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アポカリプス・プレリュード  作者: 桜木姫
狂乱の軍神
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2.壱夜晴馬、十八歳

 壱夜晴馬の十八年の人生を語る上で最も特筆すべき点は片親の不在であろう。

 晴馬が五歳になって間もなくの頃、自宅近くの交差点で起きた交通事故に巻き込まれて母親が亡くなった。子供を助ける為に飛び出したのだ。助けた子は軽傷で済んだものの、母はそのまま帰らぬ人となった。

 十代で自分を生んだ母は、親というよりは姉に近かったと思う。いつも笑顔で明るくて、ウザったいぐらいくっ付いてきては一緒になって遊んで騒いで、その度にやりすぎだと一緒に父に叱られていた。大きくなるにつれてあまり抱っこはしてくれなくなったけど、見上げればいつもいたずらっぽい笑顔が自分に向けられていて、繋いだ手に力を込めるともっと強く握り返してくれるのが堪らなく嬉しかった。

 いつだったか、こんなことを言われた。


「晴馬もちゃんと大切な人を守れる人になりなね」


 その時、晴馬は母の膝の上で背中から抱きしめられていたから、どういう表情をしていたのかまではわからない。

 ただ、明るい声音に少しの悔恨の情が込められていたように感じた。

 晴馬の母、壱夜かなは幼少の頃に奇しくも交通事故に遭いかけて、それを実父の一ノ瀬周吾に助けられている。その経験からか、誰かを守れる人になりたいという気持ちは人一倍強かったと思うし、だからこそ母は若くして子供を産みながらも医療従事者としての道を選んだ。

 大切な人を守れる人になる。

 誰をも守れる人になる。

 そんな母の姿に憧れたからこそ、幼き晴馬もその言葉を心に刻んだのだ。

 そんな時だ、母が死んでしまったのは。

 大切な人に順位を付けられるわけじゃない。

 それでも母が一番身近な人だったことは確かで、晴馬が一番に守りたいと思っていたなによりも大切な人だったのも確かで。

 だから、母が死んでしまった時はしばらくどうしていいかわからなかった。

 もう会えないことはわかっているけど、いなくなったという実感がない。

 いつも一緒にいた半身のような人だったから。

 胸を抉られるような喪失感はあった。

 時の流れすらわからなくなるような虚脱感もあった。

 しかし、それが涙や嗚咽として表れることはなかった。

 薄暗い安置所で眠る母の顔を見ても涙一つ流さなかった晴馬の姿を見て、父は泣きながら息子を抱きかかえた。

 家族の為に仕事に日々奔走してきた強く優しい父が、初めて見せた大粒の涙。

 その時に幼い晴馬は人生で初めて小さな決意をした。

 絶対にお父さんを残して死んだりしない、と。

 晴馬自身も大好きな人で、尊敬する父親で、なにより母が愛した人だから。

 いまは亡き母の意志を、壱夜晴馬は継いでいるのだ。

 だから異世界に迷い込んで行方不明などという意味の解らない理由で、最愛の人を失った父から息子まで奪うわけにはいかない。

 そんな晴馬の身の上話は、女神たちの心を強く揺さぶったようだ。


「ハルマ」

「ん?」


 ディオスの街並みを先行する二人を追う形で歩いていたが、己の名を呼んで立ち止まった女神に倣って晴馬も立ち止まる。

 勢いよく振り返った女神の顔を見れば、そこに浮かぶのは感極まったような表情。


「我は感動したぞ……母と父との家族愛に」

「別にそんな大層な反応されるほどの話じゃねぇんだけど」

「そんなことはない! このユラン、こうなったらハルマが元の世界に帰れるまでいかなる協力も惜しまんぞ! な!」

「うわっ」


 ものすごい勢いで首を振るユラン。あまりの勢いにアレクシアも赤い髪を揺らすほど身を仰け反らせる。さらに一歩踏み込んだ女神の圧がアレクシアに迫る。


「な!」

「そ、それは全然いいけど……びっくりするからやめてよ」

「よーし、情報収集なら任せろ。なにせこの街の女神だからな、それなりに顔は広いぞ!」

「……ありがとな。助かる」


 同情を誘うような話をしてしまったと晴馬は内心で恥じ入ると共に、これぞまさに明朗快活、といった女神の姿に感銘を受ける。

 それにこの協力の申し出は非常にありがたいことだ。別世界に迷い込んで一人路頭に迷うなんて状況の悪さは旅行中に海外で迷子なんて話の比ではない。先のチンピラのこともそうだが、晴馬が培ってきた既存の常識が通用するかもわからない場所だ。ユランのようにわかりやすく『良い人』の手を借りられるのはこの上なく助かる。

 アレクシアの方は女神ほど積極的ではないにせよ、かといってしぶしぶというほどの抵抗感もないいたって普通の反応。言ってしまえば、助けられるなら助ける、くらいの感じだ。いまの晴馬にはそれでも十分すぎるほどありがたい。

