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アポカリプス・プレリュード  作者: 桜木姫
狂乱の軍神
9/28

9.二日目の朝

 シャワーを浴びて夕食を取った後、晴馬はすぐにすさまじい睡魔に襲われた。ユランが用意してくれた客間のソファベッドに倒れ込むように身体を沈め、数秒と持たず意識を手放したらしい。後に訊いたユラン曰く、倒れた瞬間寝始めた、とのこと。

 世界を移動する際に時間帯が夕方から昼間になっていたこともあり、肉体の稼働時間もいつもより長かった。よほど疲労が溜まっていたのだろう。快眠の果てに心地よく目覚め、気が付けば異世界生活二日目に突入していた。

 月並みな表現だが、泥のように眠ったな、と晴馬も思う。

 異世界という慣れない環境。少しは緊張で寝不足になるかもと思っていたのだが、過ぎて見ればそんなことはなかった。

 凝った筋肉をストレッチで解しつつ、窓から差し込む払暁に目を細める。

 ユランの私物らしき白い目覚まし時計が指す時刻は午前五時五十分。眠りについた時間が早かったからか、日の出に合わせての起床となった。

 窓を開けると肌寒い風がひゅぅと吹き込んだ。

 泡立つ肌を撫でて落ち着かせ、晴馬は窓の縁から上半身を乗り出して街を一望した。

 水路を流れる水音だけが鼓膜を震わせる、嘘のように静謐な街並み。

 この区画は女神の居城が頂上に構えるよう山なりに高低差が付けられている為、麓あたりからやや進んだ先の五番街通りまでは容易に見渡せる。


「マジで別世界来てんだよなぁ、俺……」


 響いてしまわないように小さな声で呟く晴馬。

 昨日の時点でこれが夢や幻覚の類ではないと受け入れてはいる。腹の傷は治っているものの触ればまだ痛いし、なにより肌の表面に以前は無かった歪な起伏があるのだ。それこそ蠍の外皮のような形状で、ぱっと見は筋肉に紛れて目立たないものの、肉眼でもわかるくらいの痕である。

 室内に身体を戻し、晴馬は軽く深呼吸をする。

 と、口の中で勝手にしたが動き、チッチッ、と上顎を二度打った。勝手に喋るなと言われたオリオンが折衷案として考えた方法である。


「お前頭の中で喋れるだろ。どうやってんのか知らねぇけど」


 隣室で眠っているであろう二人に配慮し、囁き声で言う晴馬。オリオンもそのあたりの気づかいは出来るようで、晴馬に倣って小声で答えた。


「ごめんね。あれ権能を使ってるからあまりやりたくない方法なんだ」

「だとしても舌鳴らすのはやめろ。親指ちょっと動かすとかにしてくれ」

「親指限定かい?」

「口答えするなら限定にするが?」

「わかった。次からは指を動かすよ」


 昨日の内にしておくべきだった条約をいましがた締結し、晴馬は溜息を吐きながらベッドに腰を下ろした。


「で、起きてすぐになんの用だ?」

「二人がいると話が拗れる可能性があるからね。少年にだけ伝えておこうかと」

「なんだ、自分が嫌われてるのわかってんじゃねぇか」


 晴馬の軽口をオリオンは意に介さず躱す。


「まぁね。それで伝えておくことだけれど、ヘルの居場所についてだ」

「知らないんじゃないのか?」

「知っている人物を知っているんだ。ヘルメスという気まぐれな男神だよ」

「昨日も何回か名前出てきたな、ヘルメスさん」


 昨日一日でその名は二度聞いている。一度目は元の世界への帰還方法を探る為、図書館へ行く前にアレクシアが頼れる人として挙げた時。二度目は魔法の講義を受けている際、魔法を体系化した人物としてカルロが挙げた時だ。

 ヘルメスという神については晴馬も気にはなっていた。

 たった数言分の話しか聞いていないが、おそらくヘルメスは傑物だ。

 カルロの言葉によれば『魔法』は『理論』でもって行使される『現象』。つまり魔法とは法則的な知識のことであり、自然科学に類するか、あるいは極めて近しい分野の学問ということだ。ヘルメスという神が魔法を体系化したというなら、それは彼が学問の開拓者であることと同義であり、晴馬の世界で言えばアイザック・ニュートンやガリレオ・ガリレイに等しい人物ということになる。

