桜VS特級天使『石作皇子』①
四月三十日、土曜日の午前0時過ぎ。
桜は静かに目を覚ました。起きてすぐ、妙な胸騒ぎを覚え、そっと胸に手を当てた。そのままベッドから起き上がり、着替えていると、イリスがふわりと飛んできた。
「おはよう、桜ちゃん!」とイリスは言った。
「おはよう、イリス。怪我は治ったんだね」桜は落ち着いた口調で返した。
「うん。前よりもパワーアップしたんだよ!」
イリスは得意げに体を変形させ、内蔵されたレーザーや仕込み剣を桜に見せびらかした。
「これなら、わたしも桜ちゃんと一緒に戦えるかな?」イリスは少し興奮気味に尋ねた。
「うーん、まだちょっと難しいかな……」と桜は冷静に答えた。
「そっか……」イリスは残念そうに肩を落とした。
「でも――ありがとう、イリス。その気持ちがすごく嬉しい」
イリスは表情がパッと明るくなり、背中の羽も嬉しそうにパタパタと羽ばたかせた。笑顔で宙をくるりと舞い、桜を見つめると、ウキウキとした様子で問いかけた。
「桜ちゃん……今日はいつも通り、魔法の研究をするの?」
桜は休日、特別な予定がない限り、一日中、魔法の研究に没頭している。アルカナ・オースの仲間に誘われたときは、出掛けることもあるが、予定が合うことは滅多になく、ほとんど独りで新しい魔法の開発に勤しんでいる。寂しさを感じることは一切なく、むしろ心からその時間を楽しんでいる。
桜は少し考え、ゆっくりと口を開いた。
「……今から、アルカナ・オースの支部に行ってくる」
「そうなんだ。誰かと遊ぶ約束?」
「いや……少し、気になることがあって……」
「……そっか。気をつけてね」
イリスは、すぐに察し、それ以上追及しなかった。
桜は準備を整え、まくろんとともに玄関を出ようとしたが、一度立ち止まった。額に手を伸ばし、貼られていた霊符をそっと剥いで、靴箱の上に置いた。
「それじゃあ、行こっか」と桜が言うと、「ニャ!」とまくろんが応じた。
「いってらっしゃい」
イリスに見送られながら、桜とまくろんは、アルカナ・オースの日本支部へと向かった。
支部へ到着し、敷地に足を踏み入れた瞬間、沈んだ空気が敷地全体を覆っていた。一歩踏み出すごとに、不穏な気配が肌を刺すように伝わり、胸を締めつける息苦しさを覚えた。
桜は、この重い空気を前にも感じたことがあった。只ならぬことが起こったとすぐに察し、無意識に早足になっていた。
屋内に入ると、さらに沈んだ空気が桜とまくろんを出迎えた。いつも明るいまくろんが緊張で冷や汗を滲ませるほどだった。
通路を進み、広間に出ると、そこには悲しげな表情で目を伏せる阿修羅、神楽、風魔、アリス、ヴラド、そして他の仲間たちの姿があった。彼らの足元には、大きな布で覆われた“何か”が、静かに横たわっていた。
桜が静かに歩を進めると、最初に気づいた阿修羅が「桜!」と声を上げた。
その声に導かれるように、場の視線が一斉に桜へと向けられた。
真っ先にアリスとヴラドが桜に駆け寄り、勢いそのままに、彼女へと飛び込んだ。
「おっと……」桜は思わず声を上げながらも、しっかりと二人を受け止めた。
「良かった……桜が無事で……!」
ヴラドは目に涙を浮かべながら呟き、アリスも不安げな表情を浮かべていた。
阿修羅と神楽もほっとしたように息をつき、風魔だけは、ただ黙ったまま真剣な表情を崩さなかった。
桜はアリスとヴラドの頭にそっと手を乗せ、やさしく撫でながら穏やかな口調で言った。
「わたしは大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて……」
しばらくして、二人は桜からそっと離れた。
すると、場の空気を払拭するかのように、阿修羅が気さくに口を開いた。
「珍しいな、土曜日にここに来るなんて」
阿修羅は明らかに空元気で、何かを隠そうとしている様子だった。
「そうだね……」
桜は短く応じると、表情を引き締めて前を向き、静かながらも芯のある声で問いかけた。
「それより、一体何があったの?」
桜の問いかけに、その場の誰もが、顔を曇らせ、言葉を失った。
重い沈黙が流れ、息が詰まるような雰囲気が漂っていたが、ふと彼らの視線が床に横たわっている“何か”を一瞥した。
桜は彼らの視線の先を見つめ、布に覆われた“何か”に気づいた。その瞬間、胸が締めつけられるほどの痛みが走ったが、堪えながらゆっくりと歩を進めた。そばに寄り、静かに腰を下ろして布に手を伸ばす。一度それを掴むも、躊躇して手を引いた。一呼吸置き、覚悟を決めたようにもう一度手を伸ばし、そっと布を取った。
桜は目を見開き、言葉を失った。
視線の先には、青白い顔で静かに横たわる先輩魔法使いの姿があった。
三人は目を閉じ、静かに横たわったまま、もう息をしていなかった。体の一部は石のようにひび割れ、無惨にも崩れ落ちていた。
桜はゆっくりと手を伸ばし、そっと彼女の顔に触れると、冷たい肌の感触が伝わった。その瞬間、彼女たちの笑顔が、桜の脳裏に浮かんだ。以前三人と一緒に街で遊んだときの記憶に思いをはせた。
まくろんは悲しげな表情で見つめていた。
そのとき、阿修羅が静かに口を開いた。
「……昨日、五人の特級天使が、同時に現れたんだ」
