005 竜幼女は遊びたい
『勇者』と双璧を成す、魔王軍の障害たる『聖女』と呼ばれる存在。それは絶大なる癒しの力で人々を助け、崇められ、勇者とともに人々を導く。治癒の力は傷ついた体だけでなく、その心をも再起させるものだ。それを儂は戦場で幾度も目にしている。
もっとも、本物の『聖女』と呼べるような奴は滅多にいない。『聖女』とは称号だ。各地の教会には、象徴として『聖女』と呼ばれる者がいることを知っている。そういった者達にさしたる力はない。戦いに影響を及ぼすほどの存在ではない奴らだ。
「うん。わたし、聖女ってパパから言われるよ。でもね。わたし、アイソスよ。アイソスって呼んでほしいの」
竜の姿となった聖女は困ったふうに答えた。
「やっぱりね。教会の聖女。いえ、この年では聖女候補かしら。そんな名前だったと思ったのよ」
「アリュ、知っていたのか?」
「ええ。というか、グリムワルド様。私のことアリュ、にしたのですね。それでもいいですよぉ」
「アリュ、び、お〜ねっっ!」
「はいはい、そんなにお顔真っ赤にして、無理しなくていいですからね〜」
頭をなでるなっ。すぐに慣れるわっ。術の詠唱のようなものだろうが。
「で、彼女ですけど。街に潜入させている私の眷属から聞いたことがありまして。それに、そのペンダントにも教会の紋章がありますし。そう思っていたのですよ」
「それで? どんな奴だ?」
「本人に聞いてみてはどうですか?」
そう言ってアルビオーネは脇に手を添え、儂の体を竜に差し出すように持ち上げた。覗き込むように首を傾ける竜と視線が合う。
ふふっ。
幼女。幼女だ。姿は竜でも、中身は幼女。
しかも聖女——なのはどうでもいいか。金色の瞳の奥に感じるのは幼女の精神だ。幼女そのものだ。儂の感覚に幼女が飛び込んでくる。
なんとも不思議な感覚ではないか。儂と幼女が一体となっている、といえばその通りなのだが、惜しい。
願わくば、互いの心が、体が、一体となればいいものを。
まあ、これも良い。笑みが抑えられん。
「そうか、ふふっ、お前は聖女だったか」
「うん。そうなの。あなたは?」
儂は……? そうだな、何と説明したらいいだろうか。幼女に理解はできまい。儂らの現状、体を入れ替えられた、ということは。
「——グリムちゃんよ。アイソスちゃん」
言い淀んでいると、アルビオーネがいきなりそう紹介した。
「グリムちゃん?」
「グリムちゃん、だとっ!?」
「あら、だってグリムワルド様、自分の名前ちゃんと言えないでしょ。それにこのほうが今の姿に似合っていますよ」
言えるわっ。グリムワりゅっ、グリム、わ……、わりぅ——。
「何、ぶつぶつ言っているんですかぁ? ね、アイソスちゃん。グリムちゃん、って呼んであげてね」
「うんっ。グリムちゃん、こんにちわ」
「くっ、こ……コンニチワ」
「はいはい、よくできましたね、グリムちゃん。それでね、アイソスちゃん。グリムちゃんがね、あなたのことを知りたがっているのよ」
「そうなの?」
そうだな、尋ねたいことはいくつもある。喫緊の課題としては、この素晴らしい幼女姿がいつまで保つかということだ。だが、それを聞いたところで答えが返ってくるはずもない。
あとは……そうだな。なぜ、このアイソスという幼女が標的となったか、だが。それも同様だろうな。ならば。
「アイソス。お前は、お前をここに連れてきた男を知っているのか? そいつはヤンデルゼ、という名の魔族なのだが」
「ん〜とね、知らないよ、グリムちゃん」
まあ、すでに先程、お前が粉々に吹き飛ばしてしまっている存在だからな。興味もなかろう。
「では、どうやってここまで来たかわかるか?」
「え? え〜っと、あれ? ここどこ? お庭じゃないね」
不思議そうに、アイソスは周囲を見回した。
ここは我が棲み家のある山中だ。樹木繁る豊かな自然のなかを魔獣が闊歩する、魔の山脈と呼ばれる一峰。麓にはアイソスの住むであろう街がある。王都であれば、そこからさらに馬車で十数日はかかる。いずれにしろ、儂の翼であれば瞬く間だ。
「わたし、パパとお庭で遊んでいたの。それでね、あれっ?」
左右に首を傾けながら、瞬きする。金色の瞳をぐいっと寄せて、儂を捉えてくる。
「ねえ、グリムちゃん。わたしと遊ぼ」
「……あ?」
「まだわたし遊べるよ。何だか気持ちいいの。ね、遊ぼ」
「お前は何を言っておるのだ。今はそんなことを——」
「楽しいよ。お花を摘んでね、冠とかつくるの。とってもきれいなの。いつもね、パパがギュッとしてくれて、キスしてくれて、楽しいの。いっぱいころころして、お昼寝して、一緒においしいお菓子を食べるの。ね。グリムちゃん」
「い、いやそれは」
そそられるっ! そそられる提案ではないかっ。幼女との交わり。こんな状況でなければ断る理由などない。いやむしろ、儂から提案したいところだっ。
だが今は——。
ん? なんだこの震えは?
と思ったが、発生源は儂を持ち上げているアルビオーネだった。コイツ、想像しているな? 忍び笑いが隠せていないぞ。
「今はそんなことをしている場合でないのだ。いいか、アイソス」
「だめ、なの?」
うつむきながら伏せ目がちに儂に向けてくる竜の視線は、威圧しているようにしか思えないものだ。——その内に秘めた幼女を感じることのできない愚か者にとっては、だが。
無論、儂は賢者!
「わたし、一緒に遊んでくれるひといないの。パパだけなの。だから、グリムちゃんと一緒に遊びたいの……」
ふわあぁぁぁぁぁ——。
ああ、この気持ちは。胸が締めつけられる。妙な声が漏れてしまう。睨みつけているような竜の瞳が揺らいで見える。まるで涙でも零さんばかりに。この揺らぎはアイソスのものなのか? それとも——。
いやしかし。今はそれどころではなく。
「いいじゃない、グリムちゃん。遊んで……くふっ……遊んであげれば」
「ぐ、わ、わかった、わかった。付き合ってやろうじゃないかっ。ただしやる以上は! そう、いつまでも、儂の気の済むまでだっ!」
「本当? 本当にわたしと遊んでくれる?」
「ああ、もちろんだ。だが——アリュ、手鏡を!」
アルビオーネから渡された手鏡を、アイソスへと突きつける。
「見ろ、アイソス。まずは理解するのだ。これが今のお前だっ!」