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天の新たな日常

 四月十三日、水曜日の午前七時。

心地良い音楽が寝室に流れ始めた。その音が天の耳に響くと、ゆっくり目を開き、上体を起こした。手を組んで腕を伸ばし、背筋を真っ直ぐに伸ばすと、ベッドの横に足を降ろして立ち上がった。

そこへ、イリスがふわりと現れた。

「おはよう、天ちゃん」とイリスは柔らかい声をかけた。

「おはよう、イリスちゃん」と天も小さく返した。

 イリスは目を光らせ、天の全身を上から下へ見回してスキャンし、健康状態を確認した。

 天は眠そうに目をこすりながら、イリスの診断が終わるのを待っていた。

「体温……35.7度、心拍数……65拍/分、血圧……122/78mmHg、血糖値……正常範囲内、睡眠の質……良好、顔色良好――」イリスは天の健康状態を呟きながら確認した。

「――うん、今日もバッチリだよ」

「ありがとう、イリスちゃん」

 天は洗面所で顔を洗い、歯を磨いたあと、お気に入りの空色のワンピースを取り出し、身にまとった。

「イリスちゃん……ちょっと、お願いがあるんだけど……」と天は控えめに言った。

「なに?」とイリスは返した。

「……昨日、柴乃ちゃんと一緒に新曲を作ったんだけど、聴いてくれる?」

「もちろん!」

二人は地下室へ向かった。

地下室の一角にはグランドピアノが堂々と据えられ、その周囲には様々な音楽機材が整えられていた。

天の一日の始まりは、ピアノの演奏から始まる。何を弾くかは、そのときの気分で決めているが、この日は新曲をイリスに聴かせた。

天は椅子に腰を下ろし、そっと鍵盤蓋を開けた。胸に手を当てて息を整え、心落ち着かせると、そっと鍵盤に手を添えた。一瞬の静寂のあと、明るい曲調の旋律が、地下室いっぱいに鳴り響いた。天はピアノを演奏しながら、透き通るような歌声で歌い始めた。

イリスは目を閉じて、その音楽にじっと耳を傾けた。曲調に合わせ、自然と体を揺らしていた。

一曲の弾き語りを終えると、天はそっと両手を膝の上に置いた。同時に、イリスが笑顔で拍手喝采を送った。

天はイリスに視線を向け、緊張した様子で尋ねた。

「ど、どうだった……?」

 イリスは目を輝かせて答えた。

「すっごく素敵だった! 親しみやすさと爽やかさを兼ね備えた演奏に、まるでみんなのことを歌っているような歌詞……わたしは大好きだよ!」

「よかった」天は胸に手を当て、安心したように息をついた。

「……何ていうタイトルなの?」とイリスは興味ありげに問いかけた。

「えーっとね……」

天は目を逸らし、恥ずかしそうに顔を赤らめた。しばらくして、覚悟を決めたような表情を浮かべると、イリスに視線を戻して口を開いた。

「……『白雪×シークレット』」

「『白雪×シークレット』……!」イリスは目を見開いて呟き、すぐにやさしい笑顔を浮かべながら「いい歌だね!」と感想を述べた。

「ありがとう」天も笑顔で返し、イリスの言葉に安堵した。さらに、天は控えめに続けた。「じ、実はこれ……みんなにも歌ってもらえたらいいなって思ってて……どうかな?」

「それ、いいね!」とイリスは笑顔で賛同した。

天は安心したように息をつき、慎重に問いかけた。

「……イリスちゃんも、手伝ってくれる?」

「もちろん!」イリスは頷いた。

 天は一階に上がり、朝食をとった。BLTサンド、牛乳、プリンという軽めのメニューをゆっくり食べた。

朝食をとりながら、天はイリスと今日の予定を確認した。

「イリスちゃん……今日は天気が良いから、外出しようと思うんだけど……」天は控えめに小さく呟いた。

「どこか行きたい場所があるの?」とイリスは問いかけた。

 天は首を横に振り、ゆっくりと口を開いた。

「次の作品の題材を、探しに行こうかと思って……」

「そっか、了解!」とイリスは応じた。

 次の題材に迷っていた天は、インスピレーションを求めて散歩に出かけることにした。

玄関を出ると、雲ひとつない青空が広がり、気持ちの良い風が吹く絶好の外出日和だった。

天は画材道具を入れたバッグを肩に掛けた。

イリスは遠隔操作で家中の鍵をかけ終えると、天の肩にそっと乗った。

今回の散歩で天は、まだ見ぬ発見や出会いを求めていた。花や木々の自然、動物や昆虫、そして魅力的な風景に心を奪われることが、絵を描いたり歌を作ったりする際のインスピレーションに繋がる。そう信じていた。

