13.喪失
「――――――――――ッ!」
広場全体を飲み込まんかというほどの爆発。
生み出された爆発の余波は、交戦中だったアレクシアやエニュオらも巻き込んで広がった。
砂塵もこれまでの比ではなく、台風が吹いたような規模で一帯を覆い尽くしている。
すべての音が途絶え、聞こえてくるのは砂礫や何かの破片が降り注ぐ音だけだ。
「いったいなにが……」
咄嗟に身を守ることしかできなかったアレクシアが呆然と呟く。
言葉を失う光景だった。
炸薬弾頭が投下されたと言われても違和感などない。
この光景を、オリオン一人が生み出したというのか。
かつて最強の軍神を下した史上で唯一の神、オリオン。
数多の権能を奪い、そのほとんどを失いながらもなおこれほどの力を行使する。
アレクシアは身震いを禁じえなかった。
目の前の光景に、幼き頃の記憶を重ねる。
常に戦禍の下にあった故郷で、彼女の父はオリオンの凶行に巻き込まれて死んだ。
名も知らない神を殺そうと無差別に放たれたオリオンの権能。その余波が建物を倒壊させ、彼女の父は我が子の身代わりとなって降り注ぐ瓦礫に押し潰された。
父親と右腕を失ったあの日。
状況は違えど、彼の光景は当時の記憶を鮮明に呼び覚ました。
そして。
「ぁ……」
土煙の中に歪な十字架の影を見た。
砂礫が大地に沈殿し、次第に影の正体が露わになる。
それは晴馬だった。正面を向いたまま、歯を食いしばって小刻みに震えている。
その腹に、折れた戦斧の柄が深々と突き刺さっていた。
――ぁぁ。
アレクシアは己の意識が黒く染まっていくのを感じた。
視界が急激に狭まり、呼吸が不規則になる。
あの日と同じだ。
胸にぽっかりと穴が空いて、己の無意識が勝手に心を憎悪と憤怒で満たす。
溜め込んで発散されなかった負の感情は、アレクシアの心をじわじわと蝕んでいた。
かつてオリオンは貞潔の女神に矢を射掛けられて死に、幼いアレクシアには復讐の機会さえ与えられなかった。
理不尽だ。不条理だ。不公平だ。許せない。許されない。許さない。
――……あれ?
ふと思う。
どっちだろう。
いま、私がいとわしく思っているのは。
オリオンかアレスか、それともハルマか。
考えなくてもわかっているはずなのに、いくら考えてもわからない。
視線の先で、誰かわからない男が噴き出すように血を吐いた。
「――ごほっ……!」
晴馬は己の腹を貫く柄を両手で掴んで呻く。
いま起きたことはとても単純で、言語化自体は易い。
オリオンの拳は戦斧に阻まれて直撃はせず、槍と斧部分を粉砕しながらアレスの身体を大きく吹き飛ばした。そして爆発が起きてすぐ、何故かオリオンの意識が途絶え、晴馬の意識が表に出た。
その直後、砂塵の中から飛んできた柄が晴馬の腹を穿ったのだ。
「ダァメェじゃあないかぁ……――オリオォオオオン……」
響くような低い声。アレスが砂塵の中から姿を現す。
建物を大きく超えて吹き飛ばしたはずだから、おそらく転移で戻ってきたのだ。
怪我の度合いで言えば晴馬よりも余程酷いアレスだが、それを感じさせぬ堂々たる足取りでゆっくりと晴馬へ近づく。
「馴染んでいないと自ら言っておきながらそんな権能の使い方をしちゃあ」
「テ、メェ……っ!」
口の端と腹から大量の血を垂れ流しながら晴馬はアレスを睨みつける。
いまだ衰えぬ気迫に圧倒されそうになるが、いまのアレスの状態ならそれほど脅威ではない。
だが、互いに満身創痍。
権能の負荷に続き、腹に穴を開けられた晴馬は、意識を保ち続けるので精一杯だった。
