12.神というのは
ユランたちと別れてから三十分ほど経ち、晴馬とアレクシアはオフィス街まで来ていた。横長に建設された年季を感じさせるレンガ造りの駅前を並んで歩く。ここを通り過ぎて少し歩けば官庁街までもうすぐだ。
ビジネス街の駅前ということで人も多く、晴馬の視線は自然と人の姿を交えた風景へと寄せられる。
女神の信仰区域、五番街通り、官庁街、並木広場、そしてビジネス街の駅前。
このディオスという街は、場所によっては別の国かと思うほど風景に違いがある。
白い街並みはギリシャの街を彷彿とさせるし、五番街通りの雰囲気は原宿とそっくりだ。並木広場はセントラルパークのようで、この駅前はおおよその作りがドイツのミュンヘンに近い。
だからなのか、道行く人々の服装は実に様々。背広を着た社会人から始まり、遊び心のあるファッションの若者。和服っぽい要素が取り入れられた服装の老人もいる。ショーでしか着ないような馬鹿みたいに派手な服装の物も若干一名いた。
その中で、アレクシアの恰好もそれなりに特徴的だ。
毎日が結婚式みたいな服装のユランが隣にいたから気に留めていなかったが、アレクシアは今日も全身をすっぽり覆う外套を身に纏っている。防寒防雨あるいは防風のための外套だろう。真夏にコートを着ている人みたいだ。
周囲と比べて特段目立つ服装というわけではないが、晴馬は気になって問うた。
「それって暑くないのか?」
「見た目よりは涼しいよ」
「暑いのは暑いんだ」
「うん」
そういう割には脱ぐ気はなさそう。上着を着ないと外出できないみたいな心理だろうか。
晴馬は視線をさらに降ろし、白い外套の裾を見た。
手入れを欠かしていないからか綺麗に保たれているものの、流石に多少のほつれはある。
が、ほつれの中に真新しいかぎ裂きを見つけた。あまり大きくはなく位置的にも目立たない場所だが、気になって指摘する。
「後ろ側の裾あたり、破れてる」
「え? ……あぁ、昨日破れたのかな」
裾を持ち上げて嘆くアレクシア。
そこに話しかける小さな鈴のような声がある。
「私のせいなら弁償する」
「うおっ!?」
「な!?」
突如差し込まれたコマのように前触れもなく目の前に現れたクラウディア。続けてその後ろに極彩色の艶髪をなびかせる長身の女が現れた。
女はアレクシアと晴馬を順に見て、柔らかい笑みを浮かべる。
得も知れぬ悪寒。晴馬は知らず内に足裏と拳に力を込めた。
彼の知る女神の笑顔とよく似ているのに、底知れぬ不気味さが拭えない。
それはエニュオと既知であるアレクシアも同様であったようだ。外套の下ですでに魔法を待機状態へと移行させていた。
女はクラウディアをそっと抱き寄せると、甘い撫で声で少女を愛でる。
「弁償するなんてクラウディアは偉いねぇ」
「いちいちくっつかないでエニュオ」
腕を上げて女の顎を、ぐぐぐ、と引き剥がすクラウディア。しばし抵抗したエニュオだが、最後は名残惜しそうにしながらも離れた。
「お前がエニュオか。アレスって奴の片割れ」
「お初にお目にかかります。エニュオです。以後、お見知りおきを」
晴馬たちの足元、コンクリートの地面が割れて茨の触手が二人の足を拘束して捕らえる。服の上から強く締め付けられて、動かそうとすると棘が突き刺さって強烈な痛みが走った。
「いって……!」
「すみませんね。お隣の人は逃げ足が速いので少し我慢してください」
「勝手言うんじゃねぇよ」
痛みからやや口汚く悪態をつく晴馬。辛苦の色が浮かぶ表情のまま、視線をエニュオからクラウディアへ移す。
「逃げねぇからこれ解いてくれ」
「私じゃない」
「あ? 昨日似たようなの使ってただろ」
これと同じ茨を纏う両翼の女騎士は、クラウディアが使った魔法で生み出されていたはず。オリオンの発言から推測して、エニュオの権能をクラウディアの魔法で複製したもの、と晴馬は考えていた。
