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アポカリプス・プレリュード  作者: 桜木姫
狂乱の軍神
11/28

11.距離感がおかしい男

 会計を済ませて店の外で待機していたアレクシアと合流し、一行は大通りから少し外れたところにある並木広場を訪れた。来るまでの間にアレクシアとラグナで自己紹介を済ませ、詳しい事情の説明もあらかた済ませている。

 並木の葉擦れが聞こえて、すぐに涼風が吹き抜ける。

 広場には地面から出る仕掛け噴水もあって、地元の家族連れや観光客らしき若者も多い。風が少し冷たく感じるのは近くにあの噴水があるからだろう。遠くに聞こえてくる子供たちの楽しそうな声は、穏やかな時間の流れを感じさせた。

 晴馬たちは広場から外れた木陰のベンチに移動して腰を下ろした。狭い幅のベンチにユランとラグナが座り、晴馬とアレクシアがやや距離を開けて対面するように立っている。

 途中、ユランを買い与えたサンドイッチをラグナが食べ終えるのを待つ。三名の視線を一身に浴びるラグナは、音を立てないよう繊細に咀嚼していく。


「口元汚れたな。どれ」

「自分で拭けますので……」

「まあまあまあまあ」

「あの、自分で……」


 ハンカチを持って迫ってくる押しの強い女神に戸惑うラグナ。やっぱり初見はこうなるよなぁ、と他人事に思う晴馬。

 ふと閃く。ラグナを懐柔すれば、女神のお世話欲を一身に受けなくてよくなるかもしれない。そう思った晴馬は姑息なことを言う。


「人のお世話しないと死ぬ生き物だから受け入れてあげてくれ」

「死ぬんですか?」

「なんてこと言うんだハルマ。そんなので我は死なんぞ。悲しいだけで」

「悲しいんですか……じゃあ、どうぞ」


 ユランの要求を受け入れることに決めたラグナ。口元を優しく拭われるのを粛々と待ち、女神の欲求を満たすだけの物言わぬ人形となる。

 ややあって、満足げなユランと綺麗な口元のラグナになった。


「早速だけど本題だ。ヘルメスに連絡って取れる?」

「いちおう取れます。伝書鳩形式なので時間は掛かりますが」

「そういえば朱鷺を飼ってたな。名前はヘルマだったか?」

「自分の分身って意味でそう名付けたらしいです。大陸内であればどこでもだいたい一週間で往復できます」


 伝書鳩で一週間。それがどれだけの時間なのか晴馬にはわからないが、一週間後には確実に連絡を取れるというなら僥倖だ。

 ただ、先ほどの女神の懸念を晴馬は危惧した。


「直接手紙出したら余計に逃げられたりしないか?」


 が、即座にアレクシアから否定が入る。


「詳しく事情を伝えられるならヘルメスも逃げないと思うよ。あの人こういう話好きだから。まあ、それで向こうから足を運んでくれるってわけじゃないだろうけど」

「こっちから会いに行くのは確定ってことか」

「そ。まあ戸籍登録とか出国手続きの時間も必要だし、一週間って時間はちょうどいいんじゃない?」


 アレクシアが指折り数えて言う。日本でもパスポートの申請から受領までに一週間から二週間程度は掛かる。そのあたりの行政の仕組みはディオスでもおおよそ同様なのだろう。

 ふと、こちらを見上げるラグナと目が合う。


「イチヤさんって戸籍ないんですか?」

「ない。さっき説明した通り別世界の人間なんでな。……思ったけど、これ会う人全員にいちいち説明するの手間だな」

「今後は関係者にだけでいいのではないか。なにも全員に話す必要はない。事が事だけに面倒の種にもなるかもしれん。いろんな意味でヘルの不興を買うのは避けたい」


 女神の提案に晴馬は、確かに、と逡巡する。

 別世界への扉を開く魔法は、専門家と評される知識量のカルロですら知らなかった代物で、歴史書や専門書にメモ書き程度にも記されていない隠れた魔法だ。ならばそれは意図的であると考えるべきで、そうしたのは魔法を作った本人か主人の女神ヘルだ。