「オリオンは眠ってしまったかぁ? ならば小僧ぉ、お前と手合わせ願おうかぁ」
焼死体然とした風貌となってなお戦意衰えぬアレス。
晴馬は戦慄する。
まさに戦うことに取り憑かれた狂気の軍神。
アレスは晴馬の目と鼻の先まで歩むと、腹に突き刺さった柄を握り、ぐぐぐ、と力を込めた。傷口を拡張するように角度をつけて押し込む。これほどの傷を受けてさらに鮮烈な痛みを与えられ、晴馬の視界は強烈なほど明滅した。
「――ぁぁあああああああっ!!」
断末魔のような叫声。
意識が飛びそうになるも、晴馬は歯を食いしばる。ここで意識を失えば詰みだ。元の世界に帰るどころか、見知らぬこの世界で短い人生に幕を下ろすことになる。
それだけは、何があっても許されない。
母への誓いを果たすまでは。
たとえ何があろうとも。
「良い目だぁ小僧! 執念を見せろ! 生への渇望、勝利への欲求! どちらが欠けても高潔な兵としてふさわしくない! 足掻けぇ! そして俺を圧倒して見せろぉッ!」
「――――――ッ!!」
なのに。
柄を掴んで抵抗する。
力が足りない。抗うための力が、残されていない。
アレスはより強く力を込めて、晴馬の腹を抉った。
その度に滂沱の血が流れる。
一体どれだけの血が流れたのか、確認する術はない。
ただ、この身が熱を感じなくなっていくのだけははっきりと分かった。
と。
「殺す」
それは、声が届くはずもない距離にいる赤い髪の少女の呟き。
虚ろな目をした少女は、右手に一極集中させた衝撃波を解き放った。
指三本程度まで圧縮された衝撃波の弾丸。
音を置き去りにし、両者の間を一挙に詰めて、圧縮された衝撃波は軍神の身体を削り取る。
その様は、さながら昨日の晴馬とクラウディアを模したようだった
「――無粋なァ!」
腹の欠損しふらふらとよろめくアレスは、アレクシアを振り返り強い嫌悪の情を向ける。
その手に形成されるのは、簡素な造りの無銘の槍。
晴馬は考えるよりも先に動き出していた。
オリオンのように経験から動きや次手を推測することはできないが、ここでアレスが転移を使おうということまでは自然と読めた。
転移の仕組みは当初の予想通り、アレス本人の意思決定によって取捨選択される。
だからこれは賭けでもあった。
そして晴馬は、その賭けに勝った。
転移直前のアレスの身体に触れ、次の瞬間、景色が変わり、近くにアレクシアの姿を見る。
「小僧……っ!」
アレスは歓喜交じりの驚愕を露わにする。
しながらも、無銘の槍はアレクシアへと向けられていた。
状況を見て判断している猶予はなかった。
――誰をも守れる人になる。
脳裏に響くは、亡き母に誓った己の決意。
「――ぁぁああああああっ!」
晴馬は腹の柄を抜いた。すでにアレスに抉られているとはいえ、余計に血を流し、生存への道を閉ざす愚かな行為だ。
しかし晴馬に迷いはない。
ここでやらねば彼女が死ぬ。
それだけは許容できない。目の前で誰かが殺されるなんてまっぴら御免だ。
晴馬は引き抜いた柄を最低限の動きで振りかぶると、アレスの喉元に突き立てた。渾身の力でアレスを押し倒し、我が身諸共という勢いで地面に縫い付ける。
アレスは仰向けに、晴馬はうつ伏せに地に横たわる。
両者とも流石にもう動けない。
「ぉ……っ、小僧っ……! やるではないか……!」
ほとんど聞き取れない声で、アレスは賞賛を口にした。
この期に及んで、とことん気の狂った神だ。
晴馬は意識が遠のく最中、そんなことを思った。