しかし、その推測は事実とは異なる。
「極彩色の魔法は私のですよ。クラウディアはそれを使っているにすぎません」
「どっちでもいい。さっさと解け。逃げねぇから」
「もう少し待ってください。自分を飛ばすのは時間が掛かるのです」
エニュオが明後日の方へ視線をやって呟くと、不意に晴馬の指がピクリと動いた。本人でなければ分からぬほど微かな動き。オリオンからの合図だ。
合図に対して晴馬は無反応を貫いた。
けして無視をしたわけではない。
オリオンが右腕だけの主導権を得ようとしているのが感覚で伝わってきたので、咄嗟に誰にも悟られないようそうしたのだ。
このタイミングでの合図なら、何か意図あっての行為のはず。オリオンに右腕の主導権を渡した晴馬は、逸る気持ちを落ち着かせようと問いを投げる。
「片割れはどこだ?」
「ですからもうすぐ来ますよ。ほら、後ろに」
エニュオが晴馬の後ろに視線を向けてそう言った瞬間、右腕が凄まじい勢いで背後に振るわれ、そこに立っていた者の顔面を捉えた。腕の動きに合わせて上半身ごと後ろを向いた晴馬は、にやけた金髪の男の顔が暴発する瞬間を目撃する。
「やあ、オリオ――」
男の声をかき消す爆音。何が起こったのか把握するのに数瞬要する。
次いで、チリチリと熱を持って痛む手の平。
どうやら晴馬の手の平から放たれた溶岩のような爆炎が、男の顔面を飲み込んだらしい。一日経って魂の同居に肉体が馴染んできたのか、右腕の主導権はいまだオリオンにあるはずなのに晴馬にも痛みが伝わってきている。
「熱っ!」
「おや、ちゃんと方向は調整したんだけれどね。すまない」
「お前……っ、いきなり何してやがるっ!」
熱の痛みもそうだが、何よりいきなり人の顔を燃やしたことに激昂する晴馬。
しかしオリオンは冷徹な声音でもってそれを制す。
「アレスを相手に悠長に構えてはいられない。悪いが全身貸してくれ」
「従って!」
アレクシアの劈くような裂帛。晴馬は全身の主導権をオリオンへ渡す。
オリオンが振るう左腕と、アレクシアが外套の下から振り上げた右腕が、ほとんど同時に異なる者らへ異なる攻撃を撃ち放った。
爆炎と衝撃波が花弁のように咲き乱れる。
二度目の権能の行使に、遠巻きに様子を窺っていた通行人も避難を始めた。
腹に爆炎を受けた男は大きく後方へ飛び、衝撃波を喰らいかけたクラウディアたちは常人離れしたエニュオの跳躍でもって回避する。
「危ない。大丈夫クラウディア?」
「平気だから降ろして」
いつの間にか横抱きにされていたクラウディアは強引に女神の腕から逃れる。
女神が少女の背に触れると、極彩色の粒子が溢れだし、次第にそれは金属の四肢を象った。仕組みは昨日の戦乙女や女騎士と同じだが、半透明だったあれらと違って姿形が朧気ではない。色が違うだけで本物とまったく同じ造形だ。
手櫛を通しながら少女の頭を撫でるエニュオは、依然、柔和な笑みを浮かべたまま告げた。
「アレスの余興に付き合うつもりはなかったのですが、こうも好戦的な態度を見せられると私とて黙ってはいられませんね」
「神相手に手加減なんかしないっ!」
アレクシアは地面が抉れることもお構いなしに衝撃波を放った。
それだけ威力を高めても、離れた場所にいる二人の素へ届く頃には少し強い向かい風程度にまで減衰してしまっている。その証拠にエニュオは少し目を細めるだけで、まさにどこ吹く風といった様子だ。
だが、これは攻撃のための放たれたものではない。
いまのは先のとは違う貝紫色の粒子を纏った衝撃波。
衝撃波に乗って勢いよく拡散した粒子は、女神と少女を包み込むように広がった。
「――ッ!」
これは言わば導火線だ。
アレクシアは伸ばした手をグッと握り込む。
瞬間、粒子が連鎖して起爆した。雨の日の水溜りのようにいくつもの衝撃波が生まれ、逃げ場のない全方位攻撃となって二人に襲い掛かる。
