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桜の秘密①

 四月三日、日曜日。午前八時三十分頃、色神の街中で爆発音が鳴り響いた。

周辺の建物は、激しい爆風の衝撃で崩れ落ちた。

 桜は宙に浮かびながら、爆心地を鋭く見下ろしていた。爆風でローブが激しくはためき、先の曲がったとんがり帽子が飛ばされそうになった桜は、咄嗟に左手で押さえた。

桜の隣には、相棒の白猫のぬいぐるみ――ましろんが浮かんでいた。そのすぐそばには、ミニスカ巫女服を身に纏った少女、呉橋神楽くれはし かぐらの姿もあった。

 やがて爆煙が晴れると、赤い瞳の黒い犬――ヘルハウンドが姿を現した。頭上には天使の輪、胴には天使の羽が生えていた。

ヘルハウンドはわずかに体を震わせ、そのまま崩れ落ちた。

「止めは、ましろんが刺すニャ!」ましろんは意気揚々と言った。

「待って、ましろん。近づくのはまだ――」

桜が止めようとしたが、忠告する間もなく、ましろんはすでに超スピードで突撃していた。拳を握りしめながら、一気に距離を詰め、パンチを放ったその瞬間、ヘルハウンドが突然跳ね起き、ましろんに向かって勢いよく炎を吐き出した。

ましろんは避ける間もなく、「ニャーッ!」と叫び声を上げながら、全身を炎に包まれた。

 その瞬間、桜と神楽は、閃光のような速さでヘルハウンドの頭上に移動した。

 桜は魔法の杖を構え、「グレイプニール」と小さく呟いた。その声に応じ、杖から光の輪が放たれ、ヘルハウンドの首を絡め取り、そのまま地面に押さえつけた。

その一瞬の隙を突き、神楽はお祓い棒でヘルハウンドを一刀両断した。

 ヘルハウンドは頭部から真っ二つに裂け、力尽きて塵となり、静かに消え去った。その直後、後処理専門部隊が、すぐさま街の復旧に取りかかった。今回の騒動は、一般人に気づかれないよう、迅速な対応が求められた。

「やっと片付いたね……」桜はほっとした表情を浮かべ、深く息をついた。

「そうね……」と神楽は返し、周囲を見渡した。

周辺の建物は一部が損壊し、無数の窓ガラスが割れていた。

「結構派手に暴れたわね、あの犬……」と神楽は呟いた。

「思ってたよりも手強くて、少し驚いた」

 桜の言葉に、神楽も頷いた。

「あのレベルだと、逆にこれくらいで済んで良かったのかも……」と神楽が言うと、「そうだね……」と桜も同意した。

「でも、後処理が大変そう」神楽は街の被害を見渡しながら、修理に追われる人たちに一瞬の同情を浮かべた。「まっ、わたしには関係ないけど……」

 後処理部隊は、手際よく周辺の修復を進めていった。ついさっきまで激しい戦いが繰り広げられていたとは思えないほど、その作業は正確かつ迅速で、一瞬の無駄もなかった。中には、以前よりも綺麗になった場所さえあった。さすがはプロの集団だった。

「天使も倒したし、そろそろ帰ろっか」と桜は言い、「そうね」と神楽も応じた。

 二人が帰ろうとしたその瞬間、「ちょっと待つニャー!」という叫び声が響いた。

声のした方に視線を向けると、そこには全身真っ黒になり、微かに煙を立ち上らせるましろんの姿があった。

「無事だったんだ、よかった……」

桜はほっと息をついたが、少し前から気配を感じ取り、気づいていた。

「当然ニャ! こんなことでへこたれるほど、ましろんはヤワじゃニャいニャ!」と胸を張るましろんの姿は、どこか滑稽だった。

「そうだね」

「でも、その姿……すごいことになってるけど……」と神楽は冷静に指摘した。

「ん? ニャんのことニャ……?」ましろんは首を傾げながら、自分の異変に気づいていない様子だった。

 桜は軽く杖を振り、ましろんの前に鏡を出現させた。

 ましろんは、自分の全身が真っ黒になっているのを鏡で見て、目を丸くしたまま硬直した。やがて我に返ると、顔、胸、腹、背中、太もも、足先までをバタバタと慌てて触り、ようやく状況を理解して叫んだ。

「ニャッ! ニャんだ、これはー!?」

桜の胸に飛び込み、「しゃくらー! ましろんの身体が真っ黒にニャっちゃったー! 元に戻せりゅー?」と泣きついた。

「無理かな……」と桜はあっさり答えたが、心の中では(本当はできるけど、ちょっと面倒だな……)と思っていた。

「ニャー! それじゃあ、ましろんは、ずっとこのままニャのー!?」

「一応、元に戻せるか、やってみるね」

桜は杖をましろんの頭上にかざし、金色の粒子をふわりと振りかけた。それは意味のない演出で、ましろんを納得させるためのものだった。当然、ましろんに変化はなく、全身真っ黒のままだった。

「うーん……」と桜は悩んでいるように呟いた。

ましろんは再び鏡を覗き込みながら、両頬に手を当て、「ニャー! じぇんじぇん戻ってニャいー!」と絶望の声を上げた。

「その姿だと、もう“ましろん”じゃないね」と神楽が皮肉っぽく言った。

「ニャッ……!?」ましろんは目を見開いた。

「そうだね。せっかくだし、改名しようか」と桜は提案した。

「改名……!?」

「うーん、そうだなぁ……」

桜は腕を組んで考え込んだ。そして、悪戯っぽい笑みを浮かべて提案した。

「真っ黒だし……“まくろん”っていうのはどう?」

「ニャッ! ニャんだってー!?」

ましろんは驚愕の表情を浮かべ、空を仰ぎながら叫んだ。その声は、街のどこまでも響き渡り、遠い空へ溶け込むように消えていった。


 四月十日、日曜日の午前八時半過ぎ。

「まくろんぱーんち!」

まくろんは自分の名前を冠した技を叫びながら、カンガルー天使を殴り飛ばし、「よしっ!」とガッツポーズを決めた。

 体長二メートル超え、頭上に天使の輪が浮かぶカンガルー天使は吹き飛ばされ、コンクリートの壁に勢いよく衝突した。衝撃で建物が崩れ落ち、瓦礫の下敷きになった。

「どうニャ! まくろんの必殺パンチ、見たかニャ!」まくろんは誇らしげに拳を掲げた。

「まくろん、油断しちゃだめだよ。まだ倒しきれてないから……」と桜は冷静に指摘した。

「わかってるニャ! でも、次で仕留め――」

 まくろんが返事をしていたその瞬間、瓦礫の中から赤い瞳がぎろりと睨みつけた。次の瞬間、カンガルー天使が超スピードで飛び出し、まくろんに迫った。

 まくろんは素早く身構え、カンガルー天使の右ストレートをひらりと躱し、すかさずカウンターパンチを繰り出した。まくろんの拳は、カンガルー天使のみぞおちに的確に撃ち抜いた。

