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偽りのスノーホワイト物語

桜は一度も表情を崩さず、時折相槌を打ちながら、余計な口を挟むことなくじっとヴラドの過去話に耳を傾けていた。その姿勢には、彼女の思慮深さを感じられた。

一方、桜の隣で話を聞いていたまくろんは、床がびしょびしょになるほどの大量の涙を流していた。意外と涙もろい性格なのだ。

「余が必ず……七代天使を倒す!」

ヴラドはテーブルの上で拳を強く握りしめ、鋭い目つきで力強く宣言し、話を締めくくった。

まくろんはテーブルの上に跳び乗り、「ニャ~、まくろんも全力で力にニャるニャ~!」と感極まったように声を震わせながら叫んだ。

 その声で周りの客や店員の視線が、桜たちのテーブルに一斉に集まった。

桜は即座にまくろんに手を伸ばし、頭を押さえつけながら、「まくろん、うるさい。少し静かにして」と冷静に注意した。

心配した茉田莉モカと青山流香が様子を見に来ていたため、桜は静かに片手を上げ、指をパチンと鳴らした。その瞬間、空気が微かに震え、透明な結界が静かに広がった。

結界の中に入った瞬間、周囲の客たちは、まるで何事もなかったかのように桜たちから視線を外した。茉田莉モカと青山流香も何事もなかったかのように引き返した。

「これでよし」と桜は頷き、ヴラドに視線を向けた。「ごめんね、うるさくして……」

「問題ない。それより――」ヴラドはまくろんに視線を向けた。「早く放した方がいいのではないか? 苦しそうだぞ」

 まくろんは必死に手足をばたつかせていた。頭を押さえつけられて呼吸が乱れ、顔が徐々に赤く染まっていった。

 桜はゆっくりまくろんに視線を向け、しばしもがいている姿を眺めたあと、静かに力を抜いてそっと手を離した。

まくろんはすぐさま顔を上げ、目を見開き、肩を揺らすほどの激しい呼吸を繰り返した。

「ニャー、ニャー、死ぬかと思ったニャ……」と言いながら首をさすり、額から流れる汗を大げさに拭った。

「だ、大丈夫か……?」とヴラドが心配そうに尋ねた。

「ニャ!」まくろんは親指を立て、ドヤ顔で答えた。

 桜は静かにコーヒーを口に運び、ヴラドもレッドベリーソーダを一口含んだ。まくろんも水に手を伸ばしたが、すでに空っぽのコップを見つめ、肩を落とした。

桜は指をクイッと動かし、誰にも気づかれぬ一瞬で魔法を発動し、コップに水を注いだ。

「ありがとニャ!」まくろんはコップを両手で持ち、豪快に水を飲んだ。

「まくろんはいつもこんな感じだけど、ツェペシュってどんな性格なの?」と桜が尋ねた。

「うーん……」

ヴラドは腕を組み、少し考えてから口を開いた。

「まくろんと……意外と似た性格かもしれぬな」

「そうなんだ……」桜はまくろんに視線を向けた。「もしかして、使い魔はみんなこうなるのかな?」

「どうだろうな?」ヴラドもまくろんに目を向けた。「偶然、ツェペシュとまくろんが似ているだけかもしれぬが……」

ヴラドは遠く離れたツェペシュのことを思い出しながら呟いた。

「二人は気が合いそうだね」と桜が呟くと、「そうかもしれぬな」とヴラドも小さく微笑んだ。

一瞬の沈黙が訪れた。話の流れが軽くなったことで、重い空気はいつの間にか和らいでいた。使い魔の話をしているうちに少しずつ緊張感が和らぎ、二人の表情も自然と柔らかくなった。耳に響くBGMは心に癒しを与え、木の温もりが店内に広がっていた。

