柴乃の秘密⑤
一時はドライとの小競り合いがあったものの、柴乃は新たに加わったドレたちと巧みに連携し、ルシファーを確実に追い詰めていた。だが、あと一歩のところで仕留められない状態がしばらく続いた。
柴乃たちの猛攻が続く中、ルシファーも徐々に反撃を始めた。その反撃には、不自然な点が見られた。
ルシファーは、上空にいる柴乃たちを見据え、黒いエネルギー弾を放った。だが、その照準は明らかにズレており、回避は容易だった。放たれた黒いエネルギー弾は、誰にも当たらず、はるか上空で無意味に爆発した。その異様な光景は、まるで“何か”を呼び覚まそうとしているかのようだった。
柴乃はこの違和感に気づいたが、ルシファーの意図が読み取れず、そのまま躱し続けた。
激しい攻防が続く中、ルシファーがついに新たな行動に出た。突如、ルシファーの周囲に強烈な光を放つ球状のバリアが展開され、空気が一変した。ルシファーはバリアの中で胡坐をかき、両手の拳をゆっくり突き合わせた。まるで静寂そのものに身を沈めるかのように。
全員が警戒した様子で見つめる中、「あいつ、何してんだ……?」とドライが声に出した。
「わからない……けど、嫌な予感がする」とオーロラが答えた。
「何か、大きな技を放つための儀式をしているのかもしれませんわね」とドレが冷静に言った。
「チッ……そんなこと、させるわけねぇだろ!」
ドライが吐き捨てると、迷わずルシファーへと突撃した。すぐあとに、イリス、アインス、ツヴァイ、オーロラも続いた。
柴乃、ドレ、フィーア、フュンフも遠距離から攻撃を繰り出した。
休む間もなく攻撃を続けていると、バリアに小さなひびが入った。その瞬間、ルシファーが微かに反応を示したが、体勢を変えなかった。
やがて、バリアのひびが全体に広がり、ついに柴乃の光弾を受けると、音を立てながら砕け散った。その瞬間、イリスが即座に突撃したが、ルシファーは突然、両手を空高く掲げた。
イリスは警戒し、思わず急停止した。
柴乃たちも大技が放たれる思い、身構えたが、ただ静寂が流れるだけだった。
しばしの間、ルシファーは両手を空に掲げた姿勢を保っていた。降参しているようには見えなかった。
柴乃は仲間と視線を交わし、頷き合った。不用意に接近するのは危険だと判断し、中距離から柴乃とドレの合体技、そして、フィーアとフュンフの合体技を二方向から同時に繰り出した。
合体技がルシファーに迫った――その刹那、暗雲を裂いて巨大な影が凄まじい速度で急降下してきた。影が轟音とともに地面に叩きつけられ、柴乃たちの目の前に立ちはだかった。
大地が悲鳴を上げるように激しく揺れ、崩れかけていた建物はついに耐えきれずに崩壊した。
合体技はその巨大な影に命中し、爆発音とともに激しい衝撃波が一帯に広がった。
柴乃たちは激しい風圧に押されながらも、その場で踏みとどまった。
土煙の向こうに浮かび上がる“影”を前に、誰もが息をのんだ。
地響きとともに姿を現したのは、岩のように硬い甲羅を持つ『ゴメラ』と、三日月型の頭部が不気味に輝く『ガモラ』。その圧倒的な存在感が、周囲の空気を一瞬にして張り詰めさせた。
「あいつ、仲間を呼んでいたのか!」とツヴァイが言った。
「また厄介な怪獣を呼びやがったな!」とオーロラが言った。
「みなさん、注意してください。この二体も最高位の怪獣です」とドレがすかさず警告した。
「問題ねぇ、弱点はわかってんだ。さっさと片付けるぞ!」とドライが威勢よく言った。
(たしかに、ドライの言う通りだ)と柴乃は思った。
たとえ最高位の怪獣であっても、核が弱点である以上、少しばかり手間が増えた程度に過ぎない。だが、何か別の理由があるかもしれない、と柴乃は疑念を抱いた。
ゴメラとガモラが一歩前に踏み出すと、柴乃たちは即座に身構えた。その瞬間、背後のルシファーが踵を返し、どこかへ向かおうとしている姿を、柴乃、イリス、ドライは気づいた。
三人は瞬時にルシファーの動きを察知し、反射的に飛び出した。風を切るように怪獣たちの間を駆け抜け、ルシファーを追撃した。
二体の怪獣は、通過する三人を気にも留めず、前進した。ドレもやや遅れて怪獣の間をすり抜けようとしたが、ゴメラの巨体に遮られた。
柴乃は背後でドレが阻まれたのを見て、ルシファーの意図に気づいた。ルシファーの動きには、明確な意図があった――分断だ。九対一ではさすがに分が悪いと悟り、戦力を分散させようと仕組んでいるようだった。
ルシファーは逃げながらも、時折振り返り、逐一状況を確認していた。
一方、ゴメラとガモラも、それぞれ三対一の状況を作り出すように動いていた。
柴乃、イリス、ドライはルシファーと、ドレ、オーロラ、ツヴァイはゴメラと、アインス、フィーア、フュンフはガモラと、それぞれ対峙した。
柴乃たちはルシファーの作戦にはまったものの、さほど気にしていなかった。ドレたちの実力を思えば、あの程度の怪獣など時間の問題だ――柴乃はそう信じていた。ドレたちも、二体の怪獣を速やかに討伐するため、すぐに行動を開始した。
柴乃も遅れを取らないよう、全力でルシファーを追いかけた。
ルシファーは超スピードで街中を縫うように飛び回っていた。まるで何かを探しているように。
柴乃は嫌な予感を胸に抱きながらも杖を構え、一切の迷いなく無数の光弾を放った。だが、ルシファーの軽い身のこなしにより、すべて躱された。
遠距離攻撃がことごとく外れると、イライラした様子のドライが「チッ、下手くそ」と小さく吐き捨てた。
柴乃は一瞬イラっとし、ドライを一瞥したが、深呼吸して落ち着きを取り戻すと、再びルシファーを見据え、光弾を放った。だが、それも簡単に避けられた。
ドライが苛立ち混じりの声で言った。
「お前、おれには散々当てるくせに、何であいつには一発も当たらねぇんだよ!」
「うるさい! 横から口を出すな!」と柴乃が苛立ちを隠さず言い返した。
「チッ……おれに遠距離技さえあれば、こんなことには……」
ドライが拳を握りしめ、唇を噛んだ。
「フッ……汝じゃ、魔法すらまともに扱えぬであろうな……」
「んだと!?」
「二人とも、今はそんなことを言っている場合ではありません!」
イリスが冷静に注意すると、柴乃とドライは口を噤み、三人はルシファーを見据えた。
「チッ……あいつ、逃げてばかりで、戦う気ねぇのか!」とドライが言った。
「あいつは逃げているわけではない……おそらく、何かを探してる」と柴乃は返した。
「一体何を探してんだ?」
「わからない……だが、それを見つける前に、倒した方が良さそうだ。そうだろ? イリス」
「はい」とイリスも頷いた。
「チッ……」ドライは舌打ちした。
柴乃の胸中には、得体の知れない冷たい汗がじわりと滲んでいた。
これはただのゲームだ。たとえゲームオーバーになったとしても、データが消えるだけ――そのはずなのに……この不安は何だ……? 胸を締め付ける、この感覚は……?
