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アポカリプス・プレリュード  作者: 桜木姫
狂乱の軍神
10/28

10.ひたすらに運が良い

 ユランとアレクシアは個人事業主として生計を立てており、街の便利屋として幅広い層から好評を得ているという。事業者名は『女神の便利屋』で通称は『なんでも屋ユラン』。代行サービス業としての質は非常に高く、取れる資格はだいたい取ってあるというユランが犬の散歩から配線工事まで、まさになんでもやるという手広さだ。

 十五年前の開業当時は、日雇いで女神が仕事を手伝ってくれるというもの珍しさもあって相当量の依頼が舞い込んだ。しかし当時のアレクシアはまだ子供だったので従業しておらず、ユランのワンオペということもあり精も根も尽き果てるほどに忙しかったらしい。

 最盛期は週に百五十件の依頼があったのが、いまではだいぶ落ち着いて週に十から十五程度。日に二、三件という割合だ。

 ユランは与り知らぬことだが、忙殺の極みに晒されていた女神を見て、依頼者たちの中に自重という集団意識が芽生えたのだ。そして依頼者たちも女神が忙殺の中で喜びに満ち溢れていたことを知らない。

 互いを想いあい、そしてすれ違う。古今東西、往々にして起こりうることだ。

 この世界において、神と人間には大きな乖離がある。

 その最たるものが寿命だ。

 人はせいぜい百余年。対する神は数十億年だ。文字通り桁が違う。

 悠久に近い時を生きる神にとって人間という存在は、言ってみれば今日生まれて明日死ぬ生き物だ。

 だから今日も女神は人の世話を焼く。

 うかうかしていたらあっという間にいなくなるから。

 彼女の無尽蔵の愛は、人を愛しく思えばこそ、なのだ。


「今日も一日がんばるぞ!」

「おー」


 早朝なので控えめな声量で活を入れるユラン。返事をしたのは晴馬でアレクシアは無視。ユランの反応からしていつものことのようだ。

 本日の依頼は早朝の倉庫内仕分け作業と、五番街通り沿いにある喫茶店の臨時店員。どちらとも従業員が辞めてしまい、次が見つかるまでの繋ぎとして依頼されている。

 喫茶店の仕事は九時から十一時まで。移動時間を考慮すると仕分け作業に掛けられる時間は一時間半といったところか。

 目的の倉庫に到着し、先方の担当とユランが業務内容の確認をする。晴馬とアレクシアも口頭で軽く説明を受けてから業務にあたった。

 やることはただ一つ、ひたすら荷物の仕分けを行うだけだ。梱包材の色と荷物の大きさと重量で分けられているので、文字が読めなかろうが関係ない。特に晴馬は助っ人の中で唯一の男なので女性陣二人よりも過酷な労働を強いられた。

 特筆すべきこともない一時間半が過ぎ、一仕事終えて清々しい顔の女神と相変わらず涼しい顔のアレクシア。晴馬は軽くストレッチをして疲労軽減。朝から中々重労働だったがまだまだ働ける。疲れ知らずの我が筋肉に大いなる感謝。


「よし、次の現場へ行くぞ!」


 ユランに先導されて次の仕事場へ。

 大通りに面した喫茶店は通勤途中の社会人御用達の場だ。一杯の珈琲を求める疲労に満ちた若者の姿もあれば、悠々と朝のブレイクタイムを満喫するいかにも実業家っぽいのもいる。

 晴馬はそんな両極端な者らを眺め、俺の明日はどっちだ、と思い耽る。

 が、直後から来店し始めた社会人の群れに、そんな未来への不安はあっという間にかき消された。

 街の主要通りという立地も相まって客の回転率は高く、店長を含めた四人で回すには少しハードな業務量だ。元の世界のアルバイト先がカフェでよかったと心底思う。飲食店の経験が無かったらきっと詰まらせていただろう。

 一時間もすれば客の入りもあらかた落ち着き、それからぼちぼちさらに一時間仕事をして、昼始業の正規従業員と入れ替わりで退勤。

 なんでも屋ユラン、本日の依頼完了である。


「よし、次はヘルについての情報収集だが、その前にお昼食べるか! もちろんハルマの分は奢るぞ」

「ありがとうございます」


 流れるような所作で首を垂れる晴馬。ユランは満足そうな表情で向けられた頭頂部を撫でる。

 人間、理由もなく奢られると何となく後ろめたさのようなものを感じるが、彼女にとっては奢られることがある種の恩返しになる。

 しかもユランの場合は見栄や習慣ではない、純粋な厚意。

 そうとわかっていても心に芽生える得も知れぬ感情にはそっと蓋をして、晴馬は割り切ることにした。

 喫茶店からほどなくした場所にある新装開店したばかりというレストランに入店する。二階のテラス席へ案内され、三者三葉の注文。先に運ばれてきた珈琲を一口飲みユランが話を切り出した。


