桜VS特級天使『石作皇子』②
土曜日の朝、かぐやの従属である五人の貴公子――石作、庫持、阿部、大伴、石上たちは、廃墟と化した村に集い、酒を酌み交わしながらそれぞれの成果を報告し合っていた。全員が目的の“白雪桜”を見つけられなかったため、報告会は罵り合いに終始するくだらないものとなった。五人の口論は昼を過ぎても止まず、やがて疲れ果てた彼らは、いつの間にか眠りに落ちた。
夕方になると、最初に石作が目を覚ました。
石作はしめしめと笑いながら、静かにその場から飛び去った。
「イシシ、あいつらが目を覚ます前に、今度こそ麻呂が見つけてやる。そして、かぐや様の寵愛を受けるのは……」
石作は途中で言葉を止め、恍惚とした表情で想像に耽った。頬を赤らめ、鼻の下をいやらしく伸ばす。
「イシ、イシシシシシ……」
下卑た笑みを浮かべながら、山々の上を飛んでいると、突然遠く離れた場所から、数発の光弾が飛んできた。
石作は気配を察知すると、軽い身のこなしで宙を舞い、次々と迫る光弾を躱した。残り二つの光弾に挟み込まれると、当たる寸前で上に飛んで回避した。だが、その直後、頭上に気配を感じ取り、素早く上を向いた。
そこには、杖を構える桜の姿があった。杖の先端には、すでに膨大な魔力が集まり、眩い光を放っていた。
「トール」
桜が小さく呟くと、杖から光のビームが放たれた。
石作は避ける間もなく光に包まれ、そのままビームは山の斜面を貫き、轟音を響かせた。
ビームは次第に細くなり、やがて消え去ると、静寂が訪れ、大きく抉れた山の斜面が露わになった。
まくろんは桜の肩から乗り出すような勢いで口を開いた。
「ジ・エンドニャ! ニャハハハ……!」
勝利宣言するまくろんだったが、桜は真剣な表情を崩さず、静かに視線を大穴から上へ移した。すると、視線の先に無傷の石作の姿があった。
「ふぅー、危なかった」石作は額を拭い、飄々と息をついた。
その声にまくろんは「ニャ……!?」と驚き、素早く視線を上げた。そして、目を大きく見開いたまま、呆然と呟いた。
「ニャン……だと……?」
一瞬の間、まくろんが気づかないほどの速さで、石作は桜の放った攻撃を避けていた。
石作はわずかに焼き焦げた袖口を見つめ、悔しそうに呟いた。
「チッ、少しだけ掠ったか……」
腕を軽く振り払い、身なりを整えると、桜に目を向けた。
「あいつ、今まで戦ったどの天使よりも強いニャ……!」とまくろんは冷や汗を滲ませながら呟いた。
「怖いなら、下がってもいいよ」と桜は冷静に言った。
「まさか! 敵を前にして、下がるニャんてありえニャいニャ!」まくろんは鋭い目つきで石作を睨みつけ、拳を軽く突き出した「まくろんも、戦うニャ!」
「……油断しちゃダメだよ」
桜の助言を聞き、まくろんは「ニャ!」と応じた。
石作は静かに桜たちを見据え、ゆっくりと口を開いた。
「貴様、魔法使いだな?」
「……」桜が黙っていると、石作は勝手に分析し始めた。
「しかも、その声と甘い匂い……女だな? それも十五歳ほどの未熟な小娘……イシシシシ」
石作は目隠しをしているにもかかわらず、まるですべてを見透かしているかのように、次々と桜の特徴を言い当てていった。
その不気味さに、まくろんは思わず顔をしかめ、少し身を引いた。
「だが、年の割に……凄まじい魔力を秘めているようだな……ん?」
そのとき、石作は何かに気づいた様子で呟いた。
「……特徴が情報と一致するな。貴様、まさか――“白雪桜”か?」
