20.人と神の間
ラグナ主導の勝手気ままなお土産選びが済むと、ちょうどユランからアレクシアへ連絡が入った。仕事がひと段落したので一旦合流したいとのことだ。
女神の到着を待つ間、お土産を買った百貨店の近くをあてもなくぶらぶらと練り歩くことおよそ十五分。着崩した作業着姿の女神と今朝ぶりに再会した。
「皆揃っているな。――ん、何か買ったのか?」
手提げに気づき、ユランが興味を示す。
「お土産。ラグナが買おうって」
「散々な目に遭ってそれでただ帰るのって寂しいじゃないですか。なのでせめて良い思い出として何か買ってあげようかなと。イチヤさんは今後これを見る度に別世界にいる私たちに思いを馳せるわけです。死ぬまでずっと。死んだ後も永遠に」
「そこまで行くともう思い出じゃなくて呪物だよ」
「なんてこと言うんですか。はっ倒しますよ」
「お土産か。我も何か買ってあげたいな。希望があれば言ってくれ」
「じゃあ呪物以外で」
「ぬんっ」
「痛いっ!」
ラグナの鋭い蹴りが晴馬の腿裏を襲う。ただ一人会話に参加していなかったアレクシアが呆れ返ったような声を出す。
「揃いも揃って……」
「なんだよ。揃いも揃って馬鹿ってか?」
「そこまで言ってない」
「言ってないだけですよね?」
「……黙秘」
二対一は不利だと悟り、禁断の権利を行使し始めたアレクシア。が、ラグナはそれを許さない。殊更に声を上げて追撃を敢行する。
「はぁー! 斜に構えた大人ってのはこれだから! ほら、イチヤさん、アレ行きますよ。滅茶苦茶買い込んだのにお会計の時に電子決済できなくて仕方なく現金出そうとしたら一銭もなかった人の顔の真似。さんはい!」
アレとは何かなど問う間も考える間もなく出された急すぎるフリだったが、晴馬は見事対応して見せた。会計の始まりから一連のジェスチャー付き。すべての感情が消え失せ、焦りだけが顔に出ているなんとも情けない人間の表情をよく表現できている。
変顔に弱いアレクシアはもはや様式美のように噴き出した。
「んはっ」
「オイオイオイ、こんなんで笑う奴も大概馬鹿だよなぁ?」
「ええ、馬鹿です。年齢考えると一番馬鹿。知育玩具で喜んでる大人くらい馬鹿」
「ね、年齢はいま関係ないでしょ……んふっ」
笑いが止まらないアレクシアでひとしきり遊んだ後、百貨店近くにある出店が並ぶ小さな街広場まで移動した。
出店で買い食いしているラグナと巻き込まれているアレクシアの少し後ろを歩きながら手紙の内容をユランに伝えると、彼女は少しだけ目端を歪ませた。
「含みのある書き方だ。何か企んでいるなあの男」
「良くないことか?」
「とも言い切れんが……まあ碌でもないことの可能性は高い。心配せずともハルマたちに無用な面倒は掛けさせんよ」
「帰るの手伝う代わりに何かしてほしいってって話なら普通に受けるんでそこんとこはヨロシク」
「うむ。しかし帰る算段は付いたな。残る問題はアレスと――」
ユランの視線が晴馬の胸のあたりに注がれる。ユランの代わりに晴馬自身が言葉を繋いだ。
「オリオンだな」
晴馬の内に宿る神、オリオンとの分離も目的の一つだ。
あの一件以来、彼はほとんど表に出てきていない。というのも、オリオンの魂が晴馬の肉体に馴染んでいたのは肉体の主導権を頻繁に入れ替えていたことや権能の過度な行使が原因の可能性が高く、晴馬の身体がこれ以上人の身から逸脱しないようにするためらしい。
晴馬自身はアレスともう一戦交えるつもりなので、正直なところ無用な気遣いではあるのだが、オリオンに身体を使わせるのは癪だし、オリオンの存在が表に出ないことでアレクシアの精神安定にも繋がっているので、無駄に出しゃばらず大人しくしてくれること自体は普通にありがたかった。
「でもヘルって神様に会えれば分離は出来るんだろ。心配ないんじゃないか?」
「そこではない。真に問題なのはハルマの肉体の方だ」
「というと?」
「オリオンも言っていただろう。奴の魂に適応し、ハルマの身体も変化している。それ自体があまり良いことではないというのは我も同意見だ」
「別に俺は構わねぇけど」
何の気なしに言う晴馬。ユランは特にそれを否定したりはしないものの、やや厳かな声音で続けた。
「神には神が分かる。その点で言えば我から見てもハルマはまだ神とは言えん状態だ。少なくとも平時はな。だが、先日の一件、あの時に受けていた傷はただの人であれば間違いなく死んでおるほど深いものだった。その点で言えばハルマはもう人とも言えん状態なのだ」
「それは、そうだな」
「我も人ではない。そういう意味ではハルマと同じ立場にいる。だから人とは違う存在になるということを、あまり軽く考えて欲しくはないのだ」
「……」
「なんというか、あまりうまく言えなくてすまん」
「いや……」
晴馬はいつもとは違う笑みを浮かべるユランを見、次いで歪になってしまった自分の左手を見た。
感覚的な面はともかく、見た目から受ける違和感はいまだ拭えない。視界に入る度に意識が削がれ、つい見てしまう。爪の形も皺の位置も違い、産毛も生えていないまるで自分ではない誰かの腕を。
晴馬にとってはまさにこの腕こそ、自身が人から逸脱している証だ。
彼女は言った、人でなくなることを軽く考えてほしくないと。
しかしこうも考えられると晴馬は思うのだ。
頑丈な身体、容易に死なない身体があれば、より多く、より長く、より広く、誰かを助けられるようになるのではないかと。
晴馬は左手をぎゅっと握り込み、改めて女神と目を合わせた。
「別に軽く考えてるわけじゃない。それに人じゃなくなることが誰かを助ける力になるのならその方が良いだろ?」
「より辛く険しい道だ。わざわざ」
「だからこそじゃないか。人が歩けない道なら、人じゃない奴が歩けばいい。俺がその役目を果たせるなら喜んで果たす。それだけだよ」
なんてことないような調子で、晴馬は笑みを浮かべながら言う。
茨の道も、道は道。
この身で障害を取り除けるなら、喜んでそうしようとも。
そう夢想し、すでに前を向いて歩いている晴馬の目に、陰った女神の表情が映ることはなかった。