「さて。ヘルメスを探す方法だが、取れる手段はあまり多くない。というかほぼほぼ一択だ。片っ端から情報を集めて直に奴の足跡を辿るしかない」

「要は目撃証言を集めようって話か。往年の刑事のように」

「幸い顔も名も知れた男だ。意図的に身を隠したりしていなければ情報収集自体は円滑に済むだろう。問題は奴の足の速さだ。普通に探していたら一生追いつけん」


 オリオン曰くヘルメスは旅好きの神。それは女神たちも知っている前提の知識だ。だからこれも単純な足の速さの話ではなく、旅をする中で一か所に長居しないという意味である。

 ユランは珈琲に追いミルクを入れ、ゆっくりとかき混ぜながら続ける。


「奴と接触する為には我々が追い付けるようどこかで足止めをする必要がある」

「連絡手段がない人を足止めって、いったいどうやってよ」


 アレクシアからの当然の指摘に女神は渋い顔をする。


「そこなのだよなぁ。晴馬の事情を伝聞して回るわけにはいかんし、理由もわからず探しているなどと耳に入れば厄介事だと決めつけて逃げる可能性すらある男だ」

「実際面倒事には違いないからな」

「そんなことはないぞハルマ。人助けする時に面倒だなぁなんて考えないだろう?」

「考えない」

「……」


 即答した晴馬とは対照的に、アレクシアは無言でユランを見るだけ。人情派女神は憤慨を見せる。


「なんだその無言はぁ!」

「面倒だなぁくらいは思うでしょ。道案内くらいならまだしも」

「思わん!」

「ユランはね。てかユランだけはね」

「ハルマもだ! 二対一だぞ!」

「俺はアレクシアの気持ちわかっちゃうから中立とさせてください」

「ハルマァ!」


 十年来の親友に裏切られた時のような表情で晴馬を見るユラン。少々話が脱線したので女神をどうどうと宥めつつ軌道修正する。


「まあまあ、思いが伴えばより良いってだけで大事なのは行動だから。それよりヘルメスさんの話に戻そう。どう足止めすればいい?」


 ユランは大層不服そうな表情のまま熟考に入る。


「うーむ……こちらが探していることを悟らせずにとなると、趣味事で釣るか?」

「して、その趣味とは?」

「一番は賭け事だな」


 ユラン自身は賭け事が嫌いなのだろう。女神は少し渋い顔で言った。それにアレクシアが続く。


「あ、それいいんじゃない。あの人、イカサマしすぎて出入り禁止のところ多かったはずだし、入れる賭場かなり限られてるでしょ。直近の居場所さえ掴めれば行く先に当てを付けられる」

「なるほどな。確かに現状では最善策かもしれん。ひとまずはその方法で当たってみようか」


 本後の方針について方向性が纏まり、一番の当事者なのに話の間ほとんど蚊帳の外だった晴馬が端的に話を整理する。


「じゃあ、最初は目撃情報を集めて、その情報を元に居場所を絞り、それから先回りして会いに行くって感じか」

「だな。それから並行してハルマの戸籍登録も済ませておきたい」

「たぶん書類記入とかあるよな。文字書けないのどうしよう」

「ハルマって未成年でしょ。ユランが保護者ってことで代記すれば?」


 何気なくアレクシアが言うと、ユランは目の色を変えて晴馬を凝視し始めた。熱の籠り方がやや怖い。


「そうだな。この世界では我がハルマの親代わりだ。存分に頼り、存分に甘えろ。甘えろ」

「何故二回言った」

「ハルマが押しに弱いからだ。言い続ければいずれ自ら甘えるようになる」

「何故断言できる」

「人生経験の差だ」

「差かぁ」


 断固として反論しようと構えていた晴馬だったが、一瞬で敗北した。

 正確な年齢は知らずとも、この中で最年少なのは晴馬で間違いない。人生経験の差と言われては反論する気すら起きなかった。そしてたぶん、こういうところが押しに弱いと言われる原因だ。

