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桜VS特級天使『石作皇子』③

空気が張り詰める静寂の中、桜は石作と対峙していた。

 石作は冷笑を浮かべながら、桜を冷静に観察していた。

「イシシシシ、凄まじい力だ……。だが、近接戦闘員のゴミを失った今、魔法使いに何ができる?」

石作は肩をすくめながら挑発的に言い、さらに続けた。

「麻呂のゴーレムに敵うわけが――」

そう言いかけた瞬間、鋭い雷が一瞬でゴーレムの左肩を貫いた。石作が反応する間もなく、撃ち抜かれた左腕は肩から崩れ落ち、粉々に砕け散った。

 桜は冷静に、しかしはっきりと言い切った。

「お前に勝てる」

 一瞬の静寂のあと、石作は目を血走らせ、言い返した。

「ほざくなよ、小娘が!」

 ゴーレムが桜に向かって突進する。一歩ごとに轟音が鳴り響き、大地を揺るがしながら巨大な足跡を刻んでいく。間合いを詰めると、拳を勢いよく繰り出した。

 桜は迫る拳にも一切動じず、静かに杖を構えて呟いた。

建御雷神たけみかづち

 頭上に浮かぶ魔法陣から、先ほどとは比較にならぬほど巨大な雷が放たれた。迫りくる拳に雷が突き刺さり、粉々に砕きながら貫いた。

その衝撃でゴーレムが少しふらついた隙に、桜は容赦なく雷を放った。右足、左足、腹、胸、そして首へと、間髪入れずに雷を撃ち込み、頭部だけが残された。

桜が静かに狙いを定めたその瞬間、突如としてゴーレムの頭部が弾け飛び、中から石作が姿を現した。その表情は怒りで歪み、赤く鋭い瞳が桜を睨みつけていた。

「全部壊されるのが、そんなに嫌だった?」と桜は皮肉っぽく言った。

「気が変わったんだ。貴様は直接、麻呂の手で葬ってやりたいと思ってな」と石作は冷静に返した。

「……負け惜しみ? ……滑稽だね」

 桜の挑発に、石作は一瞬で距離を詰め、笏を閃かせた。

その刹那、桜は「アメノウズメ」と呟き、黒いオーラを纏いながら、殺気を捉えるように身を捻った。雷を纏った杖が、寸分違わずその斬撃を受け止めた。

鋭い音とともに、空気を裂く衝撃波が爆ぜた。吹き荒れたその波動は、山の木々を軋ませ、枝葉を薙ぎ払った。

「魔法使いは、近接戦闘が苦手なはずだ。そうだろ?」

 石作の挑発的な問いかけに、桜は口を閉ざした。

その反応を見た石作は、確信したような不気味な笑みを浮かべ、次々と笏で斬撃を叩き込んだ。斬撃は速く重いが、油断からくる乱雑さが目立った。それでも、石作の鋭い斬撃に、桜は防戦一方となっていた。

桜が無言のまま、杖で斬撃を受け流していると、石作は静かに口を開いた。

「少しはやるようだ。だが、果たしていつまでもつかな?」

 わずかに緩めた石作の口元には、自信が滲み出ていた。

たしかに、彼の言っていることは正しかった。多くの魔法使いは、中長距離の戦闘が得意で、近接戦闘が苦手である。桜も例外ではなかったが、今回は秘策を用意していた。

桜は冷静に石作の斬撃をいなし続け、まだ一太刀も浴びていなかった。その身のこなしは、まるで玄の動きそのものだった。

その理由は、先ほど、桜が自分にかけた魔法『アメノウズメ』によるものだった。『アメノウズメ』は模倣魔法。この魔法で、桜は玄の剣術を模倣し、それを完全に再現していた。