 カンガルー天使はそのまま意識を失い、地面に崩れ落ちると、塵となって消え去った。

「ニャハハ! 決まったニャ……」とまくろんはドヤ顔を決めた。

 一週間で『ましろん』改め『まくろん』は、自分の新しい名前を技名に組み込むほど気に入っていた。もちろん、最初は抵抗感を示して嫌がっていたが、今では大好きになっていた。

ここに至るまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

「少しずつ時間をかけて慣れさせれば、多分大丈夫でしょ」

桜は当初は楽観的に考えていた。だが、思っていた以上に、まくろんは改名に嫌悪感を示し、なかなか認めなかった。

四月三日の天使との戦いでは、黒猫になったまくろんが『ましろん〇〇』という技名を叫ぶたびに、戦場が微妙な空気に包まれることが何度もあった。

このままでは、戦いに緊張感がなくなってしまう。

危機感を抱いた桜は、その日の夜に『アルカンシエル』で天に説得を頼んだ。

もともと、ましろんは天が買った白猫のぬいぐるみだった。桜が魔法で意思を与えたことで動けるようになり、以来、ましろんは天が大好きで、彼女の言うことなら何でも聞くほど心酔していた。

事情を説明すると、天はすぐに了承し、協力を申し出てくれた。桜が名付けた『まくろん』という新たな名前も気に入っていた。

四月六日の水曜日、天は約束通り説得してくれた。桜以外は魔法を使えないため、天はただの黒猫のぬいぐるみに向かって真剣に話しかけていた。たとえ魔法が使えなくても、天の想いはしっかりと伝わり、そして『ましろん』は――『まくろん』へと、生まれ変わったのだった。

本日早朝、まくろんは動けるようになると、家中を駆け回りながら、「天ニャンが新しい名前をつけてくれたニャー!」と何度も叫び、大はしゃぎしていた。

 こうして、まくろんはようやく“まくろん”としての自分を受け入れたのだった。


まくろんがカンガルーを百匹倒している間に、桜はリーダーカンガルーと対峙していた。

リーダーの姿は、他と比べ人間に近く、赤い瞳を持ち、頭上の天使の輪が輝いていた。背中には、光を湛えた天使の羽が広がっていた。

現在、街の各所でカンガルーが出現して暴れ回っていた。

他の地域では、桜の頼れる仲間たちがそれぞれ戦線に立っていた。

この騒ぎを鎮めるには、リーダーを倒す必要があり、桜は早く決着をつけたいと考えていた。

 リーダーは手下と同様に格闘を得意とし、キックボクシングのような強烈なパンチとキックを繰り出す。その威力は、コンクリートをも簡単に砕くほどだった。さらに、俊敏さも群を抜いており、その戦闘力は明らかに次元が違った。特に、長い尻尾を活かした攻撃やスピードが厄介だった。

 桜はリーダーとの間合いを慎重に計り、火魔法『ロキ』を放った。直径二十センチほどの無数の火球が弧を描きながら、リーダーに襲いかかった。

 リーダーは軽い身のこなしですべての火球を躱し、桜との距離を徐々に詰めた。残り三メートルまで近づいたところで、突然長い尻尾を地面に叩きつけ、一気に詰め寄った。射程に入るや否や、桜の顔面めがけて強烈なハイキックを叩き込んできた。

 桜は素早くのけ反って蹴りを躱し、そのまま後方回転しつつ、後ろへ軽やかに跳んだ。

 リーダーはすぐに追撃しようとしたが、足が地面から離れず、その場で硬直した。必死に動こうとするが、ビクともしない。両手を使って足を引っ張っても、長い尻尾で跳ぼうとしても、まったく動かなかった。

 リーダーの足元には、桜が仕掛けた拘束魔法が発動し、魔法陣が浮かんでいた。それに気づいたリーダーの顔に、焦りが滲んだ。

その隙に、桜は杖を構え、小さく呟いた。

「焼き尽くせ、ヘスティア」

 その声に応じ、リーダーの足元の魔法陣から、巨大な竈が現れ、彼を瞬く間に包み込んだ。次の瞬間、竈の中が紅蓮の炎に包まれ、リーダーを根こそぎ焼き尽くした。

やがて、塵一つ残さず燃え尽きたところで、竈は静かにその場から消え去った。直後、街中の至る所で暴れ回っていたカンガルーもすべて塵となって消滅した。

天使がすべて消滅すると、すぐに後処理専門部隊が現れ、修復作業に取りかかった。

「全員倒したし、あとは彼らに任せて帰るよ」

桜は軽い調子で声をかけると、「ニャ!」とまくろんは応じ、二人は速やかにその場を後にした。


組織本部に向かっている途中、桜は赤い髪に和装姿の少年――百鬼阿修羅なきりあしゅらと遭遇した。

「ニャ、あしゅらんだ!」

まくろんが小さく呟き、桜も視線を前に向け、阿修羅に気づいた。

まくろんは街中でも桜の隣を堂々と歩いているが、一般人からは高性能なAIを搭載したぬいぐるみと見られており、その存在を怪しまれることは決してなかった。まくろんが魔法で動いているとは、誰も想像しなかった。

「よっ、桜! そっちも片付いたんだな!」と、阿修羅は気さくに声をかけた。

「そっちも、終わったみたいだね」と桜は静かに返した。

「ああ、お前がリーダー格を倒してくれたから、早く済んだんだ。サンキュー」

「別にお礼なんていらない。ただ、任務を遂行しただけ……」

「そ、それでも、おれたちは助かったんだよ」

「そう、ならよかった……じゃ……」

 桜は一度だけ阿修羅に目を向けると、何も言わずに歩き出し、その横を通り過ぎた。

阿修羅は一瞬ためらいつつも、拳をぎゅっと握りしめ、「あ、あのさ!」と勇気を振り絞るように桜を呼び止めた。

 桜は足を止め、ゆっくりと振り返り、阿修羅に視線を向けた。

「なに?」

「こ、このあと、何か予定あるか? もしなかったら、一緒にメシでもどうだ?」

「ごめん、このあと用事があるから。またね」と桜はそっけなく答えた。

「そ、そうか。うん、わかった……」

阿修羅は少し残念そうに肩を落とした。

「悪かった、急に誘って……」

「別に……」と桜は不愛想に返し、向き直った。再び歩を進めたが、数歩で足を止め、静かに振り返った。

「ご飯は……また今度ね」

その言葉に、阿修羅は驚きの表情を浮かべた。

「また……今度……!」と呟き、次の瞬間には、阿修羅の表情がパアっと明るくなった。

桜はほんの少しだけ口元を緩めると、再び前を向き、本部へと向かった。

 桜は、アルカナ・オース(Arcana・Oath)という名の組織に所属する魔法使いだった。

アルカナ・オースは、不思議な力を持つ者たちが世界中から集まる組織だ。魔法使い、巫女、忍者など、その姿は実に様々だ。そして、その全員が『天使を倒す』という共通の使命を背負っていた。

