21.もういちど
セリオス村。それは未開拓領域内にかつて存在した小さな農村。
文明の神・ヘルメスの従者、ラグナ・パーシアスの生まれ故郷であり、未開拓領域全土を住処とする魔獣ゴルゴーンによって無残にも滅ぼされた村だ。人が居た当時はおよそ七百人程度の人が住んでおり、種類が豊富で栄養価の高い青果物を特産品として周辺都市や諸外国に輸出して生計を立てていた、いわゆる惣村でもあった。
ユランが打ち出したアレスの全快予想日はおおよそ七日後。
余裕をもって市街地から離れることにした晴馬、アレクシア、ユランの三人は、現在村からすぐ近くの高台に野営を築いていた。
魔獣に荒らされた後、雨風に晒されながら何年も手付かずのまま放置された結果、セリオス村は当時の見る影もないほど荒廃してしまっている。
ラグナ曰く、最初にゴルゴーンが現れた後も何度か村中を漁って『餌』を探していたらしい。不幸中の幸いというべきか、生き残った者とヘルメスらの尽力で村人の遺体は迅速に回収されていた為、魔獣によって死者の尊厳が冒涜されることはなかったものの、村の跡地を守ることまでは出来なかったという。
「にしても、酷い有様だな。言われても七年前まで人が住んでいた場所とは思えねぇ」
「魔獣がいるとこういうことが容易に起こる。都市外の交通基盤が不十分なのも魔獣被害への対応策が対処療法的なものしかないからだ。故に魔晶を神による負の遺産と呼ぶ者もいる」
「あんだけ日々の生活を魔晶に頼っておいてか? 都合良いなぁ……」
「しかし事実だ。魔晶が我々の不始末の結果であることに変わりはない」
少しだけ切立った丘から眼下に広がる光景に、女神は悔恨の念を表す。
魔晶が人類の生活の基盤となり、湯水のように消費されるようになっても、地底に蓄積した魔晶が尽きることはない。
神が誕生してからこれまで、幾度かあった人類史は、そのすべてを総計してもわずか二万年足らず。数十億年に渡る権能の行使によって生成された魔晶を消費するには、それだけあってもまだ足りないのだ。
「それもいずれは片付けねばならん問題だ」
「いますぐ石油なくせって言われても無理だもんな」
晴馬は足元の小石を丘下に蹴飛ばしながら言う。
「で、あいつらいつ来るかね。てか来るかどうかも不安になってきた」
「なんでも屋の仕事中、方々へ近々セリオス村に行くと触れ回った。我らの動きを探れば確実に耳には入る。奴らが本気でオリオンを狙うならば誘われているとわかっていても来るはずだ」
「……まぁ、諦める気なら交渉なんて端からしないか」
その時、ふと、風が吹いて反射的に目を閉じた。
しかし研ぎ澄まされ鋭敏になった晴馬の聴覚は、切れるような風音の奥に鈍い駆動音を聞き取った。
駆動音は次第に距離を縮め、晴馬たちのすぐ後ろに降り立つ。
焦りも困惑もなく、晴馬とユランはほとんど同時に振り向いた。
アレスとエニュオはいない。いたのは金属の四つ脚を背に蓄える少女だ。
「よう、クラウディア。早かったな。さっさと街を出て正解だった」
「花はちゃんと手入れした?」
「したよ。もう枯れちまったけど」
相も変わらず表情筋の死んでいるクラウディアは、視線を右往左往させて問うた。
「アレクシアはいないの?」
「テントで仮眠中だ。そっちこそ一人か?」
「ううん。近くにいる。私は穏便に事を済ませる為に来た」
「諦めてくれるのが一番穏便なんだぞとは言っておく。その上で話を聞こう」
クラウディアは神器を外して戦意がないことを示した。が、そんなもの、晴馬たちはそもそも感じていないことなど少女は知る由もない。
「権能を渡してほしい。このまま戦えばどっちかが死ぬまで終わらなくなると思う」
「その点については心配すんな。ユランと一緒に対策考えてあるから」
晴馬はユランと目を合わせ、にやっと片側の口角を吊り上げる。
「何するかわからないけどアレスは諦めない」
「諦めさせる必要はねぇ。何もさせない、出来ない状況を永続的に作ればいい」
「どうやって?」
素朴な疑問。首を傾げるクラウディアに晴馬は嬉々として返す。
「人が罪を犯したらどうなる?」
「逃げる」
ノータイムで返された回答は晴馬の想定と真逆を言っていた。思わず愕然とする。
「まさかの犯罪者側の意見……じゃなくて、社会は犯罪者をどうする?」
「捕まえる」
「そう。理由は様々なれど、とりあえず牢屋に入れる。違った言い換えよう、豚箱に入れる」
「言い換えんでいい」
半目のユランに苦言を呈される。晴馬が視線を逸らすと、クラウディアがまさにという返答をした。
「アレスは捕まえられない。転移でどこにでも行ける」
「逆に言えば転移さえなければ捕まえられるわけだ」
「……権能を奪うの?」
「その方がお互いわかりやすいだろ?」
アレスの目的が権能ならば、こちらの目的もまた権能。
実にシンプル。ルールは明快に、奪い合いだ。
皮肉っぽく言う晴馬をよそに、クラウディアは見ても気づかぬほど微かに目端を窄ませた。
「でも権能は殺さないと奪えない」
「オリオンなら殺さずに奪える。あくまで本人談だが、あいつにとっては何百って権能を奪ってきた経験談でもある。行為の是非はともかく信憑性は高い」
「……」
「どうだ。どっちも死なずに終われる策、気に入ったか?」
「うまくいくとは思わない」
「そりゃやってみないとわからん」
「……」
再び押し黙るクラウディア。初めて、感情が表情に出た。
明らかに、少女は苦悩している。
晴馬の目に映る少女の行動は、あまりにも一貫性がない。
傷つけることも厭わず襲い掛かってきたかと思えば、晴馬たちの命が危ういとなると身を挺して助けもした。
見過ごすにはあまりにも大きな矛盾だ。
クラウディア自身、アレスやエニュオの行為を異常だと認識している。付き従い続けることが間違っていることだともわかっている。
それでも生まれた時から二人の下にいた。
世界のすべてを二人に教えてもらった。
親としては不出来がすぎる神だったが、愛情だけは確かにあった。
その愛の温かさを知っているから、たとえその手が血に塗れて汚れていたとしても、片時も離さず握りしめていたいと思ってしまう。
クラウディアもまた、生まれながらに歪の側にいるのだ。
何が正しいことなのかわかっている。
わかっているけれど、間違った側にいることを止められない。
なぜならそこが自分の原点だから。
少女にとってのすべてがそこにあるから。
クラウディアは一歩下がって神器を装着した。小さな体躯がゆらりと浮かび、金属の脚が音を立てて駆動する。
「できればこっちについてくれりゃと思ったけど」
「それはできない。どんなに愚かでも私にとってはたった二人の大好きな家族だから」
「そうか……だったら猶更ぶん殴って止めてやるよ、お前のバカ親どもを」
拳を固め、そう宣言する晴馬。
対峙するクラウディアの両隣に、今し方、バカ親と誹った二人の神が音もなく現れる。
「ならば止めてお見せなさい」
「我々をなァ! オリオォオオオオオン!!」