柴乃は胸にそっと手を当て、ざわめきを抑え込もうとした。
やがて、柴乃たちは街外れの山岳地帯に足を踏み入れた。岩だらけの荒涼とした景色が広がり、冷たい風が肌を刺すように吹き抜ける。ルシファーの足取りは変わらないが、その姿にはどこか緊張感が漂っているように見えた。
ルシファーは依然として柴乃たちに見向きもせず、前進を続けた。だが次の瞬間、突然、ルシファーの動きがぴたりと止まった。
その背中から漂う異様な空気に、柴乃たちは瞬時に足を止め、それぞれ構えた。
ルシファーは無言のまま周囲を見渡し、その動きはまるで“何か”を探知しようとしているかのようだった。
「ようやく逃げるのを止めたか……」とドライが呟いた。
ルシファーは柴乃たちを無視するかのように周囲に視線を走らせ、やがて一点に固定した。視線の先には、小さな黒い影が佇んでいた。それを確認するや否や、ルシファーは一直線にその方向へと突き進んだ。
柴乃たちも慌てて後を追った。
「チッ、またかよ!」とドライが苛立ち声で言った。
あれが……ルシファーの探していた“何か”なのか!
柴乃はその影がルシファーの目的であると確信した。同時にルシファーの無防備な背中を見て、これが最大の好機であると直感した。だが、黒い影の正体が何なのか気にかかる。その迷いを振り払い、柴乃は決断した――今は撃つしかない、と。
ルシファーが避けられないほどの広範囲かつ強力な魔法を放つため、柴乃は魔力を練り始めた。
必要な魔力が溜まると、柴乃は鋭くルシファーを見据え、杖を構えた。ルシファーとその影が直線状に並んだ瞬間、柴乃は叫んだ。
「ルミエール・デスポワール!」
杖の先端から、これまでにない強大な光のビームが放たれ、ルシファーに迫った。通常の十倍の魔力を込めたその光は、空気を震わせ、大気を切り裂きながら一直線に突き進んでいった。あわよくば、ルシファーとその影を同時に撃破できると柴乃は考えていた。だが、そう簡単にはいくはずもなかった。
ルシファーの背後に光が迫ったその瞬間、彼は突然振り返り、同程度の黒いビームを放った。まるで柴乃の思考を読んでいるかのような行動だった。
二つのビームが激突し、爆音とともに目も眩むような閃光が辺りを包んだ。光と闇のエネルギーがせめぎ合い、空気が歪み、衝突点から発生した衝撃波が周囲の山々を揺るがした。散り散りになったエネルギーの破片が周囲に降り注ぎ、着弾した岩場を次々と爆破していった。
爆煙が濃く立ち込め、ルシファーの姿は完全に霞んで見えなくなった。
イリスがすぐさま剣圧で煙を薙ぎ払うと、その奥から異形の二つの影が浮かび上がった。骸骨のような顔をした冷徹なルシファーと、進化前のヤギ頭のルシファーが、無言で並び立っていた。圧倒的な威圧感を放っていた。
「なっ!? あいつ、いつの間にコピー体を作ってたのか!?」とドライが驚いた。
ヤギ頭のルシファーが、骸骨顔のルシファーに手のひらサイズの四角い機器を手渡す。すると次の瞬間、二体は黒い煙に包まれ、一つの影へと融合した。
合体後、外見に変化は見られなかったが、ルシファーの目には不気味な赤い光が宿り、怪しい笑みを浮かべていた。ルシファーの手には、さきほど受け取った機器が握られていた。
ルシファーは不敵な笑みを浮かべながら、左手の親指と人差し指で機器をつまみ上げた。柴乃たちに見せつけるようにわざとゆっくりと動かし、そのディスプレイに刻まれた赤い数字が冷たく輝いているのを印象付けた。急速にカウントダウンが進んでいた。
ルシファーは右手で装置をゆっくりと覆い、不気味に笑った。一瞬の間を置いて手を離すと、装置はまるで幻だったかのように消え失せた。周囲に静寂が訪れたその一瞬が、かえって不気味さを増幅させた。
柴乃たちは突然マジックを見せられたように、ぽかんと呆気にとられていた。沈黙が場を支配する中、ルシファーの口元が不気味に歪む。
「あいつ、何をしてんだ?」とドライが呟いた。
「さ、さあ……?」と柴乃は返した。
誰もがそう思う中、イリスだけ反応が違った。イリスの顔は血の気を失い、目は驚愕に見開かれていた。額に浮かんだ冷や汗が、首筋を伝って滴り落ちる。その口元はわずかに震え、言葉を紡ぐのに苦しんでいる様子だった。
「どうした、イリス?」と柴乃は心配して尋ねた。
「……ヴィオレ様……落ち着いて、聞いてください」イリスは声を震わせた。
「あ、あぁ……」柴乃も息をのんだ。
「今……色神に向けて……核ミサイルが、発射されました……」
「は……?」柴乃は思わず目を見開き、「なっ!?」とドライも声を上げた。
「着弾まで、残り十分しかありません!」とイリスは切迫した声で告げた。
「……ちょ、ちょっと待て、イリス。さっきから何を言ってる? 核ミサイルが……色神に?」
柴乃の思考は追いつかず、脳が現実を拒絶しているかのようだった。
「ルシファーの仕業です。さっきの装置が、ミサイルの起爆スイッチだったんです」とイリスは言い添えた。
その様子から、イリスが冗談で言っているのではない、と柴乃はすぐに悟った。
「それって……本当、なのか……?」柴乃が静かに尋ねると、イリスは黙って頷いた。
そのとき、ドライは空を蹴り、風を切る勢いでルシファーに迫った。拳を鋭く突き出すが、ルシファーはわずかな動きでその一撃を軽々と受け止めた。ドライがすかさず二撃目を放つが、それも躱される。その後も次々とパンチやキックを繰り出すが、ルシファーにすべていなされ、再び距離を取られた。
「チッ……あいつ、さっきよりも動きが鋭くなってやがる!」とドライが言った。
「ド、ドライ……」ドライを見つめる柴乃の目には、不安の色が浮かんでいた。
「おい、お前ら! 時間がねぇんだ。突っ立ってる暇なんてねぇぞ!」とドライは言い放った。
柴乃の頭の中は混乱と焦りでかき乱され、心臓は早鐘のように激しく脈打っていた。考えをまとめる余裕すらなく、身体は硬直して動かなかった。
「――考え込んでる暇なんてねぇ! やることは変わらねぇだろ! あいつを倒してタイマーを奪うか、ぶっ壊すだけだ! 何を迷ってんだ!」
ドライは檄を飛ばすと、迷いなくルシファーに突撃した。