その問いかけに、桜の表情がわずかに歪んだ――だが、すぐに元に戻った。
桜のわずかな不快感を敏感に察知した石作は、目を伏せ、「そうか……」と呟いた。顔を上げ、不気味な笑みを浮かべながら、「イシシシシ、みぃーつけた!」と気味の悪い声で確信したように言った。
「まさか、“首”が自ら麻呂の前に現れるとは……なんて幸運なんだ! イシシシシ!」
石作は手を大きく広げ、夜空を仰ぎつつ、陶酔したように笑った。
「あいつ、すっごくキモいから、ボコボコにしていいニャ?」まくろんはわずかに身を乗り出し、拳を握り締めた。
「落ち着いて、まくろん。まだ手を出しちゃダメだよ」
桜が冷静に声をかけると、まくろんはなんとか踏み止まった。だが、桜もまくろんと同じく、激しい怒りを必死に堪え、今にも飛び出しそうな衝動をかろうじて抑えていた。大切な仲間を手にかけた敵を目の前にして、冷静でいられるはずがなかった。しかし、敵は特級天使――その実力の凄まじさは、出会った瞬間からひしひしと肌で感じていた。迂闊に突っ込めば、あっという間にやられる。その予感が、桜の足をかろうじて止めていた。
石作は興奮気味に言った。
「それに、昨日仕留めた小娘どもとは比べものに――」
石作が言いかけたその瞬間、ついに桜の堪忍袋の緒が切れた。
桜は素早く杖を構え、光弾を放った。光弾は石作の顔面をめがけて一直線に飛んだ。
だが、当たる直前、石作は腕をひと振りして、それをあっさりと弾き飛ばした。
「まだ、話の途中だが……?」石作は余裕の笑みを浮かべて言った。
「お前ごときが、わたしの仲間を口にするな!」桜は冷静に、しかし怒りを滲ませた声で言い放った。
それが開戦の合図となった。
桜が杖を構えると、頭上に複数の魔法陣が浮かび、そこから無数の光弾が一斉に放たれた。光弾は複雑な軌道を描きまがら、まるで包囲するかのように石作へ迫った。
石作は余裕の笑みを浮かべ、まるで舞うような動きで光弾を回避していった。
すべての光弾を躱された直後、まくろんが高速で石作の背後に回り込み、鋭い拳を繰り出した。
石作は振り向きもせず、素早くしゃがんで拳を躱し、流れるようにまくろんの腕を掴んだ。
「ニャ!?」
驚く間もなく、石作はまくろんを勢いよく投げ飛ばした。
「ニャァァァァー!」
猛烈な空気抵抗にさらされ、まくろんは身動きが取れず、受け身すら叶わなかった。まくろんが飛んだ先に、杖を構える桜の姿があった。
石作は冷静に桜の動きを見極め、彼女に向かって投げ飛ばしていた。
だが、桜も落ち着いていた。冷静に風魔法を展開し、まくろんの勢いを相殺して、やさしく受け止めた。
「大丈夫? まくろん」と桜は声をかけた。
「た、助かったニャ……ありがと、桜」
まくろんは安心したように息をつき、二人はすぐに石作を見据えた。
「あいつ、まくろんの必殺パンチを見もしニャいで避けたニャ……もしかして、後ろに目でもついてるニャ?」
「いや、多分、空気の流れとか魔力の揺らぎを感じ取ってるんだと思う。だから、死角から攻めても、あまり意味ないかもね」
桜の冷静な分析に対し、石作は悠然とした様子で「ご明察!」と言い、拍手を送った。
「ニャるほど……それニャら、物量で押し切るニャ!」まくろんは納得したように頷き、勢いよく叫んだ。
「えっ……ちょっと待――」
桜が止める間もなく、まくろんは強く空を蹴り、真正面から石作に突撃した。身構える素振りすら見せない石作との距離を一瞬で詰めると、顔面に拳を繰り出した。石作が体をのけ反って躱すと、まくろんは勢いのままくるりと前転し、すかさず踵落としを繰り出した。だが、それすらも軽く躱され、まくろんは虚空を蹴った。すぐに体勢を立て直し、次々とパンチやキックを繰り出すが、すべて躱された。
