003 追放と入れ替わり
追放?
ああ、そういえばそんな話だったか。コイツが現れてから、もう随分と時間が経った気がする。
しかし、なぁ。
摘んだ水果を次々に口内へ放り込みながら考えるに。
無理だろう。うむ甘い。そして、愚かなことだ。
「儂を追放する、だと。それがどういう意味かわかっているのか? 魔王軍の戦力は著しく低下するぞ。そして儂が追放に従ったとして、お前らに牙を向かないとでも思っているのか?」
「くくっ。くははははっっ! その程度か! それが貴様の命乞いか! くくっ、実に滑稽! だが無駄だっ! 貴様に我々を襲う気概などあるはずがないっ。この、食っちゃ寝駄竜がっ!」
まあ、実際、わざわざ敵対する気はない。儂の生活を邪魔しないのであればな。
「ふん。だが、どうするつもりだ? 力ずくで儂をこの地から追いやると? そんなことがお前にできるとでも思っているのか」
再び威嚇の唸りを轟かせてやった。しかし、ヤンデルゼは耳障りな高笑いとともに反り返りおった。
「愚かな心配事など無用だっ。反逆のことも、貴様を追放することも、私にはなんの障害にもならんのだっ!」
叫びと共に、奴の体が分裂した。独り中空に留まっていたヤンデルゼの姿は、今や十二体に増えている。そして儂を囲うように、空中で円形の陣を敷いた。
やる気か。
十二体が一斉に詠唱を始めるのを目にして、儂も迎撃のブレスを——
「無駄だ、グリムワルドっ! 私は貴様の弱みを知っているっ!!」
はためくローブの内から、ヤンデルゼはなにやら白い塊を取り出した。先の水果の如く山中遠くへと放り捨てる。
「——なっ!?」
ソレを見て、儂の体は反射的に動いていた。
たとえ数百年の眠りからの目醒めだろうと、瞬時に我が血流はマグマの如く燃え盛る。
雌伏の刻を過ごしていた体内の魔素が、一斉に励起する。
我が鋭敏なる感覚が覚醒し、あらゆる事象を捉える。
それほどの奇跡!
それほどの尊さ!
山脈全てを揺らすほどに地面を蹴り、飛び上がる。白い塊は放物線を描きながら樹々の中へと吸い込まれていく。儂もまた、巨木をなぎ倒しながら緑の中へ飛び込む。
視線の先、地面に輝く魔法陣を捉えた。側に立つは干物。
だが、今はどうでもいい! なんとしても受け止めねばっ! 儂自らの手でっ! 口で!
できれば舌でっ!!!
落下の風圧に暴れる白い塊。それは白衣のローブだ。そこから見え隠れするは小さな生き物の手足。地面に激突する寸前、ちぎれんばかりに首を伸ばし舌を突き出す。
ああ。
柔らかな感触。
久しぶりの歓喜。
貴重なその身体を、丁寧に舌で包み込んで安堵した瞬間——。
「グリムワルドっ! 貴様をその体から追放するっ!」
「……んべ?」
ヤンデルゼの叫びと共に、体が魔素の輝きに包まれた。
——儂の目の前に、儂がいた。
黒色の鱗に覆われた体。折り畳まれた強靭な翼。しなやかな尻尾。それらを小さく丸め、地に伏せて眠ったように瞳を閉ざす竜。
儂の体だ。
——ならば、この儂は?
掌を見つめる。小さな、人間の手。細い指。それを顔に這わせると、鱗ではない柔らかな頬の感触。
人間。
子供。
————幼女。
幼女。幼女。ようじょ——。
「ふんぬおおおおおおおおおーーーーーーっっっ!?」
「く、ふふっ、くはははははははっっ! 成功! 成功だぁっ!」
竜の頭部に立ち、ヤンデルゼが高笑いをキめていた。
「この私を見くびったなぁ、滅界竜グリムワルド。いや、『元』になってしまったか。くくっ、くひゅっ、お似合いだぞ駄竜」
「ヤンデルゼ、これは——」
「ふっ、この四天王ヤンデルゼを甘く見るなよ。見てしまったなぁ? ふっ、ふひっ、ふひゅっ。確かに貴様の力は魔王軍随一だ。そんな力を持つ貴様を、そのまま追放などするわけがなかろう。不要なのは、怠惰な貴様の精神のみ。ゆえに、くくっ、貴様の意識を追い出してやったのだっ!」
「意識、だと? つまり、儂の体だけが目当てだったということか」
「んん〜〜〜、そういうことだっ」
先ほどの術の作用がこれか。意識? 精神? あるいは魂、と呼ばれるものか? その正体はわからぬが、現実として、儂の意識はこの娘の中にある。それは認めねばなるまい。
だが、納得はできん。
「貴様如きに、こんなことができようとはな」
「できるのだよ。そう、私ならなっ!」
なんの根拠も示さずに宣言し、再び勝ち誇った高笑いを続けるヤンデルゼ。その体がぐらついた。
「おお、こちらも目覚めたようだ」
ゆっくりと、先程まで儂のものだった頭部が動き始める。それに合わせてヤンデルゼは宙に浮かび上がった。儂の意識がここにあるのであれば、儂の体の中にはこの娘の意識がある、とでもいうのか?