普段は強く毅然とした阿修羅の声から、耐えがたい現実に立ち向かおうとする苦悩が滲み出ていた。阿修羅は目を伏せ、言葉を絞り出すように続けた。
「全員が、相当強かったらしい……他にも、多くの仲間が――」
言葉が喉につかえ、阿修羅は沈黙した。その沈黙を誰も責めようとしない。ただ、桜の心臓の鼓動が少しずつ速くなっていった。
「おれがもっと早く駆けつけていれば、こんなことには……!」
阿修羅は拳を強く握りしめ、広間に横たわる仲間たちに目をやった。その瞳には、怒りとどうしようもない哀しみが宿っていた。
アリスは涙を堪えきれず、肩を震わせた。ヴラドがそっとその肩に手を添えていたが、彼女の目にも光るものがあった。
「……阿修羅のせいじゃない。……わたしの責任だ」と桜は静かに言った。
「違う! お前のせいじゃない!」
阿修羅は思わず声を張り上げた。
桜は阿修羅に目を向け、落ち着いた口調で問いかけた。
「特級天使の目的は、何だった?」
その問いかけに、全員が口を噤んだ。誰もが言葉を失ったその空気の中で、桜は静かに言葉を重ねた。
「……わたしを、探してたんだよね?」
阿修羅は目を伏せ、口を噤んだ。
「……やっぱり」桜は、確信と怒りを含んだ低い声で呟いた。
その瞬間、場の空気がピンと張り詰めた。
「敵の目的なんて関係ない。これは、桜一人の責任じゃないわ」神楽は毅然とした声で言った。
「そうデス! ワタシも仲間を守れなかった責任がありマス!」アリスは涙を滲ませ、悔しそうに言った。
「余も同じだ」ヴラドも涙を堪えながら即座に同意した。
そのとき、遠くから「その通りだ!」という野太い声が響いた。
声のした方に全員の目が向いた。
現れたのは、アルカナ・オース日本支部局長『天ノ川銀河』だった。
銀河は桜たちのもとまで歩み寄り、立ち止まると、視線を巡らせながら口を開いた。
「責任があるとするならば、それはすべてわたしが負うべきものだ。文句でも何でもわたしにぶつけろ」
視線を下げ、桜の肩にそっと手を添えた。
「……だから、あまり自分を責めるな」
銀河の声は威厳がありつつも、やさしさと温かさを滲ませていた。
「仲間を失った悲しみは、皆同じ……一人で背負うものじゃない」
銀河の言葉を聞くと、桜はスッと立ち上がり、小さな声で言った。
「……別に、これくらい、もう慣れてるから」
そう言いながらも、桜の胸の奥には静かな怒りが渦巻いていた。抑えきれない激しい怒りが、わずかに表情に滲んでいた。向き直り、すぐに天使討伐に向かおうと一歩踏み出したが、銀河に呼び止められた。
「どこへ行くつもりだ?」
桜は足を止め、振り返らずに答えた。
「天使はわたしを探してるんでしょ? なら、こっちから出向けばいい」
「ダメだ」
「……どうして?」
「敵は特級天使五人――いや、もっといるかもしれない。しっかりと対策しなければ、また犠牲者が増えるだけだ」
「わたしが一人でなんとかする……」桜は低い声で呟いた。
「いくらキミでも、それは無理だ」
「そんなこと……!」
桜は勢いよく振り返り、思いをぶつけようとしたが、銀河に真っ直ぐな目で見つめられると、言葉を詰まらせた。彼の言っていることを、頭ではわかっていても、冷静にはなれなかった。
心を落ち着かせるため、ゆっくりと呼吸していると、ふと先輩魔法使いの手元に目が留まった。桜はその場でしゃがみ込み、強く握られた彼女の手を慎重に開いた。
彼女の手に握られていたものは、小さな石だった。小石からは、微かに魔力のような気配が漂っていた。その気配は、紛れもなく天使のものだった。それに気づいた瞬間、桜の目が大きく見開かれた。
桜はこっそりと小石を手に取り、無言で立ち上がって踵を返した。
「……ちょっと、頭冷やしてくる」
小さくそう呟き、「まくろん、行くよ」と続けた。
「ニャ!」とまくろんは返し、二人は並んでその場を去った。
阿修羅が心配そうに後を追おうとしたが、神楽が静かに手を伸ばし、首を横に振って制した。アリス、ヴラド、風魔、銀河たちも黙って桜の背中を見送った。
桜はアルカナ・オース支部で最も高い塔の屋上に腰を下ろし、夜風に身を任せていた。小石を握り締めた手をそっと額に当て、集中して魔力を探った。わずかな気配すら逃さないほど、意識を研ぎ澄ました。
隣に座るまくろんは、桜の邪魔をしないように静かに待っていた。
そのまま数時間が過ぎ、朝日が昇ってもなお、桜は無言のまま集中を切らさなかった。
そしてまた数時間が経過し、夕日が沈み始めた頃。
桜は、支部から遠く離れた場所のほんのわずかな気配を感じ取った。
その気配は、小石に宿る力とまったく同じものだった。
「みつけた……」
桜は小さく呟くと、静かに立ち上がった。続けてまくろんも立ち上がり、桜の肩に飛び乗った。桜は杖を手に取ると、ふわりと宙へ浮かび上がった。
「あっちか……」と呟き、気配の感じる方へ向き直った次の瞬間――桜は閃光のような速さでその場を飛び去っていった。
そのとき、アルカナ・オースの仲間たちは、まだ誰一人として、桜の行動に気づいていなかった。
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