
四人は自信に満ちた表情で料理が来るのを待った。
数分後、翠は配膳カートを押しながら店内奥のキッチンから現れた。カートの上には、四人分の料理が用意されていた。翠が横を通り過ぎるたびに、客たちは思わず料理を二度見し、しばらく呆然と見つめ続けた。
弥生たちは余裕の表情を浮かべ、少し笑みを浮かべながら楽しげに待ち構えていた。しかし、翠が近づくにつれて、彼らの表情は次第に曇り、冷や汗が滲んだ。
翠はテーブル席の隣で立ち止まり、軽く微笑みながら「お待たせしました。こちら、本日限定の『色森スペシャル』です」と説明し、慎重に配膳した。
彼らの前に並べられた『色森スペシャル』――それは、巨大な皿にたくさんの料理が盛られたデカ盛りメニューだった。巨大ハンバーグ、唐揚げ、ナポリタン、オムライス、ピザ、グラタン、たまごサンド、サラダがびっしりと盛り付けられ、総重量はなんと八キロ超え――圧倒的な存在感を放っていた。
弥生たちは目の前の『色森スペシャル』に言葉を失い、息をのんだ。さっきまでの威勢は、すっかり消え去っていた。
弥生は『色森スペシャル』と差しながら、「ま、まさか、これを早食い勝負するのか?」と声を震わせた。
「うん!」流香は屈託のない笑顔で頷いた。「翠ちゃんの料理はどれも絶品だから、食べ始めたらきっと止まらなくなるよ!」
「そ、そうか……」
弥生たちは呆然とした表情で、『色森スペシャル』とじっと見つめた。
「お兄ちゃんたちなら、これくらい余裕だよね!」
流香の真っ直ぐな眼差しに、弥生、如月、霜月の三人はつい強がってしまった。
「あ、当たり前だろ!」弥生は即答し、如月は「スーパーヒーローに不可能はない!」と虚勢を張り、霜月は「やってやんYO!」と意気込んだ。
流香は三人の様子に気づかず、満足そうに「よかった」と微笑んだ。
睦月は静かに立ち上がり、気配を消してその場から離れようとした。しかしその瞬間、翠に肩をがっしりと掴まれ、身動きが取れなくなった。
「お客様、どちらへ行かれるのですか?」翠は低い声で尋ねた。
「ちょ、ちょっとトイレに……」睦月は言葉を詰まらせながら答えた。
「申し訳ありませんが、ただいまトイレは大変混み合っておりますので、もうしばらくお待ちください」翠は威圧感のある笑顔で言いながら、さらに手に力を込めた。
睦月はトイレを一瞥した。まったく混んでいなかったが、言い返す勇気がなく、「……はい」とおとなしく応じ、腰を下ろした。
睦月の様子を見て、弥生は驚きながら小声で言った。
「お前が素直に従うなんて、一体どうしたんだ!?」
「自分でもわからない。ただ、彼女には逆らう気になれない」
「確かに、あのハンパねぇ威圧感……只者じゃねぇな」
その言葉に、如月と霜月も頷いた。
四人が気後れする中、翠は念を押すように言い添えながら、ゆっくりと微笑んだ。
「こちらは、皆様のために丹精込めて作り上げたスペシャルメニューです。ぜひ、残さずお召し上がりください」
翠の無言の圧に気圧され、弥生たちは逆らうことができず、完全に退路を断たれた。さらに、店内の全員がその様子に注目し、誰もが驚きと期待の入り混じった表情を浮かべていた。
「それじゃあ、準備はいい?」
流香の言葉で、四人はついに決心し、真剣な表情で頷いた。デカ盛り料理と向かい合い、静かに構えた。
店内は静寂に包まれ、緊張感が高まる中、流香の声が響いた。
「よーい……スタート!」
流香の掛け声とともに、四人は一斉に食べ始めた。
弥生は唐揚げ、睦月はオムライス、如月はピザ、霜月は巨大ハンバーグを最初のひと口に選んだ。口に含んだ瞬間、四人はその美味しさに驚いた。
「なんだ、この唐揚げ! めっちゃうめぇぞ!」弥生は思わず声を上げた。
「美味しい……」睦月は小さく呟いた。
「チーズがトロトロ、ピザ生地がサクサク!」如月はひと口で大きくかぶりついた。
「肉が柔らかく、ジューシーだZE!」霜月は深く味わいながら言った。
その後、四人はそれぞれの作戦で、次々と口に運んでいった。
弥生はひと口ごとに食べる料理を変え、飽きがこないように工夫しながら勢いよく進めていった。睦月は冷静に自分のペースで食べ進めた。如月は楽しそうにピザを次々と口に運び、霜月は一番目立つ巨大ハンバーグを豪快にかぶりついた。
