玄の仕事⑤ ――ルシファーの逆襲編――
静寂の中、玄は静かな足取りでルシファーに向かってゆっくりと歩み寄った。風に揺れる前髪の隙間から、彼女の鋭い視線がルシファーを正確に捉えた。
右手に持つ黒雪の刀身は光を反射し、眩い輝きを放つ。その刀身には、ルシファーの姿が鮮やかに映り込み、まるで狩りの直前、獲物を鏡に封じ込めたかのようだった。
「ふふ……なんだ、それは……? その刀ごときで、わたしに勝てるとでも……?」
ルシファーは嘲り笑った。
そのとき、復活したアハトが興奮した声で言った。
「久しぶりに見られるのか! シュバルツの剣技……!」
ルシファーはアハトを一瞥し、眉をひそめた。
「何……?」
警戒心を見せながら玄に視線を戻し、彼女の一挙一動を瞬時に分析した。やがて、ニヤリと笑みを浮かべ、冷徹に言い放った。
「ふふっ、わたしにハッタリは無駄だ」
次の瞬間、玄の姿が音もなく消えた。気づけば、鋭い切っ先がルシファーの目前に迫っていた。
ルシファーは反射的に首を曲げて切っ先を避けた。だが、すでに左腕が肩から切断され、無惨に地面へと落ちていた。
「なっ……!?」
ルシファーは思わず声を漏らし、地面に落ちた自分の腕を見つめた。一瞬の出来事に思考が追いついていなかった。
間髪入れずに、玄の一閃が閃光のようにルシファーの首を貫かんと迫った。
ルシファーは思考よりも先に、身の危険を本能で感じた。目を極限まで見開き、玄の超スピードをギリギリで捉えると、瞬時に体をのけ反らせ、後ろに跳んだ。だが、すべてを避けきれず、首に深い傷を負い、血が噴き出した。そのまま地面に膝をついて俯き、口から大量の血を吐くと、すぐに右手で首を押さえ込んだ。
再生の力を振り絞ろうとするルシファーだったが、玄は一瞬の隙も与えず、間合いを詰め、次々と斬撃を浴びせた。
ルシファーは残った右手甲の針と蛇頭の尻尾で応戦するが、玄の圧倒的なパワーとスピードに押され、全身に切り傷が刻まれていく。視線を走らせるが、玄の動きは影すら捉えさせなかった。ルシファーが得意とする計算さえも、この異次元の速さと力の前では無意味だった。
蛇頭の尻尾が咄嗟に刀身に噛みつき、斬撃を防いだ。だが、玄はまるで舞うかのように体を回転させ、ルシファーの横腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。
衝撃でルシファーは吐血し、蛇頭は刀身を放した。
ふらつく間もなく、玄は鋭い一閃を放ち、ルシファーの体を上半身と下半身に真っ二つに切り裂いた。
下半身が膝から崩れ落ちるのと同時に、ルシファーはニヤリと笑い、翼を大きく羽ばたかせた。空高く舞い上がり、「はっはっは……!」と高笑いしながら玄を見下ろす。
「かかったな! わたしの狙い通りだ!」と自慢げに言い放つ。
ルシファーは口元を歪ませ、不気味に笑いながら、体の再生を始めた。断面から瞬く間に肉が繋がっていく。
再生が進む中、玄はルシファーに目もくれず、黒雪の刀身を見つめ、使い心地を確かめるように軽く振った。ふと足元に転がったルシファーの下半身が目に入ると、冷ややかに見下ろす。嫌悪の表情を浮かべながら、目にも留まらぬ速度で斬撃を繰り出し、それを粉微塵に切り刻んだ。そして、ゆっくりと顔を上げ、上空のルシファーを鋭く見据えた。
その間、ナンバーエージェントたちも次々と立ち上がり、戦場の緊張感を共有するかのように、玄とルシファーを静かに見つめていた。
フィーアもようやく意識を取り戻し、ツヴェルフは自己修復を完了した腕――一回り小さい腕の動作を確認していた。
ルシファーは全身を再生し、嘲笑うように玄を見下ろした。冷静さを装っていたが、額に汗が滲み、怯えた表情が隠しきれないでいた。
「まさか、キミの剣技がここまで研ぎ澄まされているとは……予想外だった。一瞬でも油断した自分に腹が立つ……」
ルシファーは悔しげに言い、ふと何かに気づいて視線を下げた。視線の先に、無意識の恐怖で震える右手が映った。ルシファーは一瞬焦りを見せたが、すぐに左手で右手の震えを押さえ込んだ。
「ふっ……これが武者震いというやつか」
冷たい笑みを浮かべながら言い聞かせ、震える右手を強く握り締めた。その裏で、内心の恐怖を無理やりかき消そうとしていた。
玄が一歩踏み出した瞬間、ルシファーは即座に一歩後退する。翼を大きく広げ、勢いよく羽ばたかせると、無数の黒い羽根が突風とともに放たれた。鋭く飛び交う羽根が、まるで矢のように玄に迫る。
玄は静かに見据えると、目にも留まらぬ速さで斬撃を繰り出し、瞬く間に羽根を細かく切り落とした。だが、その一瞬の間に、無数の黒い羽根に取り囲まれていた。
羽根は、玄を中心にして円を描くように高速で飛び回っていた。一寸の隙間もない羽根があっという間に玄を包み込み、黒いドームを形成して閉じ込めた。
「ふはははは……! さあ、どうする!? もう逃げ場はないぞ!」
ルシファーは声高らかに叫んだ。
一方、周囲で見守るナンバーエージェントたちは、誰一人取り乱すことなく、ただ静かに玄を見つめていた。
玄は冷静な表情を浮かべたまま静かに目を閉じ、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
「終わりだ!」
ルシファーが翼を羽ばたかせ、突風を巻き起こすと、玄を取り囲んでいた漆黒の羽根が一斉に向き直り、彼女に鋭く襲いかかった。
玄はゆっくりと目を開いた。
「白雪流・桜吹雪……!」
静かに呟くと、刹那の間に一陣の風が巻き起こった。その斬撃は、まるで春風に舞う桜の花びらそのものだった。次の瞬間、飛び交う無数の羽根は粉微塵に消え去った。
玄の華麗な剣技を目にしたナンバーエージェントたちは、それぞれの反応を見せた。
アハトは口元に思わず笑みを浮かべ、アインスは静かに目を閉じて頷いた。フィーアの瞳は喜びに輝き、ズィーベンは驚きで立ち尽くし、ドライは唇を噛みしめていた。