「くくっ。そのような目つきをしようと、その姿では何も感じないぞ、グリムワルド。まあ、安心するがいい。今、この竜の体にいるのは、我が魔王軍に相応しい魂を持つ者だ。貴様の力を魔王様のために有効に使うことだろう。そしてぇぇっ!」
遥か遠くを見上げ、ヤンデルゼは裏返った声をあげた。両腕を自らの細身の体に回し、歓喜に全身を震わせている。
「この功績を魔王様へお伝えし! 魔王様の寵愛を! その力で私を! ぎゅっと! 包んでくださる————」
「んきゅぅぅぅ〜〜〜〜っ」
興奮したヤンデルゼの声に、細く絞られた目覚めの唸りが重なって聞こえた。ゆっくりと体を伸ばし、重い瞼が開かれる。二度三度瞬きし、わずかに頭を傾けて目にした光景に、竜は今の儂よりも大きな口を開く。
「ふ、わあぁぁ…………」
欠伸かっ!
いや、これは。
「……ぁぁああああっ?」
漆黒の瞳孔を引き絞り、言葉を詰まらせ、代わりに喉を震わせ始めた。それはまるで——いや、儂の体ゆえ断言できるが——溜めている。爆発寸前の力を。
来るっ!
そう感じた次の瞬間。
「い、いやああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
悲鳴と共に竜の口から放たれた。晴天を切り裂く一条の闇の力。それが恍惚の表情を浮かべていたヤンデルゼを飲み込む。
「な、なん————」
おおお……。ナイスブレス。
闇の激流の後には、干からびた魔族の姿はなかった。……だから、寝起きに貴様の顔はキツいと言っただろうが。まあ、手遅れだがな。
「や、やだ、やだぁ、なに? こわいの、なにっ?」
「おい、上を見ろ」
混乱する幼女?に促す。上空にはヤンデルゼの分身体がまだ残っている。
「な、なんだ今のはっ!?」
「ナンバー1がやられたぞっ」
「なぜ我らに攻撃をっ? 奴の意識は追い出したはず!」
「と、ともかくっ。竜の方を捕縛せねばっ」
動揺しているな。だが遅い。儂の体はすでに次撃の準備が整っているぞ。
「ぃやあっ、まだ、いっぱいいる!? やだやだやだ〜〜〜〜っっ!」
オオオオオオオオーーーーッ!
広範囲に拡散する闇炎のブレスが、ヤンデルゼの円陣全てを包んだ。反撃の術を放つ間もなく、分身体どもは消滅していた。
いや、素晴らしいではないか儂の力…………ではなく。
なぜコイツはこんなことができるのだ? 目覚めてすぐに儂のブレスを使ってみせたな。しかも一撃目は通常のブレス。二度目は拡散型だ。すでに儂の力を知り、使い分けたということか?
そんなことができるものなのか? この体の幼女は。
………………幼女は?
ふむ。
幼女は————ふふっ。
「……ん? え〜〜と?」
思考を巡らせていると、金色の瞳を輝かせた竜が覗き込んでいた。
「あなた、わたしににているのね」
ふぁ、かわいい。
お読みいただきありがとうございます。
次回より本編開始です。
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【次 回 予 告】
幼女の姿になってしまったグリムワルド。
戸惑いながらも嬉しくもあります。
だってかわいいし。
それに彼は、竜になった幼女からも『幼女』を感じることができるのですから。
ただし彼の第一の部下、彼女は危険です。ヤバイのです。
次回、
幼女(になった)竜と竜(になった)幼女
全三話です。