翠はその様子を満足そうに眺め、流香は静かにその展開を見守りながら、どんな結果が待っているのかワクワクしていた。店内の他の客たちも、四人の食べ進め方に注目しており、誰もがその展開に引き込まれていた。
数分が経過し、一番進んでいたのは弥生だった。次いで如月と霜月、そのあとに睦月が続いた。
弥生は競い合うライバルたちを一瞥し、挑発的に言った。
「ふん、この調子なら、おれの勝ちで決まりだな!」
「ヘイ、ユー! 勝負はまだ、始まったばかりだZE!」
「ここからが、スーパーヒーローの本領発揮だ!」
霜月と如月は強気に応じ、睦月は無言を貫いたが、三人は挑発に乗り、食べるスピードを速めた。その様子を見て、弥生もさらに勢いを増して食べ進めた。
十分後――。
四人は苦しげな表情を浮かべ、食べるペースがすっかり鈍っていた。『色森スペシャル』はまだ半分ほど残っており、一向に減らない。必死にひと口ずつ運んでいたが、腹は膨れ上がり、すでに限界が見え始めていた。
さらに数分後――。
睦月は六割ほど食べ進めたところで、ついに手が止まった。必死に箸を伸ばすが、手が小刻みに震え、本能がそれを拒否しているようだった。
次に異変が起こったのは、如月だった。
如月は唐揚げをひと口で食べた瞬間、突然箸を落とし、腹を押さえながらテーブルにうなだれた。「も、もう無理~」と顔をしかめて降参した。
脱落した二人を見て、弥生は「ふん、ついに二人脱落か!」と微笑んだ。霜月に視線を向け、「あとは、お前だけだ、薙士!」と言った。
「タイマン勝負だZE!」霜月は挑戦的に言った。
「望むところだ!」
弥生と霜月は最後の力を振り絞り、残りの料理を次々と口にかき込んだ。両者一歩も譲らず、根性で食べ続けた。互いに残り一割を切り、ほぼ同時にラストスパートを迎えたその瞬間、突然弥生の動きがピタッと止まった。瞬きすらせず、静かに座った状態のまま気を失っていた。
一方、霜月もとっくに限界を超えていたが、それでもなんとか食べ進めた。そして、ついに最後のひと口を食べ終わった瞬間、達成感と勝利の喜びが全身を駆け抜け、思わず拳を突き上げた。
それを見届けた流香は、満足そうに「ピィー!」と笛を吹き、店内に終了の合図が響き渡った。観客の間にざわめきが広がった。
弥生はその音を聞き、はっと意識を取り戻すと、周囲を見渡した。目の前に残りわずかな『色森スペシャル』と、霜月の完食済みの大皿を見比べ、すぐに結果を察した。顔に悔しさを浮かべながらも、素直に認めるしかなかった。
「ちっ、負けちまったか」弥生は悔しそうに呟き、霜月に目を向け、「なかなかやるじゃねぇか!」と褒めた。
霜月は嬉しそうに微笑みながら、「いい勝負だったZE!」と拳を突き出した。
弥生も小さく微笑み、拳を突き合わせた。
その光景を、睦月と如月は満足げに見守った。
頃合いを見て、流香は「それじゃあ、結果発表をするよ!」と声を上げ、注目を集めた。
「早食い対決の勝者は……」
流香がわざともったいぶって言うと、店内にドラムロールが流れ始めた。流香は場を盛り上げるために時間をかけていたが、霜月は自分が優勝したと確信したように胸を張って待っていた。ドラムロールの「ダダン!」が響いた次の瞬間、流香は霜月たちの隣の席を指した。
「五月皐月ちゃんでーす!」
優勝者の名が告げられた瞬間、他の客たちは、彼女の健闘を称えるように拍手を送り、店内は祝福ムードに包まれた。
霜月たちは目を見開き、呆然としながら「なっ、なにぃぃぃぃ!?」と声を上げ、一斉に隣を見た。その席には、フリーデンのナンバーエージェント――五月皐月と、その向かいに一色こがねが座っていた。皐月は満足そうにコーヒーをひと口飲み、こがねはそれを見つめながら、にっこりと微笑んでいた。彼女たちのテーブルには、完食済みの『色森スペシャル』の大皿やたくさんの空の皿が積み上げられていた。
「いつのまに!?」弥生は驚きを隠せず、目を見開いた。
実は、皐月とこがねは早食い対決が始まってから数分後に来店していた。席に向かっているとき、皐月は霜月たちが必死に食べていた『色森スペシャル』に目を奪われ、迷わず注文していた。そして、彼らが苦しむ隣でまったく苦戦することなく、あっという間にたいらげたのだった。
