柴乃の変わらない日常②
コンピューターウイルス“ジャシンパ”は、『龍球オメガ』のゲームシステム内に侵入すると、すぐにAIウイルスハンターに検知され、取り囲まれた。AIウイルスハンターに銃口を向けられたが、ジャシンパはまったく動じる気配を見せず、逆にヘラヘラと薄ら笑いを浮かべていた。その瞳には、人間の恐怖や絶望を弄ぶような冷酷さが宿っていた。
リーダーの鋭い合図が飛ぶと同時に、AIウイルスハンターたちは一斉に銃撃を開始した。
「ズドドドドド!」
激しい銃声が炸裂し、空間を引き裂くような轟音が響いた。中には、ロケットランチャーを肩に担ぎ、確実な一撃を狙う者の姿もあった。
ロケット弾が命中した瞬間、轟音とともに空気が震え、爆煙がジャシンパを包み込んだ。銃撃が続けられ、リーダーの「止め」の合図で一斉に射撃が止んだ。
煙でジャシンパの姿が見えないが、徹底的にやったため、完全消去できたとAIウイルスハンターたちは思い込んでいた。
やがて、煙がゆっくりと晴れると、ジャシンパはその場に悠然と立っていた。全身には傷一つなく、まるで銃撃の嵐が初めから存在しなかったかのような無垢な姿だった。ジャシンパの周りには、いつの間にかAIウイルスハンターたちが壁のように立っていた。つまり、AIウイルスハンターの銃撃は、すべて味方を撃ち抜き、ジャシンパには一発も当たっていなかったのだ。
ジャシンパの周囲に立つAIウイルスハンターたちは、操り人形のように硬直し、意志を失っていた。その瞳には生命の輝きが失われ、無力に地面へ崩れ落ちた。身体も徐々に崩れ、砂のように塵と化して風に散っていった。
その状況を目の当たりにした残りのAIウイルスハンターたちは、すぐに状況が呑み込めず、戸惑い始めた。
ジャシンパはその隙を逃さず、口から強力なエネルギー波を放ち、周囲のAIウイルスハンターたちを瞬く間に一掃した。塵となった彼らのデータをすべて吸収すると、ジャシンパの身体はますます巨大化し、満足そうにヘラヘラと笑い続けた。
龍球オメガの中枢システムを動かしている超AI『シェン』は、ジャシンパの討伐に向かったAIウイルスハンターたちが、すべて消えたことにいち早く気づいた。その瞬間、現在開催中の『世界一武術大会』本戦が行われている会場の周囲に、強力な結界を展開した。緊急事態だが、中止にしたくなかったのだ。
シェンの迅速な対応により、『世界一武術大会』への侵入は一時的に防がれた。だが、その対応によって、ジャシンパはシェンの存在に気づいてしまった。すぐにシェンがいる神殿へと向かい、シェンの力を封じるための結界を張り、その場に閉じ込めた。さらに、神殿の屋根の上に陣取ると、無邪気に遊ぶ子どものような調子で、ヘラヘラと笑い声を上げた。
シェンが結界に閉じ込められた直後、ゲーム世界の各地で作品に登場する悪役たちが暴走を始めた。街を荒らし回り、無防備なプレイヤーやNPCを次々と襲い始めた。
火山が噴火し、地面は激しく揺れ、竜巻が大地を切り裂くように暴れ回る。あらゆる場所で天変地異が同時に発生し、世界全体が崩壊の淵に立たされているかのようだった。耳をつんざく爆音と人々の悲鳴が混ざり合い、混沌が支配していた。
氷雪地帯では、長らく氷に封じられていた恐竜たちが、氷の解けた隙に目を覚ました。だが、彼らの行動は意外なものだった。重たい身体を巧みに操り、巨大な岩で玉乗りを始め、まるで長年練習していたかのように器用に遊び回っていた。
これらすべての混乱は、ジャシンパによるシェンの封印に端を発していた。被害は刻々と拡大していくばかりだった。
世界一武術大会、本戦第一試合。
柴乃とアップルの拳が激しく衝突し、武舞台の中心からまるで爆発が起きたかのように衝撃波が四方八方へと広がり、観客席を震わせた。次の瞬間、二人は姿を消し、目にも留まらぬスピードで高速移動しながら拳を交わし合った。広い武舞台のあちこちで、拳の衝突する重い打撃音が響き渡る。パワー、スピードともに拮抗していた。
拳の衝突をしばらく続けたのち、先に仕掛けたのはアップルだった。
アップルは空中で華麗に身を翻し、柴乃のパンチを紙一重でかわすと同時に、しなやかな尻尾を彼女の右腕に絡め取った。そして、まるで竜巻のような力で柴乃を武舞台へと叩きつけた。
柴乃は背中から叩きつけられる寸前、拳を握り、ふわりと宙に浮かび上がった。すぐに視線を上げると、アップルが放ったエネルギー弾が目の前まで迫っていた。柴乃は瞬時に高速移動で上空へと回避した。しかし、避けた場所にアップルが腕を突き出して構えていた。アップルの手から眩いオレンジ色のエネルギーが渦を巻くように放たれ、柴乃を中心にその光が一瞬で広がった。エネルギーはまるで檻のように柴乃の動きを完全に封じた。柴乃は抜け出そうとするも、指一本すら動かせなかった。
動きを封じられた柴乃は、そのまま場外へと吹き飛ばされ、芝生に激突。爆発とともに黒煙が舞い上がった。
アップルは爆発した箇所を見てニヤリと笑みを浮かべた。観客は誰もが息をのみ、爆発の中心を凝視していた。その場の熱気が一瞬凍りついたかのような静寂が支配していた。
やがて爆煙が晴れると、黒く焦げた芝生の中央に大きな穴が開いていた。しかし、柴乃の姿はどこにも見当たらなかった。
「ホッホッホ、落ちる寸前であれから脱出するとは……なかなかやりますね」
アップルはゆっくりと振り返り、視線を少し上げた。
そこに柴乃の姿があった。着ぐるみの肩が少し焼き焦げて裂けていた。