玄は視線をゆっくり上げ、ルシファーを鋭く見据えた。
「なん……だと……!?」
ルシファーは思わず声を漏らし、驚愕の表情を浮かべた。
玄はルシファーの翼を見つめ、軽くため息をつき、小さく呟いた。
「その再生能力、いい加減面倒ね……」
周囲を見渡し、フィーアを見つけると、「フィーア!」と声を上げ、黒雪の切っ先を彼女に向けた。
「お願い!」
その声に応じ、フィーアはヴェターシュトクを構えた。迷いのない動きで、灼熱の炎を一直線に玄へと放つ。
玄は表情一つ変えず、迫る炎を避ける素振りすら見せない。炎が黒雪の切っ先に触れた瞬間、刃で裂かれるように二手に分かれ、刀身全体を滑らかに包み込んだ。黒雪は瞬時に灼熱の焔を纏い、まるで生き物のように燃え上がる。その燃え盛る刀は、戦場に一瞬の静寂をもたらした。
「ありがとう、フィーア」
玄が微笑みかけると、フィーアはまるで弾丸に撃ち抜かれたかのようにその場に倒れこんだ。
玄は上空のルシファーに視線を戻し、鋭く見据えた。
「ふふ……まるで曲芸師だな……」とルシファーは微かに震えた声で言った。
「次でお前を仕留める」と玄は冷たい声で言い放った。
その言葉を聞いた瞬間、ルシファーは唇を噛みしめ、拳を強く握った。全身の筋肉を膨れ上がらせると、「やってみろよ!」と怒りを滲ませた。空気を切り裂く勢いで突撃し、その速さは稲妻のように地を走り、周囲に衝撃波を巻き起こした。
ルシファーは瞬時に間合いを詰め、手の甲の針を勢いよく振り下ろした。玄が黒雪で受け止めた瞬間、鈍い音が響き渡り、衝撃波が広がる。黒雪が纏う炎が、小さな火の粉となって周囲に飛び散った。
ルシファーは一撃目が受け止められた瞬間、怒りに駆られるように動き、二撃目、三撃目と連続で畳みかけた。攻撃はまさに嵐のごとく。鋭さを増した蛇頭の尻尾は、獲物を仕留める毒蛇の牙のように玄を狙った。
玄は冷静にすべての攻撃を黒雪で華麗に受け流した。視線を激しく滑らせ、冷静にルシファーの攻撃を分析し、その隙を的確に突いた。
一閃が放たれると、黒雪がまるで時空を裂くかのように輝き、蛇頭の尻尾を根本から切断した。切断面は灼熱の炎に包まれ、再生すら拒むように焼き尽くされた。
ルシファーは思わず「チッ!」と舌打ちし、再生を諦めると、即座に玄に狙いを定め、渾身の一撃を突き出した。
玄はその一撃を、燃え上がる黒雪で真っ向から受け止め、すかさず横へ受け流し、鋭い蹴りを繰り出した。
ルシファーは反射的に体をのけ反り、バク転で回避した。着地するとすぐに顔を上げ、玄を見据えた。しかしその瞬間、ルシファーは背筋が凍てつき、目を見開いた。
玄は目を伏せ、静かに構えていた。
「白雪流――」
小さく呟き、一瞬で間合いを詰めると、「茜斬り!」と叫び、閃光のような速さで燃え上がる刀を振り下ろした。
刀から放たれたオレンジ色の閃光が、空間を切り裂くように走り抜けた。その軌跡はまるで血染めの稲妻のようであり、ルシファーの両腕を、肩ごと一瞬で切り落とした。
ルシファーはまったく反応できず、「ぐわぁ!」と声を上げ、ふらついて倒れそうになるが、咄嗟に足に力を込め、寸前で踏ん張った。
玄はすかさず、鋭い突きを畳みかけた。
「白雪流・茜突き!」
一瞬の間に鋭い突きが四発、正確にルシファーの胸――四つの心臓を貫いた。
ルシファーは白目を剥き、意識が飛びかけたが、すぐに持ち直し、必死に踏ん張って倒れまいとした。荒い呼吸を繰り返し、額から大量の冷や汗が流れる。両腕の切断面と貫かれた箇所は炎で燃え上がり、再生することができない。ルシファーは痛みと苦痛に満ちた表情を浮かべ、玄を見据えた。
玄はその場で黒雪を一閃し、風を切ると、刀身を包んでいた炎が消え去った。そして、刀を静かに鞘に納めた。
「……ふふ……どうした……? まだ……一つ……残っているぞ……」
ルシファーは苦しそうにしつつも、笑みを浮かべて挑発した。
「いいえ……もう、終わってるわ」
玄がそう返した瞬間、一発の銃声が鳴り響いた。玄の顔横わずか数センチを一発の弾丸が風を切りながら通過し、ルシファーの胸の中心にある最後の心臓を正確に撃ち抜いた。それは、フュンフが校舎の屋上から放った一発だった。
フュンフの隣には、一色の姿があった。
玄は戦闘中、その鋭敏な五感で遠く離れたフュンフの気配を察知していた。わずかな視線の動きだけで無言の合図を送り、フュンフも即座にそれを受け取った。
二人の間には、言葉を超えた信頼と連携が存在していた。
ルシファーは胸を撃ち抜かれた瞬間、一瞬その場で立ち尽くした。やがて膝から崩れ落ち、ついに倒れた。微かに残っている意識の中、顔を横に向け、玄に目を向けた。
「ま……さか……このわたし……が……負ける……とは……な……見事……だ……」
玄は冷ややかな目でルシファーを見下ろした。その瞳には怒りや悲しみはなく、ただ静かな覚悟と冷えた感情が宿っていた。これまでの悪行を思えば、玄の心には一片の慈悲も湧かなかった。だが、その裏には、戦いが終わったという小さな安堵も混ざっていた。
フィーアが勢いよく玄のもとへ飛び込んだ。
「お疲れ! シュバちゃん!」
玄は避けずに、フィーアを受け止めた。
「お疲れ様、フィーア」と落ち着いた声で返した。
玄のそばにナンバーエージェントたちが次々と集まった。
「やっぱスゲェな、シュバルツ!」
アハトが興奮気味に言うと、隣に立つアインスも静かに頷いた。
「当然でしょ! シュバちゃんは最強なんだから!」とフィーアが自慢げに言った。
「まあまあだな……」ドライは顔を背け、少し悔しそうにしていた。
「さっ、さすがです!」とズィーベンが言った。
「南無……」とツヴェルフは静かに呟き、祈るように合掌した。
「いつ見ても、華麗で魅力的な剣技ですね」とノインが微笑んだ。
「なかなかいいセンスだ……」とツヴァイは頷きながら呟いた。