彼の言葉と行動を見て、柴乃はハッと我に返り、深呼吸をした。落ち着きを取り戻すと、思考を整理でき、覚悟を決めた顔でしっかり前を見据えた。視界の先で、ドライとルシファーが激しい戦いを繰り広げていた。
ドライが鋭く踏み込み、拳を突き出す。しかしルシファーは風のような動きで身を翻し、ドライの拳は虚空を切り裂いた。
ルシファーはすぐに体勢を起こすと、ドライの顎に鋭い拳を繰り出した。
息をのむような刹那、ドライは反射的に身を反らし、その一撃を躱した。
激しい攻防を繰り広げる二人のもとへ、柴乃の放った無数の光弾が迫っていた。
ルシファーは難なくすべての光弾を回避した。だが、光弾の一発が、ドライの背中に炸裂した。
「ぐっ……てめぇ!」
ドライは短く呻き、振り返って柴乃を睨みつけながら、「またやりやがったな!」と叫んだ。
柴乃はドライの隣にテレポートして並んだ。
「クックック、汝の言う通りだ。我としたことが、危うく取り乱すところだった」と柴乃はいつも通りの口調で言った。
「いや、取り乱してただろ。つか、そんなことより、てめぇ、いい加減に――」
「ありがとう、助かった」
柴乃はドライの言葉を遮り、真剣な眼差しを向けた。その瞳には、迷いを吹っ切った力強い輝きが宿っていた。
「……フン、怖いなら無理しなくていいぜ。あいつは、おれが一人でぶっ飛ばしてやるよ!」とドライは強気に言い放った。
「怖いわけがなかろう……!」と柴乃は言い返し、ルシファーを見据えて続けた。
「――我は、友との約束を守るため、絶対にヤツを倒す!」
その姿を横目で見たドライは、口元を緩めた。
柴乃はからかうように肩をすくめながら言った。
「それに、汝一人では無理だ。整理整頓もまともにできぬ者が、一人であいつに勝てるわけがなかろう」
「んだと、てめぇ……!」
そのとき、イリスが力強い足取りで二人に駆け寄った。先ほどの焦りは消え、燃えるような闘志がその瞳に宿っていた。
「イリス、いよいよ最終決戦だ! まだやれるな?」と柴乃は掻き立てた。
「もちろんです」とイリスは即答した。
その言葉に、柴乃は笑みを浮かべた。ルシファーを見据え、力強く言った。
「さっさとあいつを倒すぞ!」
イリスは無言で頷き、ドライは「お前に言われなくても、そのつもりだ!」と言い返した。
三人はルシファーを見据え、それぞれ構えた。
核ミサイル着弾まで、残り8分42秒――赤く光るカウントダウンは、世界の終わりを告げるかのように冷たく進み続けていた。
「作戦を考える暇はねぇ。おれの動きに合わせろ!」とドライが言った。
「なっ!? 汝が我に合わせ――」
柴乃が返す前にドライは空を蹴り、ルシファーに突撃した。
「クッ、勝手に決めおって……イリス! 我らも行くぞ!」
柴乃の言葉に、「了解です」とイリスは即答し、ルシファーに突撃した。
イリス、ドライ、ルシファーの三人は、目にも留まらぬ速さで衝突し、その度に空間が歪むほどの衝撃波が広がった。金属が衝突するような重低音が鳴り響き、風圧で山の木々が根こそぎ吹き飛んだ。
イリスの剣がルシファーの拳を受け止め、二人の間に激しい火花が散った。イリスは力強く剣を振り抜き、ルシファーを後方へ吹き飛ばす。その軌道を読んでいたドライが待ち構え、鋭い拳を放ち、さらなる衝撃を加えた。
ルシファーはまたしても吹き飛び、山に激突した。その衝撃で山に大きな窪みができた。そこへ、柴乃が間髪入れずに超特大隕石を召喚して放った。
灼熱に燃える隕石は、空を切り裂く轟音とともに炎の尾を引きながら、凄まじい勢いで山に迫った。隙のないコンビネーションだった。
ルシファーは冷笑を浮かべ、右手に漆黒のオーラを纏わせた。そして、一閃。鋭い黒刃が隕石を切り裂き、真っ二つに割れた隕石の破片が凄まじい勢いで辺りへと飛び散った。
隕石が砕け散ると、ルシファーは影のような動きで裂け目をすり抜け、素早くその場から脱出した。そしてそのまま真っ直ぐ柴乃に向かって飛んだ。
迫りくるルシファーの殺気に、柴乃の全身に冷たい汗が滲む。焦る心を必死に抑えながら光弾を放つも、それらは無情にも躱された。急激に高鳴る鼓動が胸を叩き、柴乃の不安を増幅させた。
柴乃は咄嗟にテレポートで距離を取るが、目の前に漆黒のビームが迫っていた。間一髪で再びテレポートするも、視界からルシファーを見失った。
背後にルシファーがいると直感した柴乃は、素早く振り返ると同時に光弾を放った。だが、ルシファーはまるで柴乃の一手を見透かしているかのように、わずかな動きで光弾を回避した。
柴乃の放った光弾は、無情にも空に向かって飛んでいき、星屑のように消え去った。
柴乃はルシファーが体勢を立て直す隙を突き、即座にテレポートで距離を取った。しかし、移動先でルシファーの姿を再び見失ってしまう。
ルシファーは無音の闇そのもののように柴乃の背後へと忍び寄り、彼女の動きを完璧に捉えた。冷徹な笑みを浮かべたその指先から、躊躇うことなく漆黒のビームが放たれた。それは確実に柴乃を仕留めるための一撃だった。
直後、激しい爆発音が辺り一帯に鳴り響いた。その音の正体は、ビームが山に着弾して起こったものだった。
ルシファーの動きが一瞬止まる。胸に手を当てたその指先には、赤黒い血が滲んでいた。その血が滴り落ちるのを見つめながら、ルシファーの目に鋭い光が宿った。胸にぽっかりと空いた傷口を確認した瞬間、理性を失ったように顔が怒りに歪んだ。次の瞬間、獣じみた咆哮が空気を震わせた。
一方、柴乃はルシファーの前でしゃがみ込み、自信に満ちた笑みを浮かべていた。密かに実行していた作戦が成功したからだ。すぐにテレポートで距離を取ると、振り返り、勝ち誇ったように言い放った。
「我を出し抜けると思うなよ!」
柴乃が一つ前に放った光弾は追尾式だった。テレポートした瞬間、ルシファーが背後を取ると柴乃は先読みし、光弾の軌道が死角に隠れるようにテレポート位置を選んでいた。
柴乃の読み通り、ルシファーが背後を取ると、追尾式光弾が空中で急激に軌道を変えた。その軌跡はまるで獲物を逃がさない猛禽のように、死角からルシファーの背後を捉えた。鋭い光が彼の胸を貫き、漆黒の血が空中に飛び散ったのだった。