模倣にまったく気づかぬまま、石作は余裕の笑みを浮かべ、斬撃を繰り出していた。

一方、桜は冷静に反撃の機を窺っていた。

そしてついに、石作が笏を振り上げた一瞬の隙を、桜は見逃さなかった。

「白雪流・白鳴はくめい

 桜が静かに告げた刹那、白い閃光が空間を切り裂いた。時が凍りついたかのような沈黙のあと、大地を揺るがす雷鳴が、数瞬遅れて響き渡った。

 笏は粉々に砕け散り、石作の体も、頭上から一刀両断されていた。あまりに一瞬の出来事で、自身が斬られたことにすら気づいていなかった。視界が左右に割れて、ようやく「ん……?」と異変に気づき、「な、なにぃぃぃぃ!?」と驚愕した。石作は足をバタつかせて抵抗したが、時すでに遅く、体は静かに塵へと崩れていった。

「あ、あぁぁぁぁ! 麻呂の……麻呂の体が、塵にぃぃ!」

 石作は崩れ落ちる身体を必死に掴み取ろうとしたが、指先から零れたそれは砂のように砕け散った。ふと冷たい表情の桜が視界に入った。

「バ、バカな……! 麻呂が……こんな小娘に、負けるはずが……!」

 いまだに現実を受け入れることができない石作に、桜ははっきりと言い放った。

「わたしの勝ちだ」

 桜の勝利宣言に納得できない石作は、怒りの形相で突撃した。手にした黒い鉢を彼女の顔めがけて勢いよく投げたが、桜は冷静にその軌道を見切って回避した。

鉢は桜の顔の横を高速で通過し、空の彼方へと消えていった。

石作はさらに桜のもとへと迫り、手を突き出した。だが、彼女の目前で全身が塵となり、赤い瞳だけが、空間にぽつりと残された。その瞳が桜を鋭く睨みつけたが、やがて、跡形もなく消え去っていった。

勝利したにもかかわらず、桜はどこか悲しげな表情を浮かべていた。仇を討ったとはいえ、心に空いた穴が埋まるはずもなく、ただ虚しさだけが残っていた。それでも前に進むため、桜は気持ちを切り替えた。

石作の気配が完全に消え去ったのを確認すると、桜は静かに一息ついた。

「あと四人……」

小さく呟き、向き直ろうとしたその瞬間、足元がふらついた。咄嗟に杖を突いて体を支えたが、体力も魔力も、とっくに限界を超えていた。浮遊すら保てず、力なく地面へと降り立った。それでも、止まる気などなかった。足を一歩、無理やり踏み出した――その瞬間、突然目の前に不気味な気配を感じ取り、視線を上げた。

視線の先には、燕のような姿に無数の子安貝を飾り付けた特級天使――石上の姿があった。

「まさか、石作が負けたのか……! こんな小娘に……」

 石上は目を見開いて驚いたが、すぐに現実を受け入れ、侮蔑の言葉を吐いた。

「チュピチュピ……愚かな奴だ」

 桜は、その冷たい言葉から、彼らに仲間意識というものが存在しないことを悟った。そんな敵を目の前にして、嫌悪感を抱きつつも、石作に匹敵する彼の力を感じ取り、すぐに察した。

(こいつが……二人目)

桜は杖を構えようとした――だが、指先にすら力が入らず、その重さに体がふらついた。肩で呼吸するほど疲労が溜まり、とても戦える状態ではなかった。

石上は桜が限界に達していることを即座に見抜き、嬉々として笑った。

「貴様、もう限界のようだな。チュピチュピチュピ、麻呂はなんて幸運なんだ! これで“姫”の寵愛は麻呂のものだ!」

 石上は恍惚とした表情を浮かべ、空を仰ぎながら感謝していた。その隙に、桜は力を振り絞って光弾を放った。だが、石上は見向きもせず、軽く翼を一振り。光弾を弾き飛ばすと、桜を見据えニヤリと笑った。