モカ、流香、チョコは忙しそうにしていたが、笑顔を絶やさず楽しそうに働いていた。

桜とヴラドはドリンクに手を伸ばし、一口含んだ。

桜は目を伏せ、一瞬考え込むようにしたあと、真剣な表情を浮かべ、ヴラドを見つめながら静かに問いかけた。

「……どうして、わたしに話してくれたの?」

ヴラドも真剣な表情で見つめ返した。

「ぬしの力を借りたいからだ!」

一度間を置き、視線を斜め下に向けて続けた。

「……悔しいが、余一人では、たとえ七代天使を見つけたとしても倒せぬ!」

ヴラドは悔しさを噛みしめるように拳を強く握りしめた。そして、桜に視線を戻した。

「だが、ぬしがいれば……!」

「わたしよりも強い人は、他にもいるよ。百鬼夜行とか、天ノ川銀河とか……。その方が七代天使を倒せる可能性が高いと思うけど……」

「そうかもしれない。だが、この前ぬしと戦ったとき、余の中で確信に近い直感が生まれた……! ぬしとなら、七代天使を必ず倒せると!」

桜は一呼吸置き、静かに尋ねた。

「……その直感って、当たるの?」

「もちろんだ! 余の直感が外れることなど、ありえぬ!」

ヴラドは胸を張り、自信満々で答えたが、少しすると、視線を下げ、小声で「……たぶん」と不安げに言い添えた。

 桜はそれを見逃さなかったが、これ以上追及しないことにした。ヴラドを困らせるだけだとわかっていたからだ。

「まあ、わたしも七代天使を倒すために、アルカナ・オースに入ってるから、もちろん協力するよ」

桜がそう返すと、ヴラドの表情がパアっと明るくなった。

桜はさらに続けた。

「それに、お願いしなくても、みんな協力してくれると思うけど……」

「それは承知している。だが、ちゃんと義理を通しておきたかったのだ」

「そっか……」桜は納得したように小さく頷いた。「でも……ヴラドって、やっぱりかっこいいね」と小さく微笑みながら言い添えた。

「なっ!?」

ヴラドは頬を赤く染め、咄嗟に目を逸らした。

「べっ、別に、そんなことはない!」と、わかりやすく動揺しながら言った。

 そのとき、光学迷彩で姿を隠しているチョコが、“シェフの気ままなスイーツ”をそっとテーブルに運んできた。

本日の“シェフの気ままなスイーツ”は、深紅のグラサージュで美しく覆われたハート型のケーキだった。純白の丸い皿の中心に輝くそのケーキは、周囲に散りばめられたベリーと小さな薔薇の花がまるで宝石のように彩りを添えていた。ケーキの上には、ホワイトチョコレート、生クリーム、そして、たくさんのベリー類が乗っている。

それを目にした瞬間、ヴラドとまくろんは目を輝かせた。

笑顔で一礼するチョコをじっと見つめながら、桜は軽く頷き返した。すると、チョコは不思議そうな表情を浮かべ、カウンターへと戻っていった。

桜がケーキに視線を戻すと、ヴラドがすでにナイフを手に取り、ハート型のケーキを慎重に半分に切っていた。

ヴラドは縦に切ったハート型ケーキの半分を慎重に取り皿に移し、「はい、どうぞ!」と桜の前に差し出した。

「え、いいの?」と桜は返した。

「もちろんだ! 余一人では、食べきれないからな」

「ありがとう。それじゃあ、遠慮なくもらうね」

 桜はケーキにフォークを突き刺そうとしたが、途中で手を止め、隣を一瞥した。まくろんが物欲しそうな表情を浮かべ、桜のケーキを見つめていた。

「まくろんもいる?」と桜は尋ねた。

「いるニャ!」とまくろんはぴょんと飛び跳ね、大きな目をキラキラと輝かせた。

桜はもらった半分のケーキをさらに半分に切り分け、取り皿に移し、それをまくろんの前に置いた。

「ありがとニャ!」とまくろんは言った。

「お礼はヴラドに言って」と桜は促した。

 まくろんはヴラドに視線を向け、頭を深々と下げ、「ありがとニャ!」と心から感謝を伝えた。

 すでにケーキに夢中になっていたヴラドは、まくろんに一瞬だけ視線を送り、「え、あ、うん、どういたしまして」とぼんやりした声で答え、すぐにまたケーキに集中した。

 ヴラドの反応を見ただけで、このケーキが絶品だとわかる。桜もフォークで一口すくい、そっと口に運んだ。口に含んだ瞬間、甘味と酸味が絶妙なバランスではじけ、優雅に広がった。まさに文句なしの逸品だった。

 三人はケーキに夢中で、会話が一切なくなった。それぞれが自分らしい食べ方でケーキを楽しんでいた。

桜はフォークで小さな一口を丁寧にすくい、目を閉じて甘さと酸味を静かに堪能した。ヴラドは一口食べるたびに顔をほころばせ、まるで子どものように感嘆の声を漏らした。まくろんは豪快にケーキを頬張りながら、しっぽをフリフリさせて幸せそうにしていた。