 仮に一個人の晴馬が間接的にその存在を吹聴したところで世間へ対する影響など知れたものだが、ほんの微々たる噂でも薪をくべれば火種となりうる。


「なら余計に当たり障りない素性は考えないとだな。やっぱり出生届を出してないってのが一番丸いか。幼少期から劣悪な環境で育ち、故に高等教育受けてないので識字も出来ない、なら違和感なく通る」

「よくもまあそんな事すらすら思い浮かぶね」

「もしかして無理ある?」

「別にないよ。感心してるだけ」

「引いてるの言い換えですよねそれ」


 細められた晴馬の視線を素知らぬ顔でやり過ごすアレクシア。あまりお好みの設定ではない様子だ。

 と。


「偽の素性ならもっと自然なのがあります」

「お、なんか良い案ある?」


 ラグナの言葉に晴馬は眉を上げる。ラグナは滔々と語り始めた。


「七年前に消滅したセリオス村の出身ということにするんです。身寄りを無くして各地を放浪し、巡り巡ってディオスに辿り着いたという設定です」

「消滅ってどういうこと。限界集落か何かだったの?」

「いいえ。魔獣に滅ぼされた村です」

「魔獣とは?」


 知らない単語にオウム返しする晴馬。

 新たなる概念の登場だ。解説者のカルロがいないので、女神が代役を務める。


「魔晶を喰らって怪物化した動物の総称だ。カルロは説明を省いたが、魔晶は神が権能を使った時に放出される物質が地中に沈殿して結晶化したものなのだ。それを多く喰らった生物は神に近い性質を帯びる。基本的にはそうなる前に駆除されるのだが、中には自然の中で密かに育ち手に負えなくなる個体もいてな。けして頻繁にではないものの、稀にそういうことが起こる」

「要は難民ってことだな」

「ハルマが難民であること自体は嘘ではないからな。まるっきり嘘を吐くより設定に馴染みやすいだろう」

「だな。じゃあ次にやるのはヘルメスさんに連絡とるのと、役場行って戸籍登録の申請かな」

「では二手に分かれるか。アレクシアはハルマに付き添って役場に行ってやれ。我はラグナとヘルメス宛の手紙をしたためよう」

「いまからだと……まあ間に合うか」


 広場にある時計を見てアレクシアが呟く。

 現在時刻、十三時十分。閉庁時間は十六時だ。移動で一時間程度掛かるとして、混雑具合でギリギリ今日中の申請が間に合うかというところ。

 方針に続いて具体的にやるべきことも決まった。

 ならばあとは行動あるのみ。晴馬はアレクシアと目を合わせる。


「そうと決まれば早速行くか。案内頼む」

「ん」

「よしラグナ、我らも行こうか。まずは便箋買うぞ!」

「家に余りあるのでそれ使いましょう」

「ではそうしよう。では後ほどな、ハルマ、アレクシア」

「おう」


 言葉でやり取りするユランと晴馬。ラグナは深く会釈してから女神と歩いていき、しばしの間それを見送った後、晴馬たちも官庁通りへ向けて歩き出した。

 始めは軽い会話もあったが、しばらくすると互いに無言の時間が続く。

 晴馬は相手が誰であれ無言の時間が苦手なタイプではない。だから向こうから話が降られず、かつ自ら話したいことが特になければ口を閉ざす。たぶんアレクシアも似たようなタイプで、ふと見た横顔からは気まずそうな雰囲気は感じ取れなかった。

 ただ、今日は少しそわそわする。

 十年来の親友みたいな距離感の女神と比べて、アレクシアとはいまだ友達の友達みたいな距離感だからだろうか。複数人の集まりで話の主導者がいなくなると途端に会話が無くなる現象があるが、感覚としてはあの時の気持ちの浮つきに酷似している。話した方がいいんだろうけど話しかけづらいなぁ、というアレだ。

 が、実際のところは昨日のやり取りが原因なんだろうなと、晴馬は思う。

 会ったその日にする話じゃないなぁとは昨日も思っていたが、二人きりになった現在、余計にその気持ちが膨れ上がってきた。かなり恥ずかしい。羞恥心が止まらない。アレクシアは何故平気なんだ。言った本人が一番恥ずかしいのは当然として、言われた側も平気ではいられまい。