「あんたもな」と柴乃は微かに口角を上げて言い返した。
観客席から「ウオォォォォー!」という歓声が沸き起こり、場内は再び熱狂の渦に包まれた。
二人は空中で向かい合い、同時に腕を突き出すと、手のひらからエネルギー弾を放った。エネルギー弾が衝突し、大爆発を巻き起こした。
爆煙の中から、二つのエネルギー弾が柴乃に向かって真っすぐ迫ってきた。
柴乃は高速移動でそれを躱し、アップルの背後に一瞬で回り込むと、エネルギー弾を放った。
アップルも高速移動で回避し、柴乃の頭上に瞬時に移動すると、エネルギー弾を繰り出した。
二人は息をつく間もなくエネルギー弾を放ち合い、武舞台の空間が次々と閃光と衝撃で引き裂かれていった。それぞれの弾道が交差し、空中には無数の爆発が咲き乱れた。
エネルギー弾を躱しながら相手の動きを予想し、エネルギー弾を放ち続けた。シビアな動きの読み合いが続く中、今度は先に柴乃が仕掛けた。
柴乃は突然エネルギー弾を避けるのを止め、アップルに向かって突っ込んだ。当然、アップルは柴乃に狙いを定めてエネルギー弾を放った。
柴乃は突撃の勢いを乗せて腕を薙ぎ、アップルのエネルギー弾を弾き飛ばした。
エネルギー弾を弾き飛ばすのは、タイミングや力加減が難しい。相手のエネルギー量によって自身の気の消費量も違い、狙っても簡単にできないほどの高等技術だった。失敗すればダメージを負い、隙も生まれる。
柴乃はあえてそれに賭け、そして成功した。
「なっ!?」
アップルは思わず驚きの声を漏らし、一瞬だけ身を引いた。
柴乃はその一瞬の隙を見逃さなかった。アップルに猛然と詰め寄ると、拳と蹴りで激しく攻め立てた。攻撃の手を一切緩めることなく、一方的に叩き込む。堪らずアップルが反撃のパンチを繰り出したその瞬間、柴乃は素早くジャンプして躱し、組んだ手を彼の頭に繰り出して武舞台へと叩き落とした。
アップルは凄まじい勢いで武舞台に叩きつけられ、衝撃が大地を揺るがすと、舞台中央に巨大なクレーターが生まれた。クレーターからひび割れが蜘蛛の巣のように全体に広がり、その場の空気が一瞬静まり返った。
柴乃は音もなく武舞台に着地した。その鋭い眼差しは、目の前の大きな穴を射抜くように注がれていた。彼女の全身には戦闘態勢がまだ解かれておらず、一瞬たりとも気を緩める気配はなかった。
しばらくして、アップルが勢いよく穴から飛び出し、軽やかに武舞台に着地した。肩で荒い息をつきながらも、その目はなお柴乃を捉え、諦めを知らない強い意志を宿していた。だが、その体は限界を迎え、片膝をつくと、ついに力尽きたようにゆっくりと前へ倒れ込んだ。
一瞬の静寂のあと、AI審判のアナウンスが流れた。
「アップル選手、ダウン! 本戦第一試合、勝者――グレープ選手です!」
会場が「ワァァァァァー!」と歓声を上げた。
柴乃はゆっくりと片手を高く掲げた。その凛とした姿に観客たちの歓声がさらに大きくなった。柴乃の目には試合の余韻と、次への意気込みが宿っていた。
柴乃は静かに歩を進め、倒れたアップルに手を差し出した。
アップルは柴乃の差し出した手をしっかりと掴み、立ち上がると、悔しそうに笑った。
「今回は、完敗です。でも、こんなに楽しい試合ができたのは久しぶりでした。本当にありがとうございました」
柴乃は微笑みを返しながら、力強く言った。
「こちらこそ、いい試合だった!」
お互いを称え合う二人を見た観客たちは、称賛の声を浴びせた。
「ホッホッホ、次は絶対に負けませんよ」とアップルは上品に笑った。
「次も我が勝つ!」と柴乃も嬉しそうに返した。
二人は武舞台から下りて控室へと向かった。
柴乃が控室のドアを開けた瞬間、明るい声が響いた。
「グレープちゃん! 一回戦突破おめでとー!」
マスカットは弾丸のように駆け寄り、歓喜に満ちた瞳を輝かせていた。
柴乃は後ろに倒れないように足に力を込め、踏ん張りながらマスカットを受け止めた。「マスカット!」
「すごく見応えのある試合だったよ! さすがグレープちゃん!」
「そ、そうか……ありがとう」
柴乃は微かに顔を赤く染め、視線を逸らした。これ以上褒められるのが少し恥ずかしいので、慌てて話題を変えた。
「次はマスカットの番だな。応援してるぞ!」
「うん、ありがと! 頑張るね!」
二人は拳を突き合わせた。
第二試合はマスカット対メロン。緑色同士の対決となった。
試合前のマスカットには、緊張の影すら見えなかった。彼女はリングの上でもいつもと変わらぬ笑顔を浮かべ、余裕すら感じさせた。
一方、対戦相手のメロンは、顔色こそ穏やかな緑だが、その表情は鋭く引き締まり、目の奥には闘志の炎が揺れていた。
リング上の空気が徐々に張り詰めていく中、二人の対照的な雰囲気が観客を引き込んだ。
マスカット対メロンの試合もまた、息をのむ激戦となった。互いの攻撃がぶつかり合い、観客席からは絶え間なく歓声が飛び交った。
マスカットはメロンの一瞬の隙を見逃さなかった。その瞬間、彼女の動きは一気に加速し、鮮やかな連撃がメロンをリングに沈めた。
会場はマスカットの勝利を称える大歓声に包まれた。
トッププレイヤー同士の戦いは、実力が拮抗していても一瞬の隙で勝敗が決まる。それほどにシビアだ。
柴乃は控室でマスカットを出迎えると、手を取り合って喜びを表現した。
続く第三試合では、フルツが持ち前の圧倒的な技術を見せつけ、快勝を収めた。
第四試合では、今大会のダークホース、ゴールデンキウイが予想外の猛攻を繰り広げ、勝利を掴み取った。