柴乃は追尾式光弾が飛んでくる瞬間と、ルシファーが胸を狙ってビームを放つタイミングを考慮した上で、しっかりと見極め、しゃがんで回避していた。わずかにでもしゃがむタイミングが遅ければ、柴乃も一緒に胸を貫かれていた。だが、すべてが上手くいき、柴乃は得意げになっていた。
ルシファーの咆哮が空気を裂く中、柴乃は容赦なく光弾を叩き込んだ。その攻撃でルシファーの四肢が粉々に砕け散った。
間髪入れずに次の光弾を放とうとしたその瞬間、黒いオーラがルシファーの全身を包み込み、異様なほどの速さで再生が始まった。その最中、ルシファーの瞳には燃えるような怒りが宿り、柴乃を睨みつける視線がまるで刃のように鋭かった。
そのとき、無音の闇を裂くようにイリスが現れた。振り上げた剣が光を反射し、彼女の瞳には決意の炎が燃え盛っていた。渾身の力を込めた一閃が、ルシファーの背後を切り裂き、眩い閃光とともに鋭い斬撃が闇を貫いた。
ルシファーの体は頭から股まで、まっすぐに真っ二つに裂けた。断面から溢れ出た黒いオーラは、周囲の空気を腐らせるように揺らめいた。やがて、そのオーラは力を失い、裂けた体は塵のように崩れ始めた。最後には風に乗って跡形もなく消え去り、死を告げる静寂が広がった。
「やったな、イリス!」柴乃は親指を立てた。
「はい」とイリスは静かに返した。
二人はルシファーを時間内に倒したと思い、安堵の表情浮かべた。そこへ、ドライが駆け寄った。
「チッ、おれがとどめを刺すつもりだったのによ」とドライは不満げに呟いた。
「クックック、汝がいたおかげで倒すことができた。感謝する」と柴乃は感謝を伝えた。
「べ、別に……お前に感謝されても、ちっとも嬉しくねぇからな!」
ドライは恥ずかしそうに顔を背けたが、その表情には笑みが浮かんでいた。だが、すぐにハッと思い出したかのように表情を戻して口を開いた。
「それより、タイマーはどうなった? 一緒に消滅したのか?」
「そういえば……イリス、起爆タイマーはどこに――」
柴乃がイリスに視線を向けると、彼女は目を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべていた。
「核ミサイルの……カウントダウンが……止まらない!」とイリスは声を震わせた。
「はっ!?」と柴乃は驚きの声を上げた。
「なっ!? どういうことだ!? あいつを倒せばいいんじゃねぇのか!?」とドライも声を荒げた。
「倒せば止まるはずです。でも、止まらないということは……」
イリスは言葉を切り、視線を斜め下に向けた。その先は、柴乃の放った隕石が作り出したクレーターだった。
三人が目を凝らして見つめると、クレーターの中心が一瞬ピカッと光った。同時に、そこから黒いビームが放たれた。黒いビームは柴乃に向かって真っすぐに空を裂きながら迫った。
柴乃は一瞬反応が遅れ、思わず身を引いた。
「柴乃ちゃん!」
イリスは反射的に体が動いていた。柴乃を強引に突き飛ばした直後、黒いビームがイリスを直撃した。衝撃が辺りに響き渡り、イリスの半身が無惨にも吹き飛んだ。空気が凍りついたように静まり返った。
柴乃はその光景を目にし、一瞬思考が停止した。イリスの手を掴もうと伸ばすが、届かなかった。
イリスは崩れゆく体を支えるように残った片腕を伸ばし、笑顔を浮かべた。
「ヴィオレ様……わたしは信じています……あなたなら……必ず……」
その声は途切れ、イリスの体は儚く光へと変わった。最後に浮かんだ笑顔は、まるで安心したかのようにやさしかった。そして、光は細かな粒子となり、静かに空の彼方へと散っていった。
ルシファーは山の斜面からゆっくりと浮上し、柴乃を見据えた。
柴乃は拳を固く握り、悔しさを滲ませた目でルシファーを睨みつけた。
ドライは音もなく一瞬でルシファーの背後に回り込み、渾身の蹴りをその顔面へと叩き込もうとした。だが、ルシファーはその動きすら見抜いていたかのように、軽々と屈んで回避した。流れるようにドライの足を掴むと、勢いよく地面へと叩きつけた。
「くっ!」
ドライは空中で体勢を立て直し、激しく地面に着地した。その衝撃で地面がひび割れ、大地も揺れた。ドライはその場で踏ん張ると、地面を蹴り、すぐにルシファーに向かって突撃した。その瞳には焦りと怒りが混じっていた。
ドライに目をくれず、ルシファーは柴乃を見据えていた。ルシファーが静かに指を鳴らすと、柴乃の足元から突然黒いオーラが溢れ出し、瞬く間に彼女を包み込んだ。オーラが渦を巻くように高速回転し、漆黒の球体を形成した。
柴乃は口に手を当て、息を止めた。オーラの壁を突破しようと手を伸ばし、魔力を込めた光弾を放つが、すべて虚しく掻き消されていった。圧倒的な風圧が全身を押し潰し、体の自由を完全に奪っていた。テレポートで逃れようとするが、いつの間にか魔法が発動しなくなっていた。黒い霧のようなオーラが、柴乃の魔法を封じていた。
焦燥と恐怖が柴乃の表情に滲む中、オーラはさらに収束していった。やがて、柴乃は闇に飲み込まれ、真っ暗な牢獄の中に閉じ込められた。
一方、ルシファーもまた、自らを黒いオーラで包み込んだ。ドライは咄嗟に柴乃の救助に向かったが、間に合わなかった。
二人を包み込んだ漆黒の球体は、突如、エリアから消え去った。
「なに!?」
一人取り残されたドライは周囲を見渡し、必死に二人を探したが、見つけられなかった。
「おい! どこにいった!?」
ドライの叫びは虚しく反響し、誰の声も届かない。焦りと苛立ちで拳を握りしめるドライの背後から、急ぎ足で駆け寄る音が聞こえた。
「ドライさん!」
ボス怪獣を倒したドレたちが駆けつけ、険しい表情で周囲を見渡した。
「ヴィオレ様と、ルシファーはどこですか!?」とドレが問い詰めた。
「わかんねぇ。突然消えちまった!」とドライは答えた。
「二人とも、このエリアにはいないみたいだ……」とオーロラが冷静に呟いた。
そのとき、とあるライブ映像が全世界に向けて映し出された。
核ミサイル着弾まで――残り、5分23秒。
柴乃は暗闇の中、拳で何度も漆黒の球体を叩いたが、素手では壊せないとすぐに悟った。球体の内部で、息苦しさを感じながら拳を叩き続けていた柴乃は、突然、内側から黒い膜が微かに波打つのを感じた。
(今だ……!)