 であれば、詳細な知識がなくとも『魔法の体系化』が歴史的偉業であることは容易に察しが付く。それより重要なことがあったのでさらっと流されてはいたものの、アレクシアが真っ先に頼ろうと名を挙げたことにも合点がいくというものだ。


「魔法を体系化した神さまらしいな。魔法のことあんまり理解してないけど、たぶん滅茶苦茶やばいだろ」

「そうだね。彼がいなければ現代の文明社会は存在していないだろう。間違いなく未来永劫語り継がれる神の一人だ」


 オリオンが惜しみない賞賛を送る。やはりヘルメスという神が偉人であることは確からしい。

 オリオンは続けて言う。


「彼は世界中を放浪している旅好きな男でね。現状唯一ヘルと交流している神なんだ。厳密には彼女の従者である男とだが、まあ些細な違いさ。従者とさえ接触できればヘルとやり取りは出来る」

「居場所の手掛かりはあるのか? ユランは探すの速攻諦めてたぞ」

「ないよ。でも、どこかで隠居しているヘルを手掛かりもなく探すより、顔も名も知れた男の足跡を辿る方がいくらかは楽だと思う」

「まあ確かに。起きたら相談してみるか」


 ふと時計に目をやるも、時刻は五時五十五分で起きてから五分しか経っていない。晴馬織後に寝たであろう二人が起きるのはもう少し後だろう。

 が、晴馬のそんな予想にオリオンから否定が入った。


「テティスかい? 彼女なら起きてると思うよ」

「まだ六時前だぞ」

「彼女、日に三時間しか寝ないんだ。この二十年で生活習慣が変わっていなければもう起きているはずだよ」

「三時間って短すぎだろ……」

「降りて確認してみればいい。たぶん朝食の準備と夕飯の仕込みをしていると思うよ」


 オリオンの言葉に不本意ながら従い、音を立てないようゆっくりと扉を開いて廊下に出る。

 と、そこで晴馬は思い出したように苦言を呈した。


「そういやテティスってユランのことだよな」

「そうだよ。ある時から偽名を使うようになった。テティスの方が良いのにね?」

「お前の感性はどうでもいいけど、ユランって名乗ってるんだからユランって呼んでやれよ。俺から見ても明らかに嫌そうにしてた」

「おやおや。本名を呼んで怒られるとは思わなかった」

「周りの反応からして全員承知の偽名だろうが。お前、たぶんそういうとこだぞ」

「忠告が刺さるねぇ。覚えておくよ」


 小声でのやり取りを終え、階段を下りてリビングに向かう。

 階段を下りているときから気付いていたが、どうやらユランが起きているのは確かの用だ。台所から料理中らしき音が聞こえる。控えめながら鼻歌も。

 ぬるっとした所作でリビングへ入ると、一拍遅れてユランが晴馬に気づく。

 女神は快晴を霞ませるような満天の笑顔でこちらを見た。


「おはようハルマ。ずいぶん早いな。寝るのも早かったものな」

「おはよ。めっちゃよく寝れたよ。ありがとな」

「ふふっ、そのようだな。寝癖が酷いぞ」


 にやりと口端を吊り上げるユラン。かなり派手な寝癖らしい。両手が塞がっている為かユランは顎で晴馬の後ろを指して言う。


「洗面所で直してくるといい。洗濯機の横の籠に手拭いが入っているから、ついでに顔も洗ってこい」

「そうする」


 晴馬はとぼとぼとした足取りで洗面所へ向かい、冷たい流水を顔いっぱいに浴びせた。濡らした手で暴れ散らかした髪を元に戻し、表情筋を活性化させる為にあらん限り口を開く。

 そうしてリビングへ戻ろうとすると、途中、二階から降りてきたアレクシアと対面する。彼女は眠たげに細められた目で晴馬を見ると、ほとんど口も開かずくぐもった声を出した。


「おはよ……」

「おはよ。二人とも朝早いな」

「うん……」


 ふらふらとした足取りで壁にぶつかりながら洗面所へと入るアレクシア。あまりお行儀はよろしくないとは思いつつも、ぶっ倒れたらどうしようと心配になった晴馬はこそこそと様子を窺う。

 洗面台の前に立ってぼぅっと立ち尽くすアレクシア。たっぷり十秒ほど時間を置いてようやく水を流し始めた。手袋をしたままの右手は使わず左手のみの緩慢な動きで洗顔を済ませると、徐々に重たそうな瞼が上がっていく。