そしてアレクシアは己の宣言通り、連鎖が止んだ瞬間に一挙に間を詰める。
それを横目で見送ったオリオンは、仰向けで地に横たわるアレスの元まで歩み寄り、蒼天を仰ぐ男神に再び爆撃を見舞った。
容赦のない追撃。しかも一発だけではない。何度も何度も繰り返し爆撃し、手の平に痛々しい火傷痕が出来るまでそれを続けた。
その凄惨極まりない所業に、堪らず主導権を取り返そうとする晴馬。が、オリオンの意志が強すぎて思うようにいかない。
「オリオン、お前なんてことを……!」
せめてもの抗議をする晴馬。晴馬は名前しか知らないが、たとえアレスがどんな神であれ、問答無用で殺しにかかったオリオンの行いを肯定することはできない。
しかしオリオンは意にも介さず、火傷痕を蠍の権能で治療すると忌々しそうに吐き捨てる。
「殺したと思ったかい? 残念だけれど安心していい。この程度で死ぬ男じゃない」
「ン、フフフフ……オリオォン……ウハハハハハ!」
立ち上る黒煙の中から、不気味な野太い声が響く。
「まったく。これだけ打ち込んで気絶もしないか」
そう呟いたオリオンは追い打ちの一撃を放つ。
その瞬間、アレスの身体がふっと消える。
転移による回避だ。ただでさえ砕けている地面に爆撃が直に叩き込まれ、地面の下の敷砂がさながら鯨の潮吹きのように高く舞った。
砂塵の飲まれるオリオンの背後に、迫りくる影。
いち早く気配を察知したオリオンは、首を掴もうと伸ばされた手を引き寄せて、アレスの身体を背負い投げた。
無様に背中から地に叩きつけられた軍神を見下ろして、オリオンは嘲笑するように言う。
「どうしたアレス。有史以来最も恐れられる軍神とは思えない姿だ」
「クフフフハハハハハ! 俺は嬉しいんだよオリオン。こうして肉の身体を得たお前と再び戦えることが!」
偏執狂の軍神は倒れたまま、己を見下すオリオンを見据えて叫ぶ。
アレスは気味の悪い笑いを堪えもせず、高揚と快楽に満ちた表情を浮かべた。
目と目が合い、その異様な姿に圧倒され、晴馬は意識の中で固唾を飲む。
「だがねオリオン。俺は小僧にも関心があるのだ」
「少年に手は出させないよ」
オリオンが冷たくそう言うが、アレスはオリオンの瞳の奥に晴馬を見て言う。
「小僧! 貴様はこの俺にクラウディアを寄こすのでなく、自ら来てみろと言ったそうだな。常人ならば軍神アレスを相手にけして浮かばぬ発想だ。実に面白い。故に! 俺は貴様に興味が湧いた!」
「……んだこいつ」
「昔からこういう男さ」
オリオンは再び爆撃を見舞う。が、これも再び転移で躱される。
「話の途中だろう、オリオン!」
「少年は元の世界に帰らねばならないんだ。余暇に君と踊っていられるほど有閑人じゃない」
「そう逸るなオリオン。主菜は依然貴様に変わりない! 小僧はあくまで前菜だ」
まあ待て焦るな後で構ってやる、とでも言わんばかりに、アレスはさも己が望まれているかのような口ぶりで語る。
アレスは両腕を伸ばし、全身で歓迎の姿勢を取ると、居丈高に声を上げた。
「さあ小僧! 兵士ではない貴様に敬意を払い、無手での死合いを願おう!」
相手の思惑など完全に置いてけぼりで、勝手に一人で興奮し続けるアレス。
出会ったことのない類の人間。ではなく神。その異常な様子に警戒心や恐れを抱きつつも、極めて冷静でいる晴馬は端的かつ辛辣な評価を下した。
「頭イカれてんのかこいつ」
「会話は出来るけれど、話の通じる相手ではない。少年が関わるべき男ではないよ」
オリオンが身を低くして地面を強く踏みしめると、ずぅん、と獣の唸り声のような駆動音が響いた。
極々微細な振動で全身の皮膚が痒いくらい刺激される。
姿勢を保ったままじっと動かないオリオン。意図を尋ねるべきか晴馬が逡巡していると、それを察しているらしき軍神が猛々しく吠えた。