ベスト4が出揃うと、観客たちは、このハイレベルな頂上決戦に向けて期待を高めていった。
準決勝第一試合はグレープ対マスカット。第二試合はフルツ対ゴールデンキウイ。
準決勝を控えたその前に、五位決定戦が行われた。
アップルはその試合で見事な復活劇を見せ、鮮やかな勝利を収めた。敗北の悔しさを力に変えたアップルの闘志に、観客たちからは惜しみない拍手が送られた。
そしてついに、『世界一武術大会』準決勝の幕が上がった。
観客席の熱気は最高潮に達し、選手たちの一挙手一投足が注目される。ここから先は、ただの勝負ではない――それぞれの誇りと夢が交錯する、真の決戦が始まろうとしていた。
柴乃とマスカットは肩を並べて武舞台に上がった。観客席から注がれる熱い視線を浴びながら、二人は自然と笑みを交わした。中央に到達すると、互いに向かい合い、一瞬だけ静寂が訪れた。
「グレープちゃん、今日こそ決着をつけるからね!」とマスカットは言った。その瞳には闘志が宿っていた。
「我もそのつもりだ!」と柴乃も微笑みながら返す。その声には、自信と友情が入り混じっていた。
試合開始のゴングが鳴ると同時に、二人は閃光のような速さで動き出した。拳と拳が火花を散らすかのように衝突する。柴乃が鋭いパンチを繰り出すと、マスカットは僅かな体重移動でそれを躱し、すかさず反撃の拳を振るう。その一撃を柴乃が紙一重で躱すと、間髪入れずにカウンターパンチを放つ――だがそれもまた、マスカットが瞬時に見切り、背後へ滑り込む。彼女の動きはまるで疾風のようだった。二人の速くて重い拳が空気を裂き、周囲に衝撃波が広がった。
そこに蹴りとエネルギー弾も加わり、二人の戦いはさらに激しさを増した。拳や蹴りの鈍い衝突音、エネルギー弾の爆発音、そして空気を裂くような高速移動音が舞台を包み、衝撃波によって武舞台にはひびが走った。
しばらく二人の拮抗した激しい戦いが続き、会場は最高潮に盛り上がっていた。
しかしそのとき――。
激しい拳の撃ち合いの最中、突如として武舞台上空から「パリンッ!」という鋭い音が響き渡った。それは、空気が裂けるような不気味な音だった。
二人が瞬時に視線を上げると、目に飛び込んできたのは、眩い黄色の楕円形の球体――それは、まるで天から舞い降りる隕石のごときスピードで迫ってきた。
観客席から悲鳴が上がる中、二人は反射的に後方へ跳び退いた。次の瞬間、轟音とともに会場全体が大きく揺れた。
黄色の球体が武舞台の中央に衝突した瞬間、粉塵が激しく舞い上がり、視界が完全に奪われた。やがて塵が晴れると、舞台の中央には直径数メートルにも及ぶ大きな穴が口を開けていた。縁は焼け焦げたように黒く変色し、周囲には崩れた破片が無数に散っていた。
舞台の異様な光景に、観客席からざわめきが漏れた。
「なに!?」とマスカットは思わず驚きの声を上げた。
「審判、これは一体何だ!?」と柴乃が声を張り上げて問い詰めた。
百戦錬磨の二人もさすがに異常事態だとすぐに察し、試合を止めた。
「えー、少々お待ちください。ただいま原因を調べています」
AI審判は少し戸惑いながらもすぐに調べ始めた。その反応を見る限り、運営側にとっても予想外のことが起きているようだった。
イリスは異常事態を察知し、静かに武舞台に駆け上がった。慎重に黄色の球体へと歩み寄り、触れるか触れないかの距離で手をかざした。イリスの瞳が青白く光を放ち始めた――調査を開始したのだ。イリスの集中した表情が異常な緊迫感を漂わせ、場内には不安げなざわめきが広がっていた。
AI審判も原因を調べていたそのとき、突然スーツを身にまとった男の運営AIアバターが試合会場に転移してきた。
「試合中に申し訳ない。現在、ゲームの中枢システムに異常が発生し、非常に困難な状況に陥っています」とスーツの男は冷静ながらも深刻な口調で状況を説明した。
「異常……?」柴乃は首を傾げた。
「そこで頼みがあるんだが、この状況をいち早く解決するため、キミたちに協力してもらいたい」
「は? なんで我らが……」と柴乃は眉をひそめたが、その横でマスカットが「うん、いいよ!」と即答した。
「なっ!?」
柴乃は驚いてマスカットを見つめた。
「待て、マスカット! 試合はどうなるんだ!」
「大丈夫だよ! 問題を解決してから、また試合をすればいいじゃん!」とマスカットは明るく返した。
「……ッ!」柴乃は言葉を詰まらせ、不満げな表情でスーツの男に目を向けた。
「キミも協力してくれれば、問題も早く解決できて、試合もすぐに再開できる」とスーツの男は淡々と言った。
柴乃は一瞬彼を睨みつけ、イリスに目を向けた。
イリスは静かに頷いた。
柴乃は目を伏せ、考え込んだ。やがて、「くっ、しょうがない……」と小さく呟き、マスカットに目を向けた。
「マスカット! 早く片つけて試合に戻るぞ!」
「うん!」マスカットは笑顔で頷いた。
「我の肩を掴め、早く!」
マスカットは柴乃の肩に手をそっと置いた。
柴乃は神殿の方へ向き直った。人差し指と中指をピンと立て、静かに集中力を高め、気を探った。中枢システムに異常が発生したと聞いた瞬間、柴乃はすでに神殿が怪しいと踏んでいた。その推測は当たっていた。
……嫌な気配だ。一体何が起きている……?
柴乃の眉が僅かに動き、鋭い視線を神殿に向けた。その場から感じ取れる異質な気配は、背筋を冷たく這わせるようだった。
――まあいいか。行けばわかる!