「ルツシュバ~! いいビート、刻んでたZE!」エルフはウインクをして、白い歯を輝かせながら親指を立てた。
「本当に圧巻だったよ! これが、“黒の断罪者”なんだ!」とツェーンは納得したように頷いた。
「その呼び方はやめて! 恥ずかしいんだから……!」と玄は少し恥ずかしそうに言った。
「えー、かっこいいよ!」とフィーアが笑顔で返した。
「そういえば、なんで刀を使わなくなったんだ? シュバルツ……」とアハトは首を傾げた。
「それは……」
玄は視線を逸らし、目を泳がせたあと、アハトに視線を戻した。ため息をつき、ゆっくり口を開いた。
「……前の任務で、飛んできた瓦礫を斬ったら、破片が変な方向に飛んで、怪我しちゃって……」
玄は頬を赤く染めつつ、少し恥ずかしそうに答えた。
一瞬の沈黙のあと、アハトは納得したように呟いた。
「へぇー、シュバルツも、そんなミスがあるんだな!」
「アハト! シュバちゃんの言う怪我って、一ミリにも満たない小さな傷だから。それで刀を使わなくなるなんて、シュバちゃんらしいでしょ?」とフィーアが微笑みながら補足した。
場の緊張が解け、和やかな雰囲気が漂い始めた。
そのとき、ルシファーが「ふっふっふ……」と不気味に笑い、空気が一変した。再び空気が張り詰め、全員の視線が一斉にルシファーへと向き、警戒して身構えた。
フィーアは玄から飛び降りてヴェターシュトクを構え、玄は即座にレーザー銃を抜いた。アインスは短剣を逆手に握り、ドライは拳を固め、アハトは竹刀、エルフは薙刀をそれぞれ構えた。
だが、ルシファーはすでに何もすることができない状態だった。
「てめぇ、何笑ってやがる!?」とドライが鋭く問いかけた。
「ふっふっふ……これで……終わりだと……思うなよ……」
ルシファーは血を吐きながらも、不敵な笑みを浮かべた。
「ゲームは……まだ……終わって……ない……」
意味深な言葉を残し、ニヤリと笑った。
「それって、どういう意味……?」
玄が問いかけた瞬間、空高くから爆弾の影が迫ってきた。全員が一斉に爆弾の気配に気づき、視線を上げた。
ドライが反射的に「離れろ!」と叫ぶ。
全員が反射的に動き出す。玄は刹那、レーザーを放ち、フィーアはヴェターシュトクを構えた。次の瞬間、不敵な笑みを浮かべるルシファーに爆弾が着弾し、大爆発を巻き起こした。
轟音とともに衝撃が広がり、黒煙が一帯を包み込んだ。
黒煙が徐々に薄くなり、視界が晴れると、ナンバーエージェント全員の姿が現れた。玄の咄嗟の判断で展開されたレーザーシールドが爆風を正面から受け止め、さらにフィーアが展開したバブルウォールが、衝撃波と破片を完全に吸収していた。二重の防御が功を奏し、全員が無傷だった。
一方、ルシファーは爆発で跡形もなく消し飛び、地面には大きなクレーターが刻まれていた。どうやら、軍事用ドローンを密かに操り、自らの位置に爆弾を投下するよう設定していたようだ。追い詰められ、とどめを刺されるくらいなら、自ら壮絶な最後を選ぶという狂気じみた決断なのだろう。笑みを浮かべながら爆発に飲み込まれたその姿は、まるで悪魔が最後の悪戯を仕掛けるかのようだった。
結局、ルシファーの最後の言葉の真意は不明のままだった。しかし、玄たちはすぐに、その意味を思い知ることになる。
「みなさん! ご無事ですか!?」
一色が慌てて駆け寄ってきた。背中にはギターケースを背負い、その中にはフュンフのスナイパーライフルが入っている。一色のすぐ後ろにフュンフの姿もあった。
フュンフは左腕をギプスでしっかり固定しつつも、しっかりとした足取りで玄たちのもとへ駆け寄ってきた。
「ええ」と玄は答えた。
「よかった……」
一色は胸に手を当て、ホッと息をつき、フュンフも同じ反応だった。
玄は元気そうなフュンフを見つめ、小さく微笑んだ。フュンフも玄に視線を向けて、微笑み返した。二人は無言で拳を突き出し、互いの健闘を称え合った。
「シュバちゃん、お疲れ様……」イリスはゆっくり玄のもとへ飛んできた。
「イリス!」
玄は声を上げ、急いでイリスのもとに駆け寄った。そっと手のひらを差し出すと、疲れ切ったイリスがその上に身を預ける。
「無理しないで」と玄はやさしく声をかけ、その小さな体を労わるように見つめた。
「ありがとう、シュバちゃん……」イリスは安心したように息をついた。
さきほどの爆風で、第一グラウンドを覆っていた電波遮断粒子が吹き飛び、ようやく外部との連絡が回復した。その瞬間、本部からナンバーエージェント全員へ一斉に通話が接続された。同時に、「シュバちゃん、大変!」とイリスが声を上げた。
「どうしたの?」と玄は冷静に返した。
イリスは言葉を詰まらせながら、声を震わせた。
「あと……あと一〇分で……この街に……衛星が……落ちる……!」
「え……!?」玄は目を見開き、一瞬すべてが硬直した。
「なんだと!?」とドライの叫び声が周辺に響いた。
ナンバーエージェント全員が、ゼクスから同じことを告げられ、玄と同じく驚愕の表情を浮かべた。
玄たちが地上でルシファー本体と激突している最中、ゼクスとテュールはネットの戦場で、ルシファーとの壮絶なハッキング戦を繰り広げていた。さらに、指揮官を筆頭に、〈フリーデン〉の全エージェントもネット世界に飛び込み、ルシファーと戦っていた。
ルシファーは様々なシステムに侵入し、厄介なウイルスを撒き散らしたが、ゼクスたちの迅速な対応で、被害は最小限に抑えられていた。前回の事件で得た経験を活かし、〈フリーデン〉はルシファーと互角の戦いを繰り広げていた。
しばらく膠着状態が続いていたが、本体がダメージを負うと、それに呼応してネット上のルシファーの力も一気に衰えた。
ゼクスたちはその隙を突いて一斉に攻撃を浴びせ、ネット上のルシファーを消し去った……はずだった。
だが、ルシファーはそのときすでに衛星のハッキングを済ませており、自身の命と引き換えに色神の街に落とすように仕向けていた。