流香は皐月に近づき、「おめでとう、皐月ちゃん!」と祝福しながら、彼女に手作りの金メダルを掛けた。
こがねも笑顔で拍手を送りながら、「おめでとうございます」と言った。
「え、ありがとう」皐月は事情をよく理解していなかったが、特に気にせず、素直に受け入れた。
霜月たちはその光景をしばらく呆然と見つめ、やがて小さく微笑んだ。
「まあ、皐月なら負けても仕方ねぇか」弥生が負けを認めると、他の三人も納得したように頷いた。
こうして、弥生たちの小競り合いは、途中から急遽参戦した皐月の勝利で決着がついた、と思われた。
しかし――。
穏やかな雰囲気の中、弥生たちはそろそろ店を出ようと考え、席を立とうとした。
そのとき、翠は静かに近づき、微笑みながら「お待ちください、お客様」と呼び止めた。
「ん? まだ何かあるのか?」と応じながら、弥生は翠に目を向けた。その瞬間、一瞬で背筋が凍り、その場に立ち尽くした。睦月、如月、霜月も目を見開き、まるで氷漬けされたように硬直した。
「わたし、最初に説明したと思うのですが……」
翠は笑顔で言ったが、その笑みの奥に隠された冷徹な雰囲気が、弥生たちを圧倒していた。彼女は続けて言った。
「『色森スペシャル』は、皆様のために丹精込めて作り上げた特別な料理ですから、ぜひ、残さずお召し上がりください、と」
弥生、睦月、如月の三人は動揺し、慌てて視線を逸らした。額から大量に汗が溢れ出していた。
「まだ、残っているようですが……?」翠はさらに詰め寄り、視線を鋭く向けた。
「いや、でももうおれたちは……」と弥生が口を開きかけたが、翠は冷静にその言葉を遮った。
「まさか、もう食べられない……なんてことは言いませんよね?」
翠の鋭い眼差しに、弥生は思わず怯み、口を閉じた。睦月と如月は無言で食べかけの『色森スペシャル』を見つめ、青ざめた。
そのとき、こがねが席を立ち、ゆっくりと近づきながら口を開いた。
「色神学園の生徒たる者、愛ある料理を残すなど許されるはずがありません!」
二人の圧倒的なオーラを前に、弥生たちは完全に諦めた。
その光景を見て、霜月はほっと息をつき、楽しげに韻を踏んだ。
「おれは大食! お前ら小食! さあ、みんなで完食しようZE!」
その挑発に、弥生は「てめぇ、調子に乗りやがって!」と声を上げ、睦月は無言でムッとし、如月は「絶対食べ切ってやる!」と気合いを入れた。
「ハッハッハ、せいぜい頑張りなYO!」霜月は調子に乗って笑った。だが、その笑顔も束の間、霜月には次なる試練が待ち構えていた。
「お客様には、大食いチャレンジ成功のご褒美として、こちらのデザートをサービスします」
翠はにっこりと微笑みながら、霜月の目の前に特大のパフェを置いた。
「え……?」霜月は驚愕し、思わず言葉を失った。
「もちろん、こちらも完食しないと、帰れませんよ」翠は微笑みながら、さらに圧をかけるように言った。
「いや、さすがにこれは……」と霜月が言いかけたが、翠は静かに隣の席の皐月を指さした。
「あちらのお客様は、もう食べ終えていますが……」
霜月が目を向けると、皐月のテーブルにはすでに空のパフェグラスが並び、彼女は食後のコーヒーをゆっくりと味わっていた。
さらに、こがねがはっきりと言い添えた。
「色神学園の生徒たる者、ご厚意を無下にするなんて許されるはずがありません!」
霜月は少し前に調子に乗っていた自分を恥ずかしく感じ、ガックリと肩を落とした。
弥生と如月はクスクスと小さな笑い声を漏らし、睦月も堪えられず、静かに微笑んだ。
しかし、その笑顔もすぐに消え失せ、四人は表情を引き締め、決意を固めた。顔を見合わせながら頷いたあと、それぞれの目の前にある『色森スペシャル』の残りとパフェをじっと見つめた。その瞳には、“四人で絶対に乗り越えてみせる”という強い意志が宿っていた。
わずかな沈黙のあと、四人は一斉に勢いよくかぶりついた。だが、ひと口含んだ瞬間、四人とも動きが止まり、その姿勢のまま硬直した。強い意志は一瞬で砕け散り、深い絶望に満ちていた。
四人が苦悶する光景を、翠は静かに見守っていた。退勤時間が近づいていたが、全員が完食するまで見届けるつもりだった。
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