 食べ終わり、それぞれドリンクを飲みながら、余韻に浸っていると、ヴラドが新たな話題を切り出した。

「ところで、桜。大魔法使い“スノーホワイト”って聞いたことあるか?」

ヴラドは目を輝かせ、少し得意げな様子で問いかけた。

「聞いたことはあるけど、ヴラドが知ってる話とは少し違うかも……」と桜は答えた。

「え、そうなのか?」ヴラドは目を丸くし、首を傾げた。

「うん……わたしの知ってるスノーホワイトは、世界に混沌をもたらす悪い魔法使いの話なんだよね」

「なっ、なんだと!?」

 桜は空中に指を滑らせ、ホログラムでネット検索を始めた。目当ての情報を見つけると、スムーズな指の動きでホログラムをテーブル端にスライドさせた。そこは、三人とも情報が見やすい位置で、提示されていたのは、『スノーホワイト』というタイトルの絵本だった。

「絵本もあったのか!」とヴラドは驚いた。

「うん」

桜はホログラムを操作して自動読み上げ機能を起動すると、すぐに柔らかな女性の声が響き渡り、絵本の物語が静かに始まった。


 むかしむかし、とある片田舎に、スノーホワイトという名の魔法使いが住んでいました。

スノーホワイトは孤独な魔法使いで、その寂しさを紛らわせるように、人々に悪さをして楽しんでいました。服を燃やしたり、体を氷漬けにしたり、井戸水を毒に変えたりと、様々な悪事を働いて人々を困らせていました。

ある日、スノーホワイトは荒れ果てた荒野で、同じく破壊と混乱を楽しむ悪魔サタンと出会いました。二人はすぐに仲良くなり、一緒にもっと楽しいことをしようと約束しました。そして二人は次々に破壊と混乱を巻き起こし、多くの人々を苦しめました。

スノーホワイトは強力な魔法で嵐を巻き起こし、火山を噴火させ、大地を洪水で覆いました。

一方、サタンは闇の力を使い、人々に呪いをかけたり、疫病を広めたり、大地の作物を枯らしたりしました。

二人はまるで本物の悪魔のように人々を苦しめ、それを楽しんでいました。空は厚く黒い雲に覆われ、陽の光は地上から完全に遮られました。

ある日、世界中の人々は、暗雲に覆われた空を仰ぎ見ながら、必死に神に祈りを捧げました。「どうか悪い魔法使い“スノーホワイト”と悪魔“サタン”をこの世から消してください」と。

その瞬間、空を覆っていた重い雲が大きな音を立てて割れ、その隙間から明るい光が降り注ぎました。天の裂け目から七人の天使がまばゆい光の中に現れ、翼を広げて優雅に舞い降りました。その姿は神々しく、眩いオーラに包まれていました。なんと、七人の天使が人々の祈りを聞き、助けに来たのです。そして、七人の天使は、世界を混沌に陥れる二人に戦いを挑みました。

壮絶な戦いが繰り広げられました。スノーホワイトは嵐を巻き起こし、サタンは闇の力を解き放ちました。しかし、七人の天使はお互いに力を合わせ、苦しみながらも一歩も引きませんでした。天使たちは激しい戦いの中で次々と傷を負い、何度も膝をつきそうになりながらも、互いに励まし合い、決して諦めることはありませんでした。最後の瞬間、七人の天使は力を一つに合わせ、神聖な光でスノーホワイトとサタンを包み込みました。光が二人を貫き、やがてその姿は消え去っていきました。

人々が天使に感謝すると、七人の天使は笑顔で天に昇り、帰って行きました。

空を覆っていた暗い雲は跡形もなく消え去り、清々しい太陽の光が大地に降り注ぎました。荒れ果てた大地には緑が蘇り、澄んだ水が川を満たし、人々の顔には心からの笑顔が広がりました。