心の中で叫び、即座に杖を取り出すと、全力で光の魔法を放った。
光の奔流が球体を貫き、砕け散る音とともに眩い閃光が空間を染めた。一瞬、柴乃の視界を眩んだが、次第に薄れていった。視界が開くと、柴乃の見つめる先に、ルシファーが不気味に佇んでいた。
ルシファーは、起爆タイマーをわざと柴乃の目の前に掲げ、邪悪な笑みを浮かべた。カウントダウンはすでに5分を切っていた。タイマーをゆっくりと胸元に当てた、次の瞬間――タイマーは彼の体に溶け込むように吸い込まれ、不気味な赤い光が胸の奥で脈動した。同時に、彼の隣にもう一体のルシファーが現れ、冷笑を浮かべて並び立った。どちらが本物か、見分けがつかなかった。
「なっ!?」
柴乃は反射的に杖を構え、二体同時に攻撃を放とうとした。しかし、ふと周囲の異変に気づき、手を止めた。ゆっくりと視線を上げ、目を見開いた。視線の先に広がっていたのは、信じられない光景だった。
球体状の広大な空間の壁一面に、無数のルシファーが密集していた。不気味に微笑みながら壁を這い、その動きが波のように連鎖していた。その数は、ざっと十万……いや、それ以上かもしれなかった。
圧倒的な数を前に、柴乃は言葉を失った。はっと我に返り、タイマーを持っていたルシファーに視線を戻すが、すでに大量のコピー体の中に紛れ込んでいた。
柴乃の胸に湧き上がったのは、絶望感だった。自然と杖を握る手が緩み、下がりかけた。だが、その瞬間、仲間たちの顔が脳裏をよぎった。散っていった仲間の無念、スイの励ましの言葉、そしてイリスが最後に託した笑顔……。柴乃の心に再び熱が灯り、握りしめた杖を持ち直した。
柴乃は杖を構え、正面に光弾を放った。光弾がうごめくルシファーの群れに命中し、爆発を起こした。しかし、その数はまったく減る気配がない。次に別の場所、さらにその次にまた別の場所に光弾を放ち続けた。それでも、ルシファーの数は一向に減らなかった。
「クッ、このままじゃキリがない……!」柴乃は焦燥感に駆られながら、次の一手を考えた。「こうなったら……この空間ごと自爆するしかない……」
だが、そんな隙をルシファーたちが与えるはずがない。それに、自爆魔法を使えば、我の命も……。
柴乃は一瞬、手を止め、深く息を吸った。
「いや、今は迷ってる場合ではない!」
柴乃そう決心した瞬間、突然すべてのルシファーが一斉に動きを止めた。ゆっくりと柴乃に手のひらを向け、一斉に黒いエネルギー弾を放った。
柴乃は四方八方から迫るエネルギー弾を、必死に身を翻して避け続けた。自爆魔法の力を溜める余裕などまったくない。弾の数があまりにも多く、いくつかが体にかすった。すべて避けるのは不可能と判断し、柴乃は最高位のバリアを展開した。
白い球状のバリアが、柴乃を包み込むように守った。だが、それでも長く持ちそうになかった。無数のエネルギー弾を浴びるうち、バリアにはひびが入り始めた。その都度、柴乃は修復するが、すぐにまたひび割れた。やがて、修復が追いつかなくなり、ひびはバリア全体に広がった。
クッ……このまま、何もできずに終わるのか……!?
そう思った瞬間、バリア全体に走る無数のひび割れが、限界を告げる音を奏でた。ガラスが砕け散るような音とともに、バリアが爆発し、消え去った。
柴乃は反射的に目を閉じ、砕けたバリアの破片が虚空に消えていく気配を感じ取った。
無数の黒いエネルギー弾が四方から迫り、柴乃に容赦なく襲いかかった。エネルギー弾が連鎖的に爆発し、轟音が空間を揺るがした。視界は黒煙に包まれ、自分がどこに立っているのかさえわからなくなった。
しばらくして、ルシファーが攻撃を止めた。異様な静寂が辺りを包み込んだ。
核ミサイル着弾まで――残り、2分38秒。
柴乃がゆっくりと目を開くと、真白な光景が広がった。
「ここは……どこだ……?」
柴乃は、見たこともない真っ白な空間に、ぽつんと一人立っていた。通常、ゲームオーバーになれば、ロビーに転移するか、ゲーム選択の画面に戻る。だが、柴乃が今いるのは、そのどちらでもない空間だった。柴乃は少し戸惑いながら周囲を見渡した。一面が白に包まれ、距離感も重力すらも曖昧な空間だった。柴乃は慎重に、一歩を踏み出した。不思議と嫌な気配は一切なく、むしろ心地良さすら感じた。やがて、目の前の白い空が徐々に割れ、暗い光が差し込んだ。次第に外の状況が明らかになると、柴乃は白い光の正体と、自分のいる場所を把握した。
ルシファーたちは、目を丸くして空間の中心部を見据えていた。そこには、手の形をした巨大な白い光が浮かび、何かを包み込んでいた。白い光の手がゆっくりと開かれると、中から柴乃が姿を現した。
その光景を見た瞬間、ルシファーは動揺したようにうごめいた。
柴乃が白い光の手からそっと降りると、胸にしまっていた謎のカプセルが輝きを放ちながら浮き上がった。カプセルは自ら意思を持つかのように、白い光の手へと導かれるようにして渡っていった。白い光の手が、そのカプセルのボタンを押すと、さらに強く輝き、次第に全身が形成されていった。
ライブ映像を見ていたドレやドライ、スイやナブ、さらに世界中のプレイヤーたちは、目を見開いて驚いていた。ついに、伝説の存在――光の巨人が現れた瞬間だった。
「汝が……助けてくれたのか。……ありがとう」柴乃は驚きと感謝を込めて言った。