天は家の前の道に出ると、どちらへ進むべきか考え込んだ。右に行くのか、左に行くのか。左右を見渡すと、どちらも同じような景色が広がっていた。天は拾った木の枝を地面に垂直に立て、そっと指を離した。木の枝は、左右どちらでもなく、まっすぐ正面へ静かに倒れた。木の枝が倒れた方向へ、二人の視線が自然と向いた。そこには、一軒の家が静かに佇んでいた――住宅街なのだから、それも当然のことだった。

「家だね……」とイリスが静かに呟いた。

「うん……」と天も小さく頷いた。

「やり直す……?」

「ううん、このままでいい」

天はバッグの中から小さな円柱型デバイスを取り出した。そのデバイスのボタンを押すと、瞬時にほうきに変形した。天はほうき型ドローンを起動し、そっと腰を下ろした。ふわっと浮き上がり、そのまま木の枝が示した正面に向かって飛んだ。

ほうき型ドローンの飛行速度は、時速四キロ程度。歩く速さとほぼ同じだが、空を漂う感覚は新鮮で心地よかった。普段見慣れた街並みを上空から見下ろすと、まるで別世界のように感じられた。何度も通ったことがある並木道も、街の一角にあるお気に入りのパン屋さんも、いつも散歩している公園も、すべてが新しく見え、天の脳を刺激した。

天の周りには、同じくほうきドローンに跨る人々の姿が多かった。学校に通う学生やスーツ姿の若い社会人などがほとんどだが、時折、高齢な人が乗っているのも見かけた。

ふと、上空から細道を覗いていると一匹の黒猫がいた。猫好きの天は、その黒猫を見つけると目を輝かせた。柔らかな黒い毛並みと、鋭い黄金色の瞳に心を奪われ、気づけば撫でたい衝動に駆られていた。天はそっと降下し、ほうきを小さく戻してバッグに収めた。忍び足で近づき、黒猫を驚かせないように、そっと手を差し出した。黒猫は一瞬こちらを見たが、興味を示さずに去っていった。

黒猫がふいに歩き出すと、天はその後を追った。一定の距離を保ちながら追いかけていると、猫は住宅街の塀に軽々と飛び乗り、悠々と歩き始めた。黒猫が塀の上を悠然と歩く姿に、天は自然と歩調を合わせた。まるで仲の良い友達と散歩をしているかのようで、その光景に胸が温かくなった。

しばらくの間、天と黒猫は並んで歩いていた。しかし、黒猫が突然、個人宅の敷地内に降り、そのまま奥の方に進み、やがて姿を消した。黒猫の姿が見えなくなった瞬間、天はほんの少しだけ胸に空虚さを感じた。しかし、その黒猫の堂々とした佇まいが、ふと玄を思い起こさせた。そのクールで、どこか近寄りがたい雰囲気に玄の姿が重なり、天は思わず微笑んだ。

 その様子を見て、イリスが尋ねた。

「何かいい案が浮かんだ?」

その問いかけで、天は題材探しのことを思い出した。

「うーん……まだ足りないかな」

そう返すと、天は再びほうきに乗って散策を始めた。

ただ、さっきの黒猫との出会いが、天に新たなインスピレーションを与えていた。

「次の題材は……生き物にしてみようかな」

そんな考えが天の頭の中で自然に湧き上がってきた。そう思い立つと、生き物を直接見たくなった。生き物といえば、動物園や水族館がすぐに思い浮かんだが、少し距離があったため、考え込んだ。

 天の様子を見て、イリスはその思いを察し、そっと助言を添えた。

「生き物なら、近くの公園にもいると思うよ。動物園や水族館ほどじゃないけど……」

 天は少し考え、小さく呟いた。

「……じゃあ、公園に行こうかな」

 イリスは頷き、二人は公園に向かった。

公園に向かう途中、街中を飛んでいると、天の耳に喧騒の中から微かに美しいピアノの音色が届いた。耳を澄ませると、聞き覚えのあるメロディーが流れ込んできた。それは、天が作った曲――『七色パーソナリティ』だった。

天は絵を描く以外に、作詞作曲もしていた。作った曲は、『シエル』という名でネット上に公開し、誰でも聴けるようにしていた。天の曲は、ある程度の知名度があり、多いもので再生回数は数十万回ほどだった。天はそれで満足していた。好きなことをしているだけなので、少しでも聴いてくれる人がいるだけで嬉しかった。

最近は、AIを使うと誰でも簡単に歌を作ることができる。そのため、ネット上では毎日新しい歌がいくつも投稿され、溢れ返っていた。そんな音楽戦国時代の中で、注目を集めるのは、ほんの一握りの幸運な者たちだけだった。本当に心に響く良い歌でも埋もれてしまうことは多く、逆に、どこか適当な曲がなぜか大衆にウケて広く聴かれることもあった。その現実に嫌気がさし、創作をやめるアーティストも少なくない。

天はその辺をしっかりと割り切っているため、創作活動を続けられていた。だが、純粋に音楽を好きな人々が、諦めたり辞めたりする姿を見るのは、天にとってつらいことだった。