柴乃は瞬間移動でマスカットとともに姿を消した。
イリスは柴乃たちを信じて見送ると、キリっとした目つきに変わり、自分にできる範囲で行動を開始した。
二人が消えたあと、観客たちはしばらく何が起きたのか把握できず、ぽかんとした表情を浮かべていた。だが、次第にざわめきが広がり、怒りや不安の声が飛び交い始めた。
「どういうことだ!?」
「試合は中止か?」
そんな中、スーツの男が冷静に場を制し、マイクを通じて状況を説明し始めた。
「皆さま、ただいま深刻な異常が発生しており、原因究明と修復のために協力をお願いしております。試合は一時中断となりますが、安全が確保され次第、速やかに再開いたします」
その冷静な対応により、観客たちは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
スーツの男は、残りの選手たちと他のプレイヤーたちにも協力を要請した。
「しかし、この異常が解決しなければ、大会どころか、このゲームそのものが危機に陥る可能性があります。どうか、皆様の力をお貸しください」と丁寧に頭を下げた。
男の真剣な訴えに、プレイヤーたちは顔を見合わせ、やがて静かに頷いた。
「仕方ないな」
「やるしかないか」
全員が協力を快諾した。
彼らは指示を受けると、それぞれ問題の発生している世界各地へと向かっていった。
神殿は地上から遥か彼方、雲を突き抜けた青空の中に静かに浮かんでいた。透き通るような空気の中、半円球の下部はまるで神秘的な光を放つかのように輝いている。その周囲には、武舞台に落ちてきたものと同じ楕円形の球体が浮遊しており、赤、青、黄、緑、紫といった鮮やかな色が映え、幻想的な光景を作り出していた。空は夕焼けを思わせる薄いオレンジ色に染まっていた。
柴乃とマスカットは、瞬間移動で神殿の下部近くに漂う球体の上に現れた。二人は周りを見渡したあと、結界の張られた神殿を見上げた。
「これが神殿か……思ってたよりも大きいな」と柴乃は目を細めながら呟いた。
「わたしも初めて見た。なんか、想像してたのと違うね」とマスカットが頷いた。
「意外と……カラフルだな。もっと威厳のある感じかと思ったんだが……」
「そうだね。でも、きれい……」
二人が神殿を見つめていると、突然、空間全体が低い振動音に包まれた。そして、神殿の奥から力強くて威厳のある低い声が響き渡った。
「グレープとマスカットだな! お前たちが来てくれて助かった。早くここから出してくれ!」
「ん……? 誰だ?」
柴乃は周囲を見渡したが誰の姿も見えず、首を傾げた。
「わたしは『シェン』。この世界の“神”だ」とシェンは答えた。
「シェン……? 神……?」
「このゲームの全システムを司る超AIだよ」とマスカットが説明した。
「なんだ、超AIか……ということは、こいつが封印されたせいで問題が起こっているのか?」と柴乃は冷静に分析した。
「そうだ」シェンは堂々とした声で答えた。
「そうか、それなら……マスカット、結界を破壊するぞ!」
柴乃が声をかけると、「うん!」とマスカットも頷いた。
二人は球体を蹴るようにして一気に飛び上がり、結界に向かってエネルギー弾を一斉に放った。炸裂音とともに光の奔流が結界を包み込んだが、直後、音も光も吸い込まれるように消え去った。結界の表面には微塵の傷も残っていなかった。
「……エネルギーが吸収された?」マスカットは目を見開いた。
柴乃は少し悔しそうな表情を浮かべ、再び手にエネルギーを溜めた。
「くっ、もう一回だ!」
そのとき、シェンが声を張り上げた。
「すべての原因は屋根の上だ。そいつをブッ飛ばしてくれ!」
柴乃はすぐに視線を上げ、「屋根の上のやつ……?」と呟いた。マスカットも後に続いた。
二人は神殿の屋上まで一気に飛んだ。そこには、丸くてぽっちゃりとした体型の巨大なキャラクターが堂々と座り込んでいた。
その姿を目にした瞬間、二人は思わず声を上げた。
「うわぁぁぁ!」
「おお……?」とゆるキャラは呟き、二人に気づくと、興味ありげな視線を向けた。
「なんか、すっとぼけた顔のやつだな。こんなやつ、『龍球オメガ』にいたか?」と柴乃は疑念を口にした。
「か、かわいいー!」
マスカットは目を輝かせ、ゆるキャラのそばに飛んで近づき、「ねぇねぇ、キミ、なんて名前なの?」と問いかけた。
「ジャシンパ、ジャシンパ、ジャシンパ」とゆるキャラは繰り返し呟いた。
「へぇー、ジャシンパって言うんだ! かわいい名前だね!」
「ジャシンパ」
「キミはどこから来たの?」
「ジャシンパ、ジャシンパ」
「外から来たんだ!」
「ジャシンパ」
ジャシンパは「ジャシンパ」としか話せないようだったが、不思議とマスカットとは通じ合っているようだった。こちらの言葉は伝わっているようだ。
マスカットは、ジャシンパの声の調子やジェスチャーを読み取っているようだった。柴乃もなんとなくジャシンパが言っていることが理解できていた。
「この結界を張ったのも、キミ?」とマスカットは柔らかく尋ねた。
「ジャシンパ!」
「そっか……じゃあ、来たばかりだから、知らなかったんだね!」
「おお……?」ジャシンパは首を傾げた。
「ここはこのゲームで一番大事なところだから、こんな風に結界を張ったらダメな場所なの。だから、結界を解いてくれないかな?」とマスカットはやさしく促した。
ジャシンパは返事をせず、真顔で硬直した。
「ねぇ、聞いてる……? この結界を解いて欲しいんだけど……!」マスカットは少し強い口調で促した。
「ジャシンパ!」ジャシンパは拒否をするように顔を背けた。
「ねぇ! 早くこの結界を解かないと、痛い思いを――」
マスカットがさらに警告の言葉を発しようとしたその瞬間――ジャシンパが太い指を持ち上げ、信じられない速度でデコピンを放った。
マスカットは宙を舞い、スピンしながら後方の硬い球体に叩きつけられた。鈍い衝突音が空間に響き、衝撃で小さな光の粒が飛び散った。
「マスカット!」
柴乃は振り返り、吹き飛ばされた彼女を確認した。すぐにジャシンパに視線を戻し、冷静な声で言い放った。
「汝……ただのマスコットではなさそうだな」
マスカットは額を手でさすりながら、少し涙目で柴乃のそばに戻ってきた。
「グレープちゃん、気をつけて。この子、見た目より――」