「相変わらず躊躇いがないなぁ、オリオン! それでこその貴様だ! ここまで求められてはこの俺も全身全霊をもって応えねばなるまい! 小僧、貴様は食後の甘味とする!」
「ずっと勝手を言いやがる……」
「あまり喋らない方が良い。舌を噛むよ」
次第に晴馬の身体は青白い電気を帯び始めた。
閃電は秒を重ねるごとに、一条、二条とその数を増していく。
その度に晴馬は失神しそうになるほどの痛みに悶え苦しんだ。
体内に形成された電界が、内側からバーナーで炙られているような痛みを誘発しているのだ。まさに身を焦がすほどの耐えがたい苦痛に、声を出すことすらままならない。
それを感じ取ったのか、オリオンは鼓舞するような声音で言った。
「苦しいだろうが耐えろ、少年」
全身の微振動が止まり、オリオンは知覚外の速度でアレスの眼前に迫った。
神速に迫る速度と遅れて轟く落雷の爆音は、まさしく稲妻。秒速二百キロの閃光となってアレスに接近し、一瞬が経つ間もなく軍神の身体に乱撃を叩き込む。
連打、連打、連打。秒間三桁に上る目にも止まらぬ滅多打ち。
矢鱈と打ち込まれる乱打の中で、最も重い拳が軍神の鳩尾を捉える。
発条のようにしなる拳撃に押し出され、アレスの身体は後方へ大きく吹き飛んで金属製の照明柱に衝突した。柱は根元が舗装ごとめくれ上がり、轟音を立てて倒壊した。
アレスがそれに巻き込まれずに済んだのは、果たして幸運なのだろうか。
答えは否だ。
これはそんな次元の話ではない。
彼の軍神は地に伏しているものの、依然、生命活動は支障なく続いている。
あれほどの勢い。遥か上空から生身でコンクリートに落下したのとそう変わらないはずだ。これが普通の人間ならば、圧縮された風船のように破裂していてもおかしくない。それほどまでに凄まじい衝撃だった。
しかし、アレスはしばし間を置いてぬるりと立ち上がった。
「……ヴゥハハハハハヘヘヘヘヘハハハハハハハッ!」
よく嗤う神だが、ここにきて初めて悍ましいと感じる笑い声を上げた。
異界の少年、壱夜晴馬は改めて認識する。
この世界において『神』とは、人知を優に超えた存在であると。
「マジでっ、なんなんだよ、あいつはっ!」
「言っただろう。有史以来最も恐れられた軍神だ」
散々甚振られているのに碌な反撃も防衛もせず、血反吐を吐きながらなおも嗤い続ける軍神の姿は、とてつもなく異様だった。
どうみても正常とは思えない。
人と神という生物学的な区分など、アレを前にしては些細な違いだ。
アレスという軍神はまぎれもなく、正しく常軌を逸している。
「ハハハァ――――――――――ッ……!」
快楽と興奮に染まっていた瞳に、初めて好戦的な色が宿る。
「小僧の肉体では易く壊してしまうかと思っていたが……要らぬ危惧だったな」
「まだ馴染み始めたばかりで出力は抑えているんだ。乱暴は控えてもらいたいね」
再びの帯電。痛みは耐え難くとも、意識は明瞭だ。
対峙する軍神は一条の槍斧を手にした。転移させたように見えたがおそらく違う。アレスが腕を伸ばすと、その場で手の中に槍斧が形成されたのだ。
先端は騎槍のように円錐型をしている、左右で大小異なる分厚い両刃の戦斧。長身のアレスの背丈さえ超える長柄の武器だ。見るからに重量がありそうなそれを、アレスはまるで棒切れのように軽々振るう。
「二十年前は途中で終わってしまったからな。ようやくだ――」
戦斧を振り下ろし、アレスは構えを取った。
「――あの日の続きをしよう、オリオン」
一歩、地面を割るほどの脚力で踏み込み、アレスの姿が視界から消える。
帯電の影響で思考速度も上昇し、その動きを肉眼で正確に捉えた晴馬。まっすぐ接近してくるアレスは、両者のちょうど半ばあたりの地点で転移によって姿を消した。ならば見せつけるようなわざとらしい踏み込みは陽動――晴馬はそう考えた。
だが、身体の主導権を得、アレスと既知であるオリオンの判断は異なる。