ピアノの音色を聴いているうちに、誰が演奏しているのか気になった天は、音のする方へ自然と進行方向を変えた。やがて、色神駅にたどり着いた。美しい音色は、駅ビルの中から響いていた。

天は駅前広場にゆっくりと降下し、ほうきからそっと降りた。ほうきを小さく畳み、バッグにしまってから駅ビルへ足を踏み入れた。

入り口から少し進むと、端正な顔立ちの少年が、駅ビル内に設置されたストリートピアノを華麗に弾いていた。

駅を行き交う人々の中には、演奏に目もくれず足早に通り過ぎる者もいれば、立ち止まって聴き入る者もいた。天も立ち止まって、彼の演奏に耳を傾けた。

周囲の喧騒をまるで遮断したかのように、彼はただピアノの音に集中していた。彼の奏でる旋律は、感情に満ちていながらも、どこか寂しげで切なかった。その表現力豊かな演奏が、聴いている人々を魅了していた。自然と天もその一人になっていた。

だが、曲の途中で、彼の指がピタッと止まった。彼は動揺したように目を見開き、自分の手をじっと見つめた。寂しげな目でピアノの鍵盤を見つめると、静かに立ち上がり、足早にその場を去った。去り際、彼は拳を握りしめていた。その指先は、かすかに震えているようだった。

演奏が止むと、聴いていた人々もそれぞれ動き出し、あっという間に散らばった。その間、順番待ちをしていた若い男性が椅子に腰を下ろし、演奏の準備を始めた。

「綺麗な演奏だった……」と、天は余韻を噛みしめるように呟いた。

「そうだね……」イリスも頷いた。「天ちゃんの作った曲だったね!」

「こんなに綺麗に弾いてもらえて、なんだか嬉しい」

天は照れくさそうに微笑み、後頭部をぽりぽりと掻いた。

 イリスも嬉しそうに微笑んだ。

 若い男性が準備を整え、さきほどとは打って変わり、誰もが知る人気曲のメドレーを弾き始めた。彼の演奏も技術的には申し分なかったが、あの少年のような感情のこもった音色とは、どこか違っていた。

 天は満足した表情を浮かべ、その場を後にした。駅前広場でほうきに腰を下ろし、軽く息をついた。ゆっくりと浮遊し、再び公園を目指して飛んでいった。


公園内では、生き物たちがまるで舞台の俳優のようにそれぞれの世界を繰り広げていた。木の枝でさえずる小鳥、池を穏やかに泳ぐカルガモ、草むらから飛び跳ねるバッタや鮮やかな模様を持つテントウムシ――その一つひとつが、天の視線を釘付けにして離さなかった。

天はしゃがみ込み、草の上をゆっくりと歩く小さなテントウムシに夢中で見入っていた。すると、イリスがふわりと飛んできて、「天ちゃん、一色こがねさんが来たよ」と小さな声で囁いた。

天は慌てて立ち上がり、どこか落ち着かない様子で周囲を見渡した。やがて、目を留め、一点を見つめた。その視線の先に、ゆったりとした足取りで歩く一色こがねの姿があった。

一色は笑顔を浮かべ、天に歩み寄ると、「お久しぶりです。天様、イリス様」と柔らかい声で挨拶をした。

「お久しぶりです、一色様」

イリスが丁寧に返す一方で、天はまだ一色に慣れておらず、目を泳がせながら口ごもった。

一色は笑顔のまま続けた。

「今日も公園にいらしていたのですね。何を描かれているのですか?」

その質問に対しても、天は緊張して返答できず、取り乱していた。耐えきれなくなると、バッグから素早くましろんを取り出して左手にはめた。

ましろんはすぐに顔を上げ、「久しぶりだニャー、一色ニャン!」と元気よく挨拶した。

「はい、ましろん様もお久しぶりです」と一色は微笑みながら返した。

「一色ニャンは、散歩かニャ?」とましろんは尋ねた。

「はい」

「そっか……」とましろんは納得したように頷いた。「ましろんたちは、題材探しニャ!」

「題材探し……ですか……何かいいものが見つかりましたか?」

「んー、まだこれといったものは、見つけてニャいニャ。ニャンとニャく、生き物を描きたいニャと思ってるんだけど……」ましろんは真剣な表情で腕を組み、視線を少し下げた。

