006 グリムちゃん、自覚する
「————え? これ、わた、し……?」
手鏡が写すは、困惑に何度も瞬きする竜。頭を振り、角度を変えて確認する竜。半開きの口から牙を覗かせ、喉を震わせる竜——。
うんかわいい。
「お前の姿だ、アイソス。お前は竜になったのだ。自分の手を見てみろ」
「や——え、や、だ……ほんとに……」
ようやく理解したか。が、戸惑う姿もよき。自己が確立していない、とアルビオーネは話していたが、これほどなのだな。まあ、そこも魅力的ではある。無垢な純真さの源泉だな。
「わたし、魔物に、なっちゃったの……?」
「竜だ」
「魔物……? まもの、やだ……」
「悲観することはない。儂が——」
「やだやだやだやだ〜〜〜〜〜〜っっ!」
あ、マズいっ。この兆候はっ。
「アリュっ!」
言うが早いか、アルビオーネは儂の体を下ろした。その直後に頭上を闇のブレスが通過する。拡散型ブレスでなくて助かった。だが、どれほどの森が消失したか。見たくもない。
「あ、グリムワルド様っ。毛先が!」
「どでもいいわっ! おい、おちちゅけっ! あばれぅなっ!」
「いやっ、いやあああぁぁぁぁっっ!」
駄々を捏ねるように手足を振り回し、己を認識した幼女は叫び声を上げ続ける。翼を打ち鳴らし、長い尻尾を暴れさせている。その先端が小屋を掠め——
「き、きしゃまあぁっ!! その小屋を破壊したらゆるしゃんぞっ! いくらようじょでもゆるしゃんからなぁっっ!」
「グリムワル——グリムちゃん、危ないですよっ」
「なぜ言い直したっ! コイツをとめりょっ!」
「無理ですっ!」
「そくとーしゅるなっ!」
駄目だっ、早く落ち着かせねば。これ以上暴れられては、本当に壊されてしまうっ。
「おい、アイソス! 聞け! お前は病気なのだっ! 病気は治るものだ。儂が治してやる。だから落ち着けっ!」
「……びょうき?」
「そうだっ! お前は病気で竜の姿になっただけなのだ!」
「わたし、病気、なの?」
お、やっと大人しくなったか。
「そうだ。だが安心しろ。儂が、必ず治してやる」
「グリムちゃんが? 本当に、グリムちゃんが治してくれるの?」
「ああ。このグリムちゃんに任せろ」
儂のためにもな。病気ではないが、アイソスにとってはわかりやすくていいだろう。
「ありがとう、グリムちゃんっ!」
「わかればいい。だから、もう暴れるなよ」
「うんっ」
元気よく頷くアイソスを見て、ようやく胸を撫で下ろすことができた。
振り返って確認すると、やはり森には一直線に破壊の痕が刻まれていた。こんなものを見境なく放たれてはたまらん。
しかし、アルビオーネ、何をにやついている?
「……くふっ、自分から『グリムちゃん』って」
だまれっ! 勢いだっ!
「でもね、グリムちゃん?」
そう言いながら、アイソスは翼を伸ばした。
「わたし、元気なの。病気なのに、とっても気持ちいいの。いつもより何だか元気なの。ほらっ」
地面を蹴って飛び上がる。着地の衝撃に地面が揺れる。手足を振って、踊り子のようにその場で体を回転させる。その一つ一つが風を巻き起こし、儂の髪を靡かせた。そして、大切な小屋も。
「だから尻尾っ! 気をつけるのだっ!」
「あ、ごめんね、グリムちゃん。怒らないで」
「……まあいい。幼女だしな。ああ、そうだ。そこの祭壇に果物があるだろう? それでも食べて、少し体を休めるのだ」
「果物? うん、食べる!」
どしどしと重い足音を響かせながら、アイソスは祭壇へ近づいていく。
まだイマイチ不安だ。何かのはずみで祭壇も小屋も破壊されそうな気がしてならない。
竜の体にとっては豆粒のような水果を、アイソスはゴリゴリと音を立てて食していく。
「どうだ、甘くて美味かろう」
「ん。え〜とね。あんまりおいしくない」
なんだと? そんなわけあるか。いや、なかには熟しきっていないものもあるかもしれぬが。
ふと、地面に落ちた水果が目に入った。ヤンデルゼの奴が投げ捨て、砕けたものだ。飛び散った赤い果肉を拾い上げて口に入れてみる。
十分甘いではないか。それに、この体であれば腹にもたまる。
「その姿で拾い食いはよくないですよ、グリムちゃん。それも、あのヤンデルゼが触ったものを。なんでしたら、私が食べさせてあげましょうか、口移しで。そう、口移しでっ!」
「いらんわっ! ……しかし、妙だな。味覚が変わっているのか? 儂は同じように感じるが」
「さあ、どうでしょうね? あ、駄目ですよ、グリムちゃん。お手手もお口の周りもベトベトじゃないですか。私にお任せください。キレイにしてあげますから。是非っ!」
「ほっとけっ! 自分でできるわっ」
どうせロクなことはしないだろうが。何かされる前に自分で両手を舐め上げ、口元を拭い、もう一度その手を舌で清めた。うむ、やはり甘い。
「ねえ、グリムちゃん。わたし、もういらない。グリムちゃんにあげるね」
「そうか。まあいい」
「あとね、あっちから美味しそうな匂いがするの。わたし、行ってくるね」
「あ? いや待て」
儂の制止を聞く前に、アイソスは歩き始めていた。体の大きさが桁違いなのだ。その歩幅も当然に広い。樹々や枝葉をなぎ倒しながら、山中の奥へと竜の姿は遠ざかってゆく。
「おい、待てと————んぎゃっ」
足? 追いかけようとして、足が絡まった。アイソスを助けたときのように頭から地面に飛び込んでいた。
「だ、大丈夫ですか、グリムちゃんっ!」
「は、鼻が……、く、なんと脆弱な」
アイソスは体を動かすこともしないのか? 自分の足を絡めるなど、どんな運動神経をしているのだか。だが幼女だ。仕方あるまい。そして感覚は掴んだ。早くアイソスを追わねば。嫌な予感がする。
「グリムちゃん……?」
「問題ない! 追うぞ————っんきゃうっっ!」
なぜだっ!? 一歩目で、再び地面に叩きつけられたではないかっ。痛みに転がりながら、己の爪先が踏みつけたものの正体に気づいた。
これか? このローブの裾かっ!
「ええいっ! 邪魔臭い布がっ!」
こんなもの、脱ぎ捨ててやるっ。
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【次 回 予 告】
悶えるグリムちゃん。
歓喜のアルビオーネさん。
はしゃぐアイソス。
そして唐突な別れ。
その時グリムちゃんは自分の本質を思い出す。
『儂は幼女好きの——』
次回、
幼女(になった)竜と竜(になった)幼女 その2
全三話です。