世界は再び平和を取り戻し、人々は永遠に天使たちに感謝し続けました。


これが、世界中の人々に語り継がれている『スノーホワイト』の物語だった。

自動読み上げが終わると、ヴラドは目を大きく見開き、驚きと困惑が入り混じったまま、動きを止めた。

「これがわたしの知ってる『スノーホワイト』だよ。どうだった?」と桜は尋ねた。

「な、なんなのだ! これは!?」とヴラドは驚きの声を上げた。

 ヴラドの声で周りの視線が桜たちに集まった。

桜は軽く指を鳴らし、さりげなく魔法を使って周囲の視線を逸らした。

「ヴラド、もう少し静かにして」と桜は冷静に諭すように言った。

ヴラドは咄嗟に手で口を覆った。

「す、すまない……あまりにも信じがたくて……まさか、こんな話が広まっているとは……知らなかった!」

ヴラドはレッドベリーソーダに手を伸ばし、一気に飲み干すと、ゆっくりと息をついて落ち着きを取り戻した。グラスをそっと置くと、中の氷が微かに音を立てた。

ヴラドはホログラム絵本に視線を向け、静かに口を開いた。

「これが、ぬしの知っている『スノーホワイト』だと言うのか?」

「うん」桜は頷いた。

「こんなの、すべてでたらめではないか!」

「……でも、歴史って、結局は勝者が作るものだから。こういうふうに歪められるのも、仕方ないのかもね……」

「ぬしは悔しくないのか!? 大切な仲間が、こんな悪者にされてしまって!」

「……ヴラドはやさしいね。そこまで仲間のことを考えられるんだから」

「な、なんだ、急に!」ヴラドは頬を赤らめた。

 一瞬の静寂の後、空間が強烈な圧力で歪み、背筋に冷たい戦慄が走った。

「この気配……間違いない、天使だな……」とヴラドは鋭く呟いた。

「かなりの数がいるね。早く片付けないと厄介なことになりそうだ」と桜は冷静に分析した。

「ここは、まくろんの出番ニャ!」まくろんは勢いよく立ち上がり、拳を高く突き上げた。

 三人は急いで店を飛び出した。遠くの空を見つめ、阿修羅や神楽たちの気配を感じ取った。彼らもまた、天使の存在にいち早く気づき、迅速に動き始めたようだった。

「わたしとまくろんは、あっちを担当するね」桜は天使の気配を感じる方向を指差した。

「心得た。では、こっちは余に任せろ!」ヴラドは桜たちと反対方向を向いた。

「無理はしないでね、ヴラド」

「ぬしもな」

 まくろんは軽やかに桜の肩へ跳び乗った。

桜とヴラドは、地面を力強く蹴り上げ、風を切るように空高く舞い上がった。それぞれの目は鋭く、天使の気配をたどりながら、目的地へと一直線に向かった。

 

数分後、桜は色神動物園の上空に到達した。

澄み渡る空を背景に、園内全体を鋭い視線で見渡す。目を凝らしていると、和装姿の兎天使が、次々と一般人に声をかけている姿が視界に入った。

声をかけられた人々は、驚愕と恐怖で足がすくみ、尻もちをついていた。彼らは必死に逃げようとしていたが、恐怖のあまり体が硬直していた。

桜は素早く全体を見渡し、他に五体の兎天使が同じことをしている姿を見つけた。

近くにいたライオン、ホワイトタイガー、ゾウ、キリン、カバたちは、本能的に危険を察知し、毛を逆立てて低く唸りながら兎天使を威嚇していた。

 桜は六人の兎天使の位置を正確に把握すると、すぐに魔法の杖を手に取った。静かに息を整え、「ゲニウス」と小声で呟き、杖を振り下ろした。

先端の桜色の宝石が輝き、力強い魔力を解放した。次の瞬間、兎天使に詰め寄られていた人々を一斉に白くて丸い結界で包み込んだ。

結界に包まれた人々は、静かに眠りについた。

 兎天使は困惑した表情を浮かべ、周囲を見渡し始めた。魔法を発動した桜を探しているようだった。

 桜はすでに次の魔法の準備をしていた。杖を空に掲げ、魔力を練ると、上空に六つの魔法陣が現れた。

兎天使はその気配を察知し、空を見上げた。目を見開き、驚愕の表情を浮かべ、上空の魔法陣に気づいた。

そこへ一切の容赦なく、桜は魔法を放った。

「トール」

桜が静かに呟くと、上空に浮かぶ六つの魔法陣が一斉に光を放った。眩い光の柱が一瞬の間に兎天使を正確に貫き、激しい閃光とともに彼らを消し去った。

六人の兎天使は消し炭となり、跡形もなくその場から消滅した。

桜の『トール』は強大な威力を持ちながらも、熟練した魔力制御によって完全にコントロールされていた。

動物たちは突然の閃光に驚き、一瞬身をすくめたが、被害はまったく受けていなかった。兎天使が消えたことに気づくと、喜びの雄叫びを上げ始めた。

桜はかつて、自分の未熟な魔法が原因で周囲に迷惑をかけたことを少し後悔していた。だがその経験を糧に、彼女は厳しい修行を重ね、魔力の緻密な制御を習得した。今やその力は、他人を守りながらも的確に敵を打ち倒すために使われている。