そして強烈な拳を突き出したその瞬間、石作はニヤリと笑い、超高速でまくろんの背後に回り込んだ。
まくろんは咄嗟に振り返ったが、追いつかず、すでに目の前に石作の拳が迫っていた。避けられないと瞬時に悟ると、反射的に目を閉じた。
石作の拳がまくろんまであと数センチと迫ったその瞬間、「ドンッ!」と重い音が響き、空気を震わせた。
まくろんが恐る恐る目を開けると、目の前で石作の拳が止まっていた。
二人の間には透明な壁があり、それが拳を防いでまくろんを守っていた。
「ニャ!? こ、これは……!」
まくろんが驚く間もなく、今度は無数の火球が石作に迫った。石作がすかさず後ろに跳んで距離を取ると、火球は虚空で次々と爆発した。
爆音が鳴り響き、石作の注意が一瞬だけそちらに向いた隙に、桜は彼の背後に音もなく現れた。石作が気づいた刹那、桜は「ヘスティア」と小さく呟いた。その瞬間、石作の足元にあった魔法陣から竈が噴き出すように現れ、彼を瞬く間に捕らえた。すぐさま内部は業火に包まれ、石作を飲み込んだ。
「ぐわぁぁぁぁぁ!」と石作は悲痛な叫び声を上げた。
桜が静かに竈を見つめていると、しょんぼりと肩を落としたまくろんがそばに寄ってきた。
「ごめん、桜。まくろん、また足を引っ張っちゃったニャ……」
「そんなことないよ。まくろんが注意を引いてくれたおかげで、隙を突くことができたんだから、お手柄だよ」
「……本当ニャ?」
桜が頷くと、まくろんはパッと明るい表情を浮かべた。
「まあ、これくらい、まくろんにとっては朝飯前ニャ!」と、すぐに気を取り直して胸を張った。
「そうだね」
桜は短く返し、再び竈へと視線を戻した。気づけば、石作の声は完全に消え、竈の中では炎だけが激しく燃え上がっていた。あと少しで完全に石作を焼き尽くすだろうと、思っていた矢先、桜は突然目を見開き、背筋が凍るような凄まじい気配を感じ取った。
「まくろん、離れて!」
桜は声を上げ、咄嗟に後ろに跳んだ。続いてまくろんも即座に跳び、竈から距離を取った。すぐに体勢を整え、目を向けた次の瞬間、竈全体にひびが入り、粉々に吹き飛んだ。
黒煙が舞い上がり、やがて煙が風で吹き飛ばされると、石作が姿を現した。上衣だけが焼けてなくなり、まるで石でできているかのように隆起した筋肉が露わになった。わずかに焦げた程度で、石作の体は傷一つなかった。
石作は首の骨を鳴らし、あっさりと言った。
「ふぅー、さっぱりした」
「まさか……桜の『ヘスティア』が、効かニャいニャンて……!」
まくろんは驚きで目を見開いたが、桜は表情を崩さず、冷静に石作を見据えた。
石作は落ち着いた様子で烏帽子の中から、真っ黒に煤け、ひび割れた古い鉢を取り出した。鉢に手を突っ込んでガサゴソと漁り、その中から新たな束帯を取り出しすと、それを身に纏った。身なりを整え、鉢を懐にしまうと、桜に視線を向けた。
「残念だったな、小娘。今のが、麻呂を倒せる……最初で最後のチャンスだった……」
桜の実力を認めつつ、嘲るように笑った。
「イシシ、大事なところでしくじったな!」
桜は少しも動じることなく、静かに杖を構えながら冷静に言い返した。
「……いや、今のでもうわかった。次は、確実に仕留める」
「イシシシシ、いつまでその減らず口が叩けるかな?」