玄は夜空を見上げた。オレンジの尾を引きながら、凶星のように輝く巨大衛星が、燃え尽きることなく迫っていた。地上に牙を剥く彗星のごとく、目に見えるほどの速度で落下し、恐怖を煽った。
少し遅れて、ナンバーエージェントたちも視線を上に向け、その光景に言葉を失った。
「ゼクス、ミサイルで撃ち落とすことはできないのか?」とアインスが慌てて問いかけた。
『ルシファーが撒いたウイルスで、ミサイルシステムが完全に麻痺してる。緊急修復を試みてるが、すぐには発射できない!』とゼクスは、焦燥感を隠せない声で返した。
「じゃあ、衛星をハッキングして……軌道を逸らせないの!?」とフィーアは必死な表情で提案した。
『すでに試みているが、ルシファーの多重防壁が強固すぎて、突破には時間がかかる……正直、間に合わない!』
「では、ドローンをぶつけるのはどうですか?」とノインが冷静に提案した。
『ドローンの火力では、衛星を完全に破壊するのは不可能だ。それに、仮に破壊に成功しても、飛び散った破片が街を直撃してしまう。破片が広範囲に及ぶと、被害は甚大だ……!』
全員が口を閉ざし、沈黙が流れた。重い空気が立ち込め、凍てつくような冷たい風が吹き抜けた瞬間、玄が沈黙を破った。
「つまり──一撃で、完全に消し飛ばせばいいってことね……」
玄は素早く周囲を見渡し、周辺で一番高いビルを見つけると、イリスに視線を移した。
「イリス!」と声をかけ、首元に指をかけると、イリスはすぐに玄の胸元へ飛び込んだ。次の瞬間、玄は疾風のごとく駆け出した。
アインスは「シュバルツ!?」、フィーアは「シュバちゃん!?」と驚きの声を上げた。
玄は疾走しながらポケットに手を伸ばし、畳まれたほうき型ドローンデバイスを素早く取り出した。瞬時に起動すると、流れるような動きで腰を下ろし、空高く舞い上がって全速力で一番高いビルの屋上へと向かった。
フィーアとアインスがすぐに後を追い、少し遅れて他のナンバーエージェントたちも、それぞれの手段で続いた。
玄はビルの屋上に軽やかに降り立つと、すぐにほうきを小さく畳んでポケットにしまい、レッグホルスターから滑らかにレーザー銃を引き抜いた。
下半身でしっかりと踏ん張り、夜空を見上げ、銃を構える。
「バーストモード、オン……」
静かに呟くと、レーザー銃が青白く輝きながら、徐々に変形を始めた。一瞬、パーツが細かく分解し、重力を無視したかのように浮き上がると、次の瞬間、まるで複雑な機械仕掛けのように次々とパーツが組み合わさり、新たな銃を形成した。
バーストモードのレーザー銃は、わずかに形状を変えながら、圧縮されたエネルギーを収束するような精密なフォルムへと変化していた。その握り心地は、まるで手に馴染む一部のように自然だった。
「エネルギー、フルチャージ!」
そう呟くと、レーザー銃は青白い輝きを放ちながら、エネルギーを溜め始めた。
エネルギーを溜めている間、フィーアを筆頭に、ナンバーエージェントたちが次々とビルの屋上に降り立った。一色こがねも駆けつけ、不安げな目で玄を見守っていた。本部にいたはずのゼクスも、息を切らしながら現場に現れた。緊急事態にいてもたってもいられなくなった様子だった。
フルチャージが完了すると、玄は慎重に照準を合わせ、オレンジ色に輝く衛星に、静かに銃口を向けた。
イリスは玄の胸元から顔を出し、夜空を見上げながら、目を光らせて照準データを導き出した。
「シュバちゃん……上に二ミリ、右に一ミリずらして」イリスは迷いのない声で指示を出した。
「了解」
玄は指示通りに微調整すると、静かに深呼吸し、集中力をさらに高めた。不思議なほど緊張感は消え去り、心は凪のように静まり返っていた。だが、その静けさの奥には、鋭く研ぎ澄まされた集中力が漂っていた。重心もブレることなく、ただ一点のみを見つめていた。
「あと五秒……四……三……二……一……」
イリスの声が一層低く、鋭さを増す。そして次の瞬間、「今!」と響くように叫んだ。
その瞬間、玄は迷いなく引き金を引いた。
銃口から放たれた白いレーザーは、音を置き去りにする速度で夜空を切り裂き、一直線に衛星へと突き進んだ。
銃身に蓄えられていた膨大なエネルギーが一気に放出され、反動でレーザー銃は細かく砕けて空中に散った。
強烈な反動で玄の体も吹き飛びかけたが、アハト、ツェーン、フィーアが即座に反応し、支えた。
アハトはヨーヨー、ツェーンは包帯を玄の腰にやさしく巻き付け、力強く踏ん張った。同時に、フィーアがヴェターシュトクで風を巻き起こし、やさしく玄を包み込んだ。
玄は風に乗って宙を舞い、やがてゆっくりと着地した。すぐに三人に視線を向け、「ありがとう」と感謝を伝えた。
玄の放ったビームは、はるか上空で衛星に命中し、花火のように弾けて爆発した。夜空に綺麗なオレンジ色の花が咲き、少し遅れて音が鳴り響く。
その瞬間、街中の人々が一斉に夜空を見上げた。突然舞い上がった花火に驚きつつも、多くの人々がその美しさに見惚れていた。
やがて、オレンジ色の光は儚く消え、衛星は跡形もなく完全に消滅した。
玄は静かに安堵の表情を浮かべた。手にはレーザー銃の破片が残っていた。破片をグッと握りしめ、そっと拳を額に当て、「ありがとう」と心を込めて呟いた。
ナンバーエージェントたちもそれぞれ安心した様子を見せた。アインスは微かに口元を緩めて目を伏せ、ゼクスは肩の力を抜き、エルフのサングラスにはオレンジ色の光が反射し、ノインとツェーンは安心したような笑顔を浮かべた。
こうして、ルシファーによる一連の騒動は無事に終息したかに見えた……。
だが、まだ終わっていなかった。
次の瞬間、街全体を包むように、耳をつんざく鋭い警報音が響き渡った。それは人々の心に緊急事態を直感的に伝え、混乱と恐怖の波を一瞬で広げた。
「なんだ!?」とドライが声を上げた。