色神動物園にいた兎天使をすべて倒した桜は、次の場所に向かおうと思い、遠くに目を向けた。目を閉じ、気配を探ると、すでにヴラドたちが残りの兎天使を倒していたことがわかった。そしてなぜか、全員が桜のいる色神動物園に向かって来ていた。

桜はそっと目を開け、静かに地上へと降り立った。

魔法で姿を隠しているため、一般人は桜を視認できないが、空に浮いていると、どこか視線を感じて落ち着かない。

桜が地上に舞い降りた瞬間、阿修羅が動物園上空に現れた。

焦った様子で辺りを見回した阿修羅は、地上の桜を見つけるなり、「桜、無事か!?」と叫んで真っ直ぐに降りてきた。

「無事だよ」と桜は冷静に返した。

阿修羅はそばに降り立つと、「そ、そうか……よかった」と緊張の糸が切れたかのように息をついた。

「どうしたの? そんなに慌てて……」

「桜のことが……心配で……急いで来たんだ!」

「心配……? どうして?」

阿修羅はゆっくりと息を整えてから真剣な表情を浮かべ、口を開いた。

「桜……さっきの……」

そう言いかけた瞬間、空に魔力の波が広がり、アリスが動物園の上空に現れた。周囲を見回す彼女の表情には、明らかな焦りが滲んでいた。

アリスは、阿修羅と同じように上空を見渡し、下にいる桜と阿修羅に気づいた。

「あ、いた!」と声を上げ、二人のもとへ急いで駆け寄った。

「桜、大丈夫デスか!? 怪我してないデスか!?」

アリスは桜の肩を掴んで激しく揺らした。必死さがその動きから伝わってくる。

「大丈夫だよ、アリス」と桜は冷静に答えた。

「そっか、よかった……」

アリスは掴んでいた手をそっと離し、ホッと胸を撫でおろした。

 その後、神楽、風魔、ヴラド、そして、その他の先輩や仲間たちが次々と現れた。皆一様に桜の無事を確認し、同じようなやり取りが繰り返された。

 全員が集まると、阿修羅が説明し始めた。

「さっきの兎天使だが……全員、同じ姿をしていた。おそらく量産型だ。力そのものはたいしたことないが、問題はその数……。数で押し切られていれば、大規模な被害を避けられなかっただろう。だが、みんなのおかげで迅速に対処できた。本当に感謝する」