光の巨人は無言で頷くと、柴乃に手のひらをかざし、光のエネルギーを注いだ。
柴乃は白い光に包まれると、瞬く間に全快し、さらにすべての能力が限界を超えていた。今まで以上の超絶パワーがみなぎり、かつてないほどの激しい白いオーラを放っていた。
その強大なオーラに、ルシファーたちは怯み、焦った様子だった。
「うおぉ……! すごい……! 力が……溢れてくる!」
柴乃は自分の力に興奮した。光の巨人に視線を向け、「ありがとう!」と微笑んだ。
光の巨人は頷き、そして、周囲に目を向けた。
「もしかして、汝も手伝ってくれるのか?」と柴乃は問いかけた。
光の巨人は黙って頷いた。
「そうか……なら、今回だけ特別に、我と組もうではないか!」
柴乃が手を差し出すと、光の巨人は頷き、大きな手をそっと差し出した。
二人の指先がそっと触れた瞬間、ルシファーが一斉に漆黒のエネルギー弾を放った。
無数の黒い弾幕が、光の巨人と柴乃を包囲するように迫り、空間全体が不気味な闇に染まった。
光の巨人は腕を薙ぎ払い、黒いエネルギー弾をすべて弾き飛ばした。エネルギー弾はルシファーを撃ち抜き、次々と塵と化した。
「汝、結構やるではないか!」と柴乃は感心したように声をかけた。
光の巨人は無言で頷いた。表情一つ変えないため、彼がどんな気持ちなのかわからないが、褒められて嬉しそうだった。
「我も、後れを取るわけにはいかんな!」
柴乃が杖を高く掲げると、空間全体に無数の輝く魔法陣が浮かび上がった。
「エトワール・フィラント!」
柴乃の叫びとともに、魔法陣から無数のカラフルな星形エネルギー弾が降り注ぎ、辺りを一瞬にして光の嵐で包み込んだ。カラフルな星形エネルギー弾は、全方向に向かい、次々とルシファーを塵に変えた。
柴乃は光の巨人に視線を向け、誇らしげに言った。
「どうだ、見たか!」
光の巨人は、柴乃と視線を合わせ感心したように頷いた。視線を移し、ルシファーを見据えると、静かに手を十字に組んだ。組んだ十字の手に強力なエネルギーが溜まり、次の瞬間、それを一気に放った。
巨人が放った光線は、空間そのものを引き裂き、壁を這うルシファーたちを次々に黒煙へと変えた。
柴乃は光の巨人と背中を合わせ、星形エネルギー弾を放った。
二人の圧倒的な攻撃により、十万体以上いたルシファーはなすすべなく、瞬く間に討伐されていった。
空間からほぼすべてのルシファーが消え去り、細かい残骸が宙に漂っていた。そして最後の一体、起爆タイマーを持ったルシファーだけが生き残っていた。
柴乃と光の巨人は、無言で呼吸を合わせ、同時に全力の光線を解き放った。だが、ルシファーは、閃光のような速さで回避した。ビームは虚空を切り裂いて消えた。
二人はすぐにルシファーが跳んだ先に目を向けた。だだ、すでにそこにルシファーの姿はなかった。
ルシファーは最高速度で空間内を縦横無尽に駆け回り、制限時間まで逃げ切る作戦に切り替えた。
柴乃と光の巨人は、ルシファーの超高速の動きを目で追うことができず、空間にわずかに残る気配や風の揺らぎから、その動きを予測しようとした。しかし、二人の攻撃はかすりもしない。やみくもに放っても、全範囲攻撃を繰り出しても、捉えることができなさそうだった。
核ミサイルの着弾まで――残り、わずか一分。
同じ頃、山岳地帯では、ドレたちが柴乃の戦いの行く末を見守っていた。
「チッ……おれたちは、ただ見てることしかできねぇのかよ!」ドライが悔しさを噛みしめながら拳を握り締めた。
ドレは画面の向こうで奮闘する柴乃を見つめながら、何か――たとえわずかでも――力になれないかと思案していた。
「ルシファーの動きを一瞬でも止める方法はありませんか?」とドレは問いかけた。
「あたしたちには無理だ、お嬢……あいつらが今戦っている場所は、ルシファーが作り出した空間。外からは入れない」とオーロラが答えた。
「ぐぬぬ……ではせめて、応援メッセージだけでも……」
ドレの言葉を聞き、「ん……? 応援メッセージ……?」とオーロラは呟き、腕を組んで考え込んだ。
「どうしまた、オーロラ?」とドレが怪訝そうに尋ねた。
「……そうか! その手があったじゃねぇか!」と、オーロラが思わず叫んだ。
「みんな、今すぐここにメッセージを送るぞ! 中身は空で構わない!」
オーロラはそう言いながら、とある宛先を投影した。さらに、天に向かって叫んだ。
「ライブで見ているみんなも、今すぐここにメッセージを送ってくれ!」
ドレたちはすぐにオーロラの意図を理解し、指示された宛先に空のメッセージを送信した。
その行動は、ライブ映像を通じて世界中に広まり、各地のプレイヤーやすでに脱落した者たち、さらには映像を見ているすべての人々が、提示された宛先に一斉にメッセージを送り始めた。
宛先は――なんと、ルシファー自身のアドレスだった。同時多発的に届いた無数のデータが、ルシファーの処理能力を圧迫し、システムに遅延を引き起こす。もし成功すれば、その一瞬、奴の動きを止められるかもしれない――それが、オーロラの狙いだった。
核ミサイル着弾まで、残り――25秒。
くっ、どうする? 一か八か、全範囲攻撃か……? いや、命中率は低い。それで奴を見失ったら、今度こそ終わりだ……! なら、どうする? 考えろ、考えるんだ! 我は……いや、我らは――こんなところで終わるわけにはいかぬ!