マスカットが注意を促そうとした瞬間、ジャシンパが「ジャシン……パー!」と低い声で唸った。その瞬間、空気が震え、周囲に濃密なエネルギーの波動が広がった。強烈な気の嵐が吹き荒れ、二人の髪を激しく揺らし、バランスを崩すほどの圧力を生み出した。
「すごい気だ……! このゲームにまだこんな強いやつが残っていたとは!」柴乃は驚きと興奮が入り混じった声を上げた。
「もしかして、裏ボスかな?」とマスカットが言った。
「かもしれないな」
「でも、どうしてこんなタイミングなんだろう……? 世界一武術大会の途中なのに……」マスカットは眉をひそめ、疑問の表情を浮かべた。
「さあな。何かしらのトラブルが発生して、うっかり公開してしまった、とかじゃないか? 緊急事態って言ってただろ?」
「うーん……」マスカットは腕を組んで考え込んだ。
しばしの沈黙が流れた。
柴乃はマスカットを一瞥した。マスカットも柴乃を見つめ返した。どうやら、二人とも同じことを考えているようだった。
「どっちが戦う?」と柴乃が先に尋ねた。
「ここは、公正にジャンケンで決めようよ」とマスカットが提案した。
「そうだな」
「勝った方がジャシンパと戦って、負けた方が結界の破壊ね」
「わかった」
「じゃあ行くよ」
二人は腕を引いて構えた。
「ジャンケン、ポン!」と声を揃えて手を出すが、あいこが何度も続いた。
一方、ジャシンパは首を傾げながら、じっと二人のやり取りを見守っていた。
そして、ついに決着のとき――柴乃はグー、マスカットはチョキ。
柴乃はそのままグーの手を掲げ、ガッツポーズ決めた。
「やった!」
マスカットは自分のチョキの手を見つめながら「くぅー」と悔しがった。
柴乃はジャシンパに視線を向けた。
「じゃあ、こいつをここから引き離すか!」
「気をつけて、グレープちゃん」マスカットは明るく声をかけた。
「ああ……」
柴乃はジャシンパの顔の前までふわりと飛ぶと、至近距離で勢いよく両手を叩いた。
驚いたジャシンパは目を丸くして、「ジャ、ジャ、ジャシンパ!」と慌てて体を揺らした。その様子はまるで子どもがいたずらをされてジタバタいるかのようだった。
柴乃はジャシンパから目を離さず、背中側から地上に落ち始めた。
「クフフ、やり返したいならついて来い! 我が相手をしてやる!」
ジャシンパはヘラヘラヘラと笑い、屋根の上から飛び降りた。
こうして、柴乃の第一の作戦は見事に成功した。
ジャシンパが素直に飛び降りたのは、柴乃とどこか波長が合っていたから……なのかもしれない。
柴乃は宙に浮かぶ球体をひらりと躱しながら、軽やかに地上へ降りていった。
一方、巨大なジャシンパは身動きが鈍く、球体が次々と体にくっつき、全身にまとわりついていた。
柴乃は逆さまの状態で落ちながら、ふと周囲を見渡した。逆さまの視界に映った山の形が、一瞬お尻に見え、ついクスッと笑った。
地上が近くなると、柴乃は空中で身体を反転し、軽やかに着地した。
ジャシンパはまとわりついた球体とともに背中から落下。衝撃で地面が揺れ、砂埃が舞い上がった。しばらくその場でもがきながら手足を振り回し、まるで裏返った亀のようにジタバタしていた。
「フッ、何をやってるんだ、汝は……」柴乃は呆れながらもつい笑ってしまった。
やがて、ジャシンパは起き上がると、周りに散らばったカラフルな楕円形の球体に手をかざした。直後、ジャシンパの手から黄色い光が球体に流れ込み、全体を包み込むと、次第に丸みを帯びたミニジャシンパへと変化した。
「ひぇー!」と柴乃は思わず驚きの声を上げた。
ジャシンパは両手を使って、周りに散る球体を次々とミニジャシンパに変えていった。わずかな時間で、コミカルな姿をしたミニジャシンパ軍団が完成した。ミニジャシンパと言っても、柴乃よりも一回り以上大きかった。
ミニジャシンパたちは、ジャシンパよりも高い声で「ジャシンパ、ジャシンパ……」と鳴きながら、飛び跳ねて柴乃に迫った。
「クフフ、まるで魔法のような技を使えるのだな!」
柴乃はジャシンパの一挙一動が面白く、少し気が緩んでいた。だが、ミニジャシンパが近づくと、キリっとした目つきに変わった。
直後、一体のミニジャシンパが勢いよく柴乃に突撃し、掌打を繰り出した。
柴乃は半歩身を引いて回避すると、すかさずカウンターパンチを放った。だが、次の瞬間、ミニジャシンパ軍団が一斉に柴乃に突撃し、掌打やパンチを繰り出してきた。
柴乃は鋭い身のこなしで次々と攻撃を躱し、カウンターパンチでミニジャシンパを弾き飛ばしていった。しかし、軍団の数が増えるにつれ、さすがの柴乃も反撃が間に合わなかった。
四方八方から迫る攻撃に対処しきれず、柴乃はついにミニジャシンパたちに押し潰された。
ミニジャシンパたちは、瞬く間に柴乃を覆い尽くし、山のように積み重なっていった。
その光景を見たジャシンパは、「ジャシンパ、ジャシンパ……」と小躍りしながら拍手を送り、勝利を確信した様子だった。
しかし、次の瞬間――ミニジャシンパたちが覆いかぶさった隙間から、眩い紫色の光が漏れ始めた。
柴乃は凄まじい気を一気に解き放ち、そのエネルギーが爆発的な衝撃波となってミニジャシンパたちを空中へ吹き飛ばした。そのまま跳躍して追いかけ、宙で華麗な回転蹴りを繰り出した。旋風のような蹴りがミニジャシンパを次々と弾き飛ばし、わずか数秒ですべてを蹴り飛ばした。ミニジャシンパたちは地面に叩きつけられ、もとのカラフルな楕円形の球体に戻った。
「……ジャシンパ!?」
ジャシンパは拍手を止め、目を丸くし、柴乃を見つめた。
一方その頃。
マスカットは、神殿に張られた結界の破壊を試みていた。手のひらに溜めたスーパーエネルギー弾を結界に向けて放つが、エネルギーを吸収され、傷一つつかなかった。続いて、パンチやキックといった物理攻撃を試した。それでも結界は微動だにせず、その硬さにますます苛立ちが募るばかりだった。
何をしても効果がない結界に業を煮やしたマスカットは、「もう、なんでこんなに硬いの! 結界のバカ!」と叫んだ。その瞬間、「パリンッ!」と小さな音が響き、結界の一部に細かなひびが走った。
「えっ!? なんで!?」とマスカットは思わず驚きの声を上げた。
割れた箇所に近づいてそっと指で撫でてみると、「ピキピキ」と音を発した。たしかに結界が割れているのを確認したマスカットは、半信半疑の様子で呟いた。