石作は目隠しをずらし、額まで引き上げた。月明かりに照らされたその瞳は、蛇のように細く鋭く、血のように赤かった。桜の全身を、真っ直ぐ貫くように見据えた。
目が合った瞬間、桜は反射的に身構えようとしたが、全身が硬直し、指一本も動かせないことに気づいた。すぐに力ずくで動こうとしたが、ピクリともしない。
(この力、あの目の能力か……)
桜が冷静に状況を分析する一方で、まくろんもまた、全身を拘束されたように微動だにしなかった。
「ニャ……身体が、動かニャい……!」
まくろんも必死に抵抗していたが、まるでその場に固定されたかのように、まったく動けなかった。
その光景を見て、石作は少し驚いたように言った。
「まさか、麻呂の目を見て石にならないとは、驚いた! 相当強力な結界を纏っているようだな」
感心したように言ったあと、不気味な笑みを浮かべて続けた。
「でも、動きは封じた。あとは――」
石作は一瞬で間合いを詰め、歪んだ笑顔で桜を見つめながら、「なぶり殺すだけだ」と気味の悪い声で言った。
「イシシシシ、いい顔だ」と嘲笑うと、両手を組んで拳を振りかぶり、容赦なく振り下ろした。間髪入れずにまくろんにも踵落としを繰り出して吹き飛ばした。
桜とまくろんの身体は山の斜面へと吹き飛ばされ、激突音とともに土煙が空高く舞った。
静寂の中、石作は得意げに見下ろしていた。
しばらくして、「さて、奴の“首”を回収しに――」
そう言いかけた瞬間、石作は目を見開き、背後に気配を感じ取った。咄嗟に振り向くと、すでに目の前に閃光が迫っていた。反射的に首を曲げたが、顔の横を鋭い閃光が通過し、わずかに頬を掠め、彼の顔に小さな切り傷が刻まれた。その傷から血が滲み、頬を伝った。
石作は静かに視線を少し上げた。彼の瞳に映っていたのは、堂々と杖を構える桜の姿だった。
「気づかれたか……やっぱり、魔力探知も鋭いね」桜は静かに呟いた。
石作は、横目で地面を見下ろした。視線の先には、たしかに吹き飛ばされて地面に倒れている桜の姿があった。だが、彼女の体はゆっくりと透け、静かに消えていった。
石作は視線を戻し、低く呟いた。
「分身か……」
吹き飛ばされたのは、桜が魔法『アルケスティス』で作った分身体だった。まくろんが石作に突撃していた隙に、桜は分身体を生成し、本体と密かに入れ替わっていた。気配を消した本体は、少し離れた位置でじっと機を待ち構えていた。そして、石作がもっとも油断した瞬間を狙って攻撃を繰り出したが、ギリギリで躱されてしまった。
一方、まくろんは本物で、しっかりとダメージを受け、地面に倒れていた。
石作は頬の血を親指で拭い、その赤黒い指先をじっと見つめた。やがて拳が小刻みに震え始め、怒りがそのまま体に伝わっていくようだった。そして拳を強く握りしめ、顔を上げて桜を鋭く睨みつけた。
「貴様……麻呂の顔に傷をつけたな?」と石作は静かに怒りを滲ませた。
「本当は頭を吹き飛ばすつもりだった……」と桜は冷静に返した。
「……殺す」と石作は低く呟き、殺意を込めた視線で桜を睨みつけた。
その瞬間、桜は即座に目を逸らした。
「麻呂の能力に気づいたか……! だが――」
石作は一瞬で間合いを詰めると、鋭い拳を繰り出した。
桜は拳を見ずに、その軌道を正確に見切り、軽やかに身を躱した。
石作はすかさず突き出した拳を薙ぎ払うように裏拳で桜の顔面を狙った。
桜は素早く防御魔法を展開し、裏拳を受け止めた。
その衝撃は波紋のように周囲を揺らし、山々にまで響いた。