全員が驚きで周囲を見回す中、ゼクスは即座にテュールに連絡を取り、警報の原因を探り始めた。しかし、調べるまでもなく、彼らはその原因を目の当たりにする。
玄とイリスは夜空を見上げ、その目は驚愕で大きく見開かれ、表情が硬直していた。
フィーアも異変を察し、玄たちが凝視する夜空へと目を向けた。そこに広がる光景を目にした瞬間、顔は青ざめ、口元が震えた。
「嘘……でしょ……」とフィーアのかすれた声が無意識に漏れ出た。
他のナンバーエージェントたちも次々に夜空を見上げ、その目に広がる光景に息をのみ、同様に驚愕の表情を浮かべた。
視線の先には、小さなオレンジ色の光が一つ、夜空に浮かんでいた。それが次々と数を増し、やがて無数の輝きが群れを成すように広がり、夜空全体を覆い尽くした。その光景は、まるで流星群が天から地へ逆流してくるかのようだった。
「ゼクス殿……まさか、あれは……?」とツヴェルフが低い声で問いかけた。
「ああ……あれは、スペースデブリだ!」とゼクスが答えた。
「スペースデブリ……? なんだ、それ?」アハトが首を傾げた。
「宇宙空間に漂うロケットや衛星の破片……いわゆる宇宙ごみですわ」と一色が冷静に説明した。
「宇宙ごみ? そんなものがあんのか!?」とアハトは驚きの声を上げた。
「それが何でいきなり降ってくるんだ!? しかも、あんな大量に!」とドライは空を指差して叫んだ。
「ルシファーが、宇宙空間にあったデブリボックスを破壊したんだ。大気圏で燃え尽きないように、ちゃんと計算された場所で……」とゼクスは声を震わせた。
「チッ、またあいつか!」ドライは苛立ちを隠せないでいた。
「そんなことができるの……?」ツェーンは驚きながら尋ねた。
「ルシファーの計算能力なら可能だ」
ゼクスは悔しげに拳を握りしめ、空を睨みつけた。
「すぐに対処しなければ、街に甚大な被害が及ぶ。でも、どうすれば……!?」と言い添えた。
「あわわわわ……!」ズィーベンは取り乱し、その場で足踏みしていた。
「シュバルツ、もう一度レーザーで撃ち落とせないか?」とアインスが冷静に声を上げた。
玄が肩をすくめ、首を横に振ると、アインスはため息をつき、「そうか……」と残念そうに呟いて目を伏せた。
玄は周囲に鋭く視線を走らせ、冷静さを保ちながら素早く状況を分析した。
(これだけの広範囲……今からあれをすべて撃ち落とすのは不可能……でも、被害は最小限に抑えないと……!)
「イリス、すぐに街の被害を最小限に抑えるための配置を教えて」
玄は指示を出したが、イリスからの返答はなく、ただ静かな沈黙が返ってきた。
「イリス……?」
玄が胸元に目を向けると、イリスは額に汗を滲ませ、目を閉じて項垂れていた。その表情は苦悶に満ちており、尋常ではない集中を要していることが一目でわかった。
玄がもう一度イリスを呼ぼうとしたその瞬間、ツヴァイがマントを風になびかせながら、颯爽と前に歩み出た。
「おれが行く!」
ツヴァイは力強く宣言し、鋭く空を見据えた。彼の目には揺るぎない決意が宿っていた。
「一人では無理だ!」とゼクスが呼び止めた。
「それでも行く! だっておれは、“スーパーヒーロー”だからな!」
ツヴァイは親指を立て、決め顔で言い放った。心の中で(決まった!)と自画自賛していたに違いない。
「いえ、ツヴァイ殿はお下がりくだされ。拙僧が参る!」
ツヴェルフも一歩前に出て、ツヴァイの隣に並んだ。彼の目には、覚悟を決めた光が宿っていた。
「ツヴェルフ……」ツヴァイはツヴェルフに視線を向けた。彼の顔を見つめ、「……まさか!?」と驚きの声を上げた。
ツヴェルフは静かに合掌し、「ついに、“あれ”を使うときが来たようです……」と、低く落ち着いた声で呟いた。彼の目に迷いはなく、ただ一つの決意が見て取れた。
「……“あれ”?」とノインが首を傾げた。
ツヴェルフはゆっくり振り返り、全員に視線を送った。その表情には、どこか哀しみが滲んでいた。
「貴殿らと別れるのは非常に心苦しいが、こんな状況では致し方ない」とツヴェルフは言った。
ツェーンは「え……?」、アハトは「は……?」と声を漏らした。
ツヴァイは口角を下げ、視線を落とした。
重い空気が周囲を包んだ。
「ツヴェルフ……お前、何を……?」とドライは不安げに問いかけた。
ツヴェルフは小さく微笑み返すと、向き直り、鋭く空を見据えた。
「拙僧が、デブリをすべて消し飛ばします……!」
そう宣言すると、ツヴェルフは胸に手を当て、大きく息を吸い込んだ。そして、力強く叫んだ。
「――この身に秘めた、自爆装置を使って!」
その瞬間、ナンバーエージェントたちの顔に驚愕の色が広がった。
しかし、すぐにフィーアが呆れたように冷静な声でツッコんだ。
「いや、あんたに自爆装置なんて搭載されてないから!」
「えっ!?」と全員が声を揃えた。特にツヴェルフとツヴァイが、目を見開いて絶句していた。
「そんなもの搭載して、もし誤爆でもしたら、街ごと吹き飛んじゃうでしょ?」とフィーアは的確に指摘した。
「そんな……バカな……!?」
ツヴェルフは戸惑いながら頭を抱え、その場に崩れ落ちた。
「なんだ、勘違いか……」とドライはホッとした様子で呟いた。
「チッ、驚かせやがって……」とアハトは苛立ちを見せた。
一瞬の静寂のあと、乾いた風がビルの谷間を切り裂くように吹き抜けた。音もなく広がる不安が、全員の胸を押し潰すかのようだった。
「ここは、やはりおれが……!」
ツヴァイは再びマントを翻し、鋭い眼差しで空を見据えた。
「No!」
エルフが唐突に声を上げた。
「おいおい、チャンツヴァだけにカッコつけさせるわけにはいかないZE!」
エルフは手を突き出し、得意げに笑った。
「そうだよ! わたしたちもいるんだから!」とツェーンがすかさず言い添えた。
ズィーベンはツヴェルフに歩み寄り、その肩を支えてともに立ち上がった。