「生き物……ですか……」

一色は顎に手を当て、考え込んだ。しばらくして、はっと何かを閃いた表情を浮かべ、提案した。

「それでしたら……恐竜など、いかがでしょうか?」

「恐竜……!?」ましろんは耳をピンと立て、目を輝かせた。

「はい、もしよろしければ、『恐竜島』のチケットを差し上げますわ」

「ニャッ、いいのかニャ!?」

「もちろんです。実は、知人からいただいたチケットが余っておりまして……よろしければ、天様たちに使っていただきたいですわ」と、一色は柔らかな笑顔で言った。

ましろんは少し躊躇いながら呟いた。

「そ、それを、ましろんたちがもらっていいのかニャ? 他の人にあげた方が……」

「友人には配りましたわ。それでもまだ余っていますの」と一色は返した。

「そ、そうニャんだ……」

ましろんは、思いがけない誘いに困惑しつつ、腕を組んで考え込んだ。

「うーん、恐竜かぁ……本物は見たことニャいから、ちょっと気にニャるかも……」

ましろんがそう呟きながら、天も同じように思案顔になった。

天とましろんは顔を見合わせ、しばし無言で考え込んだ。

 きょっ、恐竜……! 画像や映像では見たことあるけど、本物はまだ見たことがない。見てみたいな……柴乃ちゃんも前に「本物を見たい!」って言ってたし、きっとみんなも興味あるはず。もしかしたら、『真白ちゃん』も……。

 天は一人で葛藤していた。

こんなチャンス、二度とないかもしれない! でも、『恐竜島』は人気の観光スポットだから人が多いだろうし、ちょっと苦手かも……でも、行きたい! あぁ、どうしよう……。

しばらく天が頭を悩ませていると、一色は彼女の気持ちを察したように、やさしく微笑みながら口を開いた。

「今すぐ決めなくても大丈夫ですわ。急なお誘いですもの、迷われるのは当然です。天様にもご都合がおありでしょうし、ゆっくり考えてください」

「うーん……」ましろんは険しい表情を浮かべた。

「チケットの有効期限はまだ先ですから、どうか焦らず、ゆっくりお考えくださいませ」

「そ、そうかニャ……」

 天は一色の提案に揺らいでいた。一度話を持って帰り、みんなに相談してから返答したい、と考えていた。

「あの、ましろん様。もう一つ、よろしいでしょうか?」と一色は改まった様子で言った。

「ん? ニャに?」とましろんは返した。

「恐竜島のチケットを差し上げる代わりに、一つ、お願いしたいことがありますの」

「お願い……?」

「もしご迷惑でなければ……わたくしも、天様たちとご一緒させていただければ嬉しいのですが……」と一色は視線を落とし、少し控えめに言った。

「それはもちろん構わニャいニャ。もともと一色ニャンのチケットニャのだから!」とましろんは即答した。

その返答に、一色は一瞬目を見開いたが、すぐに表情がパアっと明るくなった。

「ありがとうございます」一色は深々と頭を下げた。

 本来なら、感謝するのは天の方なのに、なぜか一色の方がずっと嬉しそうだった。まだ多くを語り合ったわけではないのに、一色は天をすっかり気に入っているようだった。

 天は返事を保留にし、一色と別れた。


 帰り道、天はふと恐竜について調べたくなり、図書館へ向かうことを決めた。街の図書館へ向かおうとした天だったが、「本の数なら、色神学園の大図書館の方が多いよ」とイリスに言われ、天は急遽、行き先を変更して色神学園へ向かった。すでに学生証を与えられていた天は、すんなりと色神学園に足を踏み入れた。

 大図書館へ向かっている途中、天はふと周辺を見渡した。すると、音楽を専攻した学生が通う、音楽棟の一階のガラス張りの向こうにあるグランドピアノが視界に入った。

 天が気になって立ち止まると、それに気づいたイリスが「見に行ってみる?」と声をかけ、天は即座に頷いた。

 音楽棟の一階は広間になっており、LEDライトが全体を明るく照らしていた。その広間の端に、グランドピアノが堂々と鎮座していた。グランドピアノは、特に明るく照らされ、まるでスポットライトを浴びているようだった。

 天がグランドピアノを興味あり気に見つめていると、イリスが「弾いてみる?」と声をかけた。

「えっ、ダメだよ。今は授業中でしょ?」と天は返した。

「この棟は、防音がしっかり施されてるから、弾いても教室まで響かないよ。それに、このピアノ、誰でも自由に弾いていいみたいだし」

 その言葉を聞き、天はしばらく頭を悩ませたが、やがて、「……じゃあ、一曲弾いてみようかな」と小さく呟き、そっとイリスを見つめた。

 イリスが頷くと、天はわずかに口元を緩めた。グランドピアノに歩み寄ると、椅子に腰を下ろした。椅子の高さを調整し、姿勢を正すと、そっと息をついた。周りにはイリスしかいないため、あまり緊張しなかった。

天は右手人差し指で鍵盤を静かに押し、音を確認した。澄んだ一音が、静まり返った広間にやさしく響いた。空気の揺れが収まると、両手をそっと鍵盤に乗せ、天は優雅に演奏を始めた。

天が指を滑らせ始めたのは、色神駅であの少年が弾いていたあの曲――天自身が作詞作曲した『七色パーソナリティ』だった。天は無意識にその曲を選んでいた。おそらく、彼の演奏がまだ天の頭に残っていたのだろう。