そのとき、不意にルシファーの動きが鈍り、やがて完全に止まった。無理やり動こうとしているが、どこかぎこちなく、カクカクと微かに動いていた。
柴乃と光の巨人は即座に振り返り、背後で硬直するルシファーに目を向けた。光の巨人は、瞬時に柴乃の杖に光のエネルギーを注ぎ込んだ。
柴乃の杖は白い光を纏い、剣の形へと変化した。
柴乃は、これが最後のチャンスだと確信した。迷いなく杖を握り直し、ルシファーに向かって一直線に突撃した。
核ミサイル着弾まで残り――10、9、8、7……。
ルシファーはカクカクとしたぎこちない動きで、ゆっくりと柴乃の方に体を向け直した。壁に寄りかかりながら、震える指を前に突き出す。その指先には、不気味な黒いエネルギーがじわじわと集まり始めた。
柴乃は迷いの欠片もなく、光の剣を突き出して突進した。そして、力強く叫ぶ。
「スペシウム・エトワール!」
その声は、空間全体に響いた。
核ミサイル着弾まで、残り――6、5、4、3……。
柴乃の突き出した光の剣と、ルシファーの指先から放たれた黒いビームが空間で激突した。眩しい閃光と衝撃波が辺りを包む中、弾けた黒いビームが柴乃の頬をかすめた。刹那、光の剣がルシファーの胸を貫いた。
同時刻、現実世界。
色神は、コンピュータウイルスによる混乱が徐々に収束しつつあった。そのとき、遠くの空からミサイルが飛来し、大河の中央に突き刺さった。だが――爆発は起きなかった。
ミサイルが川に突き刺さった衝撃で、水面が爆発的に弾け、川の水は一瞬にして宙へと舞い上がった。空に舞い上がった水滴が、やがて静かに小雨となって降り注いだ。
河川敷で散歩や運動を楽しんでいた人々は、不意に降り始めた雨に濡れながら、突き刺さったミサイルを驚愕の目で見つめた。そして、静まり返った空に、美しい虹がそっと架かる――まるで奇跡が訪れたかのように。
ルシファーの体はみるみるうちに塵となり、風に溶けるように消えていった。その消滅の瞬間、柴乃の剣先に突き刺さった起爆タイマーが目に入った。残り――0.46秒。ギリギリのところで止まっていた。
柴乃は、一瞬の静寂の中で自分がまだ生きていることを実感し、深く息をついた。間に合った――そう思うと、身体中から力が抜けた。
起爆タイマーは霧のように消え、杖を包んでいた光も静かに消えた。
柴乃は光の巨人にお礼を伝えようと振り返った。だが、すでに彼の姿がどこにもなかった。何一つ言葉を交わすこともなく、彼はその場を後にした。
「ありがとう……汝のおかげで、無事にクリアすることができた」
柴乃は遠くを見つめながら、ぽつりと呟いた。その声は柔らかく、感謝と安堵が入り混じっていた。自然と笑みがこぼれ落ちる。
しかし、その静けさは一瞬で終わった。空間全体が激しく揺れ、崩壊の兆候が現れた。
柴乃のいるこの空間は、ルシファーが作り出したオリジナルの領域。その主が消えたことで、崩壊が始まったのだ。
柴乃は急いでメニュー画面を開き、ロビーに転移しようとしたが、できなかった。仕方なくログアウトを試みるも、それすらできなかった。
「なっ!? なぜログアウトできないんだ……!?」柴乃は動揺した声を漏らした。
慌ててログアウトボタンを連打し、メニュー画面を何度も開き直すが、すべて無反応だった。胸の奥に不安が押し寄せ、焦燥感が募る。ついにはその場で足をばたつかせ、どうにか打開策を見つけようと必死になった。
「我はこんな世界と一緒に消滅する気などないわ!」
強めに叫んでみたが、何の効果もなかった。
脱出の手段を必死に模索していると、不意に目の前に転移用のゲートが現れた。それを見た瞬間、柴乃は迷うことなく駆け出し、その中へ飛び込んだ。最後の希望を掴むように――。
ゲートを潜り抜けると、そこはロビーだった。
ロビーには多くのプレイヤーが集まり、歓声がこだました。スイやナブ、ドレやドライなど、ミッションをともに戦った仲間たちが次々と柴乃に駆け寄り、熱い祝福の声で迎えた。
彼らの表情には、戦いの苦難を乗り越えた安堵と喜びが滲んでいた。さらに、ライブ映像を見ていた世界中の人々から、祝福のメッセージが次々と届いていた。
柴乃は周囲の祝福に包まれながら、高揚感に浸っていた。だが、次の瞬間――突如として視界が暗転した。ゆっくりと目を開けると、見慣れた家の天井が視界いっぱいに広がった。イリスに強制的にログアウトさせられたのだった。
柴乃が顔を横に傾けると、落ち着いた様子のイリスが静かに立っていた。
「イリス……やったな?」柴乃は眉をひそめた。
「はい、ヴィオレ様がかなり有頂天になっていたので、調子に乗る前に退避させる必要があると判断しました」と、イリスは淡々と答えた。
「もう少し、祝福気分を味わっても良かったのではないか?」
「すでに十分な量の幸福ホルモンが出ていました。それ以上は必要ありません。それに、他人との過度な接触は、秘密がバレるかもしれません」
「……相変わらず厳しいな」
柴乃はイリスの言うことを理解していたが、ちょっとしたいたずら心で少しだけ拗ねてみた。
イリスはわずかに眉を下げ、申し訳なさそうな表情を浮かべた。柴乃のそばへ歩み寄り、手を伸ばしてそっと頭を撫でた。
「ヴィオレ様……わたしは信じていました。ヴィオレ様なら必ず、ルシファーを倒してくださると……」
柴乃はイリスの行動に内心驚いていた。
なっ!? まさか、ここまでやさしくされるとは……! 何か裏があるのか……? いや、もう少しこのまま、何もしないで様子を見よう。
柴乃はイリスの手が頭を撫でるたびに、胸に心地良さが広がるのを感じた。まるで心がやさしく包まれているような感覚だった。
やがて、イリスの撫でる手がふっと止まり、穏やかだった空気が一変した。
「それでは、ヴィオレ様。手続きを開始いたします」と、イリスは淡々と告げた。
「ん? なんの?」と柴乃は問い返した。
「アカウントの削除です」
「なに!?」柴乃は思わず上体を起こした。
「そんなに驚くことではないはずです。ヴィオレ様も、もうお気づきだったのでは?」
「……それは……そうだが……」
「今回の一件で、ヴィオレ様の名はあまりにも広まりすぎました。この状況下では、いかにわたしでも秘密を守り通すことは困難です。外部からの探りが入る前に、完全に痕跡を消す必要があります」
「それはわかっている……! でも……」
ゲームのデータとはいえ、柴乃にとってそれは多くの時間と感情を重ねた証だった。名残惜しさが胸を締めつけた。
「実際、ヴィオレ様のもとには、数多くのメッセージが届いています。好意的なものも多いですが、その中にはヴィオレ様の素性を探ろうとする不届き者もいるようです。お辛いでしょうが、ご決断を……」
しばしの間、沈黙が重く漂う中、柴乃は拳をぎゅっと握りしめたあと、ぽつりと呟いた。