 と、晴馬が平静を装いつつ内心で悶えていると、不意にアレクシアがこちらを見た。


「さっきから見過ぎじゃない?」

「あ、ごめん。ちょっと昨日のこと思い出して恥ずかしくなってきちゃって」

「……」


 口を結んで頬を若干赤らめるアレクシア。晴馬のように思い出していなかっただけでやはり彼女も恥ずかしかったらしい。

 彼女の反応に同意するように晴馬はうんうんと頷きながら言う。


「自分で言っておいてなんだけどやっぱ恥ずかしいよなあれ。初対面の男が急に何言ってんだってな。自分でも思う、距離感怖いって」

「距離感は、まあ否定はしないけど……」

「でも勘違いしないでくれよ。昨日の話は全部本心だからな」

「だからそういうのを面と向かって言うのが恥ずかしいんだってば」


 顔をしかめて視線を前に戻すアレクシア。

 ただ、言葉ほど嫌がっている様子はなかった。

 アレクシアは歩調を早めて、晴馬の少し先を歩く。

 彼女にとって過去の出来事は、誰彼構わず踏み込むことを許容できるほど小さな事柄ではない。

 互いに父と母を亡くしている身だが、それが決定打ではない。

 理不尽に殴ったことへの罪悪感も、理由としては不十分。

 では何故、昨日会ったばかりの彼を己の領域に踏み入らせたのか。

 アレクシアのような境遇の人間は、この世界ではあふりれている。

 どこにでもいるわけではないが、どこにいてもおかしくはない、そんな存在。

 だから彼女の境遇を知った人の中には、過去、助けてくれようとした人、あるいは支えになってくれようとした人はいた。虚栄心による偽善や対価を求める者もいたが、大半は純粋な親切心だったはずだ。身も心も傷つき、弱った人を助けようとする善良な人たちだったはずだ。

 彼らは口々に言った。

 心の傷は癒せる。

 過去は忘れられる。

 しかし、アレクシアはそれらを疎んだ。

 神と人の共同体が育んだ固定観念とも言える価値観は、アレクシアにとっては無価値だったからだ。

 傷を癒したいわけじゃない。過去を忘れたいわけじゃない。

 父親を亡くした痛みを、もしも癒し、忘れるというなら、それは完全な喪失に他ならない。

 ある時、アレクシアの前に女神が現れた。

 彼女は言った「お前が辛そうな顔をしているのは嫌だ、笑顔が見たい」と。

 女神はアレクシアの傷を癒そうとはしなかった。忘れさせようともしなかった。

 ただ、アレクシアの笑った顔が見たいと言ったのだ。

 晴馬も同じだ。

 目の前でそんな顔されたらほっとけない。

 そう言われた時、ユランの姿を彼に重ねた。

 だから機会を与えようと思い、自分の過去を話した。そして晴馬が自身の経験を交えながら、抱えたもの全部ひっくるめて受け入れるのが大事だと語った時、女神と似通ったものを彼に感じた。

 辛いのも苦しいのも捨てたくない。ずっと抱えていたい。

 そんな己の在り方を肯定されたから、アレクシアは晴馬を受け入れたのだ。

 アレクシアは一度立ち止まる。連なって晴馬も止まった。そして小さく深呼吸をしてから、振り返って晴馬の目を見据えた。


「昨日はなんか曖昧な返事しちゃったから、改めて言います」

「はい、言われます」


 畏まった口調のアレクシアにつられて、晴馬も背筋を伸ばして妙な畏まり方をする。後続の通行人が二人を変な目で見て通り過ぎて行ったが、アレクシアはわざとらしく咳払いをして気を取り直した。


「ああやって言ってくれたのは、ちゃんと嬉しかったです。ありがとうございます」

「どういたしましてです。全身全霊で力になります」


 お互いに小さく会釈をし合い、頭を上げて視線を交わすこと数秒。

 アレクシアが眉根を顰めて言い放つ。


「でもやっぱ距離感は変。会ったその日の詰め方じゃない」

「ですよね」


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