 女神は甘えるような仕草と表情で晴馬を落としに掛かる。


「甘えてほしいのに誰も甘えてくれない憐れな女神を助けると思って、な?」

「うん、まあ、その。……善処させていただきます」

「善処じゃ駄目だ」

「逃げ場くらいくれよ」


 その後、軽く雑談を挟みつつ、運ばれてきた料理を口に運ぶ。

 この辺りは飲食店が多く、昼時には通りごとかなりの混雑を見せる。ふとテラスから道路を見下ろせば、そこにはごった返すような人の波。少しでも気を抜けば攫われてしまいそう。なのに人々はうまく間隙を縫って歩いていて、まったく滞ることなく流れていく。

 その中に、特徴的な赤い色を見つけた。

 アレクシアのように鮮やかな色ではない、少しだけくすんだ赤い髪。

 どこかで見たな、と晴馬は思い、すぐに記憶が蘇る。昨日、図書館へ行く途中に道でぶつかった女の子だ。アレクシアと似た髪色が印象的だったのでよく覚えている。遠目に見ても目立つ綺麗な髪だ。

 と、晴馬はそこまで考えて、一瞬の間をおき、大慌てで席を立った。


「おお、ちょちょちょ、待った!」

「どうしたハルマ」


 急に店を出て行こうとする晴馬を呼び止める女神。彼女の困惑顔に晴馬は思いついた言葉をそのまま投げ掛ける。


「落とし物の子、昨日の、いまそこにいた!」

「おお、そうか! なら我も行こう。アレクシア、会計頼んだ」

「ん」


 ユランから財布を受け取り、アレクシアが二人を見送る。

 瞬足の晴馬も流石に人混みの中を走ることはできず、加速と急停止を繰り返して人波を早足で抜けていく。通行人に声を掛けられたユランとはすぐにはぐれた。それでも止まるわけにはいかないのでそのまま突き進む。

 道の角を曲がって、少し先に赤い髪が見えた。

 合間を縫って前へと進む。しばしして追いついたが、なんとなく背後から肩を叩くことを厭い、晴馬は少女の斜め向かいに出て振り返った。


「やぁ!」


 少女は急停止して晴馬の顔を凝視する。というか、ほぼ睨んでいる。

 さもありなん。たぶん誰であっても少女の立場ならこういう目をする。何故ならいまの晴馬はどう見ても挙動が不審者だから。少女の前に躍り出てさわやか風に声を掛けるなど、端的に言って事案。通報および逮捕からの起訴、余罪込みで有罪、実刑判決待ったなしだ。