天の弾き方は、彼の演奏とは対照的で、心から音楽を楽しむ温かみが込められていた。無機質な空間に色とりどりの花が咲いたような情景を思い浮かばせる演奏だった。鍵盤に触れた瞬間、天はすぐに音楽の世界に没頭し、周囲の視線さえ意識から消えていった。

イリスは、天の演奏を心地よさそうに聴きながら、目を閉じて体を軽く左右に揺らし、リズムに乗っていた。イリスとオーロラも自然と体を揺らしていた。

二番に差しかかる頃、通りかかった生徒たちが足を止め、静かに天の演奏に耳を傾け始めた。その数は徐々に増え、あっという間に二十人弱が集まった。その中には、朝、色神駅でストリートピアノを弾いていたあの少年の姿もあった。

彼は人ごみの後方で目を見開き、息をのむように天の演奏に見入っていた。その眼差しには、天の演奏に引き込まれた驚きと感動が宿っているようだった。

イリスは夢中で演奏を続ける天に声をかけられず、ただ静かに見守っていた。

やがて天の演奏が終わると、広間に拍手と歓声が湧き上がった。

天は突然の音に驚き、周囲を見渡してようやく、自分が多くの生徒に囲まれていたことに気づいた。

演奏を聴いていた生徒たちは、興味津々といった様子で次々に称賛の声をかけた。

しかし、天は戸惑いながらグランドピアノの陰に身を縮めた。すぐさまイリスが寄り添い、天の肩にそっと手を置いた。

 早くこの事態を収めないと――そうイリスが考えた矢先、そこへ颯爽と一色が現れ、人垣の中へと割って入った。その姿はまるで救世主のようだった。

 一色は、オドオドする天の姿を見て眉をひそめ、凛とした態度で生徒たちに解散を促した。3Dホログラムのオーロラも協力し、生徒たちは徐々にその場を離れていった。やがて、静かな空間に戻った。

「申し訳ありません、天様。わたくしの到着が遅れたばかりに……」

一色は申し訳なさそうに頭を下げた。

天は息を整えると、バッグからましろんを取り出し、左手に装着した。

「一色ニャンは悪くニャいニャ。むしろ、すぐに対応してくれて、助かったニャ。ありがとうニャ」とましろんが答えた。

「いえ、お役に立てて何よりですわ」

ましろんは、今度はオーロラに視線を向けた。

「オーロラニャンも、ありがとうニャ」と感謝を込めて言った。

「これくらい、お安い御用だ」オーロラは親指を立てた。

 その後、天たちは近くのベンチに腰を下ろし、しばし休憩することにした。イリスが飲み物を買いに向かい、一色もあとを追った。

一人残された天は、静かな時間の中でイリスたちの帰りを待っていた。無心で床を眺めていると、「コツコツ……」という足音が近づいてきた。黒いスラックスにローファーの足元が視界に入り、目の前で止まった。