天使とは、人間の魂を喰らい、弄んで命を奪う――極めて危険な存在である。彼らの特徴は、頭上にある天使の輪と背中に生えた羽だ。力の強さにより、下級、中級、上級、特級と階級が分かれている。力が強いほど、人間に酷似した姿をとるという。

 桜は組織の一員として、週に一度、日曜日だけ活動している。もちろん、組織の目的に賛同しているが、桜にとって何より大切なのは『真白』の存在であり、彼女が戻ってくるその日まで、世界の安全を守り続けることを誓っていた。


 本部でゆっくりと休んだあと、桜とまくろんは、街外れにそびえ立つ山の麓を訪れていた。最近、登山客が次々と行方不明になっているという情報を聞き、それが天使の仕業だと推測して、調査に来たのだった。

 登山道の入り口には、桜の他に若い男性二人組、六十代の男性一人、そして若い女性二人組の登山客の姿があった。彼らを危険な状況に巻き込むわけにはいかない、と桜は心に決めた。

 桜は天使に気づかれないよう、魔力を極限まで抑え込み、普通の登山客の服装で山を登り始めた。天使をおびき出す作戦だ。肩に乗せたまくろんも、ただのぬいぐるみのようにまったく動かなかった。

桜は万全の準備で臨んだが、高齢の男性から何度も視線を感じていた。何かが引っかかっているような様子だった。

桜はそれを確認するため、丁寧に尋ねた。

「あの、わたしに何か用ですか?」

その問いかけに、高齢男性は顔を背け、足早でその場から立ち去った。それから、彼から視線を向けられることもなくなった。

それを見た桜は、少しだけ警戒心を強めた。

 しばらく山を登っていると、周りに誰の姿もなくなった。山の中腹に辿り着き、一度休憩を挟むことにした。近くにあったちょうどいいサイズの石に腰を下ろし、バッグパックからペットボトルを取り出して一口飲んだ。

ここまでの道中、天使の力らしきものは一切感じなかった。桜の推測が外れれば、ただの登山で終わる。それならそれで構わないが、これまでの行方不明事件の異常性から、天使が関わっているのはほぼ確実だった。

桜は諦めることなく、周囲の景色や物音に細心の注意を払いながら、山を登り続けた。

 そしてついに、桜は山頂にたどり着いた。眼前には壮大な景色が広がり、一面を覆う緑と、遠くから聞こえる滝の音が、澄んだ空気とともに心地よさを運んできた。周りには誰もいない。

桜は少し気を抜いて大きく伸びをしていたが、ふと我に返り、本来の目的を思い出した。その瞬間、悠然と広がる景色の中で、一角の木々が不自然に揺れた。それは明らかに、自然の風による揺れではなかった。

 桜は目を閉じ、その場所に意識を集中した。微かな天使の力の波動を感じ取った。

 あそこか……。

そう確信した桜は一気に魔力を解放し、その場所まで高速で飛んでいった。

 桜が向かい始めたその瞬間、激しい音が響き渡り、木々が激しく折れ、その隙間から状況が一気に視界に飛び込んできた。

「桜、あれ!」とまくろんが指差した。

桜がその先を見ると、登山道の入り口で見かけた五人の登山客の姿が飛び込んできた。

高齢の男性は、気絶した若い男性二人を庇うように立ちふさがり、若い女性二人組と対峙していた。

天使の力は、女性二人組から溢れていた。つまり、女性二人組が男性三人を襲っていたのだ。

桜が向かっている途中、若い女性二人が本当の姿に変身した。二人の全身が眩い光に包まれると、頭上に光り輝く天使の輪が浮かび、背中からは純白の羽が勢いよく広がった。全身は硬い外骨格に包まれ、一人は額に一本の鋭い角、もう一人は二本の角を持っていた。まるでカブトムシとクワガタムシのような姿で、その見た目と力の大きさから、二人は上級天使であることが伺えた。

 さすがの桜も、一人で上級天使二人を同時に相手にするのは、骨が折れそうだった。だが、嬉しい誤算があった。一般人かと思っていた高齢男性が、実は桜の仲間だったのだ。

 天使たちが本来の姿を現した直後、高齢の男性は、人差し指を伸ばして印を結んだ、突然「ボンッ!」という爆音が響き、彼は煙の中に消えた。やがて煙が晴れると、忍者の姿をした若い少年が現れた。風魔影太郎ふうまえいたろう。アルカナ・オースの仲間だった。

 風魔はクナイを逆手に身構えた。

「キサマ、忍者だったとはな!」カブト天使が呻いた。

「どうりで倒せなかったわけだ……」クワガタ天使は忌々しげに呟いた。

天使たちは空に視線を向け、上空に浮かぶ桜とまくろんを視界に捉えた。

「チッ、仲間も来たか……」カブト天使が言った。

「大魔法使い……厄介なやつが来たな」とクワガタ天使は言った。

 風魔は天使から目を離さず、構えたまま微動だにしなかった。

桜はゆっくりと風魔の隣に降り立った。

「あのおじさん、風魔だったんだ。全然気づかなかった……ただの怪しいじいさんかと思ったよ」と桜は声をかけた。

「お前は目立ちすぎだ。もっと気をつけろ」と風魔は小声で返した。

「ちゃんと魔力は抑えてたよ」

「顔も隠せ」

「顔も……?」

「お前の顔は、天使どもに把握されてる可能性がある」

「え、そうなの?」

「天使にも情報網がある。お前のように強いやつの顔は、知られていてもおかしくない」

「じゃあ、まくろんも知られてるニャ!」まくろんはドヤ顔で言った。

 一瞬の静寂が流れ、冷たい風が吹きつけた。

「へぇー、知らなかった」と桜が沈黙を破った。

「次からはもっと慎重に動け」と風魔は冷静に指摘した。

「うん」

 桜と風魔が短い会話を交わしている間、天使たちは一切攻撃を仕掛けてこなかった。警戒の色を浮かべつつ、こちらの動きを見極めようとしているようだった。無策で突撃する下級天使とは格が違うらしい。