「くっ……」

 桜はつらそうな表情を浮かべ、それでも必死に立ち続けた。しかし、ついに魔力を使い果たし、その場に崩れ落ちた。

 石上は目を輝かせながらゆっくりと歩み寄り、手を伸ばした。あと数センチで桜に触れそうになった、その瞬間――二人の間に疾風が駆け抜けた。石上が思わず目を閉じた刹那、桜の姿がなくなっていた。

「なに!?」

 石上は慌てて周囲を見渡し、すぐに見つけた。視線の先には、桜をそっと抱きかかえる百鬼夜行の姿があった。

「遅くなってすまない、桜ちゃん」

 夜行はやさしく声をかけたが、すでに気を失った桜の耳には届かなかった。

「あとは、わしが――」

 夜行が言いかけた瞬間、石上は一瞬で間合いを詰め、背後から翼を一閃。凄まじい突風とともに、かまいたちのような斬撃が木々や地面を切り裂いた。しかし、次の瞬間には、夜行の姿はそこから消えていた。

石上はすぐに背後から気配を感じ取り、素早く振り返ると、夜行を睨みつけた。

夜行の傍らには、強力な結界に守られ、静かに横たわる桜の姿があった。

 夜行は鬼のごとき瞳で石上を睨みつけ、静かに、しかし確かな殺気をまとって刀を抜いた。

その圧倒的な迫力に、石上は背筋を凍らせ、額に冷や汗を滲ませた。思わず一歩退いた自分に驚き、必死にその場に踏みとどまった。

夜行は深く息を吸い、空気の揺らぎすら沈黙する中、小さく呟いた。

「地獄の王、伍の裁き――閻魔・業焔えんま・ごうえん

 気づけば、夜行は音もなく石上の隣を通り過ぎ、無言で刀を収めていた。

背後の微かな気配に反応した石上は、反射的に振り返った。だがその瞬間、全身に刻まれていた無数の斬撃が一斉に発火し、瞬く間に業火が身体を包み込んだ。

「ぐわぁぁぁぁ!」

石上は断末魔の叫びを上げ、業火に呑まれながら、塵と化して虚空へと消えた。

 敵を倒し、桜のそばで一息つく夜行のもとへ、阿修羅が駆けつけ、続いて神楽、アリス、ヴラド、そして風魔が姿を現した。


 半日以上が経過し、すっかりと日も暮れた日曜日の夜。アルカナ・オース日本支部の一室で、桜は静かに眠っていた。

ゆっくりと目を覚ました桜の視界に、まず映ったのは白い天井。次に、ベッドの傍らで眠る天ノ川織姫の姿が目に入った。全快とまではいかないが、ある程度の魔力は戻っていた。織姫が付きっきりで治療してくれたのだろう。

桜は上体を起こし、織姫の頭にそっと手を乗せた。

「ありがとう、織姫」

 桜が穏やかな声で感謝を伝え、やさしく頭を撫でていると、織姫は静かに目を覚ました。顔を上げ、しばらくボーっとした表情で桜を見つめていた。

「おはよう、織姫」

桜が声をかけると、織姫はハッと気づき、勢いよく身を乗り出した。気づけば、桜をやさしく抱きしめていた。

「よかった……桜ちゃんが無事で……」

 その声には心配と安堵が滲み、目に涙が浮かんでいた。

 桜は織姫の頭にそっと手を添え、柔らかい声で言った。

「心配かけてごめんね……治してくれてありがとう」

 ゆっくりと抱擁を解き、二人は視線を交わした。

 織姫は微笑みながら涙を拭い、そして、思い出したように言った。

「あ、桜ちゃんが目を覚ましたこと、早くみんなに教えないと!」

「……みんな忙しいだろうし、今すぐだと迷惑じゃないかな?」

「ううん、逆だよ」

「逆……?」

「今、みんな桜ちゃんのことが気になって、落ち着かないまま天使と戦ってるの。だから、早く安心させてあげないと……」

 その言葉を聞き、桜は申し訳ない気持ちになって目を伏せた。

(わたしのせいで、みんなに負担をかけてるんだ)