桜は石作の能力を警戒し、目を閉じていた。目を閉じたままでも、彼の鋭い視線を肌で感じ取っていた。
「目を閉じた状態で、麻呂と戦えるのか?」と石作は挑発的に言った。
「お前の動きは、嫌でも手に取るようにわかる。そのオーラと殺気のおかげでね……」と桜は皮肉っぽく返した。
「貴様も探知が得意なのか、ラッキーだったな」
「……いや、不愉快だ」
石作が拳に力を込めた刹那、防御魔法がまるでガラス細工のように砕け散り、火花とともに破片が宙を舞った。
桜は咄嗟に後方へ跳び、距離を取ると、すぐに杖を構えた。
「イシシシシ、貴様は本当に麻呂を苛立たせるのが上手いな……」
「お前もな」
石作は目を伏せ、「イシシシシ……」と不気味に笑った。冷静に見えるが、その声には隠し切れない怒りが滲んでいた。視線を上げ、キリっとした目つきで桜を睨みつけると、地面に向かって手をかざした。
すると、周辺の山々が轟音を響かせながら激しく揺れ、地面が抉られるように浮き上がった。大小様々な岩石が石作の周りを漂い、その一つひとつが桜に狙いを定めているようだった。
桜が警戒しつつ静かに杖を構えると、石作は不敵な笑みを浮かべながら、手のひらを前に突き出した。その動作に呼応するかのように、彼の周りに浮かんでいた岩石が、一斉に桜に向かって勢いよく迫った。
桜は即座に光魔法『アポロン』を発動し、無数の光弾を放って岩石を粉々に砕いた。だが、砕ききれなかった岩石がなおも迫ってきたため、軽やかな動きで回避しつつ、逃げるように空を飛んだ。
高速で飛び回り、石作が操る岩石を躱し続けたが、一旦降下し、山の斜面に沿うように飛んだ。すると、地面が鋭く隆起し、次々と桜を攻め立てた。それらもすべて躱し、再び空へと舞い上がったものの、岩石の猛攻は桜に一瞬の隙すら与えなかった。
桜はいい加減逃げるだけにうんざりし、杖を構えた。
「フローラ」
小さく呟くと、杖の先端から全方向に向かって一斉に美しい光弾が放たれ、すべての岩石を貫いた。爆音とともに綺麗な光が夜空に浮かび、まるで打ち上げ花火のようだった。
光が儚く散ったその瞬間、桜は背後の殺気を感じ取った。反射的に振り返りながら、風魔法を展開し、杖に風の刃を纏わせた。勢いのまま背後に迫る石作を杖で一閃。だが、切り裂いた相手は幻影で、霧のように消え去った。
直後、横から石作の気配を察知し、素早く向き直った。すでに勢いよく振り下ろされていた笏に気づくと、防御魔法は間に合わないと判断し、咄嗟に杖で受け止めた。鈍い衝突音が響き渡り、凄まじい衝撃が空間を震わせた。
桜はその衝撃に耐えながら、わずかに目を開けた。その瞬間、深紅に輝く瞳が、彼女の視線と重なった。
「しまっ……!」
咄嗟に退こうとしたが、桜の体はすでに石のように硬直し、指一本すら動かせなかった。
「イシシシシ、これで終わりだ、小娘!」
石作は不気味に笑いながらゆっくりと近づき、笏を振り上げた。腕を振り下ろし、笏で桜を切り裂こうとした刹那、横からまくろんの拳が石作の顔面を捉え、勢いのまま彼を殴り飛ばした。
石作は地面に激しく叩きつけられ、周囲の大地が震えた。
桜は体の硬直を魔力でねじ伏せ、解放された。
「遅れてごめんニャ」まくろんは肩で息をしながら言った。
「いや、いいタイミングだった。助かったよ」と桜は素直に感謝を伝えた。
二人はすぐに石作に目を向けた。
地面に空いた大穴が激しく爆発し、砂や岩石を巻き上げながら、石作が勢いよく飛び出した。「ふぅー、ふぅー」と息をつきながら桜たちを見据えるその表情には、激しい怒りが滲んでいた。