「もしかして、悪口が弱点なの……? ちょっと試してみようかな! えーっと……」
マスカットは悪口を考えた。
「バカ! アホ! まぬけ! おたんこなす! 変な模様! 役立たず! 空気読めない!」
思いついた限りの悪口を勢いよく言い放った。
その言葉に応じるかのように、さっきよりも広い範囲の結界が音を立てて割れた。
その光景に、マスカットは結界の弱点が悪口であると確信した。
「やっぱりそうだ! でも、悪口か……他にどんなのがあるかな……?」
マスカットは腕を組んで考え込んだ。普段、悪口を言わない彼女は、頭をひねってもすぐには思いつかなかった。
「こういうときに限って出てこないんだから……もう!」と自分に苛立ちながら歩き回った。
「ドスン! ドスン!」
大地を揺らす重低音とともに、ジャシンパがゆっくりと柴乃に迫った。その巨体と威圧感に、辺りの空気が張り詰めていった。
ジャシンパは動きを止め、左腕を横に伸ばすと、鋭い動きで手のひらを上から下へ返した。その瞬間、上空に浮かぶカラフルな楕円形の球体が空を裂きながら降り注いだ。まるで隕石群が柴乃を狙って落ちてくるかのようだった。ジャシンパは、物体を自在に操る念力まで操れるようだった。
柴乃は瞬時に視線を上げると、迫る球体の猛威を察知し、軽い身のこなしで回避した。避けるたびに、球体が周囲に転がった。
柴乃の周りが球体で埋め尽くされると、ジャシンパは手のひらをグッと握った。すると、球体が柴乃を押し潰すように集まり、衝突した。直後、ジャシンパは球体の塊に向かって超スピードで走り出した。
柴乃は集まった球体の間隙に身を滑り込ませ、衝突をギリギリで回避していた。外の様子をうかがうため、手を伸ばし、球体を登って隙間から顔を出した。その瞬間、ジャシンパが超スピードで突進する姿を目撃し、柴乃は驚いて目を見開いた。
「うひゃぁ!?」と思わず奇声を上げた。
ジャシンパはその巨体を叩きつけるように球体の塊に突進し、衝撃で爆風を巻き起こしながらすべてを吹き飛ばした。
柴乃は直前で跳躍し、ギリギリのタイミングで上空に避けると、反撃の機を逃すまいと素早くジャシンパの背後から迫った。だが、動きを読まれていたようで、ジャシンパの後方回転蹴りをまともに受けて吹き飛ばされた。
柴乃は受け身を取って軽やかに地面に着地し、すぐに次の突撃をした。だが、それもジャシンパに完全に読まれており、掌打を受けて吹き飛ばされた。今度は空中でグッと力を込めて勢いを抑えたが、すでにジャシンパが次の攻撃を仕掛けていた。
ジャシンパは何もない空間にパンチを放った。すると、拳の先に円形の異空間が現れ、それが柴乃の真横と繋がった。
柴乃は突如現れたジャシンパの拳を避けきれず、まともに受けて吹き飛ばされた。飛ばされた先にまた異空間が現れ、そこから新たなジャシンパの拳が突き出し、柴乃を再び弾き飛ばした。それが何度も繰り返され、異空間を利用したパンチが次々と柴乃を襲った。まるでラケットで連打されるピンポン玉のように、柴乃は空間を右へ左へと打ち出され続けた。
ジャシンパは攻撃の手を休めなかった。何もない空間を蹴り上げると、異空間を通じて柴乃の真下からジャシンパの足が現れ、彼女を蹴り上げた。次に、ジャシンパが上から叩きつけるように拳を振り下ろすと、柴乃の頭上から拳が突き出し、そのまま地面へと叩きつけた。
柴乃は空中で反射的に体勢を整え、地面に踏み込むように両足で力を込めると、迫るジャシンパの拳を寸前で受け止めた。凄まじい衝撃に足元が沈むが、必死に踏みとどまった。そこへ追い打ちをかけるかのように、ジャシンパの拳が柴乃の背後から現れた。だが、柴乃は咄嗟に振り返りながらエネルギーを溜めた手を突き出した。
エネルギー弾が拳に命中すると、激しい爆発を起こし、異空間を通じてジャシンパを吹き飛ばした。
「ワォ!」とジャシンパは驚きの声を上げ、背中から倒れた。
ジャシンパがジタバタしている間に、柴乃は両手を腰の辺りに構えて気を溜めた。強力なエネルギーが集まり、両手から光が漏れ始めた。
「はぁー!」と叫びながら、柴乃は両手を突き出し、強力なエネルギー波を放った。
ジャシンパは起き上がり、迫りくるエネルギー波を目にすると、反射的に口を大きく開けた。次の瞬間、柴乃の技を完璧にコピーするかのように、同じ技を口から放った。その模倣精度の高さに、柴乃は「なっ!?」と驚愕と困惑の入り混じった声を上げ、思わず目を見開いた。
二つのエネルギー波が激突した瞬間、空間が震えるような轟音とともに眩い閃光が迸った。エネルギーの衝突点から生まれた大爆発は、柴乃とジャシンパを飲み込み、衝撃波が地面を引き裂きながら四方八方へ広がった。その閃光は遠く離れた神殿の頂上まで届き、大地すらも揺るがした。
その光を目にしたマスカットは、「派手にやってるなぁ、グレープちゃん」と少し羨ましそうに呟いた。
やがて爆煙が晴れると、自らの技で傷ついた柴乃とジャシンパの姿が露わになった。柴乃の着ているドラゴンの着ぐるみは微かに焦げ、煙が立ち上っていた。
ジャシンパは柴乃の姿を見つめながら、ヘラヘラと笑い声を上げた。
「汝もボロボロではないか!」と柴乃は思わずツッコんだ。
(くっ、ここまでやるとは……! 少し油断し過ぎたな……)
柴乃は心の中で反省した。
(でも、よかった。こんなかっこ悪い姿を誰にも見られなくて……)
柴乃がそう思っていた矢先、見計らったかのようなタイミングでイリスから連絡が入った。
「イリス、何の用だ? 今、忙しいんだが……」と柴乃はぶっきらぼうに応じた。
「グレープ様……おそらく気づいていないと思いますので、一言よろしいでしょうか?」とイリスは言った。
「ん……? なんだ?」
「現在、グレープ様のご様子は、会場のスクリーンに映されており、全世界の視聴者がリアルタイムでご覧になっています」
柴乃は目を見開いて硬直した。一拍の沈黙ののち、「なっ、なんだってぇぇぇぇー!?」と絶叫が響いた。
「なので、あまり油断しない方がいいかと……」とイリスは淡々と続けた。
「もっと早く言わんかぁぁぁぁ!」
「それでは、健闘をお祈りしています」
「なっ!? ちょっと待っ――」
イリスは一方的に通話を切った。
(くっ、まさか今までの戦いが見られているとは……! 恥ずかしい姿を晒してしまったではないか!)