「どっちを相手にする?」桜が軽い調子で尋ねた。

「どっちでもいい」と風魔は即答した。

「じゃあ、じゃんけんで決めよ。勝ったらカブト、負けたらクワガタでどう?」

「……いいだろう」

 二人は向かい合った。

「最初はグー、じゃんけん……ぽ――」

その瞬間、カブト天使が突然、拳で地面を叩きつけた。地面が衝撃で割れ、その裂け目が激しい轟音とともに、桜たちに迫った。

 桜と風魔は咄嗟に後方に跳んで回避した。同時に、気を失った一般男性二人を守るため、桜は防御魔法を展開し、その上から風魔が結界を張った。

気を失った男性二人は、桜と風魔の二重の防壁で守られた。さらに、まくろんが周囲を鋭く警戒し、安全圏を維持した。

 桜は宙にふわりと浮かび、風魔は木の上に着地した。

二人はそこから見下ろし、天使を探したが、カブト天使とクワガタ天使の姿はなかった。

「先に言っておくが、火魔法は使うなよ。山火事になる」と風魔が低く静かに警告した。

「わかってる。風魔も火遁の術は使っちゃダメだよ……」と桜も応じた。

 その瞬間、桜の背後からカブト天使がパンチを放った。同時に、風魔の背後にクワガタ天使が現れ、強烈な蹴りを繰り出した。

 桜はカブト天使の拳をひらりと受け流し、「お、ちょうどいい。このまま続けよう」と余裕の表情で呟いた。

「ああ」と風魔も蹴りを躱しながら、余裕のある態度で即答した。

 ちなみに、さきほどのじゃんけんでは桜がグー、風魔がチョキを出していた。

 天使たちは格闘戦を得意とし、パンチとキックを次々と繰り出した。さらに、超高速での移動と硬い外骨格が厄介な要素となっていた。

 桜と風魔は、キレのある天使の攻撃をすべて紙一重で躱したり、受け流したりしていた。

その衝撃で山の斜面が削られ、次第にボロボロになっていった。天使たちは自然環境への影響など微塵も気にしていないようだった。

桜と風魔は、一度天使たちと距離を取るため、後方へ跳んだ。そのとき、二人の背中がぶつかり、いつの間にか背中合わせになっていた。どうやら、天使たちの巧妙な戦術によって、この位置に誘導されていたらしい。

 カブト天使とクワガタ天使は、その一瞬の隙を突き、角に高密度のエネルギーを収束させた。次第に角が輝きを増し、エネルギーが膨れ上がった。

「くらえ! ビートル・クラッシャー!」

二体は声を揃え、それぞれが唸るようなビームを同時に放った。

二本のビームが桜と風魔を狙い、猛スピードで挟み込むように迫ってきた。

二人は表情を一切崩さず、冷静に応じた。

桜は魔法で『イージス』を召喚し、風魔は瞬時に印を結び、『風遁・颶風返し』を繰り出した。

 イージスは直径三メートルを超える巨大な盾。桜の前で一瞬にして具現化すると、カブト天使のビームを正面から受け止め、その膨大なエネルギーを呑み込み、完全に吸収した。桜の魔力が加わり、ビームが膨れ上がると、倍以上の威力で天使に向かって跳ね返した。

 颶風返しは大地から強烈な風を巻き上げ、旋風を生み出した。それはまるで生き物のようにビームに向かって突進した。ビームを取り込んで一体化すると、旋風はさらに膨張し、進行方向を強引に変え、逆流するようにクワガタ天使へと襲いかかった。

「なに!?」カブト天使の目が大きく見開かれ、その表情には明らかな動揺が浮かんだ。

「跳ね返された……だと!?」クワガタ天使も声を震わせた。

 天使たちは避ける間がないと瞬時に悟り、咄嗟に両腕を胸前でクロスさせ、防御態勢を取った。『ビートル・クラッシャー』は天使に直撃し、激しい爆発を引き起こした。

爆風は山全体を震撼させ、木々を根元から引き抜き、周囲一帯を荒野へと変えた。

 桜と風魔は、爆煙が立ち上る上空を静かに見据えた。

 やがて爆煙が晴れると、ボロボロに傷ついた天使が現れた。倒しきるまでには至らなかったが、大ダメージを負っていた。

 二体の天使は怒りに身を震わせた。

「ウォォォォー!」と叫び、即座に反撃の構えで視線を落とす――だが、そこにはもはや桜と風魔の姿はなかった。

「ど、どこだ……!? どこに消えた!」

カブト天使は焦りを隠せず、必死に周囲を見渡す。その目線は、ひたすら地面ばかりを探っていた。

 クワガタ天使も地面ばかりを睨んでいたが、ふと何かに気づいたようにピクリと動き、顔を上げてカブト天使を見た。目を見開き、「おい! 後ろだ!」と叫んだ。

 その瞬間、クワガタ天使の背後にいた風魔が「お前もな」と低く呟いた。

 二人の天使は素早く振り返ったが、時すでに遅かった。

 桜は拘束魔法『グレイプニール』を静かに放ち、カブト天使を瞬時に拘束した。

風魔は忍具『封魔の鎖』を投げ放ち、クワガタ天使を瞬時に絡め取った。

拘束された二体の天使は、抵抗も虚しく地に叩きつけられるように墜ちた。

 桜たちが天使をすぐに倒さないのには訳がある。

 桜と風魔は、地に倒れてもがく天使のそばに降り立った。

「こんな魔法……」

カブト天使は力ずくで解こうとしていたが、まったく解けなかった。クワガタ天使も同じようにもがきながら解こうとしているが、カブト天使と同様の結果だった。

「お前たちに聞きたいことがある」

桜は冷たい視線を向け、冷徹に言い放った。

天使たちは聞く耳を持たず、もがき続けた。

それでも桜は続けた。

「――七代天使はどこにいる?」

その声には冷たさと威圧感が滲んでいた。

 その問いかけに、二人の天使は、まるで凍りついたかのようにもがくのを止めた。目を見開き、青ざめた顔に冷や汗がじっとりと浮かんだ。それも無理はない。ただの上級天使にとって、その名を口にすることは禁忌とされているからだ。

 七代天使――それは天使の頂点に君臨する、選ばれし七柱を指す。彼らの力は常軌を逸しており、本気を出せば、世界を滅ぼすことすら造作もないと言われている。はるか昔から存在し、その圧倒的な力を独占するために、桜や風魔のような特別な能力を持つ者たちを、過去に容赦なく虐殺してきた。そのため、現代の能力者は極端に数が少ないのだ。

 桜たちアルカナ・オースの目的は、七代天使を見つけ出し、倒すことだ。そのためには、何か知っているかもしれない上級天使から情報を聞き出す必要がある。だが、今まで情報を聞き出せたことは一度もない。天使なりのプライドなのか、恐怖に支配されているのか、単に知らないのか、絶対に口を割らないのだ。