「クソ生意気な猫が……まだくたばっていなかったのか……」
石作が激怒する一方、まくろんは冷静に敵の強さを分析していた。
「あいつをボコボコにブチのめしたいけど、今のまくろんじゃ、敵わニャいニャ……」とまくろんは悔しそうに呟いた。
「当然だ。貴様のようなゴミが、麻呂と対等に戦えるわけがなかろう! 一発だけでも当てられたことが奇跡なんだよ!」
石作の言葉に、まくろんはまったく反応せず、腕を組んで険しい表情を浮かべながら考え込んだ。代わりに桜が静かな怒りを抱き、挑発的に言い返した。
「じゃあ、まくろんに吹き飛ばされたお前は、ゴミ以下だね」
「なんだと……?」
石作はさらに怒りを増し、ギロリと桜を睨みつけた。
桜は柔らかい声でまくろんに気遣いの言葉をかけた。
「気にしないで、まくろん。あんな奴、わたしと一緒なら――」
桜がそう言いかけた瞬間、まくろんは食い気味に言葉を重ねた。
「こうニャったら、奥の手を出すしかニャいニャ!」
「……奥の手?」
桜が首を傾げると、まくろんは背中に隠し持っていたものを取り出し、見せつけるように掲げた。それは、天が愛用している白猫のパペット『ましろん』と、桜色のリボンがついた、二つに分かれる首輪だった。
桜は首輪に宿る魔力を感じ取り、目を見開いた。「まさか……!」。
まくろんは首輪の片方を自分につけ、もう片方をましろんに装着した。半分に分かれたリボンがピッタリとくっついた瞬間、首輪が閃光を放ち、まくろんとましろんは磁石のようにぶつかり合う。眩い光が弾けた次の瞬間、「よっしゃー!」という威勢のいい声とともに、桜色のリボンをつけた愛らしい三毛猫が姿を現した。
「まくろんとましろんが合体して……“まろん”ってとこかニャ……さらに――!」
まろんが「ニャア!」と力を込めると、全身から激しいオーラが溢れ出した。
「こいつが、“超まろん”ニャ!」
桜は目を丸くしてまろんを見つめたが、すぐに表情を引き締め、落ち着いた声で言った。
「そんな技、いつの間に考えたの?」
「ニャハハ、すごいでしょ? 前に桜がこれを持っているのを見かけたとき、思いついたニャ!」まろんは首輪のリボンに軽く触れながら答えた。
「なるほど……いいアイデアだね」
「ニャハハハハ!」
「でも、半分は天の大切な『ましろん』だから、怪我しないように気をつけてね」
「もちろんニャ! まろんは絶対に負けニャいニャ!」
「ふふ、頼んだよ」
「ニャ!」
まろんが小さく返事をした直後、「イシシシシ……」という不気味な笑い声が、暗闇にこだました。
桜とまろんが、石作と目を合わせないよう警戒しながら視線を向けると、彼はゆっくりと口を開いた。
「多少は力をつけたようだが、それでも麻呂には遠く及ばぬ。それに――」
山に手をかざすと、地面が抉れ、無数の岩石が浮き上がった。
「奥の手は、麻呂にもある」
そう言って手招きすると、石作に向かって岩石が引き寄せられるように集まっていった。大小様々な岩石が合わさって瞬く間に大きくなり、やがて山のような岩の巨人――ゴーレムへと変貌した。軽く腕を一振りしただけで、凄まじい風圧が周囲に広がり、山の木々を根から吹き飛ばした。
「イシシシシ、これが麻呂の本気だ!」と石作は自信ありげに言った。
桜とまろんは一切怯むことなく、鋭い視線で静かに身構えた。
「的がでっかくニャっただけニャ!」とまろんが見たままを口にした。
「そうだね」と桜も同意し、杖を構え、すでに魔法を発動していた。