柴乃は急に恥ずかしい気持ちが込み上げ、頬を赤く染めた。
「クッ……こうなったら仕方ない……!」
柴乃は息を整え、胸の奥に秘めていた覚悟を解き放つように決意を固めた。
「……“あれ”をするか」
柴乃はドラゴンの着ぐるみのフードを脱ぎ、頭を出すと、左目の眼帯を外してポケットにしまい、鋭い眼差しで前を見据えた。両手をグッと強く握りしめ、気を溜め始めた。
「はぁぁぁぁ!」
力を込めると、白い気のオーラが柴乃を包み込み、まるで彼女自身が燃え盛る炎と化したかのように激しく揺らめいた。溢れ出す気は瞬く間に膨れ上がり、白い光が空間全体を飲み込み、地平線の先まで届くほどの輝きを放った。大地が「ゴゴゴゴゴ!」と激しい地響きを鳴らし、ゲームの世界全体が柴乃の膨大な気によって揺れていた。
ジャシンパは目を丸くして驚き、その視線を変身中の柴乃に釘付けにした。次第にその表情は緩み、まるで面白い光景を見た子どものように拍手を送った。その笑いには驚きと高揚感が入り混じっていた。
しばらくして、柴乃のとっておきの変身が完了した。髪が雪のように輝く純白に染まり、その周囲を細やかなスパークがまとわりついていた。白いオーラは彼女の全身を包み込み、神聖でありながらも圧倒的な威圧感を放っていた。紫だったドラゴンの着ぐるみも、神秘的な輝きを帯びた純白へと変貌を遂げていた。その瞳には依然として鮮烈な紫の輝きが宿り、彼女の強い意志を物語っていた。
これは、『龍球オメガ』に登場する伝説の戦士“スーパーカジツ人”の変身形態をアレンジしたものだ。作品内では髪が逆立って金色に染まるが、柴乃は雪のような純白の美しいストレートヘアだった。
この白い姿は、柴乃が最も尊敬する人物――真白の見た目を模しており、ここぞというときにしか変身しない。つまり、超本気モードというわけだ。この姿で、柴乃はさきほどのミスを挽回するつもりだった。
「この姿を見せるのは、汝が二人目だ」柴乃は鋭い眼差しで、低く静かな声を放った。
ジャシンパは柴乃の変身した姿を見つめ、ヘラヘラと笑った。その表情には余裕が滲んでいた。
「――勝負はこれからだ!」
そう言い放つと、柴乃は白いオーラを纏ったまま風を切るような速さで突撃した。
間合いを詰めていると、ジャシンパが空間を裂くように拳を突き出した。次の瞬間、柴乃の横に鋭いパンチが迫った。
柴乃はその動きを完全に見切り、軽やかに回避すると、一気に間合いを詰めた。次々と繰り出される拳を紙一重で躱し続け、間合いに入ると、ジャシンパが直接パンチを繰り出した。
柴乃は、一瞬で急激に加速してジャシンパの腕の下に滑り込むと、全身の力を拳に込めてブヨブヨの腹へ叩き込んだ。拳がめり込む瞬間、衝撃波が生まれ、空間が揺れるほどの威力だった。
ジャシンパは目を見開き、「グハッ!」と声を漏らした。その衝撃でジャシンパの巨大な身体が宙に浮き、空の彼方まで舞い上がった。
次の瞬間、柴乃は瞬間移動でジャシンパの吹き飛んだ先に先回りし、鋭い蹴りをその背中に叩き込んだ。蹴りの衝撃で弾き飛ばされたジャシンパを追うように、柴乃は空間を裂くように瞬間移動を繰り返した、そのたびに鋭い拳や蹴りを叩き込み、ジャシンパの身体を確実に捉えた。連撃のたびに衝撃波が走り、空間が震えるような音が響き渡った。ジャシンパの巨大な身体が弾き飛ばされるたび、柴乃の動きはさらに加速し、攻撃の圧力が増していく。先ほどジャシンパにやられたラリーを、そっくりそのままやり返していた。やられたらやり返すのが、柴乃の性格だ。
何度目かのラリーで、ジャシンパが突然体勢を変えた。ジャシンパが、吹き飛ばされる勢いを利用して柴乃にパンチを繰り出した。
柴乃はそれを寸前で躱し、ジャシンパの下に潜り込むと、ブヨブヨの腹を勢いよく蹴り上げた。空高く舞い上がったジャシンパの真上に瞬間移動し、力強いパンチを腹に叩き込んで地面へと落とした。
ジャシンパはものすごい勢いで、カラフルな楕円形の球体が集まる地面に叩きつけられた。その衝撃で球体が宙に舞い上がった。地面には大きな窪みができ、ジャシンパはそこに仰向けで倒れた。ブヨブヨの腹はへこんだままだった。
柴乃は、畳みかけるように攻撃を続けた。上空で両手にエネルギーを溜め、倒れているジャシンパに突撃した。ジャシンパが上体を起こし、見上げたときには、すでに目の前まで迫っていた。
柴乃の両手に渦巻いていた白い気が、徐々に具現化し、鋭い目と牙を持つ白竜の頭へと形を変えていった。竜の眼光は冷たく輝き、息をのむような威圧感が周囲を包み込んだ。その姿は、ただのエネルギーではなく、まるで本物の竜が憑依したかのような神秘性を持っていた。柴乃は白竜の気をまとった両手を突き出し、ジャシンパの顔面に突進した。まるで本物の竜が獲物を喰らう瞬間のような、圧倒的な迫力だった。
ジャシンパは柴乃の拳に押しつぶされ、顔が体にめり込んでいった。
柴乃は限界まで拳を押し込むと、勢いを殺さず一気に離脱し、滑るように着地した。
「ジャシンパァァァァ……」ジャシンパは断末魔の叫びを上げながら、ついに力尽きた。
「ふぅー、終わった……」
柴乃は一息ついて変身を解除した。髪色とオーラが紫色に戻り、左目に眼帯をつけた。最強の変身形態は気の消費が激しいため、あまり長く保てない。それに、ある程度回復するまで変身もできなくなる。