 意識がだいぶと覚醒したアレクシアが、鏡越しに晴馬の姿を視認する。


「堂々と覗き?」

「あまりにもふらついておられたので倒れないか心配になりまして」

「心配性だね。でも覗きはダメ」


 アレクシアは晴馬目掛けてタオルを投げた。見事顔面にクリーンヒット。柔軟剤の香りが鼻腔に広がる。


「いい匂い」

「変態っぽいこと言わないで」

「柔軟剤の匂いだっつの。俺は無罪」

「覗きは有罪かなぁ」


 晴馬はタオルを投げ返して無罪を主張するも、真っ当な反論を受けてしまい有罪を宣告されてしまった。昨日に引き続き二つ目の罪状。もはや告訴まで秒読みの段階だ。南無三。

 眉間から鼻筋にかけていくつも横皺を作る晴馬。ついでに口の端も左右に引き絞る。そんな仰々しい遺憾顔にアレクシアは小さく噴き出して笑う。


「なにその顔」

「冤罪とは斯くして作られるのだなと痛感しております」

「大げさすぎ。んふっ。てかその顔で言うのやめて。んふっ」


 険しすぎる晴馬の顔がよほどツボに入ったのか、アレクシアは度々吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。

 と、視界の端で何かの影が動いた。見やると、リビングからにょきっと顔を覗かせる女神が不満そうな顔でこちらを見つめている。


「おーい、二人だけで楽しそうにされたら女神悲しいぞー」

「ごめんごめん。んふっ」

「なんだ急に仲良くなって。ただいま女神嫉妬中」

「だってハルマが変顔するんだもん。あははっ」


 ついに声を上げて笑い出すアレクシア。どうやらアレクシアは変顔に弱いらしい。覚えておこう。


「朝ご飯できたから食べて良いぞ」

「わかった。んふっ」

「ありがとうユラン。……まだ笑うか?」


 アレクシアは食卓に着いてもうっすらずっと笑っていた。流石に声を出して笑いはしなかったものの、ずっと口角が吊り上がりっぱなしだったのだ。

 食事を終え、ユランが食器を片している間にアレクシアは両手で頬を軽くマッサージする。

 晴馬はしれっと食器洗いを手伝おうとしたのだが、女神の手に神速で阻まれてしまった。これでも駄目ならもう何も言うまい。女神に食器を進呈し一言、美味しかった、と言い残してソファに腰を掛ける。


「そうだハルマ。今日は午前中に仕事が二件あるからヘルの居場所を探すのは午後からになる。すまんな」

「いや全然。手伝ってくれるだけで助かるし。そうそう俺からも一個伝えておくことあって、オリオンからの伝言なんだけどさ――」


 晴馬はオリオンから聞いた話を端的に二人に伝えた。

 オリオンの名を聞いて眉根を揉んだ二人だが、ヘルメスを探すべきだという提案には異論は挟まなかった。

 洗い物を済ませたユランは白いエプロンを脱ぎながら言う。


「ヘルメスを探すのならハルマの戸籍は取っておくべきか……」

「人探しで戸籍?」

「奴がどこにいるかもわからないからな。滞在している国によっては入国許可証が必要になる。ディオスでは戸籍がないと作れん」


 晴馬はすっかり失念していたが、この国にいない者を探すのだから国外に出るのは当然のことだ。そうなればパスポートの申請は必須となる。ディオスで戸籍制度が採用されているのなら、無国籍の状態でいるのは不便極まりない。


「……まぁ、あって困るもんでもないか。でもそんな簡単に取れるもんなの?」

「まあ何とかなるだろう!」

「んなテキトーな……」


 あまりにも楽観的すぎるユランの発言に晴馬が怪訝顔を見せると、アレクシアから正確な情報が伝えられる。


「大丈夫だと思うよ。戦災孤児が養子縁組を組む時に新しく戸籍登録したりするから。ハルマの場合は別の理由にした方が良いと思うけど」

「理由かぁ。出生届の出し忘れとか?」

「だいぶテキトーだけど、まあ孤児の養子縁組よりは自然かなぁ」

「よし! ならばやるべきことは決まったな! まずは今日の仕事だ、準備したら出るぞ!」


 ユランの言葉にアレクシアはのろのろと立ち上がる。倣って晴馬も立ち上がるが、壁掛け時計の針が指す時刻は六時半。随分と早い出勤だ。


「え、もう?」

「なんでも屋の朝は早いのだ!」


 女神の勢いにせっつかされるようにして身支度を済ませ、晴馬たちは早朝の街へ赴くこととなった。


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