 天が顔を上げると、そこには朝のストリートピアノの少年が立っていた。第一印象よりも高身長で、一八〇センチはあろうかという体格だった。

 彼は真剣な表情で天を見下ろしていた。

天はすぐに目を伏せ、代わりにましろんが見上げた。

「あんた、どこの学校だ……? 生徒名簿にデータがないってことは、ここの生徒じゃないな?」と彼はぶっきらぼうに問いかけた。

「ニャ……!」さすがのましろんも、突然の質問に少し動揺した。

「さっきの曲……『七色パーソナリティ』だよな? あんたも好きなのか?」

「ニャ……!?」

ましろんが戸惑っているのも構わず、彼はたたみかけるように続けた。

「それに……どうしてあんなふうに、楽しそうにピアノを弾けるんだ?」

「……い、いきニャり、そんニャにたくさん聞かれても……」

「……なら、一つずつ聞き直す。まずは――」

 彼が質問を続けようとしたそのとき、一色たちが戻ってきた。

「天様!」

 一色は駆け寄り、天と奏音の間に割って入ると、鋭い目で彼を睨んだ。その手には、天の大好きなミルクティーが握られていた。

遅れてイリスとオーロラも到着し、天のそばに寄り添う。イリスはふわりと肩に触れ、安心させるように微笑んだ。

「あなたはたしか……西奏音にしかなとさん……ですわね?」

一色の言葉と同時に、イリスがホログラムで生徒名簿を投影した。

天はそこに表示された情報を目にした。

西奏音。色神学園高等部二年。音楽専攻。

「――何かご用でしょうか?」と一色が落ち着いた声で尋ねた。

「あんたに用はない」

奏音はそう即答し、天を見つめた。

「――用があるのは、そっちの青髪だ!」

その声に天は身を縮めた。一色が一瞬天の様子を伺い、すぐに奏音に向き直った。

「天様は今、休憩中です。ご遠慮願います」

「そら様……? あんた……“そら”って名前か?」

奏音は顎に手を当て、考えるように呟いた。

「たしか……『シエル』って、フランス語で『空』の意味だったよな……」

その言葉に、天の肩がピクリと震えた。

「西さん……ご遠慮くださいと申し上げたはずです」

一色の口調はさらに鋭くなり、オーロラも冷ややかな視線で牽制した。

 重苦しい空気が場を支配する中、ましろんが口を開いた。

「……ニャ、ニャニャ(七)色パーソナリティは、ましろんたちにとって、とっても大切ニャ曲ニャ……」

 その言葉に、全員の視線がましろんに集中した。

「――キミも……この曲が好きニャ?」とましろんが続けて問いかけた。

奏音は目を見開き、ためらいがちに口を開いた。

「……おれは――」

 その瞬間、別の男の声が響いた。

「おっ、奏音じゃねぇか! 久しぶりだな!」

視線の先には、音楽棟の入り口から歩いてくる男女二人組の姿があった。

 イリスは即座に生徒名簿をホログラムで表示した。

それによると、男子生徒の名は那歩なぶ、女子生徒の名は彗星すいせい。どちらも奏音と同じく音楽専攻の生徒だった。

 二人の名を目にした瞬間、天ははっと息をのんだ。

 この二人……もしかして……!

「来るなら一言連絡くれよ」と那歩は笑いながら気さくに声をかけた。

「連絡するほどの仲じゃない」と奏音は冷たく返した。

「またまたぁ、そんな冷たいこと言うなよ」

「事実だ」

 奏音とナブが会話を始めた隙に、一色は振り返り、「今のうちにここから離れましょう」と小さく声をかけ、天に手を差し伸べた。

「えっ、あ、うん……」天は少し戸惑いつつも、一色の手を掴み、立ち上がった。

「では、わたくしたちは、これで失礼させていただきます」

一色は丁寧に一礼すると、天の手をやさしく引いた。

「おい、待て!」

奏音の声が背中に響いたが、天たちは気にすることなく、早足でその場を立ち去った。去り際、オーロラが振り返り、奏音に向かって小さくアッカンベーをして見せた。

 天たちは音楽棟から少し離れたベンチに腰を下ろした。ましろんは天の手から離れ、脱力したようにベンチにうつ伏せになっていた。

天は一色が買ってくれたミルクティーをひと口含み、少しずつ緊張が和らいでいった。

一色はしばらくの間、周囲を警戒したように見渡していたが、奏音の姿はなかった。さすがに追いかけてくるほどではなかったようだ。

天はましろんを装着し、「たぶん、もう大丈夫ニャ……一色ニャンも、座って休むニャ!」と少し安心したように声をかけた。

その促しで、一色もようやく天の隣に腰を下ろし、買っていた缶コーヒーをゆっくりと口に運び、一息ついた。

 しばらくして、大きなバックパックを背負った少女が駆け寄ってきた。

「あっ、こがねちゃんだ! こんちゃ!」

一色に親しげに声をかけたその子は、喫茶『色神の森』の店長の娘――青山流香だった。

「こんにちは、流香さん」と一色は笑顔で返した。

 一色と流香が会話を始めた瞬間、天は存在感を消した。こんなところで正体がバレるわけにはいかないからだ。

「こんなところで何してるの?」と流香は問いかけた。

「少し休憩していますの。流香さんは、何をしているのですか?」

「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた!」

流香は大げさな仕草でバックパックを前に置き、その中に手を突っ込んだ。そこから、コーヒー豆のキャラクター――かわいい目、鼻、口、両手両足があり、大きさは十センチほどの玩具を取り出した。