 案の定、カブト天使とクワガタ天使も、喋る気がまったくなかった。

「フフフ……キサマらに教えると思うか?」とカブト天使は嘲笑った。

「まあ、そうだろうね」

桜は冷静に杖を天使へと向けた。

「じゃあ、とどめを刺す」

杖の先端に膨大な魔力が集まり、眩い光の玉が浮かんだ。その光は瞬く間に大きさを増し、圧倒的なエネルギーを帯びていった。

「フン、もう勝ったつもりでいるのか? 甘いな」

クワガタ天使は低く笑うと、縛られたまま、唯一動かせる足の指で地面を巧みに蹴り、カブト天使のもとへ一気に跳んだ。

 カブト天使は口を大きく開け、獲物を狙うように待ち構えていた。

クワガタ天使は、迷いも恐れも見せず、頭からカブト天使の口内へ飛び込んだ。

カブト天使はその口を異様なまでに広げ、まるで闇そのものが飲み込むように、同胞を一瞬で呑み込んだ。一瞬の間に全身吸い終わると、カブト天使が輝き出した。

 桜は後ろに跳んで距離を取り、上空から溜めていた魔力のビームを迷わず放った。直撃した瞬間、大爆発を起こし、辺り一帯が激しい衝撃波に包まれた。

桜は上空から事態を見下ろし、風魔は素早く離れた木の上に退避して、爆煙と土煙の中を鋭く見据えた。

 やがて、激しい旋風が巻き起こり、爆煙と土煙を一瞬で払いのけた。その中心に現れたのは、三本の角を持ち、全身が黄金に輝く巨大な甲虫天使。どうやら、カブト天使とクワガタ天使が合体し、進化を遂げたようだった。力が大幅に増大し、桜の拘束魔法『グレイプニール』も完全に破壊されていた。

甲虫天使の黄金の体は、太陽のような輝きを放ち、力が溢れ出していた。

「フフフ……フハハハハ……!」

甲虫天使は高笑いした。拳をグッと握り、新たに手にした力に感動しているようだった。

「今のおれは、七代天使すら凌駕する! フハハハハ……!」

自信にあふれた表情で、上空の二人を見据えた。

 二人はまったく動じなかった。警戒心を研ぎ澄ませ、鋭い視線を甲虫天使に向けていた。

ほんの一瞬でも気を緩めれば、命取りになりかねない。そう思っていた矢先、一瞬のうちに甲虫天使は姿を消した。二人の視界から消えた次の瞬間、風魔の背後に音もなく現れた。その速さはまるで閃光のようだった。

甲虫天使は風魔が振り返る間も与えず、鋭い一撃を胸に突き刺した。

「風魔!」と桜は思わず声を上げた。

直後、桜の右斜め下の方から「慌てるな」という風魔の声が聞こえた。声のした方に視線を向けると、風魔の姿があった。すぐに視線を戻すと、胸を貫かれたはずの風魔の姿が、土の塊へと姿を変えた。『土遁分身』の術だった。

「チッ、分身か……いつの間に……」

甲虫天使は土の塊から手を引き抜き、土を薙ぎ払うと、二人を鋭い目つきで睨んだ。

「いいね、分身の術……本物かと思ったよ。わたしもやってみようかな」桜は軽いノリで言った。

「このレベルの分身を作るには、相当な鍛錬が必要だ。そう簡単には……」

風魔が言いかけたその瞬間、桜が「できた」と短く呟いた。

 風魔は桜に視線を向け、目を見開いた。そこには、二人の桜が立っていた。風魔ですら、どちらが本物でどちらが分身かまったく見分けがつかないほど、その分身は驚異的な精度で作られていた。

 右の桜が顎に手を当て、もう一人の桜を見つめながら呟いた。

「技名は……うん、『アルケスティス』にしよう」

 風魔がぽかんとした表情で桜を見つめていると、一瞬の隙を突かれ、甲虫天使の鋭い蹴りを横腹に叩き込まれた。風魔は勢いよく吹き飛び、地面に激突した。

「よそ見してんじゃねぇ!」甲虫天使が鋭く吐き捨てる。

「風魔!」二人の桜が声を揃えた。

桜は一瞬、吹き飛ばされた風魔の方を見たが、すぐに甲虫天使に視線を戻した。風魔の安否が気になるが、進化した甲虫天使の圧倒的な存在感を前に、目を離す余裕などどこにもなかった。

 甲虫天使は桜を見据え、低く呟いた。

「図が高いな……」

次の瞬間、一瞬で桜よりも高い位置に移動し、不敵な笑みを浮かべながら、満足そうに見下ろした。

「これでいい……」

 二人の桜が杖を構えると、甲虫天使も身構えた。

静寂の中、風で木の葉が擦れる音だけが聞こえ、緊張感が空気を支配していた。どちらも迂闊に手を出さず、相手の様子を窺っていた。

少し前の衝撃で折れかけた木があった。木がバキバキと不吉な音を立てながら倒れ始めた。その音が合図のように、桜と甲虫天使は同時に力を漲らせ、突撃の態勢を取った。

木が完全に倒れた瞬間、甲虫天使の背後に風魔が音もなく現れた。甲虫天使を睨む風魔の瞳には、燃え上がる怒りと冷静な殺気が交錯していた。次の瞬間、甲虫天使の頭に強烈な踵落としを叩き込んだ。

甲虫天使はギリギリで気配に気づき、反射的に両腕を頭上でクロスして受け止めたが、勢いまで相殺できず、地面に激しく叩きつけられた。その衝撃で山の斜面に大きな穴が開いた。

風魔はすかさず、爆弾を結び付けたクナイを何本も穴に投げ込んだ。爆弾付きクナイは穴に落ちると、次々と爆発し、大地を激しく揺らした。

クナイをすべて投げ終えた風魔は、一瞬の無駄もなく近くの高木に跳び移り、瓦礫に覆われた穴の中を鋭く見据えた。

「よかった、無事だったんだ」二人の桜が同時に安堵の声を漏らした。

「当然だ。あんなもの、たいしたことはない」と風魔は即答した。

「そう……」

 風魔の身体にはいくつかの切り傷があり、明らかにダメージを受けていた。だが、彼が強がりを見せているため、桜はそれ以上追及することを避けた。

「それにしても、随分と派手にやったね。山の形まで変わっちゃった」

桜は変わり果てた山に視線を向けた。

「それは……」

風魔は周囲を見渡した。被害状況を確認すると、一度深呼吸し、申し訳なさそうに呟いた。

「――すまない、頭に血が上ってた」

「ごめん、わたしが余計なことをしたせいで」

「いや、お前のせいじゃない。おれが油断しただけだ」

「そうだね」

 桜がすぐに同意したのを見て、風魔は一瞬だけ眉をひそめ、不満げな表情を見せた。

 そのとき、山の大きな穴から瓦礫が勢いよく噴き出した。大小さまざまな瓦礫が飛び散り、衝撃が桜たちを襲った。

瓦礫と一緒に甲虫天使が飛び出すと、桜たちの遥か頭上まで一気に飛んだ。その体は無数の傷に覆われ、乱れた呼吸が明らかに疲労を物語っていたが、その眼光だけはまだ鋭く、戦意を失っていなかった。