阿修羅は全員に視線を送りながら頭を下げた。

 桜、神楽、風魔は表情を一切変えず、アリス、ヴラド、まくろんの三人は感謝されて嬉しそうな表情を浮かべていた。特に、何もしていないまくろんが、なぜか鼻高々だった。

 阿修羅は顔を上げ、さらに続けた。

「――だが、一つだけ気になることがある」

 その一言で、場の空気が一変した。全員が息をのみ、鋭い視線を阿修羅に向けた。

阿修羅は続けた。

「――まず、この類の天使は、量産型とは別に、リーダーがいるはずだが、今回はそれがいなかった。今までとは明らかに何かが違う!」

阿修羅の発言で、周囲は緊張が走り、何人かは唾を飲んだ。

「そして、一番の問題は……」

阿修羅の声が低くなると同時に、場の空気が凍りつく。鋭い視線が桜に向けられた。

「――天使たちは、“桜”を探していたんだ!」

阿修羅が桜を指差した瞬間、全員の視線が一斉に彼女へと向かい、静まり返った空間に緊張が張り詰める。

アリスとヴラドは心配そうに、他は無言のまま冷静に桜を見つめた。

「ニャ、ニャんだってー!?」まくろんが耳を跳ね上げ、目を丸くした。

「え……? わたしを?」桜は目を瞬かせて自分を指差し、「……どうして?」と静かに尋ねた。

誰もが口を開けず、張り詰めた沈黙が流れる。その中で、阿修羅が目を伏せながら「……わからない」と苦々しげに呟いた。

「桜、何か心当たりは?」神楽が淡々とした口調で尋ねる。

「うーん……」桜は腕を組み、少し間を置いて答えた。「特にこれといってないかな……」

「あいつらに見覚えはないのか?」阿修羅が続けて問い詰めた。

「あんな天使、初めて見たけど……」

「そうか……」

「まくろんは、何か知らないのか?」

ヴラドが静かに問いかけると、全員の視線が自然とまくろんに集中した。

まくろんは耳をぴくりと動かし、一瞬だけ険しい顔をしたあと、少し間延びした声で答えた。

「うーん……まくろんも、わからニャいニャ」

「どうして桜が狙われてる……? 一体、奴らの目的は何だ……?」阿修羅は眉間にシワを寄せて腕を組み、独り言のように呟いた。その声には鋭い警戒心が滲んでいた。

「桜は強いから、仲間にしようとしているのかも!」アリスが真剣な様子で言った。

「それは……あり得る」ヴラドも顎に手を当て頷いた。

「いや、あり得ないから!」神楽が眉をひそめて即座に否定した。

 一瞬の沈黙のあと、桜は視線を巡らせながら冷静に問いかけた。

「誰か、兎天使を捕らえた人はいないの?」

 全員が気まずそうに視線を逸らし、誰もがなぜか遠くの空ばかり見ていた。

その光景を見た瞬間、桜は(あ、みんな倒しちゃったんだ)と心の中で呟いた。

「まあ、わたしもすぐに倒しちゃったし……みんなも同じなら、仕方ないか」

桜は柔らかく微笑み、全員をフォローするように言った。

その言葉に、張り詰めた表情の仲間たちも安心したように息をついた。

「――じゃあ、ここまでにして、帰ろうか」と桜は穏やかに締めくくった。

「え、ま、待て!」と阿修羅が思わず声を上げた。

「なに?」

「このままだと危険だ。何か対策を考えた方が……」

「対策って?」

阿修羅は少し考え込み、慎重に提案した。

「……おれたちが、常に桜と行動をともにする……っていうのはどうだ?」

「それはちょっと……プライベートは大事にしたいな……」と桜は苦笑しながら答えた。

「そ、そうだよな。すまん……」

阿修羅は肩を落とすが、すぐに顔を上げて言った。

「じゃあ、アルカナ・オースの日本支部に匿ってもらうのはどうだ?」

「うーん、それも……ちょっと遠慮したいかな」

「……そっか」

阿修羅は目を伏せ、必死に次の案を模索した。

 風魔も腕を組み、難しい表情で真剣に考えている様子だった。

「そんなに心配しなくても、わたしは大丈夫だよ」と桜は冷静に言った。

「でも……!」阿修羅は悔しげに言葉を詰まらせた。

「ありがとう、みんな。心配してくれて……もし何かあれば、ちゃんと知らせるから、あまり気を張らないで」

桜の言葉は穏やかで、自然と全員の緊張を和らげた。阿修羅をはじめ、仲間たちはそれぞれ小さく頷き、静かに息をついた。

 神楽は勢いよく両手を叩き、場を切り替えた。

「はいはい、じゃあ、これでおしまいね。話はまとまったから、解散」と軽やかな声で場を仕切った。

 神楽の声かけで、桜はまくろんを連れ、真っ先に帰り始めた。

その後、アリス、ヴラド、風魔、その他の仲間たちもそれぞれの帰路に就いた。

 最後に残ったのは、阿修羅と神楽だった。

阿修羅は、桜の背中が遠ざかっていくのをじっと見つめていた。やがてその姿が完全に視界から消えると、隣の神楽に低く声をかける。

「神楽……」

神楽は目を伏せ、一呼吸置いてから顔を上げた。その瞳には鋭い光が宿っていた。

「わかってる」と神楽は短く答え、静かにだが力強く言い放った。「桜は絶対に、傷つけさせない!」

「ああ……」

阿修羅も力強く頷き、拳を固く握りしめた。その眼差しには、迷いなき決意が宿っていた。

 二人の決意などつゆ知らず、桜は落ち着いた様子で帰っていた。

桜には、天使に見つかる心配はないという確信があった。なぜなら、桜以外の者が表に出ているときは、魔力が一切なくなるからだ。それは、魔力を極限まで抑え込んだ状態とは違い、微かな魔力も漏れることがない。実際、これまでの仲間たちでさえ桜の正体に気づけなかったのが、その証拠だ。如何に天使とはいえ、桜や玄たちを同一人物だと判断することはできない。その事実が、桜に揺るぎない自信を与えていた。

 ただ、桜は決して警戒を怠らない。天使が何の目的で自分を狙っているのか、誰の命令で動いているのか、それらを調べる必要がある、と考えていた。

 

一方その頃、誰にも気づかれることなく、天使とは異なる新たな勢力が動き出していた。ネイチャーラバーズで企てられたその計画は静かに、だが確実に白雪たちの周囲へと忍び寄り、影を落とし始めていた。



読んでいいただきありがとうございます。

次回もお楽しみに。

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