「ジャーン!」と、流香は自慢げに見せびらかした。

「コーヒー豆をモチーフにしたキャラクターですか。とてもかわいらしいですわね」

「そうでしょ、そうでしょ! これ、流香が設計して、3Dプリンターで作ったんだ!」

「流香さんの自作ですか! 素晴らしいですわ。何というお名前ですの?」

「この子はね――」

流香が答えようとしたその瞬間、コーヒー豆のキャラクターが突然手から飛び降り、一色の隣に着地した。

「コヒコヒコヒ……わたしの名は――オマール! 華麗なるコーヒー豆の妖精でございます」とオマールは優雅に挨拶した。笑い方は特徴的だが、渋くてダンディな声だった。

「オマールさんですか。とても素敵なお名前ですこと」

「えへへ、そうでしょ」

流香は嬉しそうに頬を掻き、オマールも流香と同様に頬を掻いた。似た者同士だった。

「もしかして、コーヒー伝説のシーク・オマールから……?」

天は思わず呟き、すぐにハッとして口を手で押さえた。

流香は天に視線を向けた。

「ん? お姉ちゃん……?」と流香は呟き、そのままジーっと天を見つめた。オマールも天を凝視した。

 天の背中に冷や汗が伝った。前傾姿勢のまま目だけを動かし、流香を一瞥した。すると、目が合ってしまい、天はすぐに逸らした。

流香とオマールは天をじっと見つめ続け、「お姉ちゃん……」と流香が呟いた。

天の心拍数が徐々に上がり始めた。身体をギリギリまで前に倒し、顔だけは絶対に見られない体勢をとった。

少しの間を空け、流香は明るい声で言った。

「――すごくかわいい!」

「えっ!?」天は思わず目を見開き、驚きの声を漏らした。

「うちの喫茶店で働いてくれないかな……?」と流香は独り言のように呟いた。

「流香さん、そろそろ次の授業が始まるのではないですか?」と一色が話題を逸らした。

流香がハッとした瞬間、オマールが手を振るように動いて、空中に現在の時刻を投影した。流香はそれを見て、慌ててオマールを鷲掴みにし、バッグパックへと雑に押し込んだ。「花子さんを探すんだった!」と呟きながら、ファスナーを勢いよく閉めた。バッグパックを背負い直すと、「じゃあ、またね! こがねちゃん……それと、かわいいお姉ちゃん!」と満面の笑みで手を大きく振りながら、走り去っていった。

流香と過ごした時間は、まるで小さな嵐のようだった。

流香の背中を見送りながら、天は思わず声を漏らした。

「げ、元気な子だね……」

「そうですわね」と一色は微笑んだ。

 少し場の空気が落ち着くと、一色が興味ありげに問いかけた。

「ところで、天様は、どうして色神学園へお越しくださったのですか?」

 天がましろんを装着する前に、イリスがすかさず答えた。

「少し、大図書館にご用がありまして」

「大図書館ですか」

「はい。色神学園の大図書館は、日本でも屈指の蔵書数なので、ここで恐竜について調べようと」

 一色はぱっと目を輝かせた。

「では、わたくしがご案内いたしますわ!」

「えっ!?」と天が声を漏らし、「ご迷惑では……?」とイリスが冷静に尋ねた。

「ご迷惑だなんて、とんでもございません。むしろ嬉しいくらいですわ!」と一色ははっきりと言い切った。

 イリスは天に目を向け、決断を任せた。

 一色の満面の笑みを見た天は、断りづらくなり、やむなく受け入れた。

「……じゃあ、お願いするニャ」

ましろんの言葉に、一色は「はい!」と笑顔で頷いた。

 色神学園の大図書館は圧巻だった。六階建ての全面ガラス張りの建物が、広大な敷地の中央に威風堂々とそびえ立っていた。その外観は美しく、自然と現代建築が融合した、芸術作品のような佇まいだった。内観は柱や天井など、多くの場所に木材が使用され、ガラス張りの窓から射し込む自然光と木の温もりが調和した、心地よい空間になっていた。一階にはカフェも併設されていた。

 外観を目にした瞬間、天の瞳は輝き、抑えきれない高揚が全身を駆け巡った。入り口に差しかかると、一色が中に入るように促してくれたが、天はすぐに入らなかった。まずは、外観をじっくりと見て回った。

三十分ほどかけて大図書館の周囲をじっくり歩いた天は、興奮を抑えるように深呼吸し、ようやく中へと足を踏み入れた。その際、ましろんをそっと外し、バッグにしまった。

大図書館の中に入ると、さらに天の目の輝きが増した。目の前に広がる無数の紙の本が、天にとって宝の山のように映った。

今の時代、紙の本を手に取る人は減り、それ自体も姿を消しつつある。その現実は、天にとってどうしようもなく寂しいものだった。しかし、天のように、まだ紙の本を愛している者は決して少なくない。その者たちが、数少ない街の本屋や図書館を守っているのだ。

天は大図書館の建築美をじっくり堪能し、心で感じ取ることを楽しんだ。一階から六階まで順に隅々まで見て回った。時折、目に留まった本を手に取ると、その重みや手触りを確かめながら、夢中で立ち読みをした。天はずっと興奮した様子で瞳を輝かせていた。

一色は何も言わず、時折嬉しそうに微笑みながら、ただ天の後を静かについてきた。

しばらくして、満足したように息をついた天は、ようやく恐竜関連の本が並ぶ棚へ向かった。数多の本の中から、気になったものを選別し、数冊抱えて机に腰を下ろした。

開いた恐竜図鑑の中には、鮮やかなイラストや詳細な解説がぎっしり詰まっていた。ページを捲るたびに新しい発見があり、いつの間にか天は時間を忘れて夢中になっていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、時刻は午後五時を回っていた。

