4.目覚めた神さま
地上七階という高さから部屋の外へ放り出されたアレクシアは、まず身の安全を確保するための策を講じた。空中で身をよじり姿勢を整え、威力を調整した衝撃波の魔法を待機状態にする。地面に直撃する寸前でそれを放ち、落下の衝撃を極限まで相殺することで、致命傷を避けて地面を転がった。
駐車中の車に当たって止まり、痛む身体を抑えながらふらふらと立ち上がる。
対するクラウディアは金属の脚で難なく着地していた。一脚につき二十以上ある関節機構が衝撃を吸収し緩和しているのだ。自分だけずるいなぁ。そんな思考が脳裏をよぎる。
上空から降ってきた二人を見て、駐車場にいた一般人らはただ事ではないと焦った様子で避難を始めた。正しい判断であるし、アレクシアにとっても都合が良い。どうせ戦闘は避けられないのだから、周りに人がいない方が助かる。
少女が装備している金属の四脚『アレスの神器』を使えば、一度の跳躍であの部屋に戻れる。それをしないのは撃ち落されるのを警戒しているからだ。アレクシアを部屋の外に連れ出したのも目的達成の障害となるからだろう。
ただ、身体の傷みが酷くてすぐには戦えない。魔法だけは待機状態にして、言葉で時間を稼ぐ。
「どうしてハルマを狙うの?」
少女とは友人ではないが旧知の仲だ。性格はよく知っている。話しかければ必ず答えるし、同時に二つ以上のことをしたがらないから話している間は手を出してこない。
「あの人の権能がいるの。邪魔しないでほしい」
「権能? 彼は人よ。神じゃない」
「知ってる。中にいるオリオンの権能が要るの」
それを聞いて言葉に詰まった。
オリオンの権能と彼女は言った。
その名はアレクシアの思考を一瞬停止させる。時間稼ぎの為に考えていた言葉がすべて吹っ飛んでしまった。
話を止めれば向かってくる。だから無理にでも声を出した。
「オリオンは、死んだ」
「魂魄はハデスの拘束から逃れてる。いまはあの人の中」
「それでもありえない。彼はこの世界の人じゃない」
「知ってる。でも中にいるの、オリオン」
ことごとく言い返され、それが事実か確かめるすべはなく、ただ飲み込むしかない。
二十年前、オリオンは死んだ。
貞潔の女神が射殺した。
それは覆らない前提だ。
では、少女の言ったことは一体なんなのだ。
神ハデスは死して肉体を離れた生命を司る冥界の王だ。
この世界のすべての生命は死ねばハデスの元へ集う。
だが、オリオンは違う。女神の一矢はオリオンの魂ごと射貫いて、彼に完全な死を与えたはず。だからありえない。少女の言葉は現実ではない。
なのに、否定の言葉すら浮かばない。
「……」
「話は終わり? じゃあ邪魔しないでね」
「――っ!!」
クラウディアが七階の部屋に戻ろうしたのを察知して、アレクシアは衝撃波を解き放つ。
神器では壁として足りないと、クラウディアは路駐してある車を引き寄せて衝撃波を防いだ。その威力は先のものと比べても凄まじく、車が紙切れのように容易く吹き飛んでしまう。それを見ても少女は動じない。車の残骸を路傍に捨てて、臨戦態勢を取る。
「説明したのに、まだ邪魔するの?」
「どの道ハルマは渡さないわよ」
「私に勝てたことないのに?」
「負けたこともないわ!」
叫びながらもう一度衝撃波を放つ。出力を絞り、発動までの時間を極限まで短縮させた牽制の一手だ。神器一脚の一振りで相殺できる程度。クラウディアならば回避ではなくそちらを選ぶ。
クラウディアが攻勢に使えるのは二脚までだ。残りの二脚は身体を支えるのに当てている。そして神器は見た目相応の重量。相殺に使った方は遠心力の影響ですぐには使えない。その隙をつく。
アレクシアの衝撃波はあらゆる応用が効く。己の身体を飛び抜けるような勢いで射出することはもちろん、出力を絞ればノータイムで発動することもでき、疑似連射も可能だ。
予想通り、残り一脚で向かってきたアレクシアの迎撃。それも衝撃波で弾いて無力化する。少女の懐で着地し、無防備な本体を狙う。
が、振るった腕がスカった。
「なっ!?」
「いつでも取り外せるようにした」
同じ目線に高さだったはずの少女が足元でしゃがんでこちらを見上げている。アレスの神器から身体をパージしたのだ。小さな手が触れているのはアレクシアの足首と地面。極彩色の粒子が拡散し、魔法が発動する。
「キュドイモスの複製。全部で三十体。がんばって」
極彩色の粒子は槍を持った戦乙女を象る。神エニュオが従える狂乱の戦士。その複製だ。本物との差異は姿全体が朧げなことと、上半身しかないこと。
振りかぶった槍が舗装された地面を砕く。
一体一体がこの破壊力で、この数に囲まれるのはまずい。
詰めた時と同じ方法で距離を取り、複製を衝撃波で撃ち抜いていく。
耐久力はそれほどではなく脆いが、かといって砕き易くもない。しっかりと溜める必要がある。相手の動きの速さと溜めの速さはおおよそ同等。適切なタイミングで適切な威力を適切な相手へ放つことが必須だ。しくじりは許されない。
「だから神なんてぇっ!!」
怒りのこもった雄叫びと共に最後の一体を吹き飛ばす。
すぐにクラウディアを探す。先程までいた場所にはいない。七階へ視線を向けると、壁の穴辺りにクラウディアの姿があった。
「こんのっ」
魔法で作った弓矢を番えてクラウディアの背を狙う。
弦を最大まで引き絞って、そして異変に気付く。
言葉にならない声が漏れた。
クラウディアの身体が大きく吹き飛んで、部屋の中から誰かが姿を現した。
手に付いた血で髪を掻き上げ、冷たい目で地面に落ちたクラウディアを見下ろす壱夜晴馬の姿。
だが、違う。彼じゃない。
身体は彼のものだが中身が違う。
さっき否定できなかった少女の言葉が、いま、目の前に現実として現れた。
「オリオン……」
その呟きは彼には届かない。