ナンバーエージェントたちは、誰一人としてまだ諦めていなかった。
「テュール、被害を最小限に抑える作戦を教えてくれ!」とゼクスが問いかけた。
だが、テュールから返事はなく、ノイズが走るだけだった。
次の瞬間、〈フリーデン〉専用の通信網に突然何者かが割り込んだ。
「ふはははは……!」という不気味で耳障りな笑い声が響き、続いて目の前に、半透明の3Dホログラム――ルシファーの不気味な姿が暗闇の中に浮かび上がり、全員を見下ろした。
「なに!?」
ゼクスは驚きの声を上げ、全員の視線が一斉にルシファーに集まった。
ルシファーは宙に浮き、玄たちを見下ろす。通信網は完全に掌握され、〈フリーデン〉本部との連絡は絶たれた。さらに、ルシファーはイリスに視線を向けると、ニヤリと笑みを浮かべた。横に目を向け、「悪いが、少し静かにしていてくれ」と呟いた。視線の先には、鉄の檻に閉じ込められたイリスの3Dホログラムがあった。
玄が胸元のイリス本体に目を向けると、目を閉じ、青白い顔で微かに震えていた。浅く途切れがちな呼吸が、今にも消えそうな小さな命のように聞こえた。
その姿を見て、玄はイリスがネット空間でルシファーと戦っていたことに気づいた。目の前に浮かぶルシファーに視線を戻し、鋭く睨みつけた。
一色が鋭く「オーロラ!」と叫び、声には緊張と焦燥が滲んでいた。
その声に応じて、一色のスマートリングからオーロラの3Dホログラムが浮かび上がった。
「イリス様をお助けください!」と一色は指示を出した。
「了解、お嬢!」とオーロラは返し、ルシファーに向かって突撃した。
オーロラは煌めく剣を握りしめ、渾身の力を込めてルシファーに斬りかかった。その軌跡は一瞬の閃光となり、ルシファーを貫かんばかりの勢いだった。
ルシファーの冷たい瞳は微動だにせず、オーロラの攻撃をすべて躱した。一瞬の隙を逃さなかったルシファーは、瞬く間にオーロラを捕らえ、イリスと同じ鉄の檻に押し込んだ。
「てめぇ!」ドライはルシファーを睨みながら一歩前に出た。
「ふふ……いい加減、諦めたらどうだ……? 〈フリーデン〉。……もう時間がないことくらい、わかっているだろ?」ルシファーは嘲笑混じりに告げた。
「黙れ!」
アハトは怒りに満ちた声で叫び、竹刀を振りかざしてルシファーに突撃した。一閃は空を裂いたが、ルシファーのホログラムはわずかに揺らめいただけだった。「チッ!」とアハトは苛立ちを露わにした。
ゼクスはあらゆる手段で〈フリーデン〉本部と連絡を取ろうとするが、いずれも失敗に終わった。
「くそっ、テュールと繋がらない!」
ゼクスの表情には焦りが見え、苛立ちが込み上げていた。
「ふふ……何をしても無駄だ」ルシファーは冷酷に笑った。
(超AIが完全に封じられた……! くっ……これじゃあ、わたしたちの位置や動きを共有できない!)
玄の焦燥も募り、胸の奥が焼けつくような感覚に苛まれた。周囲を見渡せば、仲間たちの顔にも不安と疲労が色濃く浮かんでいる。苛立ちと焦燥が場の空気をずっしりと重くしていった。
「満身創痍の中、ここまで足掻くとは……哀れであり、滑稽だな」
ルシファーはわざとらしく手を叩き、その冷たい瞳には嘲笑が浮かんでいた。
「だが、それももう終わりだ……抗うことはない。楽になれ」
ルシファーは冷笑を浮かべ、なおも追い打ちをかけるように言葉を継いだ。
「最後は、この街もろとも……消え失せろ!」
玄たちは追い詰められ、絶望的な状況を打破する手段を必死に模索していた。だが、いくら考えても有効な手立てを見つけられなかった。
(くっ! 一体どうすれば……!)
玄が焦燥に包まれ、次の行動を模索していたそのとき、「玄、代わって」という桜の静かな声が、頭の中に響いた。
「桜……!?」
玄は目を閉じ、深呼吸を繰り返して心を落ち着かせた。
次の瞬間、ゆっくりと開いたその瞳は、桜色に変わっていた。中身が玄から桜に代わっていた。
「まったく……『困ったときはいつでも頼って』って、いつも言ってるのに……ほんと、玄は意地っ張りなんだから……」と桜は少し不満げに呟いた。
「えっ? シュバちゃん……?」フィーアは目を丸くし、アインスも「シュバルツ……?」と驚きまじりの声で言った。
桜は周囲を見渡し、柔らかく微笑んだ。
「みんな、ここまでよく頑張ったね。もう大丈夫だから、あとはわたしに任せて、少しだけ眠ってて……」
桜が軽く指を鳴らすと、まるで糸が切れたように、皆が次々と静かに崩れ落ちていった。3Dホログラムのオーロラも眠りについた。
起きているのは、桜、イリス、ルシファーの三人だけだった。
「何だと!?」
ルシファーは思わず声を漏らし、眠りについたナンバーエージェントたちのそばに駆け寄った。目を光らせて状態を即座に分析し、ただ眠っているのを確認すると、桜に目を向け、鋭い声で問い詰めた。
「……お前、一体何をした!?」
「少し眠ってもらっただけ。見られると困るからね」と桜は淡々と答えた。捕らえられたイリスに視線を移すと、「イリスもよく頑張ったね。あとは任せて」とやさしい声で言った。
「桜ちゃん……」とイリスは呟いた。
ルシファーは素早くイリスに視線を向け、「桜ちゃん……?」と呟いた。すぐに桜に視線を戻し、鋭く睨みつけ、「……お前……誰だ?」と問いかけた。
「今は、お前と話してる暇はない」
桜は静かに手のひらをかざした。すると、何もない空間から魔法の杖が現れた。杖を握りしめ、ふわりと宙に浮かび上がった。艶やかな黒髪が風に踊る中、桜は静かに宙へと昇り、夜空を真っ直ぐに見据えた。
「なに!?」
ルシファーは目を見開き、驚愕の表情で桜を凝視した。
桜は無言のまま杖の先端を夜空へと突き出した。次の瞬間、桜色のオーラを纏い、背後に光り輝く巨大な魔法陣が浮かび上がる。その光は、瞬く間に夜空に広がっていった。次第に魔法陣に白い光が集まっていく。
そのとき、イリスが静かに口を開いた。