 イリスが天の耳元にふわりと近づき、小さく囁いた。

「天ちゃん、もう五時だよ。そろそろ……」

「えっ、もうそんな時間……!? 全然気づかなかった……」

「天ちゃん、夢中だったもんね」

「うん」天は満足気な表情を浮かべた。しかし、直後に「あっ!」と声を上げ、隣に座る一色に目を向けた。

 一色は優雅に読書をしていたが、天の視線に気づくと、読みかけの本をそっと置いた。

「どうかなさいましたか?」

 天は慌ててバッグからましろんを取り出し、左手に装着すると、「一色ニャン、ごめんニャ……!」と声を上げ、ましろんの頭を下げた。

「え……?」

「天ニャンは本が大好きだから、つい夢中にニャっちゃって……」

「うふふ、天様にお楽しみいただけたのなら、それ以上の喜びはございませんわ」

「でも……せっかく、あんニャいしてくれたのに……」

 ましろんが目を伏せると、一色は気遣ったように提案した。

「では、このあとご一緒に、お食事でもいかがですか?」

「ニャ……?」

「色神学園の食堂はどこも絶品ですので、ぜひ天様にもご堪能いただきたいのです」

「……そんなことで、いいのかニャ?」

「はい」

「わかったニャ」

 天たちは本を片付けたあと、食堂へ向かった。

食堂に着くと、二人の少女がこちらへ歩み寄ってきた。

「あっ! こがねちゃん。お疲れ~」

 一色に親しげに声をかけた少女は、姫島だった。その隣に国東も立ち、静かに一礼した。

「お疲れ様です」

 一色が丁寧に答えている間、天はまるで透明人間のように気配を消し、そっと身を縮めた。

「こがねちゃんも、今から夕食……?」と姫島が問いかけた。

「はい」

「じゃあ、一緒に――」

「申し訳ありません」一色は食い気味に断った。「お誘いはありがたいのですが、今日は天様とご一緒でして……」

「そっか……天様って、その子……?」

「はい。色神学園のご案内をしていましたの」

「へぇ……」

姫島は興味津々の目で天をじっと見つめた。天が顔を背けても、なお視線を外さなかった。左手のましろんで顔を隠しても、姫島の視線は止まらなかった。

ましろんは視線に耐えられず、控えめに口を開いた。

「あ、あんまりジロジロ見ニャいでほしいニャ……」

「あっ、ごめんなさい。かわいいから、つい」姫島は後頭部を掻いた。

「ニャッ!? かっ、かわいい!?」

「うん……ごめんね」

「そ、それニャら……許してやるニャ……」

ましろんは少し照れくさそうにしつつ、どこか満更でもない様子だった。

 姫島はホッと胸に手を当て、「よかった……」と安心したように小さく呟いた。

 一方、国東は驚きと好奇心が入り混じった表情で、ましろんをじっと見つめていた。

「あっ、こがねちゃん。例の作戦……決行したよ!」と姫島は告げた。

「……反応は、いかがでしたか?」

「うーん、まだあまりわかんないかな。もう少し、接してみないと」

「そうですか……すみません、わたくしもマネージャーとして同行すべきなのですが……」

「気にしないで。他にもやることがあるなら仕方ないよ。大丈夫……安心院ちゃんは、あたしたちが必ず仲間に引き入れるから、大船に乗ったつもりで待ってて!」と姫島は自信ありげに親指を立てた。

「はい、頼りにしていますわ」と一色は笑顔で答えた。

「じゃあ、またね」

「ええ、またお会いしましょう」

 姫島と国東がその場を去ると、天と一色は、二人が先に席を決めるのを静かに見届けていた。それを確認したあと、一色は振り返り、「では、わたくしたちも参りましょうか」とやわらかく微笑みながら声をかけた。

天は小さく頷き、一色のあとに続いた。そして、姫島たちから少し離れた静かな席に腰を下ろし、落ち着いて食事を楽しんだ。


家に帰ると、天は真っ先に自室へ向かい、鉛筆を手に取って、真っ白なキャンバスに恐竜を描き始めた。イリスが投影した複数の恐竜画像の中から、天は迷った末に、ラプトルを選んだ。

「これにする!」と決めると、イリスが画像をもとにリアルな3Dホログラムを生成して目の前に映し出した。

 最初は勢いよく筆が進み、ラプトルの荒々しい表情や鋭い爪を描く楽しさに夢中だった。しかし、3Dホログラムの滑らかすぎる質感では、天が求める「生きた感覚」がどうしても掴めなかった。描き進めるうちに細部が気になり始め、たびたび手が止まるようになった。

しばらくして描き終えたが、結局、自分で納得することができなかった。絵そのものは、客観的に見れば十分に上手だった。しかし、天の中では、まだ何かが足りないと感じていた。生き物の『本物』を見て触れることでしか描けないものがあるのではないか――その思いが、次第に彼女の心を強く支配していった。そのとき、「恐竜島に行きたい」――その願いは、彼女の中でますます膨らんでいった。



読んでいただき、ありがとうございます。

次回もお楽しみに。

感想お待ちしております。

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