ゴーレムの頭上に、桜色の巨大な魔法陣が浮かび上がっていた。石作がその気配に気づき、上を向いた瞬間、魔法陣から円柱状の光が降り注ぎ、一瞬で包み込んだ。今度こそ、桜の強力な魔法『トール』が、確実に石作を捉えていた。
しかし、ゴーレムが力を込めた瞬間、光柱は弾け飛び、巨体は傷一つ負わなかった。
「イシシシシ、麻呂には効かん!」
得意げな石作が無防備だったため、桜は素早く杖を構え、躊躇いなく無数の光弾『アポロン』を放った。
光弾は確かに命中したものの、硬い岩肌ではじかれて砕け散った。
それを見た桜は、冷静に分析した。
「もう少し出力を上げないと効かないか……」
桜はそう呟くと、まろんに目を向けて言った。
「まろん、わたしが魔力を練ってる間、奴の注意を引いて」
「任せるニャ!」
「捕まらないように気をつけてね。あと、目を合わせないように」
「合点承知ニャ!」
まろんは短く応じ、ゴーレムに向かって突撃した。同時に、桜は石作の動きを警戒しつつ、魔力を練り始めた。
まろんが高速で間合いを詰めていると、ゴーレムは身構え、巨大な拳を繰り出した。
巨大な岩の拳が迫るが、まろんは怯まず一直線に突き進む。そして、拳が当たる寸前に急上昇して手の甲に着地し、そのまま腕を駆け抜けて顔面へと迫った。途中、巨大な左手が襲いかかるが、まろんは軽やかに跳び越えて猛進した。
「そう簡単に、捕まらニャいニャ!」
射程内に入ると、まろんはゴーレムの顔面に強烈な拳を叩き込んだ。
鈍い音とともに衝撃波が広がり、空気を震わせた。まろんの拳は、たしかにゴーレムの顔面を捉えていた。だが、まったく傷ついていなかった。
ゴーレムはニヤリと笑い、すかさずまろんを掴み取ろうとした。
まろんは咄嗟に後ろに跳んで、一旦距離を取った。
「イシシシシ、今、何かしたか?」と石作は嘲笑った。
まろんは挑発に一切耳を貸さず、すぐにまた突撃し、次々と拳を繰り出した。だが、鎧のように硬い岩には、傷一つつけられなかった。
ゴーレムは余裕の笑みを浮かべ、反撃することなく、腕を組んで胸を張った。
まろんは再び距離を取り、拳を擦りつつ小さく呟いた。
「結構硬いニャ……でも――」
まろんの目が鋭く光り、全身のオーラが拳に集中していく。
「もう覚えたニャ!」
そう告げると、まろんは再び距離を詰めた。自信満々に胸を張るゴーレムに迫りながら、技名を呟いた。
「必殺――スーパーまろん……」
距離を一気に詰め、拳を振りかざして渾身の一撃を叩き込んだ。
「パーンチ!」
強烈な一撃がゴーレムの顔面を捉え、先ほどよりも大きな鈍い音とともに、凄まじい衝撃が広がった。その衝撃で、ゴーレムはよろめいて後退し、拳が当たった頬にはひびが入った。勢いそのまま拳を振り抜くと、頬の岩が粉々に砕けた。
「な、なにぃぃぃっ!? そんなバカな!」と石作は絶叫した。
「まだまだ行くニャ!」
そう言うと、まろんはゴーレムの周囲を高速で駆け回り、かく乱しながら隙を突いて、容赦ない攻撃を次々と叩き込んだ。
ゴーレムはまろんの動きについていけず、四方八方から次々と放たれる攻撃に対処できていなかった。肩、太もも、腹、背中……あちこちの岩が次第に崩れ落ち、あと数発で粉砕できそうだった。
頭部に一撃を叩き込むと、ひび割れた岩の隙間から石作の影がちらりと覗いた。
まろんはそれに気づくと、一瞬で足元まで降下し、すかさず強烈な蹴りを繰り出した。蹴りが右足首を砕き、ゴーレムはバランスを崩して片膝をついた。そこへ間髪入れず、まろんは死角から一気に距離を詰め、後頭部へ渾身の一撃を繰り出した。