「……わかった」
その声には名残惜しさと覚悟が滲んでいた。
柴乃はこれまでにも何度かアカウントを消したことがあった。それでも、今回ほど心が重く感じたことはなかった。理由は明白だった――これまで以上に多くの人々と程よい距離感を保ちながら、信頼に満ちた関係を築けたからだ。
中でもスイとの絆は特別だった。気兼ねなく話せる唯一の存在であり、柴乃にとって、何気ない時間さえ心地よく感じられる貴重な友人だった。そんなスイに対して、何も言わずに消えることが柴乃には心残りだった。
柴乃はゆっくりと視線を上げ、空中に投影されたホログラムを指で操作し、ゲーム選択画面を表示した。その中から『怪獣狩り』をタップし、個人アカウントのページを開く。順に操作していき、「アカウントを完全に消去しますか? はいorいいえ」の選択肢が出てきた。「はい」を押すと完全に消えてしまい、二度と戻ることができなくなる。柴乃は手を止め、少し迷った。
イリスが察して声をかけた。
「最後にメッセージを送りたい相手はいますか?」
「いいのか!?」
「もちろんです」
柴乃は画面に視線を落とし、スイへの最後のメッセージを考え始めた。何度も文章を打っては消し、数分後、ようやく納得のいく言葉を紡ぎ出した。
「スイちゃん、これが我の最後のメッセージだ。このあとアカウントを消す……でも、その前に、ありがとうを伝えたかった! 一緒に遊べて、本当に楽しかった! またどこかで会えたら、そのときは――また一緒にゲームしよう! Au revoir!」
この内容で、メッセージをスイの宛先に送った。
スイへの最後のメッセージを送ったことで、柴乃の中に残っていた心残りが少し和らいだ。深く息を吸い込み、気持ちを切り替えた。返信があると、その言葉に心が揺れる可能性がある――柴乃はそれを恐れ、覚悟を決めてアカウント削除の手続きを再び進めた。
ホログラムを操作し、アカウントを完全に消去する画面で一度手を止めた。今度は迷わず押せる気がした。柴乃は深く息を吸い、決意を胸に「はい」のボタンへと指をそっと伸ばした――その瞬間、目の前に『重要なメッセージが一つ届いています』という通知が浮かび上がった。画面に表示された送り主の名前を見た途端、柴乃の心臓が大きく跳ねた。それは、スイからのものだった。
柴乃は反射的にメッセージを開き、中身を確認した。そこには、こう書かれていた。
「ヴィオレちゃん! わたしもヴィオレちゃんと一緒にゲームができて楽しかったよ! 本当にありがとう。もうこのゲームを一緒にできないのは残念だけど、わたし、待ってるから! 名前や見た目が変わってもすぐに気づくから! じゃあ、またね!」
柴乃はスイのメッセージを読み進めるうちに、目頭が熱くなり、やがて大粒の涙がこぼれ落ちた。画面越しの言葉には、スイの温かい心遣いと深い友情が溢れていた。
柴乃はスイがただのゲーム仲間ではなく、本当にかけがえのない友人であると、改めて実感した。そして、もう一度深く息を吸い込み、ゆっくりと「はい」のボタンを押した。画面が一瞬暗転し、静寂が訪れる。
アカウントは完全に消え、これまでの記録もデータの彼方へと消失した――けれど、スイとの絆だけは、きっと永遠に残ると、柴乃は信じていた。
翌日の土曜日の朝、ネット上では“消えた英雄”ヴィオレの話題で持ちきりだった。
「なぜ突然消えたのか?」
「彼女はどこへ行ったのか?」
「そもそも実在していたのか?」
様々な憶測が飛び交うが、その多くは的外れで、真実にたどり着く者は誰一人いなかった。
川に突き刺さっていた核ミサイルは、一晩で跡形もなく回収されていた。その迅速すぎる対応に、ネット上では「秘密結社が極秘裏にミサイルを回収して、何かに利用しようとしているのでは?」という噂が瞬く間に広まっていた。
柴乃は朝からジャージ姿でソファに寝転び、ホログラム漫画を読みながら何度もため息をついていた。眉間には不満げなシワが刻まれ、内容よりも不満が勝っているようだった。本当なら今頃ゲームをしているはずだったのに、イリスに止められたからだ。
イリス曰く「今、ゲームを再開すると、特定班に気づかれる可能性があるため、しばらくの間、ゲームを我慢すること」という。
柴乃は必死に抵抗したが、イリスに口論で勝てるはずもなく、従う他なかった。
「人の噂も七十五日と言いますし、もう少しの辛抱ですよ」とイリスは他人事のように言った。
「そんなに待てるか! 我はゲームをせねば生きていけないのだ!」と柴乃は声を荒げた。
「では、久しぶりにわたしと一対一で勝負をしませんか?」
「えっ? いいのか!?」
「はい、オフラインなら何の問題もありません」
柴乃はソファから飛び起きた。
「クックック、いいだろう! 久しぶりにボコボコにしてやる!」
「ふふ、楽しみです」
柴乃がまだ幼かった頃、彼女のゲーム相手といえば常にイリスだった。
イリスは決して手加減をせず、柴乃は幾度となく挑んでは、悔し涙を流していた。それでも、その経験が今のゲームスキルを磨き上げたのは間違いなかった。
現在の柴乃の実力は、イリスに勝るとも劣らないほど。今日の勝負で、今までの借りを一気に返そうと柴乃は企んでいた。
「どのゲームにしますか?」とイリスは問いかけた。
「今日はイリスが選んでいいぞ!」と柴乃は強気に言った。
「そうですか、では――」
イリスは数あるゲームソフトの中から対戦アクションゲーム『龍球オメガ』を選んだ。
「こちらでお願いします」
「いいだろう」
クックック……このゲームは久しぶりだが、まだ腕はなまっていないはずだ。クフフ……今日こそイリスをボッコボコにしてやる! 覚悟するがよい!
柴乃は自信満々で、一瞬たりとも負けるとは思っていなかった。
「あっ、でもその前に――」
イリスはふと何かを思い出したように、柴乃に視線を向けた。
「レコーディングをしておきましょう」とイリスは提案した。
「レコーディング……? あ、天の新曲か!」と柴乃も思い出したように声を上げた。
「はい」
「こうしちゃおれん! すぐに向かうぞ!」
柴乃とイリスは地下室の録音ブースへ駆け込み、『白雪×シークレット』のレコーディングを開始した。
柴乃の歌声は予想以上に安定しており、録音は驚くほどスムーズに完了した。
その後、二人はリビングに移動し、ゲーム世界へと飛び込んだ。
二人はキャラクター選択画面で迷うことなく以前作成したアバターを選び、準備を整えた。
開始のカウントダウンが表示されると、柴乃は自然と体に力が入るのを感じた。0が表示されると同時に、壮絶なバトルの火蓋が、今、切って落とされた――。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回もお楽しみに。
感想お待ちしております。