「キサマら、もう許さん! このまま消し炭にしてやる!」

甲虫天使は三本の角にエネルギーを溜め始めた。三本の角が雷鳴のような轟音を立てながら輝き、その中心には渦巻くエネルギーが集結していった。それは次第に巨大な球体となり、周囲の空気さえも歪めていく。やがて、直径五メートルを超える巨大なエネルギー弾が完成すると、怒りの声で叫んだ。

「これで終わりだ! ビートル・クラッシャー・改!」

圧倒的な威力を誇るエネルギー弾が放たれた。おそらく、山一つ消し飛ぶほどの威力があるエネルギー弾だった。

 桜と風魔なら容易に避けることはできた。だが、避ければエネルギー弾が周囲に甚大な被害をもたらすのは明白だったため、二人はその場から一切動かず、冷静に身構えた。

 桜と分身桜は、それぞれの杖をエネルギー弾に向けた。本物の桜が火魔法『プロメテウス』を、分身の桜が風魔法『ノトス』を同時に放った。

二つの魔法はエネルギー弾に向かいながら合体し、五メートルを超える巨大な火球になった。

 甲虫天使の『ビートル・クラッシャー・改』と桜の火球が激しく衝突した瞬間、大爆発が巻き起こった。爆風は嵐のように山を襲い、木々を次々へし折り、一部は根こそぎ吹き飛ばされた。辺り一帯に黒い爆煙が広がった。上から甲虫天使が見下ろし、下から二人の桜が見上げていた。

「なっ!? おれのとっておきを相殺しただと!?」と甲虫天使は驚愕した。

「チッ、もう一発だ!」

甲虫天使が再度、三本の角にエネルギーを溜め始めたその瞬間、突如として、鋭い閃光が走り、彼の左腕が一瞬で切り落とされた。

「なっ……に……!?」

甲虫天使は声を上げたが、気づいたときには、右腕も切断されていた。

「ガハッ……!」と口から緑色の血を吐いた。

その閃光を放ったのは、風魔だった。

風魔は爆煙の中を突っ切り、一陣の風のような速度で甲虫天使の背後に回り込んだ。手には雷光を纏う鋭い忍刀が握られており、その一閃で甲虫天使の両腕を瞬く間に切り落とした。その早業に甲虫天使も気づかないほどだった。風魔は続けて、甲虫天使の胴体を細かく切り刻んだ。

甲虫天使は何が起きたのかわからないまま、一刀のもとに粉々に刻まれた。一瞬の輝きとともに塵へと還り、跡形もなく消え去った。

風魔は軽やかに木の上に着地した。

桜が風魔の元へ向かっていると、分身の桜が「ボンッ!」と音を立てて消えた。魔力を使い果たしたのだ。

「さすがの早業だね」と桜は声をかけた。

「いや、まだまだだ。この程度じゃ、七代天使には通用しない」

「相変わらず、自分に厳しいね」

「これが普通だ」

「そうかもね……」

桜は静かに周囲を見渡した。変わり果てた山の地形は波打つように歪み、地面は無数の亀裂に覆われ、折れた木々が無残に横たわっていた。

「……これ、あとで怒られたりしないかな?」

 その問いかけに、風魔は顔を背けつつ、額に浮かぶ冷や汗を拭った。まるで現実を直視するのを避けているようだった。

「このままだとまずいから、少しでも直しておこうか」と桜は冷静に提案した。

「……ああ」と風魔も納得した。

 二人は協力して山の修復を始めた。桜は物を浮かせる魔法で木々や岩を運び、風魔は土遁で大地を整えた。まくろんも岩や木を運ぶのを手伝った。

山の修復が三割ほど進んだ頃、後処理部隊の一行が現れた。その姿は霧の中から滑り出てきたかのようで、不気味なほど静かだった。

彼らは被害状況を見て、一度ポカンとした表情を浮かべたが、すぐに気持ちを切り替え、修復に取りかかった。手際よく岩や木を配置し、まるで時間が巻き戻ったかのように破壊された山が元の姿を取り戻していった。

桜と風魔とまくろんも残って、修復を手伝った。


 夕暮れが迫り、空がオレンジ色に染まっていた。

任務を終えた桜は、まくろんと並んで歩いていた。そのとき、桜は背後からじっとした視線を感じ取った。気づかれないよう、自然を装いながら周囲を見回したが、怪しい影はどこにも見当たらなかった。

警戒しながらしばらく歩き続けていると、次第にすれ違う人が減っていることに気づいた。どうやら、尾行者が人払いの結界を張っているらしい。他人に危害を加える意図はなく、殺気もまったく感じなかった。