ところが、拳が届く寸前で首輪の効果が切れ、まろんはまくろんとましろんに分かれた。
すると、石作がニヤリと不気味に笑った。ゴーレムの後頭部の隙間から、赤い瞳が浮かび上がり、ギロリとまくろんを睨みつける。
まくろんは咄嗟に目を逸らせず、ましろんを抱いたまま、赤い瞳と視線が交わってしまった。
「う、動け……ニャい」
まくろんは力任せに動こうとするが、全身が微かに震えるだけだった。
「イシシシシ……惜しかったな。もう少し時間があれば、麻呂に届いたやもしれぬが……実に滑稽だ」
「ニャんだと……?」
石作は再び岩石を集め、瞬く間に崩れ落ちた部分を修復した。今までまろんが与えたダメージも完全に消え、元に戻った。さらに、頭部の中でゴーレムを操っている石作は、当然のように無傷だった。
ゴーレムは向き直り、巨大な手刀でまくろんを薙ぎ払った。
まくろんは硬直したまま回避できず、直撃を受けて、風を切り裂く勢いで吹き飛ばされた。凄まじい風圧で体勢を立て直すことすら叶わず、勢いのまま頭から山の斜面に衝突しそうだった。だが、激突寸前――桜が現れた。
桜は風魔法でまくろんの勢いを和らげ、そっとその身を抱きとめた。
まくろんはかすかに目を開き、桜の顔を見て、か細い声で「さ、さくら……」と呟いた。
「ありがとう、まくろん。おかげで十分な魔力を練られた。あとは、任せて」
桜の力強い言葉に、まくろんは安堵の微笑みを浮かべ、そのまま静かに意識を手放した。
「お疲れさま」
桜はやさしく声をかけ、杖を掲げて二人を異空間へと転送した。直後、桜の表情が一変し、鋭い視線でゴーレムを睨みつけながら、静かに上昇した。ゴーレムの顔と並ぶ高さに浮かび上がり、その瞳を真っ直ぐに見据えた。桜の静かな怒りは、全身からあふれ出る桜色のオーラが物語っていた。
桜の研ぎ澄まされた魔力は、もはや抑えきれぬほど膨れ上がり、天をも揺るがす波動となって各地に轟いた。その力は、遠く離れたアルカナ・オースの日本支部まで届き、その瞬間、支部にいた全員が一斉にその気配を察知し、驚愕と困惑の表情を浮かべた。
「この魔力……」とヴラドが目を見開き、「桜……!」とアリスが声を上げた。
その場にいた全員が、桜の魔力が流れてくる方へ視線を向けた。
「……まさか!」
神楽が声を上げた瞬間、阿修羅は誰よりも早く支部を飛び出し、桜のもとへ急いで向かった。神楽、アリス、ヴラド、そして風魔もすぐ後に続いた。
一方その頃、ひとけのない廃村で、特級天使はいまだにぐっすりと眠っていた。しかし、そこには庫持、阿部、大伴の姿しかなかった。
数分前、石上は一足先に目を覚まし、周囲を見渡して石作がいないことに気づいた。ふと酒を酌んでいた盃が目に留まった。盃を手に取り、じっと見据えると、わずかに力が宿っているのを感じ取った。それは、眠気を誘う能力だった。その瞬間、石上はまんまと出し抜かれたことに気づいた。盃を握りつぶし、怒声をあげた。
「あの野郎、麻呂を出し抜きやがって!」
そのとき、石上は石作と桜の気配を感じ取り、空を見上げた。すぐに状況を察すると、急いで廃村を飛び出した。
「ほう、苦戦しておるか……チュピチュピチュピ! 手柄は麻呂のものだ!」
石上はまるで燕のような姿に変貌し、風を切り裂き、超音速で空を駆け抜けた。
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