 負の感情が心を覆いかけたが、桜はすぐに気持ちを立て直した。

(……落ち込んでる暇なんてない。回復したんだから、わたしもすぐに行かなくちゃ……)

 桜が決意を固めた、その瞬間――織姫は勢いよく立ち上がり、急ぎ足でドアへと向かった。一旦ドアの前で立ち止まり、振り返って桜に目を向けた。

「桜ちゃんは、しばらく安静にすること!」

 まるで桜の思考を見透かしたように、織姫は告げた。

「いや、わたしももう戦え――」

 桜は反論しかけたが、織姫に遮るように言葉を重ねられた。

「絶対だからね!」

 その強い言葉に、桜は思わず口を噤んだ。

「じゃあ、またあとでね!」と織姫は言い残し、足早に部屋を後にした。

 静寂の中、桜は織姫の言葉を胸に、そっとベッドに身を横たえた。だが間もなく、大きな足音が廊下から近づいてくるのに気づいた――次の瞬間、ドアが勢いよく開き、その音に驚いた桜は、反射的に上体を起こした。

「目を覚ましたか、桜!」

 慌てた様子の銀河が、部屋に足を踏み入れた。桜の姿を確認すると、安心したように息をつき、すぐに表情を引き締めて歩み寄った。

「おっさん……」桜は小さく呟いた。

 銀河は桜のそばに立ち、威厳をたたえたまま、じっと見下ろした。言葉にはしなくとも、その表情からは抑えきれぬ怒りが滲んでいた。ゆっくりと桜の頭に手を伸ばし、まるで拳骨を振り下ろそうとしているかのようだった。桜が怒られる覚悟を決めた、その瞬間――銀河の手が、そっと彼女の頭に触れた。

「無事でよかった」

 銀河の声は低く落ち着いていたが、その奥にはやさしさと思いやりが滲んでいた。

 桜は目を見開いて驚いたが、すぐに心が安らぐような温かさを感じた。

 しばしの沈黙後、銀河はハッとし、即座に手を引いて、気まずそうに謝った。

「すまない……つい、織姫と同じように、気安く頭に触れてしまった」

「別に、それくらい気にしてないけど……」

桜があっさりと言うと、銀河は安心したように「そうか……」と息をついた。咳払いしてすぐに気持ちを切り替えると、近くの椅子に腰を下ろし、表情を引き締めて桜を見つめた。

「しかし、今回はさすがに無茶をし過ぎだ。あと少し、夜行さんの到着が遅れていたら、キミはもうこの世にいなかった」

「ごめん……」

桜は目を伏せ、反省の色を見せながら続けた。

「感情を抑えられなかった」

「……事情が事情だけに、自責の念に駆られるのもわかる。だが、前にも言ったように、人はそんなに強くない。だから、仲間がいるんだ!」

 熱い信念が込められた銀河の言葉は、桜の胸に深く響いた。

 銀河はさらに続けた。

「キミは強いが故に、大抵のことは一人でこなせる。それでも、たまには仲間を頼ってもいいんじゃないか?」

 桜はほんの少し間を置いてから、ぽつりと答えた。

「……怖いんだよ。大切な仲間を失うのが……!」

桜は震える手で拳を握りしめた。

 銀河は手を組み、少し視線を下げてゆっくりと口を開いた。

「……わたしも怖い……大切な仲間を失うのは――」

 銀河の共感に、桜は思わず驚いて顔を上げた。

銀河もまっすぐに桜を見つめ、ためらいなく言った。

「その中に、当然キミもいる!」

その言葉に、桜はハッとして息をのんだ。

「……キミが仲間を失いたくないと思うように、わたしも、織姫も、そしてみんなも――キミを失いたくないと思っている」

 その瞬間、桜の脳裏に、玄、茜、天、翠、柴乃、そして真白の姿がよぎった。玄は凛とした表情で、茜は真っ直ぐな瞳を向け、天はやさしく微笑み、翠は穏やかに笑い、柴乃は自信満々に胸を張り、そして真白は天真爛漫な笑顔を浮かべていた。