 そのまま歩いていると突如、道の正面に体長二十センチほどの小さな騎士人形が現れた。精巧な造りで、腰には小ぶりな剣を携えていた。

「わたしはガウェイン。あなたに少しお尋ねしたいことがあります」と人形は丁寧に声をかけた。

「なに……?」と桜は静かに応じた。

「あなたが“大魔法使いさくら”ですか?」

「わたしはただの魔法使いだよ」

「えっ!? あっ、ご、ごめんなさい。人違いでした!」

ガウェインは戸惑いつつ、その場から去っていった。

 少し待っていると、またガウェインが現れた。今度は魔法で桜の顔を手元に映し出し、本物と見比べていた。

「桜色の髪と瞳……やっぱり間違いない!」とガウェインは確信したように呟いた。桜をまっすぐ見据え、「騙しましたね!」と鋭く詰め寄った。

「別に騙してないよ。あなたが勝手に勘違いしただけ……」

「改めてお尋ねします。あなたが“大魔法使いさくら”ですね?」

「わたしはただの魔法……」

「もういいです! わかりました!」ガウェインは食い気味に遮った。

 しばしの沈黙が流れた。

その間、桜はじっとガウェインを見据え、その魔力の流れを静かに探っていた。

 この人形を流れる魔力……まくろんのそれとは少し違う。多分、誰かに操られてる。きっと近くに術者がいるはず……。

 大方の見当がついたところで、桜は質問を投げかけた。

「……わたしに何か用?」

「はい、あなたの力を確かめにきました」

「どうして?」

「噂の“大魔法使い”の力を知りたいからです。あのヘルハウンドを倒したと聞きました。わたしは、強い者に興味があるんです」

「何で?」

「強い人と戦えば、自分も強くなれるからです……わたしはもっと強くなりたいのです」

「強くなってどうするの?」

「強くなれば、もっと多くの天使を倒せるようになります。そして、いつかは七大天使を倒します!」

「悪いけど、疲れてるから帰らせてもらうね。じゃ……」

桜はあっさりそう言って、踵を返した。

「あっ、はい。では、また……」

ガウェインはつい流され、桜を見送りかけたが、すぐにはっと気づき、叫んだ。

「じゃなくて! ちょっと待ったー!」

 桜はそれを無視して歩みを進めていたが、突然、空から新たな人形が降り立ち、彼女の行く手を遮った。その衝撃で、コンクリートの地面に蜘蛛の巣のようなひびが走った。

ガウェインと同じく騎士の姿だが、衣装や剣のデザインは少し異なっていた。

 新たな騎士人形はすでに剣を抜き、身構えていた。

「逃がさねぇよ」と鋭い声で言い、その瞳には燃え上がる闘志が宿っていた。

「モードレッド! いいタイミングです。そのまま逃さないでください!」とガウェインは感心したように言った。

「ちんたらしてんじゃねぇよ、ガウェイン!」とモードレッドは返した。

「ごめんなさい。いきなり襲いかかるのは騎士道に反するので……」

「たしかにそうだが、それでも時間をかけ過ぎだ!」

「面目ありません」

「……もういいのか?」

「もう少し待ってください」

「チッ、まだかよ! 早くしろ! もう待ちくたびれた!」

「わかりました――」

 ガウェインは真面目な性格で、モードレッドは血気盛んで短気だった。

 桜は二人のやりとりをじっと見つめ、静かに見守っていた。

「――では改めて、行きます!」

ガウェインは剣を抜き、桜に突撃した。同時にモードレッドも「騎士、モードレッド! 出る!」と叫び、地面を強く蹴った。

(あれ? まだ話す流れじゃないの?)

桜は心の中でそう思ったが、考えている暇はなかった。咄嗟に手のひらを広げて杖を召喚し、「まくろんは離れてて」と冷静に告げた。

まくろんはすぐに応じ、桜の背後にある物陰に身を隠し、顔半分だけ出して覗いた。

ガウェインとモードレッドは剣を振り上げ、左右から同時に桜へ斬りかかった。

桜は素早く防御魔法を展開し、斬撃を受け流す。

モードレッドは大振りの斬撃、ガウェインは鋭い刺突――異なる軌道の攻撃が桜に同時に迫る。それぞれの剣が別の角度から同時に迫る中、桜は局所的な防御魔法を使い、魔力の消費を最小限に抑えていた。

しばらく防御と回避に専念していると、モードレッドが苛立ちを滲ませた声で言った。

「反撃してこねぇのか?」

「わたしは、戦う気ないからね」と桜は静かに答えた。

「怪我するぞ!」

「大丈夫だよ」

 桜は表情一つ変えずに、淡々と二人の攻撃をいなし続けた。

 二人は一斉に後方へ跳び、一度距離を取った。

「チッ、余裕ぶりやがって!」モードレッドは言った。

一方、ガウェインは落ち着いていた。

「さすが“大魔法使い”ですね。噂通りの実力です」

「わかったなら、もう十分でしょ? これで終わりにしてくれないかな?」と桜は穏やかに提案した。

「やめるわけねぇだろ! こんな強ぇやつと戦えるなんて滅多にねぇんだ。最後までやる!」とモードレッドは言い放った。

「もう少し付き合っていただきます」ガウェインもやる気だった。

桜は目を伏せ、「はぁ、わかったよ……」とため息をついた。ゆっくり顔を上げると、鋭い目つきで二人を見据えた。

二人は素早く剣を構えた。

次の瞬間、桜は一瞬で二人の背後に回り込み、杖を横一閃。

二人は反射的に振り返り、剣で受けたが、衝撃で後ろに吹き飛び、コンクリート壁に激突してめり込んだ。

桜は間髪入れずに、光魔法『アポロン』を放った。

無数の光球が一直線に飛び、二人を容赦なく追い詰めた。

二人はめり込んだ壁から力ずくで抜け出し、アポロンに当たる寸前で上に跳んで回避した。だが、二人の頭上には、すでに桜が仕掛けた小さな鉄の檻が扉を開けて待ち構えていた。そのまま檻の中に飛び込んだ瞬間、扉が「ガチャン!」と閉まり、金色の錠がかかった。

「しまった!」とガウェインは声を上げた。

「チッ……!」とモードレッドは舌打ちした。

鉄の檻は二人を完全に閉じ込め、ゆっくりと地面へ落ちた。

二人は檻の中から剣を振りかざし、破壊しようとしたが、傷一つつかなかった。そう簡単に壊すことのできない硬度だ。

ガウェインは早々に檻を破壊するのを諦めたが、モードレッドは「クソッ!」と叫び、執拗に斬撃を繰り返した。

「もう襲ってこないって約束するなら、出してあげるよ」

桜は檻の中の二人を見下ろしながら、提案した。

「まだだ! まだ終わってねえ!」とモードレッドは返し、必死に鉄の檻を破壊しようと、斬撃を放ち続けた。

 その間、ガウェインは遥か彼方をじっと見据え、目だけで静かに合図を送った。その瞬間――檻の金色の錠が光の矢に射抜かれ、粉々に砕け散った。同時に、桜の後頭部を狙った一撃も迫っていた。

桜は瞬時に身をひねって光の矢をかわし、そのまま滑るように物陰へ飛び込んだ。そこから光の矢が飛んできた方を見つめると、約三キロ先のビルの屋上に、彼女たちの仲間が潜んでいるのを桜は見抜いた。姿は見えなかったが、微かな魔力の気配を確かに感じた。