帯電を両腕に集中させ、オリオンは稲妻を正面に解き放つ。轟音と共に落雷。転移で再び正面へ現れたアレスに稲妻が直撃する。
アレスは初動と砂煙の中で計二回、背後を取る動きを見せた。故に晴馬は踏み込みを陽動と考え、今回も背後への転移を警戒した。これはその思考を逆手に取った虚を突く一手だ。
それをオリオンは難なく看破してみせた。
駆け巡る稲妻で軍神の身体の表面が裂けるように焼け焦げる。
が、
「――だぁぁぁあああありぃぬぅぅぅううううううううう!!!」
その身を焦がしながら、猛り狂う軍神はなおも突撃してきた。
余力を残しておいたオリオンはすぐさま後退する。アレスも速いが帯電状態の雷速には遠く及ばない。この距離を詰めるには転移を使うしかなく、本人の転移はやや時間が掛かり乱発できない。
晴馬から見ても、オリオンの優勢であるように思う。
しかし、直後のオリオンの呟きは焦燥感に満ちたものだった。
「遅いな。それほど距離は離れていないはずなんだが」
アレスに対する言葉としては違和感のある言い方だ。
オリオンは知っている。より正しくは、自覚している。
いまの自分では最強の軍神を相手に飄々と翻弄することはできても、けして勝てないことを。
だからわざわざ目立つ技を使って騒ぎを大きくしたのだ。
オリオンは両手に熱を溜め、爆炎に溶岩のような粘性を持たせて放った。稲妻を喰らいながら足を止めない軍神から距離を取るには爆破の勢いだけでは心許ない。質量でもって押し戻す必要がある。
水流であれば水深三十センチもあれば足を取られ、勢いがあればそれより浅くても動けなくなる。
いかに直情径行な軍神と言えど、粘性のある炎を全身に受ければまともに動けまい。
いまは時間を稼がねば。オリオンの目的はそれ一点だ。
しかし、我が身を焼く権能を使い続ければ、順応しつつあるとはいえ人間である晴馬の身体が持たない。
「少年、あとどれくらい耐えられる?」
「耐えなきゃならねぇんだろっ! 余計なこと気にすんなあ!」
オリオンの問いに絶叫で返す晴馬。
と、炎の中のアレスの姿が消える。転移のインターバルが明けたのだ。
今度こそ背後に現れるアレス。熱を帯びた戦斧が振り下ろされる。
オリオンは片足を軸に回転して凶刃を躱し、体内に残る稲妻をすべて健脚に乗せて打ち込んだ。アレスは首を曲げて蹴りを滑らせる。
そしてオリオンを睨みつけ、喉の奥から血を吐きながら叫喚する。
「こんなものじゃないだろう、オリオォオオオオオン!!」
アレスの声帯はすでに焼けて潰れている。そこから繰り出される濁声は震えあがりそうになるほどそら恐ろしい。
なぜ動けるのか。晴馬は痛みに耐えながら考える。
これまでオリオンが放った権能は一つ一つが例外なく致命の一撃だった。間違いなく生物が受けて生きていられるようなものではない。
神だから耐えられるのか、あるいはアレスだけなのか。
腹が抉れた時、晴馬はあまりの痛みに失神しかけ、無意識の内にオリオンへ身体の主導権を移したが、その彼はユランと会話するほどの余裕があった。
だが、肉体の耐久上限自体は存在するはずだ。晴馬はさらに叫ぶ。
「火力足りないなら気ぃ使わず権能使え!」
その言葉にオリオンは意識を切り替える。
電気で体内を、熱で皮膚を焼かれている晴馬の感じている痛みは、想像を絶するほど凄まじいはずだ。自分が宿っていることで肉体的な死には至らないとはいえ、意識を手放していないだけでも賞賛に値する。
ただの人の身で、その精神力たるや。
応えねばなるまい。
そう思い、オリオンは耐久上限ギリギリの速度と濃度で右の拳に権能を集中させた。
稲妻、爆炎、振動、そして蠍の権能による膂力の底上げ。
転移のインターバルに毎度誤差がなければ、明けるまで数秒の猶予。
隙の大きい動きで戦斧を振るうアレスへ、オリオンは渾身の一撃を放った。