その光景を胸に刻みながら、桜は改めて――自分がどれほど仲間に支えられていたかを思い出した。口元をわずかに緩め、目を逸らしたまま、照れたように呟いた。

「……次からは気をつける……ありがとう」

 その言葉に、銀河は満足そうに笑った。

 穏やかな静寂が訪れたのも束の間、またしてもドアが壊れそうなほどの勢いで開き、アリスとヴラドが慌ただしい様子で部屋に足を踏み入れた。そのすぐあとに、神楽、風魔、織姫と続き、そして最後にやってきた阿修羅が、ドアを蹴破って破壊し、部屋に入ってきた。

アリスとヴラドは、桜を見るや否や、涙を滲ませながら「サクラァ!」と声を揃え、彼女の胸に飛び込んだ。

 桜は二人を受け止め、頭をそっと撫でながら穏やかに言った。

「心配かけてごめんね」

 その場にいる全員に順番に視線を巡らせ、素直に謝った。

「みんなも、勝手なことして、ごめん」

全員がすぐに許してくれたが、口を揃えて「一人で無理をするな」や「もっと頼ってほしい」といった言葉を投げかけ、銀河と同じ思いを伝えた。

桜は彼らの助言をしっかりと肝に銘じた。そのとき、ふと壁に掛かった時計が視界に入った。時計は午後十一時三十分──月曜まで、あと三十分しかない。

桜は内心焦りながらも、平静を装ってベッドから起き上がった。

「じゃあ、そろそろ帰るね。お疲れさま」

 自然な流れで家に帰ろうとしたが、織姫、アリス、ヴラドに制止され、抵抗する間もなく無理やりベッドに戻された。

「桜ちゃん、どうせ家に帰ったら、また魔法の研究するんでしょ?」と織姫はジト目で尋ねた。

「え……いや、休むつもりだけど……」桜は正直に答えた。

「いーや、絶対する!」と織姫は断言し、他のみんなも頷いた。さらに織姫は続けて言った。「回復したとはいえ、魔力はまだ不安定なんだから、そんな状態で魔法を使っちゃダメだよ」

「わかってる。だからちゃんと休――」

 桜の言葉の途中で、織姫は遮るように言葉を重ねた。

「よって、もうしばらくここで休みなさい!」

 織姫は指を差して言い切った。そのすぐあとに、アリスとヴラドも織姫の真似をして「さい!」と声を揃えた。

「休むだけなら家でも――」

 桜の言葉に聞く耳持たず、織姫は強引に言った。

「いいから黙って寝て! これは、みんなを心配させた“罰”なんだから!」

 そう言われると、桜も言い返せなかった。

桜は助けを求めるような目で銀河を見つめたが、彼は肩をすくめ、どうしようもないといった表情を返した。

 こうして、桜はアルカナ・オース日本支部で月曜日を迎えることとなった。

 その後、みんなはそれぞれの持ち場に戻っていった。ドアを壊した阿修羅は、銀河にしっかり叱られたあと、ぶつぶつ文句を言いつつも仮修理を済ませていた。

最後に残った神楽は、何か気がかりなことがある様子で、部屋を出る前に桜に問いかけた。

「桜……ひとつ聞いていい?」

「なに?」

「桜が倒した天使のことなんだけど……何か、七代天使に繋がるようなことは言ってなかった?」

「うーん……」桜は少し考え込んだが、どうしても思い出せず、正直に答えた。「あまり……覚えてない」

「そっか……」

「ごめんね」

「ううん、気にしないで。それじゃあ、わたしは戻るから、桜はしっかり休んでね」

 神楽はすぐに気を取り直し、その場を後にしたが、部屋を出る直前にちらりと見えた横顔は、真剣そのものだった。

 さっきまで騒がしかった部屋には桜だけが残され、静寂が満ちていた。針の刻む微かな音だけが響く中、桜はベッドに身を沈め、そっと目を閉じた。

 ……早く、玄に事情を説明しないと。

 心の声がぼんやりと浮かぶ中、桜は静かに眠りに落ちていった。

 ゆっくりと目を開けた桜の目の前には、月明かりと星々に照らされた世界――『アルカンシエル』が広がっていた。現実世界とリンクするこの世界もすっかり夜を迎え、心地よい風が草原に立つ桜の髪をやさしく揺らした。