「ルシファー……お前は、この世界のすべてを知っているつもりかもしれない。でも、それは思い上がり。お前が知るのは、ほんの一部に過ぎない」
ルシファーは打ちのめされたように言葉を失い、ただ黙って桜を見つめていた。
イリスは続けた。
「――この世界には、お前の理解を超えたものが、まだたくさんあるんだよ!」と皮肉を込めて言い放った。
桜は静かに夜空を見据えた。
「アポロン……」
小さく呟くと、背後の魔法陣から無数の白い光が放たれ、一気に夜空へと広がった。光は次々とデブリを打ち砕き、夜空を一瞬にして真昼のように照らし出した。まるで無数の花火が一斉に打ち上がったかのような美しい輝きに、混乱していた街の人々は魅了され、思わず空を見上げていた。
デブリがすべて撃ち落とされると、光も消え、真っ暗な夜空が広がった。街の人たちは、しばらく余韻に浸っていた。
桜は振り返り、ゆっくりと降下した。驚愕の表情を浮かべたまま硬直するルシファーの隣を通り過ぎると、静かにビルの屋上に降り立った。
ルシファーは凍りついた表情のまま夜空を見上げ、衝撃にのまれ、動くことすらできなかった。
しばらくすると、はっと我に返り、素早く桜に視線を向けた。
桜はすでにルシファーを見据え、魔法の杖を構えていた。
「お前の敗因は、ただ一つ……たった一つのシンプルなことだよ……ルシファー」
桜は静かに言い、杖を握る手に力を込めた。
「お前は――わたしを怒らせた」
その瞬間、杖の先端の宝石が輝いた。
眩い光に耐えられず、ルシファーは思わず目を背けた。次の瞬間、3Dホログラムのルシファーの体が静かに崩れ始めた。
「なっ……!?」
ルシファーは驚愕に目を見開き、崩れゆく自分の体をただ見つめることしかできなかった。必死に手で抑え込もうとするが、崩壊は止まらず、ルシファーの体は手足の先から砂のように崩れ落ちていった。
「そんな……まさか……完璧な存在のこのわたしが……」
声を震わせ、絶望の叫びを夜空に響かせた。
桜に視線を向けると、鋭く睨みつけた。
「貴様、絶対に許さん! これで終わりだと思うな! 次こそ必ず、貴様の命を……」
そう言い残し、ルシファーは完全に消え去った。
桜とイリスは、静かにルシファーの最後を見届けた。彼女たちの瞳には、冷たい決意が宿っていた。
ルシファーが現実世界とネット世界から完全に消滅した瞬間、イリスとオーロラを閉じ込めていた鉄の檻も消え去った。
イリスは解放されると、すぐに本体へと戻り、桜の胸元から飛び出して、真っ直ぐに見つめた。
「ありがとう、桜ちゃん」イリスは深々と頭を下げた。
「お礼なんていらないよ。当然のことをしただけだから……それより、イリスの怪我を治さないと」桜は杖を握り直した。
「あ、これは平気。自分で治せるから!」
「でも……」
「一瞬で治ったら、みんなびっくりしちゃうよ」
桜は一瞬考え込んだあと、「たしかに……」と静かに頷いた。「じゃあ、わたしは戻るね。あとはよろしく」
「うん」イリスは力強く頷いた。
桜はゆっくりと目を閉じ、深い呼吸を繰り返した。やがて、静かに目を開くと、瞳の色が黒に戻り、中身も玄に戻っていた。
玄はゆっくりと周囲を見渡した。全員の無事を確認すると、安堵の表情を浮かべ、次に夜空を見上げた。真っ暗な夜空を一望したあと、視線を下げ、輝く街並みを見下ろした。街の光が空へと伸び、まるで天を突き刺しているかのようだった。車の走る音、店から漏れる音楽、人々の笑い声。いつも通りの街の喧騒が玄の耳に届いた。
街に一切の被害が出ていないことを確認すると、玄は静かにイリスに視線を向けた。安堵のため息をつきながら、「終わったのね……」と小さく呟いた。
「うん」イリスは深く頷いた。
玄は一瞬微笑んだが、すぐに真剣な表情に戻った。
「いや……むしろ、これからが大変かもしれないわね」
「そうだね……」
「みんなへの説明は、どうにかなりそう?」
「それは任せて。必ず何とかしてみせる!」
「頼んだわよ」
玄はようやく表情を和らげ、ほっとした笑みを浮かべた。
その後、眠っていたナンバーエージェントたちが、次々と目を覚ました。彼らは、起きた直後すぐに周囲を見渡し、状況を把握しようと動き出した。街や人々の無事を確認すると、玄に詰め寄り、次々と質問を投げかけた。
意外にも、真っ先に詰め寄ってくると思われた一色は、ただ静かに佇んでいた。玄と目が合うと、困惑したような表情を浮かべながら慌てて視線を逸らした。その様子は、見てはいけないものを見てしまったかのようだった。
玄は次々と質問攻めに合い、少し戸惑ったが、イリスが無理やり割って入り、彼らに説明を始めた。
「シュバちゃんは、咄嗟にフィーアちゃんのヴェターシュトクを手にして、空を雷雲で覆ったの。そして、雷ですべてを焼き尽くした! さらに、雷を刀に纏わせた鋭い一閃で、デブリを撃ち落としたんだよ!」とイリスは大真面目に説明した。
玄はイリスの説明に合わせ、絶妙なタイミングでヴェターシュトクをフィーアに返した。それは、フィーアが眠っている間にこっそり拝借し、状況を整えるために壊したものだった。
「ごめんね、フィーア……大切なものを壊しちゃった」と玄は申し訳なさそうに言った。
「ううん、気にしないで。シュバちゃんの役に立ててよかった!」とフィーアは笑顔で返した。
玄は胸の奥に「ズキン」と痛みが走り、思わず手を当てた。
イリスの説明は、かなり無理のある設定だった。だが、桜の魔法によって証拠映像はすべて消され、真実は完全に闇に包まれていた。すると、意外なほどあっさりと、みんなは納得してしまった。
「シュバルツなら……たしかに、あり得るかもしれないな……」とアインスは小さく呟いて頷いた。
「えっ!? そんなことが本当にできるのか……!?」とゼクスは目を丸くして困惑した。
「さすがだぜ、シュバルツ!」アハトはすぐに受け入れた。
「お見事ですわ!」とノインも称賛した。