その隙に、二人が鉄の檻から解放された。鉄の檻は役割を終え、静かに消え去った。

「もう一人仲間がいたんだね」と桜は冷静に呟いた。

「はい、射撃の名手トリスタンです。わたしたち二人では歯が立たないと判断し、急遽参戦してもらいました」とガウェインは丁寧に答えた。

「卑怯なんて言うなよ。それだけお前の実力を認めてんだからな」とモードレットは素直に言った。

「卑怯とは思ってないよ……でも、少し厄介だなって……」と桜は冷静に答えた。

その言葉にモードレッドが反応し、眉間にしわを寄せ、地面を蹴って突撃した。すぐさまガウェインも後に続いた。

再び二人の鋭い斬撃が飛び交い、それに加えてトリスタンの光の矢が、次々と桜に襲いかかった。

光の矢は驚異的な精度で桜のわずかな隙を狙い、魔力をまとって強烈な威圧感を放っていた。

連携した三人の攻撃は、桜に休む暇を与えなかった。

 桜は目の前の二人の斬撃を防御魔法で受け流しながら、飛んでくる矢の方角を確認していた。

どうやら、トリスタンは一矢放つごとに場所を移動していた。

桜はその正確な位置を掴みきれずにいたため、トリスタンの先の行動を予測した。視線を巡らせ、狙撃に最適な場所を冷静に分析すると、いくつかの候補を割り出した。それらを手当たり次第に攻撃しても当たらないだろうし、一度外すと警戒されてしまう。できれば、一発で仕留めたい、と桜は考えた。それに、建物を壊すとあとで怒られる。

桜は、トリスタンを罠にはめるべく密かに誘導作戦に切り替えた。

二人の斬撃をいなしながら、少しずつ移動し、背後のビルから見て死角ができる位置にわざと立った。トリスタンに悟られないよう、自然な振る舞いで。

 桜の誘導は成功し、背後のビルから微かに魔力の揺らぎを感じ取った。トリスタンが矢を放つ瞬間の魔力だった。

桜はその瞬間を逃さず、杖を力強く薙ぎ払った。目の前の二人が後ろに跳んで距離を取った一瞬の間に、サッと振り返る。魔力を感じたビルに向けて、光の拘束魔法『グレイプニール』を放った。

「フェイル――」

トリスタンが呟きかけたその瞬間、目の前に光の輪が迫りくるのを見た。気づいたときには、すでに避ける暇がなく、トリスタンは瞬く間に拘束され、身動きが取れなくなった。

「なっ……!? くそっ!」トリスタンは一瞬の出来事に戸惑いを隠せなかった。

「トリスタン!」とガウェインは声を上げ、彼女を助けに行こうとしていたが、そこに桜が立ち塞がった。

「心配するな、ただの拘束だ。怪我はしてねぇ」とモードレッドは冷静に声をかけた。

それでも心配そうなガウェインは「トリスタン! 大丈夫ですか?」と叫び、確認を取った。

「……だいじょーぶ……」と、途切れがちにトリスタンの声が返ってきた。

 ガウェインはその声に安堵し、胸を撫でおろした。

「今は目の前の敵に集中しろ!」

モードレッドが声をかけると、ガウェインの目つきが鋭くなり、桜を見据えた。

 二人は剣を構え、全身に警戒心をまとわせながら、次の一手を慎重に見極めていた。

しばしの静寂が訪れ、緊張した空気が辺り一帯を包み込んだ。剣が奏でる微かな金属音と、遠くで聞こえる風の音だけが響く中、二人の騎士と桜は一瞬の隙を伺っていた。

 その最中、桜は背後に迫る新たな気配を感じ取り、素早く振り返った。同時にギリギリのタイミングで防御魔法を展開し、新たな獣の人形が繰り出した強烈なパンチを受け止めた。

魔法と拳が激突し、バチバチと火花を散らして、両者は衝撃で弾き飛ばされた。

桜は軽やかに着地し、相手も上手く受け身を取って華麗に着地した。

新たな人形は、獅子の人形に堂々と跨った騎士だった。さきほどのパンチは、獅子の強靭な前足によるものだった。

「SHIT! あと少しだったのに!」と騎士が叫ぶと、獅子が「ガウ!」と鳴いた。

「ユーウェイン! あなたにはまだ待機命令が出ていたはず……」とガウェインは言った。

「もう待てないよ! ローディーヌが戦いに飢えてウズウズしてるんだから!」とユーウェインが答えると、獅子も「ガウ!」と吠えた。

「へっ、一人減ったとこだ。ちょうどよかったじゃねぇか」とモードレッドはすぐに受け入れた。

「……たしかに、そうですね」とガウェインも冷静に頷いた。

「それじゃあ、行くよ! ローディーヌ!」

ユーウェインが声をかけると、ローディーヌは「ガウ!」と応じた。

 ユーウェインとローディーヌ、モードレッド、そしてガウェインが、まるで呼吸を合わせたかのように突撃を開始した。

 モードレッドとガウェインは斬撃を放ち、ユーウェインはローディーヌを巧みに操り、獅子の圧倒的な力を活かしたパンチや鋭いひっかき攻撃を繰り出した。

ユーウェインとローディーヌは、跳ねるような素早い動きで桜を翻弄した。桜が放つ光の拘束魔法『グレイプニール』を、高速で跳び回りながら避ける。

ローディーヌは地面に足が触れたその瞬間、身体の向きに関係なく、あらゆる方向へ跳躍できる。まるで生き物のような獣の本能で、予測不能な動きを繰り出していた。

 桜は身体を絶え間なく動かし、視線を鋭く巡らせながら、三人と一匹の連携攻撃を最小限の防御魔法でいなしていた。

防御魔法は攻撃の軌道を最小限に逸らすよう緻密に調整され、桜の動きは一切無駄がなかった。さらに、わずかな隙を見つけては、拘束魔法『グレイプニール』を放ち、相手を捕らえようとするものの、三人と一匹の連携は予想以上に緻密で、拘束の隙を与えなかった。

相手の攻撃を防御魔法でいなしていると、衝撃が周りに伝わり、コンクリートの地面にひびが入った。次第に桜の足元は、デコボコになり始めていた。

 桜が左足を下ろした刹那、ひび割れた地面の段差に足を取られ、わずかに体勢を崩した。

 モードレッドたちはその一瞬の隙を逃さず、三方向から一斉に攻撃を繰り出した。

 二振りの剣と獅子の強烈なパンチが桜を捉えようと迫る。

桜は咄嗟に、疾風のごとき風魔法『ゼピュロス』を放ち、間一髪で窮地を脱した。桜を中心に突風が渦巻き、モードレッドたちを力強く吹き飛ばした。

 三人と一匹は空中で姿勢を立て直し、まるで訓練された一団のように同時に着地して、すぐさま構えを取った。そしてなぜか、全員が不敵な笑みを浮かべた。

 桜はその笑みに違和感を覚え、緊張をさらに高めた。その刹那、視界の外から新たな人形の鋭い斬撃が首筋に迫ってきた。どうやら、相手の罠に完全にはまってしまったようだった。

桜が異変に気づいたのは、斬撃がうなじに迫る、まさにその瞬間だった。



読んでいただき、ありがとうございます。

次回もお楽しみに。

感想お待ちしております。

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