 この世界に着いた瞬間、桜は心から安堵し、ようやく緊張感から解放された。同時に、溜まっていた疲労がどっと押し寄せたが、玄に伝えなければならないことがあるため、重い足取りで前へと歩を進めた。

しばらく歩くと、白い東屋が現れ、そこで玄が優雅に本を読んでいた。

 玄は桜に気づくと、本に栞を挟んで閉じ、テーブルにそっと置いた。桜が着くまでの間、カップに淹れられたコーヒーを口に運び、静かに待った。

 桜がようやく東屋に着くと、玄は気づかうように声をかけた。

「お疲れ、桜。そんなに疲れてるなんて、珍しいわね」

「……ちょっと、いろいろあって……」

桜はうとうとしながら、今にもまぶたが落ちそうだった。

「何か引き継ぐことはあるかしら?」玄は普段の調子で問いかけた。

「うん……大事なことが……あるんだけど……」

「大事なこと……?」

桜の言葉が何度も途切れるたびに、玄はそっと身を乗り出して耳を傾けた。

「少し……面倒なことに……なってて……」

 玄が頷きながらじっと耳を傾ける中、桜はゆっくりと続けた。

「実は……今いる場所……家じゃな――」

 そこまで口にすると、桜はついに完全に眠りに落ち、玄にもたれかかった。

玄は続きを聞き取れなかったが、気にも留めず、桜をやさしく支えた。穏やかな眼差しで見つめながら、彼女の前髪を指でそっと撫でるように掻き分けると、口元を緩め、小さな声でぽつりと呟いた。

「ふふ、かわいい」

 その後、玄は桜を抱きかかえ、丁重に彼女の部屋まで運ぶと、再び東屋へ戻り、静かに月曜日がくるのを待った。


 一方その頃、『月姫竹取神社』では、特級天使の庫持、阿部、大伴の三人が、小さな社で、かぐやの仕置きを受けていた。

 半日前、本殿の縁側で月見団子を食べながらくつろいでいたかぐやは、空に煌めく一筋の光に気づいた。

「ん? なんじゃ、あの光は?」

 かぐやの声に反応し、兎天使たちが次々と空を見上げた。誰もが目を凝らして見つめる中、小さな隕石のような物体が、月姫竹取神社めがけて一直線に降下していた。

兎天使たちは取り乱したが、かぐやは一切動じず、その場で静かに待ち構えた。隣に控える月見も、一言も発さずに見つめていた。

 炎に包まれた隕石の勢いはまったく衰えず、むしろ近づくにつれ、さらにスピードを増していた。まるで、かぐやの胸元へと飛び込もうとする強い意志が込められているかのようだった。しかし、その願いは叶わなかった。

隕石が目前に迫ったその瞬間、かぐやは扇子を軽く突き出した。すると、隕石はぴたりと動きを止め、宙に浮かんだ。そのとき、隕石が黒い鉢であることに気づいた。かぐやが手を伸ばすと、鉢は静かに手のひらに乗った。