 声のかけ方間違えた。晴馬の背にじわりと汗が滲む。

 だが、少女はすぐに「あっ」と晴馬に気づいた。


「昨日の人ですか?」

「そうそう! 道でぶつかったよな。でさ――」


 覚えていてくれたのなら話が早いと、晴馬は財布から少女が落としたであろう羽根のアクセサリーを取り出した。

 いやはや安心安心、と安堵したのも束の間。

 少女はそれを見るや否や、強奪するような勢いで晴馬の手から奪い去る。

 あまりの素早さに晴馬が対応できずにいると、少女の目つきが懐疑的なものから敵意交じりのものへと変わっていく。

 もしかしなくても良くない状況。晴馬は冷静に身の潔白を主張した。


「待った、盗んだわけじゃないぞ? 昨日ぶつかった時に落としていったのを拾っておいただけだ。で、さっき見かけたから追いかけてきたってだけ。おーけー?」

「……」


 少女は無言で晴馬の言葉を咀嚼する。瞬きの度に敵意を収め、最終的には実り切った稲穂よりも深々と頭を下げるまでに至った。


「とんでもない勘違いを。大変失礼いたしました」

「いやいや、頭上げてくれ。俺が声の掛け方間違えただけだから。完全に不審者だったから。君の対応間違ってないから」

「いえ、少し考えればわかることでした。それなのにあのような無礼を」

「無礼って言うほどのものじゃ……」


 言いながら、晴馬は周囲に視線を配る。

 通行人から向けられる不躾な視線に当てられて、さっきから居心地が悪い。

 すると、ようやく追いついてきたユランが晴馬たちの姿を見て、これはいったい何事かと眉を上げた。


「追いついたと思ったらハルマよ、これはどういう状況だ?」

「俺もわからん。てか、ほんと顔上げて。めっちゃ見られてるから」


 衆目に晒されていると言われて、ようやく少女は顔を上げた。


「拾ってくださり本当にありがとうございます。……と、女神様?」


 お礼を言うなり、少女は自分を見つめる女神に視線をずらした。

 背伸びをして晴馬の肩越しに顔を覗かせるユラン。少女とばっちり目が合うと、にかっと良い笑顔を浮かべる。


「うむ、ユランだ。落とし物に間違いはなかったか?」

「あ、はい。私の物で間違いありません」


 少女は握りしめた羽根の貴金属をユランに見せるように差し出す。

 手に中にあるそれと、今日も少女が首から下げている物を見比べて、左右対称の同一デザインであることを確認する。

 と、ユランが突然晴馬の前に乗り出し、包み込むように少女の手を取る。

 困惑顔を見せる少女を余所に、ユランは手のひらのアクセをまじまじと見つめ、やがて何かを閃いた様子で声を上げた。


「この意匠……ラグナ、お前ヘルメスの従者だな?」

「は、はい」

「マジで?」


 まさかの発言に、ラグナの手を取ったユランの手を取って、晴馬も羽根のアクセを凝視する。別に見ても何もわからない。勢いでそうしてしまっただけだ。

 だが、これを見てラグナの正体を言い当てたということは、この意匠がヘルメスに関連するものであることは確かなはずだ。

 晴馬は手を放して女神を見やり、半ば確信めいた口調で問う。


「じゃあこれ、ヘルメスさんのトレードマークか?」

「ああ。向かって右側に羽根が広がっているのがヘルメス本人の徽章で、ラグナが首から下げている左側に羽根が広がっているのが従者の徽章だ」

「……なんで本人の徽章を本人が持ってねぇんだよ」


 特に問うた気はなかった単なる疑問だったのだが、律儀にもラグナはそれに答えてくれた。


「羽根の意匠が趣味じゃないらしいです」

「趣味じゃないで放棄される徽章って……」

「なのでいっそのこと首飾りの装飾にでもして私が使おうかと」

「あぁー、それで昨日店に持ってく途中で落としたのか」


 それにラグナは首肯する。

 改めてラグナの手にある羽根の徽章を見る。作られただけで役割を果たせない羽根の徽章に内心で合掌。チョーカーの装飾として生まれ変わりラグナに使ってもらえれば無念も晴れよう。

 そろそろ手を放してくれないかなぁ、と言外にラグナが表情と目で女神に訴えていると、ユランは輝かしい目でラグナを見やり、少女の思惑とは逆にその手を強く握りしめた。


「ラグナ、いまから少し時間はあるか?」

「え、時間ですか。ないことはないですが……」


 明らかに警戒しているラグナ。

 ユランとは初対面だが、ディオス市民として街を代表する女神の人柄は良く知っている。逆張り以外で彼女を悪く言う人は一人としていない。だから悪いことに巻き込まれることはないだろう。

 が、少女の危機感知能力は野生動物並みに高かった。

 ここで、ハイ時間あります、と答えようものなら、後戻りできない事態に巻き込まれそうな気がしてならなかった。

 断るべきだ。そう思っていたのに、女神の横から追撃を貰ってしまう。


「そうそう! いま俺たちヘルメスさんと会う方法探してるんだけどさ、もしかして連絡できたりとかしない? もしくは現在地知ってたりとか?」

「頼むラグナ。ハルマが故郷に帰れるかどうかが掛かっているのだ。協力してくれないか?」

「故郷にですか……」


 ラグナは晴馬の顔を見やり、かすかに目を細めた。

 目が合った晴馬は困り眉のまま口角を上げる。

 しばし間を置き、ラグナは決心したように短くふぅと息を吐いた。


「わかりました。お力になれるかどうかはわかりませんが協力します。これを拾ってくれたお礼もまだですし」


 その言葉に晴馬は思わず声を上げて喜びを示した。


「マジで! 助かる、ありがとう!」

「こんなにとんとん拍子で事が進むとは、運が良いなぁハルマ!」


 高揚の勢いでハイタッチする晴馬とユラン。ユランの方はさらに勢い余って晴馬に抱き着いた。

 それだけならまだしも、何故かラグナまで巻き込んで団子状態。

 突然の奇行に当惑するラグナ。足を止め溜まる野次馬。集まる視線。ただでさえ目立つ女神がいるせいでちょっとした路上ライブくらいの集客。衆目の中で女性二人と密着。そんなこと言われてないのに責められているような気になる晴馬。

 これには流石に叫ぶしかない。


「ユラン、距離感! あと人目!」


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