柴乃はドラゴンのフードをかぶり直し、空を見上げた。
「さて、マスカットの方はどうなったかな?」
自分の役目を終えた柴乃は、マスカットの様子を見に行こうと思い、飛び立とうとした――その瞬間、突然異様な気配を察知し、即座にその方向に視線を向けた。
地面に横たわり、完全に力尽きたと思われていたジャシンパが、突如として異様な音を立てた。それは、肉が圧縮される音だった。
ジャシンパの巨大な体が縮み始めると、空気が震えるような邪悪な波動があたりに満ち、目を背けたくなるような異様な光景が広がった。
凝縮された力が一点に集まり、巨大な身体がみるみるうちに引き締まったスリムな体型へと変貌を遂げていく。その変化は、まるで眠れる悪魔が目覚めるかのような不気味さだった。頭に鋭利な角が生え、目は深い紅に染まった獣のような光を宿していた。その身体は、余分な脂肪が削ぎ落とされ、鋼鉄のように引き締まった筋肉に覆われていた。肩幅は広く、細身ながらも全身に内包された膨大な力が伝わってくる。スリムな体型ながら、指先の動きひとつで空気が震えるほどの威圧感を放っていた。さきほどのコミカルな見た目とは対照的な、美しくも恐ろしい姿だった。ジャシンパの第二形態、スーパージャシンパの誕生の瞬間だった。
スーパージャシンパは、邪悪な気を全身に纏い、鋭い目つきで柴乃を睨んでいた。
「なんてやつだ……!」
柴乃は目を見開いた。その鋭い眼差しには驚愕と警戒が浮かび、体全体に緊張が走った。
一方その頃、フルツやゴールデンキウイら他のプレイヤーたちは、ジャシンパのせいで暴走した敵と戦っていた。
ゲームの世界とはいえ、この場所はプレイヤーたちにとって、ただのデータではなく、思い出が詰まった第二の故郷だった。笑顔が生まれる場所を、憩いの場を、こんな形で奪わせるわけにはいかない。『龍球オメガ』を愛するプレイヤーたちは皆同じ想いを胸に抱き、その結束力はますます強まり、次々と敵を倒していった。
そんな中、ボス級の敵が現れると、苦戦するプレイヤーが増え始めた。
ボス級とは、トッププレイヤーのフルツやゴールデンキウイたちが戦った。
フルツとゴールデンキウイは戦いの最中、上空に映し出された柴乃の戦いに何度も視線を向けていた。その中で、柴乃が滅多に見せない変身形態を目にした瞬間、二人の動きが一瞬止まった。目を見開き、驚きと感嘆が入り混じった表情を浮かべた。
「あれが、あいつの本気か……!」フルツは息をのみながら呟いた。その声は微かに震えていたが、視線を逸らすことはなかった。
一方、ゴールデンキウイはうっとりとした表情で柴乃の神々しい姿を見つめていた。
柴乃がジャシンパを倒すと、二人も安堵の息をついたが、すぐに変身後のスーパージャシンパの姿を目にして、思わずゾクッと背筋を震わせた。
同じ頃、神殿ではマスカットが必死に悪口を言いながら、少しずつ結界を破壊していた。
「デブ! チビ! ガリガリ! ムキムキ! マッチョ! ラーメン! ツケメン! ぼく、イケメン!! えーっと、他には……」
「マスカット、ペースが遅くなっているぞ!」
シェンは励ましのつもりで声をかけたが、かえってそれがマスカットの苛立ちを煽ってしまった。
マスカットはシェンの小言にイラっとし、「シェンのバカヤロー!」と大きな声で叫んだ。すると、今までで一番大きな音とともに結界も大きくひび割れた。
どうやら、悪口のレベルと言っている人の感情が影響して攻撃力が変わるらしい。一度言った悪口は、二回目になると効果が薄くなるということもわかっていた。さらに、悪口の前後に何か言葉を付け足すと、威力が増すようだった。たとえば、誰かの名前など……。
攻略法がわかっても、マスカットにとっては難しい作業だった。思いつく限りの悪口を言いつくしたが、神殿を覆う結界はまだ分厚い。
「えーっと、他には……」
マスカットが考えていると、突如、空気が凍りつくような感覚に襲われた。スーパージャシンパから放たれる邪悪な気が、まるで黒い霧のように神殿まで吹き荒れ、マスカットはその圧力に思わず背筋を震わせた。
「なっ、なに!? この邪悪な気は……!? グレープちゃん、大丈夫かな……?」
マスカットは心配そうな表情を浮かべた。
「気を散らしている暇なんてないぞ、マスカット! さっさと結界を破壊するんだ!」とシェンは構わずに言った。
その言葉を聞いた瞬間、温厚なマスカットもさすがにブチ切れ、堪忍袋の緒が切れる音が響いた。口いっぱいに空気を吸い込み、肺が裂けそうなほどに胸を膨らませて叫んだ。
「シェンのクソじじいぃぃぃぃっっっっ!!!」
マスカットの絶叫は地鳴りのように響き渡り、神殿の空気を震わせた。その言葉が結界に叩きつけられた瞬間、光と音が弾け、分厚い結界が大きく裂けた。初めて見せた本気の悪口は、誰も予想しなかったほどの破壊力を発揮していた。
一方、シェンは驚きのあまり言葉を失っていた。
こうして、マスカットによる前代未聞の「悪口無双」が幕を開けた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回もお楽しみに。
感想お待ちしています。