 かぐやは鉢を目の高さに掲げ、じっと見つめた。そして、すぐに悟った。

「この鉢……石作のものか。ふむ、あやつは……死んだのじゃな」

月見は冷静に頷いた。「そのようですね」

 兎天使たちは驚きを隠せない様子だった。

 仲間の死を目の当たりにし、悲しみに沈むかと思いきや、かぐやはため息をついて頭を抱えた。

「まったく……使命すら果たせぬとは……情けないことこの上ないのう」

 そのとき、鉢に目を落としていた月見が、何かに気づいたように小さく言った。

「かぐや様、鉢の中に何か入っていませんか?」

「なんじゃと……?」

 かぐやは袂をさばき、鉢の中へと手を伸ばして何かを掴んだ。すぐに引き抜くと、その手には、淡い桜色の結晶が握られていた。指先を包むような冷たい感触とともに、結晶の内側には、微かな魔力のうねりが封じられていた。かぐやは目を細め、静かに呟いた。

「この力、石作のものではないな……ということは――」

 かぐやが月見に目を向けると、彼女は静かに進言した。

「おそらく、白雪桜の魔力かと。その魔力の痕跡を辿れば、すぐに居場所を特定できますね」

「ふふ……あやつめ、わらわに仇を討てとでも言っておるのか?」

「彼の性格を考えると、その可能性は低いと思います。おそらく、死ぬ間際に、手がかりだけでも残したかったのでしょう」

「そうか……」

 かぐやは真剣な表情で考え込んだ。

 少し間を置き、月見は指示を仰いだ。

「いかがいたしましょうか? かぐや様」

「……よし、決めた! この者、わらわ自ら裁いてくれようぞ!」

 かぐやの発言に、兎天使たちがざわめいたが、月見だけは冷静に尋ねた。

「かぐや様が自ら足をお運びに……? 珍しいですね。何か気になることでもございましたか?」

「ただの気まぐれじゃ。これといった理由など、ありはせぬ」

「……そうですか」

 月見は納得したようだったが、その表情にはまだ拭えぬ疑念が浮かんでいた。

「であれば、すぐに向かうとしよう」

 かぐやが重い腰を上げようとしたその瞬間、月見は静かに声をかけた。

「お待ちください、かぐや様。ご相談したことがございます」

「なんじゃ?」

「ここ数日の調査により、アルカナ・オースの警戒心はかつてないほど高まっており、今ではまったく隙がありません」

「ほう……」

「さらに、今日の戦闘で、おそらく、白雪桜の周りには、多くの仲間が集まっているはずです」

「そうか、そうか」

「つまり今、攻め込めば――この国のアルカナ・オースと、全面戦争になりかねません」

 かぐやはハッと目を見開き、小さく呟いた。

「それは……少々、厄介じゃな」

「はい。……それに、現在こちらの戦力が急激に減っているのをご存知ですか?」

「なんじゃと!?」

「調査中に多くの兎たちが討たれ、補充が追いついておりません」

「そうじゃったか」

「ですので、少し準備期間をいただきたいのです。敵を分散させるための兎が補充できれば、かぐや様のお手を煩わせることもないかと……」

「……どれくらい必要なんじゃ?」

「三日……いえ、二日いただければ、十分な戦力を補充できます」

「……そうか、よいぞ。二日、待つとしよう」

「ありがとうございます、かぐや様。……それでは、残る貴公子たちを迎えに行って参ります」

 そのとき、かぐやはハッとして思いつき、月見に命じた。

「戻ったら、まずわらわの前に連れてまいれ」

「御意」

 月見は丁寧に一礼し、風のようにその場を後にした。

 月見の背を見送りつつ、かぐやは意味深な笑みを浮かべた。

 

数時間後、本殿の上座に腰を下ろすかぐやの前で、庫持、阿部、大伴は、丁寧に頭を垂れていた。空気が張り詰める中、三人の額には冷や汗が滲み、心音も激しくなっていた。

 一方、かぐやはすでに月見から話を聞き、大抵のことは知っていた。上座から三人を見下ろしながら、ゆっくりと口を開いた。

「そなたら、わらわの命令もそっちのけで、酒を酌み交わしておったそうじゃな?」

 三人はビクリと全身を震わせ、顔を引きつらせた。

 その反応を楽しみながら、かぐやは続けた。

「唯一、働き者だった石作は、いち早く“標的”を見つけたものの、逆に討たれ……さらに後を追った石上もあっさりとやられてしまった。……本当に情けない奴らじゃ。よくもまあ、その程度の実力で、わらわの従者をやれたものじゃな」