 最悪の状況から一転、事態が好転し始めたのを感じる。

 とはいえ、別世界に迷い込むという異常事態にテンプレート的なマニュアルはない。まずはこうなってしまった原因から探らねばならないだろう。


「協力するのはもちろん構わないけど、何すればいいの? 別世界に行く、ってか戻る? なんてどうやるかわかんないでしょ」

「こちらへ来た方法をまるっと逆転して再現すれば戻れる!」


 通称、来た道を引き返す。誰もが真っ先に浮かぶ最も単純な案だが、その単純さゆえに懐疑的な目を向けるのはアレクシアだ。


「それがうまくいく確証は?」

「ない。が、物は試しだ。前例がないというのはそういうことだからな。たとえ失敗してもその方法が間違いであるという確証は得られる」


 高らかな声音で言うユランにアレクシアはひとまず納得したような表情を見せる。


「じゃあ晴馬がこっちに来た時の状況を教えてくれる? 何が起きたのか、見たり聞いたりしたもの細かく全部」


 問われ、晴馬は腕を組んで眉をひそめた。


「バ先の友達と歩ってたら急に景色が変わったんだよ。コマ撮りした動画にまったく別の絵が差し込まれたみたいな感じに。パッと。夕方だったのが昼になってて、景色も様変わりしてて、みたいな」

「前兆とか異変とか、そういうのは?」

「少なくとも普通に歩ってて気づくような露骨全開なのはなかったな」

「バ先? の友達は一緒に来てないのよね?」

「と思うぞ。直前まで奏音に腕掴まれてたし一緒に来てたら近くにいるはず」

「カノンとは?」


 固有名詞に反応を見せるユラン。それに晴馬が簡単な注釈を付け加える。


「友達の名前。一ノ瀬奏音。俺が着の身着のままこの世界に来たってことは、俺の腕掴んでた奏音がついでに来ててもおかしくないだろ。でもいないから多分来てない」


 言いながら晴馬の脳裏にふと疑問が過る。同じタイミングでアレクシアも表情を険しくした。


「服装や荷物はそのままで、だけど人はついてきてない……」

「なんか改めて口にしたら気づいたわ。明らかおかしいな」

「ええ、おかしいわね」


 おそらくいま、アレクシアと晴馬はほとんど同じ思考をしている筈だ。

 この世界に迷い込んだのが『所持品を備えた壱夜晴馬』であるという事実は、一見違和感なく受け入れられてしまいそうになる。

 しかし、よくよく考えればおかしいことに気が付く。

 例えば。世界という箱庭が誤作動を起こした結果、壱夜晴馬が別の世界に移動したと仮定した場合、考えられるパターンは大きく分けて二つ。

 一つは、壱夜晴馬個人に対する誤作動。

 しかしこれは晴馬がいまも衣服を着ていることで否定される。晴馬が身に着けている衣類や所持品は社会の仕組みが晴馬の所有物であると定義しているだけで、それ自体は単なる布やプラスチックに過ぎない。

 もう一つは、壱夜晴馬とその周辺に対する誤作動。

 しかしこれも晴馬の友人である一ノ瀬奏音がこちらの世界に来ていないことで否定される。仮に地肌へ接触を条件とするならポケットの中のスマホと財布、靴下越しにしか触れていない靴も消えている筈だ。衣服越しでもありだとするなら、靴越しの地面や奏音が転移に巻き込まれていない理由に説明がつかない。

 では、この二つの説が否定されると、結論は何処へ帰結するのか。

 いや、結論というべきではない。これはあくまで前提だ。

 転移させる物の、意図的な選別。

 ふと、晴馬とアレクシアの視線が交差する。二人はほとんど同時に言葉を発した。


「あなたは誰かに呼ばれてきた?」

「俺は誰かに引きずり込まれた?」


 彼女は気持ち好意的に、対して晴馬は悪態をつくように。

 それは、例えば切り取ったデータを別のストレージに移し替えるかの如く。

 世界という巨大な箱庭に干渉できる『何か』によって、壱夜晴馬と彼にまつわるデータが異なる世界という領域に移し替えられたのだ。

 晴馬はポケットの中からスマホと財布を取り出して言う。


「俺が『自分の所有物』だけ持ってこっちに来てるってのはどう考えてもおかしい。明らかに人と物を選別してる」

「つまり自然的な現象じゃなくて、誰かがわざと引き起こした」

「なら知るべきは誰がどうやって、だ。そういう魔法とかってあったりするのか。他の世界にまで干渉するとか」

「どうかな……私は知らない。どう?」


 アレクシアはユランに目線を配る。


「心当たりはない。が、心配はないぞ。こういう時は専門家を頼ろう」

「え、専門家いるの?」

「厳密には知ってそうな奴だな!」

「専門家の定義だいぶガバいな……」


 なはは、と笑う女神の隣でアレクシアがなにやら思案顔を作る。


「ヘルメスあたりにでも頼ってみる?」

「それも一つ手だが、年がら年中所在が掴めん男を当てにはできん。探し出す手間を考えると、まあ最終手段だな」

「じゃあ誰に?」

「カルロだ。奴なら何か知ってるだろう」

「カルロってどなた?」


 一人目に上がった名前は一旦スルーして、二人目の人物について晴馬は問う。


「国立図書館で司書さんやってる人なんだけど……なんていうか、そういう話に異常なほど詳しいの」

「じゃあガチで専門家なの、そのカルロさんって人は」

「別に研究者とか学者とかではないぞ。カルロのは完全な趣味だからな」

「あぁ知識オタク系ね」

「ま、カルロさんが知らなくても図書館行けばそういうの調べられるか。閉館前にさっさと行きましょ」

「よーし、そうと決まればいざしゅっぱーつ!」


 元気よく高らかに気勢を上げた女神に腕ごと引かれ、鑪を踏んで歩きだす晴馬。


「のわっ。ちょ、自分で歩くから引っ張んないで」

「ほら、行くぞアレクシア!」

「はいはい」


 十年来の友のような気安さやり取りしながら先を行く二人の後を、赤髪の少女は外套を揺らしながらゆっくりと追った。

 その様子を、どこかから見据える陰には気づかずに。


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