「その閃きに、おれ驚き! ルツシュバの勇気に、みんな感激!」エルフは得意げに韻を踏んだ。
「本当に……すごい……!」とフュンフは感心したように呟いた。
ズィーベンは目を輝かせ、拍手を送った。
「拙僧も、まだまだ修行を積まねばならぬ……」ツヴェルフは合掌しながら険しい表情を浮かべた。
「わたしも、もっと勉強しなくちゃ!」とツェーンも奮起した。
「シュバルツにも、スーパーヒーローの称号を与えてもいいかもな……」ツヴァイは鼻を指で擦りながら言った。
「そんなダサい称号、シュバちゃんに似合うわけないでしょ! やめて!」フィーアはツヴァイを鋭く睨みつけた。
「チッ……次は、おれが街を守ってみせる!」ドライは拳を握りしめ、悔しさを滲ませた声で宣言した。
ドライの言葉に全員が頷いた。
「いいえ……」
玄が静かに否定すると、全員の視線が一斉に集まった。
玄は一人ひとりと視線を交わしながら、はっきりと言った。
「わたし一人で街を守ったんじゃない。これは、みんなで守り抜いた結果よ」
その言葉に、全員が小さく微笑んだ。
今回の事件では、玄の貢献が大きいとして、『黒の断罪者伝説』に、新たな一ページが静かに刻まれた。
その後、色神学園には〈フリーデン〉の後処理専門部隊が到着し、第一グラウンドの修復作業にすぐさま取りかかった。玄たちは指揮官の計らいで、現地解散することになった。
玄はほうき型ドローンを起動し、イリスを肩に乗せてビルの端に立った。振り返って全員を見渡すと、「じゃあ、またね」とやさしく言い残し、ほうきに軽く腰を下ろした。そして、風のように空へと飛び去っていった。
家に帰り着き、玄関前に降り立つと、玄はほうきを小さく畳んだ。
イリスは玄の肩からふわりと飛んだ。
玄はドアを開けて玄関に入り、畳んだデバイスを靴箱の上にそっと置いた。靴を脱ぎ、足を一歩踏み出した瞬間、ふっと力が抜けたように前のめりに倒れかけた。
「玄ちゃん!」とイリスが叫び、支えようと手を伸ばした。
だが次の瞬間、彼女の瞳が翡翠のような緑色に変わり、動きが一変した。咄嗟にもう片方の足を踏み出し、体を支える。中身はすでに翠に入れ替わっていた。
「今日は、大変な一日だったようですね、玄さん」と翠は静かに言った。
「翠さん!」とイリスは言った。
「大方の事情は、桜さんから聞きました。イリスさんも大変な目に遭われたようですね」
「これくらい、たいしたことないよ。わたしはAIだから、中身さえ無事なら問題ないし」
「いえ……イリスさんは、その怪我が治るまでゆっくりしていてください」
「でも……!」
「心配しなくても大丈夫です。これはみんなで決めたことなので……今日からしばらく、
イリスさんに休日を与えます」
「……わかった」イリスは渋々了承した。
「では、このあと軽くご飯を食べて、お風呂に入ったらすぐに寝ますね。この体もかなり疲れていますから……イリスさんも早めに休んでくださいね」
「……はい」
翠は自分の言葉どおりに過ごし、午後十一時にはベッドに横たわった。そして、疲れた体を休めるように、すぐに深い眠りについた。
一方その頃、アインスとゼクスは、ルシファーを生み出したネイチャーラバーズの本部に足を踏み入れていた。二人は3Dホログラムのテュールとともに施設内を念入りに調べていた。しかし、三人が訪れたときには、すでにすべてのデータが削除されていた。
壊れた培養ポッドが並ぶ薄暗い部屋で、ゼクスとテュールが慎重にデータ復元を試みていた。その瞬間、ルシファーが施設内に仕掛けていた爆弾が一斉に起動。耳をつんざく轟音とともに、激しい爆発が施設全体に響き渡った。
アインスとゼクスは咄嗟に反応し、部屋から飛び出した。
黒煙と炎が瞬く間に広がり、出口までの通路を遮った。それでも二人は迷わず息を止め、全速力で通路を駆け抜けた。外に出た瞬間、施設全体が轟音とともに崩れ落ち、火の手が空高くまで立ち上った。
二人は爆発から逃れることには成功した。だが、ルシファーに繋がる重要なデータはすべて失われてしまった。炎と黒煙に包まれ、崩れ落ちていくネイチャーラバーズ本部を前に、アインス、ゼクス、そしてテュールの三人は無念の表情を浮かべていた。
時を同じくして、とある国の高級住宅街に立つ白壁の豪邸。車庫には数台の高級車が整然と並び、家の中にはブランド物のバッグや衣服が所狭しと置かれていた。さらに地下には、高級ワインがぎっしりと並ぶ専用のワインセラーが備えられている。
豪華なリビングのテーブルに置かれたスマートフォンが、通知音とともに冷たい電子音を響かせた。家主がワイングラスを片手に現れると、スマートフォンを拾い上げ、優雅な動作で近くのソファに腰を下ろした。スマートフォンの画面には、『メッセージが一件あります』と示されていた。
家主は画面をタップし、メッセージを開いた。メッセージの内容はこんなものだった。
『仕事を依頼する。報酬はすでに振り込んだ。R』
メッセージの下には、一つのURLが貼られていた。家主がURLをタップすると、500万ドルがすでに振り込まれていることを示す証明書が表示された。
家主はニヤリと笑みを浮かべ、ワインを一口含んだ。メッセージ画面に戻り、スクロールして添付されていた画像をタップした。画像は瞬時に読み込まれ、画面には鮮明な玄の姿が映し出された。
家主はしばし玄の画像を凝視していたが、次の瞬間、何かを思い出したかのようにスマホを素早くタップし、数日前に受け取ったメッセージを開いた。そのメッセージに添付されていたURLを開くと、一色こがねの姿が鮮明に映し出された。
家主は玄と一色の画像を空中に並べて投影し、しばらく無言で見つめていた。やがて、不敵な笑みを浮かべ、グラスのワインを一気に飲み干した。
読んでいただき、ありがとうございます。
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