 かぐやが一言発するたびに、三人は胸を締め付けられるような苦痛の表情を浮かべたが、決して反論はしなかった。

「何か言いたいことはあるか?」とかぐやが問いかけると、庫持が頭を下げたまま慎重に答えた。

「すべてかぐや様の仰る通りでございます」

 阿部、大伴も静かに頷いた。

 彼らの忠誠心に、かぐやは満足げな笑みを浮かべた。

「面を上げよ」

 かぐやの言葉に応じるように、三人は恐る恐る顔を上げた。かぐやを見上げる三人の瞳には、戸惑いと焦燥が色濃く滲んでいたが、それはすぐに恍惚な表情へと変わった。

 かぐやは微笑みながら視線を巡らせ、ゆっくりと口を開いた。

「庫持、阿部、大伴……わらわは、そなたらにお仕置きをせねばならぬ」

 そう告げた瞬間、三人の表情が引き締まった。

「何なりとお申し付けください」と阿部が丁寧に答え、「どんな処罰も受ける次第でございます」と大伴が続け、三人は深々と頭を下げた。

「そうか……ならば、わらわについてまいれ」

 かぐやは庫持、阿部、大伴を引き連れて本殿を後にした。兎天使たちに見送られながら広間を出る直前、月見に目配せすると、彼女は静かに頷き返した。

かぐやたちの姿が見えなくなると、月見は手を叩いて兎天使の注目を集めた。かぐやに代わって場を仕切り、すぐに兎天使を量産する仕事に取りかかった。

 一方、かぐやと三人の貴公子は、本殿から少し離れた場所にある小さな社へと向かっていた。近づくにつれ、三人の顔には不安の色が浮かんでいた。

社の前に到着すると、かぐやは簡単に説明した。

「今から一人ずつ順番に、この社の中で、わらわと遊ぶのじゃ」

三人は顔を見合わせ、一瞬ぽかんとした表情を浮かべた。

「お遊戯……」と庫持が驚き、「――ですか?」と阿部がすぐに続けた。

「適当に順番を決めよ」

 三人は困惑しつつ、順番を決めるためにジャンケンをした。その結果、庫持、阿部、大伴の順となった。

 かぐやが先に足を踏み入れ、すぐ後に庫持が続いた。阿部と大伴は、羨ましそうな表情で二人を見送った。

社の中は薄暗く、ロウソクに灯ったわずかな光だけが頼りだった。床を踏みしめる度に、木の軋む音が響く。入るや否や、かぐやは扉を閉め、すぐに鍵をかけた。庫持は、すぐに正座して待ち構えた。その表情は、戸惑いとワクワクが滲んでいた。

「ふふ……では、始めるとしよう」

「はい……」

 その直後、外で待つ阿部と大伴の耳に、庫持の叫び声が響いた。

社の中では、かぐやが一方的に“お仕置き”を施していた。だが庫持は、笑顔でそれを受け入れ、むしろ楽しんでいるようにさえ見えた。さらにその声を聞いた阿部と大伴も、期待に胸を高鳴らせていた。彼らにとって、かぐやの振る舞いは、すべて喜ばしいことであり、寵愛とすら思っていた。

その後、庫持が終わると、次に阿部が社に入り、同様の扱いを受けた。続いて大伴も同じようにして中へと招かれた。

三人が一巡したあとも、かぐやの遊びは終わらなかった。満足するどころか、回を重ねるごとに熱中していった。時の流れを忘れるほどだった。途中、月見が様子を見に訪れたが、声をかける隙もなく、ただ一つため息をつくと、静かに踵を返した。



読んでいただき、ありがとうございました。

次回もお楽しみに!

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